さて、大地君の前作については
多くの方に「画期的な本だ」と喜んでいただいた反面
騒ぎが持ち上がりました。
二冊目出版に先立って
大地君のご両親からそらパパあてに手紙を送りましたが
いまだに返事が届いていません。
書面で出したものには書面で答えていただきたいので
弁護士経由で出しましたが
もしかしたらすでに代理人契約が終わり、届いていないのかもしれません。
だとしたら、ここに貼るか
もう一度版元にお願いするしかありませんが
とりあえず、ここに貼ります。
「著者を批判したのではなく、編集方針を批判した」という先方の意見には
「へりくつだ」という反対意見も多く寄せられています。
「なんで全員に経済的自立を強いる本、じゃないと恥ずかしい本だと読み取れるのかさっぱりわからない」
読んで思う人たちもたくさんいるのです。
まあ、本ってそういうもんですものね。
だから
編集に当たった私としては
編集方針を批判されるのはかまいません。
ただ、私は意見を聴く相手と聴かない相手を選ぶ人で
(ていうかじゃないと仕事なんてやってられないわけですが)
もともと評者としてまったく評価していない人の意見を聴く習慣はありません。
本を出すっていうのは数百万の投資です。
元々様々なレビューを読んで「あてになんない評者だな」と考えていた人からの意見に数百万投資する気にはなれません。
神田橋先生や岩永先生、横浜の福祉業界のドン(?)、瀧澤さんの意見なんかはよく聴きます。
そしてお三方とも、あの本を高く評価してくださっています。
大地君の育てられ方を、高く評価してくださっています。
齋藤宇開先生は「僕はこの本が出てうれしいです!」というはがきをくださいました。
大地君の担任の栗林先生とは、久里浜の同僚だったとあとでわかりましたが。
著者であれ編集方針であれ批判されるのはかまいませんが
それが限度を過ぎたものになってはまずいです。
先般の事件のときのように
ありえない想像に結びついたら対処しなくちゃいけませんね。
また、私たちが一番戸惑ったのは、事実無根の読み取り方をされて、それを事実と主張されていることでした。
大地君がなぜ支援級に行くことに納得し
支援級でのお勉強に前向きに取り組めるかというと
それは最初に目標を与えられているからです。
最初に目標を与える。
私はそれが素晴らしいと思って、あの本を出しました。
目的は、働ける大人になること。
そのためのトレーニングが必要だから、支援級に行く。
働ける大人になる。
だから、雪の日も学校に通います。
それは、大人になって職場に通うためのトレーニング、習慣作りだと教えてもらっているからです。
身体作りで三キロ走ります。80メートル走るのにも苦労していた子が、三キロ走れるまでに成長したのです。
そらパパは、ご自分のお嬢さんが将来経済的自立を果たせそうにないと考えているようです。
でも私たちにしてみれば、なぜそれほど限定的に考えるのか、そちらのほうが不思議です。
同じように重度のお子さんを持つ読者の方たちも、不思議がっているようです。
支援のあり方は変わってきているのに。
行政の方針も変わってきているのに。
障害者枠で働き、自力で家を建てた真行寺英司さんのような方もいるのに。
まあそれでも、まだ働くことのできない人にも国は援助をしますし
あの本を読んで、なぜ全員に経済的自立を強いていると読めるのか、それを私たちは不思議がっています。
本を実際にお読みになっていない方は、本当にそういう本なのかどうか
判断を保留されたほうがいいかと存じます。
先日、大地君の担任の栗林先生と北海道でお話しました。
栗林先生は「社会に送り出す」という視点を持って教育に臨んでいらっしゃいます。
けれども全員に、大地君のような教え方をするわけではありません。
大地君の言葉によると、こうです。
「出来ないことをやらされたりはしません。でも、嫌ならしなくていいよとは言ってもらえないし、無理だと思うからこの人だけしなくていいよともいきません。栗林先生は「みんな人間なので修行が大事で、小学生なので学校でみんながやることは一緒に参加しないといけない」と言いました。特別な方法だったり、特別な道具だったりしても、みんなが一緒に頑張ります。」
細かなアセスメントができて、ほんのちょっとの負荷がかけられて、子どもの可能性を引き出せる先生なのだと思います。
その先生におききしました。
親が就労できないと考えている場合はどうするのか。
深い答えが得られました。
おーっと、今日のエントリーが長くなっちゃいましたね。
じゃあお手紙本体は、また後日の掲載ということで。
北海道で読者からいただいた、ヤクルトミルミルキティちゃん。非売品です!
ヤクルトお姉さんにもらった瞬間、私のことを思い出してくださったそうです!
