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[22445] 【習作】異郷への帰還【現実→ロードス島】TRPG風味
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:46
 まず最大の注意事項。
 この作品はひのまる様の作品「ロードス島電鉄」に非常に強い影響を受け、勢いだけで書きました。
いろいろあってちょっと反省しています。

 もし「ロードス島電鉄」未読の方がいらっしゃったら、その他板に掲載されておりますので、一読することをおすすめします。

 なお、作者はひのまる様のファンであり、氏が電鉄の続編を執筆されますことを心より楽しみにしている読者のひとりです。


10/12 歌詞差し替えました。



[22445] プロローグ
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:18
シーン0 東京 府中市

「ファイター10レベルか。よくぞまぁ育ったもんだ」
「キャラを作ったのが高校生の時だろ。もうみんな30過ぎのオッサンだからな。15年もたてば、そりゃ育つさ」
各々がキャラクターシートを広げながら、いつものように雑談に花が咲く。
 テーブルの中央にはスナック菓子と午後の紅茶ミルクティ。たまの休日だから酒でもいいのだが、TRPGにはミルクティというのが高校時代からの不文律だった。
「今日はプレイヤー3人だけ?」
 古びた筆箱から鉛筆と消しゴムを取り出しているのは、警視庁機動隊に勤務する一彦。
「最近地震が多いでしょ? 匠くんは中継ヘリで待機を命じられて、休みは取り潰しだって」
 一彦の妻、喜子が、6面ダイスをテーブルに並べながら応じた。
「例の東海大地震の予兆ってやつね。マスコミは大変だ。今日はシーフ抜きか」
 システムエンジニアの伸之が、一彦を一瞥してにやりと笑った。
「こっちの警察官は暇そうなのに」
「この官舎は築40年だからな。震度7とかの地震がきたら崩れるって消防の人が言ってた。崩れたら、救助する人員が必要だろ?」
 ここは府中市にある、警視庁職員用の官舎。
 部屋の主である一彦はTRPGに耽溺するあまり大学受験を棒に振ったほどの剛の者で、その病気は就職しても、結婚しても直らなかった。
 妻に迎えた喜子も同じ病気に冒されていたため、彼らの新居は休みの度にTRPG会場に利用され、今日のような賑わいとなるのだ。
「もうドラゴン相手にガチで勝負できるレベルだし。ひとりくらい欠けても大丈夫でしょ」
 ゲームマスターを務めるのは、旅行代理店勤務の悠樹。 この4人にヘリコプターパイロットの匠を加えた5人は、高校時代からのTRPG仲間だった。
 悠樹は、A5サイズのノートパソコンをのぞきながら、シナリオをチェックしていく。
「便利になったよな」
 パソコンが苦手な一彦がしみじみと言った。
 昔はシナリオといえば、授業中にノートの片隅に鉛筆で書いたものだった。シナリオに使うデータやダンジョンの地図を合わせれば、相当な枚数になったものだが。
「道具が便利になっても、考えるのは人間の仕事だよ」
 悠樹が言う。
 MMORPG全盛の時代に、TRPGはたしかに前時代的かもしれない。
 美麗なグラフィックも、派手なアクションもない。PCもNPCも、声も風景も、体験すべきシナリオさえも、すべては想像力の中にしかない。
 GMは言葉だけを使ってプレイヤーの想像力を刺激し、架空の世界を構築しなければいけない。
 プレイヤーは、その世界を他人と共有しながら、キャラクターを演じなければならない。
 与えられることに慣れたコンピュータ・ゲーマーには、いささか敷居の高い遊びだろう。
「じゃあ、そろそろ始めようか。舞台はいつもと同じ、呪われた島ロードス。新王国歴503年、前回から1年後の話になる」
 シナリオのチェックを終えた悠樹が、改まった口調でセッションの開始を告げる。
「前回の成長申告から、どうぞ」
「シン・イスマイール。21歳。ファイター10、レンジャー8」
「ライオット。24歳。ファイター9、プリースト8、バード3」
「ルージュ・エッペンドルフ。23歳。ソーサラー9、セージ8」
 プレイヤーたちの申告を聞きながら、悠樹はエクセルのワークシートを更新していく。命中力や打撃力、残り生命力などを管理するワークシートは、伸之が5年前に作ったものだった。
「キャラクターもどんどん年をとっていくな。最初なんか16歳だったのに」
「リアルに15年かけて育てたキャラだし。もう一人の自分みたいなもんだ。今ならロードス島に転生しても普通に生きていけるぜ」
「カズくん、それはさすがに言いすぎ」
 気の知れた仲間との、穏やかな休日。
 笑い声に満ちた部屋がひび割れたのは、その直後のことだった。
「……ん? 揺れてるか?」
 一彦が首をかしげて窓の外を見る。
「ああ、また地震だ。ほんと最近多――」
 伸之が応じた、次の瞬間。
 轟音とともに床が強烈に突き上げ、部屋の中のもの全てが宙に舞った。
 テーブルが跳ね上がり。
 ダイスが飛び。
 戸棚が倒れ。
 壁が割れ。
 窓ガラスが一斉に砕けて乾いた音が鳴った。
「うわ……」
 間の抜けた、緊張感のない声を出すのがやっとだった。
 崩れた天井が自分めがけて崩れ落ちてくる。
 ――ミルクティがこぼれる。
 ふとそう思い、宙に浮いたペットボトルに手を伸ばしたところで、伸之の視界はコンクリートに覆い尽くされ、意識は闇に落ちた。


