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2010/2/8 UPDATE=現在約340種 掲載後1ヶ月以内は印です。

ランセットやフリームについて この頁の下の方に書いておきます。


肥後守=Higonokami  総論

「ひごもり」じゃないですよ、「ひごのかみ」と読みます。

永尾駒製作所製肥後守+α達


様々なタイプの肥後守&肥後ナイフ

永尾駒製作所産+OEM 現在唯一の正統・正式な肥後守 

1945年(昭和20年)以前製造の肥後守&肥後ナイフ  

語り継がれる逸品の肥後守・肥後ナイフと肥後守類似の珍しい洋式ナイフ

肥後守をベースにしたカスタム・ナイフ達。相当珍しい物や私のデザインの物も掲載。

学童用・廉価版の肥後守・肥後ナイフ、相当数が多く重いですよ。

○各ページから戻る時は、ブラウザの「戻る」を使って下さい。

記載に御不審や間違いが見られたときは私に御一報下されば修正いたします。何卒宜しくお願い申し上げます。

※鞘穴の有無等写真で区別可能な物を除外し刃材 柄材 全長 鞘長 刃長 刃幅 刃厚 重量 チキリ穴 座金の有無.形態を記載しています。刃長は先端から刃の付いている部分の長さ(有ればベベルストップまで)を計り 刃厚は洋式ナイフで言う「リカッソ」部つまり最も厚い部分を0.1mm単位で測定しています。重量も0.1g単位で測定しています(新品同志で重さが違う場合は素材の変更が考えられます)。

Knife誌の2月号「肥後守」特集拝読。医師として「ランセット起源」には異論が有るので下の方に医学的(一部民族学的)に論考しております。


総論
 刃を柄の中に折りたためるのが特徴のナイフ。通常は全金属製。明治期、三木の金物商が九州から持ち帰った刃物を改良し、生産が始まった。当時持ち帰ったナイフの詳細は全く不明である。優れた切れ味を持つ文房具、生活道具として、その後、全国へ普及。「肥後守」の名は三木肥後守協同組合の登録商標。現在、約5軒の登録製造業者を数えるが、4軒が休・廃業し常時生産は永尾駒製作所のみ。現在は月約1万丁を生産する。昭和30年代まで肥後守は、子供用の安くて頼りになる相棒として使われ工作や鉛筆削り 柿泥棒 カエル・ザリガニの解剖実習等に使われ、刃物の使い方を教えてくれる先生だったが、昭和30年末頃に子供達への「刀狩」が行われ、絶滅危惧種になり現在に至るが愛好者は多く、新品の入手は比較的容易であり、オークションの人気商品でもある。

歴史(諸説有りますが一般的な認識は下記の通り)

誕生前夜

 「肥後守」と言うと熊本特産もしくは発祥の地かと思われるが、実は兵庫県三木市が主産地

 明治26年頃、美嚢郡久留美村平田(現平田町)でナイフが製造されるようになり、村上貞治、及び永尾駒太郎がその製造に着手した最初の人である。当時ナイフ製造は完全な手作りで、刃部は鋼を地金に割り込み、十分鍛錬して製造したもの(本焼き)で、鞘は真鍮及び黒染された鉄メッキを用い、様々な彫刻を施した。一人の職人が一日に製造できる本数はせいぜい5〜8本程度だったと言う。明治維新の廃刀令で行き場を失った刀鍛冶も 大量に転職してきたという。ナイフの売れ行きが好調であったことからナイフの製造に転業する職人も多く、明治33年頃には14〜15軒がナイフ製造業として登録されていた。需要に追われ大量に生産されるようになり、やがてナイフの中には自然に粗悪なものも増え、平田ナイフの名を騙った偽物も多数現れるなど 名声を上げた「平田ナイフ」の評判も下がってしまった。その当時安価に入手可能になった「洋綱」の扱いに不慣れで熱処理加工がうまく行かなかった為とも言う。

(付記、明治23年に岐阜県関市では既にポケットナイフが製造されている。写真は福地廣右衛門翁明治23年製「舶来式折込小刀」復刻版)

