忘却の河、という概念がある。
洋の東西を問わず、死者が黄泉の国へ赴くにあたって渡る河だ。
生命の営みを終えた魂はこの河を渡ることで現世で得たものを洗い流し、無垢へと戻り、再び現世に生まれる時を待つという。
従って、再び現世に生まれたとき、魂は前世のことなど覚えてはいない。
が、往々にして例外というものは存在する。
例えば、忘却の河に流されたとある人物の記憶の欠片が巡り巡って新たに生を受けた魂へと入り込んでしまうようなことが。
長々と何が言いたいのかというと、今まさに俺がそういう状態だということだ。
現世に生を受けようとしている魂に入り込んだ21世紀日本に生きた男である俺の記憶。もっとも、新たに生まれた命がそれを認識することはおそらく無いだろう。新しく生まれた命は、その生命としての精神を構築していく。その過程で俺という存在は溶けて消えていくはずだ。
なんでそんなことまで分かるのかというと、つい先ほどまでの俺が忘却の河というシステムの一部に組み込まれていたからであって……、む。どうやら新生の時が来たようだ。こうやってひとりで管を巻くのもお終いか。
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………………………………………………………………………………あれ?
おかしい。
確かにこの魂は新たな生命として現世に生まれたはずなのに、何故か俺は俺を認識出来ている。というか、生まれてすぐにこんな思考ができるのもおかしい。
自身の現状を確かめようとするが、どうにも体がうまく動かない。
いや、体が動くより先に、聴覚に情報が入ってきた。
これは、声?
誰かが俺に語りかけている……?
「……ィーネ! 目覚めよ! ウンディーネ!」
ウンディーネ? ……水の精霊?
そーゆーファンタジーな存在ゆえの事態、ということだろうか、これは。
ってーかウンディーネって基本女性じゃなかろうか。まあ水でできてそうだし、その辺は変更きくのかもしれん。
……おっと。どうやら視覚の方からも情報が入ってくるようだ。うっすらとあたりの様子が見えてるようになってきた。
俺の目の前に、二つの人影が……ひとかげ、が……。
「おお、無事起動に成功したようだトカ!」
「げげっげー!」
トカゲ、が……。二本足で直立するトカゲが二匹……。
……幻覚、か? やけに質感とかリアルなんだけど……。っていうかどっかで見たようなトカゲだなあ。クリーチャーに知り合いはいなかったはずなんだが。
俺は目の前にいる二匹のトカゲ(二足歩行)に視線を走らせる。
緑色でやや小さめ(それでもおそらく一般的な成人男性ほどの身長とみられる)で、紫色のマントを羽織った、立ち姿に妙な偉そう感が漂うトカゲ。
こげ茶色で、もう一方より三十センチほど大きな、人間的に表現するなら筋骨隆々といった風情の、『蜥』と書かれた胸当てを身につけたトカゲ。
……なんだろう、この既視感は。
知ってるよ。俺こいつら絶対知ってる! えーと、なんだっけか……?
――記憶を検索中――
――該当、一件です――
ってこいつらトカとゲーか! ってことはここは惑星F……じゃなくてファルガイアか! WA2ndかよ! いや大好きだけどさこの作品ッ! 思わず語尾に力も入るッ!
つーか人間大のトカゲとかリアルに見ると怖いわッ!
「ふーむ、これは一体どうしたことトカ? 吾輩のイカす科学とちょっぴりファンシーかつファンタジーな要素を組み合わせてご当地の需要にばっちり応えた傑作、魔女っ子から元軍人まであらゆる層のハートをガッチリキャッチ間違いなしの素体精霊獣ウンディーネが、何故だかピクリとも動かんトカ。……もしや吾輩の計算式に何か大切なものが欠けておったトカ? もしかして『季語』?」
「げっげげー、げげー?」
驚愕のあまり固まっている俺を前に、二匹して首を傾げるトカとゲー。
よーしひとまず落ち着け俺。生まれ変わった先がファルガイアってのは予想外にも程があるし、世界観の違う二匹の関係者ってーのは生まれ変わり担当の神様だかなんだかにグロス単位で苦情を送りつけて良いレベルだが、ともかく落ち着け。
ゆっくりと深呼吸をし、ついで俺は自分の体へと視線を走らせる。
ずんぐりむっくりとした胴体、首元に巻かれた、やたらに大きく、ギザギザとしたさせる赤い衿飾り。極端に短い足(膝関節とかあるんだろうか)。
……明らかにこう、人間とはかけ離れた体をしているようだ。ってかウンディーネという語感から軽く数光年は離れている気がする。
よし、もっかい落ち着け俺。
トカは俺を何と呼んだ? そう、ウンディーネ。WA2でウンディーネと言えば、水の精霊とかじゃなくて……。
(脳内で例のボス登場デモ再生中です)
なんかピエロっぽい2.5等身の怪獣じゃねえかッ!?