「――、……!」
 遠くで、誰かが呼んでいる声がした。
 息苦しい。重い何かが胸の上に乗っていて、押し潰されそうだった。
 ―そうか、地震で生き埋めになったんだ。
 混濁する思考の中で、とりあえず自分は生きているらしいと考える。
 ――今はまだ、という条件付きだけど。
東海大地震が発生したら、犠牲者の数は数十万と試算されていた。その大部分は、地震の二次災害である火災による犠牲者だ。
 このままだと、犠牲者の仲間入りは免れないだろう。
 身動きが取れないまま焼死というのは、あまり愉快な未来じゃないな、伸之は思った。
 そんなことを冷静に考えているあたり、まだ正気に戻っていない証拠なのだが。
「伸之! 生きてるか?!」
 また声が聞こえた。
 15年来の親友の声。これは一彦か。
「いちおう生きてる……と、思う」
 反射的に答えてから、ああ、声が出せるんだ、と意識した。
「それは何より。怪我はどうだ?」
「……確認してみる」
 話していると、意識がどんどん覚醒してくる。
 指先から手首、腕、肩と徐々に動かしてみると、思いのほか状態は良かった。
 激しい痛みはない。骨は無事のようだ。ただ、胴体を横切るように巨大な柱が倒れていて、身動きは取れそうにない。
「怪我はなさそうだけど、重くて動けない」
「了解。大丈夫だ。安心しろ。いま掘り起こしてやる」
 一彦の声は自信に溢れている。むしろ楽しそうな響きさえあった。
 この非常時にも動じることがないのは、警察官という職業柄か。一彦は機動隊のレスキュー班に所属し、災害警備や救難救助の仕事をしているのだ。
 ニュースになるような大地震の現場には何回も派遣されているらしく、このような非常事態には頼もしい限りだった。
「プロに保障されると安心するよ……ってか一彦、もう外に出てるのか?」
 うっすらと目を開けると、瓦礫の隙間に小さく青空が見えた。ちらちらと瞬く影は、おそらく和彦のものなのだろう。
 瓦礫を投げ捨てる音が、リズミカルに聞こえてくる。
「出てる。この建物は鉄筋の入ってない石材だから、思ったより簡単だった」
「よくわからんが、そりゃ簡単に崩れそうだな。手抜き工事にもほどがある」
「おかげで命が助かったんだ、そこは感謝しとけ。喜子、いたぞ。こっちの瓦礫の下だ!」
 しばらくすると、もうひとつ人影が現れて、伸之の方を覗きこんできた。
「リーダー、もうちょっと頑張って。すぐ出してあげる」
 女性の柔らかい声。
 リーダーというのは、チャットをするときの伸之のハンドルネームだ。その名前で伸之を呼ぶ女性は、喜子しかいない。
「いつもいつも苦労をかけて済まないね」
「お父っつぁん、それは言わない約束でしょ」
 もはや古典すぎて若者には通じないお約束をこなすと、早速救助作業に取りかかる。
 2人がかりで瓦礫を取り除いていき、5分ほどの間で、針の穴ほどの青空はどんどん大きくなっていった。
 破砕された石材が粉になって伸之に降り注ぐ。思わず顔をしかめていると、人の顔がひょいとのぞいた。逆光でよく見えないが、おそらく一彦なのだろう。
「手、届くか?」
 外から手が差し込まれる。ちょっと肩をずらして右腕を伸ばすと、その手はしっかりと伸之を掴んだ。
「んじゃ引っ張るぞ」
「いやいや、だから柱の下敷きなんだって。その角度で引っ張られると腕が抜ける」
 人の話聞けよ、と伸之がため息をつくと、その人影は小さく笑った。
「大丈夫だ。柱はへし折る。痛いかもしれないけど、すぐ癒してやるから気にするな」
「あのさ、できれば横から穴を掘るとかしてもらえると嬉しいんだけど」
「めんどい」
 そのまま力を込められる。
「ちょ、待っ……」
 予想外の生命の危機を感じて、伸之が手を引き抜こうとした刹那。
「Falts!」
 一彦の気合とともに、真上から強烈な衝撃波が貫いた。
 瓦礫の中で砂塵が舞い散り、わずかに遅れて激痛がきた。
 巨大な何かで柱をひっぱたいたのか。尋常ではない重みに肋骨がきしみ、肺から空気を丸ごと絞り取られたが、それは一瞬のことだった。
 鈍い音をたてて柱が崩れ、直後、強引に右腕を引っ張られる。
 痛い、という言葉が思い浮かんだときには、すでに伸之の体は瓦礫の中から引きずり上げられていた。
「ゴホッ……お前なぁ、いくらなんでも乱暴すぎるだろ」
 膝をついて咳きこみ、文句を言おうと顔をあげ。
 呆けた表情で、修之は固まった。
 見たこともない男が、そこにいた。
 ちょっと癖のある金髪。
 貴公子然とした端整な容貌。
 年のころは20代前半か。白銀の鎧をまとい、長剣を腰に佩いた姿は、まるでファンタジー映画に出てくる騎士のよう。
「あ……ええと、」
 それ、なんのコスプレ?
 あんた誰?
 一彦は?
 いくつかの言葉が脳裏で踊ったが、どれも口に出すことはできなかった。
 状況が理解できなかった。
 それを見てとったのか。金髪の騎士は、伸之を見下ろしたまま言った。
「問おう。あなたが私のマスターか?」
「それ、ゲーム違う」
 即座にツッコミが入る。
 戦士に裏拳を入れたのは、銀色の髪の美女だった。
着ているのは黒く染めたオーガニックコットンのローブだ。胸元まで長くV字形の切れこみがあり、細い革紐で調整するようになっている。
 プラチナブロンドの髪は肩のあたりで切り揃えられ、薄桃色の唇には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
 金髪の戦士といい、この美女といい、日本の被災地で目にするような服装ではない。
「私はセイバーのサーバント。召喚に応じ参―」
「ネタはいいからちょっと黙ってて」
 今度は手に持っていた木の杖が、まともに後頭部に入ったようだ。わりといい音がした。
 杖の先端には金属の意匠が施されており、ダメージもバカにならないだろう。
 金髪の騎士は涙目になってうずくまり、両手で後頭部を抑えている。
 その隙に、銀髪の美女は伸之に手を差し出し、立ち上がらせた。
「リーダー、この人はカズくんよ。ちょっと事情があって金髪になっちゃったけど。それで私は喜子。声はそんなに変わってないから分かるよね?」
「お、おう」
 この夫婦漫才はいつもの一彦と喜子だ。どうやら間違いないらしい。
「それでここなんだけど―」
「ちょっと待った」
 いじけていた一彦(金髪モード)が、妻の言葉をさえぎった。
「ちがうだろ。名前を間違えてる。そうだよな?」
 言いながら立ち上がる。
 一彦はまっすぐに伸之を見つめると、一呼吸おいて、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺はライオット。こっちは魔術師のルージュだ。ようこそロードス島へ、シン・イスマイール」





[22445] シナリオ1 『異郷への旅立ち』 シーン1
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/16 06:09
 ロードスという名の島がある。
 アレクラスト大陸の南に浮かぶ辺境の島だ。
 大陸の住人の中には、ロードスを“呪われた島”と呼ぶ者もいる。
 かつて神話の時代、邪神カーディスが呪いをまき散らした地だと伝承されるが故に。
 ほんの30年前には、もっとも深き迷宮から無数の魔神が解放され、ロードス全土を大混乱に陥れたが故に。
 そして今も、灰色の呪縛により戦乱の予兆に震えるが故に……。