肥後守誕生

 ちょうどその当時、土木用改良スコップを作っていた重松太三郎氏が 九州(鹿児島・熊本)より持ち帰った2本の刃物に 村上、永尾両氏が「尾=チキリ」をつけて、刃と柄を折りたためるように考案したといわれている。

 九州から入ってきた肥後の守の原形については、切り出し小刀のように刃体が柄に固定されていたものだったという説、柄と刃が一体で布のようなものを柄に巻きつけた共柄の簡単なものだったという説がある。

 また重松商店から土木用スコップ製造時に大量に出る「ハガネの端材の利用」という目的もあったらしい。重松氏は、現在我々が手にしている西洋式のスコップを 最初に日本に広めた人物である。

 極初期の肥後守は縦折り鞘で 刻印銘も無く、チキリ(尾)も無く トンガリ刃(笹刃)が無制限に回転するという恐ろしい代物だったという。この形状は獣医さんが瀉血に用いる携帯用刃物とよく似ていた。チキリが付いた事で刃が安定し このナイフが九州で非常に好評な売れ行きであったため、名前を「肥後守ナイフ」に変えて販売したのである。

 まるで日本刀の受領名(ずりょうめい)のような肥後守だが、厚刃の実戦刀で有名な「肥後胴太貫正国」(ひごどうたぬきまさくに)の名は肥後守加藤清正から一字を貰ったもの。明治維新直前 新撰組を抱え、白虎隊で有名な会津藩最後の悲劇の名君「松平容保」(まつだいらかたもり)公が最後の肥後守だ。そう考えると何か不思議な偶然のような気がする。問題は熊本に当時肥後守の元型になりそうなナイフが見つからないのだ。洋式のロック付きナイフではなかったのか?と異論は絶えない。平田ナイフと共に歴史の中に消えつつあるが 熱心に探せば どちらかが出てくる可能性も有る。

 明治32年に「肥後守ナイフ組合」が設立され、最盛期には登録製造業者40件、製造従事者200名を数える大きな産業へと育った。

 「肥後守」の名称を使ったナイフは、三木市以外の刃物産地でも作られるようになったが、中には粗悪品も多く、様々なトラブルが発生したため、明治42年「肥後守」の名称を商標登録し、これ以後「肥後守」は三木洋刃製造業者組合の組合員だけが使用することの出来る名称となり、現在に至っている。

 明治44年に 兵庫県神戸市で開催された「神戸第一回貿易生産共進会」で、後の大正天皇が 展示されていた「肥後守」を大変気に入り、お買い上げになったことで「肥後守」ナイフの名声はさらに確固たるものとなった。

 また、柄にも縦曲げと横曲げが有ったが、現在では縦曲げは作られていない。縦曲げ肥後守を初めて横折りに改良したのは「秋水(山正)」銘の肥後守を制作していた故;小阪富男氏の父君・弥三郎氏で、足袋のコハゼを曲げる機械を購入し 同業者に知られまいと納屋で作業していたそうである。九州においては「トンガリ刃」「縦折り」だけが肥後守だ、というイメージが強かったそうで 昭和30年代まで縦折りが残っていた。刃は両刃(V字断面の刃)だったというのが定説である。刃体の形も少しずつ変わってきており、最初は切っ先のとがった鋭利(笹刃)なものから、現在の角形に変化した。これは浅沼稲次郎刺殺事件により先端の尖った形状を嫌った為という。巷間浅沼氏が肥後守で刺されたというデマが流れ未だに信じている方も多い。彼は「銃剣」(ゴボウ剣)で刺殺されている。最盛期には三木市産だけでも280種類程の肥後守・肥後ナイフが存在した。日本全国では一体どれ程の数が有ったのだろうか?

