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[21687] 【ネタ】銀の雨ふるふる 異世界トリップ 主人公TS IFルート
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/04 14:10
 銀の雨ふるふる IFルート

 前書き
 
 IFルート
 
 このお話は本編第07話からの分岐となります。
 この場合『聖女あき』は存在しなくなりますね。登場人物たちもかなり変わってくると思いますし、小市民的なお話になります。
 それと前作よりも女の子っぽくなっています。

 『銀の月につながるのは本編の方です』
 こっちはあくまでIFルートですから……。



 9/4 本編の方からわけました。



[21687] 第01話 「神聖魔法とその結果」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/04 14:11

 銀の雨ふるふる IFルート


 これまでのお話。

 香月秋彦は学校から帰宅している途中で異世界へ転移してしまった。
 ローデシア大陸の最北端の村。カーライル村近くの森の中で小人族の錬金術師、コーデリアと出会う。
 コーデリアはないすばでぃ~になるための研究をしており、実験のために秋彦に女性化の薬を飲ませる。その結果、秋彦は女性になってしまった。
 そしてカーライル村から、古都アデリーヌへと向かったコーデリアと秋彦はそこでオカマのルパートと変質者のラッセンディルと出会った。ロリコンで女好きのアビゲイル。男の娘のアデル。さらにストーカーじみたアメリア。ヘンタイ連中に出会い。脅える日々だったが、心の傷もようやく癒えかけたある日。彼らは再び古都アデリーヌへとやってきていた。
 これまでの事をルパートに相談する2人。ルパートの一緒についていてあげるわ。という心強い言葉に安心した2人は買い物へと出かけた。

 

 第01話 「神聖魔法とその結果」


「あき。居酒屋に寄って、ワインを買っていくのじゃ!」
「飲めるの?」
「わらわは大人の女じゃ。酒ぐらい飲めるわ!」
「はいはい」
「人の話を聞くのじゃー!」

 コーデリアが喚いているのを無視して、居酒屋のドアを開けて中に入る。
 居酒屋の中はなんと言おうかほこりっぽかった。それと人が多くて熱気がむんむんとしている。客の誰もが剣を腰につけ、鋭い目つきで見ている。どうやらわたし達は場違いな所に迷い込んだ。と思われているのだろう。
 カウンターから店主らしき、ひげ面の男がやってきて「何か用かい」と妙に猫なで声で言う。

「ワインを買いに来たんだよ」
「ああ! そうか、そうか。うん。それでどんなのがいいんだい?」
「コーデリアはどんなのがいい?」
「無論、ザクセン産の赤じゃ!」
「わたしは泡のあるのがいいんだけど……」
「スパークリングなら、ルリタニア産の白がいいのじゃ」
「ほおー。子どもの方がよく知っているじゃないか」
「わらわは子どもではないぞ」
「小人族だろ。それぐらい知ってるさ。小人族は体も小さけりゃ、胸も無いってな!」
「おのれー! ようも言うてくれたな! 消し炭にしてくれるわ!」

 コーデリアが魔法を唱えようとする。店内のざわめきが一瞬、止まってわたし達に注目が集まった。

「おーい。コーデリアはザクセン産の赤ね。わたしはルリタニア産のスパークリングワインにするから魔法はやめて。店主さん、聞いたとおりだから、ザクセン産の赤とルリタニア産の白のスパークリングの2本をちょうだい。持って帰るから」
「あ、ああ」

 店主は驚いたような顔をしてコーデリアを見詰めていた。

「ほら早く!」
「う? ああそうだった」

 店主が慌ててカウンターに戻るのと同時に店内のあちこちでひそひそと話す声が耳に届いてくる。

「おい。あの小人族、魔法使いか?」
「魔法使いがこんな場所にくるかよ」
「しかし、いま使おうとしたぞ」
「ハッタリだよ。魔法使いが塔から出る訳ねえよ」
「ちげえねえ」

 男達の笑い声が店内に響く。
 コーデリアの表情が険しくなり、わたしは止めるのに必死になっていた。
 ワインを持ってきた店主にお金を払い。わたしはコーデリアを引きずる様にして店を出る。
 まったく、心臓に悪いよ。コーデリアはまだむくれていた。仕方ないので途中でベリーのクレープを買うとコーデリアに食べさせて機嫌を取る。
 ルパートの店に帰り、この事を話すとルパートは笑っていた。
 ルパートも、もう!
 わたしの方が怒りたくなった。

 さて出発しようとした矢先、ルパートのもう一軒のお店から連絡がやってきた。
 なんでも従業員にけが人が出たそうで、お店が混乱しているらしい。わたし達も一緒にお店へと向かう。職人通りを通り過ぎ、わたし達は居酒屋の集まっている一角へと再び足を踏み入れた。やってきたのはとある大きなお屋敷。門にはおよぐ子犬亭と描かれている。ルパートは鉄の門を開ける。そして大きな木の扉を開くとそこは……。

「は、はだかの男の人が踊ってる……」

 店内に作られたステージ。赤いスポットライトを浴び、肌もあらわにした男たちがあやしげに腰をくねらせて踊っていた。
 わたしは足をがくがく震わす。あわてて店から逃げ出そうとする。しかしルパートに両肩をつかまれ、逃げ出せなくなってしまう。

「ふふふ。逃がさないわよあき」
「あわあわ、ルパート助けて……」
「なにをしておるのじゃ? けが人がいるのじゃろう」
「ええそうね」

 コーデリアの言葉にルパートはあっさりとわたしの肩から手をどける。そうして店の奥へと行ってしまった。
 わたしとコーデリアも後を追いかけるように付いていく。
 怪我をした女の人はいすに寝かされ、顔を包帯でぐるぐる巻いている。血がにじんで痛々しい。そっと眼を逸らした。コーデリアはルパートを手伝って薬草を貼り付けている。戻ってきたコーデリアが首を振りつつ「痕が残るじゃろうな」と呟いた。

「かわいそうだね」
「とはいえ、後は祈るぐらいしかやることはないのじゃ」
「祈るって?」
「そうじゃのう。女神コルデリアとかにな」
「アビゲイルのところの女神様だね」

 わたしはこの世界の神様というのには疎いのだ。まだはっきりと分かってない。というのもある。神話とかも知らないし。
 それでも胸の前で両手を組んで祈った。神様。女神コルデリアさま。どうか目の前のこの人を助けてください。
 ――お前がやれ。
 耳元でやかましいぐらい大きく。妙にはっきりと聞こえる明らかに女性の声。
 きょろきょろと辺りを見回す。
 挙動不審になってるわたしのわき腹をコーデリアがつついてきた。

「どうしたのじゃ?」
「なんかね。妙な声が聞こえた」
「なんじゃそれは?」
「助けてくださいってお祈りしたら、お前がやれって言われた」
「なんじゃそれは? ……まあ、女神にそう言われたのなら、一度祈ってみると良いのじゃ。違うと思うのじゃがな」

 コーデリアが呆れたように、どことなく投げやりに言う。
 わたしもなにがなんだか分かんないけど、一応祈りを奉げてみる。
 意識を集中しながら祈っていると、体の奥から何か言いようのない力が湧き出てくる。

「……女神コルデリアの名において傷ついた者を癒したまえ」

 眼を瞑り、祈ってる。いつの間にか女神の祈りが口をついて出てくる。全身から淡い光が溢れて、寝ている女性を包み込む。
 周囲で驚きの声が上がっていた。ゆっくりと薄目を開けた。女性の顔から傷跡が綺麗に消え、分からなくなっている。

「……女神の癒し」

 ルパートが眼を見開いて見つめてくる。わたしだって驚いてる。じっと自分自身の手を見つめた。一体どういう事なんだろう? 驚いているとルパートとコーデリアの手によって部屋から連れ出される。やってきたのは店の一番奥にある事務所だった。

「――あき、いい事。あたし達のいない所ではもう二度と『神聖魔法』を使っちゃダメよ!」

 部屋の入るなり、いきなりルパートはそう言った。コーデリアも顔色を悪くして頷いている。

「下手に使えるところを見せると、縋りついてくる者や神殿から睨まれてしまうのじゃ。良いな。見せるのではないのじゃ」

 2人に詰め寄られて思わずこくこく頷いてしまう。なんだか物凄く真剣な表情をしてる。

「女神の癒しを使える癒し手は大陸でもそんなにいないの。アビゲイルやアデルは神官だから使えてもたいした問題にはならないわ。むしろ神殿でも発言力を持てるけど、あきは神官じゃないから危険なのよ」
「そうなのじゃ。なまじ使えるとあきに使ってくれと頼み込んでくる者達で身動きできなくなってしまうのじゃ。それでいて使ってくれないとなると逆恨みする者もでてくるのじゃ」

 2人にしばらく説教をされてしまった。そうこうしているうちにルパートが怪我をしていた女性の様子を見にいく。と言って部屋を出て行った。後に残されたわたしはコーデリアから散々脅されてしまう。こわいよ~。
 しばらくしてようやくルパートが戻ってきた。そうしてコーデリアを部屋の隅に呼ぶと小声で話し出す。ときおりちらちらとわたしの方を見ている。なんなんだろうな~。気になるけど、近づいたら怒られそう。2人とも真剣な顔をしてる。

「あき。あなたにはノエルの錬金術の学院。北の塔へ行ってもらうことにしたわ」
「はえ?」

 そうこうしているうちにくるっとわたしの方に向き直ったルパートが言ってくる。

「そうなのじゃ。錬金術師として学んでくるのじゃ。そうすれば多少魔術が使えても誰も不思議に思わぬのじゃ」
「もちろんあたし達も付いていくわ」
「一応わらわ達も卒業生なのじゃからな。伝手はあるのじゃ」

 なんだか知らないうちに2人が盛り上がってる?
 あっという間にわたしはノエル王国首都ノエルにあるという北の塔へと向かう事になってしまった……。
 どうしてこうなったのかな?
 取りあえず、今日はここに泊まって明日、カーライル村にあるコーデリアの家へ帰ってから急いで荷物を纏めることに決まった。
 野菜とかどうしよう?

「まあ、それはそうとしてちょっと着替えてみない?」
「えっ……?」
「やってみるのじゃ」

 ルパートとコーデリアがふふふっと笑いながら近づいてくる。なぜか両手をわきわきしてる。そして強引に秋彦――もとい。あきを奥の部屋へと連れ込んだ。大きく胸元の開いたレオタードのような服。編みタイツに真ん丸いしっぽ。頭にはウサギの耳。奥の部屋であきはバニーガールになってしまった。

「思ったとおりだわ。良く似合うわー」
「似合うのじゃ~」

 喜色満面なルパートとコーデリアは身をくねらせ、いそいそとあきを店内へと連れ戻した。
 店内に戻ったあきを客達が口笛を吹いて迎える。

「風俗はいやですぅ~」
「ノンノンノン。だめよ。そんな事を言っちゃぁ~ね」

 あきは従業員の男たちにお盆とグラスを持たされて、3番テーブルに行くよう言われる。
 こぼさないようにゆっくりと歩く。テーブルを通り過ぎる。その際にあきはお尻を撫でられてビクッと涙目になってしまう。そんなあきの様子をテーブルについたコーデリアがにやにや笑って、呼び寄せる。

「こりゃあ~。酌をするのじゃ」
「ううー」
「よいではないか。よいではないか」

 すけべ親父のような物言いでコーデリアがあきの胸を揉んでくる。なみだ目になりながら逃げようとするあき。ぺろんっと剥かれてしまう。あきの胸が露になり、店内に居た男たちが一斉に見つめてきた。

「ふわーん。助けて~」
「むう。やはり大きい……しかし、この乳が! この乳が憎い……本当ならわらわのものじゃったのに……」
「いい加減、諦めてくれないか」

 さんざん愚痴を聞かされて辛いんだ。コーデリアがジッと他人の胸を睨んでくる。

「く、くやしくないのじゃ。いずれわらわもこれぐらいにはなってみせるのじゃー!」

 コーデリアの叫びが店内に響く。




[21687] 第02話 「いざ、ゆかん。北の塔へ」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/04 14:12

 銀の雨ふるふる IFルート

 第02話 「いざ、ゆかん。北の塔へ」

 アデリーヌからアルカラを越えて、ひたすらノエルへと向かう馬車の中、わたしはすっかり退屈してしまっていた。

「遠い」
「仕方ないわ」
「仕方ないのじゃ」

 ルパートとコーデリアも退屈しているようだ。
 とはいえ、馬車の中ではやることもないから、本でも読んでるしかないんだけどわたしは文字が読めないのさー。
 という訳で、急遽文字を覚えるための勉強が始まった。元の世界でもここまで一生懸命に勉強したかな~。と思えるほど必死になってる。学院に入るためにも、何よりこれからの生活のためにも文字ぐらいは読めないと困るのだ。文盲というのも大変だからね。必要は習得の母。ここまで切羽詰っていれば、嫌でも覚えるしかない。
 首都ノエルに着いた頃には少なくとも読み書きは出来るようになった。専門的なことは分かんないけどね! 下位古代語難しいよ。ノエル語の方が簡単だったし。ルリタニア語とノエル語の違いって、方言みたいなものなのかな~。

「まあ長いこと交じり合ってるから、似たところはあるわよ」
「カルクス語も似たようなものなのじゃ」
「ザクセン語もそうだわ」
「う~ん。そんなものなのかな?」
「いざとなれば、下位古代語で話せば良いのじゃ」
「下位古代語はね。貴族の間では教養科目だから話せない方が恥ずかしいのよ。話せない人は一杯いるけど」

 とか言ってるうちにやってきました。首都ノエル。
 さすがにアデリーヌよりも大きい。街の中も発達してる。基本的にはアデリーヌとノエルは同じだと思う。ルパートもコーデリアもこれはどこの国でも同じだと言ってる。街のつくりとか建物とかはね。でもノエルの方が広いし、また高い建物がいくつも建ってる。
 馬車に揺られながらあちこち眺めていた。大きなお城に巨大な石像。

「あれなに?」
「ああ、初代女帝の石像ね」

 わたしが指差した巨大な石像を見たルパートが答える。
 ついついわたしは辺りをきょろきょろ見てしまう。完全にお上りさんだ。仕方ないよね。ルパートに手を引かれるようにしてノエルの街を歩く。あれなに? これなに? と聞くわたしに一つ一つ答えてくれた。なんだか楽しい気分。
 ふと気づくとコーデリアが居なくてきょろきょろ見てみるとコーデリアは道端で売ってる揚げ菓子をくわえてむしゃむしゃ食べてた。

「あっ、1人だけずるい!」

 ルパートの腕を引っ張ってコーデリアのところへ向かう。屋台で売ってるぷっくり膨らんだ揚げ菓子をルパートに買ってもらった。

「あ~ん」

 かぷっとかぶりつくともちっとした甘いドーナツみたいな味が口の中に広がっていく。表面にまぶされたお砂糖が口の中でじゃりっと音を立てる。

「あふい」
「熱いのじゃ」
「あら、意外とおいしいわね」

 わたし達3人は店先でむしゃむしゃ食べる。ハーブの香りが口の中で漂う。おいしいな。
 食べ終わったら、ルパートが「さあ、早く北の塔へ行くわよ」と言ってわたしとコーデリアを急き立てていく。もう少し見物したかったんだけど、これからいくらでも出来るわ。とルパートに言われて諦めた。

 街の中心を大きなシェラン川が流れていて、街を大きく2つに分けていた。
 さらにノエルの街は25からなる区に分れているそうだ。第1区はもちろん王城を中心としてる。川沿いにほぼ王城だけで1区を占領してた。その真上にあるのが2区で王立劇場があるらしい。まだ行った事ないから分かんないけどね。どんなのだろう? 2区の右側に3区、いろんな神殿が集まってるそうだ。川を渡った4区には囚人を入れておく牢獄があるらしい。行きたくないよ~。怖いし。その左となりが5区になる。それから左に6区、7区となって、また川を渡って8区。大まかに言えば時計回りに螺旋を描くように王城を中心に2区、3区と順に並んでいる。中心は1区だからね。
 
 北の塔は川の下側にある7区にある。川を挟んで右斜め上に王城が見える。
 この辺りは緑に囲まれている。空中から見るとコの字? それとも円の字なのかな? そんな感じだった。荘厳なのか、古風なのか分からないけどとりあえず重厚な雰囲気に包まれてる。石造りの高い建物だ。
 北の塔という名の通り、中心には10階建ての高い塔が建ってる。鉄の門の外側から見上げてると首が痛くなってきた。
 なんかどきどきする。
 ルパートとコーデリアがさっさと中に入っていってしまうので追いかける。広い校庭? を歩いてるとちらほらとわたし達を見てくる学生達。ときどきコーデリアが着てる黒っぽいマントのようなコートを身に着けてた。幼そうな子供から結構な年配の人までたくさん居る。
 学生と言ってもいろんな年代がいるんだ……。結構驚きかも。

 塔の中は豪華に見えた。
 魔法の明かりに照らされたふかふかの絨毯も調度品も高そう。そんな中、わたし達はホールを横切って事務室へと向かう。ふっくらとしたソファに座って待っていると、金髪の髪をきれいに眉の辺りで切りそろえた怖そうな女性がやってくる。美人さんなんだけど、目つきが鋭い。ちらっとわたしを見てくる。

「この子が入学希望者なの?」
「ええ、そうよ。名前はあき・フォン・ターレンハイム。あたしの遠縁の子なの」

 しらっとした顔でルパートがそんな事を言い出した。
 わたし、ルパートの親戚じゃないよ。それにターレンハイムってルリタニアの侯爵家でしょ? そんなの困る。
 違うよ。と言う前にコーデリアに口を塞がれた。そして小声で「いいから、ルパートに話を合わせるのじゃ」と言われる。でも……。「お主はこの世界の人間ではないのじゃ。ばれると拙いのじゃ。ターレンハイムの身内としておけば、手出ししにくくなるのじゃ」

「ううー。分かった」
「それで良いのじゃ」

 わたしとコーデリアが話をしているうちにルパートと事務の女性が話を纏めてる。なんでも授業料はターレンハイム家持ちだそうだ。いいのかな~。わたしお金持ってないのに……。
 でも、今は学院は長いお休みに入っているらしい。今は青碧の月(7月)の終わりだからこの世界にも夏休みというのがあるんだろうか?
 茜の月(9月)から、学院に通うことになった。今日のところは教科書とか参考書を買って帰るだけだとか言ってる。

「これからよろしくね。あきさん」
「はい。よろしくお願いします。……えーっと?」
「ジュリエット・バルバートルよ。これから貴方の担任教師になりますからね。何か分からないことがあったら私のところにいらっしゃい」
「は、はい」

 えっ? 担当教師だったんだ。でも、そう言って握手する。そしたらジュリエットさんはルパートとコーデリアを見ながら、「この2人が付いているなら、それほど心配することもないでしょうけど」なんて言い出した。
 なんとなくバツの悪そうな表情を浮かべるコーデリアとルパート。どうしたんだろう?

「同期生なのよ」

 わたしの顔色を読んだのか? ジュリエットさんが言う。はじめて笑った気がする。

「えっ? そうなの? コーデリア」
「そうなのじゃ。まさか教師になってるとは思ってなかったのじゃ」
「そうね。意外だったわ」
「かつての首席と二位に言われるなんてね」

 ジュリエットさんはくすくす笑いながらコーデリア達を見てる。

「首席? 二位?」

 わたしはきょろきょろ2人を見比べた。どっちがどっち?

「ルパートが首席でコーデリアが二位よ」
「そうなんだ」
「学院にいた頃からこの2人は優秀でね。同期だった私達はいっつも比較され続けていたのよ。お蔭で何人の同期生が辞めていった事か、結局、残ったのは私だけ。私も意地になってたのね。こうなったら意地でも残ってやるわって感じで学院に残ることを決めたの。この2人みたいに好き勝手に生きられそうもなかったしね」

 好き勝手……それは分かるような気がする。こんな話をしている割にジュリエットさんはさばさばした口調で話してる。こんな風に考えられるようになるまで結構時間が掛かったんだろうな。そう思う。
 でも、ジュリエットさんが思ってるほど、2人とも好き勝手には生きられないような気もするんだけど? なんとなくだけどそんな風に思えてしまうんだよ。ルパートはルリタニアの侯爵家の3男で伯爵なのに、アデリーヌにいるし、コーデリアにしてもアデリーヌからも離れた辺境のカーライル村に住んでいたんだから……。隣の芝生は青く見えるってやつじゃないかな? 口に出して言わないけどね。

「まあ、昔の話なのじゃ」
「そうね。昔の話よ」

 2人はそう言って立ち上がった。
 わたしも2人の後についていく。そうして部屋を出た。
 北の塔を少し見学していく? とルパートに言われてわたしはルパート達と離れて見学することに決めた。塔の中を歩いてる。角を曲がった。

「がぉ!」
「がぉ~」

 ――逃げた。
 トラが、トラが! 二足歩行で、軽快なフットワークで追いかけてきたぁー。
 なんでー?
 タッタッタと軽快に追いかけてくる。なんで北の塔にトラがいるの~?
 廊下を走って逃げる。いくつも角を曲がるたびに、ヘンな生き物は数を増やして追いかけてくるー。
 泣きそう。

「カタギの衆を脅かすな~!」

 そんな女性の声とともに背後から爆発音が聞こえてくる。
 急ブレーキで止まって振り返ると、ぶすぶすと黒い煙が立ち込め、煙を吐いてトラが床に倒れてた。
 女性はトラの頭を踏みつつ。爆弾らしきものをお手玉のように弄んでる。ふわふわとしたブルネットの髪に大きな丸めがね。おとなしそうな風貌なのに言葉遣いが……結構わるい?

「ああ、もう大丈夫だよ」
「え、えーっと、どうして北の塔にトラがいるの?」
「はっ? どうしてって? あんたワータイガーを見たことないのかい?」

 驚いた顔で女性が見つめてきた。こくんと頷いて答える。

「見た事ないです」
「あんた。どっから来たんだい」
「カーライル村からですが?」
「カーライル村ねえ……これまた辺鄙なとこから来たもんだ。まあいいやね。こいつらはワータイガーという種族だよ。一応人型だから、北の塔でも学ぶことは出来るんだよ。で、こいつらは初めて会う女の子にはいつもああやって脅かすんだよ。災難だったね」
「え、ええ……」

 女性に踏みつけられているトラを見て、ほっとするやら腹が立ってくるやらでなんともいいようのない気分である。
 踏みつけてやろうか?

「そうしてもいいと思うよ」
「えっ?」
「顔に出てる」
「うそっ?」

 両手で顔を覆う。
 あはは。と笑いつつ女性は手を差し出してくる。

「あたしはイングリット・バーグマン。よろしく」
「……イングリット・バーグマン?」
「そうだよ。どうかしたかい?」
「――君の瞳に乾杯」
「はっ? なに言い出すんだい?」

 はっ! 一瞬動転して、思わず口走ってしまった。でもでも、そりゃあ同姓同名の人がいても不思議じゃないだろうけど、いきなり名乗られたら仕方ないと思う……よね。
 呆れたような顔で見られた。ううー。

「わ、わたしはあき。……フォン・ターレンハイム……です」
「なんだい? その自信なさそうな名乗り方は? 自分の名前ぐらいは自信を持って名乗った方がいいよ」

 な、なんと言っても偽名ですから! 仕方ないじゃないかー。

「ううー」
「まあ、いいか。あき、だね。いや~それにしてもターレンハイム家か~。」
「はい?」

 ようやく握手した。でも、なんかにやにやしてる。それに小声でなにか言ってるし、どうしたんだろう?
 それからイングリットさんの案内で北の塔を見て回る。
 これから通うことになる学院を回るなんてなんだか、転校生の気分だよ。北の塔は普通課程が2年。専門課程が2年だそうだ。イングリットさんは北の塔の幼年組から上がってきたそうで、そういう人も多いらしい。トラもそうだって。
 校門のところまで来るとコーデリアとルパートが教科書とか参考書を受け取って待っていた。
 イングリットさんにお礼を言って別れる。彼女は塔の寮で暮らしているらしい。休みの間も寮にいるから遊びにおいでと誘われた。
 お蔭でこれから楽しみかもしれない。えへへ。でも、わたしと同い年なんだよ。もっと年上かと思ったのにー。くっすん。



[21687] 第03話 「新しいおうち 新しい工房」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/04 14:13

 銀の雨ふるふる IFルート

 第03話 「新しいおうち 新しい工房」

 北の塔からクレージュ通りとラップ通りの交差点を渡ったところに公園がある。公園の中には小さな池もあって鳥たちが戯れている。クレージュ通りを真っ直ぐ北へ向かうとアルマ橋がある。その向こうは王城へと続くスーベニア大通りに入る。
 わたし達は北の塔から出た後、公園を通り抜けて大きな家にやってきた。この家は昔、ルパートがまだ学生だった頃に住んでいたというターレンハイム家の所有する家らしい。広い敷地には木造のL字型の切妻屋根の大きな家。屋根の上には3本の煙突がニョキッと突き出ている。玄関は3つあって、正面玄関と恐らく台所に通じる勝手口だと思う。それと裏口。
 門のところから地面に敷かれている赤煉瓦。家のすぐそばに立派な木が枝を伸ばして木の葉が庭に影を投げかけていた。でも庭も広いから庭先の半分以上は陽が差し込んでる。屋根裏部屋にも窓がある。住居の隣にポンプ小屋。家の裏側に小さな菜園。種を買ってきて野菜か果物でも植えよう。その隣が果樹園なのかな? とにかく家の両側に果樹園があった。あの木はりんごとすももに栗。誰が植えたのか知らないけど……あと、びわとさくらんぼがあれば完璧だと思う。そこを通り過ぎると敷地の周りに張り巡らしてある柵に沿うように馬車小屋がある。その隣は穀舎だ。奥の柵のところに大きな納屋がいくつも並んでいる。納屋は氷室や薪小屋も兼ねているそうだ。
 
 ルパートが家の玄関を開ける。
 玄関を入った正面ホールの奥に階段があってちょうど3段目で直角に折れ曲がり2階へと続いている。玄関を入って左手にドアがある。中を覗くと客間らしい。階段を潜るようにして廊下が奥へと続き、右手に台所。左手にダイニングルーム。廊下の正面には寝室があって台所から入れるようになっていた。そしてダイニングルームと客間の間にはドアがあって続いている。台所に入り込んだ。かなり広いけど、ルパート。あんまり使ってなかったんだね。台所の左手の壁に3つドアがある。一番手前がポーチ。裏口がある。その隣がパントリーだ。この世界に来るまで知らなかったんだけど、ふだん使う食器や調味料、料理道具が置かれてる部屋。ここの床下に地下室のセラーに続くハッチがあって階段で降りていく。さらにその隣には良く分かんない部屋がある。コーデリアの家にもあったんだけど、良く分かんないんだよ。コーデリアも知らないって言ってるし。知らないんなら作らなくてもいいんじゃないの? 物置代わりに使ってるけど。
 一階は台所(ポーチやパントリーを含む)、客間、ダイニングルーム、寝室、玄関ホールから成ってる。L字型の家の一辺は台所関係で占められてる面積の方が多い。
 ふっふっふ。いずれこの領域はわたしのテイトリーになるのだ。広い方がいいよね。2階はメイン部分。(客間やダイニングルームのある部分)の上にだけ部屋が作られていて、台所側の上は2階じゃなくて屋根裏部屋になってる。そして屋根裏部屋がルパートの工房だったんだって。

 わたし達は階段を上って2階の屋根裏部屋へとやってきた。
 広い。屋根裏部屋って広いよ。埃がかぶってるけど立派なテーブルや机がいくつも並んでる。壁際には大きな暖炉。煙突の手前に大きな鉤爪が下りていた。ここで調合したものを熱してたんだ。
 調合道具なんかは埃がかぶってるからちゃんと掃除しておかなくっちゃだめだよね。
 わたしはさっそく腕まくりをして掃除を開始した。……コーデリアは「わらわは疲れたのじゃ」と言って寝室に逃げ込んだ。
 でも、寝室も掃除してないんだから埃がかぶってるよ。
 寝室の方から悲鳴が聞こえてきた。

「し、寝室も埃まみれなのじゃ~」

 コーデリアが慌てて飛び出してくる。

「掃除してないんだから仕方ないと思う」
「掃除してほしいのじゃ」
「後でね」
「今すぐなのじゃ~!」

 コーデリアにがくがく揺すぶられてしまった。なんだか泣きそうになって駄々をこねる。しょうがないな~。屋根裏部屋の掃除をルパートに任せて、わたしはコーデリアの寝室の掃除をすることにする。
 ベットからマットをどけて下へと降りた。
 庭でぱたぱた叩いて埃を落とす。しばらく叩いて、それから干しておく。
 まだ陽が高いから、太陽光で殺菌できるだろう。一応他の部屋のマットも全部干しておいた。
 再び2階に上がって床掃除。箒とちり取りを持って掃いていく。う~ん。コーデリアがわたしの後をついてくるんだけど、どうしたのかな~。

「うん。床掃除はこんなものでしょ」

 掃き清められた床を見ながらわたしは頷いた。
 でもでも、まだ終わらないんだよねー。いそいそ降りて、ポンプ小屋で木のバケツにお水を汲む。ずっと使ってなかったから、結構固くなってる。何度もぐいぐい押し下げるのをがんばる。力が弱くなってるから大変なんだ。
 木のバケツって重い。うんうんがんばって持ち上げる。2階まで持ってくると床やら壁やら柱に調度品なんかも雑巾で拭き掃除。大変だよ。コーデリアは手伝ってくれないし。ちょこちょこわたしの後をくっついてみてる。
 それでもなんとか終わったー。ぐったりしちゃうよ。ううーでも、あと一階も残ってるし、台所も終わってない。
 こてんとベットに横になってるコーデリアを見ながら、ううーっと唸ってしまう。
 1階に降りて台所でごそごそしてたら、玄関の方で声がする。誰だろうと見にいってみると知らない人が立ってた。

「あの~どなたですか?」
「貴女こそ。どなたですか?」

 きょとんとした顔で聞き返された。金髪の眉がハの字になり、驚きを表してる。長く伸ばしたウェーブのかかった金髪と青い眼。細く華奢な体でしなやか身体に眼の覚めるような紺碧のサテンのカザックと、銀糸の刺繍をあしらった薄いグレーのベストを着ている。襟元には絹のクラヴァットを無造作に結び、ベストの下は柔らかいタフタの白シャツ。足には白絹のショース。レースの縁取りをした膝下までの長靴を履いている。背はそれほど高くはない。わたしと同じぐらいだけど、とても綺麗な人だった。どことなくルパートに似ている。もしかして親戚なのかな?