思わず頭を抱えて愕然とする俺。
「おお、なんだか分からんがウンディーネが目覚めたようであるぞ、ゲーくん!」
「げげげっ。げげっげ」
「ふむ。様子がおかしいとな? 安心したまえゲーくん。吾輩こそはウンディーネの生みの親、いわゆるまぶたのおっかさん。一声かければ情緒不安定なお子様もすぐさま安心、ベビーシッター業界から引く手あまたの新星となること間違いなしだトカ」
「げーげーげ、げげっげーげげげ、げげー」
「さあウンディーネ、吾輩に胸の内をさらけ出し、悲喜こもごものイベントラッシュでお茶の間の涙と笑いを総ナメだトカ!」
俺は、思わずトカを思い切り蹴り飛ばしていた。ああ、こんな足でも意外と蹴り技には使えるもんなんだなあ。
「わ~~おッ! この艦と運命を共にッ!!」
「げげげーッ!?」
悲鳴(?)をあげて吹っ飛ぶトカと、驚いた様子でそれを見送るゲー。
行きがけの駄賃にゲーにもケリを入れて吹き飛ばし、俺は短い足を懸命に動かして倒れこんだ二匹の元へと駆け寄ると、胸の内から込み上げてくる衝動のままにストンピングの雨を降らせる。
ってかなんでよりによってウンディーネなんだよッ。アームズキラーならまだデザイン的にどうにか許せないこともないというのにッ! もしくはブルコギドンとか。デザインはアレだが、やたら強いし。機械のくせに眠りの魔法かけられたら寝るというムダな高性能っぷりだし。
そんな憤懣やるかたない心を叩きつけるように、さらにストンピングストンピング。
ちなみにさっきからストンピングしながら、『この野郎ッ!』とか『こいつめ!』とか口に出しているのだが、何故かそれらは全部『ぷきーッ!とか『ぷーききー!』とかいう妙な鳴き声にしかならない。それがまた俺をイラつかせて、思わずストンピングにも力が入る。
「あ~~~れ~~~ッ! お~~た~~す~~け~~ッ!」
妙にわざとらしい悲鳴をあげるトカ。余裕あんじゃないのかコイツ。
そう思い、さらに足に力を込めたその時だった。
「ああ、もし、旅の御方。この理由無き仕打ちを何トカするのココロ」
トカがストンピングを受けながら、部屋の入口へ向けてそう声をかけた。半ば自動的にトカを蹴りつけつつ、俺もそちらを見やる。
そこには、ヤツらがいた。
見事に鍛え上げられた体をさらし、片腕に巨大な手甲をはめた男。閉じた傘を肩にかけた少女。赤いスカーフを肩に巻いた青い髪の青年。三人ともがオレとトカとゲーへと順繰りに驚きと警戒の混じった視線を投げかけ、ひそひそと何事か言葉を交し合っている。
ARMSの皆さんキター!?
「そんなところでしゃべってないで 所詮、言葉は無力なの!? 手も足も、シッポすら出ない 我輩らの意識と運勢は急転直下気味…」
あ、トカてめえ、助けを求めるなッ!?
「何だかわかんないけど、このままだと寝覚めがよくないよ」
あまり気乗りしない様子ながらも、そう言って男ふたりを促す魔女っ子、リルカ。
「くわしい事情は、助けてからだなッ!」
そしてその言葉に青年、アシュレーが頷く。
ひい、マズい!?
リルカもブラッドも戦力的に勝てそうになくてマズいのは同じだが、それに輪をかけてアシュレーを相手にするのはマズいッ! 確かゲームだとトカとゲーに初遭遇する前に『アクセス』の能力を手に入れているはずッ! 数ターンも戦闘してフォースが溜まったら音楽が切り替わってバランスブレイカーな黒騎士にずんばらりんされてしまうーッ!?
ナイトブレイザーは是非ともこの目で一度拝んでおきたいが、自分が斬られるのは御免被る!
こ、こここれは転生直後に生命の危機ッ!
こうなったら……ッ!
俺はトカゲコンビへのストンピングを中断し、全身のバネ(意外にこの体は小回りがきく)を使ってARMSの三人に向けて飛びかかる!
ブラッドがす、と前に進み出てリルカを後ろに庇い、アシュレーが銃剣を構えた。そして俺は跳躍の勢いのまま、
「ぷききーッ、ぷきー!」
ARMSの眼前にダイビング土下座を敢行していた。
「あ、あれ……?」
気勢を削がれてあっけに取られた声を上げるアシュレー。
よし、基本的に善人ぞろいのARMSに対しては、やはり無条件降伏してしまえばかなりの確率で安全を勝ち取ることができるッ!
心中で快哉をあげながら、ぴくりとも動かず土下座姿勢を継続する俺=ウンディーネ。先程まで暴れていたとはいえ、暴行を加えられていたのが怪しげなトカゲであったことと、今は完全に無抵抗な様を見て取ったからか、アシュレーとブラッドが警戒しながらも武器を下ろすのが気配で分かる。
た、助かった~……。
「はひー、はひー…。いたずらに殉職するところであったわ」
思わず安堵の溜息をつく俺の背後で、そう言いながらトカが立ち上がる。
それを見たアシュレーが一瞬で目を逸らし、リルカとブラッドへと向き直ると、
「よしッ! 先を急ぐぞッ!」
見事なまでに無視を決め込んだ。
鮮やかなまでのスルースキル。これがファルガイア一のツッコミ職人、アシュレーの覚醒の瞬間かッ!
