2009年7月11日10時53分
このところ、賛否かまびすしい国立施設といえば、アニメやゲームの「殿堂」、国立メディア芸術総合センター(仮称)。「国営マンガ喫茶」などと風当たりが強いのは、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアアートを一緒にしたことで「何の施設かよくわからない」、つまり「メディア芸術」と聞いてイメージがぱっと浮かばないせいもあるかもしれない。「メディア芸術」って何だ?
「映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」
01年に定められた文化芸術振興基本法は9条で「メディア芸術」をこう定義する。今年2月に開かれた文化庁メディア芸術祭を見ると――。
展示はマンガ、アニメ、ゲーム、メディアアート。アニメ部門の大賞作「つみきのいえ」は芸術祭が閉幕して1週間後に米アカデミー賞を受賞した。メディアアートの展示はCGなどデジタル技術を駆使した体験型の作品が多く、スクリーンに映る自分の姿に標識や虫など別の映像が次々に重なって踊り出す大賞作には、長蛇の列ができた。
4分野の中でも、肌合いを異にするのがこのメディアアートだろう。国際的に活躍するメディアアーティストでもある藤幡正樹・東京芸術大大学院映像研究科長は「メディアアートとは、例えば写真や映像という新しいメディアのあり方を批判的な視点から検証する、意識的な運動ともいえる芸術」と話す。他の3分野が大衆文化として発展してきたのに対し、現代美術の一分野と見られている。
なぜこの4分野がひとくくりにされたのか。
97年に始まったメディア芸術祭に立案からかかわる浜野保樹・東大教授は「当時の文化庁『芸術選奨』にないジャンルを集めた」と話す。芸術選奨は、演劇や音楽、美術、文学などで優れた創作者・表現者を顕彰する制度。いわば後発組を集めて発足したのが「メディア芸術」というのだ。その「メディア芸術」も昨年から芸術選奨に入った。
元文化庁文化部長の映画評論家、寺脇研さんは「日本は明治以降、西洋から導入した美術や音楽を高尚な芸術として丁重に扱ってきた。後発のマンガなどは日本生まれなのに継子扱いなんです」。
メディア芸術祭の事務局を初回から務める財団法人CG‐ARTS協会の阿部芳久部長は、「従来のピラミッド型の文化ヒエラルキーを平積みに並べ直そうと生まれたのが、メディア芸術祭。新しいジャンルもすばらしいものなのだと“芸術”という言葉を使った」と話す。
このジャンルをめぐり綱引きする役所の思惑もささやかれる。国際競争力のある「コンテンツ産業」として注目する経済産業省に対し、文化庁は“芸術”の言葉にこだわったともいわれる。
ではなぜ「メディア」? 浜野教授は「インタラクティブ、マルチメディア、デジタルなどいろいろ検討したが、しっくりこない。結局、複製可能なメディア(媒体)を使うとの共通項でくくった。次善の策です」。
かくして誕生したメディア芸術。ただ、違和感を抱く人も少なくない。くだんのセンターに関する検討会でも、メディア芸術という言葉に、ゲームやアニメ、映画関係者から「現場にそんな高尚なことをしている意識はない」「違和感がある」と、困惑するような声が上がった。
冒頭に挙げた文化芸術振興基本法は、美術、音楽、演劇などの「芸術」(8条)と「メディア芸術」(9条)を別々に定める。この規定では、現代美術の一分野であるメディアアートが「芸術」でなく、メディア芸術祭もセンターも対象にしていない映画が、法律上は「メディア芸術」という不思議な現象が起きているのだ。
そもそも、このように芸術を線引きすることに、どれほどの意味があるのだろうか。ゲーム関連出版大手、エンターブレインの浜村弘一社長は、「これらの新しい表現分野をひとくくりにするのは、娯楽を低くみる日本人の保守性の表れ。ただ過渡期なのかもしれない」と話す。一方、ある映画関係者は「いったんあいまいな存在にまとめて、そこに何でも取り込んでしまう日本人のしたたかさもあるのでは」と指摘する。
最近は、アートと娯楽の垣根を超え、融合する魅力的な作品が次々に生まれている。そう考えると「メディア芸術」はむしろ、時代を先取りしているともいえる。ただ、いずれにせよ言葉が定着するのは難しそうだ。何せ英訳するとメディアアートになるのだから。いわば、どこまでも日本的な領域なのだ。(小川雪)