 肥後守は、出来た時から既に西洋風ポケットナイフとは全く別の刃物として認識され 作られ使われたもので、殆どが国内向けとして作られていた。国際的なナイフショーで「ジャパニーズ・ペニーナイフ」として紹介された事も何回かあるが 白人世界は全く無視していた。つまり100%日本人の為のポケット・ナイフだったのである。ところが2006年になり「チキリ」の付いた洋式ナイフが二点だが発売された。刃材がステンレスだったりロック機構が有ったりであるが もしかすると外国産の肥後守・肥後ナイフが出てくるかも知れない。

★肥後守誕生異説(1)諸説有るので記録に留めておきたい。

小田慎次氏(元三木市金物資料館)説

明治27年11月三木市中町の金物商重松大三郎氏と平田町の鍛治職村上貞治氏が熊本に旅行をした際にナイフを作っているところを見て二人は その品物を譲り受け三木に持ち帰り工夫をし考案をし肥後守が出来上がった。

★肥後守誕生異説(2)

井本由一氏説

明治29年頃重松大三郎氏が熊本よりナイフを持ち帰り平田の村上貞治らに作る事を薦めた。熊本でなく久留米だという説も有る。見本となったナイフは刃の固定しない不安定な物で村上貞治氏が尾(チキリ)を付けた。初めは輸入鋼を割込鍛接した高級品で鞘には軍艦や松に日の出などの彫刻が施され美しいものだった。

★肥後守誕生トンデモ説 昭和39年11月11日神戸新聞に掲載された加東守作者=井上仁三郎翁自説

明治44年井上氏が23才の時軍隊に居たときに考えた物。退役後シャベルの切れ端を購入し刃付けを施し「加東守」の銘で販売を始めた。ところがこれを三木市に居た刀鍛冶が真似し「肥後守」が生まれた。大量に刃を付ける機械も自分で発明した。回転する円板に紙やすりを貼り付けたが すぐ破れる為工夫を重ね、最終的には63人の人間が一日平均一万丁を生産したとの事。ちなみに肥後守の最盛期に月間の販売量が一万丁だそうである。これは井上翁存命中の76才時 後本人から直接聞き取った記者がそのままウラも取らず記事にしたもの。調べれば肥後守の商標登録が明治43年である事に即刻気づいた筈。悉皆調査やフィールドワークを知らない まったくもってマスゴミの怠惰 不勉強によるデマである。

そして現在

 肥後守とは現在の兵庫県三木市で「三木洋刃製造業者組合に所属したメーカーが制作した物」を言う。 現在は唯一「永尾駒製作所」だけが「肥後守」を名乗る事が出来る。他のメーカーで作った肥後守型ナイフは「肥後ナイフ」や「ナントカの守」「ナントカ丸」などと名乗っている。2006年現在「三木洋刃製造業者組合」には5軒の登録業者が有るが、永尾駒製作所以外は全て廃業してしまい 名前だけが登録されているとの事。勿体ない気がする。

 昭和30年頃から日教組とPTA組織が徒党を組んだ「学校に刃物を持ち込むな」「危ないから持たせるな」「子供の手に触らせるな」「子供の目に刃物が触れないように」という常軌を逸した集団ヒステリー 俗称「刀狩」運動が日教組とPTA組織の手により広まった。米国の「禁酒法」に類する悪法である。浅沼稲次郎氏の暗殺が未成年によって しかも凶器は「銃剣」だったに関わらず、起こされた事を拡大解釈し「刃物は全て悪い物」と決めつけ 子供達が肥後守で道具を作ったり鉛筆を削ること 手で物を考える事、とにかく刃物を使うことなら何でもかんでも全て禁止された。米国主導の民主主義の底の浅さなんて こんなものである。教室では黒板の横に鉛筆削り機が常設された。

その結果 日本人の「器用さ」が消えた。日本の新婚家庭の10組に1組は包丁さえ持たないそうである。「危ないから正しい使い方を教える」のではなく ひたすら「禁止」とにかく「禁止」何でも「禁止」したツケが現在顕在化している。バイクの「三無い運動」も全く同じ図式だ。今の日本をダメにしたのは日教組と社怪党や協賛党、PTA ひいては戦後民主主義とやらであろう。その揚げ句が「ゆとり教育」である。円周率が「約3」だそうだ。四千年前の人間以下である。不器用というか知恵を無くし、対人関係構築も出来ず かつ知識を得る楽しみを放棄した人間が「住所一定無職@寄生高齢者」という有り様になったと思う。知恵を身に付けるのは手で物を考える事から始まり 子供同士だけの社会で対人関係の基礎を学び 学ぶ事の楽しさを知る基本を忘れ果てた因果が今の日本だと思っている。安全に刃物を使う事を是非 親が子に伝えて欲しいものである。