「あき、です」
「……あき。ですか?」
「ええ、そうです」
「従兄弟のルパート・フォン・ターレンハイム伯爵がこちらに戻ってきているはずなのですが、ご存知ですか?」

 ああ、やっぱり。ルパートの従兄弟さんなんだ……。通りで似てると思った。

「ルパートなら、屋根裏部屋で掃除してますよ。呼んできましょうか?」
「ええ、お願いします」
「ところで、貴方はえーっと、お名前は?」
「これは失礼しました。マルセル・フォン・ターレンハイム」
「では、マルセルさん。少しお待ちください」

 玄関で待ってもらうのは失礼かもと、思うのだけど、まだ掃除が終わってないからしょうがないのさー。急いで屋根裏部屋へと向かう。
 ルパートにマルセルさんが来てる事を伝えると、急いで階下へと降りていった。
 玄関でルパートとマルセルさんが話をしてる。しばらく話し合ってると思ったら、2人が家の中に入ってきた。

「あき。今日からマルセルもこの家に住むことになったわ」
「えーっ!」

 驚いて大声を上げてしまう。そんなの聞いてないよー。
 ルパートが苦笑いを浮かべてわたしを見つめてくる。ううー。なんでよー。

「マルセルも茜の月(9月)から、北の塔に通うことになってるのよ。寮も空いてないし仕方ないわ」
「うう~。分かったー」
「これからよろしく」

 マルセルさんが手を差し出してくる。握手をしながらこれからどうなるんだろう。なんて考えてた。
 こうしてやってきたマルセルさんも含めて掃除を再開する。自分の部屋ぐらいは掃除してもらわないとね。わたしはお風呂場の床ををごしごし擦ってる。お風呂場とトイレは家の外にある。お風呂に入るときは庭を横切って行かなければならないのだよ。たいへんだー。ちなみにトイレはお風呂場の横にあった。

「おふろばごーしごーし」

 全部終わった頃にはすっかり日も暮れてた。


「ごはんがない。材料買ってない。どうしよう」

 台所で1人佇んでいる。どうしようどうしよう。困ったな~。

「あき。どうしたの?」
「あっ、ルパート。ごはんがないの。食材買ってないし」
「……あー。そういえばそうだったわね。今日は外に食べに行きましょう」

 あ~っと、ルパートもしまったという顔をする。
 わたしは2階に上がって寝ているコーデリアを起こす。

「コーデリア。起きて、ごはん食べに行くよ」
「むにゃ、ごはん? ……ごはん!」

 がばっと勢いよく跳ね上がる。さすがずっと寝ていただけあって元気だよ。わたしもルパートもくたくたなのに……。
 わたし達は服を着替えて家を出た。通りに出るとルパートが辻馬車を呼んだ。
 かぽかぽゆっくり進む馬車に乗ってわたし達はアリアンスという名のお店にやってきた。ルパートが学生の頃よく通ったお店らしい。外見は普通ぽい居酒屋だった。
 木の扉を開けて中に入ると熱気で暑いくらい。
 テーブルに着く。わたしとマルセルさんは並んで座ってる。やってきた店員さんにルパートが笑いながら注文をしていた。
 コーデリアも懐かしそうにきょろきょろしてる。

「コーデリアも来た事あるの?」
「うむ。ルパートと一緒にな」
「そうね。よく来たわね」

 ルパートとコーデリアの学生時代ってどんな感じだったんだろう? 気になる。
 マルセルさんは学生の頃ルパートとコーデリアが非常に優秀だったという事を知っているらしくて、あれやこれやと錬金術の質問をしてた。わたしはその会話についてけない。困った。初歩的なことぐらいしか分かんないんだよ~。ついてけるのかな~。

「ああ、そういえば、ブランヴェリエ侯爵家の娘も茜の月から北の塔へ通うらしいわね」
「ええ、そうなんです」

 そう言いながらマルセルさんの顔色がだんだん悪くなっていく。どうしたの?
 ルパートはにやにや笑ってるし……。それにブランヴェリエ侯爵って?

「そうね、あきは知らなかったわね。ブランヴェリエ侯爵家というのはノエル王国でも大貴族の一族なの。ルリタニアのブラウンシュヴァイク侯爵家と交流があるのよ」
「確か、マリー・テレーズ・フォン・ブランヴェリエとか言うたのじゃ。年はあきと同じじゃ」
「では、あきさんは私と同い年なのですね」
「えっ? マルセルさんも同い年なの?」

 驚いた。びっくりだ。年上だと思ってたのにって、イングリットの時もそう感じたっけ。わたしって童顔なのかな~。それともこっちの人って年より老けて見えるんだろうか? 思わず両手で顔を覆ってしまう。
 ルパートとコーデリア、それにマルセルが楽しそうに話をしてる。

「明日は北の塔へ行って私達が使用する道具類などを用意しますから、あきさんも一緒に行きましょう」
「え、ええ、分かりました。行きましょう」

 こういうのは一緒に行った方が楽かもしれない。
 あれっ? でもマルセル。なんだか気が重そう。誘ったくせにー!

「あの~ですが、北の塔で私にべたべたくっついてきたりしないでくださいね」
「そんな事しないよー!」

 なにこの人。もしかして自意識過剰なの? 自分がもてると思ってるのかな? だからわたしもべたべたしたがるとでも! そんな事しないもん。べぇ~だ。

「それなら、いいのです」

 なんだかほっとしたように言ってる自意識過剰男。こんな人だとは思わなかった。ふ~んだ。


 家に帰ってからコーデリアと一緒にお風呂に入る。
 ごしごし背中を洗ってあげるとコーデリアは気持ちよさそうに「ふにゃ~」と声を上げる。なんだか楽しい。

「ごしごし」
「ふにゃ」
「ごしごし」
「ふにゃふにゃ」
「ごしごしごし」
「ふ~にゃぁ~ふにゃふにゃ~ふにゃっふにゃ~」

 コーデリアが妙な節をつけて歌いだす。
 はいごでくすくす笑うわたし。コーデリアはお風呂場では人が変わってしまうのかな?
 湯船に浸かって眼を瞑る。コーデリアはばしゃばしゃおよいでる。もお~。

「およいじゃだめだよ」

 コーデリアに注意してたら、かたんっと音がした。窓の方を見ると、マルセルが覗いてる。
 ……眼が合った。

「覗くな。ヘンタイ!」
「覗くでないのじゃ!」

 コーデリアが湯船から飛び出して外へ走る。急いでタオルを巻くとわたしも外へ飛び出す。見られた見られた見られたー。おのれ~!
 外に出てみれば、コーデリアがマルセルを捕まえてぼこぼこにしている。

「コーデリア。タオルを巻いて、裸のままじゃだめだよ」
「うむ。着るのじゃ。まったく、こやつときたら言い訳ばかりで、ちっとも反省がないのじゃ」

 タオルを受け取りながらコーデリアはマルセルを睨みつける。

「言い訳って、なに?」
「いやなに。風呂場で歌が聞こえてきたからちらっと見ただけじゃと言うのじゃ」
「でも、歌い終わってから湯船に浸かったよね?」
「じゃから、言い訳なのじゃ!」

 コーデリアはマルセルをげしげし蹴りつけてる。

「どうしたの? 騒いだりして」

 わたし達の騒ぎに気づいたルパートがお風呂場に近づいてくる。コーデリアがルパートの下へ走り寄って喚いている。
 はぁ~っとため息をつくルパート。マルセルを呼び寄せるとなにやら言い聞かせて家の方へと帰らせていく。そうしてわたしのところへコーデリアと一緒にやってきた。

「ごめんなさいね、あき」

 タオルを巻いた胸元を押さえてた両手を離してルパートに近づく。うう~思い出すと泣きそうになる。
 ルパートに頭を撫でられて慰められた。

「がるるるるぅぅぅぅ」

 コーデリアは怒ってる。わたしが顔を上げた途端、はらっとタオルが落ち……た。

「えっ?」

 視線を下へ向ける。タオルが落ちてる?
 きょろきょろ辺りを見回した。頭の中まっちろ。思考停止状態。
 コーデリアが驚いた顔で見つめていた。ルパートも驚いてた。深呼吸した。

「きゃあ~!」

 ぴょんこぴょんこ飛び跳ねてルパートの眼を塞ごうとしてる。

「見ちゃだめ~」
「おぬし……飛び跳ねるより、タオルを拾って隠すが良いのじゃ」

 再起動を果たしたコーデリアがタオルを拾って巻こうとしている。ルパートとコーデリアの2人によってタオルが巻かれていく。

「冷静な対処が逆に傷つくの~」

 夜空にわたしの悲鳴が響いていった。



[21687] 第04話 「妄想系暴走少女」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/04 14:15

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 第04話 「妄想系暴走少女」

 朝。さわやかな目覚め。でもまだ、陽は昇ってない。
 ベットの上でう~んと背伸びをする。あくびをかみ殺し、服を着替えた。青いチェックのキャミワンピース。軽くてふわふわしてるからけっこう楽。それに長いから足元まで隠せるし。
 それはそうとして今日は北の塔へ行くのだ。楽しみな反面不安でもある。
 朝ごはんの前に洗濯をしておく。今まではコーデリアとわたしの2人分でよかったけど、これからは4人分になってしまったのだ。大変なのだ。たらいの中でごしごし洗濯板に擦りつけ洗っていく。ああ~洗濯機が欲しい。切実にそう思う。洗濯用石鹸があるのは素直に感謝しよう。東の塔で開発されたそうだ。ぎゅっと絞って干しているうちに朝日が昇ってくる。
 ああ、今日もいい天気になったね。う~んと背伸びをして朝日を浴びる。太陽が気持ちいいな~。
 洗濯が終わる。それから台所に向かう。エプロンを身につけて朝ごはんを作る。昨夜食事に出かけて帰る際にいくつか買ってきておいたのだ。ふっふっふ。この辺は抜かりはない。わたしをなめてもらっては困るのだよ。ほっほっほ。ローストした鳥肉を細かく切ってみじん切りしたセロリっぽいものとゆで卵。全部混ぜてさらにドレッシングを混ぜ、パンに塗ってサンドイッチにしていく。本当はオリーブがあればいいんだけど、仕方ないよね。カルクス王国の方にはあるそうなんだけど。きゅうりのサンドイッチも好き。まあこれはオードリー・ヘップバーンの影響かもしれない。ああ、お醤油とお味噌がほしい。鰹節と昆布も……。あと、トマトがない。ないの。どうして?赤唐辛子はある癖にー!
 4人分の食事を作って台所のテーブルに並べて、紅茶用カップを温めているとルパートが降りてきた。

「おはよー。はやいね」
「おはよう。あき」

 ルパートは珍しく書類なんか持ってた。いすに座って黙々と読みふけってる。ルパートのあと、マルセルさんがやってきた。

「おはよー」
「おはようございます。ああ、台所で食べるんですね」
「そだよ。あっ、ダイニングルームの方が良かった?」
「いえ、台所でけっこうですよ」
「そお?」

 マルセルさんもいすに座る。コーデリアはまだ起きてこない。昨日あんなに寝たのに、まだ寝たりないんだろうか? しかたないな~起こしに行こう。2人に紅茶を出しておいてから、ぱたぱたスリッパの音を立てて二階へ上がっていく。
 コーデリアの部屋を覗くとやっぱりまだ眠ってた。
 ゆさゆさ揺り動かして起こす。

「むにゃ……眠いのじゃ」
「ほーら、朝だよ。早く起きてごはんを食べるよ」

 ゆさゆさ揺すっているとようやくコーデリアは起きだした。目つきが悪い。朝はいつもこんな感じである。困ったものだと思う。
 持ち上げるようにしてコーデリアをベットから起こして寝巻きのまま台所へと連れて行く。
 いすに座らせ、サンドウィッチの載ったお皿を目の前に置くと、いきなり眼が覚める。

「いただきますなのじゃ!」
「はい。どうぞ」

 わたしとコーデリアの会話を眼を丸くして見ているマルセルさん。
 食事のさなか、ルパートが今日からノエルにあるターレンハイム家の事務所で働く事になったと言い出す。持ってた書類は事務所関係のものだったんだって、驚きだよ。

「まあ、仕方なかろう」
「――そうね」
「なんでなの?」

 ルパートとコーデリアが頷きあってるのを見て不思議に思い聞いてみる。

「あき。おぬしの為じゃ。おぬしをターレンハイムの身内として身分保障をする代わりにちょっとノエル王国におけるターレンハイム家の事務所で働けと言われたのじゃ」
「……そんな……ルパート。ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げる。ううー。ルパートにものすごく迷惑かけちゃってるよー。どうしよう。

「いいのよ。あきを北の塔へ連れて行くことを決めたのはあたしですもの。気にすることないわ」
「さすがルパート。男らしいのじゃ」

 コーデリアがちらっとマルセルさんを見ながら呟く。マルセルさんの耳がぴくっと動いた? でも何にも言わずに黙ってる。
 ごめんなさいと心の中では謝りながらも、わたしはルパートを見直してた。なんとも男らしい態度である。どっかの自意識過剰男とは違うね。それと同時に晩ごはんになにを作ろうかと考えるのにも忙しい。それに合わせて買い物もしなくちゃいけないのだ……。冷蔵庫のない世界は大変なんだよ。カーライル村みたいに売りに来てくれないしね。

 食事が終わって食器を水を張ったたらいに漬けてから洗っていく。
 それから学院に行く準備があるのだ。一応昨日のうちに用意はしておいたのだけど、確認しておこう。
 ペンにインク。ノート。ハンカチ、タオル。教科書の初等錬金術。魔術用訓練書なんかをかばんに詰める。持ち上げた。
 うっ、重い。教科書といってもハードカバーの百科事典みたいに大きいんだよ。ノートだって同じようなものだし大変だ。背中に背負って持っていこう。
 家を出る前にルパートから「あきには家の鍵を渡しておくわ」と言われて鍵を預かった。おっきなわっかに鍵が付いてる。腰につけるとチャリチャリ音がする。
 家の前でマルセルさんとコーデリアが待っていた。

「行きますよ」
「うん。でも……コーデリアも一緒なの?」
「なにか不満でもあるのか?」

 ぶすっとした顔でコーデリアが言い出した。

「そういう訳じゃないんだけど、どうしたのかなって思っただけ」
「わらわも北の塔に用があるのじゃ。くっくっく。楽しみにしておくのじゃ」

 なんだろう? この不気味な笑いは……。なにを企んでいるのかな~。こわーい。
 てくてく歩いているうちに北の塔の前に着いた。
 わたしとコーデリアとマルセルさんが、話をしながら歩いてると後ろから声を掛けられる。

「マルセル・フォン・ターレンハイムさん。おはようございます」

 3人して振り返ったら、そこに金色の長い髪を靡かせた綺麗な女の子が少し顔を赤らめて立ってる。いかにもお姫様って感じだ。ああ、始めてみた気がするなぁ~。

「お、おはよう。マリー」
「はい。おはようございます」

 澄んだ綺麗な声。たおやかな雰囲気。にっこり笑った笑顔が眩しい。マルセルさんはなんだか緊張しているようだ。そりゃあこんなに綺麗な女の子に声を掛けられたらそうなるのも仕方ない気がするけど、情けなくも見える。
 少女はわたしとコーデリアに気づいたのか、にっこり笑いながらマルセルさんに問いかけてる。

「あの~こちらの方達はどなたですの?」
「あ、ああ。こちらの女性はコーデリアといって従兄弟のルパートの友人です」

 マルセルさんはコーデリアを示しつつマリーちゃんに説明していく。

「まあ。貴方がコーデリアさんですか? お噂はかねがね聞いておりますわ。とっても優秀な錬金術師だとか」
「まあ、それほどでもあるのじゃ」

 ふふん。とコーデリアはない胸を張って自慢げにしてる。ころころ笑うマリーちゃん。

「それでこちらの方は?」
「え、ええ彼女はあき・フォン・ターレンハイムと言ってルパートと同じく従兄弟です。これから北の塔へ通うことになっているのですよ」
「あらそうなの? あきさん。わたくしはマリー・テレーズ・フォン・ブランヴェリエ。マリーと呼んでね。これからお友達になりましょう。よろしくね。同じクラスになるといいですわね」

 そう言って手を差し伸べてくる。わたし達は握手した。
 立ち去っていくマリーちゃんを見送りながらわたしは「いいな~綺麗で」と呟いてしまった。
 その言葉にマルセルさんの足がピタッと止まった。そして振り向く。

「いいですか、これからは彼女の前でわたしにべたべた引っ付いてきたり、馴れ馴れしくしないでください。いいですね!」
「そんな事頼まれたってしませんよーだ!」

 べぇーっとしてやる。この自意識過剰男。あっ……もしかしてマルセルさんって、マリーちゃんの事が好きなのかな? それで……そんな事言い出してるのかー。なーんだ。まったくしょうがないなー。

「それならいいんです」
「そうそう。くすくす……」
「仕方のないやつなのじゃ」

 足早に歩き出すマルセルを見て、わたしとコーデリアは顔を見合わせて笑う。でもわたしはマルセルの評価をワンランク下げてた。

 わたしは事務所に顔を出してから、昨日会ったジュリエット導師と一緒に北の塔の教室へと向かう。
 教壇の前に立たされたわたしは集まってる人達の前で紹介された。前から見ると後ろの席にマリーちゃんの姿が見える。軽く手を振ってくるマリーちゃん。良かったよー一緒のクラスになれてー。
 ぐるっと教室を見てみれば端っこの席にマルセルの姿もあった。げっ……あいつも一緒かー。がっくりしちゃうな~。
 一通り紹介しあっているうちに仲良くなったマリーちゃんと同じクラスのアレットちゃんに案内されて一緒にトイレに向かう。アレットちゃんはノエルにある綿織物で財を成した商人の娘さんらしい。メイスン家ほどじゃないけど、ミランダ家っていえばノエルでは有名なんだって。

「でも、なんでマルセルがあんなにもてるんだろう?」

 手を洗いながらわたしはぶつぶつ言う。クラスの女の子たちと話しているうちにマルセルの人気っぷりに驚いてしまったのだ。

「そりゃあ~。顔は良いし、成績も良いし、家柄も良いからね~」
「それに優しいんですよ」

 マリーちゃんが夢見るように言ってる。わたしはこそっとアレットちゃんに「もしかして、アレットちゃんもマルセルに?」と聞いた。

「いや。それはない」

 そう断言される。ほっとするわたしであった。が……マリーちゃんはまだ、夢の世界から帰ってこない。困ったな~。
 なんとかマリーちゃんを教室へと連れ戻した。
 ほっと息をついているとドアがガラッと開いて、コーデリアが入ってきた。

「わらわの名はコーデリアじゃ!」

 教壇の上に飛び乗ったコーデリアはそう宣言する。
 しーんと静まり返った教室。驚いてるのか、呆気に取られているのか判断しがたい。
 しばらくして学生の間でひそひそささやきが漏れ出してくる。

「コーデリアといえば、昔そういう名前の優秀な錬金術師がいたって話を聞いた事がある」
「そういえばジュリエット導師と同期の人らしいわよ。その人って」

 コーデリアは教壇の上で足踏みをする。再び静まり返る教室。

「次の学期から、わらわはこのクラスの臨時導師として授業を受け持つことになったのじゃ! びしびし行くのじゃ。心しておくと良いのじゃ」
「えーっ!」

 驚いて椅子から落ちそうになってしまう。
 コーデリアがちらっとわたしを見てにやにや笑う。周囲の視線が集まってしまった。

「これぐらいで椅子から滑り落ちそうになってしまうような軟弱な生徒はびしびし行くのじゃ! わらわは残酷なのじゃ! けっけっけ」

 言うだけ言ってひょいっと教壇から飛び降りると教室から出て行くコーデリア。がっくりうな垂れてしまうわたし。顔から血の気が引いてしまう。
 ふら~っと倒れそうになった。なんとか椅子から立ち上がるとふらふらしながらも教室から出ようとする。

「大丈夫か? 医務室へ行きますか?」
「う~ん」

 マルセルが声をかけてくる。強引に手を引っ張られて教室から出た。
 ドアを閉めるとほっと息をついた。そして……ダーッシュ!
 コーデリアを追いかける! どこへ行ったー!
 いきなり走り出したわたしを追いかけるように付いてくるマルセル。はあはあ息を切らせてる。運動不足だよーだ。
 階段を下りたところでコーデリアを見つけて捕まえた。

「コーデリア!」
「やはり追いかけてきたのじゃな」

 にやにや笑って言ってくる。

「どうして、黙ってたの?」
「ふふん。驚かせようとしただけじゃ」
「驚いたよ。本当に……授業を受け持つことになったの?」
「嘘は言わぬぞ」
「ううー」

 ついつい恨みがましい目で見てしまう。

「まあ、おぬしの事もあってな。北の塔内ではわらわが監視しておくのじゃ。ルパートにも頼まれたしのう」
「ルパートに?」
「そうじゃ。おぬしの事がばれるのは問題があるのじゃ。そういう事で諦めるが良いのじゃ」
「そうか~。ルパート心配してくれてたんだ……」
「なにか……ルパートとわらわでは態度が違うような気がするのじゃが?」
「ううん。そんな事ないよー」

 そう言いつつもにやけそうになるのを堪えてる。
 さあお話は終わったとばかりに帰ろうとしたら、後ろからコーデリアに「えいっ」と攻撃されてしまう。

「なにをするの~?」

 振り返って怒る。

「やはり態度が違うのじゃ。少し教育をしてやるのじゃー!」
「反撃するもん」

 廊下の一角でぽかぽか叩き合ってる。
 その頃になってようやくマルセルが姿を見せた。

「2人とも何をしてるのですか?」
「お主には関係ないのじゃ!」
「そうそう。関係ないの!」

 叩きあいを終えたわたし達はふん。とばかりに別れる。わたしの後ろを息を切らせたマルセルが付いてくる。
 もう。うっとうしいな~。

「あきちゃん。大丈夫なの?」
「う、うん。大丈夫だよ」
「そう、良かった……」

 教室に戻ったわたしをアレットちゃんが心配そうに迎えてくれた。
 でも……教室の一角でなにやら、どよんとした空気が立ち込めてる。
 マリーちゃんの周りだった。何か黒い空気がもくもくとしてる。どうしたのかな?

「あ、あれなに?」
「あ~あれはね~」

 アレットちゃんが説明しようとしたとき、ガタンと派手な音を立ててマリーちゃんが立ち上がった。
 ぼそぼそと小さい声でしゃべりだす。

「マルセルさん。息を切らしているのですね――」

 まるでトイレで見たときのような夢見る眼をしてる。周りは黒い雲が立ち込めてるけど。

「あきちゃんとマルセルさんは従兄弟同士。一つ屋根の下で暮らしているのですわ……北の塔へ初めて足を踏み入れたあきちゃんは、現れたコーデリアさんの行動に緊張の糸が切れてしまって、医務室へ向かったのですわ。そしてそこで『マルセル。わたし緊張してこわいの』」

 だんだん声が大きくなってきた。何か一人芝居が始まってる? 声色まで変わってた。

「『心配するんじゃないよ。ぼくがついてるだろう』」
「『でも……』」
「『ははっ、心配しなくてもいいんだよ。ずっとそばについていてあげるからね』」
「『ありがとう。あなた……(は~と)』」
「あなた? ……あなた?」

 ぐわっと豪快に腕を振り上げるマリーちゃん。ギラッと眼が光った!

「あなたぁ~!」

 叫び声とともに振り下ろされる腕。豪快な一撃に机が破壊される。
 教室中の視線がマリーちゃんに集まる。

「あっ、あたしったら……ぽっ」

 ぽっと恥ずかしげに顔を赤らめるマリーちゃん。立ち込めていた黒い雲が消えて、たおやかな雰囲気を取り戻した。
 そして器用に粉砕された机を修復しだす。それを呆然として見ているわたし。

「分かった?」
「――うん」

 アレットちゃんの問いにこっくり頷く。
 それと同時にマルセルがべたべた引っ付くな。と言ってた意味も知った。


 家に帰って晩ごはんを作りながら、わたしは今日の出来事をコーデリアに話していた。

「でね。マリーちゃんって妄想し始めると止まらなくなるの」
「困ったものなのじゃ。妄想系の少女は怖いのじゃ」
「うん。そうだね。しかも暴走するし……」
「気をつけるのじゃぞ」
「分かったー」

 北の塔からの帰り道。お店に寄ってブラウンソースとお肉に野菜を買ってきた。ついでにパンも。大きな街では自分で作るより買ってきた方が安く付くのだ。いろんな種類があるしね。
 ハンバーグを作ってビーフシチューも作る。その上に煮込みハンバーグにして上からホワイトソースをかけて、グラタン風にするのだ。手間は掛かるんだけど、おいしいんだよ。カロリー高いけど。あと、サラダも作った。コーデリアは後ろから覗いて涎が出そうになってる。

「まだなのか?」
「もう少しでできるよ。ちゃんと席に座って待っててね」
「ううー待ち遠しいのじゃ」

 椅子に座って足をぶらぶらさせてるコーデリア。
 出来上がった頃になってようやくルパートが帰ってきた。

「おかえりなさい」
「ただいま。あき」

 エプロン姿のまま、ぱたぱたスリッパの音を鳴らして出迎えた。上着を受け取ってハンガーに掛ける。
 こうしてみんなそろって食事をする。マルセルは今日の出来事をいまだに引きずっているようだったけど、わたしもコーデリアもすっかり仲直りをしていて、マルセルは呆気に取られてた。「どうして、女ってこう機嫌がころころ変わるんだろうな?」なんて呟く。

「知らない」
「知らぬのじゃ」
「何があったの?」

 ルパートが聞いてくる。そうしてわたしとコーデリアは今日の出来事を話していった。

「あらあら、大変だったわね」

 話を聞いたルパートが笑ってる。
 そう大変な一日だったよー。



[21687] 第05話 「赤ちゃんがやってきた」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/04 18:59

 銀の雨ふるふる IFルート

 第05話 「赤ちゃんがやってきた」

 今現在は北の塔は夏期休暇中。したがって行く用事もあまりない。
 これ幸いとばかりにわたしは地下の食料貯蔵庫を満杯にする事に夢中になっている。朝早くから買ってきた果物を水で洗いジャムも作った。地下室の棚に並べられているジャムの瓶を眺めながら感無量だった。パウンドケーキの中身になる漬け込みフルーツをラム酒に漬けて置いておく。あとでまた今度はブランデーに漬ける。梅があったら梅酒と梅干を作りたいな。でも見つからないの……くっすん。
 ポンプ小屋で野菜を洗っている最中、ふと思いついた。家の中にも流し台があるのだ。それに排水管も……と言うことは流し用の三角コーナーを作って売れば儲かるのではないかな? 売ってないしね。みんなどうしているんだろう? 主婦の人に聞きたいんだけど、周りにいないの。みんな学生だからね。カーライル村にいた時聞いておけばよかった。
 夏場だからお肉を捌いて燻製にするは大変だから、お魚の干物を作っておこう。一夜干しでいいかな? よし後で買ってこよう。
 手で皮をむいた白いんげん豆をなべで煮ながら考えていた。栗のシロップ漬けも買ってきたし。栗まんじゅうを作ってみせる! カステラは作ったのだ。どうせ作る手間はスポンジ生地とたいして差もないしね。チーズはともかくバターはすでに作った。
 この世界に来てからわたしも、随分料理上手になったものだと思う。……作れなきゃ話にならないの! 惣菜なんて売ってないし、コンビニもスーパーもないからね! 元の世界がどれほど便利なものだったのか、今更ながら実感している。
 何回も水を替えながら上澄みを捨てる。それから鍋で練る。栗のシロップ漬けを餡で包んで、生地でさらに包む。オーブンに入れて焼くのさー。あ~大変。でもでも元の世界の味覚を探求する。その使命には苦労がつきものだと悟りを開きかけている。
 出来たらルパートの事務所にも持っていってあげよう。

「あき。お腹が空いたのじゃ」
「はーい。ちょっと待ってね~」

 コーデリアが呼んでる。返事を返して台所から顔を出すと居間で退屈そうに足をぶらぶらさせてた。
 相変わらずだな~と思う。作って丸めておいたコロッケの種を油で揚げているうちにレタスをざく切りにしたサラダを用意しておく。今日はレモンドレッシングなのだ。ドレッシングなんてシンプルなものしか作らないのだ。面倒だから! あ~悟りからまた遠ざかる~。

「できたよー」
「分かったのじゃー」

 とことこコーデリアが台所にやってくる。あれっ? マルセルは?

「朝からおらぬのじゃ」
「どこいったんだろうね?」
「知らぬのじゃ。北の塔かも知れぬがな」
「ひょっとしてマリーちゃんに会いに行ったとか?」
「かもしれぬのう」

 作ってたくりまんじゅうを3つデザート代わりにテーブルに置いた。
 コーデリアの眼が光る!

「それはなんなのじゃ?」
「おまんじゅうだよ。中身は白餡と栗のシロップ漬け」

 すぐに取ろうとするコーデリアの手を叩く。

「何をするのじゃ! 寄越すのじゃ!」
「だめ。ごはんを食べてから!」
「ううー。あきはケチなのじゃ……」

 なみだ目になって言い募るコーデリア。でもそんな眼に負けないもんね。

「ちゃんとごはんを食べないとだめなんだよ。お菓子ばっかりじゃだめだからね」

 そう言いながらわたしは出来上がってるおまんじゅうを箱に詰めて大き目のハンカチで包んでいた。
 ルパートのところへも持っていってあげるのだ。るんらら~っと。

「コーデリア。わたしはちょっとお出かけしてくるから、お留守番お願いね」
「それは良いのじゃが、どこへ行く気なのじゃ?」

 きょとんとした顔でコーデリアが聞いてくる。

「ルパートのとこ」
「うがー! えこひいきなのじゃ。わらわにももっと寄越すのじゃ~!」
「だめだよ。本当は3つも食べたら多すぎなんだよ。また作ってあげるからね。今回は3つで終わり」
「あきはいじわるなのじゃ……」

 くすんと泣きそうになるコーデリア。口にくわえたフォークを噛んでる。わたしはいそいそ出かける用意をしていた。
 さあ、お出かけしよう。とばかりに家を出た。クレージュ通りを上がって、アルマ橋を渡る。王城の前にある広場を越え、てくてく歩き続けるとターレンハイム家の大きな事務所が目の前に見えてくる。

「……大きい。それに広い」

 門の前に立って見ると大きいなんてものじゃない。総面積はどれぐらいあるんだろう? ぼけーっと眺めてたら、門番をしてる騎士っぽいおじさんに声をかけられた。

「あ~何か用かね?」
「あっ、そうそう。ルパートはいますか?」
「ルパート? ……もしかしてルパート・フォン・ターレンハイム伯爵様ですか?」

 なんか慌てたように聞いてくるおじさん。顔色が悪くなったよ。

「はい。そうですが……」
「伯爵様はいらっしゃると思いますが、失礼ですがお名前は?」

 さっきまでのどことなくのんびりした雰囲気が消えて鋭く見つめてくる。なんか怖い。門のそばにある小屋からたくさんの騎士達がでてくるし。囲まれてしまった。

「あきです。あき・フォン・ターレンハイムです」

 おじさん達の顔が真っ青になったー。さっきよりも慌ててる。

「こ、これは失礼致しました!」
「どうぞ。お通りください」

 門が開いた。騎士さん達が丁重に中へ通してくれる。事務所の場所を聞いて歩き出す。背後で騎士のおじさん達がみつめている視線を感じてしまう。どうしたんだろう? なにかおかしな事を言っちゃったかな~?
 てくてく歩く。遠い。遠いよ。なんでこんなに遠いの?
 ぶつぶつ言いながら歩いてようやくたどり着いた。目の前に石造りの建物が聳え立ってる。
 ここでも門番の騎士さんに止められてしまった。そうしてまた、名前を告げると慌てて小屋の壁に取り付けられている雨どいみたいな配管の蓋を開けてそこに向かって誰かに伝えだす。

「しばらくここでお待ちください」

 そう言われて、ホールの中の椅子に座って待つ。きょろきょろ辺りを見てたら、いろんな人が歩き回っていた。膝の上においたおまんじゅうの箱を手のひらで撫でる。何でこんなに大事になっちゃうんだろう? 差し入れを持ってきただけなのに……。
 しばらく待っていると、ルパートがやってきた。

「ルパート」
「あき、よく来たわね」

 ルパートに声をかけると、にっこり笑って迎えてくれる。ここに来るまでの話をしたら、ルパートったら笑ってた。もお~。
 ルパートにつれられて廊下を歩く。階段を上って事務所に行くと大勢の人達が忙しそうにしてる。

「ふ、ふわぁ~ん」

 泣いている赤ちゃんの声が聞こえてきた。きょろきょろして見る。部屋の中で赤ちゃんが籐かごに入れられて泣いてる。

「どうして赤ちゃんがいるの?」
「あ、ああ、あれはね。ここで働いている人の子供なのよ。父親が出張でロードの町に向かったものの、赤ちゃんだから連れて行くわけにも行かないし、奥さんが亡くなっているものだから家にもおいて置けなくて、ここで預かっているのよ」

 わたしはとことこ赤ちゃんに近づく。籐かごの中をのぞくと、ぷくぷくしたほっぺに小さな手。抱き上げた。うっすらと細い金髪が生えてる。

「かわいいね」

 赤ちゃんは抱っこするときゃっきゃ言って喜ぶ。ほほ擦りしたら、すべすべのほっぺたがぷるんぷるんだ。抱っこしたままルパートに持ってきてたおまんじゅうを渡した。

「あき、これは?」
「くりまんじゅうだよ、作ったの。みんなで食べて」

 ルパートがハンカチを広げると中から箱に入ってるくりまんじゅうが綺麗に並べられてる。さすがわたしの自信作。見ていた事務所の人達がびっくりしてる。中には物珍しげに手の中で転がしてる人もいた。この世界にはあんこがないんだよね。
 ルパートが食べるところをじっと見つめる。パクッと口に入れた。

「あら、おいしいわね。いつものお菓子とは違うわ」
「ふむ。こういう食感は珍しいですな」

 真面目そうなおじさんが真剣な表情で言ってる。真面目な顔でお菓子を食べる姿に笑みが零れそう。
 作り方を聞かれてレシピを教える。白いんげん豆を煮詰めて作ったと言うと驚かれる。バターとクリームが主体のお菓子ばかりの中であんこ系は珍しいのだろう。おじさんはレシピを書き留めて、残りのくりまんじゅうをしっかりと確保してる。

「どうしたんですか? 食べないの?」
「いえ、研究室へ持っていって新しい商品の開発をしようと考えているだけですよ。はっはっは」
「へぇ~」

 そんなものなのかな? おまんじゅうなんだから、この世界で売れるのかな~? そう言ったら、女性は常に新しいお菓子には眼がありませんからね。と力強く答えられた。ああ、そうか。わたしからすると珍しくないんだけど、この世界の人達から見ると珍しいんだね。ついでにポンプ小屋で考えてた三角コーナーの話をすると、異様に食いついてくる。

「主婦の知恵ですか……」
「みんなどうしているのか分からないんだけどね」
「言われてみると確かにないですな」
「切ってもくっつかない穴あき包丁とか?」
「なんですか? それは……」

 男ばかりだから台所関係は詳しくないんだろう。包丁すら使ったことないのかも? 中華なべとか、圧力鍋とかさ。映画でトム・クルーズが言ってた靴の紐の先につける筒とかも、作れば儲かるかもしれないね?

