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西岡、両こぶし潰してもV5!…WBC世界Sバンタム級

8回、西岡(右)の右アッパーがムンローの顔面にヒット

 ◆報知新聞社後援プロボクシング「エキサイトマッチスペシャル“THIS IS BOXING”」 ▽WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ ○王者・西岡利晃(判定 3―0)同級1位・レンドール・ムンロー●(24日・両国国技館) スーパーバンタム級最強だ! WBC世界同級王者・西岡利晃(34)=帝拳=は、英国からの刺客で同級1位の指名挑戦者レンドール・ムンロー(30)=英国=を序盤から寄せ付けず、3―0の大差判定で5度目の防衛に成功。初防衛から連続KO記録は「4」で止まったが、2度目の指名試合(1位挑戦者との試合)を難なくクリアし、長期政権を突き進む。西岡の戦績は37勝(23KO)4敗3分け。ムンローは21勝(9KO)2敗。(観衆8500)

 日本のKOアーティストがリング上で謝った。両目を大きくはらした西岡は「皆さんは5連続KOを望んでいたと思いますが…。すいませんでした」。その瞬間、惜しみない拍手がわき上がった。王座を獲得した08年9月の世界戦以来の判定決着。ジャッジ3人が10ポイント差を付けるKOより難しいといわれる圧勝の判定勝利。ダウンなしで国技館のファンを魅了した。

 速い、うまい、そして強い。世界戦では初のサウスポー戦。ムンローとのジャブの差し合いで圧倒。挑戦者の顔は1ラウンドから赤身を帯びた。ワンツーからの左ボディーに、すかさず右ボディー。打ったらすぐサイドに動く基本動作を徹底した。

 4回途中に右拳を痛めた。左中指の付け根にえぐれたような裂傷を負った。でも手は止めない。

 最終12回前。セコンドの田中繊大トレーナーが「家族が見てるぞ」とおもむろに西岡の髪をつかみ、観客席の家族に強引に顔を向けさせた。自慢の左のクリーンヒットはなかったが、連打でムンローを棒立ちさせること2度。「KOしたかったけど、ムンローが想像以上にタフだった」と納得の表情だった。

 試合後リング上で抱え上げた長女・小姫ちゃん(4)から「パパは誰にも負けないぞ!」と恒例のマイクパフォーマンスで祝福を受けると「負けへんもんな~」と目尻を下げた。

 ジムの大先輩に並んだ。1973年に23歳の若さでこの世を去った元WBA世界フライ級王者・大場政夫さんのV5の防衛記録だ。「不屈の闘志を持った偉大な王者」と語る西岡。その技は時を超え、伝承されていた。

 「ムンローも厄介だったはず」という右ジャブ。かつては左一辺倒だった西岡に10年かけて教え込んできた葛西裕一トレーナー(40)は「大場さんはジャブの名手だった。私も現役時代に徹底的にジャブを鍛えた。ジャブは帝拳の伝統なんです」と胸を張った。

 昨年5月のV2戦に続く指名試合をあっさりクリア。WBCでは敵なしの状態だ。V6戦以降に長谷川穂積(真正)から王座を奪ったWBC・WBO世界バンタム級王者フェルナンド・モンティエル(31)=メキシコ=との対戦もありえるが、「望むところ。ぜひやりたい」と言い切った。初挑戦から10年。いまだ進化し続けるエースはさらに上を目指す。

 ◆西岡 利晃(にしおか・としあき)1976年7月25日、兵庫・加古川市生まれ。34歳。94年12月、JM加古川ジムからデビュー。98年12月、日本バンタム級王座獲得。00年9月、帝拳ジムに移籍。同年6月以降、元WBC世界バンタム級王者ウィラポン(タイ)に4度挑戦も王座に届かず。08年9月、ナパーポン(タイ)を下しWBC世界スーパーバンタム級暫定王座を獲得。09年5月のV2戦でジョニー・ゴンサレス(メキシコ)を3回KOで下し、日本人2人目、24年ぶりの海外防衛を達成。169センチの左ボクサーファイター。

 ◆ムンロー「相手スピード上」 ○…リングを下りる際、目に涙を浮かべて青コーナーのポストに左ストレートを打ち込み悔しさをあらわにした。王者のボディーを攻めて突破口を開こうとしたが、逆にボディーを打たれ、速さにもほんろうされた。「印象のあるパンチはなかったが、相手のスピードが上回った」と振り返った。ゴミ収集の仕事は今後も続ける。「ボクシングも仕事も好きだからやっている。来週の水曜日から練習だ」と再起を期した。

 ◆対英国人挑戦者4連勝 西岡がムンローを破り、日本人王者は対英国人挑戦者4連勝となった。最初は1953年10月に世界フライ級王者・白井義男がアランに判定勝ち。その後は65年11月に世界バンタム級王者・ファイティング原田がラドキンに、75年2月にはWBC世界ライト級王者・ガッツ石松がブキャナンにそれぞれ判定勝ち。唯一の王座決定戦、WBC世界フェザー級タイトルを争った関光徳はウィンストンに9回TKO負けした。

(2010年10月25日06時02分  スポーツ報知)

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