SWORD WORLD RPG CAMPAIGN
『異郷への帰還』
 第1回 異郷への旅立ち


 シーン1 アラニア王国 祝福の街道

 見たこともない自分の姿。
 黒ずくめの服装に、黒染めの革鎧。
 髪は日本人と同じ黒だが、肌は浅黒い。全身の筋肉は俊敏そうに引き締まり、まるでネコ科の猛獣のようだった。
 メタボ寸前だった伸之の腹とは、明らかに別人だ。
「つまり、今の俺はシン・イスマイールってことか」
 そう嘆息する声も、どこか幼い印象をぬぐえなかった。
 シンの設定年齢は21歳。中の人が30過ぎでは、違和感も仕方ない。
 背中には、日本刀のように反った刀身の、シャムシールと呼ばれる両手剣。
 この身がシンであれば、この剣の出自もまた明白だ。
 今年の正月休み、炎の精霊王の塔で手に入れたミスリル銀製の魔剣“ズー・アル・フィカール”。
 必要筋力16、クリティカル値-2、攻撃力+2、追加ダメージ+2、精霊に対してはさらに追加ダメージ+3という凶悪なスペックを誇るチート剣である。
 乾いた音と共に抜剣すると、純白の燐光をまとった刀身が姿を現した。
 まるで体の一部のように、剣はしっくりと手に馴染む。
 ファイター10レベルなら、それも当然だが。
「試してみるか?」
 金髪碧眼の戦士・ライオットが、傍らに置いてあった盾を持ちあげた。
 全長150センチはあるだろうか。縦に細長く、胸から下をすっぽりと覆ってしまうその大盾は、専門用語でカイトシールドと呼ばれている。
 本来は馬上にあって自分の足を守るための盾だ。
 攻撃力重視のシンとは対照的に、ライオットは金属鎧で身を固め、文字通りパーティの盾としての役割を果たしてきた。
 ライオットが持つ盾は、“勇気ある者の盾”(シールド・オブ・ザ・ブレイブ)の銘を持つ魔法の品だ。驚異的な強度と引き換えに、敵の攻撃を所有者に集中させるという、呪いにも似た効果を持っている。
 そうして引き受けた敵の攻撃を、城壁級の防御力を誇るミスリル銀製のプレートメイルで弾き返すというのが、ライオットの戦い方だった。
「そうだな。軽くやってみよう」
 シンがうなずくと、ライオットはわずかに腰を落とし、体を隠すように大盾を正面に構えた。
 その存在感は尋常でない。そこにいるのは1人の人間のはずなのに、まるで重戦車のようにどっしりした迫力があった。
「さすが9レベルファイター。ぶっちゃけ恐いぞ」
「10レベルのお前が言うな。こっちは檻の中でライオンと対峙してる気分だ」
 シンはだらりと下げていた魔剣を両手で構え、剣尖をまっすぐライオットの眉間に構える。
 剣術の心得などないが、戦い方はこの体が知っていた。
「ねぇ、怪我しないように気をつけてね」
 銀髪の魔術師・ルージュが、心配そうに眉を寄せて言った。
「分かってるよ、ちょっと試してみるだけだ」
 ライオットが軽く手を挙げて応じる。
「んじゃ行くぞ。一彦の防御レーティングいくつだっけ?」
「上級戦闘ルール適用で、防御レーティング30、ダメージ減少10」
 クリティカルしない攻撃では、ほとんどダメージが通らない。
 つまりはそういう数字だ。
「難攻不落だな。本気でいくぞ?」
「いつでも来い。警視庁機動隊直伝、大盾操法の冴えを見せてやる」
 大盾の陰で、ライオットも抜剣する。こちらは魔力のこもっていない、ふつうの鋼の剣。陽光をはじいて白銀に輝く。
 それを合図にして、シンは不意を打つように魔剣を一閃した。
 日本にいた自分たちなら、見ることすらできなかっただろう神速の一撃。
事実、ファイター技能のないルージュには、シンがいつ剣を振ったのかさえ分からなかった。
 だが渾身の力を込めた斬撃は、易々と盾に受け止められた。強力な魔力同士が干渉して、青白い火花が散る。
「……これを止めるかよ」
「防御専念で回避力+3だからな」
 全力で相手の得物を押し合いながら、互いににやりと笑う。
 シンは瞬時に間合いを取りなおすと、さらに速度を上げた斬撃を繰り出した。
 2回、3回と剣を振るたびに、だんだん勢いづいてくる。
 打ち、薙ぎ、払い、突く。考えつく限りの技をためし、ライオットの防御を崩そうとする。常人が見れば、剣筋を追うことさえできないだろう高レベルの応酬。
「2人とも、もういいんじゃない?」
 ルージュになだめられて剣を納めるころには、2人とも汗まみれになっていた。
「なるほど、ファイター10レベルは伊達じゃない」
「おう。これほど動けるとは思わなかったよ」
 すっかり息を上げて座り込んだ2人に、ルージュが水袋を差し出す。
 男どもがチャンバラに興じている間に、彼女は所持品をひっくり返して使えそうなものを見定めていたのだ。
「さんきゅ、喜子・・・いや、ルージュって呼んでいいか? その顔に向かって喜子とは言いずらいからさ」
 すっかり変わってしまった妻の顔を見上げながら、ライオットが水袋を受け取る。
 紫水晶のような、不思議な輝きを宿す瞳。
 涼やかな風になびき、ゆったりと揺れる銀髪。
 象牙を彫り上げたような綺麗な肌。
 中身が自分の妻であり、15年来の同志だと分かっていなければ、ちょっと引いてしまうほどの美貌だ。
「私はどっちでもいいけど。じゃあ、これからはキャラクター名で呼び合うことにする?」
 そっちの方が雰囲気出るし、とルージュはうなずく。
「伸之もそれでいいか?」
「ああ。しかし、雰囲気作りねぇ」
 同じく水袋を受け取りながら、黒髪の剣士―シン・イスマイールは、苦笑して周囲を見渡した。
 雰囲気など作るまでもなく、ここはファンタジー世界以外の何物でもない。
 日本であれば見えるはずのものは、何もなかった。
 家も、電柱も、電線も、アスファルトの道路も。
 高層ビルに切り取られない空は果てしなく広く、遠くに浮かぶ雲は違和感を覚えるほど立体的に見えた。
 ここにあるのは、土を踏み固めただけの街道と、果てしなく広がる草原と、未開の森だけ。
 街道をゆく旅人のための、石造りの小さな休憩所。
 その休憩所が崩れて、3人は生き埋めになっていたようだ。
「やっぱり死んだのかな、私たち」
 ぽつりとルージュがつぶやく。
 瓦礫に腰かけて、魔法樹の杖を弄びながら、ルージュはつぶやいた。
 この杖は使用者の魔力に+2という効果だけでも特筆ものだが、マグナロイという魔法樹でできており、杖自体に20点分のマナを蓄積することができる。しかもこのマナはゲーム内時間1日ごとに1点ずつ回復するというおまけつきだ。
 はっきり言ってバランスブレイカーな装備だが、「ファイターは何回でも殴れるけど、魔法使いは精神力が尽きたらやることないんだよ!」という魂の叫びがGMに届いたのだった。
「死んだな。官舎がまともに崩れたんだから、普通に考えてそうだろ?」
 並んで座りながら、ライオットが応える。
「嬉しそうだね」
「おう」
 妻の皮肉っぽい視線に、ライオットは平然とうなずいた。
 現実で死んでファンタジーの世界に転生。
 今まで一度も妄想しなかったと言い切れるTRPGプレイヤーなど、この世にいないはずだ。
「俺は最高だと思うね。ここは剣と魔法の世界。冒険。幻想。浪漫。使うのは慣れ親しんだ超強力キャラ。このシチュエーションに何の不満がある?」
「ずいぶん順応してること」
ルージュが感心して夫の横顔を眺める。
 ふつうは混乱してわめき散らす場面だと思うのだが。
「ソードワールドに転生しても普通に生きていけるって、死ぬ前にも言った」
 誇らしげに胸を張るライオット。
 日本で言ってもただの痛い子だが、ここまで徹底されると多少は尊敬できるかもしれない。
 さすが私の勇者様、とルージュは内心でつぶやく。
 自分でも、褒めてるのか貶してるのかよく分からなかったが。
「もう死んだの確定かよ。それと、ちょっとは悩もうぜ。これからどうやって生きていこうとか。議題はいくらでもあるだろ」
 黒い短髪をくしゃくしゃとかき回しながら、シンはため息をつく。
「それこそ悩むだけ無駄だって。お前はシン・イスマイールだぜ?」
 10レベルの戦士が何を言っている、とライオットが笑う。
 シンの技量をもってすれば、剣匠カシューだろうが自由騎士パーンだろうが、十分互角に戦うことができるだろう。今のシンは、ロードス最強レベルの戦士なのだ。
「まぁ、時間はたっぷりあるさ。続きは宿をとって、晩飯でも食いながら相談しよう」
 ライオットの提案に、シンとルージュはしぶしぶと腰を上げた。