「映画というのがどういう物か知りませんが、靴の紐の先につける筒に関しては考えましょう。ないですからな」

 話をしているうちに赤ちゃんがまた泣き出した。手が冷たくなってきた。もしかしておしめ?

「替えのおしめはどこにあるの?」
「え、ええ。隣の部屋にあります。けど……」

 妙に歯切れが悪い。急いで隣の部屋に行くと……うわっくさっ。替えのおしめを洗ってないの? これだから男ばかりのとこは!
 はぁ~っとため息をついて、おしめを纏めた。それから新しいおしめに替える。

「あっ、男の子だったんだ。はいはい。きれいきれいになりましたね~」

 替えのおしめは持って帰って洗っておくことにした。そのうち汚れたおしめしかないようになりそうだし……困ったものだ。部屋の戻ってルパートにその事を話す。ルパートができれば赤ちゃんごとつれて帰って欲しい。なんて言いだして、さらに聞き耳を立てていた事務所の人達も大いに頷く。
 もう一度はあっとため息をついて頷いた。

「悪いわね」
「いいよ。学院もお休みだし、それで父親っていつ帰ってくるの?」
「10日もしたら帰ってくるわ」
「ふ~ん。それでこの子のお名前は?」
「バジルよ」
「そっか、バジルくんか~。じゃあバジルくん。お姉ちゃんと一緒に行こうか?」
「きゃあー」
「喜んでるのかな?」
「喜んでいるんじゃないの? 良く分からないけど?」

 きゃっきゃ、喜んでるバジルくんをつれて帰ることになった。ルパートと一緒に建物を出るとき、門の前で立ってる騎士さん達に驚かれてしまう。

「お、お帰りですか?」
「はい」
「……来る時は子供をつれていませんでしたよね?」
「ええ、子守を頼まれてつれて帰ることになったの」
「そうですか、お気をつけて……」
「はい」

 こうしてわたしは帰ったのだけど、背後でなにやらひそひそ話している気配を感じていた。


 家に帰り着くと、つれて帰ってきた赤ちゃんを見てコーデリアが騒ぎ出す。

「おぬし、どこから連れてきたのじゃ!」
「ルパートのところから」
「ルパートの子か?」
「違うそうだよ。なんでも事務所で働いている人の子供なんだって」
「なんでまたつれてきたのじゃ?」
「実はね……」

 そう言ってルパートのところでの話をする。おしめやら周りの人の疲れた様子なんかを話していく。コーデリアは一々頷き、もっともじゃと言う。

「確かに赤ちゃんの声というのは響くからのう」
「でしょ。みんな疲れてたからつれて帰ってきちゃった」
「そうかそうか。しかしかわいいのじゃ~」

 コーデリアの顔が蕩けそうになってる。ぷにぷにとほっぺをつつく。ちょっとの間コーデリアにバジルくんを任せて、わたしは洗濯に取り掛かった。たくさんあるから大変なのだ。よくここまで溜め込んだものだと思う。
 庭先の物干しに干されているおしめを見ながらそう思っていた。家の中からバジルくんの泣き声が聞こえてくる。

「コーデリア。どうしたの?」
「いや、急に泣き出したのじゃ。わらわにも分からぬのじゃ」

 コーデリアから受け取って抱っこする。う~ん。どうしたんだろう? 考えているとハッと気づいた。

「ミルク。ごはんだよ。きっとお腹空いてるの」
「おお、そうなのじゃ。用意するのじゃ」

 なべにミルクを入れて軽く人肌にまで暖めた。それからスプーンで一口ずつ。飲ませていく。これで良いのかどうか分からない。子供を産んだことも育てたこともないからね。元気に飲み干していくバジルくん。ほっとしたよー。飲み終えたのを見て、抱っこすると背中をぽんぽん叩いてげっぷさせてあげる。

 しかしよく寝る子である。赤ちゃんってみんなこんな感じなのだろうか? 右見て左見たら寝てる。籐かごの中でおとなしくしてくれるのはいいのだけど、ちょっとつまんないかも……。つんつんとほっぺをつつきながらコーデリアとそんな事を話してた。
 コーデリアが抱っこしたいと言い出して、バジルくんを抱きかかえる。コーデリアが抱っこすると小さいおねえちゃんが子守しているようで微笑ましい。
 ふわふわとむずかりだして慌ててあやす。コーデリアから受け取って抱っこする。そうしたらぎゅーっとしがみついてきて笑顔になった。

「うーむ。わらわとあきでは何が違うのじゃろうか……?」

 バジルくんを抱っこしてるわたしを見ながら、コーデリアがそんな事を言い出す。うんうんと考え込んではたと気づいたように手を打ち鳴らした。ギギッと首をぎこちなく動かしてわたしを睨んできた。正確にはわたしの胸を睨んでる。

「ど、どうしたのかな? なんかこわいよ?」
「胸じゃ。むむ、胸の差なのじゃ。まだ赤ちゃんの癖にそやつはおっぱい星人なのじゃ。この巨乳好きめ!」

 キーッと両手を振り回すコーデリア。

「違うと思うよ」
「いいや。赤ちゃんでも女好きはおるのじゃ。いずれその子は巨乳好きのヘンタイになってしまうのじゃ。ああーなんという事じゃ。わらわの大人の魅力に気づかぬとは……」
「そっかな~。小さいおねえちゃんって感じでかわいいと思うんだけど」
「小さいとは何事じゃ~! 余裕か? 余裕なのじゃな。巨乳じゃと思うて余裕ぶっておるのじゃな。むきー!」

 あ~あ。どうしてコーデリアは胸の話になるとこうなってしまうんだろう? 気にしないほうがいいのにね。

「その余裕が腹立つのじゃ~!」




 昼間はあんなによく寝てたのに……。

「なんで夜は寝てくれないの~?」
「眠れないのじゃ……」
「赤ん坊の泣き声って響くわねー」

 3人そろって居間で赤ちゃんをあやしていた。
 
 



[21687] 第06話 「いつの間にか大事になっていた」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/05 15:05

 銀の雨ふるふる IFルート

 第06話 「いつの間にか大事になっていた」


 庭の一角に安楽椅子を持ち込んで、コーデリアとバジルくんがゆらゆら揺れてる。
 それを見ながらわたしは、今日も家事に忙しい。

「でも、いいお天気。絶好のお洗濯日和だね」

 う~んと、物干しに干されている衣服を見上げて背伸びをする。他の家では週ごとにやる事が決まっているそうだ。たとえば、1日目は洗濯。2日目はアイロンがけ、3日目は縫いもの、4日目はバター作り、5日目は食器洗い。これは銀のナイフやフォーク。陶磁器なんかの面倒なものを含んでいる。6日目は床掃除なのだ。わたしは毎日少しずつやってるけどね。溜めて一気にするのは面倒なのだ。毎日少しずつやった方が結局楽だよ。……勉強もこんな風に考えられたら良かったんだけどね。とはいえ、商売をしている訳でも農家でもないからこんな風に考えられるのかもしれない。他にやる事は自分の勉強だけだしね。仕事が無い分、楽してる。
 大きいお家ではメイドさんを雇っているそうだけど……我が家にはいないのだ。

「あき。バジルがお腹が空いたといっておるのじゃ」
「はいはい」

 温めたミルクを持ってバジルのところへ行く。コーデリアの腕の中でバジルくんはにこにこしてる。すっかり慣れたらしい。スプーンで掬って飲ませていった。けっこう良く飲むんだよ。元気なのはいい事だけどね。ごはんを食べたら次はお昼寝の時間。ミルクを飲んでいる最中にすでに眠りかけている。

「器用だね。赤ちゃんってみんなこうなのかな?」
「う~む。よく寝るのじゃ」

 すやすや眠ってるバジルくんを見つつわたしとコーデリアは話していた。


「あき。コーデリアさん。ちょっといいですか?」

 息を切らせてマルセルが走ってくる。運動不足の解消のためには良いのかもしれないけど、バジルくんの前ではあんまり騒がしくしないでほしい。それにマルセルは覗きの一件以来、すっかりコーデリアに嫌われてしまってる。しょうがない気もするけど……。

「なんじゃ」

 うわっ、コーデリアの声が冷たい。マルセルはそんなコーデリアの様子に気づかずにわたしに詰め寄ってくる。なになになんなの?

「……実はですね。今日、マリーがこの家に来ると言い出したんです」
「そ、それがどうかしたのかな?」
「別に構わぬのじゃ」
「あっ、なんならわたし達はどっかに行っててあげるよ。2人で仲良くすれば?」

 コーデリアと頷きあうと、バジルくんを抱っこして安楽椅子から立ち上がった。

「ルパートのとこへ行こうか?」
「それがいいのじゃ。ついでに夕食の買い物もするのじゃ」
「そうだね。今日は何が食べたい?」
「う~んう~ん」

 コーデリアは悩んでいる。仕方ないな~。歩き出そうとするわたし達をマルセルが引き止める。

「そ、それでですね。お茶の用意を……」
「お茶菓子ならパントリーにあるよ。ティーセットは上の棚にある青い縁取りの物を使って。赤い縁取りのものはダメだからね。それから地下室のセラーに置いてる、小さい黄色のつぼに入ってるサクランボの砂糖漬けを、あげていいよ。それにフルーツケーキを切って、クッキーも出してあげたら? レイヤーケーキは無いけどね。パウンドケーキ型のフェナンシェならあるよ」

 言うだけ言うとバジルくんを連れて歩き出す。コーデリアは話に出てきたお菓子を食べたそうだった。

「……結構、一杯作っておるのじゃな?」
「うん。ほら、ルパートが時々事務所の人達を連れてくるでしょ? その時に出すための用意はしてあるの」
「そうじゃな。あまり酒を飲むやつは来ないのじゃ。お菓子の方が良いかも知れぬな」
「お酒でもいいんだけどね。飲みすぎなければ」

 歩いてるわたし達の周りをマルセルが付きまとう。何か言いたげで、それでいて何も言わなくても分かって欲しそうな雰囲気を漂わせてる。なんと言おうか、自分を無責任な立場において他人に責任を押し付けたいと思っている態度だった。
 コーデリアが業を煮やしたのか、マルセルに向かって怒り出した。

「お主、いったいどういうつもりなのじゃ! いい加減にするのじゃ」
「ですから、お茶の用意をお願いしたいと……」
「はあ~。あのね、そういうのは自分でするべきだと思う。マリーちゃんを家に呼んだのはマルセルでしょ? だったら自分でしなさい」

 マルセルに向かってため息をついた。女の子といちゃいちゃしたくて呼んだなら、自分でもてなしなさいよ。せっかくわたし達が邪魔をしないように遠慮してあげようとしてるんだから。

「ですが、ルパートの客にはあきがもてなして……」
「お主とルパートでは立場が違うのじゃ!」

 うわっ、コーデリアがさらに怒り出した。ここぞとばかりに説教してる。

「そもそもじゃな。ルパートはあきの面倒をみておるのじゃ。したがってあきはルパートに対して、なにくれとなく気を使っておる。しかしお主はあきに面倒を見てもらっている側じゃろう? 言うなれば、このバジルと同じよう物じゃ。バジルはまだ赤ちゃんであるから、一々面倒を見なければならぬが、お主はあきと同い年なのじゃから、自分の事は自分でするのじゃー!」

 うがぁー! と叫ぶコーデリア。驚いたバジルくんが泣き出した。よしよしとあやしていく。

「おお、大声を出して悪かったのじゃ」
「驚かせちゃったね。よしよし」

 マルセルはしゅんとうなだれてとぼとぼ家の方へ歩いていく。
 まったく。マリーちゃんが来るから、しばらくどこかへ行っててくれ。と言うなら、良かったんだけどね。

「それなら、わらわも怒らぬのじゃ。わらわ達がいるといちゃいちゃし難いからのう。そういう気持ちは分かるのじゃ」
「お茶ぐらい。自分で出せば良いのに」
「ああいう事を言い出すやつはお茶を出したら、今度はどっかへ行けと言い出すのじゃ」
「そうだね~。じゃあ行こっか?」
「うむ。行くのじゃ」

 門のところまでやってくると、家の前にマリーちゃんが立ってた。相変わらずの少女趣味である。おしとやかな雰囲気を漂わせているのだけど、本当は妄想系暴走少女な本性を知ってるだけに警戒してしまう。

「あ、あら。あきちゃん、コーデリアさん。こんにちは」
「お、おお。こんにちわなのじゃ」
「こんにちは。マリーちゃん」
「どこかへお出かけなの?」
「う、うむ。ちょっとルパートのところへなのじゃ」

 そうそう。とばかりに頷く。マリーちゃんは少し顔を赤くして門を見つめる。なんだか夢見る瞳をしてる。まずいな~。妄想に入ってるみたいだ。しばらくするとハッと我に返ったような表情をして、わたし達を見つめてくる。マリーちゃんの目がバジルくんに止まった。

「あら、その子は?」
「バジルだよ」
「……バジルくん?」
「うん。そう」
「まあ、かわいいですわー」

 両手を胸の前で組んでにこにこしてる。つんつんとほっぺをつつく。みんな赤ちゃんを見るとつつきたくなるよね。分かる気がする。わたしもつついたし。

「赤ちゃんのほっぺってぷくぷくしてるんだよね~」
「ぷるんぷるんですわ。バジルくん。おねえちゃん達とお出かけでいいですわね」

 マリーちゃんがバジルくんに話しかける。にっこりと笑った顔が綺麗だな~。バジルくんもうれしそう。にこにこ笑ってわたし達を小さな指で指差して「まー」と言った。

「まー」
「まー?」

 バジルくんって、しゃべれるようになったんだ。なんか感動しちゃうな。コーデリアもにこにこしてた。

「まー」
「まー」

 わたし達はバジルくんの真似をして「まー」とか言い合ってる。

「まー。まー?」

 ふいにマリーちゃんの雰囲気ががらりと変わる。瞳は夢見るよう。周囲には黒い気配が湧き起こりだす。どんよりとした空気が辺りを支配し始めていた。ぶつぶつ小声で呟きだすマリーちゃん。背筋がゾクッとする。

「まーまー? この子もしかして、あきちゃんの事をママと呼んでいるの?」
「そ、そんな事ないんじゃないかな? 違うし」
「そ、そうなのじゃ。ルパートから預かっている子なのじゃ」

 わたしとコーデリアは慌てて否定する。でも、バジルくんは一生懸命に「まーまー」と言ってる。マリーちゃんは門の傍に植えられてるりんごの木にもたれかかる。

「やっぱり、わたくしが睨んだとおり、マルセルさんとあきちゃんはできていたのね!」

 りんごの木の陰から覗くマリーちゃんの眼がキラーンっと光る。空にはどんよりとした雲。風も吹き出した。金髪の長い髪が風に揺れる。こ、こわい。

「従兄妹同士の2人は小さい頃から仲良しで、いつのまにかお互いを意識しはじめて、あきちゃんがマルセルさんに告白。それを知った仲の良い両親たちはそれならいっそ、2人を結婚させてしまいましょう。と、この家で一緒に暮らすように仕向けたのですわ!」
「ち、ちがうよー」
「そ、そう。違うのじゃ」

 マリーちゃんの掴んでるりんごの木がみしみしいい始める。

「かわいい赤ちゃんまでできてー! ここは結局、愛の巣だったのですわー!」

 バキッ! とりんごの木が砕けた。キシャーっと叫ぶマリーちゃん。ど、どうしよう。コーデリアと顔を見合わせおたおたしてしまう。くりんっとマリーちゃんの顔がわたしの方を向く。光ってる眼が残像を描き、動きに合わせて光も動いた。ぎゅっとバジルくんを抱きしめる。

「あら、あきにコーデリア。どうしたのかしら?」

 道の角からルパートが姿を現した。

「ル、ルパート~」
「良いところに来たのじゃ~」

 わたしとコーデリアはルパートに向かって走り出す。追いかけてくるマリーちゃん。訳が分からないといった表情を浮かべるルパート。

「あ、あのね。バジルくんがわたしの事をママって言ってマリーちゃんが勘違いしてるの~」
「そうなのじゃ~」

 ルパートは眼をぱちくりとさせ、それからマリーちゃんに向かってにっこりと笑った。

「そうだったの。マリーちゃん。バジルはまだ、パパとママしかしゃべれなくてね。男はみんなパパで、女性はみんなママなのよ」
「みんな、パパとママ?」
「ええ、そうよ」

 マリーちゃんの雰囲気が元に戻った。
 わたしとコーデリアははぁ~っとため息をついた。よかった~元に戻ったよー。あっ、足が震えてた。

「あ、あら、あたしったら……恥ずかしい」

 そう言って、マリーちゃんは家の敷地の中へ走っていった。中からマルセルの驚いた声が聞こえてきたけど、みんな無視する。
 さてとわたし達はルパートに向き直った。

「ルパート。どうしたの?」
「そうじゃ。どうしたのじゃ? 今ぐらいの時間に帰ってきたりして」

 どうしたんだろう? ルパートが珍しく頭を掻いたりしてる。

「実は前にあきが作って持って来てくれたカステラとか、くりまんじゅうをね。ノエル王国のロデリック・ド・アッシャーが興味を持ったらしくて、ノエル王国主体で作って売り出したいと言い出したのよ。それでお菓子職人を連れて来るから作ってるところを見せてくれって、頼まれちゃったのよ」
「う~ん……困ったな~」
「だめ?」
「……そうじゃなくてね。職人さんに教えるほどじゃないんだよぉ。所詮素人の作ったものだし」

 コーデリアが腕を組んで考えてる。う~んと、唸っていたけどやがて大きく頷いて口を開く。

「あき。その辺は気にする事ないと思うのじゃ。向こうの連中は職人なのじゃから、腕はあきより上なのじゃ。レシピと手順を知りたいだけで見せてやったら、後は向こうがもっと良い方法を考えてしまうじゃろう。それで良いのじゃ」
「それでいいのよ」
「それでいいなら見せるよぉ」

 こうしてわたしは急遽、ターレンハイム家の事務所でお菓子を作ることになってしまった。でもなんで知りたがるんだろうな~。

「そりゃあ、こっちの世界には無いからじゃ。無いものを作って貴族の女どもに進めると見栄から飛びついてくるのじゃ。それが下の方へも伝わって流行になる。そうすれば儲かるのじゃ」
「ノエル王国も経済が厳しいからいろいろ考えているのよ」
「じゃあルリタニアでやった方が良かったの?」
「う~ん。どうでしょうね~? ルリタニアでもいろいろ考えてるけど、ロデリックみたいに積極的な人はあまりいないでしょうね」


 ターレンハイムの事務所で会ったロデリック・ド・アッシャー子爵は好々爺のような笑顔を痩せた顔に浮かべて挨拶してきた。アビ、ジレ、キュロットの三つ揃いに白い絹のソックスを穿き、キュロットの内側で留めている。足元は派手なバックルを付けた黒皮の靴で踵の部分が高くなってブーツのようだ。その為に枯れ木のような体を実際よりも高く見せている。
 頭に羊毛で作られた白い鬘を被り、髪粉を振っている。鬘は後ろで絹の袋に収められ、黒い絹のリボンで結ばれていた。アビには大きな刺繍を施したポケットが付けられている。

「本日はご無理をいいまして恐縮でございます」
「い、いえいえ。こちらこそ。よろしくお願いします」

 材料はすでに用意してくれていた。といっても白いんげんは一晩水につけて置かなければならないから、今日はできないのだけど。そういったら、明らかに落胆されてしまった。しかたない。では違うものを作りましょう。簡単にできるやつを……。

「では今日は、きんつばを作りましょう。かぼちゃ餡の」
「きんつば、……ですか?」
「そう、きんつば。結構、簡単にできますよ」

 そう言って、皮をむいたかぼちゃを一口大に切って柔らかくなるまでゆでる。お湯を捨ててかぼちゃの水も良く切って、軽くつぶす。お砂糖とお塩少々を加えて弱火で混ぜながらよく練る。あんを四角く形をまとめる。
 さすが職人さんたちはとても上手だ。細工物で鍛えられているんだろう。大きな台所の中でたくさんの餡が綺麗に並べられていく。興味津々といった感じでロデリックさんも見てる。分量とかはすでに職人さん達に伝えてあるから、それぞれレシピを見ながら自分たちで計って作り出してた。
 小麦粉、お砂糖、水をむら無く混ぜて、しばらく休ませる。この辺りは職人さんはお菓子作りで慣れたものだった。弱火にしたプレートの上に衣をつけたきんつばをまず、広い面から焼いていく。立てたり寝かしたりして焼きあがった。

「ほう。煮詰めたかぼちゃをこんな風にするとは考えませんでしたな」
「そのまま食べるのと、食事になってしまうが、こうするとお菓子になりますか……」
「胡桃やナッツ類を混ぜ込んでもおいしそうですな~」
「白いんげん豆に胡桃やナッツ類を入れたらおいしそうですよね」

 職人さん達に混じってロデリックさんが試食をしながら、相談している。原価やら原材料やら流通経路など考える事はたくさんあるみたい。たいへんだな~と思う。わたしも混じって話をする。途中で小豆やゼラチンなんかの話をすると、コーデリアとルパートも入ってきた。

「小豆という名ではないのじゃが、ザクセン公国の東の方であきのいう物を見た事があるのじゃ」
「えっ? そうなの?」
「それに火竜山脈の麓近くで赤い豆を見た事がありますな」

 コーデリアとロデリックさんが手に入れてくれると言ってくれた。楽しみである。火竜山脈の赤い豆はロデリックさんがいる王城に在庫があるらしい。明日持って来てくれる事になった。どんなのかな? 小豆だといいんだけど……。

「ゼラチンは料理屋で使っている物を少し分けて貰ってきますよ。煮凝りに使うやつでしょう?」

 そっちの方は職人さん達の伝手でなんとかなるらしい。ロデリックさんはいざとなったら、クラリッサ王女に頼んでブランヴェリエ侯爵家も動かす気らしい。凄い大事になってきた? 明日は砂糖を販売してるギルドの幹部も来るとか言ってる。

「ルパート。どうしよう……?」
「落ち着きなさいな。大丈夫よ。誰も取って食おうというんじゃないから」

 わたわたと慌ててるとルパートに肩を叩かれるた。コーデリアには呆れたような眼で見られてしまうし、もう最悪だよー。
 その後、明日の準備をしてから、わたしとコーデリアは先に帰ることになった。バジルくんはずっと別室で他の人に預けられていたためにちょっと拗ねてた。抱っこするとぺちぺち叩いてくる。

「もお、しょうがない子だね~」
「甘えん坊なのじゃ」

 帰り道、コーデリアと話しながら歩く。途中でいくつかのお店に寄ってお買い物。お店の棚を見ていると、たくさんのスパイスが並べられていた。ローレル、オールスパイス、ターメリック、クミン、コリアンダー、チリーペッパー、ブラックペッパー、カルダモン、ナツメグ、シナモン、クローブなど全て名前こそ違っていたが、元の世界と同じものだった。
 思わず笑みが零れる。

「あき。どうしたのじゃ?」
「うふふふ。良いものを見つけたの」

 そう言ってわたしは棚の上のスパイスを買いあさっていく。コーデリアが眼を丸くしてそんなわたしを見ていた。
 さあ急いで帰ろう。そうしてカレー粉を作るのだ。がんばるよー。
 帰り道でイングリットさんと出会った。うしろにこの間のトラをつれてる。おもわず身構えてしまったけど、トラは頭を掻きながら挨拶をしてきた。

「おら、ダグラスというだ。よろしくしてくれろ」
「は、はい。わたしはあき・フォン・ターレンハイムです。あきでいいですよ」
「あきさんはかわええだ」

 トラはぼそっと呟いた。その言葉に眉をピクッとさせたイングリットさんがトラに絡んだ。

「ほほう。では私はどうだい?」
「い、イングリット姉さんは美人です。かわいいというよりお綺麗でございます」

 トラがイングリットさんの前で小さくなってへこへこしてる。この2人の力関係がわかる一幕。くすくすと笑ってしまう。そんなわたしにイングリットさんがターレンハイムの事務所を遠くに見ながら、話しかけてくる。

「あき。はあ……こんな事言うのはどうかと思うんだけどね。派閥を作るんならそれなりに大きなものをこさえた方がいいよ」
「はあ? 派閥? そんなの作る気ないよ」

 何を言い出すんだろう? 良く分からないね。

「あきに作る気がなくても勝手にできちまうさ。どうせできるんなら大きな方が身を守れるもんさ。というか、もうできてるじゃないか」
「そんなの作った覚えない」
「残念ながらあきの場合は作る気がなくてもできちまうのさ。なんたってターレンハイム侯爵家のご令嬢だからね。擦り寄って何がしかの利益を得たいと思うやつらも多いんだよ。あとはあきがどうやってまとめていくか、さ」
「そんな……」

 なんだか理不尽な気がする。自分が作った訳でもないのに勝手にできて、その上責任だけは背負わなければならないなんて。そう思ってみると、確かに初めて教室に行ったときわたしに近づいてきたクラスの女子たちの顔が浮かんできた。それにちらちらとわたしとマリーちゃんを見比べている子も……。あれはきっとわたしとマリーちゃんのどっちが自分の利益になりそうかと比べていたんだ。

「ふっ、でもそう深刻になる事もないさ。気に入らない子は入れなきゃ良いんだ。仲良しグループの中であきの名前を出す子は排除していけばいいのさ。とにかく。あきは自分でも気づいてないだろうけど、かなりの影響力を持ってるって事さ。というより向こうが勝手に脅えてるだけだけどさ」
「じゃあ、イングリットは何派なの?」

 そう言うと、眼を丸くして笑い出した。トラも一緒になって笑う。なによ~。笑い事じゃないんだぞ。

「私とこいつはクラリッサ派さ」
「クラリッサ派?」
「そうさ。王女殿下派なんだ。私の親父はノエル王国の下級騎士団の隊長をしていてね。マテウス・フォン・ライマン。といって子爵なんだ。母親が妾だったもんでフォンはついちゃいないけど」
「マテウス・フォン・ライマン? もしかするとアーヴィン・ハルフォードの上司じゃった者か?」

 今まで黙って話を聞いていたコーデリアが口を挟んできた。イングリットさんが頷く。

「コーデリアさん、よく知ってましたね」
「うむ。アーヴィンから聞いた事があるのじゃ。なんでもアーヴィンがだいぶん世話になったようじゃ。しかし下級騎士団はクラリッサが有能な下級騎士隊長を地方に分散させたために騎士団からは嫌われていると思うておったのじゃが?」

 コーデリアの言葉にイングリットさんが頷く。その顔はうまく言えないんだけど、愛憎半ばと、いった感じだ。どうしてこんな風に思ってしまったのか、自分でも良く分からない。

「一時はね。でもコーデリアさんは知ってるだろうけど地方都市の荒れ具合は物凄かったらしくて、現場を知ってる下級騎士団は仕方ないと諦めたそうだよ」
「確かにのう。アデリーヌもアーヴィンが来る前はかなり荒れていたのじゃ。今はあやつが気合を入れておるから、かなり安全になっておる。でなければ今頃、カルクスのカールと同じになっておったろう」
「これもクラリッサ王女殿下の経済対策の一環ってわけ」
「ねえねえ。カールってところはそんなにひどいところなの?」
「…………」
「…………」

 どうしてそこで黙っちゃうの? そんなにひどいところなの? 行った事ないから分かんないんだけど。

「今はカルクス全体がひどい有様なんだ。いつ暴動が起きてもふしぎじゃない」
「他の3国はカルクスに対して経済関係を縮小させはじめておるのじゃ。自国の被害を最小限に抑えるためにのう」

 コーデリアとイングリットさんの2人がため息交じりに吐き出した。

「クラリッサ王女殿下は、ノエルをあんな風にさせまいとしてがんばっているんだ。立派だよ。それを女だからって、国王や他の貴族どもはクラリッサ王女殿下の足を引っ張ったりしてるんだ! 自国の足元に火がついているっていうのに!」

 イングリットさんがオーバーな身振りで大声を出し始める。まるで演説してるみたいだ。トラが必死になって止めてる。わたしとコーデリアも一緒になって止めた。はあはあ息を切らすイングリットさん。オーバーアクションにバジルくんが手を叩いて喜んでた。

「とにかく。あきには北の塔で大派閥を作ってクラリッサ王女殿下派を支持してほしい!」
「ほえ?」
「お主、それが言いたかったのか?」
「ええ、おらたちは王女殿下派だもんで、北の塔にターレンハイム家のご令嬢が来ると聞いておらたちの味方になってもらいたいと思っておるんです」
「なるほどのう……マリーはブランヴェリエ侯爵家じゃから王女派じゃし、あきがクラリッサを支持すればルリタニアの援助も期待できるのじゃ」

 コーデリアがそう言うとイングリットさんとトラが頭を掻いた。苦笑いを浮かべる。

「まあ、そういう期待がないとは言わないよ。でもターレンハイム家が支持に回ったら、一気に力関係が変わると思っているんだ。だからあきに近づいてくるのはクリスティーナ派だと思う。向こうもあきを取り込みたいからね」
「そう深刻にならんでも良さそうなのじゃ。ルパートはロデリックに近づいておる。ロデリックは確か……」
「クラリッサ王女殿下の部下だよ。物凄く信頼されてる魔術師だ」

 2人の顔がぱあっと明るくなった。にこにこしながら「じゃっ、よろしく」と言って立ち去っていった。わたしとコーデリアが顔を見合わせる。なんだかものすごく現金だったような気がするんだけど? でもコーデリアからはイングリットさんのいう派閥の話は確かにそうなのじゃ。と言って、ちゃんと眼を光らせておくのじゃ。と忠告された。うう、胃が痛くなりそう。わたしの入学はいつの間にか、知らないところで大事になってる。

 家に帰り着いたら、マリーちゃんはもう居なかった。帰ったんだろうな~?
 でも……この惨状はなに? 家の中めちゃくちゃになってる。台所なんてまるで暴れた後みたい。

「これは一体何事じゃ?」

 コーデリアも眼を丸くしてる。呆然としてたらマルセルがへらへらとした顔で現れた。

「一体何があったの?」

 ついついきつい眼で睨んでしまう。でもマルセルったら、平気な顔でお茶を入れようとしただけなんだ。とか言い出した。お茶を入れるだけでこんな風にはならないと思う。それにマリーちゃんも居たんだし、あんまり下手だったらマリーちゃんは手伝ったと思うよ。
 あっ……コーデリアが物凄く怖い顔してる。

「お主わざとじゃな? 嫌がらせをしたつもりじゃろう?」
「そんな事はないさ。ただ私は家事が下手なんだ。それだけさ」
「ちっとも悪びれておらぬのう」
「だから、あきに頼んだんだよ。それなのに……」
「それなのに、なんじゃ?」

 コーデリアの周囲が魔力の渦でキラキラ煌きだす。ゾクッとするほどこわい。マルセルもようやくコーデリアの怒りが感じられたのか、びくびくしだした。わたしはギュッとバジルくんを強く抱きしめた。