俺がある種の感動にうち震えている(土下座継続中)間に、トカが去ろうとするアシュレーたちを引き止め、トカゲコンビは漫才の末にARMSについていくことを(強引に)承諾させていた。
「それはそうと、コレはなんなの?」
そんなやりとりのあと、リルカが未だに土下座をしている俺を指さしてトカに問う。
「よくぞ聞いてくれたトカ!」
トカが怪気炎を上げて嬉々とした様子を見せる。対照的にアシュレーやリルカのテンションは地の底へと落ちて行っているようだったが、当然トカにその辺りを気にする様子はない。もしくは気づいていないのか。あと、この期に及んでむっつりとした無表情のまま事態を静観しているブラッドはある意味尊敬に値すると俺は思った。
「これこそは吾輩の創り上げた、坊ちゃん嬢ちゃんから爺さん婆さんまでトリコにせずにはいられない、ファンシーボディのニクい奴! その名も素体精霊獣ウンディーネだトカッ!」
「うそ、これ、自分で作ったのッ!?」
「その割には手酷く打擲されていたようだったけど」
驚きの声を上げるリルカと、切れ味鋭いツッコミを浴びせるアシュレー。ほんとに活き活きしてんなあ。いや、普段の様子とかはゲームで見た部分しか知らないけども。
「運用実験も兼ねてここへ連れてきたものの、勝手気ままに暴走し始めてエラい目に遭ったトカ。創造物の反乱とは、こいつぁ一級品のハードSFだトカ。だがしかし、どうやらならずもの戦闘部隊の諸君に恐れをなして大人しくなった様子。吾輩のような知的なインテリに暴虐の限りを尽くす事はできても、危険な暴力の匂い漂うチンピラ相手には萎縮せざるを得なかったようだトカ」
このトカゲめ、テキトーこいてんじゃねえぞッ!
「なんか怒ってるみたいよ? ぷきーぷきー言ってる意味はよく分かんないケド」
「というか僕らに対してもさっきから何気に失礼だな。いちいち反論するのも面倒くさい気がするけど」
したり顔(トカゲのくせに妙に表情豊かだ)のトカをリルカとアシュレーが半眼で見ながらささやき合う。
やれやれ。場の雰囲気からして、ARMSの皆さんから敵性認定はされなくて済んだようだ。あとはこれからどうするか、だが……。
ちらり、ちらり、とARMSの面々とトカ&ゲーのコンビを見比べる。
うん。ARMSに付いて行こう。
一秒にも満たない時間で俺はそう決断した。トカゲコンビと一緒に行くとか多分三日くらいで精神に異常をきたす。なんぞ妙な実験に使われないとも限らないしな。
ここはどうにかしてARMSの三人についていって、ヴァレリアシャトーでペット扱いでも何でもいいから置いてもらえるように行動してみよう。シャトーの愉快な面々にも会ってみたいしな!
そしてなにより、WA2の世界に来たからには、どうしてもやりたい……いや、やらねばならないことがある。その時まではなんとしても生き残らなければ。
と、腕組みして考えをまとめていた俺を、リルカがじいっと見つめてくる。むう。流石に美少女だ。こんな子に至近距離から見つめられるとその、なんだ。照れる。
人間の体であったなら赤面していたであろう俺の心中を知ってか知らずか、リルカはすいっと俺から離れ、
「確かに雰囲気というかデザインというか、どこかトカゲの人に通じるところを感じるわね」
とんでもないことを仰いましたよこのお嬢さん。
そりゃあ、そりゃあこの体はトカ謹製であるからして、そう思われるのも仕方ないのかもしれない、知れないけれど……ッ!
アレと同列というのはあまりにも……ッ!!
「ぷ、ぷきー……」
がっくりと大地に両手をついて項垂れた俺を見て、流石に罪悪感を感じたのか、
「あ、あー。ゴメンねッ。ついポロっと本音が」
フォローになってないですお嬢さん。でも頭を撫でてくれているので許してしまう気になっている俺はもうダメだろうか。
ええい気にするな俺!
ともかくまずはこの世界で生き残ること!
そして、あのイベントに参加するんだ!
全世界が一致団結してのラストバトル、その一員としてアガートラームでロードブレイザーを倒すあの瞬間を自分の身で味わうその時まで、何がなんでも生き延びてやるッ!!
「ぷー! ぷー! ぷきーッ!!」
俺が決意に固めた拳を振りあげて発したときの声がレイライン観測所に響き渡ったのだった。
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昨日、突然受信した電波を文章のカタチにしてみました。
当然のことながら続きません。
トカのセリフを捏造するのとかムリです。ほんとムリw
原作のあの掛け合い書いた人は天才とアレのほんとに紙一重の狭間にいるというかちょろっと向こう側にハミ出てると思います。