[22445] シナリオ1 『異郷への旅立ち』 シーン2
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:20
シーン2 ターバの村

 アラニア王国の王都アランから、北の白竜山脈に向けて伸びる街道。
 北端には大地母神マーファの大神殿があり、結婚の祝福を受けるために旅する若者たちが多く往来することから、“祝福の街道”と呼ばれている。
 ターバの村は、その大神殿の門前町として栄える、アラニア王国北端の村だ。
 完全に雪に閉ざされる冬を除き、巡礼のために訪れる若い男女は後を絶たない。彼らを受け入れるために、ターバには数多くの宿屋が立ち並んでいた。
 その中の一軒、〈栄光のはじまり〉亭。
 1階は食堂、2階は宿泊施設という、TRPGでは定番の店である。
 3人がその店の扉をくぐったのは、日が落ちて2時間ほどたった頃だった。
 先客はざっと数えて20人くらい。ほとんどが新婚カップルのようだ。店内は酒臭く、いい感じに酔った男女が酒と料理を囲んで笑い、騒いでいる。
 日本の居酒屋と、さほど印象は変わらなかった。
「一番奥にしよう。俺たちちょっと場違いみたいだし」
 軽く店内を見渡したシンが、奥のテーブルを指さす。
 一般人しかいない店の中で、武装した3人は嫌でも目立つ。先客たちはちらちらと注意を向けてくるものの、目が合うと弾かれたように視線をそらした。
「まるでチンピラ扱いだな」
「冒険者なんてそんなイメージなのかもね」
 ライオットとルージュは顔を見合わせて苦笑した。
 さして広くもない店内、テーブルの間をすり抜けるようにして奥に向かう。
「はいはい、ごめんよ。通しとくれ」
 シンたちが奥のテーブルを占領すると、カウンターの奥から恰幅のいい中年女性が寄ってきた。
 この店の女将だろう。
 とりあえずビールとばかりに、まだ注文もしていないのに3杯のエール酒がテーブルに置かれる。
「あんたたち、巡礼の新婚夫婦って感じじゃなさそうだね。冒険者かい?」
 陽気で威勢のいい大声。
 店の喧騒の中でもその声はよく通り、先客たちが聞き耳を立てているのが分かる。
「そうだ」
 代表してシンがうなずいた。
 パーティーには新婚夫婦も含まれるが、説明が面倒なのでそこは省略する。
「物騒で済まないな。冒険者の店を探したんだが、土地勘がなくて分からなかった」
「気にしなさんな。ここも本当は冒険者の店だから」
 あっけらかんと女将は言う。
「今月は最高司祭のニースさまが自ら祝福を下さるから、巡礼が多くてね。この辺はマーファ大神殿の神官戦士団が巡回して妖魔を駆除しちまうもんで、冒険者の出番がなくなるんだよ」
 それで冒険者がよそへ出稼ぎに行ってしまい、一般客も受け入れているらしい。
「それにしてもあんた、かなりの腕利きみたいだね」
 シンの全身を、女将は遠慮なく眺めまわす。
 浅黒い肌に精悍な容貌。動きのひとつひとつに隙がない。しなやかに鍛えられた全身は、人と言うよりむしろ野生動物のよう。
「こっちのお兄さんは騎士さまみたいだし、お嬢さんも魔術師だろ」
 優秀な冒険者を抱える店は、大きな依頼が入り、儲けも大きくなる。
 冒険者にとって依頼を仲介する店が必要なように、店にとっても依頼をこなす冒険者は必要なのだ。
 自然と、優秀な冒険者を見抜く目は養われることになる。
 シンたちが他の連中と違う“本物”だということは、女将にも分かったようだ。
「歓迎するよ、〈栄光のはじまり〉亭へようこそ。ゆっくりしてっておくれ。食事にするかい? それとも酒にする?」
「1杯目は来たみたいだから、とりあえず食事を。それと、部屋があれば2~3日泊まりたいんだが」
 女将はすぐにうなずいた。
「1部屋でよければ、用意できてるよ。ベッドは4つあるから広さは十分だろうけど……2部屋必要なら、ちょっと時間をもらわないとね。どうする?」
 その場の全員から向けられた視線に、少し迷ったライオットは、
「そうだな、二部屋もらおうか。男部屋と女部屋で」
「じゃあ、2人部屋を2つでいいかい? 食事の間に用意しとくよ。1泊2食でひとり50ガメルだ」
 値段はルールブックに書いてある相場どおりだった。
 もっとも、冒険者相手にぼったくりをする冒険者の店など、あるはずないのだが。
「ではそれで。とりあえず3日頼む」
 シンが言うと、女将はうなずいてカウンターに帰って行った。
 奥で何やら指示を出すと、10代半ばと思われる女の子が、階段を上がって2階に消えていく。部屋の用意に行ったのだろう。
「あれだ、繁忙期のリゾートバイトって感じだよな」
 なんとなく女の子を視線で追っていたシンが、木製のジョッキに入ったエールを舐めながら言う。
「新婚夫婦ばっかりの宿じゃ、お子様にはちょっと刺激が強すぎるんじゃないか?」
 にやりと笑うライオットに、ルージュはため息をついた。
「みんな聞いてるよ。セクハラ発言自重」
「大丈夫だって。どうせみんなやることは一緒なんだから」
 勢いよくジョッキをあおり、すぐに顔をしかめてテーブルに戻す。
「悪い。俺、こっちの世界でも酒飲めないらしい」
 身体が変わったから大丈夫だと思ったんだが、と言い訳しながら、ライオットはジョッキをシンの前に滑らせた。