「コーデリア?」
「安心するが良い。バジルの前では乱暴はせぬ。じゃが、しばらく台所から出るでないのじゃ」

 怖い顔でそう言うと、マルセルを魔法で宙に浮かせ。そのまま外へと連れ去っていった。家の外からマルセルの悲鳴が聞こえてくる。それとともに爆発音。どうなってるかなんて見たくない。

「わ、私はターレンハイム家の一族なんだぞ!」
「それがどうしたというのじゃ!」
「ルリタニアを敵に回す気か~」
「侯爵だろうが、国王だろうが、文句があるというなら相手になってやるのじゃ!」

 コーデリアがどん。という音がするほど強く地面を踏みつける。それと同時に拳を突き出す。拳はマルセルのお腹に当たった。魔力を込めた拳は命中とともに魔力を爆発させる。勢いよく吹き飛ばされていくマルセル。宙に浮いたマルセルをコーデリアが追撃する。一発。二発。三発と立て続けに叩き込んでいった。

 けたたましい爆発音が何度も聞こえてきた。その度に悲鳴を上げるマルセル。そのうちノエル王国から、騎士団が様子を見にやってくるんじゃないかと思える。それぐらい派手な音だった。しばらくしてようやく静かになった。そろそろと家の外を覗いてみるとマルセルが地面に倒れてぴくぴくしてる。地面は抉れてあちこちに穴を開けてた。
 コーデリアも怒ると怖いんだよ~。
 ふんと言いながらコーデリアが台所に戻ってくる。そうして台所の惨状を再び眼にして、ため息をついた。

「掃除しなくちゃね」
「バジルはわらわが子守しておくのじゃ」
「うん。お願いするね」

 台所の掃除と家の中の掃除をしている最中にルパートが帰ってきた。掃除をしてるわたしを見てルパートが驚く。

「あき? どうしたの?」
「実はマルセルのやつがのう……」

 コーデリアがさっきの事をルパートに伝えていった。
 ルパートは怒るより呆れているようだ。何度もため息をついてる。困ったものだと思う。


 庭先で転がっているマルセルが小声で「実はマリーが……」と言う言葉は誰にも聞かれる事もなく小さくなっていった。暴れたのはマルセルではなく、マリーだったようだ。それならそうと言えばよかったものを、なんとも間の悪い男であった。



[21687] 第07話 「ああ、金銭感覚。+我が野望!」
Name: T◆9ba0380c ID:78d7e360
Date: 2010/09/10 19:28

 銀の雨ふるふる IFルート

 第07話 「ああ、金銭感覚。+我が野望!」


 ロデリック・ド・アッシャー子爵が持ってきてくれた赤い豆はコーヒー豆だった。
 それを見た瞬間、わたしの目が光る。うふうふっうふふ。と笑うわたしを見て、ルパート達が一歩下がった。みんなひどいと思う。

「さあ~。コーヒーを作ろう」

 意気揚々と赤い豆の皮を剥いていく。そしてざるに並べると乾燥させていった。
 おまんじゅう? そんなの後回しだよー。今はコーヒーに夢中さ。ざるに並べたコーヒー豆が乾燥するまで数日掛かるから、それまでは仕方なく。和菓子作りに勤しもう。着々とくりまんじゅうを作っていった。
 何度かやって見せているうちに職人さん達は上手になって仕舞いには中に入れる物を自分達で考え出して相談しあっている。ロデリックさんはそっちの方へ加わってた。

「さすがすごいね~」
「うむ。さすがロデリックがつれてきた職人なのじゃ」

 昨日作ったきんつばをクラリッサ王女に食べさせたところ、かなり好評だったらしい。ロデリックさんが言ってた。お砂糖ギルドの幹部さんとルパートがわたし達をそっちのけで話し合ってる。新しい商品開発にはギルドとしても関心が高く。乗り気みたいだ。小豆も手配してるそうだし、いずれは和菓子がたくさん作れるようになるだろう。うれしい。と単純にわたしは喜んでいたのだけど、ルパートとロデリックさんは流通経路の問題やどちらが本家になるのか。なんて話し合ってる。お砂糖ギルドが乗り気になった事で商売として成り立つ事が分かった途端、利益を考えるようになったからだ。ルリタニアとしてもみすみす儲け口を逃す気はないらしい。ノエル側も同じだそうだ。わたしの意見は無視される。コーデリアもあんまり口をだすのは拙いのじゃ。と言ってわたしを隅に連れ出そうとするし、仕方ないので黙って引き下がった。

「女があまりこういうところでこういう事に口を出すといらぬ敵を作ってしまうのじゃ……」
「うっ、それって女性蔑視だと思う」

 コーデリアも案外、男尊女卑な考え方をしてるんだね……意外だったよ。わらわを中心に世界は回っているのじゃ。なんて考えをしてると思ってた。

「まあ。良くないとは思うが、男も女も感情に支配されておるからのう」
「う~ん。それは確かにそうだけど……」
「それに男の嫉妬は怖いのじゃ。女の嫉妬は陰に回るが、男は面と向かって潰しに来るのじゃ」
「女の嫉妬の方が陰湿になるぶんこわいと思うけどね」
「確かに暗くはあるが、こわくはないのじゃ」
「こわいよ」
「それはお主が弱いからじゃ。女が陰口を言ってもその場ははいはい。と聞いてもまともに取り合う男はそうはおらんのじゃ」
「え~そういうものかな?」
「男は女を馬鹿じゃと思ってるし、女は男を子供みたいで何も考えてないと馬鹿にするが、何も考えてないわけがなかろう? それに女の陰口をまともに取り合っていいなりになる男はいずれ自滅するのじゃ」

 うわっ、凄いシビアな考えだ。でも確かにそうかも、へらへらと女のいいなりになる男なんて、ちょっとでも都合が悪くなったらあっさりと捨てられるしね。その辺りの割り切り方はすごいからね~。
 あんまり話すとどんどん話が過激になりそうだから、お話を一旦切り上げて、コーヒー豆ができるまでの間にわたしはコーデリアとエスプレッソの器具を作る相談をしている。形や機能を話すとコーデリアが図面を書いていく。

「こういう感じなのか?」
「うん。そうだよ。それでね下に入れた水が上に上がる間にコーヒー豆を入れた部分を通っていくの」
「ほうほう。蒸気というやつじゃな。面白いのじゃ」

 ネルフィルターは自分で作れるし、サイフォンなんかは錬金術の器具を使えば何とかなる。着実にわたしの野望は進展している。喜ばしい事だ。時々ロデリックさんがにこにこ顔でやってきてはなにくれとなく会話をしていく。その中で首都ノエルを少し南に下ったところにルブラン湖があるそうで今の季節はアイヴスと並ぶ、遊泳場らしい。コーデリアと行ってきなさい。なんて話をしてきた。もしかしてわたし達を交渉の場から離そうとしてるのかも。かもかも……。

「まあ。そうじゃろうな。しかし行くとなれば水着が必要なのじゃ」
「ああ、そういえば持ってなかった」
「帰りにでも買いに行くのじゃ」
「そうしよっか」

 という訳で、わたしとコーデリアは事務所から追い出される前に帰ることを決めた。
 服屋さんの前を通ると、店先にまでいろとりどりのあざやかな水着が並べられている。それに群がる女性たち。バーゲンに群がるおばさんたちを思い出して、足が震えそうになってしまう。

「なにをしておるのじゃ。突撃するのじゃ! 行くのじゃ!」
「う、うん……」
「とりゃあ~」

 掛け声とともにコーデリアに引きずられるようにして、女性の群れの中に飛び込んでいった。逞しいコーデリアは女性達の群れをかき分け、薙ぎ払いながらも、奥へ奥へと突き進んでいく。

「あき。これを着るのじゃ!」

 コーデリアが持ってきたのは真っ赤なビキニ。ふるふると首を振って嫌がるわたし。眼を血走らせたコーデリアはさらに白い水着を取ってきた。

「白は透けるからいや!」
「わらわはまっかなワンピースなのじゃ。にあうじゃろう?」
「う、うん。似合ってる。……けど、わたしのこれはなに?」

 真っ赤な水着を着てポーズをとってるコーデリアに向かってぱちぱち拍手をする。でも……自分の着ている水着を見下ろしてみた。あざやかな青。布面積の少ない生地。どうしてこの世界にもこういうビキニっぽい水着があるんだろう? 元の世界にいた頃、読んだ歴史の本ではみんなワンピースみたいな水着だったよ。いっそしましま模様の服みたいな水着だったら良かったのに。
 ちらっと隣の人の水着を見た。いうなればコスプレですか? それともイメクラですか? と言った感じのきわどい水着である。こんなの雑誌でしか見たことなかった。がっくり落ち込みつつコーデリアに背中を押されるようにして店を出た。
 ノエルの街はアデリーヌと違って道行く人の姿も華やかに見える。……こうしてみると隠そうとしても隠せない。わたしには田舎者の雰囲気が漂っているんだろうな。そんな事をぼんやりとオープンテラスとカフェに座って考えながら人の波を見ていた。
 夏期休暇だからだろうか、北の塔のマントを身につけた学生たちの姿もちらほらと見える。コーデリアはテーブルに並べられたお菓子を貪っていた。よく食べると思う。それよりも一体どこに入るんだろう? 背は伸びないし太らない。あっ、ピキッと眉間にしわが寄った。いけないいけない。指先で眉間のしわをほぐす。再び道に眼を向けるとアレットちゃんが大きな荷物を持って歩いてる。うわっ、よろよろしてるよ。

「おーい。アレットちゃん!」

 声をかける。振り向いたアレットちゃんに手招きするとちょっと急ぎ足でわたし達の座っているテーブルへ近づいてきた。

「あきちゃん。どうしたのこんなところで?」
「うむ。水着を買いにきたのじゃ。わらわの水着はすごいのじゃぞ」
「……そうなんだよ。コーデリアって物凄く派手なの買っちゃったの」
「派手ではなく華やか。と言うのじゃ」

 アレットちゃんは椅子にちょこんと座ってコーデリアの言葉をにこにこしながら聞いてる。椅子の下に置いた荷物からいろんな布がはみ出てる。ははん、アレットちゃんはもしかして新しい服を仕立てるつもりかな?

「アレットちゃん、どんな服を仕立てるの?」
「えっ、あきちゃん。良く分かったね」
「荷物から布がでてる。アレットちゃんはよく服の仕立てとかするんだ」

 そう言ったら、少しはにかんだ笑顔を見せる。もじもじ両手を絡ませてから、両手の人差し指をつんつんさせてる。

「ほ、ほら。うちの家は綿織物を扱っているでしょ。だからよく仕立て屋さんとか出入りしてるの。小さい頃から見てたから自分でも仕立てるようになっちゃってね」
「そうなんだ。わたしはあんまり上手じゃないから……うらやましいな~」
「えっ……? じゃああきちゃんの服はだれが?」

 あれっ? アレットちゃんの声のトーンが低くなっちゃった。どうしたんだろう?

「あきの服はわらわのコレクションじゃ」
「うん。そうなの。実はね……」

 アレットちゃんの耳元でコーデリアがないすばでぃ~になったら着ようとしてる服がたくさんあるって教えてあげた。そうしたら眼を丸くして驚いてた。やっぱり驚くよね。

「ふうん。いいなぁ」
「でもヘンな服もたくさんあるんだよ。水兵さんの服とか」
「水兵さんって船の?」
「そうなんだよ」
「変わってる……あっ、ごめんなさい」

 アレットちゃんがコーデリアにぺこっと頭を下げた。コーデリアはフォークに突き刺したケーキの塊をアレットちゃんに突きつけて「食べるのじゃー」とにじり寄っていった。はむっと口に入れるアレットちゃん。口に入れた瞬間、眼を丸くする。

「ど、どうしたの?」
「あ、甘い。甘すぎですぅ」
「砂糖漬けの塊なのじゃ。けっけっけ」
 
 ううっとなみだ目になる。コーデリアは「もっと食べるのじゃ」と突きつけていく。アレットちゃんは口元を押さえていやいやをしてる。

「ごめんなさい。ごめんなさい」
「ふふん。もう良いのじゃ。お茶を飲むが良かろう」

 十分楽しんだ顔でそう言うとコーデリアはアレットちゃんの分のお茶を頼んだ。やってきたお茶を飲んでふう~とため息をつく。
 ふいにコーデリアが空気を変えるように「アレットもルブラン湖に泳ぎに行くのじゃ」と誘いをかける。

「ルブラン湖?」
「そう。ロデリックさんが行ってきなさいってね」
「わたしも行って良いのかしら?」
「構わぬのじゃ。どうせ費用はロデリック持ちなのじゃからな。気にすることないのじゃ」
「じゃ、じゃあ、お邪魔しようかしら……」
「そうするがよいぞ」

 こうしてアレットちゃんもルブラン湖に一緒に行くことになった。ああ楽しみだな~。それからアレットちゃんは寮の門限があるからと言って立ち上がると帰っていく。後姿をコーデリアが見つめている。そして姿が見えなくなった途端、わたしはコーデリアに叱られた。

「あき。お主、ああいう話題をだしてはいかんのじゃ」
「ああいう話題って?」
「服じゃ。服の話じゃ。良いか? アレットの家は綿織物でそれなりに有名ではあるがの、それでも簡単に新品の服をいくつも買えるほどでもないのじゃ」
「えっ? そうなの?」

 コーデリアがはあっとため息をついた。そうして何度か首を振る。

「おぬしはどうもこの世界の常識に疎い。まあ、わらわもあまり教えておらぬから知らぬのも無理はないのじゃが、大概の者は古着屋で服を買うのじゃ。もしくは先ほどのアレットのように自分で仕立てるか、なのじゃ。新品の服を着回しているのはあきの他はマリーぐらいじゃ」
「わたしとマリーちゃんだけ?」
「そうじゃ。ターレンハイムとブランヴェリエ、両侯爵家のご令嬢だけじゃ。マリーに関してはノエル王国の大貴族じゃからアレットの家も取引があろう。幼い頃から出入りしている仕立て屋からも話を聞いているかもしれん。じゃからそんなものだ。と思っておるじゃろうが、あきに対してはアレット自身も気づかぬうちに蟠りができてしまうのじゃ。むしろ気にせぬ者の方が少ないのじゃ」
「うう~」

 ううっと落ち込んでしまった。そんなの気にしてなかったよ。コーデリアと一緒に行動してるから、こんなものだと思ってたし……。

「それとアレットが口を滑らしたとき、わらわはすぐさま、罰を与えたのじゃ。そうして許した。ああしておけばアレットの中でも帳尻が合うのじゃ。罰と許しじゃ。分かりやすい形で口を滑らした一件をあれで終わりにしてやったのじゃ。もう気にしてはおらぬじゃろう」
「ああ、失敗して怒られて許された。確かに分かりやすいね。そのままうやむやに流されるより終わった事が分かる分、気は楽になるね」
「そして仲直りのために、ルブラン湖に誘ったのじゃ。金銭面での負担はロデリックに押し付ける形での。金が絡んでこぬ分、アレットも来やすいのじゃ。……あき。おぬしは自分でも気づいておらぬようじゃが、かなりの金持ちなのじゃ。ルパートやわらわがついておるからのう。よいか、あまり自分の生活が当たり前だと思うでないのじゃ」
「――はい。ごめんなさい」

 がっくりうなだれて落ち込みそうになる。うう~全然気づいてなかった。金銭感覚が普通の人とずれてる事を思い知らされてしまった。

「わらわもつねに一緒に居られるとは限らぬのじゃ。言動には気をつけるのじゃぞ」
「うん。分かった」
「それで良いのじゃ」

 そう言ってコーデリアが立ち上がった。わたしも後を付いていく様に立ち上がる。そのとき、テーブルの上に置かれているメニューの文字が眼に入ってきた。コーデリアとわたしが飲んでいたお茶は銀貨1枚の値段がついている。銀貨1枚は銅貨100枚だったっけ。確か一日分のパンが銅貨30枚。一日の日当が銀貨1枚と銅貨50枚ぐらいなんだから……アレットちゃんが座っても何も頼まなかった理由が分かってしまった。やっぱり金銭感覚がずれてるんだな~。くっすん。

 家に帰り着いてからもコーデリアとお話してる。バジルくんはとっくにお休みしてる。籐かごのなかでよく眠っていた。湖に泳ぎにいくという事で、わたし達はなにをして遊ぼうかと言い合う。コーデリアがちらっとマルセルの方を見た。マルセルはコーデリアの命令でさっきから床掃除をさせられている。ちょっとでもサボろうとするとコーデリアの魔法が飛んでくるためにびくびくしてた。

「カルクスか、ルリタニアなら海でも泳げるのじゃが……」
「まあ、湖でもいいじゃないか?」
「うむ。そうじゃな。スイカ割りというのがしたいのじゃ」

 スイカ割り。それはわたしがコーデリアに教えたものだった。目隠しをしてスイカを割るだけなんだけど、この目隠しをしてと言う部分にコーデリアが興味を示した。

「スイカあるの?」
「確か、あったと思うのじゃ。明日市場の方へ探しに行くのじゃ」
「市場か楽しみだね……」

 そう。大きな市場に行けばいろんな食材に出会えるだろう。今から楽しみだった。
 翌朝、まだ日も出ていないうちからわたしとコーデリアはバジルくんをルパートに預けて、市場へと向かった。市場にはたくさんの人が荷馬車に乗ってやってきている。そのうちの1つでわたしは、眼を奪われる。

「まぐろだ。こっちは伊勢えび。かつおまである」

 ああ、おしょうゆが欲しい。いま痛切に感じていた。この世界に来てから、これほどまでにおしょうゆがない事を恨んだ日はない。コーデリアが見ていなければ、泣きながら地面を叩いていたかもしれない。ええい。しょつるみたいなものでもいい。どこかにないか? わたしは市場中を駆け巡っている。ナンプラーでもいいぞ!
 必死になって駆け巡っている。女2人。きっと周りからはおかしな眼で見られている事だろう。しかし! そんな事よりも探す方が先決なのだ! そしてわたしの願いは叶えられた。市場の隅からはっきりと魚醤の独特なにおいが鼻をよぎった。急いで向かう。その隣には溜り醤油っぽいものが! この匂いは確かにおしょうゆ。お店の棚に小さく置かれている大き目の瓶を指差して叫んだ!

「おじさん、これちょうだい!」

 ビシッと指差したわたしを見て、60を回ってるだろうおじさんは、呆然としていた。

「はやく。はやく。ハリーハリー。はやくよこせ!」

 吐息がかかるほど近く顔を近づけ、詰め寄る。おそらく眼が血走っているだろう。おもわず胸倉を掴みあげそうになる。おじさんはがくがく震えながら、棚から瓶を持ってきた。

「お、お嬢様……珍しいものを欲しがりますな……」
「うふふふ」

 脅えたおじさんの言葉はわたしの耳を通り抜けていく。ごしごし瓶を指で拭いて、キスする。おそらく大豆のおしょうゆじゃないんだろうけど、これで……うふふふふふふふ。めくるめく味覚の世界がわたしを待っている! 意気揚々と歩き出したわたしの後を呆然とした顔でコーデリアがついてくる。

「お、お主……まるで人が変ったみたいじゃったのじゃ」
「うふふふふふ」
「なにやら、怖いのじゃ」
「うふふのふ」
「熱があるのではないのか?」
「ふっふっふ」

 あのコーデリアが脅えている。そんな事にも気づかず、わたしは市場を歩いていた。次に向かうは、まぐろを売っているところだ。そして伊勢海老にかつおとくるね!

「あ、あき……」
「コーデリア。今日のごはんは楽しみにしてて!」

 ビシッと親指を立ててにこっと笑う。その時、わたしの体に電流が走った。ぎらりと眼が光る。あれに見えるはワイルドライス。長いお米ではないか? 立ち止まったわたしに脅えたコーデリアが背伸びしてわたしの顔の前で手をふっている。ええい、邪魔だ。どけい!
 ずんずん歩いていく。
 市場の片隅、人気のない一角にそれはあった。いくつかの種類の中でなんとか日本のお米に近いものを見つけた。それでもちがうんだろうけど、そんなの関係ない。

「おじさん。10kg!」
「お、お嬢ちゃん。そんなに持ってかえ……れる、のか、い?」
「い・い・か・ら・よ・こ・せ!」
「あ、あきがこわれたのじゃ……」

 コーデリアの嘆きを尻目にわたしは、強引に奪い取るように買うとどっせい。とばかりに肩に担ぐ。この重さがなんとも言えず、うれしい。
 こうして市場をでた。行きは歩きで、帰りは馬車であった。飛ばせ。飛ばせ! と騒ぐわたしを必死になって止めようとするコーデリア。御者さんが恐れおののきながら手綱を握っていた。
 家に帰り着いたわたしは急いで、お米を洗う。

「は~じめ、ちょろちょろ、なか、ぱっぱ、じゅうじゅうふいたらひをひいて、あ~かごないてもひ~はけすな」

 ほとんど鼻歌交じりにお米を研いでる。台所から適当な鍋を取ってきて火に掛ける。こんなの飯ごう炊飯と同じだからなんとでもなるのだ! うふふふふふのふ。

「……あっ!」

 まな板に横たわってるまぐろを見ながら、重大な事に気づいてしまった。顔からさぁーっと血の気が引いていく。どうしようどうしよう。わたわたと慌ててると心配そうな顔をしたコーデリアが忍び足で近づいてきた。

「どうしたのじゃ?」

 心配そうな声。わたしはコーデリアに抱きついて話した。

「どうしよう。いきなりまぐろのお刺身は難易度が高いよ。ルパートの事だからきっとにこにこしながら食べてくれるだろうけど、だぶん嫌だと思う。どうしよう……?」
「お刺身というのが、どういうものか分からぬのじゃが、それ以外に料理のしようがないのか? よく考えてみるのじゃ」

 優しい声でコーデリアが言ってくる。しゃがみこんでるわたしの頭に手が届くのか、めずらしく撫でている。そうよ、そうだわ。よく考えるの。他に何かなかった? ルパートにも食べられそうなのが。コーデリアは基本的に何でもおもしろがって食べるけどね。でも、ルパートは……意外と保守的なところがあるの。だから……生のお魚は嫌がると思う。だったら、火を入れたもの……。
 がばっと起き上がって、鍋に大量の水を入れて沸かしだす。急いで地下室のセラーへと向かい。籠にたまねぎにしょうがとタイムとれもんぽい、果物を取ってきた。まぐろをいくつかのブロックに切り分けて、タイム、レモン、お塩を入れた鍋で茹でる。そう、シーチキンを作ろう。もったいない。もったいないけど仕方ないのだ。弱火で70~80℃を保って3時間ほど煮る。残りの部分、大トロをさらにさいころ状に切り分けてくしに刺して火で炙る。表面が白くなったところで火からはずしてお塩をパラパラッとね。たまねぎを切って、水でさらして、しょうがは摩り下ろす。かつおもくしに刺して表面を炙って切っていく。ふふふ。買ってきた溜り醤油ぽい物を使ってビネガーと合わせて、たれを作った。

「かつおのたたきの完成~!」

 ばんざーい。と手を上げるわたしをコーデリアは物凄く生暖かい、優しい眼で見ている。まるで病人を労わっているようだ。あの眼はどんなにひどい事を言われてもさびしそうにこっこり笑って頷く眼だ。なんかムカッとする。今に見てろよー! 炊き上がったごはんは、お塩をつけた手で小さく握っておにぎりにした。大皿に大量におにぎりが盛られていった。

 台所のテーブルに並べられた大皿を見ながら、わたしは感無量な気分になっている。いそいそとルパートを起こしに行こうとする。でも、すでにルパートは起きていてバジルくんをあやしてた。

「ルパート。ごはんできたよー」
「あら、そうなの。じゃあいきましょうか」

 ルパートがバジルくんを抱っこして階段を下りていく。わたしは後ろをついていきながらにこにこしてる。
 台所にはいったルパートが驚いた眼で並べられた大皿を見ていた。コーデリアの眼がルパートに向かって軽く頷いてる。なにかな? 2人で分かり合ったような眼をして~。ぷんぷん。
 こうしてみんな並んで食事をする。コーデリアはいつものようにぱくぱく食べて、あっという間に山のように盛られていたおにぎりが消えていく。ルパートは一通り食べて、大トロを炙ったものが気に入ったらしい。そればかり食べてる。かつおのたたきはあまり好きじゃないらしい。確かに癖があるから好みが分かれるかもね。でも……意外な事に、本当に意外だと思うんだけど、おにぎりは好評だった。なんでかな?

「あら、意外と食べやすいわよ。あっさりしてて」
「そうなのじゃ。あっさりしてるのじゃ」

 パクッと食べるとお塩だけで握ったおにぎりは確かにあっさりしてるかも? かもかも~。
 食事が終わり、ルパートが事務所へと出勤していった。わたしは急いで茹でていたまぐろを取り出すとふきんで包んで余計な水を切っていく。軽く重石をして水を切る。切れたら煮沸消毒をした瓶に詰めてオイルで満たし、さらにお湯で茹でる。こうして長期保存できるようにしておくのだ。
 台所から地下室のセラーへとお米を運ぶ。溜り醤油とお米が並んで置かれる。それを見つつ、わたしは高笑いをしていた。

「我が野望は着実に覇道を歩んでいるのだ!」

 腰に手を当て、高笑いしてるわたしをコーデリアが心配そうに見つめていた。




[21687] 第08話 「いじめ? 嫌がらせ? いえ、ハーレム気分です」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/12 12:49

 銀の雨ふるふる IFルート

 第08話 「いじめ? 嫌がらせ? いえ、ハーレム気分です」


 
 首都ノエルから馬車で2日ほど行った先にルブラン湖がある。特別大きくはないが、水源に近く。美しい姿をしている。女性に人気の高い風光明媚な土地である。


 ノエル王国には2人のお姫様がいる。1人はクラリッサ王女。もう1人は王太子妃クリスティーナである。派手好きなクリスティーナと質素なクラリッサ。ブランヴェリエ侯爵家はクラリッサ王女に肩入れしており、良好な関係を保っていた。アレットは実家が綿織物を扱っており、クラリッサの経済活発化に期待しているものの、現状では毎年たくさんの注文をしてくれるクリスティーナの事も悪く思いたくない。と言った感じである。
 少女2人はお互いに家の立場もあって、意見が対立する事もあったが、それぞれの家の事情を考慮できるほどの聡明さを持っていた。
 したがって問題はいつ、クリスティーナ側からクラリッサ側に鞍替えするか? とその時期を探る事が争点となっている。こういう会話はノエルのあちこちで囁かれている事柄の1つであった。他の女の子たちはクッキーをぽりぽり食べながらおしゃべりをしている。わたしにコーデリア、イングリットにマリー。それからアレットの5人が1つの馬車に乗りあっている。

「わたくしとしては遅くとも来年の今頃にはクラリッサ王女殿下側に付いている方が良いと思いますわ」
「でも……毎年この時期は新しい冬服の注文が入り始める時期なの。難しいと思う」
「ですが、クラリッサ王女殿下はそろそろ実権を掌握しつつあります。完全に握ってからでは遅いのですわ。今年中にクラリッサ王女殿下側に来ると言うのなら、わたくしからお父様に口利きができますわ。それ以後はおそらく大勢の方たちが訪れる事となってお父様も時間があまり取れなくなると思いますのよ」
「ブランヴェリエ侯爵への口利き……、うん。帰ったらお父様に伝えてみる」

 アレットは頷くと父親に伝え、相談することを決めた。マリーもそれに頷いていた。そこへコーデリアが口を挟んだ。

「なんならロデリックにも口を利いてやるのじゃ」
「ロデリック?」
「ああ、クラリッサ王女殿下の部下の方ですわ。とても優秀な魔術師だそうです」
「うむ。いまあやつとルパートが商売の事で話をしておるのじゃ。わらわたちから話を通しておけば、交渉の席に着くはずじゃ」
「今がチャンスですわ。これ以上良い条件で話し合いができるとは思えませんわ」

 アレットが考え込んでいる。クラリッサが実権を握るのもそう遠い事ではない。これは父親もよく言っていた。しかし現状では他に変わる伝手も中々ないために動くに動けない。と言う感じをアレットも持っている。そこへふってわいたような好条件の話だ。マリーのブランヴェリエ家。ターレンハイム家のルパート。クラリッサの部下で優秀な魔術師のロデリック。この3者が口を利いてくれると言うのだ。これ以上良い条件はないだろうとアレットにも思えた。うまく行けばルパートを通じてルリタニアへも販売網を広げられる。ううんっとアレットは悩んでいた。
 コーデリアがちらっと2人に気づかれないように馬車の手綱を握っている御者に視線を向けた。馬車の御者はロデリックの部下である。もっともこの旅行を手配したのが、ロデリックなのだから当然と言えば当然な話だった。おそらく御者からロデリックへと今の会話が伝わるだろうとコーデリアは睨んでいる。
 これみよがしに馬車の中で会話をさせておく事で少なくとも、アレットの実家がクラリッサ側から睨まれる事はないだろうという思惑もあった。現状ではどちらかといえばクリスティーナ側にべったりなミランダ家だ。潰したい商家の1つだろう。
 イングリットがうんうんと頷いている。わたしは口を挟まないようにと黙って聞くのみだった。この辺りの政治関係も詳しくないのだ。黙って様子を見ようと考えている。
 とまあ、わたし達の馬車はこんな感じだったが、男2人が乗っている馬車は……。


「あきちゃんの作ってくれたつまみはおいしいだ」

 トラのダグラスがワイン片手にからあげをつまんでは口に放り込んでいる。出掛けに渡されたバスケットの中身はから揚げが大量に入っていた。おしょうゆとしょうがの利いたたれに漬け込まれたしっとりとしたからあげをダグラスは大喜びで食べていた。ときおりワインを飲んではげっぷをしている。

「ほれ、マルセルも食べるだ」

 マルセルにからあげを勧めるが、マルセルは嫌そうな顔をして断る。

「私は結構です」
「おいしいんだけどな~」

 耳がぴくぴくと動く。馬車から身を乗り出し御者にも勧めた。御者が受け取って口に入れる。体勢が崩れたのか馬車がぐらりと揺れ、中からマルセルの悲鳴が聞こえてくる。

「ダグラス。おい、トラ! 身を乗り出すな。怖いだろう」

 真っ青な顔で文句を言うが、ダグラスは平気な顔をしていた。

「これぐらい平気だべ」
「お前は平気でも怖いんだよ」
「男の癖に細かい事を言うでないべ」
「どこが細かいんだよ~」

 なんだか泣きそうなマルセルだった。馬車の中に戻ったダグラスはもう1つのバスケットを開けた。中には野菜を茹でたものがつまっている。「お肉ばかりじゃだめなんだよ」と言って、押し付けてきたあきの顔を思い出して、ダグラスの耳がへにゃっとする。野菜は苦手だべ……。それでもおそるおそるつまんだ野菜には、まるでねこの肉球のような模様を模った穴が空けられていた。
 しげしげと見たダグラスが、マルセルに喜んでみせる。

「ほれ見るべ。ねこの手だべ」
「まったく。それがどうしたというのですか」
「かわいいべ。おら、ねこも好きだ」
「食べるんですか?」
「食べないべ」

 そう言いながら、ダグラスは茹で野菜をぽりぽり食べていく。そんなダグラスを見ながら、マルセルが馬鹿にしたような顔で「ほら、食べてるじゃないですか?」と笑う。

「ネコは食べないべ。でも……野菜は食べないと怒られるだ。せっかく作ってくれたのに。怒られるのいやだべ。もう作ってくれなくなるだ」

 うう~っと恨みがましい眼でマルセルを見ながら野菜を食べ終わってから、バスケットの中に入れられていたソースに気づいた。指につけて舐めるとお肉のたれっぽい味がした。あきちゃんがわざわざ野菜の苦手なおらのためにソースを入れてくれてたのに、おら気づかなかった。ガーンとショックを受けた顔で青褪める。きょろきょろ辺りを見回した。頭の中でどうやってごまかそうとか、なんと言って謝ろうかと考え、その挙句、諦めてバスケットの蓋を閉めた。うう~怒られるべ……。こういう時は、愛用の剣を磨いて心を落ち着かせるだ……。
 ダグラスは馬車の中に置いていた大きな剣を抜くと腰から砥石を取り上げ、刃に沿って磨きだす。

「お前、怖いよ」

 顔が映るほどぴかぴかに磨き上げられた剣を見つめながら、マルセルは突っ込んだ。


 ルブラン湖の畔にやってきたわたし達はロデリックさんが用意してくれた別荘に荷物を置いて、早速とばかりに温泉に向かう。温泉は別荘の離れにあって、露天風呂ぽい造りになっているらしい。

「あれっ? コーデリアとイングリットさんは?」
「あら? そう言えば見かけませんわ」
「どこに行ったんだろうね~。そのうち来るんじゃないの?」

 わたしとマリーちゃんがきょときょと探していると、アレットちゃんがそう言って「温泉に行こう」と腕を上げた。

「そうしますか」

 そう言ったわたしの言葉によって温泉へと向かう事に決まり、着替えを持って部屋を出た。それにしてもコーデリアとイングリットさんはどこへ行ったんだろう?
 その頃、ダグラスはコーデリアとイングリットの2人に執拗に絡まれていた……。

「ふむふむ。茹で野菜のソースを気づかず忘れて、食べなかったと言うのじゃな……?」
「いけませんな~。これは罰を与えねば」

 2人はにやにや笑ってダグラスににじり寄っていく。ふっふっふと不気味な笑いを浮かべ、近づいてくるコーデリアに恐れをなしたダグラスは一目散に逃げ出す。

「逃がさぬのじゃ~」
「追えー」

 いじめだべ。嫌がらせだべ。と泣きながらダグラスは別荘中を駆け回る。さんざん逃げ回ったダグラスは背後からコーデリアの魔法の一撃によって、吹き飛ばされ温泉へと墜落していった。
 空中から飛来したダグラスは派手な水柱を立てて温泉の中に沈没する。



「なに? 何事?」
「あっ、浮いてきた」

 わたしとアレットちゃんがきょろきょろ温泉の中を覗き込む。お湯の中にダグラスが沈んでいる。しばらくしてぷかぁ~っと浮いてくるダグラス。マリーちゃんはびっくりまなこで床にへたり込んでる。
 わたしとアレットちゃんの2人がお湯の上を漂うダグラスを引き上げた。ひっくり返すときゅ~っと眼を回している。

「どうしたんだろう?」
「空から落ちてきたよねぇ?」

 いまだびっくりしてるマリーちゃんも空を見上げる。わたし達は空を見上げながら、何があったんだろうと考えていた。

「あっ!」
「どうしたの?」

 アレットちゃんが大声を出して指差す。指が示した方向をわたしとマリーちゃんも見た。男湯と女湯の仕切りの上でマルセルが覗いていた。見つかったとばつの悪そうな顔をしてそそくさと下りようとしているマルセルに向かってアレットちゃんが桶を投げつけた。

「覗くな!」

 かこーん。と桶がマルセルの頭に当たり、どすんと落っこちる。まったく、あのスケベが! と地団駄踏んで怒るアレット。

「もしかして、ダグラスさんも覗いてたのかしら?」

 と、マリーちゃんが呟く。その言葉を聞いたアレットちゃんが、ダグラスを踏みつけようとして、ぴたっと足を止めた。そうして足先でダグラスをもう一度ひっくり返す。ダグラスの背中は少し黒く焦げている。3人でう~んと考え込む。でも、マリーちゃん。マルセルのどこが良いのか、わたし分かんないんだけど?

