日本の経験がこれからの世界を動かす / SAFETY JAPAN [日下公人氏]
外務省: 「自由と繁栄の弧」をつくる 拡がる日本外交の地平 外務大臣 麻生太郎
外務省: 我が国の重点外交政策 「自由と繁栄の弧」:
東京財団前会長 日下 公人氏が、凄く興味深いコラムを書かれているので、全文を掲載する。このコラムに依ると、中国は安倍外交に完全屈服していたらしい。少し長いですが読んで見て下さい。(^^)
2008年4月17日
前回は「日本になろう」としている米国と、昔の米国を追いかけている日本について書いた。新しい米国はもう折り返してきている。それなら日本は、古い日本へ戻るべきだ。古い日本の中を探すと、もっとよい答えがある。それは、外国のほうが先に見つけ始めている。
麻生太郎さんは、外務大臣のときにカンボジアに行って、こんなことを言われたという。「カンボジアは新しい国だから、いろいろなことをどう進めていいか分からない」。カンボジアの人たちが悩んでいることの大半は、実は日本が復興するときに同じように悩んだことだったから、麻生さんは「日本はそれらを全部経験してきました。ですからその経験をお教えしましょう」と言った。
するとカンボジアの人たちは「いや、もう既に、日本から来て教えてくれている日本人女性がいます。その女性が、カンボジアの民法や民事訴訟法などをすべてつくってくれています」と言ったという。
親族関係や争いごとの解決方法などを定めた民法は、その国そのものと言っても過言ではない。それを、日本人がつくっているというのだ。おそらく日本人がつくったものの中で、カンボジアの人たちが気に入ったものだけを採用するのだろうが、それは「カンボジアが日本になる」というようなことである。日本人は、カンボジアをつくってあげているのだ。
新興国は、とにかく日本に学びたい。文化を教えてくれ、いろいろなことをすべて教えてくれという状態になっているそうだ。そこでわたしが、「中国もそうなるんじゃないですか」と麻生さんに聞いたら、「オリンピックの後に雪崩を打ってそうなるかもしれない」と彼は答えた。
麻生元外相の「自由と繁栄の弧」はものすごい思想攻勢
安倍晋三さんと麻生さんの意見が一致して、二人で取り組んだ「価値の外交」という概念がある。日本から始まって、ベトナムを回って、シンガポールを通って、インド洋へ出て、アラブ諸国に至るという、“お月様”みたいな弧があって、それらの国々はみんな経済がうまくいっていて、繁栄している。その繁栄の奥には「価値」があるということである。
価値とは、例えば「自由は尊い」ということ。「民主主義は尊い」「言論の自由は尊い」「家族仲良く暮らそう」「相手を侵略しない」「軍事力には金をかけない」といったことで、それらの価値観が各国において共通していて、みんな繁栄している。
麻生さんはその「繁栄の弧」の上にある国々を回って、「今の価値観でもっと一緒にやろう」という話をして大成功した。そこで、それを「自由と繁栄の弧」と発表した。しかし、日本ではそのことを誰も褒めていない。
中国やロシアはそれを脅威に思っているはずだ。「自由と繁栄の弧」に囲まれたら勝ち目がない。中国やロシアには、国内にそういう価値がまったくないのだから。
国内にないものを今からつくろうと言われても困る。もしつくったら、共産党政権はなくなってしまう。そうした意味で、麻生さんが発表した「自由と繁栄の弧」とは、実はものすごい思想攻勢なのである。
中国は完全に安倍外交に屈していた
そういうことをマスコミは書かないから、日本人は気がついていない。ところが、在日元中国人評論家の石平さんはそれを書いた。石平さんによれば、 北京に行ってみると、もうみんな「日本に負けた。完全に日本にグリップされた。我々はそれに対して戦う手段がない」と言っているそうだ。
それを聞いた麻生さんは、「たしかに、外務大臣として北京へ行ったとき、中国の胡錦濤国家主席はもう困り果てていた。本当に立ち往生していた」と言っていた。
「これからいったい誰が総裁になるのでしょうか、やはり安倍晋三がなるのでしょうか」「おそらくなるでしょう」「では安倍晋三に対して、我が中国はどうすればいいでしょうか。教えてください」――というやり取りがあったそうだ。そこで、安倍晋三さんが中国へ来たとき「まずは全面屈服してください」 と言ったら、本当にそうしたらしい。
それなのに日本の新聞やテレビは、「北京詣をした」と報道した。「安倍はさっそく北京詣をした」というふうに、悪口ばかり言う。しかし、中国側はもう反日的なことをまったくしなくなって、ただ静観しているだけであった。あれは完全に安倍外交に屈服していたのだろう。