「あ、私もお酒パス」
 ルージュも夫を見習ってジョッキを押し出す。
「酒の美味さが分からないとは、かわいそうな奴らだな」
 あっという間に1杯目を空にしたシンは、遠慮なく受け取ってライオットのジョッキに口をつける。
「それで、これからどうする?」
 これから。
 避けては通れないその話題に、3人の顔がちょっと真面目になった。
「俺は一生ここで暮らしても構わないけど、まぁそうもいかないよな。向こうには親兄弟もいるし」
 アルバイトっぽい女の子Bを呼び、果物のジュースを注文しながら、ライオットが言う。
「いつかは日本に戻らなきゃいけないけど、その方法が問題だ」
「方法ならあるよ」
 難しい顔のライオットに、あっさりとルージュが答えた。
「10レベルの古代語魔法に《ディメンジョン・ゲート》っていうのがあるの。普通に使うなら“どこでもドア”だけど、術者がよく知っていれば異世界に繋ぐこともできるってルールブックには書いてあった。ただね・・・」
「経験値、か」
 渋い顔でシンがうなる。
 ターバへと向かう道すがら、ルージュは「総合火力演習」と称して、無人の草原で高レベルの魔法を使いまくった。
 稲妻や火球が乱れ飛び、あたり一面に毒の霧が立ちこめ、大岩は一瞬で塵にまで分解され。
 結果、ルージュのソーサラー9レベルは使用可能であるという結論に達していたのだが。
「ソーサラーを9から10に上げるのに、必要な経験点っていくらだっけ?」
「2万5000点。ちなみに未使用経験点が2500あるから、残り2万2500点。それと、もうひとつ問題があって。《ディメンジョン・ゲート》は遺失魔法なの」
 ただレベルを上げるだけでは駄目だということ。
 誰かその呪文を知っている人物に、教えを乞わなくてはならない。
「今のロードスで、《ディメンジョン・ゲート》を使えそうな奴って誰だろ?」
「“大賢者”ウォートなら、たぶん大丈夫じゃね? 何しろ大賢者だし」
「バグナードとか。できれば関わりたくないけどね」
「邪神戦争の終結まで待てば、スレインでもいいはずだぞ。あと24年後でよければ」
 原作知識と年表を総動員して、検討を加える。
 24年も待つのは論外。
 バグナードでは、おそらくまともな交渉にならないから却下。
 ウォートだってろくでもない要求をしてくるだろうが、この中で一番マシだろうか。
「あとは……“灰色の魔女”だな」
 2杯目のエールを空にしたシンが、ジョッキを勢いよくテーブルに置いた。
 ロードスの歴史を陰から操ってきた古代王国の魔女、カーラ。
 おそらく、この世界に現存する最強の魔術師。
「この時代、このターバからキャンペーンが始まったって事は、当然GMの構想にはカーラが入ってたんだろうけど」
 ライオットが思わずため息をつく。
 新王国歴503年。
 魔神戦争の終結から29年。この年、ロードス島では歴史の転換点となる大事件が起きる。
 名もなき魔法戦士として魔神戦争で活躍したカーラが、ターバのマーファ大神殿を襲撃。太守の秘宝のひとつ“真実の鏡”を強奪し、レイリアを連れ去るのだ。
 原作ではほとんど触れられていないが故に、TRPGの舞台にするにはうってつけだ。
 ゲームとして遊ぶ分には最高に面白かっただろう。
 しかし、現実に相手をするとなると、あまりにも嫌な相手だった。
「まぁ、遺失の件は後で考えようよ。とりあえずの問題は経験点かな。あと2万点以上必要だから、普通に考えてキャンペーン1本分」
 ウェイトレスBが運んできたオレンジジュースと大皿の料理を受け取りながら、ルージュが言った。
「経験点を貯めるとなると、やっぱ冒険をしなきゃいけないんだろうけど。匠くんが―キースが欠員だから、シーフがいないよね。シティアドベンチャーだと情報収集に問題がでるし、ダンジョンだと罠解除ができない」
 ヘリコプターパイロットの匠が演じるキースは、シーフ9レベル、シャーマン8レベルというスペックで、戦術の要だった。
策を弄することが得意なプレイヤーのおかげで、このパーティーの軍師として活躍していたのだが、彼は今日に限って仕事で欠席している。
「俺たちのスキル構成だと、ほんと戦闘しかできないからな」
 大皿に盛られてきた謎の炒め物をフォークでつつきながら、ライオットが慨嘆する。
「ヘリ墜ちてキースもこっちに来ないもんかね?」
「縁起でもない発言、禁止」
 ため息をついて、ルージュが夫をたしなめる。
「んじゃ誰かシーフを誘うか。アラニアの地下牢を攻め落とせば、ウッドチャックが手に入るはずだけど」
「土壇場になって裏切るような奴なら、むしろいない方がいい」
 シンが3杯目のジョッキも空にしながら、首を振る。
「それに、原作キャラには関わらない方がいいんじゃない?」
 原作からストーリーを変えると、知識が通用しなくなるだけ不利だ、とルージュは主張した。
「賛成。まかり間違えてレイリアとお友達になろうものなら、カーラとの戦闘フラグが立っちまうし」
「それは困るな。キース抜きであの謀略家に勝てる気がしない」
 ウェイトレスBがピストン輸送した料理や飲み物を腹に収めながら、なおも作戦会議を続行した結果。
 とりあえずの方針を策定し、全員が同意した。