「なんか違うような気がする」
「あたしもそう思う。……これって魔法攻撃の後だよねぇ」

 つんつん足の指で背中をなぞるアレットちゃん。魔法攻撃、……わたしの脳裏にこの場にいないコーデリアの顔が思い浮かぶ。もしかして、コーデリアの仕業?

「うはははははっ! ダグラスどこなのじゃー?」
「どこへきえたぁ~?」

 高笑いとともに「とおっ!」飛んでくるコーデリアとイングリット。2人の声にダグラスの体がぴくっんと撥ねた。がくがく体を震わし眼を覚ます。目の前にはわたし達3人が覗き込むように見ているのに気づいてへにゃっと泣きそうな表情を浮かべる。耳もしっぽもへにゃっとなってる。
 おーいおい。と泣きながらお弁当に入っていたソースを残した事を謝ってきた。何のことやらさっぱりわやや。
 泣きながら言ってくるダグラスの説明に、ああ、あれかとようやく思い出した。

「そんな事ぐらいで怒らないよ」
「うわーん。コーデリアとイングリットがぁ~。お、おい、追いかけてきて……」
「コーデリアさんに後ろからどかーん、と攻撃されたわけね?」

 泣いているダグラスにアレットちゃんが問いかける。うんうん頷くダグラス。マリーちゃんがぽつっとかわいそうと呟いた。ダグラスがマリーちゃんに抱きついて泣く。

「きゃっ」
「あー。マリーちゃんも裸なんだから抱きついちゃだめー!」

 アレットちゃんが引き離そうと引っ張ってる。わたしも一緒になって引き離す。温泉の床に顔を埋め泣いているダグラスの後ろにイングリットさんが怖い顔で近づいてくる。

「ふっふっふ。ダグラ~ス。ふふふふふ」

 わきわき手のひらを握ったり開いたりしていたかと思うと、耳を引っ張った。いじめだべ、嫌がらせだべ。と騒ぐダグラスの泣き言を聞こえないふりをしつつぺちぺち頭を叩いた。

「これは罰を与えねばならぬのじゃ。くっくっく」

 不気味に笑うコーデリア。アレットちゃんがさすがにそれはかわいそうなんじゃ? と言うが、コーデリアに耳打ちされ、にんまり笑ってダグラスに視線を向けた。

「そうだよね~。罰は与えなきゃだめだよね~」

 アレットちゃんも両手をわきわきとさせ、ダグラスに近づく。コーデリア一体何を言ったの? じとっと睨んだ。コーデリアはふふんと笑ってダグラスに近づいていく。

「あき。おぬしも参加するのじゃ。トラを洗濯してやるのじゃ!」
「洗濯?」
「そうじゃ。こやつもねこ科なのじゃ。水は苦手であろう? 楽しみなのじゃ」
「それかかれー」

 アレットちゃんの叫び声とともにコーデリア達も飛びかかり、ダグラスに石鹸を擦りつけ、泡だらけにしていく。ダグラスは泣いて嫌がるが、コーデリア達は止めようとはしない。アレットちゃんが、毛皮の感触が楽しいよ。と誘ってきた。ダグラスの泣き顔を見ていると自分の中にある嗜虐心がむくむくと持ち上がってきて、ふふふ、と笑いながら参加する。

「うわー。毛皮もふもふしてる~」
「あきちゃん。楽しいよね」
「面白いですわ」

 マリーちゃんまでも参加していた。泡だらけになりながらダグラスの毛皮を泡だらけにして木の桶でザバッとお湯を掛ける。

「いじめだべ~」
「あらあら、かわいい女の子が5人も裸で毛皮を洗ってくれるなんて事はそうそうないのよ。ハーレム気分を味わったら?」
「は、はーれむ?」
「そうそう。ハーレム」
「ハーレム、怖いべ~」

 ダグラスが体をぶるぶる震わす。水滴が回りに飛び散り、マリーちゃんがうちのねこと同じですわ。と笑ってる。ダグラスの首に乗ったコーデリアがほれ、走るのじゃ。と騒いでる。とうとう眼を回したダグラスはイングリットさんによって部屋に運ばれていった。

「あ~おもしろかった」
「なんだか、ねこをお風呂に入れた気分ですわ」
「ダグラス、眼を回してたねぇ?」
「もうちょっと、遊びたかったのじゃ」

 あー楽しかったとばかりにわたし達は温泉に浸かって笑っていた。

 一方部屋に戻ったダグラスはイングリットの膝に顔を埋めて泣いていた。イングリットは泣いてるダグラスの頭を優しく撫でながら、「女の子は集団になったら怖いからね」とダグラスに釘を刺す。そうしてぐすぐす泣きながら顔を上げるダグラスに向かって、光が消えた目でじっと見つめる。そして耳を千切れそうになるぐらい引っ張る。

「――これぐらいで眼を回すあんたにハーレムは絶対に無理。それに……浮気したらどうなるか分かってるよね?」

 と、やさしく問いかけた。ぶるぶる体を震わしてダグラスはこくこく頷く。

「そ、いい子ですね」

 イングリットは再び、ダグラスの頭を撫でている。


「あき。今日のごはんはなんなのじゃ?」

 お風呂からあがったわたし達は重大な事に気づいてしまった。それはコーデリアの一言からはじまった。
 ……ごはん?
 この別荘に連れてきてくれた御者さん達は麓近くにある宿屋で泊まりに行き、別荘にはわたし達だけである。これは困った。

「あ、あきちゃん。ど、どうしよう」

 わたしが台所に入って食材を確認している後ろで、アレットちゃんが大騒ぎをしてる。マリーちゃんも真っ青な顔色になる。コーデリアとイングリットさんが抱き合って泣いてるのはどうしてだろう? もしかしてみんな料理ができないとか、……う、ううん。そんな事ないよね?

「なぜ、そこで顔を背けるのかな?」
「あ、はははは」
「い、いやですわ。わたくし……本当はお料理できませんのー」

 笑ってごまかすアレットちゃんと、よよと泣き崩れるマリーちゃん。ちらっとイングリットさんを見た。やっぱり顔を背けられる。コーデリアには期待してないから良いとして、問題は――。

「なぜ、わらわを無視するのじゃ?」
「コーデリアはする気ないでしょ?」
「あきにおまかせなのじゃ」
「はいはい」

 ――問題は食材があまり無いことである。特にお野菜がない。お肉は塩漬けにされたビヘモス牛の塊が地下室のセラーに吊るされていた。あとはじゃがいもと小麦粉と卵とバターぐらいだった。これでわたしにどうしろというのか? でも卵は新しいから使えるね。
 地下室から上がってきたわたしは考え込みながら別荘の周りを歩いている。どうしようかな? てくてく歩いてると別荘の周りにはハーブが植えられていた。それをじーっと見ながら、いけるかもと思う。

「では、がんばりますか!」

 両手で顔をパシッと叩いて気合を入れた。
 急いで別荘の台所へと向かう。改めて食材と調味料をテーブルの上に置く。ああ、大丈夫。なんとかなるさ。今からパンを焼いてる時間はない。そうなると、ちらっとテーブルの上の赤唐辛子とにんにくを見た。テーブルの上をふきんで綺麗に拭いて、小麦粉とたまごと卵黄をまんべんなく混ぜる。全体につぶつぶからさらさらになったら、オイルを入れて手でぎゅっと握ったらようやく固くなるぐらいにまでする。さあてこれからが大変なのだ。一まとめにして生地を棒でのばす。3つに折りたたんで薄くのばす。折りたたむ、のばすを繰り返して、薄くしていく要はパイ生地やお蕎麦を作るのとおんなじなのだ。何回も繰り返していくうちに弱かった生地が丈夫になっていく。四角く薄い生地になったら、包丁で同じ幅に切り分けた。
 ――手打ちパスタの完成。パスタマシンもないのによくやったよ。自分で自分を褒めてあげたい気分。台所の入り口でコーデリアがじっと様子を伺ってる。大丈夫だよとにっこり笑うと、コーデリアの表情がほっとしたように崩れた。
 大鍋に大量のお湯を沸かす。沸くあいだにお肉を切り分けて塩抜きをしておいた。ジャガイモも皮ごと洗って6等分にする。大きな料理用ストーブには4つのコンロが備えられていた。奥の方の1つには大鍋でお湯を沸かしている。危ないかもしれないけどその隣で油を温めた。手前に2つのフライパンを載せる。

「では、いざ。勝負!」

 気合とともにフライパンの1つに温めていたオイルをスプーンで掬っていれる。その次にバターを投入。すぐに溶けるから急いでお肉を入れた。ジュッという音がしてお肉が焼けていく。ぐらぐら言ってるお塩を入れたお湯の中にパスタを入れた。茹で上がるまでの間にもう1つのフライパンにオイルを入れ、にんにくと赤唐辛子を輪切りにした物を香りが付くまで炒める。さらにお肉をひっくり返して、茹ったパスタをフライパンに放り込む。ちゃっちゃと炒めて塩コショウ。はい。ぺペロンチーノできあがり。そうこうしてるうちにお肉も焼けた。油はぐらぐら言ってる。切っておいたじゃがいもを投入する。フライドポテトが揚がるまでに、大皿にパスタを盛って、お肉はまな板に載せる。お肉を切り分けお皿へGO。さらにフライパンにワインを入れてソースを作って掛ける。その上にぽんっとバターを置く、分厚いステーキは単純だけどおいしいのだ。

「できたよー」

 大声で呼ぶとみんながやってきた。お皿に盛られているパスタを見て驚いてる。なんでかな?

「あ、あきちゃん、これは?」
「ぺペロンチーノ。食べるときは小皿に取り分けてね。お肉もだよ」

 アレットちゃんが聞いてくるのに答えながらわたしはフライドポテトを網ですくってお塩をぱらぱらっとしてる。ポテトのお皿もテーブルの上に置いた。それからみんなの分のフォークを渡していく。
 アレットちゃん達が全員席についておそるおそるといった感じで小皿にとりわけている。その中でコーデリアとダグラスは目一杯取ろうとして醜い争いを繰り広げていた。

「おぬし、少しは遠慮するものじゃ」
「おらの方が腹がへってるだ」

 醜い争いである。コーデリアとダグラスはパスタをずずっと音を立ててすする。2人ともパスタをすすれたんだね。アレットちゃんやマリーちゃんはすすれないのか、お行儀良くフォークに絡めて食べてた。イングリットさんは小皿に取り分けたパスタをフォークにたくさん絡めて大きな口を開くとばぐっと食べる。すごいなぁ……。

「お代わりいるかな?」
「いるだ!」
「欲しいのじゃ!」

 声をかけると勢い良くダグラスとコーデリアが返事を返してくる。こういう時は息が合ってる。わたしは残りのパスタを茹でるともう一度ぺペロンチーノを作り出す。ついでにもう2枚ステーキを焼いて切り分ける。お肉を切り分けてるわたしを見ながらアレットちゃんが、ぺペロンチーノって初めて食べたなんて言いだす。それに答えてマリーちゃんもパスタって見た事ありませんでしたわ。なんて言いだした。
 それを聞いて背筋がゾクッとする。もしかしてこの世界って、パスタがなかったとか……? しまった。失敗した? どうしようどうしよう。

「まあ、あきは料理上手じゃからな、材料がなければ無いでなんとか考え付くのじゃ」
「あ~こういうとこで料理上手な女の子と料理のできない子の差がでちゃうんだろうねえ」
「おいしければ、おらなんでもええだ」

 コーデリアのフォローをイングリットさんが肯定してダグラスがお気楽に笑う。マリーちゃんがフォークをくわえたまま「そういうものですか?」と呟いてる。

「まあ、料理のできない私達が知らなくってもしょうがないんじゃない?」
「あきのオリジナルじゃしな」
「へぇ~そうなんだ。コーデリアさんはいいなぁ~こういうのいつも食べてるんでしょ?」
「でも、あきは中々作ってくれないのじゃ。もっと作って欲しいのじゃ」

 うがぁ~っとコーデリアが騒ぎ出して、重くなりかかっていた空気が掻き消えていった。お肉を切り分けながらわたしはほっとしている。良かったなんとかごまかせそう。

「あっ、あきちゃんは食べないの」
「後で片付ける前にぱぱっと食べちゃうよ」
「え~そうなの?」
「主婦は大変なのじゃ」
「コーデリア~」
「わ、わらわは悪くないのじゃ」

 お気楽に言ってるコーデリアを軽く睨む。慌てふためいてコーデリアがダグラスの後ろに隠れてしまう。その様子におもわずくすくす笑ってしまった。みんなが台所から引き上げた後で、残ってたお肉をいくつかつまんだ。オイルを漉して缶に入れておく。使った鍋とフライパンを外のポンプでごしごし洗う。

「――あき」

 背後から声を掛けられて振り向くとイングリットさんが立ってる。

「なにかな?」
「あきにもまあ、いろいろあるんだろう?」
「……まあ、ね」
「あんまり迂闊なことはしない方がいいね」
「そうする」

 それだけ言うとイングリットさんは立ち去って、入れ替わるようにコーデリアがやってきて「仕方なかったかもしれんが、気をつけるのじゃ」と言って立ち去っていった。
 別荘の中に戻るとアレットちゃん達が楽しそうにお話してる。お茶を入れて持っていくと喜んだ。わたしも混じってしばらくお話しているうちにみんなが眠そうになってころころ眠っていった。あ~あ。しかたないなぁ。寝室まで連れていきますか……。
 ダグラスに手伝ってもらってみんなを寝室へと抱きかかえて連れて行った。

 わたしも明日は何を作ろうと考えながら眠りに落ちる。そんな一日だった。



[21687] 第09話 「茜の月になりました。今日から登校」
Name: T◆9ba0380c ID:1f420729
Date: 2010/09/19 22:45

 銀の雨ふるふる IFルート

 第09話 「茜の月になりました。今日から登校」

 バジルくんは迎えに来たおとうさんと一緒に帰っていった。帰る間際ものすごく泣いていたけど、こればかりは仕方ないのだ。わたしとコーデリアはなんとなく気が抜けてしまったようで、夕食が終わった後、台所でお茶を飲みながらぼんやりしてる。
 こぽこぽ音を立ててコーヒーがポットの中に落ちていく。それを見ながらコーデリアは「バジルがおらぬと静かなのじゃ」なんて言ってさびしそうだ。小さく固めたお砂糖を小皿に落としテーブルの上に置きながらコーデリアに向かって話す。

「でも、明日から北の塔へ通うんだし、またにぎやかになると思うよ」
「そうかもしれぬのじゃが……いかぬな、気が抜けておるのじゃ」

 マルセルはいつも通りだったけど、帰ってきたルパートも台所のバジルくんの席だった椅子を眺めてため息をついた。どうやらルパートもさびしそうだ。コーヒーにお砂糖を落としつつわたしは2人の会話を聞いていた。くるくる回していたスプーンがカップに当たってやけに大きく音が聞こえた。バジルくんがいないとこんなにも静かだったっけ。

「正直、赤ちゃんってうるさいわねって思っていたんだけど、いなくなると寂しいものね」
「うむ。この静けさが、いかぬのじゃ。もっと騒がしくないと」
「そうね。今日は飲んで騒ぎましょうか?」
「それは良いのじゃ」
「明日から北の塔に通うんだよ。大丈夫なの?」

 コーデリアとルパートはそんな事お構いなしに地下室かのセラーからビールのたるを持ってきて飲みだす。わたしは仕方ないなぁと思いつつも、いそいそと立ち上がっておつまみを作り出した。とりあえずピクルスを切ってガラスの器に盛る。テーブルの上に置かれたピクルスをコーデリアがフォークに突き刺し、ぽりぽり音を立てて噛む。
 塩漬けの豚を薄切りにして網焼きで焼く。ぱちぱち脂が滴り落ち、その音にコーデリアが涎を垂らした。それと同時に鍛冶屋さんで作ってもらった四角いフライパンで玉子焼きも作る。隠し味にお砂糖と醤油を混ぜる。仕上げにほんの少しフライパンに醤油をたらした。お醤油の焼ける匂いって食欲をそそるよね。胡椒を振った塩豚の網焼きと玉子焼きを置くと待ちきれないとばかりにコーデリアが取ろうとしてルパートとフォークを使った取り合いをはじめた。

「いかんのじゃ。酒が進んでしまうのじゃ」
「そうねぇ~。そろそろビールをやめて蒸留酒といこうかしら」
「それは良いのじゃ。あき、持ってくるのじゃ」
「――はいはい」

 ぱたぱたスリッパをはいたまま、地下室からブランデーを取ってきた。ルリタニアにあるバーデン地方の街レミュザ産のものだ。ブロア3世とラベルに書かれていた。ルパートの好みらしい。わたしには良く分からないんだけどね。でも高いんだよ。金貨10枚もするの。金貨10枚だよ。いったいこれ1本で何か月分の食費になるのかな? 1日の日当が銀貨1枚ぐらい、30日で銀貨30枚。金貨にすると3枚ぐらいかな。と言う事は3ヶ月でもまだ足りない。婚約指輪じゃないんだから、お酒1本に給料3か月分というのはどうだろう? 取ってきながら、ブランデーってどんなおつまみが合うんだろうなんて事も考えてる。飲んだ事がないから分からないんだよね。

「はい。持って来たよ」

 そう言ってテーブルの上に置いた。パントリーからグラスも2個取ってくる。それからとりあえず、胡桃だとかピーナッツのバターいため。つまりバターピーナッツなんかを作って置く。考えていても、あ~良く分かんない。仕方ない。クロックムッシューでも作るか。パンの耳を切り落として、ハムとチーズを挟みバターで焼いた。まあ、こんなものでしょ。切り分けてことっと置いた。
 ちらっと2人の様子を伺うと、クロックムッシューを齧りながらブランデーを飲んで、騒いでる。2人ともお酒強いなぁ~。その後、しばらくして眠ってしまったコーデリアを抱きかかえ、千鳥足のルパートを支えながら寝室へとつれていった。コーデリアは小さいから平気なんだけど、ルパートは重たいの……だって身長が2m近くあるんだよ。大きいよね~。ルパートのお兄さんたちも似てるのかなぁ?

 翌朝、あ~う~っと頭を振りながら2人が起きてきた。コーデリアなんかは目つきが悪くなってる。元々寝起きは悪い方だったけど、今朝はさらに凶悪っぽく見える。どうしたものだろう。コーヒーを立てながら考える。

「おはよう。ほらほら、起きて」

 ぐらぐら揺れてる2人を椅子に座らせた。2人ともぐったりしてるよ。しょうがないなぁ。

「おはようなのじゃ」
「おはよう、あき」

 2人の前にコーヒーを置くとずずっと音を立てて啜りだす。コーデリアもブラックで飲んでる。この間まで苦いのじゃ。とかいってお砂糖にミルクまで一杯入れてたのに。いつのまにブラックで飲めるようになったんだろう。

「朝ごはん食べられるの、かな?」
「あ~。いらぬのじゃ」
「あたしもいいわ……」

 2人ともぐったりしてる。気力が湧かないらしい。でもあと2時間もしたらきっとお腹も空くだろうから、簡単なサンドウィッチなんかをお弁当のついでに作って持っていかせることに決めた。ぱぱっと作ってしまう。ハンカチに包んで2人に持たせる。

「いってらっしゃーい」
「あ~行ってくるわね……」

 ルパートを送り出す。コーデリアはまだ椅子の上でへたっていた。

「ほらほら、コーデリアも今日から北の塔へ行くんでしょ?」
「あ~行きたくないのじゃ……」
「だめだって、ジュリエットさんにも怒られちゃうよ」
「あ~ジュリエットなぞ。怖くないのじゃ……」
「だめだめ。ほら起きて!」

 さかさか起こして、コーデリアも送り出す。ようやくわたしはほっと息をつく。あーわたしも用意しなくちゃ。2階にある自分の部屋へと昇っていき、部屋から用意していたかばんを背負う。部屋を出る前にもう一度鏡を見て、身だしなみを確認する。

「うん。髪も大丈夫。服装もOK」

 鏡に映ってる自分の姿を見た。長い髪はちゃんと櫛が入れられていて、まとまってる。う~ん、短くしたいんだけどなぁ。どうしようかなぁ? 服も青いストライプの入ったキャミワンピースの上にアビを羽織ってる。わりとノエルは寒いの。厚手の上着は必需品なのだ。

「あっ、靴を履くの忘れてた……」

 いけないいけない。家の中ではスリッパばかり履いてるものだからついつい忘れちゃう。ベットの下に置いている編み上げブーツを履いた。よし、これでOK。さあ、わたしも行こう。
 意気揚々と部屋を出た瞬間、ふと思い出した。あれっ? マルセル起きてきたっけ? う~んと悩んで、そおーっと部屋を覗いた。マルセルはまだベットの上で眠っていた。はあっ、ため息をつく。
 酔いつぶれていたコーデリアもルパートも自分で起きてきたのに、マルセルったら!
 ずかずか部屋に乗り込んで、まくらを引っぺがす。

「こらー。起きろー!」

 ついでにまくらで頭を叩く。もぞもぞとシーツの中に入り込もうとするマルセルをシーツごとベットの下へ落とす。このまま踏みつけてやろうか、なんて考えが浮かんできたけど、それはやめておいた。薄目を開けて恨みがましい眼で見てくる。

「ほらほら、起きて。今日から北の塔へ行くんだよ。早く起きないと知らないからね」
「後から、行きますからもう少し寝かせてください」
「そういう訳にはいかないの、家の戸締りもしなくちゃいけないんだから!」
「じゃあ、鍵を置いといて下さい。掛けていきますから……」
「それは断る。鍵は渡せないの! ルパートからわたしが預かったんだから」

 マルセルはもぞもぞしながら「融通が利かないですね」なんて言い出す。まったく好き勝手な事を言って! わたしはまくらをマルセルのお腹に押し当てて、おもいっきり殴った。どんっと衝撃がお腹に当たる。ぐえっなんて悲鳴を上げて蹲るマルセル。

「早く起きないともう1発いくよ」
「起きます、起きますから」

 そう言ってマルセルはごそごそシーツから顔を出した。じとっとした顔で見てくる。

「何かな?」
「着替えたいので部屋から出て行ってくれますか?」
「なっ、――ふーんだ。早くしてね」

 大きな音を立てて部屋から出た。ふーんだ。玄関でマルセルが出てくるのを待つ。
 ……中々でてこない。むー。もう。いらいらしちゃうなぁ。
 ようやく階段から下りてきたマルセルが台所へ向かおうとするのを止める。

「どこへ行くの?」
「いえ、朝食を食べようかと……」
「もうないよ。片付けちゃったから」
「どうしてですか!」

 自分の事を棚に上げて、さも被害者面をして怒っているマルセルを見て、なんだか物凄くむかつく。ぶつぶつ言ってるマルセルに向かってつーんと冷たい口調で言い切る。

「起きてこない人が悪い。そんな事よりはやく北の塔へ行くよ。ほら早くしなさい」

 追い立てるようにしてマルセルを家から追い出して、鍵をかける。庭を横切るともうすっかり秋の気配がする。マルセルを追い立てつつ敷地から出て、門にも鍵をかけた。
 北の塔を目指して、てくてく歩いてる。道を荷馬車が忙しそうに走ってた。やっぱり早朝から働いている人も多いよね。そうこうしてるうちにクレージュ通りとラップ通りの交差点を渡った。もう目の前に北の塔がある。やっぱり大きいなぁ~。ぼーっと見ながら歩いていたら、どんっと誰かにぶつかってしまった。

「あっ、ごめんなさい」
「気をつけなさい」

 ぶつかった相手は青っぽい鎧を着た女性の騎士さんだった。青っぽい鎧はよく街で見かけるんだけど、確かどこの所属だったっけかな? それにしても女性の騎士がいたなんて、騎士っていうと男性のイメージがあったんだけどな~。
 お詫びを言ってぺこっと頭を下げた。騎士さんはにこっと笑ってそのまま立ち去っていく。その後姿を見ながらうっとりしてしまった。なんか格好よかったよー。う~ん、なんていうの凛々しい? 青みがかった銀髪。青い瞳。すっと通った鼻筋に引き締まった口元。いいな~。アレットちゃんにも教えてあげよう。あっ、名前はなんて言うんだろう。聞くの忘れてた。しまったよ~。

 北の塔の門を潜る。校庭には知った顔がちらほらと見える。
 でも……アレットちゃんやイングリットさんなんかは寮に住んでいるし、マリーちゃんを含む通学組の人達のは馬車や馬に乗ってやってくる。歩いてるのはわたしやマルセルぐらいだ。馬車に乗って通いたいっていう訳じゃないんだけど、1人はさびしーよー、くっすん。
 教室につくとさっそくとばかりにアレットちゃんが話しかけてくる。よくもまあ話すネタがつきないものだよねと思うほど、話し出すと止まらない。そうこうしているうちにマリーちゃんも姿を現して、わたし達の席にやってきた。

「おはようございます。あきちゃん、アレットちゃん」
「おはよう」
「おっはよー」

 わたし達は仲良くお話しをしているんだけど、なんだか周囲に少しずつ近づいてくる輪ができていた。みんな女の子ばかりだ。わたし達を取り巻くように近づいてきた。

「は、はじめましてかしら、私はエリーゼ・フォン・シュトライトと申しますのよ」
「わたしはローリー・フォン・プレスフィールドですわ」

 輪の中から2人の女の子が一歩前に出てあいさつをしてきた。なんだろう、2人とも同じような雰囲気を漂わせてる。なんといおうか貴族? そう貴族階級を前面に押し出している感じだった。う~んマリーちゃんやルパートでもこんな感じは表に出さないのに。でもちゃんと挨拶はしておかないとね。

「はじめまして、あき・フォン・ターレンハイムです。これからよろしくお願いします、ね」

 にっこり笑って挨拶をする。にこにこっと笑うとなんだか、彼女らの顔が引きつった。どうしてだろう? そんな風に考えていると、そそくさと彼女らは立ち去っていった。それに合わせてさっと輪も潮が引くように散っていく。

「あきちゃん、あきちゃん。あきちゃんって、ものすごく余裕があるよね。やっぱりターレンハイム家の人だから?」
「えっ? なに? なんのこと?」

 そう言ったら、アレットちゃんだけでなくマリーちゃんも苦笑を浮かべる。

「彼女たちはあきちゃんに先制しておこうと考えていたのですわ。でも見事にかわされてしまったようですわ。お見事ですこと」
「そんなつもりはなかったんだけど……」
「その余裕ですわ。彼女たちにない物は。身分にこだわっているあの方たちにとって、自分たちよりも上で、なおかつ身分を飾らない方ってより身分の差を感じさせられてしまうのですわ」
「そういうものなのかな~?」

 よく分かんないよね。でも、ルパートは身分をひけらかしたりはしてないよ。あっ、でも……マルセルはひけらかしたりしてたっけ? あーそうか、ターレンハイムってルリタニアの侯爵家だから、貴族社会でもかなり上の方なんだ。その上には公爵とか国王しかいない。それにルリタニアは大きい国だから、下手をしたら斜陽のカルクス王国の王族より、裕福かもしれない。そう考えるとイングリットさんの言った言葉が実感できる。それにさっきの挨拶を聞いた女の子たちがちらちらわたしを見ているし、困った物だよねぇ。

 そうこうしているうちに授業が始まろうとしている。北の塔にはいくつかの学部があって、剣術や体術を含む剣士科、ダグラスはここに所属してる。魔術師を養成する魔術科、イングリットさんはこっちね。そしてわたし達が所属する錬金術のクラスがある。2年間の普通課程の間に他の科、たとえば魔術を学ぶ事もできる。たいていの人はいろんな科目を受ける。錬金術だけとか魔術だけっていう人の方が少ないらしい。
 初日という事もあって、授業は基本的な諸元素の組み合わせと説明のみで終わった。この辺りはコーデリアに教わっていたから、分かるけど、専門的なことになるとさっぱり分かんなくなってしまう。ちゃんと授業は受けておかなければならないなぁと思う。
 そんな中でジュリエット導師が使い魔の話をする。まだ先のことになるだろうけど、動物を捕まえてきて使い魔にする人も出てくるだろうなんて言う。
 ――捕まえる? 呼び出すんじゃないの?