 肥後守という刃物は、日本人が考えて作った日本人の為の これ以上無いシンプルな機能美に溢れた素晴らしいポケットナイフである。大袈裟であるが、子供達に「手を使って物を考える」事を再度感じ取らせてやりたい。

 まだ「肥後ナイフ」等の名称で肥後守を作っている会社は何軒か残っており 中には「永尾駒製作所」をしのぐ素晴らしい物が たくさん有る。そして2006年 米国産のチキリが付いたナイフがファクトリー製品として発売された。日本で絶滅危惧種になった肥後守・肥後ナイフが逆輸入される時代になったかも知れない。

 掲載した「現在買える肥後守」には、購入したショップへ品物毎にリンクを張っています。オークションで落札したものにはその旨記載しておりますが落札価格はマナーとして原則書かないことにしております。

肥後守・肥後ナイフ・私なりの定義

肥後守/肥後ナイフの正式な定義という物は存在しない。しかし我々同世代の共通認識は下記の通りである。

「鉄(炭素鋼)の刃材」(つまり錆びる)

「チキリが有る」(峰の部分から突出したLの字型の部分=二得型以上では認めない)※注・下記

「柄は金属を曲げて作っている」(真鍮、鉄、ステンレス等)

「ロックシステムを持たない」(自由に刃の出し入れが可能)

「2006年現在 永尾駒製作所で造られた物だけが肥後守である」

「折畳み」が出来ない物は片刃・両刃を問わず「切り出し小刀の一種」と考える。最近の高級版ではステンレス製の刃を持つものも現れている。本当は「廉価である」という項目も欲しいのだが 昨今の肥後守はナイフショップでさえショーケースの中に鎮座している。中には玉鋼製純銀鞘18万円!という肥後ナイフまで登場した。低価格を以て肥後守と定義する事は出来ない。

こういう形状の物は例え販売元が肥後守を名乗ろうが「切り出し小刀」である「例-1」「例-2」

肥後守のサイズは、刃身の長さだと手造りのためバラツキがあり、普通は鞘の長さで表す。
・「大特大」    163mm
・「特大」     120mm(4寸)
・「大大」     107mm
・「大」       97?mm(肥後守の標準サイズ)
・「中」 92mm
・「豆」 54mm

刃材は 現在は下記の6種類に大別される。      
・多層鋼 青紙 割込 (完全三層構造)15000円以上
・青紙 割込 (完全三層構造)3000円以上
・黄紙 割込 (完全三層構造)1500円以上
・SK 割込 (完全三層構造)1500円以上
・青紙 本割込 12000円以上
・SK (全鋼)500円クラス
鞘材; 鞘材は、ほとんど真鍮が使用されているが、一部ステンレスを使用しているものがある。

   ・真鍮
    ・真鍮(クロムメッキ、黒塗り)
    ・鉄(クロムメッキ)
    ・ステンレス(強度が必要なため大特大に使用)

※「SK材」は工具用炭素鋼材 決して青紙が良く黄紙が低品質とかではありません、使う人うや使い方によって仕様材が違うのです。青紙や白紙 黄紙は日立製鉄所安来工場産のハガネで「安来鋼」と言います。「和鉄」「和綱」は定義が複数有るみたいです。日立金属のHPに歴史や「たたら」の詳細が掲載されています。上記で示した刃材・柄材は永尾駒製作所のものを示しています。

写真は全てクリックで拡大します。ただMacintosh+Adobe Photoshopで加工していますのでWindowsだと色調が変ります。著作権は主張しませんが、転載する場合はマナーとして私にメールを下さい。この頁に対するリンクはフリーです。

※「刃長」は刃の付いている部分を測定。「刃巾」は柄に最も近い部分で測定、「刃厚」も同様です。

米記載には随分「2ch刃物版・肥後守スレッド」「ナイフマガジン 哀愁の肥後守」を参考にさせていただきました。感謝致します。

※現在写真を少しづつ撮直しています。スタジオボックスを購入しましたので、見やすい写真と随時入れ替えています。

チキリとは本来 違う材料の木材をつなぎ合わせる為のパーツである。正三角形あるいは二等辺三角形の頂点同志をつないだ鼓型をしている。有名なのは「そごう百貨店」の社章の「まるにちきり」。(=この表記が正しい)何故肥後守の金具に この名前が使われたのか不明である。一般的には「家紋」にも「ちきり」が多く見られる。