 1 仕方がないので、当面は冒険者生活をする。
 2 依頼はなるべく簡単なものから。ゴブリン退治とか歓迎。
 3 シーフは早い段階でスカウトするが、信用できるかが一番大事なので、採用はあせらない。
 4 原作キャラクターにはなるべく関わらない。
 5 特にレイリアは接触厳禁。
 6 ソーサラーが10レベルになったら、《ゲート》を開いて日本に帰る。

「基本方針はこんなところか」
「異議なし」
「異議なし」
 シンの総括に、ライオットとルージュがうなずく。
 方針が決まって安心したのか、どっと疲れが押し寄せてきた。
 空になった料理の大皿3枚。ジョッキの酒も、もう残り少ない。
 お代わりを頼もうか、今日はもう休もうか、3人が悩み始めたところで。
 決まったばかりの基本方針は、変更を余儀なくされることとなる。



[22445] シナリオ1 『異郷への旅立ち』 シーン3
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:20
シーン3 〈栄光のはじまり〉亭

「女将さん! 大変なんです!」
 血相を変えて店に飛び込んできたのは、長い黒髪の美少女だった。
 勢いよく開かれたドアで盛大にベルが鳴り、店中の客の視線が集中するが、少女は気にするそぶりも見せずにカウンターに駆け寄る。
 着ているのは、マーファ神殿の制服とでも言うべき白い神官衣。
 マーファの司祭にはお淑やかなイメージがあるが、この少女も例に漏れずお嬢様タイプだった。
 年齢は16~17くらい。艶やかな黒髪はよく手入れされ、少女の動きにあわせて優雅に波打っている。
 大きな声を出しても楚々とした印象を失わないのは、持って生まれたキャラクターと言うべきだろう。色白の肌、卵形の顔、切れ長の目元など、どこを見ても育ちの良さがにじみ出ている。
「いかにもシナリオの導入に出てきそうなヒロインだな。これで村長の娘じゃなきゃ嘘だね」
「村長には美人の孫娘が必須だからな」
 シンの言葉に、ライオットが同意する。
 古来、キャンペーンの1話目は村長の孫娘に妖魔退治を依頼されるものというのが、TRPGの様式美であり伝統だ。
 にやりと笑ってうなずき合っていると、閉まりかかったドアが再び開き、今度はずんぐりした人影が店に入ってきた。
 身長140センチくらい。酒樽のような体格。豊かな口髭。年季の入ったプレートメイルを着て、背中には巨大な戦斧を背負っている。
 やれやれと言いたそうな表情だが、目つきは鋭い。誰の目にも、彼は歴戦の戦士に映るだろう。
「ドワーフだ。実物を見ると、結構強そうだな」
 果汁の入ったジョッキで表情を隠しながら、ライオットが視線を向ける。
 その視線に反応したのか。3人のいるテーブルを一瞥したドワーフと、視線が絡み合った。
 3人を値踏みするような深い眼差し。その迫力に圧されて、目を外すこともできない。
 だが、緊張はほんの一瞬だった。
 ドワーフの戦士はすぐに視線をはずし、黒髪の娘に歩み寄る。
 シンはほっと吐息をもらした。
「勝てないな、あのオッサンには」
 純粋な戦闘で、ということではない。
 人としての年季が違いすぎるということだ。それは全員に共通した認識だった。
「おやまぁ、大神殿のお嬢さんじゃないですか。どうしたんです、こんな時間に」
 カウンターから顔をのぞかせた女将が、エプロンで手を拭きながら出てくる。
 後ろにいるドワーフに気付き、にこりと会釈。どうやら、この2人は店の顔なじみらしい。
「大変なんです! 村はずれの炭焼き小屋で、オーガーを見たって!」
 黒髪の娘はよく通る声で叫んだ。
 本人に悪気はないのだろう。大声を出したつもりもないに違いない。ただ余裕がなくて、周りが見えないだけ。
 しかし、その一言で酒場は静まり返った。
 オーガーは食人鬼とも呼ばれる妖魔で、その名のとおり人肉を好んで食べる、凶暴な巨人だ。
 身長は2メートルを軽く超え、肉体は強靭そのもの。野生の灰色熊が相手でも、1分あれば素手で殴り殺してしまうような膂力を誇る。
 一般人はもちろん、冒険者たちでさえうかつに彼らの相手はできない。オーガーが1匹出ただけで、対応できずに村が丸ごと1つ滅ぼされた例もあるほどだ。
「早く何とかしないと犠牲者が出るわ! けど、神官戦士団は出払ってて帰ってくるのは3日後だし、私たちだけじゃ相手にできないし、それで冒険者を探しに来たんです!」
 少女のまくしたてる言葉に、巡礼の新婚夫婦たちが青ざめていく。
 新婚旅行で飛行機に乗ったら、「当機はハイジャックされました」とアナウンスされたようなものだ。
「これ、少し落ち着かんか。巡礼のみなさんが不安がっておる」
 ため息をつきながら、ドワーフが少女をたしなめる。
 少女はようやく周りを見渡して、自分たちに向けられる視線に気づいたようだ。
 一瞬で耳まで赤くなって咳払いし、とってつけたように言う。
「ええと、皆さんご安心ください。皆さんの安全はマーファ神殿が責任を持って保障しますから」
 ―いやいや、保障できないから冒険者を探してるんだろ。
 内心でその場の全員がツッコミを入れる。
 だが、女将はにこやかに応じた。
「お嬢さん、あなたは運がいい。ちょうど凄腕の冒険者が逗留してましてね」
 当然のようにシンたちのテーブルを指さす。
 それにつられて、黒髪の美少女とドワーフ、それに客たち全員の視線が吸い寄せられた。
 その視線の先には、凄腕の冒険者たちがいる。
 ひとりは戦士。黒髪に浅黒い肌。180センチの長身はしなやかに鍛えられ、精悍な顔つきは実直で頼りになりそうな印象を受ける。
 ひとりは神官戦士。磨きあげられた白銀の鎧には、戦神マイリーの紋章が刻まれている。金髪碧眼の貴公子で、どこかの王国に仕える騎士だと言われても納得できそうだ。
 ひとりは女性の魔術師。肩まで伸びた銀髪に、象牙色の肌。紫色の瞳は深い知性を感じさせるが、薄桃色の唇には不思議な笑みを浮かべており、動物に例えるなら猫のようなイメージの持ち主。
 3人ともまだ20代の若さだろう。
 しかし、彼らが漂わせる雰囲気は、ただならぬ迫力にあふれていた。
「オーガーだとさ。どうする?」
 黒髪の戦士が言う。
「モンスターレベル5だし、最初としては手頃なんじゃない?」
 銀髪の女性魔術師が応じる。
「義を見て為さざるは、勇無きなりって言うしな」
 金髪の神官戦士がうなずく。
 3人の冒険者は顔を見合わせると、代表して黒髪の戦士が言った。
「俺たちが何とかしよう。詳しい話を聞かせてもらおうか」
 それを聞いて、全員がどよめく。
 黒髪の娘はほっとしたように微笑んで、テーブルに駆け寄ってきた。
「本当ですか?! 助かりました、ニース最高司祭に代わってお礼を言います!」
 掛け値なしの感謝が、その笑顔をさらに際立たせる。
 清楚な美少女が胸の前で手を合わせ、きらきら輝く瞳で見つめると、男どもはあっさりと骨抜きになった。
 すっかりゆるんだ表情のライオットを見て、ルージュが不機嫌そうに頬を膨らませる。
 しかし。
「私はレイリア。こっちはドワーフのギム。依頼料は神殿に掛け合って、なるべく多く出してもらいます!」
 その自己紹介を聞いて。
 格好つけて立ち上がったはずの3人は、盛大に頬をひきつらせた。