「えーっと、使い魔というものは、自らの力を証明しなければ使い魔になってもらえませんからね。一番手っ取り早いのは捕まえてくる事です。それも自分の力で戦って。他の人が捕まえてきた動物を使い魔にできた例はないですよ。その辺りは覚えていてね。そして一番確実なのは動物を赤ん坊の頃から育てて、その子を使い魔にすることですね。これなら育てているうちに動物から懐かれますし、愛情も育ってますから容易く使い魔になってくれます。どちらがいいかは人それぞれです」

 教室の中がしーんとなる。自分の手で捕まえてこなくちゃいけないの? なんてみんな同じような事を考えているんだろうなぁ。
 そのあとで、錬金術にも魔力は必要で自分の魔力を高めるようにしないと高度な調合はできませんから注意するようにと、忠告している。がーんっとショックを受けた。わたし、この世界の生まれじゃないから基礎的な魔力そのものが少ないの。どうしよう? こまったなぁ~。
 授業が終わった後、ぼーっと考え込んでいたら、いつのまにかアレットちゃんが傍に来てて、「どうしたの?」って聞いてきた。

「う~んっとね。わたし基礎魔力が少ないの」
「そっか~。そうだ。コーデリアさんかイングリットさんに魔力の高め方を教えてもらったらどうかな?」
「あっ、コーデリアがいた。そうそう教えてもらおう」

 がんばるよー。とばかりに拳を振り上げる。アレットちゃんも一緒になって手を上げた。そんなわたしとアレットちゃんをみてマリーちゃんがくすくす笑ってる。

「わたしもがんばりますわー」

 なんて手を上げた。そうしたらなんか教室中の女子が手を上げだす。それからクラスの女の子たち全員でお茶を飲みにテラスへと向かう。女の子が20人も集まるとかしましい。お茶を飲みながらおしゃべりしてる。お茶会の席にはエリーゼちゃんとローリーちゃんも一緒に来てた。なんやかんやとマリーちゃんやわたしに話しかけてくるんだけど、他の女の子には見向きもしない。こまったな~。彼女たちの相手ばかりしてられないし、他の女の子たちともお話したいのに。無視するのも問題あるしうっとうしいなぁ。でも彼女たちを少しずつうまくかわしていった。
 そうして2杯目のお茶を飲む頃になってようやく他の女の子たちとお話できるようになる。あれやこれや話しかけると少しはにかんだ感じで話してくる。でもすぐにそれを遮ろうとするエリーゼとローリー。はあっとため息をついて怒る。

「いい加減にしてくれないかな? エリーゼ、ローリー。貴方たちだけがいるわけじゃないんだよ。他の人にも迷惑でしょ」
「なっ!」
「えっ?」

 鳩が豆鉄砲を食らったみたいに驚く。なによその被害者面は? つぅっと涙なんか流してる。そんなの女同士で通用するわけないのにどうして泣くかな? なんかお茶会が嫌な空気に包まれちゃった。もう一度ため息をついた。うっとうしいなぁ~。

「もう帰って」

 そう言って2人を追い出す。ぐすぐす泣きながら立ち去っていく。でも、これから逆恨みしてわたしの邪魔をする気なら、全力で潰すからね。その後、嫌な空気が流れているお茶会の隣をお気楽な顔をしたダグラスが通りがかる。

「おーい。ダグラス」

 大声で呼ぶときょろきょろと辺りを見回して、ようやく気づいたのか、とことこ近づいてきた。女の子の集団を前にして脅えるダグラスの腕を掴んで無理やり席に座らせる。ふふっ良く来た。かわいそうだけど君には生け贄になってもらおう。アレットちゃんに目配せするとわたしの思惑が分かったのか、ふふっと笑う。

「ダグラスさんはとってもお強い剣士さんなんですよ」

 と、マリーちゃんまでわたし達と一緒にダグラスを弄りだした。しばらくダグラスをいじめているうちに嫌な空気が消えていく。でも、内心みんな蟠りがあるんだろうな~。これからたいへんだよ~。



[21687] 第10話 「コーデリアと毛糸のパンツ」
Name: T◆9ba0380c ID:1f420729
Date: 2010/09/20 20:52

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 第10話 「コーデリアと毛糸のパンツ」

 茜の月、秋である。食べ物のおいしい季節。今日も今日とていそいそと食事を作る毎日であった。
 北の塔での授業はまだ基礎的なことばかりで、マリーちゃんやアレットちゃんも含めわたし達はコーデリアに魔力の高め方を教えてもらい、日々努力していた。……といっても毎日1時間ぐらい瞑想しるだけなんだけどね。イメージを固定するのは大変なのだ。慣れれば簡単じゃとコーデリアは言うんだけど……。基礎的な魔力の少ないわたしとしては中々うまく行かないのだ。

「ふむ。あきは神聖魔法の使い手なのじゃから、神聖魔法を使うつもりで魔力を発揮してみると良いと思うぞ」
「うん。試してみるね」

 部屋の床に座って目を瞑る。意識を集中して神聖魔法を使う。
 あっ、なんかイメージが湧いてきた。だんだん女神様の姿がはっきりと浮かんでくる。ああ~なんというやさぐれたお姿。なんでするめを齧ってるの? 手に持った湯飲みと一升瓶はなに? あぐら組んでるし……。「けっ」ってなによ。けっ、て、もしかしてわたしのイメージの中にいる女神様ってこんな感じなのだろうか? もっとこう、神々しいお姿とかじゃないの? でも魔力はどんどん溢れてくる。女神様が酔ってるからだろうか後から後から溢れてきて止まらない。どうしようどうしよう。たらたらと汗が滲んできた。

「あき。どうしたのじゃ? 魔力を抑えよ。目を開けるのじゃ」

 コーデリアの声になんとかがんばって魔力を止めた。はあはあと息が荒くなってしまう。息を整えながらゆっくりと目を開けていくと心配そうに覗き込んでいるコーデリアの顔が飛び込んできた。

「ああ、女神様がお酒を飲んで酔っ払ってた」
「なんじゃそれは?」

 コーデリアの頭におっきなはてなマークが浮かんでる。さっき浮かんだイメージをコーデリアに話すと大笑いする。ばしばし背中を叩かれた。ぶー。コーデリア笑いすぎ。

「ぶーぶー」
「おぬしのイメージする女神とはそんな感じなのか? 今までそんな話は聞いたことないのじゃ」
「でもでてきたんだよ」
「それはおぬしが女神をそんな風に思っているからじゃ。それにしても先ほどの魔力は凄かったのじゃ。さすが神聖魔法なのじゃ」

 ベットの上で転げまわってるコーデリア。わたしはよっこらせと起き上がってコーデリアを見下ろす。ふーんだ。

「コーデリアの夕食はおかずを1つ減らすからね」

 わたしがそう言うとコーデリアの顔が真っ青になった。ガガーンと擬音が聞こえてきそう。

「ひどいのじゃ。横暴じゃ。わらわは悪しき権力には断固として戦うのじゃ! とりゃあ~」

 コーデリアが飛び掛ってくる。2人してベットの上でごろごろ転がっていた。
 ひとしきり戦った後で2人で夕食のお買い物に出かける。
 外に出た途端、ぴゅ~っと吹く風に煽られた。

「うっ、風が冷たい」
「夏が終わるとノエルはすぐ寒くなってしまうのじゃ」
「うう~秋はどこへいったぁ~」

 ラップ通りの商店街で買い物をしていると大きな袋を抱えたアレットちゃんと出くわす。なんだか会うたびに大きな買い物袋を抱えてるような気がするんだけど。

「それはあきも同じじゃ。いっつも買い物袋を持っておるではないか」
「それは……ごはんの支度があるから……」

 コーデリアと道端で立ち止まって話をしてたら、アレットちゃんがわたし達に気づいて近づいてきた。

「あれっ、あきちゃん、コーデリアさん。どしたの?」
「いや、おぬしこそどうしたのじゃ。そのおおきな荷物は?」
「あっ、これ? これはね、じゃ~ん。毛糸なのだー」

 アレットちゃんが大きな袋から毛糸を取り出してみせた。いろとりどりの毛糸が一杯詰め込まれてる。

「どうしたの、そんなに一杯買ってきて」
「マフラーでしょ。セーターでしょ、それに帽子も編もうかと思ってるんだぁ」
「そんなに一杯編むの?」
「毎年だからね。それに……」

 アレットちゃんがわたしの耳元で小さな声で囁く。

「ああ、そうかそうか。それがあったかぁ~」
「なんじゃ?」

 不思議そうな表情を浮かべるコーデリアにそっと囁く。ほら、毛糸のパンツだよ。

「わらわも欲しいのじゃ!」

 いきなり大声を出してアレットちゃんにねだる。目をぱちくりさせて驚いてるアレットちゃん。もお~恥ずかしいなぁ。

「はいはい。コーデリアにはわたしが編んであげるからね」
「早くするのじゃぞ」

 コーデリアが目を輝かせてえらそうに言ってくる。

「じゃあ、編み方の本を貸してあげるよ」

 そう言うアレットちゃんに編み方の書かれた本を借りる事にする。それからわたし達は毛糸を売ってるお店へと向かい。どれが良いかと話し合っていた。

「わらわは大人の女じゃから、黒なのじゃ」
「大人の女はそもそも……」
「穿かないんじゃないかな?」

 わたしとアレットちゃんがぽつりとこぼす。どうなんだろうね?
 首を捻りつつコーデリアの言うとおりに黒の毛糸と他にもいくつか買って帰る。

「じゃあ、あきちゃん。また明日ね」
「うん。帰ったら編み始めるから、分からないとこが教えてね」
「はいはーい」

 手をふってアレットちゃんと別れた。
 台所に買ってきた荷物をおくと椅子に座っていそいそと編み始める。コーデリアも一応チャレンジするみたいだ。編み棒を持って毛糸と格闘してる。2人して編み方の本を見ながらあみあみ。

「結構難しいね」
「うむ。さっぱりなのじゃ」

 う~んと唸ってる。

「ところであき、おぬしは何を編むのじゃ。わらわの毛糸のパンツを当然としてじゃ」
「マフラーかな?」
「誰に編むのじゃ?」
「ひみつ」
「彼氏ができたのか?」
「ノーコメント」
「ふむ。実はバジルにじゃろう。……他に編んでやる相手がおらぬのじゃ。哀れな事なのじゃ、よよよ~」

 わざとらしく泣きまねをしてるコーデリア。やっぱり今晩の夕食はおかずを1つ減らしてやろうと思う。

 翌日。授業が終わったー。
 わたし達は教室の片隅でいそいそと『コーデリアの』毛糸のパンツを編んでる。アレットちゃんはともかくとしてマリーちゃんまで編み棒を持って編んでた。

「凄いスピード」
「なんて速さなの。マリーちゃん恐るべし」

 わたしとアレットちゃんはマリーちゃんの手元を見ながら驚いてる。なんという速さであろうか?あっという間にどんどんと編まれていく毛糸。

「マリーちゃん。君が一番だ」
「できましたわ。じゃーん。コーデリアさんの毛糸のパンツ!」

 マリーちゃんが大きな声で毛糸のパンツを両手に持って言った。その声に教室に残っていた学生たちが振り返った。ひそひそと小声で囁きあってる。あ~あ。
 さっそくコーデリアの元へ持って行こうとするマリーちゃん。わたし達はまだ出来てないからと言ってなんとか押しとどめる。まだ半分も出来てないんだよ~。

「わたしだっておんなじだよ~」
「マリーちゃんが早すぎるんだよ」
「そうだよねぇ……」

 ちらっとマリーちゃんの様子を伺うと今度はマフラーを編んでる。やっぱり早いよ。
 結局出来たのは結構遅くなってからだった。それだってマリーちゃんに手伝ってもらったからなんだけど……。3枚の毛糸のパンツを見ながらわたし達はほっとため息をついていた。

 さらに翌日。毛糸のパンツを穿いているコーデリアが教壇の前にやってきた。
 男子たちがひそひそと言葉を交わしている。その様子に気づいたコーデリアが不思議そうな顔で目の前に座っている男子に問いかける。

「一体どうしたのじゃ?」

 男子がコーデリアから視線を逸らしつつ「毛糸のパンツ」とボソッと呟く。その途端、教室内で笑い声が上がる。真っ赤な顔で教壇に立つコーデリアは、ギギッと音が聞こえそうになりながらも首をまわして、教室内を見回す。

「わらわの秘密を知った者たちは生かしておけぬのじゃー!」

 巨大な魔力が膨れ上がり教室内に溢れかえった。
 爆発する魔力。閃光が教室内で爆発する。一瞬後、けほけほと咳き込みつつ窓を開ける。煙が外へと流れていった。そして振り返ったら、机の上に臥せっている男子たち。コーデリアの魔力は教室内にいた全ての男子を直撃し、KO。してしまっていた。

「YOU WIN」

 アレットちゃんが、教室内を見回してコーデリアに向かって言った。コーデリアが両手を振り上げて勝利の雄叫びを上げる。

「わらわの秘密は他言無用なのじゃ!」
「イエッサー・マム!」

 教室内にいる女生徒が声を揃えた。



[21687] 第11話 「女神の祝日。クラリッサ登場」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/10/08 22:47

 第11話 「女神の祝日。クラリッサ登場」

 ―――茜の月。
 茜の月を守護するのは、コルデリアという名の女神である。
 婚姻とか、男女の愛を司るといわれている。これが何を意味するのか……? つまり、この月には結婚式が多い。もっとも、農業主体の村とかは忙しい時期でもあるから、そんなに多くは無いけど……。
 それでもノエルなんかの街では毎日のように結婚式が行われている。コルデリア神殿では、あまりの忙しさに目を回しているらしい。日によっては、一日に2件、3件と行う事もあるそうです。ルパートから聞いた。普段は違う神様にお祈りしている人たちも、結婚式だけはコルデリア神殿で行う人も多いらしい。
 茜の月に入ってからというもの、ノエルの街でもあちらこちらで結婚式が行われて、街はなんだか幸せ色に染まっている。どちらかというと一人身には辛い季節である……。
 ふ~ん、いいんだ。などと強がりを言ってみても始まらないので、コーデリアと一緒になって街中をぶらぶら歩いてみたりしていた。

「ところであきは、女神の祝日には誰にクッキーを送るつもりなのじゃ?」
「う~んとね。ルパートでしょ。ダグラスでしょ。他にもほら、事務所の人達にも贈ろうかなって思ってる」
 
 それと……もう1つ、この月には女神の祝日と呼ばれている日がある。
 実際に祝日な訳ではなく。通称であり、一種のお祭騒ぎでもある。いったい、どんな事をするかというと……。
 ぶっちゃけ、バレンタインデーと同じである。……この世界でもお菓子業界というより、砂糖を売っているギルドと、コルデリア神殿が手を組んで行い始めたそうなんだけど。お金儲けのネタはいずこも同じ、ということでしょうか?
 という訳で、わたしとアレットちゃんとマリーちゃんを合わせた3人はお菓子作りに勤しむ事になった。
 
 この世界でも義理だ。本命だ。とかは、あるらしい。仕方ないよね……。チョコレートはないから、クッキーだそうだ。毎年この時期になると、街のお店では綺麗なリボンだとか、布なんかを大げさに軒に並べる。
 それに群がる女の子を見ていると元の世界で、チョコの売り場に群がっている女の子を思い出して、少しホームシックに囚われそうにもなった。
 しかし自分が作る側に回るとは思ってなかったなぁ……。
 小学校、中学の時は夏恋に貰ってたし、高校の時はクラブの女の子に義理で貰った。まるでお中元やお歳暮の様だったけど……。
 わたし達はアレットちゃんとマリーちゃんの二人と待ち合わせをしていた。
 というのもマリーちゃんがマルセルに贈るためのクッキー作りに協力して欲しい。と言い出したからだった。

「マリーちゃんの家にもコックさんがいるんでしょ? その人に教わったら?」
「えっ、でも……コックに作ってもらうとお店で売っている物と変わらないんですよ?」

 それのどこが悪いのか分かんない。それに……マルセルのどこが良いのかも分からないし。わたしとアレットちゃんは顔を見合わせて首を捻ってしまう。

「う~ん。でもねぇ」
「とにかく。特別なクッキーが作りたいんですのぉ~!」
「まあ、いいかなぁ?」
「いいんじゃない。どうせあたし達も作るんだし、ね」

 マリーちゃんの勢いに押し切られる格好でわたし達はクッキー作りに勤しむ事になってしまったのである。
 わたしの家の台所に集まってテーブルの上でクッキーの種を混ぜている。常温に戻したバターとたまご。小麦粉を3回篩って、よく混ぜ合わせる。わたしはアーモンドを混ぜ込んだクッキーを作っているんだけど、アレットちゃんはレーズンを混ぜて、マリーちゃんは普通のバタークッキー?

「あの~、マリーちゃん? それは何かなぁ~教えて」

 物凄く大きなハート型のクッキー。直径50cmはありそう。そんなのオーブンに入らないよ。

「ええーそんなぁ~、なんとかなりませんの?」

 麺棒を握り締め、なみだ目になって言ってくる。わたしとアレットちゃんが腕組みしながら考え込んでいる。
 その大きさを見ているとなんだか、チャレンジャー精神が刺激されてしまう。無理だと思えば思うほど、それを覆してみたくなる。しばし考える。そうして思いついた。ぽんと手を叩く。

「簡単に言えば、要するにオーブンは密閉された竈なんだよ」
「うん、改めて言われてみると確かにそうだよね。でも、だからなに?」

 アレットちゃんが突っ込み。マリーちゃんはキラキラした目でわたしを見てくる。うんと頷いて続きを話す。

「だから、庭に大きな囲いを作ってそこで焼こう! 燻製を作ると思えば大丈夫!」
「おおー!」

 さっそく、二人を連れて庭で大きな囲いを作り出した。木の板を組み合わせて、密閉された大きな箱。地面が剥き出しだから、火は焚ける。両壁に天板を取り付ける溝を刻んで完成。簡単だけどこんなものでしょ。
 マリーちゃんの作った大きなクッキーに合わせてわたし達も同じような大きさのクッキーを作ると中に放り込んだ。前の板を外したとき、物凄く熱かった。時間は短めで良いかも……。
 焼ける間に普通のクッキーの型を抜く。アレットちゃんはごそごそと持って来ていた型を取り出すと見せびらかしてくる。

「じゃーん、ゴブリンの型ー」
「なにそれ~。そんなのあるの?」
「どこから買ってきましたの? よく売ってましたわね……」
「需要があるのかなぁ~」

 わたしとマリーちゃんが型を見ながらぼそぼそっと呟く。他にもユニコーンだとか、ミノタウロスだとか、ヘンなのばっかり取り出してくる。

「ま、まあ、それにしても女神の祝日が近づくと雰囲気が華やいできますわね」
「そうだねぇ~」

 気を取り直したようにいうマリーちゃん。わたしも頷く。アレットちゃんがにんまり笑いながらわたし達を振り返る。

「そんな浮ついた雰囲気は上辺だけ! 女神の祝日は女の戦い!」
「お、おんなの戦い……?」
「それはまるで、クッキーでクッキーを砕くような!」

 拳を握り締めて主張してる。……恐ろしい、なんて自分で言ってるし。
 いくらなんでもそこまで殺伐としてはいないでしょ? 華やいではいるけどね。

「そんな甘い考えでは甘いクッキーしか作れないんだよ!」
「別にかまわないのではないでしょうか?」
「甘くて困るのかなぁ?」

 アレットちゃんの勢いについてけない。いーひっひっひ、なんて言いつつクッキーの種を混ぜてる。わたしとマリーちゃんが脅えながら台所の隅へ逃げた。あれじゃあ、まるで魔女のようだよ。

「そうですわ」
「いーひっひっひ。あたし、魔女だもん。あきちゃんやマリーちゃんもそうでしょ? 北の塔の女の子はみんな魔女だよー」
「うっ、そう言われると否定しきれない」
「確かに魔法を使う女性=魔女ですけど……」

 なんか一緒にされたくないと思う。わたしである。気にしないようにしながら生地をめん棒で伸ばしていた。それからいくつかの木型で型を抜く。鳥や魚、狼や……魔獣の型もあった。案外、型抜きというのは楽しい。ついつい夢中になって遊んでしまう。台所には甘い匂いが溢れている。

「あきちゃん、すごいですわ。そんなに配るんですの?」
「えっ?」

 マリーちゃんの言葉に手元を見た。ついつい、わたしも夢中になってしまっていたようで、気がつけば、繰り抜かれた大量のクッキーの生地が置かれてある。いつの間にこんなに作ってしまったんだろう? でも、……まあいいか。みんなに配ろー。魔獣の眼の位置に、赤い粒の砂糖菓子を乗せながら考えていた。
 赤い眼に、緑の角。砂糖菓子で彩られたクッキーの生地がさらに増えていく。

「うわ~凄い数」
「作っちゃったものは仕方ないよ。みんなに配ろう」

 出来上がった生地を台所のオーブンへと入れる。それから3人で庭へと向かい。あの大きなクッキーを取り出した。

「綺麗に焼けたね」
「上手くいきましたわ」
「あきちゃん、すごーい」

 3枚のクッキーを見ながら喜ぶ。うまくいってよかったよー。マリーちゃんが喜んでいるのを見て、真ん中から真っ二つに割って渡したくなるなぁ。ハートブレイクぽい奴の方がマルセルにはふさわしい。と思う。

「マリーちゃん、喜んでるねえ」
「そうだね。マルセルのどこがいいのか分かんないけど」
「あ~、あたしも最近分からなくなってきてる。でも、マルセルはともかくとして、あきちゃんは好きな人いないの?」
「えっ? わたし?」
「うん」

 う~んっと考え込む。……あれっ? でてこない。

「いないなぁ~。アレットちゃんは?」
「あたしもいないんだよねぇ~」
「はぁ」

 二人してため息をついた。まあいなくてもいいか。



 そんなこんなで女神の祝日の当日。
 わたしはルパートに綺麗にラッピングしたクッキーをあげた。なぜかコーデリアも欲しそう。その反応は想定の範囲内だったから用意していたクッキーをコーデリアにも渡す。むかつくからマルセルにはあげない。

「あら、あき。ありがとうね」
「うん。あっ、コーデリア。今あけちゃだめだよ。ちゃんとごはんを食べてからだからね」
「ううー、あきはいじわるなのじゃ」
「というか、コーデリアもあげる側でしょう?」
「わらわはいいのじゃー!」

 とまあ、こんな朝の風景の後で、北の塔へと向かう。
 北の塔についたわたしはさっそく、ダグラスにクッキーを渡しにいった。昨日作った直径50cmはありそうな大きいクッキー。

「ダグラス~、あげる~ぅ」
「お、おらにか、大きいべぇ」

 さすがにこれぐらいの大きさになるとダグラスにも大きく感じるのだろう。とっても喜んでくれる。反面イングリットさんは驚いていた。

「あき。これってどうしたの?」

 イングリットさんがちょっと引き攣った表情で問いかけてくる。

「実は昨日ね……」

 そう言って昨日の話を話す。聞いていたイングリットさんは目を丸くして驚く。

「マリーちゃんも結構、豪快さんなんだね」
「まさかこんなに大きなのを作ろうとするなんて思ってなかったよ。でも、どうやって焼くのか考えるのは楽しかった」

 そんな風におしゃべりしてたら、アレットちゃんが勢いよく走ってきた。

「ダグラス、これあげる~」

 勢いよく走ってきたアレットちゃんはクッキーを振りかざしているものだから、躓いて思いっきりダグラスの頭にクッキーを叩きつけてしまう。

「い、いたいべ……」
「ああ~! クッキーがぁぁぁぁ!」

 叩きつけられたクッキーは真っ二つに割れてしまった。うう~っとアレットちゃん、泣きそう。ダグラスが慰めてる。わたしとイングリットさんは二人してため息をつく。
 とっても大きなクッキーを二つ貰ってダグラスはうれしそうではあった。そんなダグラスを道を歩いてる男子生徒たちがちらちらと睨んでいる。なんだか黒い空気を纏っているんだけど……こわいなぁ。
 ああ……そうか、元の世界のバレンタインと同じで貰える人と貰えない人でくっきり明暗が分かれちゃうんだね。

 その日一日、北の塔でも微妙な空気が流れていた。
 マルセルはマリーちゃんに大きなクッキーを貰ってうれしそう。かと思えば、ふっと少し嫌そうな顔をした。なんで?

「あまりクッキーは好きではないんです」

 なんて言って、マリーちゃんもちょっと泣きそう。マルセルったら、マリーちゃんにしかもらえなかった癖にー。そんな事言ってるとマリーちゃんに嫌われちゃうぞ。後になって後悔しても遅いんだからね。
 がっくり肩を落としてるマリーちゃんを慰めた。

「うっうう~マルセルさん、いじわるですわ~」
「マルセルもなに考えてんだか!」

 アレットちゃんも怒ってる。仕方ないなぁっと思ってマリーちゃんにダグラスにはあげないの? と聞いてみた。ダグラスはとっても喜ぶからマリーちゃんもダグラスをからかえるし、なんて思ったんだよ。

「あ、ああー忘れてましたわ」

 がばっと起き上がったマリーちゃんは急いでダグラスの下へ向かっていく。後ろをついて行きながらアレットちゃんと話してる。

「もしかして今度はイングリットさんが怒り出すかも?」
「う~ん、急にダグラスも一杯クッキーをもらえるようになったしね」

 ダグラスの所へ向かってみれば、うれしそうに大きなクッキーを食べてるダグラスと周囲を威嚇してるイングリットさん。とってもこわい雰囲気だった。マリーちゃんの姿を見て、ダグラスは喜んでイングリットさんは相手がマリーちゃんだと分かると諦めたようにため息をつく。

「ああ、マリーちゃんでねえか」
「ああ、あんたらは仕方ないかぁ~」
「えっ? どうしたのですか……そうそう、ダグラスさん、クッキーをあげますわ」
「おら、うれしいべ」

 うれしそうに満面の笑みを浮かべて喜ぶダグラス。トラの耳がぴくぴく動いて、ひげも動いてた。照れるトラというのも珍しいものを見た気がするよ。ため息をつきながら周囲を威嚇してるイングリットさんには驚いちゃうけど。

「まったく、なんで急にもてるようになったんだか……」

 ぶつぶつ言い出す。わたし達と目が合うとどよんとした雰囲気で見返してきた。よくよく見ればダグラスの机の上にはいっぱいクッキーが並べられていた。いつの間にこんなにたくさん貰ったんだろう?

「なにがあったの?」
「なんだか山積みになってるけど」
「教室に来てからというもの女の子たちが本命のついでにダグラスにも渡してくるんだよ。もう全員からね」
「全員から!」

 ふわ~っとアレットちゃんが驚いて教室中を見回す。周囲ではちょっと困ったような笑みを浮かべて肩を竦める女の子たち。ひそひそと話をしてた。

「ま、まあ、ダグラスはうれしそうに食べるから、作り甲斐はあるけど……」

 そうフォローをしてみると周囲でうんうんと頷きだす。
 本命じゃないけど、一応あげようとは思うんだね。予定の中に組み込まれちゃう程度にはもててるという事なんだろう。まったく気にもされない男連中もいる中でこの状況はかなり人気はあるということかぁ~。ダグラスの行動を思い出してみる。……ああ~なんだかかわいいしね。人気があるのも分かる気がする。

「そういうのちょっと困るんだよ~」

 イングリットさんが泣きそう。あっ、『ダグラスは私の』って顔に書いてある。
 がっくり落ち込んでるイングリットさんをこれ以上刺激しないようにと、わたし達はそそくさとその場を去っていく。これ以上は揉めそうだし、けんかする気もないしね。

 そうこうしているうちに授業も終わってしまい。わたしとアレットちゃんはルパートの所へと向かった。事務所の人達にもクッキーをあげるのだ。てくてくと歩いて、すっかり顔なじみになった門番の騎士さん達にもクッキーを渡した。
 事務所の中に入ると、ロデリックさんに……クラリッサ王女もいたー!
 あわわわ……なんで?

 クラリッサ王女はノエル王家らしく金髪碧眼で、長い髪は後ろに引き詰められ、他の者とは違い化粧は薄く、口紅が塗られている程度だった。意志の強そうな眼。くっきりとした眉、すっと通った鼻筋。引き結ばれた口元。そのどれもが化粧をすれば、険が取れて美人になるだろうに……と周囲に惜しまれている。そしてクラリッサは取り立てて自分が美人だとは思っていなかった。18歳のクラリッサは凛とした雰囲気を身に纏い。周囲からは男であればと惜しまれるほど才気に満ちており、大臣達にもハッキリした物言いで恐れられていた。
 そのクラリッサ王女さまが目の前に……いる。
 わたわたと慌てるわたしとアレットちゃん。そんなわたし達の様子にロデリックさんとルパートが苦笑いを浮かべて見てた。

「はじめまして、ノエル王国第一王女。クラリッサ・ノエル。お噂はかねがね聞いていたわ。これからもよろしくお願いします」
「い、いえ。こちらこそ。よろしくお願いいたします」

 一国の王女に丁寧に頭を下げられ、慌てて挨拶を交わす。ルパートも来る事が分かっていたんなら、教えてくれてもいいのにー! ついつい心の中で八つ当たりをしていた。
 事務所の一角でわたし達のお茶会が始まる。
 テーブルの上には今までわたしが作ってきた和菓子やお菓子類などが並べられている。紅茶ではなくコーヒーだし、その他にも口にしていた物が、試作品として置かれていた。

「ねえねえ、あきちゃん。これなに?」

 アレットちゃんの目の前にはカレーライスが置かれている。お米は市場でわたしが見つけてきたものだし、レシピもわたしがロデリックさんに教えたものだ。いろいろ組み合わせてみたらしく、とてもおいしそうな香りが漂う。わたし達の前にも運ばれてきた。

「カレーライス。いろんなスパイスを混ぜ合わして作った粉を小麦粉とバターを炒めてルーを作ってね。ポトフみたいな野菜を見込んだものに混ぜたようなものかな? お米はワイルドライス系なんだけど、カレーのルーそのものは汁気が多いからちょうど良かったかもね」

 一口食べる。うん、おいしい。アレットちゃんが恐る恐るといった感じでスプーンで掬って口に運ぶ。クラリッサ王女さまは前の試作品を食べていたらしくて平気な顔で食べてる。

「か、辛い! 辛いよ、あきちゃん」
「うん、ちょっと辛めだね。ロデリックさんの好みなのかな?」

 がぶがぶとお水を飲むアレットちゃん。お水よりも付け合せを食べたら? と教えてあげるとマーマレードをスプーンで掬って食べた。

「ふぅ~、辛いよ~」
「ええ、ちょっと辛めですが、慣れればおいしいですよ。それに中に入っているスパイスは全て薬草ですので、体にも良いそうです。確かあきさんが、ロデリックに伝えたものらしいですね」
「ええ、ロデリックさんに教えたものですが、ほんとうまく作りましたね~。ルパートから聞きましたが、ロデリックさんに以前おにぎりを食べてもらった事があったらしくて、いくつか市場で探してきたそうです」
「ああ、お米で思い出しましたが、牡丹餅というのはおいしかったです。今日もここに並んでますけど」

 クラリッサ王女が、テーブルの上に置かれている牡丹餅を示すと、アレットちゃんが勢いよくフォークで突き刺して食べる。口に含んでむしゃむしゃと食べ、飲み込んだ。

「なんだか、変わった感じだよ。なんていうの周りの黒いものが甘くてねっとりしてて、中のお米がもちもちしてる。結構、癖になるよう~」
「あーあんこはね……。でも、食べ過ぎると太るよ」
「はぅ! それはいっちゃだめ!」
「……意外とお腹にずっしりときますから、1つ食べるだけで十分です。そう考えると土木工事などをしてらっしゃる方々には受け入れられそうです。カレーもそうです。ささっと食べられますし、汗もかきますから職人さん達には都合が良いかもしれません。作るのも簡単ですし」

 クラリッサ王女さまがスプーンでカレーを掬いながら言った。本物の王女さまがカレーを食べている光景なんて初めて見た。結構驚きだよ。

「確かに大量に作れますしね。失敗も少ないし、工事や職人さん達には便利かもしれませんね。もしかして今日ここに出してきたものをそういった現場に持ち込もうとしていらっしゃるのでしょうか?」

 そう言ったら、クラリッサ王女さまの目がキラーンと光った。その上探るような目で見てくる。

「ええ、そうしようと思っております。おにぎりにしても食べるのは簡単ですし、作るのもです。大量生産に向いています。その上体にも良いのでしょう?」
「スパイス類は生薬ですから、少量ずつとるのは慢性的な病にも効果があると思います」

 カレーを食べ終わったクラリッサ王女さまがコーヒーを飲みながら、わたしの方を見てくる。こわい。なんだろう? 物凄く怖いんだけど?
 じっと見つめてきたかと思ったら、にっこり笑って身を乗り出してくる。

「あきさん。あなたには我がノエル王国の為に協力していただきます」
「えっ? そ、それは……ルパートに相談してみなくては私だけの判断ではお答えできません」

 必殺! 責任転嫁。ルパートに押し付けよう。ルパートごめんね。

「ええ、もちろんターレンハイム伯爵にも協力していただきます。ですが、あきさんにも協力していただきたいのです」

 あわわわわっ、蛇に睨まれた蛙の気分。どうしよう困ったなぁ。ここでOKするのは拙いような気がする。だから断ろう。後で改めてルパートと相談して欲しいよぅ。
 わたわたしてるわたしをにこにこした目で笑いながら、視線をずらしクラリッサ王女さまはあっさりと立ち上がると「考えておいて下さい」と言い残して部屋を出て行った。
 どっと椅子に座り込むわたし。はあっと深くため息をつく。汗がだらだらと流れてくる。こわい。怖すぎる。口は災いの元って本当だよね。言い過ぎたよ。絶対わたしの事疑ってる。それとももっと他に狙いがあるんだろうか?