雑感;最近になりYahooオークションでの肥後守&肥後ナイフの落札価格が暴騰中である。元はと言えば学童用の質素?なナイフである。オクを観察していると私の様なコレクターではなく転売目的のプロの参入が目立ってきた。表現が悪いが価値の低い肥後ナイフを一万円近くで落札していくのである。売る時に困るだろうと思うが 事実 最近、縦折り肥後守の時に入札しようとしたところ相手が15000円と途轍も無い指し値入札しており諦めた経緯が有る。この価格の暴騰に参入し暴騰に過短するのは本意ではない。しばらくカスタム系の物を中心にコレクションする予定である。

それから気になるのが安易に「肥後守」を名乗るカスタマーが目立つ事である。上記総論で記載したように、肥後守を名乗れるのは兵庫県三木市で「三木洋刃製造業者組合に所属したメーカーが制作した物」だけである。これは現在「永尾駒製作所」しか名乗れないもの。勝手に名乗ることは商標法のみならず歴史や収集家諸氏も これを許さないのである。もしカスタマーの方で この文章を読まれた方がおられたら是正される事を望みます。

詳しく書籍で調べてみたい方は、私がAMAZON.Comで公開している「ブックリストマニア」の和式>洋式ナイフコレクションを御参考までに掲げておきます。


肥後守と言えば加藤清正、肥後は現在の熊本県ですが、江戸時代の怪奇談を集めた「二川随筆」という本に載っていた話です。刃物と肥後守の意外な話だとお読み下さい。

寛永8年(1631)のこと、加藤肥後守忠弘の領内熊本に起きた話。その年領内の桐の木に冬瓜(とうがん)の様な果実が沢山実り これは珍しい事だと人はそれが熟すのを楽しみにしていたが、その内その実をネズミが食い破って出てきた。さても不思議な事が有るものだと その桐に出来た果実を取って切り割って見ると どの実からもネズミが沢山出てきたので大勢で寄ってたかって打ち殺してしまったが 尚不思議な事にはその実の一つから鉈が一つ出てきたのであった。まことに古今試しの無い奇怪事であった。その翌年6月に突如、藩主肥後守忠弘並びに嫡子豊後守光政父子は配流に処せられ清正公以来の名家加藤は断絶してしまった。さては桐の果の怪事も その前兆であったかと噂された。この話は以前蒲生飛騨守氏郷の嫡男藤三郎秀行に仕えて一万石を領し のち加藤肥後守忠弘に仕えて、加藤家断絶後阿波の松平隠岐守(蜂須賀忠英)の家臣となって三千石を受けていた神田清左衛門の直話で、その時桐の果から出た鉈というのを所持していたという。

ちなみに加藤清正公の紋所は「蛇の目」か「桔梗紋」、「桐の紋」は豊臣秀吉や足利義満が家臣に配った事で有名ですが 後日改易で新しく肥後守になったのは細川忠興で「九曜」紋です。(奥様が有名な細川ガラシア)その細川家が世に出たのが足利家によって、ですから随分持って回った因果噺です。もしかすると「肥後守」は「鉈」のブランド名になっていたかも知れませんね。


