現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 社会
  4. その他・話題
  5. 記事

被爆者補償議事録「一種のたかり」「何でもない人多い」(1/2ページ)

2010年10月25日5時29分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

 厚生省(当時)の誘導があった原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)。議事録に記録された会合での発言からは、被爆者を含めた戦争被害者への国家補償をなんとしても食い止めようとする厚生省側の強い意向が浮かび上がった。

    ◇

■議事録に記されていた発言の一部(※委員名は非公開)

●第1回会合(1979年6月8日)

【橋本厚相】(昨年に)現行の原爆医療法そのものがすでに国家補償の範疇(はんちゅう)に入るんだという判例が出されまして、これは私どもとしても相当なショックでございました。

【委員】厚生省もスモン事件で窮地に追い込まれて(中略)何とかそういう動きに対して歯止めをしないことには、国はいくらお金を出してもとどまるところを知らない。

【委員】(被爆者は)いま37万人もおられ、これでぴんぴんして何でもない人もずいぶん多いんでしょう。

●第4回会合(1979年10月11日)

【橋本厚相】非常に厄介なのが(空襲被害者への補償を求めている)名古屋を中心としたグループ、及び東京の下町を中心としたグループ(中略)率直に申しまして、国家補償という言葉をできるだけ使いたくない。

●第5回会合(1979年12月6日)

【委員】(被爆手記を朗読した被爆者団体代表が帰った後)センチメンタルなものを長々と読みまして、せっかくの時間を浪費してしまった恐れがある。

●第6回会合(1980年1月30日)

【委員】我々は歯止めのために集まっているというふうに解釈してもいいのではないか。つまり便乗組をどういうふうに納得させるか。

●第7回会合(1980年2月27日)

【委員】(被爆地域拡大の要求に関して)何か一種のたかりの構造の具体的なあらわれのような感じがいたしまして。

前ページ

  1. 1
  2. 2

次ページ

PR情報
検索フォーム

おすすめリンク

アキバで成功したビジネスを研究すると、そこには五つの共通した法則があった。

中国と韓国が文化の領域でも存在感を増している。日本文化の国際的な存在感に変化は?

改正法で移植医療の制度は大きく変わった。スペインの現状に移植医療の行方を探る。


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内 事業・サービス紹介