東奔政走

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仙谷由人は「赤い後藤田」か 問題は、菅首相が使い切れるか

 ◇倉重篤郎(くらしげ・あつろう=毎日新聞専門編集委員)

 仙谷由人官房長官をめぐる報道がかまびすしい。一般紙から週刊誌まで世のメディアの格好のネタとなっている。曰く「傲岸不遜」「影の首相」「媚中派」……。中でも「赤い後藤田」というのが面白い。中曽根康弘内閣を5年支えたカミソリ後藤田(正晴)氏並みの実力官房長官だと言うのか、単に旧社会党の出自で「赤い」と言うだけなのか。

 ◇虚像を膨らませて政治的パワーを増大

 官房長官の真価が問われるのは、首相官邸で1日2回行われる記者会見の場だ。プレスと権力の真剣勝負である。プレスは権力の失態を暴こうとするし、権力はその正当性を発信しようとする。

 そのプレスへのにらみ、という点では後藤田氏は一流だった。あのいかめしい表情で記者団をジロりと見渡し、不当な報道は一切許さず、という抑止力オーラを発散させていた。もちろん鞭だけではなく飴の使い道も心得ていた。ニヤリと相好を崩して相手を油断させ、飯のタネになるニュースも塩梅良く提供した。その悪達者さは相当なものだった。

 仙谷氏はどうか。とてもその域には達しないが、萌芽は見える。

 10月5日の記者会見では『産経新聞』を名指しで非難した。

 「産経新聞の大見出しは、日本の法制度そのものに対する挑戦だ。憤慨にたえない。こういう誤解を与える見出しをつくるセンスに、怒りをもって抗議したい」

 検察審の2度目の議決で小沢一郎氏の強制起訴が決まった翌日のこと。「これは仙谷の差し金だ」と語った小沢氏側近のベテラン議員発言を、産経が朝刊1面にデカデカと大見出しで展開したのに反応した。

 小沢氏側がそういう見立てをしているのは事実だ。筆者も耳にした。だが、常識的に考えて官房長官が検察審の議決内容や段取りに介入するわけがない。権限もない。その意味では、見出しの扱いが行き過ぎた、ともいえよう。

 仙谷氏はそのへんを見逃さなかった。「法制度に対する挑戦」という穏やかならざる表現でメディアを牽制したのだ。それだけではない。オマケも取った。政治家は虚像を膨らませて政治的パワーを増大させていく。小沢氏も後藤田氏もそうだった。実態はそこまで力が届いているわけではないのだが、メディアが書きたててくれることによって、永田町に起こるさまざまな出来事の陰の采配者に祭り上げられるのだ。仙谷氏もその仲間入りをしたわけだ。

 10月15日の記者会見では象徴的なやりとりがあった。記者団が「仙谷氏を影の首相」とする指摘への感想を求めると、「菅(直人)首相が十二分にリーダーシップを持って政権運営している。私に対するおちょくり、菅内閣に対する揶揄としか考えられない」と反論した。菅氏をかばいながら自らの存在感を否定しない。若い記者たちにナメンナヨ、と。これを悪達者と言わずして何と言う。

 悪達者ついでで言えば、女房役に徹することである。担ぐべき首相との過去の関係は問わない。いったん契りを交わせば、徹底的に首相を守り、場合によっては権力闘争を仕掛けて首相の立場を強化する。

 後藤田氏もかつては中曽根氏を「オンボロ神輿」と評していたが、いったん担ぐとなると、「政権のスタビライザー(安定化装置)」として尽くし、中曽根氏の首相任期延長の流れを率先して作り上げた。

 仙谷氏もまた、かつては菅降ろしをしたこともあり、菅氏からみて文字通り「煙たい存在だった」が、いざ官房長官となると、菅氏をよく支えている。小沢氏との権力闘争では、トロイカ体制再確認による妥協路線を排し、代表選での白黒決着に持ち込ませた首謀者だ。戦って勝つことの方が結果的に菅政権を強化し、かつ勝てる、と読んだのだ。

 官房長官の最大の仕事は危機管理能力である。大韓航空機撃墜(1983年)の軍事データ開示、三原山噴火(86年)の全島避難などで見せた後藤田氏の手腕は突出していた。

 仙谷氏でいえばまさに尖閣問題の処理をどう評価するか、である。筆者は合格点をつける。船長を逮捕・拘留せずに自民党政権時代のように強制送還する方が賢明だった、との選択肢は確かにあったかもしれない。だが、代表選の熱気で強気に出るベクトルの方が強かった、と言われれば、それまでの話ではないか。

 ◇後藤田との違いは「ポスト菅」であること

 その後、起訴せずに処分保留で釈放して勇み足を修正した。これに対しても「弱腰」「国辱」批判があるが、果たしてそうか。中国にあれ以上の報復措置を講じさせることは日本ばかりではなく中国の国益にとってもいかがなものか。互いに覚悟も備えもなく無責任で勇ましい声に引きずられて制御不能に陥ることの愚を思えば、大局判断は正しい。外交とは押したり引いたりするものであり、負けて勝つものでもある。

 官邸が検察に介入したかどうか。政府一体の判断であって、まさに阿吽の呼吸だろう。事実はどうであったかは別にして閣内の見解を統一しておくことが官房長官の重要な責務だ。普天間を抱えた鳩山政権はこれで崩れたが、仙谷氏は成功した。

 中国の対応が読み切れなかった、裏パイプがなかった、との批判については、「若葉マーク政権」の学習効果を願うしかない。その後時間をおかず仙谷氏が細野豪志氏を使って中国外交を取り仕切る戴秉国氏(国務委員)とホットラインを築いたことを考えれば、それなりの教訓は得た、とみていいのではないか。

 船長拘留により尖閣に対する実効支配を法的に誇示、中国海洋パワーの台頭、日米同盟の微妙な現状を国民が実体験できた、という結果オーライ面を思えば、「戦後最大の外交敗北」だったのかどうか。

 後藤田氏にはなくて仙谷氏にあるものもある。強固な党内基盤だ。

 仙谷氏は「凌雲会」という前原誠司、枝野幸男両氏を軸にした勢力の後見役である。安住淳、渡辺周、古川元久、山井和則、小宮山洋子(衆院)、鈴木寛、松井孝治、福山哲郎(参院)ら主要メンバーの顔触れを見ればわかるように人材も多い。後藤田氏は出身の田中派からはむしろ浮いた存在だった。

 ことほどさように仙谷氏起用は菅政権にとっては当たりだった。ただし、後藤田氏との違いも重要だ。仙谷氏自身がいつでも女房役を卒業、首相候補になれる、という点である。菅・仙谷コンビの妙がそこにある。

2010年10月25日

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