Knife誌=平成21年2月号に「肥後守」特集が有りました。53頁下段に「和漢三才図会」や「蘭療法」の図譜から肥後守の起源をランセットやらフリームと考えておられるようですが。私は医師として これは起源にはなり得ないと推量致します。まず雑誌社の方が「ランセット」とか「フリーム」を特殊なナニかの様に書かれてますが何れも一般には「メス」と呼ばれる道具です。古くは安土桃山時代に日本人でも西欧人と触れるチャンスの有った日本人には「瀉血」の概念は知識として有ったと思います。瀉血というのは下肢の浮腫(むくみ)の酷い時に下肢の末梢側の静脈を消毒もせずに血管をカットダウンし血液そのものを抜くという治療法です。当時は血液の役割も判らず「ガレヌス」の唱えた5体液説が信じられていました。西欧人の下肢浮腫の原因の多くは膝の裏側を走る膝窩静脈の静脈硬化ですから 感染さえしなければ、或る程度の効果は得られたかとも思います。また本来の下肢浮腫には「リンパ浮腫」も有りますが粗雑な道具でのカットダウン時にリンパ管も破くため これも下肢浮腫が軽減したかと推量します。流石に肉食民族は直接的です。この施術は当時の西欧では被差別民であった床屋さん(床屋外科)がやりました。その為床屋さんの前で回転している看板は青(静脈)赤(動脈)が描かれていますね。しかし我が日本では瀉血という治療は一般化しませんでした。明治の御一新後でさえ「身の毛がよだつ」と拒否されました。日本人が民族的に持っていた「触穢」(しょくえ=ケガレに触れる)の概念の内「死穢」の次に厭われるのが「血穢」ですね。何せ270年間公式には肉食をしなかったくらいです。穢れは同じ道具を触る事でも伝染しますし 使った人に接するだけでも伝染します。新品でも瀉血の道具を作る事は その鍛冶屋さんが「穢れに触れた」ことになり 戦前の日本人なら新たな被差別感を産んでしまったかと思います。その「瀉血」の道具を積極的に利器として捉えたとも考えられません。メス(ランセット)等戦前は輸入物が一般的でした。現在は貝印かフェザーが多いかな?普通に考えても手術道具は気持ちの悪い道具ではなかったでしょうか?清と穢の対立概念は今もって日本人に顕著なもので臓器移植の妨げになってるくらいです。我が日本人は血管を切り裂く野蛮な瀉血ではなく「蛭に血を吸わせる」事を知っていましたので別にフリームなんぞ無くても痛くも痒くも無かったのです。また「医心方」などという明治以前の教科書では利尿効果のあるクスリをまず処方するという今でも通用する立派な対処法が書かれています。日本で瀉血に親しんだのは獣医師や野巫獣医師です。牛馬の下肢の浮腫に山蛭を大量にたからせるのは現実的に困難です。私が個人的に拝見した昭和のフリームはステンレス製の牛馬用でしたが肥後守とは似ても似つかない道具でした。それが53頁の写真の道具で、獣医さんの往診道具として大正初期まで使われた物です。戦前でも1900年代には医療用具は消毒をするのが当然になり例え往診道具でもステンレスになっていました。


用語解説

まず理想の刃物用鋼材として求められるのは、錆びず、折れず、磨耗せずそしていつまでも良く切れる。しかしその様な鋼材というものは残念ながら有りません。刃物を作るには必ず焼き入れ処理を行いハガネを硬くする必要が有ります。その為にはカーボン(炭素)を沢山加えた特殊ハガネを作れば焼入れ硬度が高まり切れ味が良くなります。しかし、硬くなれば折れやすくなり、カーボンが多く含まれると錆び易くなります。
錆びにくくする為クロームを加え、折れたり、欠けにくくする為粘りを出す必要からモリブデンを加えます。
ブレード(刃材)には必ず長所・短所を持ち合わせており、すべての面において万能という訳にはいきません。刃持ちに関わる耐摩耗性・刃の欠けやすさなどに関わってくる靭性〔耐衝撃性〕・腐蝕〔サビ〕の発生しやすさに関わってくる耐蝕性などのバランスによって多くの種類の鋼材が各メーカーの選択によって使用されています。
炭素鋼
炭素鋼は和式ナイフや、和包丁に使用されており、日立特殊金属が生産する「安来鋼」などが有名です。安来鋼による刃物用鋼材にもさらに種類があり、
白紙=不純物を低減した純度の高い炭素鋼。靭性〔耐衝撃性〕や耐蝕性に優れ、和式鍛造刃物で ごく普通に使われている。どちらかというと普及品に良く使われる。
青紙=タングステンやクローム添加して熱処理特性及び耐磨耗性を改善した鋼材。一般的に白紙の刃物より高価になるが高級刃物素材というイメージが強い。一号二号スーパーの三種類がある。合金綱系鋼材とも言う。
青紙スーパー=青紙にバナジュウムやモリブデンをさらに添加して配合率を調整しており、硬度が非常に高い最高級の刃物綱。固いが靭性にも優れる。和式鍛造刃物では「割込用」の綱として使用される炭素鋼。
ステンレス鋼
クロームを12%以上含み、必要に応じてニッケルやモリブデンなどを添加配合した鋼材で、サビにくい事からナイフや洋包丁などの一般家庭用包丁などに使用される。
440C=クロームを18%程度含み、硬度的にはごく一般的固さ、耐蝕性に優れる。ナイフ用鋼材としては非常に有名で、研ぎやすくリーズナブルな鋼材。
ATS-34=日立金属が開発したステンレス鋼で、HRC硬度59〜61と高硬度で靭性〔耐衝撃性〕に優れています。現代ナイフの「神様」R.W.ラブレスが使った事でカスタムビルダーが追随し有名になった。
AUS-8=愛知製鋼が生産するステンレス鋼。HRC56〜58と研ぎやすい刃物鋼です。
銀紙1号=日立金属が開発したステンレス鋼。クロームの含有率が高くモリブデンが添加されている為、耐蝕性に優れています。

