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KO劇ストップも…西岡、止まらん判定圧勝V5

9R、ムンロー(右)に左アッパーを見舞う西岡
9R、ムンロー(右)に左アッパーを見舞う西岡
Photo By スポニチ

 西岡が最終回に怒とうの18連打でKOへの執念をにじませた。プロボクシングのWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチは24日、両国国技館で行われ、王者・西岡利晃(34=帝拳)が巧みな試合運びで同級1位レンドール・ムンロー(30=英国)を圧倒。ダウンこそ奪えなかったが、いずれも10ポイント差の3―0判定で5度目の防衛に成功した。連続KO防衛は4度でストップしたものの、34歳2カ月での世界王座防衛は日本ジム所属選手では歴代3位の年長記録となった。

 ポイントで大差のリードを奪い、KOされなければ負けはない最終12回。西岡はあえてリスクを冒し、挑戦者のムンローを仕留めにかかった。「ファンの方が5連続KOを望んでいるのを感じた。ラストなんで倒しにいったんですけど、すみませんでした」。怒とうの18連打を2度も繰り出した。前WBC世界バンタム級王者・長谷川穂積(真正)に並ぶ5連続KO防衛はならなかったが、その心意気にファンは大歓声で応えた。

 00年3月のロデル・リャニタ(フィリピン)戦以来、10年ぶりとなるサウスポーを苦にしなかった。ムンローの突進を右ジャブで止め、ガードの開いていたボディーを攻めた。7回、右アッパーをみぞおちに打ち込み相手の腰を折る。10回には今度は左ボディーをレバー(肝臓)に打ち込み動きを止めた。「ムンローは頭をくっつけて腰を引いて打つのでボディーが遠い印象があったけど、意外と近かった」。ここまでの4連続KO防衛はすべて顔面への左ストレート。当然、警戒される中、臨機応変に試合を組み立てる姿は冷静そのものだった。

 3人のジャッジはいずれも1ポイントを失っただけの119―109で王者を支持した。34歳2カ月での世界王座防衛は日本ジム所属選手の歴代3位の年長記録だった。「ボクシングをやり切る。追い求めるボクシングを少しでも高めたい」。無冠時代の08年1月から兵庫県尼崎市にある美帆夫人(29)の実家に家族を預け、都内で単身生活を送る。10月上旬には愛娘の小姫ちゃん(4)が初めて幼稚園の運動会に参加。ダンスとリレーに出場したがムンロー戦を控える父の姿はなかった。「来年はパパが来てくれたらいいね」。家族の支えは西岡本人が一番、感じている。

 リング上でその小姫ちゃんから「パパは誰にも負けないぞ」とほめられた。V6戦は来年2月にもWBC、WBO世界バンタム級王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)戦が浮上。「望むところです」と西岡。左アキレス腱断裂、4度の世界挑戦失敗――。32歳で世界の頂点に立った男は苦しんだ分だけリングにこだわり続ける。

 ▼帝拳ジム・本田明彦会長 ムンローでなければ倒れていたと思う。西岡は戦うたびに強くなっている。こちらが驚かされる。年内は完全休養して、来年3月ぐらいに防衛戦を考えている。

 ▼WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志 完全に(採点で)勝っているのに12回に倒しにいく気持ちが凄い。あすから気合を入れ直してやろうと思った。

 ▼WBAスーパーバンタム級王者・李冽理 (西岡は)序盤からペースを握っていた。足の使い方や間合いの取り方が自分と似ていたので勉強になった。(統一戦は)話が来れば、やってみたい気持ちはある。

 ▼日本プロボクシング協会・大橋秀行会長 足と右ジャブの勝利。動いてムンローの良さを消した。完ぺき。この年でまだ進化している。

 ▼元世界フライ級王者・花形進氏 完勝。ボディーブローが良かったし、足をうまく使って打っては離れてと、戦い方がうまい。

 ◆西岡 利晃(にしおか・としあき)1976年(昭51)7月25日、兵庫県加古川市生まれの34歳。高校3年の94年12月にJM加古川ジムからプロデビュー。98年12月、王座決定戦を制し日本バンタム級王者に。00年9月に帝拳ジムへ移籍。08年9月、5度目の世界挑戦でナパーポン(タイ)に判定勝ちしWBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦を制す。その後、正規王者に昇格。1メートル69・0の左ボクサーファイター。家族は妻と1女。

Yahoo!ブックマークに登録 [ 2010年10月25日 ]

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