「さっきは悪かったね。ああでも言わないと、巡礼さんたちがパニックになりそうだったからさ」
 女将が済まなそうに言って、罪滅ぼしとばかりに新しいジョッキを差し出した。
 3人の意思を確認しないで、レイリアに紹介したことを言っているのだろう。
 遠慮なくジョッキを受け取りながら、ルージュが首を振った。
「お気になさらず。でも、次は相談してからにして下さいね」
「済まなかったね。詫びと言ってはなんだが、今回の仲介料は無しにさせとくれ。お嬢さん、依頼料は全額彼らに頼みますよ」
 人数分の飲み物と、新しい大皿の料理をテーブルに並べ終えると、女将はまたカウンターの奥へ戻っていく。
 それを見送ると、黒髪の美少女レイリアは3人に向き直った。
「よろしくお願いします。ええと……」
「シン・イスマイール。シンと呼び捨てで構わないぞ」
「ライオットだ」
「ルージュ・エッペンドルフ。魔術師です」
 苦笑混じりに名乗る3人。
 原作キャラ、しかもカーラフラグが確定しているレイリアの登場に、もはや為す術なしいう雰囲気だ。
「まさか、いきなり君が出てくるとは思わなかったよ」
 収まりの悪い黒髪をかき回しながら、シンが言った。
 あまり歓迎されていないようだと感じて、レイリアは不安に顔を曇らせる。
「あの、私のことをご存じなんですか?」
「有名人だからね。ニース最高司祭の令嬢にして、ご自身も7レベルのプリーストでいらっしゃる。おまけに――」
「シン。それくらいにしておけ」
 ライオットが首を振った。
 レイリアには設定が多すぎる。しかも、この時代に口に出してはいけない類のものばかり。それを知っているのだということは、可能な限り秘密にするべきだ。
 それに。
「きっと、もともとこういうシナリオだったんだから、仕方ないよ」
 私はもう諦めた、と言わんばかりに、ルージュが肩をすくめた。
 そもそも、ここにいるのはレイリアとカーラにまつわる物語を体験するためなのだ。その彼女たちと関わらないという選択自体、矛盾したものだったのかもしれない。
「……そうだよな。シナリオの導入は強引な方がやりやすいってGMに注文したのは、俺たちだもんな」
 シンの中の人は33歳。レイリアは17歳。
 自分の半分しか生きていない少女に皮肉を言うのは、あまり美しい行為ではない。
 シンは深呼吸をして気分を切り替えると、レイリアに向き直って頭を下げた。
「悪かった。ちょっとこっちの予定が狂っただけなんだ。君に他意はないから勘弁してくれ」
「いいえ、こちらこそ一方的ですみません。でも、どうしても力を貸していただきたいんです」
 本気で申し訳なさそうに、レイリアも頭を下げる。
 お互いに頭を下げたまま―これでは話が始まらない、と気づいたのはどっちが先だっただろうか。
 顔を見合わせて頭を上げると、シンが言った。
「じゃあ、お互い様ということで、この件は終わりにしよう」
「はい」
 不安が解けるようにほころび、レイリアの美貌に安堵の微笑が浮かぶ。
 まるで春の残雪を溶かす陽光のよう。その破壊力たるや天使級だ。
 一撃で心臓を撃ち抜かれ、萌え殺されそうになったシンは、あわててジョッキをあおり表情を隠す。
 思わず見とれたライオットは、机の下でルージュに臑を蹴られて咳払いした。
「さて、仕事の話をしようか。相手はオーガーだって言ってたけど」
「はい。炭焼きのベック爺が、森の奥でオーガーを見つけて、神殿に通報してきたんです。見つけたのは今日の昼過ぎだそうです」
 レイリアはテーブルに地図を広げて発見場所を指さす。
 マーファ大神殿とターバの村をつなぐ祝福の街道から、西に外れて1時間ほど歩いたあたり。白竜山脈の尾根にはさまれた沢にいるらしい。
「ベック爺が言うには、大ぶりな鹿を仕留めていたそうなので。今夜のところはお腹いっぱいになって寝てると思うのですが……」
 明日になったら獲物を求めて街道にさまよい出てくるかも、とレイリアは続けた。
「それなら、これからすぐに急襲するか?」
 シンの言葉に、ライオットが首を振る。
「レンジャー技能があるのはシンだけだから、俺たちがついていったら奇襲にならないって。それとも1人で行くか?」
「いや、さすがにそれはちょっと」
 シンが決まり悪そうに視線をそらす。
 キャラクターは歴戦の猛者だし、スペック的にはシン1人で十分なのだが、中の人は初陣である。
 何があるか分からないし、ぶっちゃけ単独行動する勇気など無かった。
「オーガーの身長が2メートル50センチとして、この天井くらいでしょ? その巨人が丸太か何かを振りまわして、唸りながら襲ってくるんだよね?」
 ルージュにつられて、全員が食堂の天井を眺めた。
 目を細めて、そこに架空の巨人を想像する。
 赤茶色に焼けた、筋骨隆々とした肌。原始人のように獰猛な顔。血に濡れた犬歯がむき出しになり、自分を殴り殺そうとして襲いかかってくる――。
 軽く想像しただけでも、非常に怖かった。
 それと現場で向き合った時、スペック通りの性能を発揮する自信など、あろうはずもない。
 むしろ、恐怖で硬直して身体が動かなそうだ。
「まぁ、普通に考えて魔法だよな」
 背筋の寒気を払うように、シンが咳払いして言った。
 接敵する前に、圧倒的な火力で殲滅するしかない。白兵戦はヤバい。
 冒険者としてのリアル経験値は貯まらないが、そういうのは次の機会に、所定方針どおりゴブリンか何かでやればいいことだ。
「となると、夜襲は却下だな。夜明けを待って沢に入ろう。レイリアとギムは……」
「もちろん、わしらも一緒に行かせてもらう。準備は万端じゃ」
 ライオットが視線を向けると、プレートメイルをじゃらりと鳴らして、今まで黙っていたドワーフの戦士がうなずく。
「だがその前に、一手、手合わせを願えんかな? お互いどの程度できるのかを知っておいて損はないと思うが」
 ギムのファイターレベルは5。オーガー相手ならちょうど噛み合うレベルだ。
 華奢な体格のレイリアも、設定上はファイターレベル5である。破壊力は期待できないが、自衛程度なら十分にこなせるだろう。
 ここにいる自称“凄腕冒険者”たちが、彼らと同程度に使えるなら、オーガーと戦っても勝算はある。逆に初心者レベルであれば、全滅の危険がある。
 技量に関心があるのは当然だった。
「分かった。ギムの相手は俺がしよう。ライオットはレイリアの相手を頼む」
 さっそく剣に手を伸ばして、シンが言う。
 自分たちがどこまで戦えるのか。
 興味があるのは、彼も同じだった。