「クラリッサ王女さまって……なんだか、お姉さまって感じがする~」

 アレットちゃんが目をキラキラさせて感動してる。今にも踊りだしそう。
 ――お姉さまっていうより、魔女だよ。ぜ~~ったい危険な感じがするよ~。でもなんだろう。なんだか胸がどきどきする。あ~顔が熱くなってきたし……。

「あきちゃん、顔が真っ赤だよ。実は惚れた?」
「そ、そんな事ないよー」

 ないない。そんな事ない。
 アレットちゃんにからかわれながらわたわたしてるわたしであった。
 これからクラリッサ王女と関わらなくっちゃいけなくなるかと思うと頭が痛くなってしまう。どうしよう?




[21687] 第12話 「女神の祝日 後編 子犬が我が家にやってきた」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/10/09 22:24

 第12話 「女神の祝日 後編 子犬が我が家にやってきた」


 クラリッサ王女さまが帰った後で、わたしはさっそくとばかりにルパートに八つ当たりをしてしまった。
 どうして教えてくれなかったの? とさんざん泣き喚いている間にアレットちゃんも帰ってしまったらしい。それに関しては悪い事をしたと思う。けどね、クラリッサ王女さまはどうしても強気で向かい合えないんだよぉ~。と泣いてしまった。

「あきにも苦手な人っていたのね?」
「苦手というより、うう~っ。どきどきするんだよぉ~、なんで~?」

 ぐしぐし涙ぐむ。
 泣き終わった後で、ルパートがクラリッサ王女がやってきた理由を話してくれた。なんでもノエル王国は経済的に苦しいらしい。今はまだ表に出てないけど、近いうちに不況の嵐が吹き荒れるだろうと、クラリッサ王女だけでなく。ルリタニア王国でも推察しているらしい。それでまだ表に表れていないうちに何とかしようとしているそうだ。その為にルリタニアとの取引や経済対策なんかを話し合う為にやってきたと言う。

「あき、なにかいいアイデアはないかしら?」
「わたしも経済関係は疎いよ……」

 と、一応断っては見たものの、何でも良いからといわれて考えてみた。あっ、でも、どうしようかなぁ~。とさんざん悩んだんだけど言うだけは言ってみようと思って、元の世界のお金の取引の話をしてみた。金融取引とか、株式とか先物取引とか……新聞で読んだぐらいしか知らないけど、話をするとルパートが思いもかけず食いついてくる。特に金融取引と株式の話なんか、すっごく考え込んでいる。

「今現在はあきのいうような銀行はないのよ。かわりにロパート兄さんの盗賊ギルドが商人から金を預かって、その金を他に貸す事で利益を上げているの。兄さんに今の話を伝えてみるわ。それに貴族の領地から上がる収入をも『銀行』と言っていったかしら、そこで取引する事が出来れば、利益は今より遥に上がる」
「貴族が金を使う時に小切手みたいなのを使わせれば、実際にお金を動かさなくてもいいんじゃないのかな?」
「書類上の取引と言うわけね……商人にも同じように小切手を使わせれば、大量の金貨を危険な思いをして持ち運ぶ必要が無くなる。いい考えね。その考え貰うわ」
「両替商みたいなのはあるんでしょ?」
「ええ、それも盗賊ギルドが一手に引き受けているの。しかし、いまいち信用されていないみたい」
「名前が悪いんじゃないの?」

 だんだん疲れてきて、わたしの返事も適当になっていた。泣きつかれて眠くなってきちゃったし……。

「ええ、新しく事業として立ち上げるなら『銀行』と名を変えてもいいわね。盗賊ギルドの一部門ではなく。ルリタニアの国家事業として『金融業』を立ち上げてもいいわ。この話を各国にあるルリタニアの事業の支部に知らせて、今の考えを徹底しましょう。これなら堂々と他国のお金を集められるわし、支部を出せるわ」
「他国に堂々と出せるなら、船に金貨を乗せて取引をすると転覆した時に大損をしたりする危険を回避できるんじゃないの?」
「確かに荷物だけで済むわね……荷物を失うのは痛いけど、お金も一緒に失うよりはマシね。そして他国に支部を堂々と出せるのは大きいわ。この話がうまくいき始めれば、他の国も真似するでしょうけど、それより先にルリタニアの勢力の方が大きくなればいいのよ」
「ルリタニアだけでやるんじゃなしにノエルも巻き込んだら? クラリッサ王女さまなら協力すると思う……」

 本当はルリタニアだけでやってある程度形になってから、ノエルに話を持ちかけたほうが良いんだろうけど、さっきからどうしてもクラリッサ王女の顔がちらついていて、思わず言ってしまった。そうしたらルパートはにっこり笑って、「そうね。クラリッサ王女にも協力してもらいましょう」と言う。それから今日は事務所で話をまとめて書類を作成するから、帰れないわって言い出す。
 仕方なく1人でとぼとぼ帰る。
 家に帰り着くとコーデリアが台所でぐったりしてた。

「コーデリア。どうしたの?」
「ああ、あきか……お腹が空いたのじゃ……」

 あまりにぐったりしているものだから、なにか病気に罹ったんじゃないかと心配したけど、ちょっとごはんの時間がずれた位でこんな風になってしまうなんて……なんて燃費の悪い体だろう。心配して損した気分。
 ちゃっちゃっと夕食を作りながら、今日はルパートは帰って来ない事をコーデリアに告げる。

「どうしたのじゃ?」
「う~ん、実はね……」

 コーデリアに事務所での話をする。クラリッサ王女の事はともかくとして『銀行』の話はコーデリアが眉を顰めた。

「おぬし、隙だらけなのじゃ。もう少し用心深くならんといかんぞ」
「う、うん。自分でもそう思う……」
「まあ、決まった事は仕方ないとして、この件はルパートに押し付けるが良かろう。あまり表に出ぬほうがいいのじゃ」

 うんそうだね。と返事を返しながら、コーデリアの好物である黒胡椒をたっぷり振りかけたペッパーステーキを焼いている。大きな料理用ストーブには4つのコンロが備えられていて、奥のコンロではぐつぐつとお湯が沸き立っていた。お肉をひっくり返す。ジュッという音と共に油が跳ねる。フライパンをずらして直接火に当たるのを防ぐ。沸き立っているお湯の中にほんの少しだけお水を入れておとなしくさせ、お玉にすくった卵をゆっくりと沈めた。あっというまにしろく固まりだす。菜箸で形を整えながら引き上げた。単純かもしれないけれどポーチドエッグもコーデリアの好物だった。焼きあがったステーキを紅い縁取りの入った楕円形のお皿に載せ、さらに上にたまごを載せた。ソースを掛けずにコーデリアの前に差し出す。

「はい。できたよ」

 コーデリアが喜んでポーチドエッグにナイフを差し込む。半熟の黄身がお肉の上にとろり流れ出し、黄色い色が広がっていく。かちゃかちゃと音を立てて切り分けたお肉に黄身を絡めて口へ運ぶ。むしゃむしゃ噛み締めているコーデリアの口元にたまごの黄身がついてる。親指の腹でぬぐいぺろっと舌で舐め取った。お行儀が悪いとは思うけど、あんまり言うとどうかなとも思う。肉汁と卵の黄身が交じり合いお皿の上にひろがっている。そこへ千切ったパンを擦るように塗り付けてコーデリアがおいしそうにぱくぱく食べる。そういえばフィレ肉ってこっちの世界では見ないなぁ~。どうしてだろう? 人気ないのかなぁ。
 わたしはカレーを食べた所為かお腹は空いてない。コーデリアが食べているところを眺めているだけだった。濃い目の紅茶を入れて飲む。紅い縁取りの優雅な茶碗。これは普段用の食器の1つ。コーデリアのお皿にも同じ縁取りが施されている。年代物の小さめのお皿には同じく小さく固めた角砂糖が載っている。この世界ではお砂糖は粒々の粉ではなくて塊で売られている。欲しいだけの量を言うと塊を切り分けて売ってくれる。それを各家庭で粉にするのだった。わたしは粉にしたお砂糖を再びとても小さな塊にしてお茶に入れる。お茶にたくさんのお砂糖はいらないしね。これぐらいでちょうどいいと思ってる。
 コーデリアが食べているところを見ながら、木の椅子に座ってお茶を飲んでいるとなんだかほっとした気分になった。緊張しないだけいいのかもしれない。台所の隅に置かれている毛糸のつまった籐製の籠を引き寄せて、マフラーを編み出す。自分用のマフラーは完成していなかったのだ。灰色の毛糸でちまちまと編む。何も考えずに指を動かしているのもこれはこれでいいよね。

「あき。食べ終わったのじゃ」
「はいはい」

 すっと立ち上がってお皿を受け取ると洗い桶に放り込む。それからコーデリアの分のお茶を入れて目の前に置いた。お茶菓子は昨日作っていたクッキーの残り。お皿に並べられているクッキーをコーデリアがうれしそうに摘んで口へ放り込んだ。あんまり勢いよく放り込んだために噎せてごほごほいってる。胸元を叩きながらコーデリアが恨みがましい目で見てきた。

「こっち見ない。わたしの所為じゃないもん」
「うう~いじわるなのじゃ」
「自業自得」

 つーんとソッポを向く。コーデリアが涙目になりつつ、再びクッキーを食べだした。見る見るうちにお皿の上からクッキーが消えていった。食べ終わったコーデリアは、げふっとげっぷをする。あ~あ、そんなになるまで食べなくても良いのに……ちょっと呆れてしまう。

「ねえねえ、コーデリア」
「なんじゃ」
「フィレ肉ってこっちの世界にはないの?」

 ない訳はないと思うんだよね。フィレって部分の名前だし……。あると思うんだけど。

「フィレ肉? なんじゃそれは?」
「ちょうどサーロインの内側に当たる部分かな?」

 そう言って簡単な絵を描いて、それぞれ部分部分を示していく。かた、かたロース、リブロース、サーロイン、フィレ、ばら、もも、そともも、らんぷ。説明している間にコーデリアは、かたとかロースとかは解るのじゃが、フィレの部分は食べないのじゃ。と言い出した。

「じゃあどうしてるの?」
「捨てているのではないのか? それとも肥料かのう……とにかく肉屋には売ってないのじゃ」
「もったいない。もったいないよ」

 あ~でも、昔はまぐろのトロの部分を捨ててたって話も聞いた事があるし、お肉にも、そういう事ってあるのかもしれないのかなぁ……。とも思う。もったいないもったいないと言い続けるわたしをほんの少し呆れたような目で見つつコーデリアは「そんなに言うなら、明日は肉屋へ行って貰って来るといいのじゃ」と言い出した。

「うん。そうしよう!」

 わたしはうきうきして楽しみになっている。
 お皿を洗いながら……そういえば、と思い出した。

「ねえねえ、マルセル帰って来ないね?」
「そういえば、帰って来てないのじゃ。あやつどこへ逃げた?」

 コーデリアと二人で首を捻る。でも、まあいいか。帰って来なくても。ほっとこう。
 そう意見の一致を見たわたし達は眠ってしまう事にした。
 ベットに横たわったわたしはす~っと眠りに落ちていく。

 夢。夢を見ている。
 夢の中でわたしは金髪の男性と会っていた。会った事のない人のはずなのだけど、どこか懐かしくて胸が締め付けられる。

「――――」

 名前を呼ばれて、それが自分の名だと気づかなかった。それに目の前にいるこの人のことも思い出せない。でも、なぜか後から後から涙が零れだして苦しくなってしまう。思わず抱きつく。この人の胸に抱き締められると懐かしくて安心できて体中の力が抜けていくような気がする。
 ああ、こんなにもこの人の事が好きだったのだと思い出された。抱き締めてくれていたはずの人の姿が消える。慌てて周囲をみれば、遠くの方から誰かが近づいてくる。だんだん近づいてくるその姿は……クラリッサ王女?
 あわわわと慌てふためいて逃げ出そうとするわたしの手を掴み引き寄せてくる。

「あ、あの……く、クラリッサ王女さま? 放して」
「放したら逃げてしまうでしょ?」

 にっこり笑って抱きしめてくる。もがいても案外力が強くて逃げ出せない。クラリッサ王女さまの手がわたわたと慌てているわたしのあごの先に添えられ上を向かせていく。そうして抱き締められ、見つめあい。顔が近づいて唇が重なる。

 がばっと起き上がった。ベットの上でがくがく震えてしまう。周囲を見る。自分の部屋だ。窓からは月明かりが差し込んでいた。まだ夜は暗く。朝になるまでだいぶんあるようだ。わたしは両手で自分自身を抱きしめながら、どうしてあんな夢を見てしまったのだろうと考えていた。
 少し夜風にあたろうと部屋から出て階段を下りていく。そっと玄関を開けるとす~っと冷たい風が流れ込んでくる。

「うっ、寒いかも……」

 寝巻きの襟元を掻き合わせる。夜空には眩い星々。肌寒い風。出てきたのは失敗だったかもなんて考える。
 がさっと庭先で物音がして振り返る。庭の隅っこでまだ生まれたばかりの小さな子犬が蹲っていた。近づいてみる。小さな子犬は体を震わせてわたしをじっとみている。わたしがちょっと顔を覗かせると向こうもぐっと首を伸ばしてみてくる。

「どうしたのかな?」

 手を伸ばすと、一瞬ビクッとしておそるおそるといった感じで指先を舐めてきた。

「くぅ~ん」
「お腹が空いてるの?」

 抱きしめると胸元に顔を埋めて擦り寄ってくる。家の中へと連れて、温めたミルクを飲ませた。ぴちゃぴちゃとお皿から一生懸命にミルクを飲みだす。お湯を沸かして洗ってあげよう。そう思って改めて見てみると、薄汚れた毛並み。それでも元は真っ白だったと思う。白い犬? ブラウンの瞳。体格に似合わない太い足は大きくなる証だろう。生まれたての子犬はあどけない表情でミルクを舐める。
 飲み終えた子犬をたらいに入れて温かいお湯で体を洗ってあげる。お湯が掛かりそうになってちょっと怖がっていたけど頭を撫でると直ぐに大人しくなってくれた。綺麗に洗うと真っ白な毛並みが現れる。

「あはは、綺麗だねぇ~」
「くぅ~ん」

 タオルで体を拭きながらそう言った。この時わたしは自分がどれほど大きな重荷を背負ってしまったのか気づいていなかった。すっかり綺麗になった子犬をタオルを引いた籠にぽんと入れてしまうと「おやすみ」と言って二階へと上がっていった。
 ベットに横たわって目を瞑って寝ようとしている最中、台所のあたりで「くぅ~んくぅ~ん」と子犬の鳴き声が聞こえてきた。

「まだ、眠ってないのかなぁ……」

 そう思ってうとうとしかけていたら、泣き声はだんだん大きくなって仕切りなしに泣き喚きだした。はぁっとため息をついて一階へと降りていく。子犬は籠の中で必死になって泣いている。そっと頭を撫でるとうれしそうに目を瞑った。

「はい、もうおねむの時間ですからね。ちゃんと寝てね」

 そう言って自分の部屋へとあくびをしながら戻っていった。そしてしばらくすると再び子犬は泣き出す。

「眠いの……」

 そう思いつつも一階へと降りていく。途中でコーデリアも起きてきだして一緒に降りていった。かごの中で泣いている子犬は一生懸命に泣いてる。どうしたのかなぁ? 抱っこするとうれしそうに頭を摺り寄せてくる。一晩のうちにそういう行動を何度か繰り返しているうちにコーデリアが「まるでバジルの夜鳴きなのじゃ」と言い出した。

「確かにそうかもしれないよね……」

 コーデリアに返事を返しながら、ふとバジルくんを思い出す。とうとうわたしは子犬を自分の部屋へと連れて行くことを決めた。ベットの足元に籠を置く。そうして眠ってしまおう。しばらくして夢うつつの中で子犬が泣き出す。

 ――くぅ~んくぅ~ん(わたしはここよ。あなたはどこ? おかあさん、どこ~?)

「むにゃむにゃ」

 無意識のうちに手が籠へと伸びて子犬の頭をぽんぽんと叩く。

 ――くぅ~ん(もう寝るね)

「むにゃむにゃ。おやすみ~」

 朝になって子犬の鳴き声で目が覚めた。ふわ~っと大きなあくびをする。寝たりない。まだ眠いよー。ふらふらと起き上がって子犬を連れて部屋を出た。コーデリアが目つきの悪い寝起きの顔を見せる。

「寝不足なのじゃ」
「わたしもー」
「くぅ~ん」

 子犬だけが元気に返事をしてる。子犬を連れて家をでると庭先の一角で「今日からここがトイレだからね」と教える。

「がう!」

 そう鳴いて首を立てに振る子犬。解ってくれてうれしいよ。これで夜鳴きさえなければ……。ぐったりした気分で台所へ向かう。温めたミルク。ぴちゃぴちゃ音を立てて飲みだす。
 コーデリアはテーブルの上にうつ伏せになってぐったりしていた。
 焼いたパンをスープに浸しつつコーデリアが子犬を見ている。その目は鋭く値踏みしているかのようだった。

「どしたの?」
「こやつ犬ではないのじゃ。昨夜は眠たかったものじゃから気づかんかったがな」
「じゃあ、なに?」
「白狼の一種じゃ。神獣の仲間で、伝説やら昔話などで語られる事もある。成長すれば魔物をも一噛みで倒してしまうらしい。人間に対して好意的で守護者とも呼ばれるものもある」
「へぇ~凄いんだね」

 ミルクを飲んでいる姿からは想像できないけど、伝説の獣かぁ~。

「まだ、子供じゃがな……」
「そうだね」
「夜鳴きさえなければなあ……」
「……そうだねぇ」
「おぬしの事母親と間違えておるのではないのか? どうも母親を呼んでいるようにも思えるのじゃ」
「あ~、そうかも」

 あ~、おかあさんかぁ~困ったねえ。そう思うわたしであった。

「で、こやつの名はどうするのじゃ?」
「あ~、考えてなかった。どうしよう?」
「ふむ。では、わらわが名づけてやろう。たまじゃ」
「それじゃ、ねこだよ。もっと犬っぽい。かわいい名前がいいなぁ~。女の子だし」
「たまじゃ、かわいいじゃろう。しかし女の子か……」
「もくがいい。もっくにしよう」
「女の子じゃぞ」

 結局、同時に呼んでやってきた方の名前をつけるという事になった。わたしとコーデリアが手を叩いて呼ぶ。

「もく、もっく。おいで」
「たま、来るのじゃ」

 左右から手招きするときょろきょろと見比べて、わたしの方へ向かってくる。抱きしめながらコーデリアに向かってVサインをする。

「わたしの勝ちぃ~」
「けっ! そやつはマザコンなのじゃ。犬の癖に!」
「犬じゃないもん。白狼だもんねぇ~」

 抱きしめながら頬ずりをすると、もっくもうれしそうだ。コーデリアはこのマザコンがぁーっとぷりぷりしてる。
 寝不足だけど、この子のお蔭でクラリッサの夢を見ずにすんだ。でも、どうしてあんな夢を見たのか解らない。願望があったとか? そんな事ないよね。あ~クラリッサ王女さまと会うのが怖くなってきちゃったよ。やっぱりどうしようかなぁ……逃げたいなぁ。




[21687] 第13話 「ちょっと待て、わたしの意志はどうなる?」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/10/14 18:53
 第13話 「ちょっと待て、わたしの意志はどうなる?」


 もっくが家に来てからというもの、いつもの家事に子育てが加わり、さらにいつの間にかクラリッサ王女さままでが、我が家に顔を出すようになってしまった。何故こうなってしまったのか? 分からなかったけれど、北の塔での勉強もしなくちゃならないというのに、中々まとまった時間が取れずにいる。
 今日もやることは山ほどあった。午前中だけでも大変だったのに、お昼ごはんを食べたらすぐやらなければならないぐらい、せっぱ詰まっていた。
 
 昨日は午前中にお肉屋さんから安く貰ってきたフィレ肉の筋を徹底的に掃除して、あらわれた綺麗なお肉を事務所の人達に見せつけ、さらにパン粉でカラッと揚げてカツレツにして試食してもらった。評判は上々らしく。ロデリックさんが、急いでお肉を一手に扱っているギルドの幹部さんを呼び出して説明しているらしい。幹部さんも今まで捨てていた部分がとてもおいしい事が分かって悔しい思いをしてるとか言ってる。基本的に四つ足の獣にはあるから、他の獣は勝手にやってもらおうと無責任な事を考えてロデリックさんに押し付ける。
 
 今日は簿記だとか3級程度しか分からないけど、一応資格は持っているのだ。その説明をルパートも含めて説明していた。当然、北の塔はお休みである。コーデリアが物凄く哀れみの目で見て来た事には腹が立ってしまう。
 銀行業務の事なんか知らないし、どうしていいのかも分からないというのに自分が口をすべらした事が原因とはいえ、頭を抱えてしまう。まあ、その辺りはルパートのお兄さんが協力してくれるそうだ。盗賊ギルドの長らしい人でちょっと前から高利貸しや商人たちからお金を預けさせていたらしい。わたしが『銀行』の話をしたことで自分の考えが間違っていない事を確認したらしく。意気揚々としている。ルパートと違って、浅黒く日焼けした精悍な感じの人だった。
 
 まったく、ルパートに呼び出されて事務所へ向かったわたしはルパートのお父さんであるルリタニアの大貴族、ターレンハイム侯爵、それにブラウンシュバイク侯爵にノエルのクラリッサ王女さまだけでなく、ブランヴェリエ侯爵などいった大物が集まった席で説明をさせられてしまう。緊張して足ががくがくしてた。皆さんなにくれとなく気を使ってくれて、ありがたかったけれど……そうそうたる方々を前にして緊張するなというのは無茶だと思う。
 それもわたしが言ったことを説明するためにわざわざノエル王国に呼び出したというのだから、迷惑な話である。
 説明が終わったあと、大貴族さん達がルパートの作成した書類を前にして会議を始めるそうで、一旦わたしは帰っても良くなった。また呼ぶかもしれないから家で待機しておいてくれと言われてしまい。お昼ごはんを食べながら、疲れ果てていた。
 
 目の前に置かれているいくつかのお米と豆。それらをより分けてどれがどれに使えるのか報告書を書かなくてはならない。ちらっと見ただけでも小豆に大豆まである。白いんげんから枝豆まで用意しているところから、ロデリックさんがいろんな所から取り寄せた事は分かる。そしてどれほど期待しているのかも、この期待が辛いんだよ……。
 家庭料理ならば、なんとかなるだろうけど……いざ業務用に使用するとなれば適当にはいかないだろうしね。だいたいわたしの知ってるのは家庭料理なんだよ。だからちょっとくらい失敗してもふ~んだ、と言って突っぱねるけど、商売となるとそうは行かないでしょう? それにわたしとノエルやルリタニアの人達とは味覚が違うはずなの。わたしの作った料理をそのままだしても受け入れられるとは限らない。変に期待されてそのまま出されて失敗されると困るの……、その辺りはしっかりと言って注意してもらっているけど心配だよね。
 
 やれる事はやりますか、というやけっぱちな気分でここ十日ほど過ごしている。台所の窓からは二日ほど前に作ったビーフジャーキーが籠の中で風に吹かれて揺れてる。生ハムだってそう。豚には寄生虫がいるからと火はしっかりと入れようと職人たちからも言われていたから(寄生虫の事は知らなかったみたいだけど、生焼けだと病気になることは知ってた)ほとんど生に近い生ハムに関しては警戒しているらしい。実際は生じゃないんだけどね。お味噌を作るには麹を作るところから始めないと駄目だし、困ったものだと思う。
 あ~、頭痛い。こんな事になるならもっとしっかりと料理の本でも読み込んでおくんだった。
 
 トリュフを見つけようと豚さんを森の中に放したところいくつか見つかり、喜んだのはいいけど、さてどう料理しようかとこれまた、頭が痛くなる。お酒なんかはジンを造ってと材料だけ教えてコーデリアに押し付ける。ラム酒はさとうきびから作られるから同じものがあった。カルヴァドスやグランマニエ、キルシュ、アマレット(この辺りのお酒はお菓子作りに良く使うから、調べた事があるのだ。ラム酒もそうだけど)カンパリ、ベルガモット、アロマティックビターズ(これなんか元々は胃腸薬として作られたらしい)などをロデリックさんに押し付けようとしたら、代わりにアリステリアという女性がやってきた。まだ若そうな綺麗な方で黙っていればどこの貴婦人かと思ったんだけど口を開くとやさぐれた雰囲気になる人だ。ちらっと見たら、麻薬を作ろうとしてたから、絶対に止めて! と強く念を押しておく。困ったさんだよ~。
 
 今やわたしの台所はまるで事務所のようになってしまった。台所の三つ目の部屋に本棚と机を持ち込んで資料なんかをそこに置いてる。テーブルの上にはいくつもの書類。どこで採れたものだとか、いつ採ったものだとかの資料だ。そこへわたしが何に使うか書き込んでいく。
 とまあ、ここ十日ほどはそんな風にして過ぎていったのだ。どれほど大変だったのかは分かってくれるよね? ついつい足元で寝そべってるもっくに愚痴を零してしまっていた。

「くぅ~ん」
「慰めてくれるの?」

 もっくが足に擦り寄ってくる。ここ十日ほどでこの子も夜鳴きが直って良かった。これで眠れなかったら、倒れてたと思う。
 ああ、お菓子が作りたい。気分転換に作りたい。でもやる事がいっぱいあるし……。業務用じゃなくて自分用に作りたいよ~。と二三日前から、考えてしまっている。その思いはわたしを責めたてていた。ひと段落するまで待とう。いや、待てない。だって一段落したら疲れ果てて起き上がれないかもしれない。北の塔へも通わなくっちゃいけないもの。

「よし作ろう」

 食事が終わって、わたしは立ち上がっていた。
 心配そうに後ろでくぅ~ん、と鳴いてる声を聞きつつ、わたしはまず、砂時計をひっくり返してから、バターを取り出し、半分だけとって薄く切ってボールへ入れた。そこへ卵を二個割りいれ、砂糖を百グラム。小麦粉を百グラム。ベーキングパウダーを混ぜて放り込む。ルパート秘蔵のブランデーを少々たらした。
 それをしゃもじでぐるぐるかきまわしてみる。あれっ? ダマができた? ああ、バターのダマかぁ~。はてさてどうしよう。まあいい。考えなかった事態でもないし、これぐらい平気。泡だて器でダマを壊すようにして、何回かかきまわす。さあこれでいいはず。自分用だから適当で良い。
 砂時計を見る。まだ落ちきってない。という事は三分も経ってないのか、ああ。ありがたいと言おうか、手馴れてきたと言えば良いのか。我ながら呆れてしまう。
 生地を深い型にそっと入れていく。しまったよ。オーブンには少ししか木が入ってなかった。まあいい。何本か放り込んでしまえ。なんなら魔法の呪文でも唱えてやろうか。一気に燃え上がるだろう。よいしょっと、オーブンの扉を開けてっと、中に放り込んだ。しゃがみこんだわたしの背中にもっくが圧し掛かってくる。ふんふんなんて言ってる。もう甘えん坊なんだから。はいはいっと抱っこしてあげた。そのまま椅子に座って、ぼんやりと休憩。砂時計をもう一度ひっくり返してさらにもう一回。さすが小さいだけあってもう膨らんできた。ふっくら膨れ上がり、周りはきつね色。よし、取り出そう。

 型から外すのはけっこうやりにくい。パイなんかと違って柔らかいのだ。すぐに崩れそうになってしまう。冷めると固くなるんだけどね。でもいいんだ。大事なのはここまで体感時間的に二十分も掛かっていないという事なのだ。
 できあがったキャトルキャーを網の上に載せ冷ます。う~んっと両手を上に上げて背伸びをした。

「あ~、楽しかった」

 ほっとため息をついて出来上がったばかりのキャトルキャーを眺める。
 そっとはしっこを切って食べる。その途端、わたしはぽろっと涙がこぼれてしまった。ああ、これはむかし作ってもらったものとおんなじだ。ようやくできた……元の世界でも何度か挑戦してみたけれど、あの時とは粉自体が違っていたのか? 同じようにはできなかったのに。
 
 あれはまだ、生まれた家に住んでいた頃、近所に住んでいたフランス人の奥さんが作ってくれたものだった。その頃わたしはいっつもぼんやりと公園のベンチで座っているような暗い子供だった。家にも帰りたがらず、かといって何をするわけでもない。ただぼんやりとベンチに座っているだけだった。そんなわたしに声を掛けてきたのが、引っ越してきたばかりの奥さんだった。まだうまく日本語が使えなくて、しどろもどろだったけど、それでもなんとか話をしようとしていた。それでついついわたしも付き合うようになって話しているうちに家にこない。ということになったんだっけ? もうその辺はおぼえてない。
 その家でだしてくれたのがこのお菓子、キャトルキャーだ。一口食べて驚いた。おいしい。パウンドケーキのようにしっとりはしてなかった。かといってぱさぱさしてる訳でもない。すぐに崩れそうなわけでもなかった。何というのか、細かい粒が均等で、ほんの少しザラッとして、それまでもケーキを食べた事が無かった訳じゃない。でもどうしてこんなにおいしく感じたのだろう? それが長年の渡っての謎だったのだ。そしてそれこそがわたしをお菓子作りを覚えさせる結果となった。目の前で作ってみてくださいと頼み込み、どうしてもとお願いして作ってもらった。それでこれは何というのか聞いてみた。

「キャトルキャー」

 はっきりとそう言った。
 それがパウンドケーキだと知ったのはだいぶん後、香月家に養子に出てからだった。
 キャトルキャー。パウンドケーキを作るときにバターと卵と砂糖と粉をちょうど一ポンドずつ入れて焼く事からついた名前らしい。ほんとかどうか知らないし、その事には興味はない。フランスではそれをキャトルキャーとか言ってたらしい。キャトルかカトルかも分かんないし、本当のところはどうなのかも知らない。四分の四という意味ではあるそうだ。奥さんがそう教えてくれた。その事は尊重しよう。
 材料を全部、四分の四ずつ入れて焼くからキャトルキャー。単純な名前だなぁ~。まあいいのだ。お菓子に罪はない。もちろん名づけた人にもね。あの奥さん元気にしてるかな? もうだいぶん年取っておばさんになってるだろう。

「思い出は美しいままにしておこう」

 ふふふ、今日はこれをお茶菓子にしよう。きっとコーデリアも喜んでくれる。楽しみ。さて、欲求不満も解消したし、がんばりましょうか。ぽんっともっくの頭を1つ撫でて書類と格闘し始めた。

 しばらく書類とにらめっこ。
 陽も傾きだした頃にノッカーが音を立てて鳴り響く。
 はて? 誰だろう? マルセルもコーデリアも帰って来てないから、違うとして、誰だろうねといそいそと玄関へと向かう。ドアを開けた。がーん。目の前にはクラリッサ王女。なんでー? どうして? なぜ来やがりましたか?
 にこにこと笑って入ってくる。ロデリックさんもお付の女官さん達もいない。それがやけにこわい。

「あきに会いにきたの、いけないかしら」
「いえ、そんな事は……」

 では、どうぞ。と居間の方へ案内しようとする。でも、クラリッサ王女さまは台所で結構よ、と言い放ち、わたしの支配地を侵そうとしやがる。おのれ~。その上もっくもやけに懐きやがるし、裏切りものぉ~。よし、大丈夫。わたしは負けない。負けるもんかぁ。
 台所に案内すると、さっと書類に目を通してクラリッサ王女さまは満足そうに頷く。お茶を入れて出す。手を握ってくる王女さま。なんですか? ナンパですか? チャラ男と同じような事はしないで下さいな。それに一応、女同士です。そうなんです。だから近づかないで、見つめないで、何する気ですか? 人のあごに手を掛けないで、王女の両手があごの先に添えられ上を向かせていく。そうして抱き締められ、見つめあい。顔が近づいて唇が重なる。
 うう~っ。なんでこうなりますか! もしかしてクラリッサ王女は百合ですか、ああそうですかそういう趣味ですか。わたしは狙われていたのかぁ~。くっすん。
 ええい。はなせ~。押し倒すなぁ~。もっくも見てないで助けろよぉ……。