よくナイフに使われている154CM鋼はジェット・エンジンの高圧タービン用、440C鋼はベアリング用、D-2鋼は金型用、M-2鋼は切削工具用というのが本来の使用目的。

刃物の研ぎと鋼材、熱処理の関係

研ぎ、鋼材、熱処理の3つが揃って良い刃物になる。いかに良い研ぎをしても鋼材が悪ければ、すぐに鈍って切れなくなる。たとえ良い鋼材であっても、適切な熱処理(焼き入れ等)が行われていなければ鋼材を生かせません。つまり良い鋼材(原材料)を選び、適切な熱処理が施されたものを良い職人が研ぐ(仕上げる)。この3点が揃い踏みしたときに、良い刃物が誕生します。
このうちのどれが欠けても どこかを手抜きしても良い刃物は絶対に出来ません。刃物の出来の善し悪しを決める工程のひとつに熱処理があります。熱処理は大きく分けると4種類に分けられます。

「焼入れ、焼戻し」
鋼は焼き入れをすることにより硬くなり、焼戻しをすることにより粘りを出します。
硬いだけの鋼は衝撃に弱く、欠けたり割れたりしやすい。逆に柔らかい鋼材は刃持ちが悪く、硬い物を切ったり、プラスチックのまな板などを使用する場合は、刃が負けてしまいます。刃物にとってのよい鋼とは硬くて粘りがあるという相反した性質が必要となります。「鉄は熱いうちに打て」といいますが、鋼も鍛えれば不純物が排出され強くなります。しかし強さがピークに達したら、クールダウンしてやらないといけません。この作業が焼き戻しです。焼き戻しをすることにより鋼は硬く粘りのある理想的な状態になります。
鋼を硬くしたり軟らかくしたりすることも熱処理の出来が大きく左右します。
つまり、よい鋼材を適切な熱処理することにより刃物に適した鋼材に仕上がるのです。

昔ながらの刀を作るような鍛造品は、カスタム物だけです。安くて良く切れるという肥後守のコンセプトで説明します。
さすがに鉄板を切って焼き入れしただけの粗悪品は流通していません。(たまに昭和30年代物で見つけると嬉しいくらいの珍品です) 肥後守はヤスキ鋼を購入した業者が積層鋼に加工した利器材を製造してメーカーに卸します。軟鉄に鋼を割り込むのと同等の利器材を使うので「割込」と表示するメーカーも多いようです。平成になってか らは利器材の名前(たとえば「青紙」等)を刃に刻印しています。
A プレス品
 カッターナイフの刃に使われるSK鋼の厚い物をプレス抜きして、加工しただけの物です。背を見るとカッターの刃と同じ様に二枚の板が圧着されているのが見えます。プレスとか全鋼と表示します。
B  割込
 刃鋼の両側に軟鉄がある利器材を使った刃です。判断に困るのは背を見ても三層ではなく、二層に見える事です。同じメーカーの物でしたら全鋼より刃が厚いのですが…何本か削ってみたら途中から三層でした。メーカーによっても表示が違います。
C 青紙割込
 青紙にも色々な種類がありますが、利器材の厚みか背が三層に見えるので判別は簡単です。特にチキリは三層鋼を焼いて叩きますから縞になって見えます。20年くらい前の「本割込」表示の刃も三層ですから「青紙」ではないものの高級な利器材を使っていると思われます。
※全鋼をZ(ゼンコウ)とかP(プレス)と表示した物があります。割込をW(ワリコミ)と表示した物があります。