そういう経緯を知っていた石平さんは、安倍政権が終わったとき、「せっかく中国をあそこまで追い詰めたのに、辞めてしまって残念だ」と言ってい た。それを中国人の石平さんが言うのは変だと思って聞いてみると、「実は中国国民は大変残念に思っています。あのまま安倍外交が続いて中国共産党がなく なってくれるのが、13億人の中国国民のためです。日本が助けてくれると思っていたのに残念です」と語った。
わたしはうなってしまった。日本の評論家でそこまで考えている人はいるのだろうか。それくらいの目で世界を見てほしいものだ。
日本人は何でも反省する。日本は何もかも「まだまだダメだ」と思っている。日本人はずっと、そういう色眼鏡で日本を見ているから、そこに新しい材料が出てきても気づけないのだろう。
しかし中国は反撃を開始した。フランスの新聞記者の質問に対して、「中国には自由と民主主義以上のものがある。それは思想だ」と答えてフランス人を絶句させたらしい。たいしたものですね。日本は重ねてもっと強力なことを言わねばならない。
日本も米国も「困ったときは女性頼み」
中国だけではない。米国でも、国務長官であったコリン・パウエル氏の次はライス氏で、「軍事力を使えば米国は何でもできる」と言っていた人たちは、みんな辞めていなくなった。
軍事的に勝っても、そのあとの問題がある。日本との戦争のあとはうまくいったというけれど、イラクではうまくいかない。日本とイラクは全然違う国なのに、パウエル氏は悔しいから言わなかった。ただ辞めていった。そのあとは女性の国務長官が就任した。
実は、そのあたりも日本によく似ている。日本も一時期、小池百合子さんが防衛大臣を務めた。困ったときには女性に任せる。“かあちゃん、あとは頼 むぞ”ということなのか。小池百合子さんとの会談を、ライス氏は喜んでいた。ところが、周りの男性は「冗談じゃない」とみんな言っていた。「日米両方、女 に仕切られてたまるか」ということだろう。
そのせいかどうかは分からないが、小池さんは辞めてしまって、『女子の本懐』(文藝春秋/新書)を上梓した。その本でわたしが感心したのは、小池さんが必ず相手のことを考えて行動していることだ。
小池さんは周囲の人たちにいろいろしてもらったことを、微に入り細をうがって書いてある。「ああ、女性だな」とわたしは思ったが、さらに、いといろしてもらいながらも別のことを考えている。そのあたりがやはり、大臣に選ばれた理由だろうか。
株主第一主義では社会が回らない
米国は今、反省して、かつての日本を目指している。米国が反省を始めたものの一つに、株主第一主義がある。
米国は「会社は株主のもの」という考えを推し進め、それを日本にも真似させようとしてきた。日本も少しは真似したけれども、最近になって合わない ことが分かってきた。米国の場合、会社は財産承継で考える。しかし、日本は事業承継で考える。会社は事業であり、その事業が親から子どもへ、あるいは親分 から子分へと受け継がれる。
そういう考えが米国にはなくて、財産が親から子どもに受け継がれる。会社は売買できる「モノ」だというのが米国の考え方で、商法の規則や裁判制度などもそういうふうに出来ている。
その影響を受けた日本の馬鹿な連中が、米国に倣って商法の改正などを行ったものだから、日本の中小企業はイヤになってしまった。事業として子ども に譲ろうと思って、子どもに仕込んでいたけれども、継承できないならそんなことをする意味がない、子どもの側も逃げてしまう。これでは、日本経済が消えて しまう。
今ようやく、日本国内でも事業承継をきちんとできるように、税金や法律を変えようというふうになりかけている。米国もそちらに戻りつつある。事業 というのは社会全体のものであり、みんなが絡み合って動いていくものである。それを売ったり買ったりしても、今まで通りに動くとは限らない。そのことに、 米国もやっと気がついてきたのだろう。ただし、事業を分割して売買し、再統合が生まれるなら良いことだと思う。
中国の若者が求めているストーリー
遠藤誉さんが「中国のコスプレ大会は国家事業である」(前編)、(後編)を書いている。
大変面白いのでご一読をお勧めするが、小生が注目したのは、中国のコスプレ大会には「寸劇」の形をとったものが多いという指摘である。若者はス トーリーを求めているのである。ちょうど日本のマンガが世界を揺るがしたのは、画やキャラクターからストーリーへの跳躍だったことと似ている。
では、これからどんなストーリーが出現するのか。そこに中国の若者の思想が発見される。
by 珈琲好き
流石、自民党と敢えて書こう …