「くぅ~ん」

 くぅ~ん、じゃないよ。お母様が襲われているんだよ。助けようとする気はないの? 助けを求めても動こうともしやがりません。やっぱりうらぎりものぉー。
 わたわたともがき、抗うわたし。クラリッサ王女の手が、指が、まるで自分のものであるかのようにわたしの体を這い回る。

「愛してます」

 クラリッサ王女さまがわたしを見つめながら言う。

「あわわわ、女同士でしょう」

 わたわたと慌てるわたしはしどろもどろになりながらもなんとか発言した。

「そんな事関係ないです」

 あうぅ~。

「大いに関係あると思われますが」
「一目ぼれというものを信じますか?」

 あうあうぅ。どんどん追い込んでくるよう。抱き寄せる力が強くなった。

「まあ、そういう事もあるでしょう」
「私はあなたに一目ぼれしてしまったのです」
「なんで~?」

 なしてわたしなのよぉ~。おらわがんねえだ。あっ、ダグラスの口調がうつった。
 見つめられるのは嫌いじゃない――どきどきするから。
 触れ合うのも嫌じゃない――相手がクラリッサ王女だから。
 でも、こんなのは嫌。無理やり襲われそうになるのは嫌だ。やだやだ。ええいはなせー。

「がうぅ~!」

 わたしは唸り声を上げて警戒する。そうするとクラリッサ王女はふっと笑い。また来ますね。と言って家から出て行った。
 ええい。塩を撒いてやるう。
 見送ったわたしは家に入ると、じろっともっくを睨みつけた。しっぽを丸めて脅えるもっく。しゃがみこんで説教してやる。

「いい。お母様が襲われているんだから、助けなさい。いいわね! 返事は?」
「くぅ~ん」
「よろしい。当てにしてるからね!」

 何度も頷くもっくを抱っこして頬擦りする。もう疲れたよ……コーデリア達が帰ってくるまで休もう。モックを連れて二階に上がるとベットに倒れこんだ。百合な王女さまに狙われて、混乱したまま眠りに落ちた。わたしの頬をもっくが舐めているのを感じて、クラリッサ王女にキスされてしまった事が頭の中をぐるぐると回っていた。なんでこんなことになるんだろう……分かんないね。



[21687] 第14話 「いったい、わたしにどうしろと?」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/10/15 23:24

 第14話 「いったい、わたしにどうしろと?」

 早いもので秋も深まり、紅の月(10月)である。この月はゲヴユンという農業の神が守護する月で、北のアデリーヌでは一足早い雪が降っているそうだ。首都ノエルではまだ雪は降っていないけれども、一層寒さが厳しくなってきたような気がする。
 ノエル王国でも海側、アルカラという街で鮭が取れたというので、凍らせたものをロデリックさんが持って来てくれた。
 さっそく。どう料理しようかと考えて、みんなで食べられる方が良いかと思い。スモークサーモンにしてしまう事に決めた。三枚に切って、お塩と砂糖で包み込み、その後、乾かして燻蒸。二日ほど掛かっちゃったけどできあがったスモークサーモンを持って事務所へと向かった。本当はスモークサーモンよりも塩焼きの方が好き。でも、みんなはこっちの方が良いと思ってやってみた。

「玉ねぎをさらしたものにフレンチドレッシングを掛けて、薄切りにしたスモークサーモンっと」

 できあがったものははっきり言ってお酒のおつまみである。じゅるりとよだれを垂らさんばかりにビール片手に見つめてくるロデリックさん。アリステリアさんも同じようにビールを持って見つめてくる。テーブルに置いた途端、すかさず手を伸ばしてきた。事務所にいた人達がそれぞれ必死になって取り合う。みんなお酒好きなんだから~。
 他にもスモークサーモンをマリネにしたものも取られてしまった。そっちは今日のごはんになる予定だったのに……。でもいいんだ。実のところスモークサーモンはあぶらっけが強いから苦手なのだ。
 ほっほっほ。みんなして食べて太ってしまえ。

「そういえば、あきさんに頼まれていた。トマトですが、ザクセンの南の方にあるらしいです。来年にはこっちに持って来れるそうですよ」
「えっ、ほんと! わーい」

 真っ赤な顔をしたロデリックさんが乾燥した山脈の上の方で見た者がいるらしい。と教えてくれる。楽しみである。アレが見つかったらレパートリーが増える。トマトは好きなのだ。考えてみればローデシア大陸そのものはかなり広い。大雑把な地図を見せてもらったら、ヨーロッパどころかユーラシア大陸ぐらいありそう。それを四王国で分割しているんだから、凄いと思う。人口も少ないというのに……。ルリタニアなんか、大陸の半分近く支配してるんだよ。恐ろしいよね。ヘンルーダの森だけでヨーロッパぐらいはあるね。どんだけ広いんだよ。
 ザクセン公国というのはその中心近くは砂漠の国だそうだ。砂漠を越えた向こうはどうなっているのか、はっきりした事はまだ知らないらしい。行った事のある人はたくさんいるらしいんだけども、その記録がてんでばらばらでどれが正しいのか分からないそうだ。船で向かおうにも結構、難破とかしているらしくて、中々たどり着けないとか言ってる。それでも探検隊とか公室なんかが毎年、人を送っているそうだ。

 市場でお米を売っていたおじさんに種麹っていうのはある? って聞いてみたら首を捻っていたけど、そういえばあいつなら知ってるかもと言って、知り合いのザクセン商人に連絡を取ってくれた。やってきた商人さんが用意してくれたものは、なんでもザクセン公国の砂漠を越えた東の方で作られているものらしくて中々手に入らない。というより欲しがる人がいないものらしい。種麹を欲しがるわたしを見て首を捻っていたけど、わたしの後ろ盾にルパートやロデリックさんがいる事に気づくと必死になって探し出してきた。
 やっぱりルリタニアやノエル王室と関係を持ちたいんだろうか?
 サンプル代わりの乾燥した種麹を貰ってきて、家でお醤油作りに勤しんでいたんだけど……ものすごく大変なの! 
 個人でやるのは無理だと思う。仕方ないからルパートに頼んでスタッフのコックさん達にやり方だけ教えて作ってもらっている。だいたい熟成に二年ぐらいは掛かると思う。長期的な視野に立って行動しよう。一月に一度、一から同じものを作ってもらうことにもしてるし、そのうちのどれかが、成功してくれるだろう。
 それとは別に出入りしてるコックさんにケチャップの事を話していろいろ試してみたら、赤ピーマンを使って作り出してきた。すごいよね。トマトケチャップとは確かに味が違うんだけど、でもケチャップである。これを使ってウスターソースを作ろうとロデリックさんと北の塔のジュリエット導師と相談している。ちまちまとわたしが作っては相談していたんだ。トマトの代わりにあのケチャップ,タマネギ2個,リンゴ3個,ニンジン1本,ショウガ1塊,煮干の代わりに小さなお魚を干したもの、 ローリエ10枚,ナツメグ小さじ4,シナモン小さじ1,クローブ小さじ1,タイム小さじ2, ディルの葉小さじ2,フェンネルシード小さじ2,パセリ小さじ1, 粗挽きこしょう小さじ1,セージ小さじ1。後はお砂糖にお塩に醤油。本当は昆布も欲しい。煮込んで砕いて、ペーストにして、さらに漉して、しばらく寝かしてと、いろいろ手を掛けていたらなんとかできた。
 いろいろ足りないものもあるだろうし、元の世界のものとはちょっとずつ違うけれど確かにウスターソースだった。とんかつに掛けて食べる。
 コーデリアには好評だった。どちらかというと大人より子供の方に人気がでそう……だと思う。作ってから気づいたんだけどみかんとか他のフルーツ類をもっと入れた方が良かったかも。チャッネとかラム酒とかブランデーに漬け込んだフルーツケーキ用のフルーツを入れてみようかとも思ってる。出来上がったものを試食したジュリエットさんの目が一攫千金と輝いていたのが印象的だった。そこへロデリックさんが横から口を出してきて、権利の取り合いをしてる。こわいね~。わたしが口を出そうとしてコーデリアに止められ、代わってルパートが交渉してる。さらにお兄さんのロパートさんもやってきて、大混乱になった。そそくさ~と逃げるわたしである。後は知らない。

「あ~、なんでこうなるんだろうね……?」
「みな、金儲けの種を探し回っておるのじゃ。おぬしが作ったものが今まで無かったものじゃから、目の色を変えておる」

 大変だなぁ……。ルリタニアとノエルの間で、壮絶な経済を賭けた戦いなんだろうか? あれぐらいのバイタリティーが欲しい。事務所に顔を出した後で久しぶりに北の塔の授業にでる。いつの間にか授業が進んでいて、落ちこぼれてしまいそう。必死になって取り戻そうとした。
 授業が終わってからも、学食のテーブルでうんうん唸ってたら、ダグラスとイングリットさんがやってくる。

「あき、最近顔を見なかったけど、どうかしたのかい」
「うう~っ、最近はルパートの事務所で加工食品開発に勤しんでいたんだよぉ」

 ぐったりとした気分で愚痴を零す。そしたらイングリットさんがああ、なんて言いだした。なんで?

「そうかそれでか、いやね、ここんとこうちの親父がさ。ノエルの街中を駆け回っていろいろ買って来いって命令されていたらしいんだ」
「あ~、そうかぁ。ロデリックさんが毎日のようにいろんな食材を持ってくると思ったら、イングリットさんの父親が走り回っていたんだ」
「うちの親父もなんでこんな物を。と驚いていたけど、毎日クラリッサ王女やロデリックなんかにメモを渡されていたようだよ。あきの発案だったんだね~。最近、王城の方で活動が活発化しているって言ってたけど」

 うんうんと頷いてるイングリットさん。毎日クラリッサ王女の下へいろんな貴族さん達が現れては話をしているそうだ。みんな真剣な表情で部屋からでてくるらしい。中で何を話しているのかイングリットさんも興味津々だったって言い出す。
 そこでお醤油だとかウスターソースの話をすると眼を丸くしてる。ロデリックさんとルパートの交渉なんかは「あきには悪いけどさ。ロデリックの方を応援しちゃうよ」なんて言うんだよ。

「あ~、ノエルの街にウスターソースの商会ができたら働く人も増えるだろうねぇ」
「ケチャップも赤ピーマンを作ってる農家が儲かるべ」
「フルーツ類もね……」

 ノエルの街の人たちにとって働く場所が増えるのは良いことだと思う。けど……ルリタニアも同じだと思うよ。ああ、そうか。だからルパートとかも真剣になっているんだ。業務用に売り出すなら職人さんも育てなくちゃいけないし、働く人も大勢必要だろう。労働人口の拡大と雇用促進の一環なのかぁ。なんでわたしが作るものなんかにみんなが必死になってくるのか解んなかったんだよ。結局その問題に頭を抱えているんだな。たぶん『銀行』も同じだろう。資本を集めて貸し出したりしていわゆるベンチャー企業を作り出そうとしているんだろう。
 この世界ならウスターソースだってベンチャー企業だ。お醤油やケチャップだってそう。元の世界での知識がこんなところで役に立つとは思わなかった……。元の世界でもタバスコやカレー粉で世界企業になった例もあるんだし、もしかしてさっさと作って売り出してたら、わたしも大金持ちになってたかも? あ~でも、会社経営ってめんどくさそうだよね。まあ、いいや。ルパートに押し付けちゃおう。
 じゃあね。なんて言いながら、わたし達は別れて家に帰っていった。

 帰って見たら、六頭立ての大きな黒い馬車が停まってる。真面目な顔つきで御者さんがわたしを見て挨拶してきた。驚いてなんとか挨拶を返して中に入ってみれば、家にはルパートだけでなく。ルドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵にウルリッヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク侯爵なんていう大物貴族が揃って居間で寛いでた。

「あっ……」

 驚きのあまり口を開いてぼーぜんとしてしまうわたし。頭の中はパニックである。

「やあ、おかえり」
「お邪魔してるよ」

 にこやかに迎え入れられて、よたよたと居間へ入っていこうとしてルパートに引き止められ、

「帰ってきたばかりのところを悪いんだけど、お茶の用意をしてくれるかしら」

 と、言われ逃げ込むように台所へと向かう。お湯を沸かしながら一体これは何事だろうかと考え込んでしまう。それでもまあるいワッフルを焼いて(いわゆるアメリカンタイプ。型はノエルの鍛冶屋さんで作ってもらった)バターを乗せ、ティーシロップを添えて持っていった。お茶はルリタニア産のクラフク。元の世界のヌワラエリアぽいと思ってる。やさしくおだやかな感じなんだけど、ちょっとだけさわやかな刺激があって好き。だから家ではこれをよく入れてる。いつもの紅い縁取りのカップじゃなくて青い年代物のカップにソーサー。他にも一式そろえてテーブルに置いた。
 二人とも出されたワッフルをジッと睨みつけるように見ながら、フォークとナイフを綺麗に使い。一口口に入れる。ティーシロップの染み込んだワッフルはしっとりしてておいしいはずなんだけど……なんか真剣に食べてる。
 食べ終わってフォークとナイフを置くと紅茶を口にする。

「おいしかったよ」
「ふむ、いけたな」

 それぞれ好評をいただいたけど、そのあとが……。

「ところで、これは珍しい形をしているが、どうやって作ったのかね?」

 ターレンハイム侯爵が問いかけてくる。

「え~っと、鍛冶屋さんで型を作ってもらったんです」

 ビクッとして答えるわたしにブラウンシュバイク侯爵が「どういう型かね、見せてくれないか」と言って身を乗り出してきた。なんでお菓子の型に興味を示すんだろう? でも、台所へ行って丸い型と四角の型の両方をとって来た。二人ともしげしげと開いたり閉じたりしながら、中の突起や表のへこんだところを指でなぞってる。
 ルパートはなぜか緊張してるけど、わたしは首を捻っていた。
 一通り見終わって満足したのか、型をテーブルの上に置いた。あごをさすりつつ、両侯爵が小声で相談してる。やがて相談も終わり、わたし達のほうに向き直った。

「明日から、ルリタニアの職人たちがやってくるからノエルの職人に混じって覚えられるように手配しておいてくれ。それからこの型も同じものを作らしてルリタニアへ送るように」

 ターレンハイム侯爵が言うのに引き続いて、ブラウンシュバイク侯爵は「あきには、君の知っているお菓子をレシピ化して教えてやってくれ」なんて言いだしたぁ~。大変だよ~。
 それからルパートを交えて、ルリタニアで中央銀行設立へと向けてなにやら話し合う。すでに国王には許可を貰ってきているそうだ。ロパートさんが中心となるらしい。『銀行』はターレンハイム家の管轄で、農協やら保険業務なんかの社会保障とかはブラウンシュバイク家の管轄なんだって。それに明日にでも西の塔から人が派遣されてくるらしい。

「あきにはこれからも新商品開発に協力してくれたまえ」

 なんて言いだしやがった。いったい、わたしにどうしろと?
 わたしの顔色を読んだのか、両侯爵が笑って今まで通りでいいからね。とフォローしてくる。
 話が終わって、二人はさっと立ち上がると、すたすたと歩き出す。慌てて追いかけ見送る。その際に、両侯爵はにこやかに笑いながらわたしに向かっていう。

「なにか、困った事があれば言ってきなさい。できるだけ配慮をしよう」
「君の後ろにはブラウンシュバイクとターレンハイム家がある事を忘れてはいけない。ルリタニアは君の味方だ」

 と、約束してくれた。ありがたいけど、なんだか大事になってきたような気がする。それに釘を刺されたような気もするけどね。

「ありがとうございます」

 そう言ってお礼を述べた。
 二人は六頭立ての大きな黒い馬車に乗って帰っていく。見送りつつ、はあっとため息をつくわたしとルパートである。
 なんでこうなるんだろうね? 分かんないなぁ~?
 とはいえ、頼まれてしまったのだから急いで鍛冶屋さんのところへ向かい、この前作ってもらったワッフルの型と、ふと思いついたカクテルのシェーカーを説明して作ってもらうことにする。みんなお酒好きなんだから……カクテルは喜ばれるかもなんて考えた結果だった。二三日中にはできますよ。という言葉を貰って帰る。
 帰る途中、アレットちゃんがこそこそとお店の陰に隠れてなにやらじーっと様子を窺っているところに出くわす。

「アレットちゃん、なにしてるの?」
「あっ、あきちゃん。しーっ!」

 指を立てて唇に押し当て、静かにって意思表示してる。それで一緒になって見ている方向を覗いてみたら、マリーちゃんとマルセルがデートしてた。一体いつの間に……。ああ、わたしが事務所でなんやかんやとしている間に話は進んでいたんだね。
 にこにこして見てたら、だんだん雲行きがあやしくなってきた。なんだろう、言い争うマリーちゃんの目に涙が浮かんでる。

 ――ぱしーん、ってマルセルの頬を引っ叩いた。

 あ、ああ~マリーちゃん、泣きながら走ってくう~。一人取り残されるマルセル。道を行きかう人の目が冷たい。アレットちゃんはマリーちゃんが心配だからと言って追いかけていった。う~ん、一体何があったのやら?
 心配だったけど、マリーちゃんはアレットちゃんに任せて、とりあえずもう帰ることにする。

「くぅ~んくぅ~ん」

 家に入ったわたしにもっくが飛びついてきた。

「なに? どうしたの?」

 抱っこして頭を撫でる。くぅ~んくぅ~んと鳴いてじっとわたしの顔を見つめていたもっくがついっと顔を逸らせた。その態度にあ~、拗ねてると分かった。最近忙しくてあんまり相手をしてあげられなかったものだから、拗ねちゃってる。仕方ないなぁ、甘えん坊なんだから……。
 台所へ向かうと、ルパートとコーデリアが話し込んでいた。

「どうやらルリタニアでも『銀行』が設立される目処が立ったようじゃのう」
「ええ、再来月辺りにノエルの『銀行』も設立されるし、それに合わせるらしいわ」
「ノエルの側は誰が、管理するのじゃ?」
「ブランヴェリエ侯爵よ。ルリタニアはターレンハイム家。そしてあきの作ったウスターソースやカレー粉にタバスコを作る店がそれぞれ作られるそうよ。その為の材料だとか職人を集めるのに苦労しているらしいわね」
「レシピ化はされておるんじゃろう?」
「ええ、あきが、ね」
「ガラスを扱う店や香辛料を扱っている店が喜んでおるじゃろうな」
「まったく、大変なのよ。あれもこれもでしょう? 意見をまとめるにも一苦労だわ」

 顔を出すと深刻そうに話し合っていたコーデリアとルパートがパッと顔を上げてにこやかに近づいてくる。もっくがわたしの腕の中でくぅ~んと鳴く。

「おお、そうじゃわらわの方もジンができたのじゃ」

 そう言ってガラス瓶の中に詰められたお酒を見せる。他にもベルガモットも持ってきてる。
 大変だったのじゃ。と言いながらこれをどうするのじゃ? なんて興味深そうに見てきた。

「じゃあ、ちょっと試してみるね。コーデリア、氷を作って」

 作ってもらった氷を砕き、コップの中に詰めてジンとベルガモットを混ぜる。くるくる回してガラスのグラスへ入れた。赤ピーマンを入れたオリーブを楊枝に刺して中へ放り込む。レモン代わりの柑橘類をスクイズして、ひんやりとしたグラスを差し出すと二人はおそるおそる口にした。

「あら、意外といけるわ」
「ふむ。結構辛口なのじゃ」

 青っぽいジンの香りと甘いベルガモットの香りが台所に漂ってくる。うっ、匂いだけで酔いそう……。二人とも平気そうだけど。飲み終えた二人は顔を見合わせて、二つの瓶を持って家を出て行った。

「ちょ、ちょっと、どこへ行くの~?」
「ちょっと用事よ」
「うむ、そうなのじゃ」

 勢いよく走っていく二人。お酒を飲んで走ると酔っ払っちゃうよ。
 もう、どこへ行ったんだろうね。と、もっくに向かっていう。台所に取り残されたわたしは仕方なく。片付けるとモックを連れて二階へと向かった。甘えん坊のモックを慰めるために今日は一緒に寝よう。

「そうしようね」
「わうっ!」

 尻尾を振って喜ぶもっくと一緒に寝た。
 今日も一日、大変だったなぁ。そんな事を思いながら眠りに落ちていった。



[21687] 第15話 「むっちゃ余裕……」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/10/24 14:49

 第15話 「むっちゃ余裕……」


 働けど働けど、なお我が暮らしは楽にならざり。じっと手を見る。
 なんて言っていた石川啄木は実は芸者遊びにうつつを抜かしていたそうだ。
 そんな事を思い出すぐらい。わたしは最近、忙しい。芸者遊びなんてしてる暇なんかない。する気もないけどな!
 え~、なぜこんな事を思い出しているかというと……。

 ――わたし、拉致されました。ええそれはもう、完璧に。

 北の塔の門を潜ったところまではいつも通りだったんだけども、その後がいけない。
 ジュリエット導師と西の塔の首席導師リヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵に両腕を捕まれ連行されてしまった。拉致とも言う。そのまま北の塔を出て、停まってた黒い馬車に押し込められて、いざ、出発。
 がたがたと橋を渡ってルパートの事務所へ向かうと思いきや。突然、何者かに襲撃されてしまった。
 クリスティーナ派の襲撃か!
 と、首席導師のリヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵が騒ぎ立て、襲撃者たちとの乱戦に縺れ込んだが、首席導師も寄る年波には勝てず、(頑張っていたんだけど、お年寄りなのに無理するから)ジュリエットさんも最近の寝不足が祟って善戦空しく。攫われてしまうわたし。懐の中でもっくが脅えてる。馬車の中でどこへ行くの? と聞いてみても、答えようともしません。まあ、当たり前か。いざとなったら神聖魔法で馬車ごと吹き飛ばしてやろうと考えていたのに……。馬車の中では男達はまるで品物を扱うみたいだった。

「おとなしくしてろよ」

 黒尽くめの男達に連れてこられた場所はどこぞの建物の三階。わぁ~高いねぇ~。開けた窓から下を見下ろして感想を述べる。うん、流石にこの高さからは逃げられまいと思っているのか、窓に鍵は掛かっていない。男達は中に見張りも置かずに部屋から出て行った。なにやらあとで誰かがやってくるからその時、わたしを引き渡すらしい。にやにや笑いながら言ってた。
 部屋の中を見回してみる。
 きっとどこかの倉庫だったのだろう。結構埃っぽい。人の出入りがなかったみたいだ。
 もう一度窓から下を覗き込んだ。さてどうしよう……。

 1、大人しくしてる。
 2、部屋を抜け出て何者かを確かめる。
 3、脇目もふらず、さっさと逃げる。

 お勧めは3だよ。と、妙にノリの良い声で頭の中のわたしが囁く。ふむ。そうだね。

「よし、逃げよう」

 まどによじ登っていそいそと下りだす。この世界にはコンクリートの建物なんかないのだ。たいていは煉瓦造りでしかもぼこぼこと壁から出てる。女性の指ならちゃんと掴めるぐらい。しかも窓のそばには屋上から雨樋が下まで続いている。割としっかりした作りで、問題は高さだけである。高所恐怖症でもないので雨樋を伝って平気で降りていく。懐の中のもっくの方が脅えてるぐらい。もう~伝説の白狼なんだからもっと強くならないといけないんだよ。
 ぽすっと地面に降り立ったわたしはささっと建物から遠ざかっていく。ごみごみとした街角をいくつも曲がってやってきたところはオスマン大通り。ここを道なりに南へ向かうと第2区の王立劇場の裏手に出るはず。わたしはいそいで王立劇場まで向かう。
 王立劇場はとっても大きな円形の建物で中ではカルクス王国から発祥したという演劇が行われているそうだ。まだ見た事はないけれど。劇場の周囲をてくてく歩いてるとふと、何かに似てるような気がする。なんだろうね……。
 ああ、オペラ座だ。本物は見た事ないし、中に入った事もないけどDVDでは見た事あるのだ。
 さっさと帰ろうと思って歩いていく。王立劇場を眺めながら歩き、DVDで見たオペラ座の怪人の曲、Think of meを歌ってみる。結構好きで十回ぐらい見たのだ。すっかり覚えてる。
 う~ん。やっぱり、The Phantom of the Operaの方が良かったかなぁ~。なんてのんきな事を考えてた。

 ルパートの事務所までやってくると、なにやら大騒ぎである。門番の騎士さん達に「なにかあったの?」と聞くと驚いたような表情で、二階にまで連れて行かれてしまう。
 事務所の中に入る。ルパートが走り寄ってきて抱きついてくる。

「あわわわ。ど、どうしたの?」
「あき。大丈夫だった。どこも怪我してない?」
「大丈夫だよ」

 ターレンハイム侯爵とブラウンシュバイク侯爵が攫われたというから心配していたんだ。といい。何があったのかと問いかけてくる。事務所の中を見てみれば、ジュリエット導師と首席導師のリヒャルト・フォン・ツィルヒャー男爵が痛々しいぐらい包帯を巻いて手当てを受けていた。
 それで今までのことを話す。どこかの倉庫の三階に閉じ込められたから……。

「……雨樋を伝って逃げてきた。窓も封じられてなかったし」

 そう言うとびっくりまなこで驚いてる。

「いや、まあ……なんといおうか。無事でよかった。うん」
「よく見つからなかったな」
「途中まで脇目もふらずにさっさと逃げてきたからね。何者だったのかも分かんない」
「いや。それで正解だ。余計な事をせずに、一目散に逃げた方がいい」

 ロパートさんが、鋭い目でよくもうちの身内を狙ってくれたものだ。と言って怖いぐらい怒ってる。それからノエルにいるルリタニアの盗賊ギルドの支部に連絡を取ってそいつらを根絶やしにしてやると息巻いてた。怖いなぁ、まるでヤクザ屋さんだよ。ああ、盗賊ギルドだからヤクザ屋さんなのか?


 ――Side 襲撃者さんたち――

 あきを部屋に閉じ込め、襲撃者のリーダーは一階へと降りていく。
 途中で仲間達と話をして、一階で待機をしていた部下に周辺の見張り役を命じる。さっと行動を起こした部下は裏庭へと向かう。閉じ込められているはずの部屋の窓が開いていたが、リーダーからあきが窓を開けて「高いねぇ~」と言ってきた事を思い出し、気にもせずに見張りを続けていた。
 行きかう人の姿もなく退屈極まりない。


「おい、飯を持って来てやったぞ!」

 大声で怒鳴りつつ勢いよく開け放ったドアの向こうはもぬけの空。西日が部屋に差し込んでいる。
 あっ? 部屋の中を見回してもあきの姿はない。
 きょろきょろと部屋の中を歩き回り、開け放っている窓から下を覗いて見張りに「誰か来たか?」と尋ねるが誰も見てないという。まさかそんな事はと思いつつも、嘘を言っているようにも見えず、いったいどこに隠れた? 顔を真っ赤にしながら部屋の外で見張りをしていた部下に怒鳴りつけた。

「お前、ちゃんと見張っていたのか!」
「へい。誰も部屋の外へ出てませんぜ」

 二人して部屋へと舞い戻り、再び窓から外を覗く。窓のそば、雨樋のところに靴の足跡がくっきりと残ってる。

「こっから、下りやがったのか?」

 いきり立って怒るが、部屋の外を見張っていた男は下を覗き、「よくもまあ、ここから下りたもんだ」と驚いていた。
 三階の部屋である。地上からはかなり高い。もし自分がと考えると雨樋を伝って下りるのは御免蒙りたい。

「しかし、いつの間に逃げやがった?」

 二人は首を捻り、リーダーが一階に下りて見張りを命じたときにはすでに逃げていたのではないか? と結論に至りなおさら驚く。

「度胸がいいというのか? それとも思いっきりがいいのか?」
「あいつ、本当に女か?」

 雨樋を伝って三階から地上へ降りる女。想像すると嫌な光景だ。そんな女いやだ。もう少しまともと言おうか、思慮深く大人しい女がいい。二人の男の心が一つになった。依頼者がもうすぐ来ると言うのにあいつがいない事には話にならない。部下たちに命じて追いかけさせる。
 四方八方に散った部下たちは王立劇場の付近で仕立てのいい服を身に着け、しかし泥だらけになりつつも歌を歌いながら歩いていた女性の証言を得た。特徴を聞いてみると、間違いなくあきである。

「むっちゃ余裕じゃねえか……」

 腹が立つやら、呆れるやらで、混乱していたが報告の為に戻っていった。さらに追いかけていた他の部下は、ターレンハイムの事務所で警備が厳重になり出している事に気づいた。

 倉庫に戻った部下たちはアジトの中がやたら暗い事に不審を覚えたが、ごくっと唾を飲み込んで中へと入っていった。
 明かりをつけた途端、縄で縛られている仲間に気づき、蒼白となる。

「さてと、誰が依頼したのかおぬしらにも聞かせてもらおうかの」

 闇の中から初老の男の声が響き、好々爺風の表情を浮かべたロデリックが赤茶けた血をこびり付かせた鞭を見せながら近づいていく。そのそばには妖艶な笑みを浮かべたアリステリアとルリタニアの盗賊ギルドのメンバーが部屋の壁に張り付いていた。
 男達が押し殺した悲鳴をあげようとして、ロデリックがにたりと笑う。

「外にまで悲鳴は届かんよ。そういう場所をおぬしらがアジトに選んだのじゃろう?」

 やけに優しげな笑みを浮かべてことさら柔らかい物言いをしている。
 男達は拘束され、にたりにたりと笑うロデリックの手によって拷問される。ぎゃあ、うわ~っとかアァー! とか泣き喚く男たちを見ながら、アリステリアがため息をついていた。

 ――Side out――


 わたしはもっくと一緒に事務所の中で、ぼんやりとしていた。

「一人で帰っちゃだめ!」

 という。ルパートの強い言葉によりわたしは事務所の中で、ひまひましていたのだ。
 あんまり暇だったものだから、事務所の人たちのごはんにと思ってハンバーグを焼いて軽く炙ったバンズを真ん中で切って野菜を挟み、照り焼きソースも作ってハンバーガーにしてやった。
 はっはっは。さすがわたし。照り焼きバーガーである。ちゃんとマヨネーズもつくったのさ~。この程度、どこの家庭の主婦だってできる。だけどこの世界ではないのだ。ついでに目玉焼きも焼いて月見バーガーにしてやる。野菜は食べやすいようにとスティックにして、りんごはうさぎさん。
 ルパート達のところへ持っていった。
 みんな大口を開けてかぶりつく……あの~三口で食べるのはどうして? 小さすぎた? 
 やっぱりアメリカンサイズにするべきだったのかぁ~!
 中で働いている人たちはお醤油の味に慣れたのか平気そう。

「え~っと、あきさん?」
「はいな、なんでしょう?」
「食べてから言うのもなんですけど、これはいったいなんですか……?」

 並べられているハンバーガーを指差しつつ聞いてくる。
 わたしはこっちが照り焼きで、これが月見バーガーだと教えてあげた。じーっと考えこむ。まあ、どうして? 何を悩んでいやがる。

「あのですね。あきさんってなんか、毎日いろんな物を作りますよね? レパートリー幅、広すぎませんか? ちょっと凄すぎ」
「なんというか、ちょっと異常なぐらいですね」

 にゃにお~。にゃんて事言うのかね。日本の母はこれぐらい当たり前だぞ。和洋中何でもござれなんだぞ~! それどころかイタリアンからタイ料理、メキシコ料理からロシアやら韓国料理までこなすのが普通なんだぞ。
 よくよく考えれば日本ぐらいだよね。家庭の主婦がいろんな国の料理を作れるのって? あ~当たり前だと思っていた事が実は凄かったとは思わなかったなぁ、なんでわたし、異世界で日本の凄さを思い知ってるんだろう……。
 でも、そんな風に言われるんならもう、いろいろ考えて作ってあげないもん。
 むすっと黙り込んだわたしに事務所の人達がなんやかんやとフォローしてくる。ふ~んだ。

















 ――おまけ――

 襲撃者たちのアジトでぱんぱんと肉を打つ音が聞こえる。
 そのたびに悲鳴をあげる男たち。

「ひぃ~ゆるして~」
「いやぁ~もう、らめぇ~」

 周囲では脅えた目で見ているルリタニアの盗賊ギルドのメンバー。

「わしはノンケでも喰ってしまう男なのだ」

 ロデリックの責めはまだ続いていた。


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