商標や呼称が はっきりしている場合「ここ」から検索出来る場合があります。呼称検索で最上段に片仮名で「読み」を、二番目に「1」を入力すると登録されている類似名称も一緒に表示されます。(=独立行政法人・工業所有権情報・研修館。のサイト)何種類かの検索法が有りますので正体不明の個体を入手した時は試してみる価値が有ります。

利器材(真ん中に青紙をサンドイッチしてあるもの)写真で解ると思います。


用品解説 コレクション用ケース

「Knife-Roll,Holds50-60Knives」ユナイテッド・カトラリー社でコレクター向けに出している「Knife-Roll,Holds50-60Knives」というもので2917円+アメリカ〜の送料税金で3617円(代引きは+300円)一目瞭然ですが不織布の布にカバーされ肥後守・肥後ナイフが擦れ合わないようになっています。

この中には廉価版とかOEM製品をブランド別に収納しています。何という銘の どの大きさが無いのか一目で判ります。価格はOutdoor-World社調べです。(リンクは分かりにくいので直リンクです)他にも大形用や少数用があります。日本で予約を入れるとアメリカのストックから輸入してくるのですが、向こうのデポに品物が有れば一週間程度で手に入ります。代引きも効き コレクターには御奨めの品です。

「ラムコ・ナイフアタッシェ」

日本では山秀が扱うものが一番安いです(3800円)代引き可

中には11本のナイフとダイアモンド砥石2本が収納できます。材質は非常にしっかりした化繊です。ご覧の通りなのですがサービスでネームプレートを無料で刻印してもらえます。収集家には嬉しいサービスです。これらには一社で多数の物を持っている場合や「高額肥後守・肥後ナイフ」を収納しています。(リンクは探しにくいので直リンクです)クッション材が入っていて しっかり中身を守って呉れますし高級感があります。

「ホムセン仕様アルミ製ハードケース」特売価格1980円と2200円 中身は潰れちゃ困る「箱」類です。捨てる人が多いのですが基本的に私は箱を捨てません。箱にだってコレクションするだけの面白さが有るのです。昔の箱を見ると現代のものよりも味わい深い物が多いと思います。桐箱 紙箱等が痛まないように硬いケースでガードしています。二枚目からのケースは女性用の化粧品格納ケースですが これが意外に弁理でパーツ毎格納出来たり工具まで入ります。三枚目で大型肥後ナイフを巻いてあるのは大工さんが揃いの鑿を巻いておくズック製のもの。革製のも有りますが布の方が格納には向いています。

或る日の風景「修復風景」リューターにアタッチメントのセット。足元に少しだけ見えているのが「水研ぎ機」である。これが有るとベタ研ぎで熱処理が戻ってしまう事が無い。

「金床・カシメ台」

有ると便利な工具色々(ポンチ凹凸etc)

金床はレールを切って焼き入れしたもの。ホムセンで3500〜4000円。金槌に乗っているのが「カシメ台」で980円。ジョイント・ピンが緩んだ時こいつの上で叩くと柄に傷が入らないし 反対側のピン頭まで凹ます事が無い。有ると便利な道具です。ポンチはピン・ポンチの6.0位で500円程度が吉。ピンポンチはガタガタになってどうしようもない鳩目を抜いたり新しい鳩目を打ち込んだりする物です。刃をミラー仕様にしたい人は「かなばん」という水平面を正確に出した金属板(2600〜5000円)に金剛砂(500円位)を使います。

記載に誤りが有ったり掲載物の素性の情報など有れば是非教えて下さい<m(__)m>