ありがとうございます!
多くの方に「画期的な本だ」と喜んでいただいた反面
騒ぎが持ち上がりました。
二冊目出版に先立って
大地君のご両親からそらパパあてに手紙を送りましたが
いまだに返事が届いていません。
書面で出したものには書面で答えていただきたいので
弁護士経由で出しましたが
もしかしたらすでに代理人契約が終わり、届いていないのかもしれません。
だとしたら、ここに貼るか
もう一度版元にお願いするしかありませんが
とりあえず、ここに貼ります。
「著者を批判したのではなく、編集方針を批判した」という先方の意見には
「へりくつだ」という反対意見も多く寄せられています。
「なんで全員に経済的自立を強いる本、じゃないと恥ずかしい本だと読み取れるのかさっぱりわからない」
読んで思う人たちもたくさんいるのです。
まあ、本ってそういうもんですものね。
だから
編集に当たった私としては
編集方針を批判されるのはかまいません。
ただ、私は意見を聴く相手と聴かない相手を選ぶ人で
(ていうかじゃないと仕事なんてやってられないわけですが)
もともと評者としてまったく評価していない人の意見を聴く習慣はありません。
本を出すっていうのは数百万の投資です。
元々様々なレビューを読んで「あてになんない評者だな」と考えていた人からの意見に数百万投資する気にはなれません。
神田橋先生や岩永先生、横浜の福祉業界のドン(?)、瀧澤さんの意見なんかはよく聴きます。
そしてお三方とも、あの本を高く評価してくださっています。
大地君の育てられ方を、高く評価してくださっています。
齋藤宇開先生は「僕はこの本が出てうれしいです!」というはがきをくださいました。
大地君の担任の栗林先生とは、久里浜の同僚だったとあとでわかりましたが。
著者であれ編集方針であれ批判されるのはかまいませんが
それが限度を過ぎたものになってはまずいです。
先般の事件のときのように
ありえない想像に結びついたら対処しなくちゃいけませんね。
また、私たちが一番戸惑ったのは、事実無根の読み取り方をされて、それを事実と主張されていることでした。
大地君がなぜ支援級に行くことに納得し
支援級でのお勉強に前向きに取り組めるかというと
それは最初に目標を与えられているからです。
最初に目標を与える。
私はそれが素晴らしいと思って、あの本を出しました。
目的は、働ける大人になること。
そのためのトレーニングが必要だから、支援級に行く。
働ける大人になる。
だから、雪の日も学校に通います。
それは、大人になって職場に通うためのトレーニング、習慣作りだと教えてもらっているからです。
身体作りで三キロ走ります。80メートル走るのにも苦労していた子が、三キロ走れるまでに成長したのです。
そらパパは、ご自分のお嬢さんが将来経済的自立を果たせそうにないと考えているようです。
でも私たちにしてみれば、なぜそれほど限定的に考えるのか、そちらのほうが不思議です。
同じように重度のお子さんを持つ読者の方たちも、不思議がっているようです。
支援のあり方は変わってきているのに。
行政の方針も変わってきているのに。
障害者枠で働き、自力で家を建てた真行寺英司さんのような方もいるのに。
まあそれでも、まだ働くことのできない人にも国は援助をしますし
あの本を読んで、なぜ全員に経済的自立を強いていると読めるのか、それを私たちは不思議がっています。
本を実際にお読みになっていない方は、本当にそういう本なのかどうか
判断を保留されたほうがいいかと存じます。
先日、大地君の担任の栗林先生と北海道でお話しました。
栗林先生は「社会に送り出す」という視点を持って教育に臨んでいらっしゃいます。
けれども全員に、大地君のような教え方をするわけではありません。
大地君の言葉によると、こうです。
「出来ないことをやらされたりはしません。でも、嫌ならしなくていいよとは言ってもらえないし、無理だと思うからこの人だけしなくていいよともいきません。栗林先生は「みんな人間なので修行が大事で、小学生なので学校でみんながやることは一緒に参加しないといけない」と言いました。特別な方法だったり、特別な道具だったりしても、みんなが一緒に頑張ります。」
細かなアセスメントができて、ほんのちょっとの負荷がかけられて、子どもの可能性を引き出せる先生なのだと思います。
その先生におききしました。
親が就労できないと考えている場合はどうするのか。
深い答えが得られました。
おーっと、今日のエントリーが長くなっちゃいましたね。
じゃあお手紙本体は、また後日の掲載ということで。
北海道で読者からいただいた、ヤクルトミルミルキティちゃん。非売品です!
ヤクルトお姉さんにもらった瞬間、私のことを思い出してくださったそうです!
ありがとうございます!