「正直、おぬしらを見くびっておったよ。済まなかった」
〈栄光のはじまり〉亭の裏庭。
 激戦の末、シンに一方的に打ちのめされたギムは、全身を汗まみれにして、荒い息をつきながらシンに頭を下げた。
 戦士として最大級の賛辞に、シンはあわてて手を振る。
「いや、これは模擬戦だから。実戦なら違う結果が出たかもしれない」
「何を言うか。あの体さばき、剣技、どれをとってもわしとは比較にならん。よほどの修練を積んだのじゃろう? その修錬は、おぬしを裏切りはせぬ」
 実直なドワーフの言葉に、シンは小さく笑った。
「そううまくいけばいいけどな」
 キャラクター時間で5年間、リアル時間では15年以上にわたる冒険を繰り返し、強敵と戦い続けて身につけた実力ではある。それは事実だ。
 だが経験を積んだのはシン・イスマイールであって、中の人ではない。
 中の人は実戦経験のない、ただのシステムエンジニアにすぎないのだ。
 どれほどハードウェアのスペックが優れていても、ソフトウェアが伴わなければ宝の持ち腐れ。ソフトが持っている以上の性能は発揮できない。
 言ってみれば今のシンは、世界最高のスーパーコンピュータがウィンドウズ95で動いているようなものだ。
 SEとしての認識が、今の自分をそう評価していた。
 目の前では、ライオットとレイリアの模擬戦が繰り広げられている。
 レイリアは片手持ちの小剣で、思いのほか大胆に打ち込んでいた。上段、中段、下段と基本通りの型を披露したかと思えば、フェイントから鋭い突きを繰り出すなど、あらん限りの技を尽くしてライオットに攻めかかっていく。
 ライオットは盾を持たず、手にするのは長剣1本のみ。それを両手持ちにしてレイリアの果敢な攻めを受けているが、今のところは防戦一方。
 レベル差の割には、レイリアが健闘しているように見えた。
「随分と謙虚じゃの。おぬしほどの使い手なら、もっと自信を持ってもよいのではないか?」
 その様子を眺めながら、ギムがもの問いたげな視線を向けてくる。
 シンは肩をすくめた。
「いや、オーガーなんて相手にしたことないから。自分がどれほど戦えるのか正直不安だ」
「そうか」
 ギムは納得した様子でうなずいた。
「それを言われれば、わしらも同じじゃな。わしもオーガーと戦うのは初めてだし、レイリアに至っては妖魔退治自体が未経験じゃ。どれほど役に立つかなど、やってみなければ分からんぞ」
 やってみなければ分からない。
 シンは、その言葉がすとんと腑に落ちたのを感じた。
 ――なるほど、プログラムのバグ取りみたいなもんか。
 仕様書どおり完璧に仕上げたプログラムでも、バグは必ず発生するし、どこに出るかは走らせてみないと分からない。
 まさしく、今のシンは未検査の新作そのものなのだ。
 これからのミッションがバグ取りの作業であり、それを繰り返して“使える”プログラムに成長していけばいいこと。
「確かに、やってみなけりゃ分からないよな」
 そうつぶやいたシンの顔は、少しだけ晴れやかになっていた。    
 2人の会話が落ち着くのを待っていたかのように、レイリアとライオットの試合も終わりを告げた。
 攻勢に転じたライオットが、息もつかせぬ連続攻撃でレイリアを追いつめていく。
 レイリアが一瞬の隙をつき、反撃しようとした刹那。
 神速の一撃が、その手から小剣を弾きとばしていた。
 小剣は回転しながら高く舞い上がり、きらりと残光をひとつ残してから、湿った音をたてて地面に突き立つ。
 すでにレイリアの喉もとには長剣が突きつけられ、身動きひとつできなくなっていた。
「……参りました」
 レイリアが悔しそうに両手を上げる。
 戦士として鍛錬した自分に、かなりの自信があったのだろう。
 ライオットは長剣を鞘に納めると、地面に突き立っていた小剣を取り、レイリアに差し出した。
「強かったな。正直、ここまでやるとは思わなかった」
「とんでもない。遊ばれていただけです」
 剣を受け取りながら、レイリアが唇を噛む。
 曲がりなりにもファイター5レベル。圧倒的な実力差は嫌というほど認識できてしまう。
「これでも、ギムから2本に1本は取れるんですよ。もっと戦えるかと思ってました」
「なるほど」
 ライオットはうなずくと、まっすぐにレイリアを見つめた。
 漆黒の瞳が、悔しそうに揺らめいている。
 負けん気の強いお嬢さまだな、と内心で苦笑しながら、ライオットは言った。 
「相手に勝ちたいなら、自分から打ち込むのは下策だ。それでは手の内を晒すだけ。自分の間合いで相手の攻撃を誘い出して、その出端をくじくんだ。相手に『打たされる』と感じたら、間合いを切って離れるべき」
 ライオットの中の人は、日頃から剣道で六段七段の師範にしごかれている。
 リアルでは『理屈は分かるが身体がついていかない』という状況だったのが、ファイター9レベルというハイスペックな身体能力を手に入れて、知識と経験を存分に活かせるようになっていた。
「繰り返すが君は十分に強い。だが強いということと、勝負に勝てるということは、似ているようでも少し違うんだ。勝つためには、もっと違う種類の訓練もしないとな」
「…………」
 今まで考えもしなかったことを指摘されて、レイリアは黙り込んだ。
 同じように剣を持って向き合っていたのに、見ていたものが全然違うことに気づいたのだ。
 今になって思い返してみれば、一方的にレイリアが打ち込んでいた状況さえ、ライオットが望んだから作られていたのだと理解できた。
 ライオットは最初から、レイリアの剣を弾こうとしてタイミングを測っていたのだ。
 測るために必要だったから、あらゆる技の速度が見たかった。
 速度を覚えたから、自分の望むタイミングで攻撃させ、待ちかまえていて剣を弾いた。
 それだけのこと。最初から最後まで計算通りに戦いを運んだだけ。
 レイリアは肩から力が抜けるのを感じて、小さく笑った。
「凄腕の冒険者っていうのは、掛け値なしに本当でしたね、ギム」
「そのようじゃの」
 ギムがうなずく。
「明日は夜明けとともに出発じゃ。今夜は早めに休むとしよう。余計な手間をとらせてすまなかった」
 疲労を隠しようもない様子で立ち上がると、ギムはレイリアと連れだって宿の中に戻っていく。今夜はここに泊まるつもりらしい。
 彼らを見送ると、それまで黙って見ていたルージュが初めて口を開いた。
「で、どうだった?」
「模擬戦なら負けないよ。怖くないからな」
 シンが淡々とした口調で応じる。
 その言葉の意味を正確に察して、ルージュはため息をついた。
「オーガーか。実物を見たら、さぞかし怖いんだろうね」
「全力の咆哮でも聞いたら、俺、ちびるかも」
 まじめな表情で弱音をはくシンに、ライオットは思わず苦笑した。
「変な怪我をしてもつまらないし。今回は魔法攻撃メインで遠距離から倒すのがいいだろうな。ギムは戦士が主役だと思ってるみたいだが、今回は出番なし。ルージュ、頼むぞ」
「そんな。私も不安なんですけど」
「大丈夫だ。もし近づいてきたら俺が支えるから、後ろからライトニング・バインドを1回かければいい。あの呪文なら射程が視界だから、遥か彼方にいてもかけられるし」
「まぁ、それくらいなら頑張るけど」
 ルージュが渋々とうなずく。
 どんなに凶悪なモンスターでも、しょせんは5レベル。魔法さえ使えれば何ほどのこともない。
 接敵するまでもなく片がつく。
 この時は全員がそう思っていた。
 その甘さを思い知らされるのは、もう少し先のことだった。



[22445] シナリオ1 『異郷への旅立ち』 シーン4
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:21
シーン4 白竜山脈 オーガーの沢

「この小川に沿って進めば、ベック爺の言っていた沢に出るみたいです」
 祝福の街道にかかった小さな橋で足を止めると、黒髪の美少女は地図から顔を上げ、目を細めて清流を見下ろした。
 早朝。
 川面から立ちのぼる朝靄のせいで、視界は白一色に染まり、遠くまで見通すことはできない。
「やっかいだな」
 レイリアと並んでいたシンが、小さく舌打ちした。
 人の手の入っていない自然の森は、木々が折り重なるようにして生い茂っており、魔法で一方的に叩けるほどの視程が確保できない。
 おまけに、足場も悪かった。
 渓流には大小の岩が転がり、まっすぐ歩くのも難儀しそう。
 とてもではないが、走ったり跳んだり、剣を振り回したりするような地形ではない。
 ろくに動けない中でオーガーが暴風のように暴れ回ることを想像すると、絶望的な気分になってきた。
「その辺から、ひょっこり街道に出てきてくれないもんかね?」
 シンが川面を示すと。
 それに応えるように、大きな影が朝靄の向こうから飛んできた。
 鹿の死体だ。しかも前半身だけの。
 突然の出来事に、誰も声すら上げらないまま、そう認識する。
 死体は放物線を描いて飛び、濡れた音をたてて街道に落下すると、赤黒いナニカをまき散らした。
 血と生肉のにおいが立ちこめる。
「あのさ……」
 ルージュが乾いた笑みを浮かべて、降ってきた死体を見た。
 前半身だけ。
 何者かに喰いちぎられたらしく、荒々しい断面を残して、後半身はなくなっている。
「気のせいかもしれないんだけど、鹿の生肉を食べた人に心当たりがあるんだよね」
「奇遇だな。俺もだ」
 ライオットも鹿を見つめたまま、平坦な声で同意する。
「こんな重いものを遠くまで投げる生き物も、そうそういませんよね」
 レイリアの声は、ちょっとうわずっているようだ。
 誰もが無惨な亡骸に注目していた。
 いや、現実から目をそらしていると言うべきか。視線を移せば何が見えるか分かりきっているのに、誰もがそれを先延ばしにしていた。
「呆けとる場合か、来るぞ! 早く剣を抜け!」
 ギムが両手で戦斧を構えて怒鳴る。
 シンとライオットはその怒声に脊椎反射で抜剣して身構えた。
 人間の倍はありそうな、毛むくじゃらの太い腕が木をつかみ、川岸から街道へと巨体を引き上げている。
 赤茶けた剛毛。
 血のこびりついた鋭い爪。
 頭頂部は三角形に尖り、爛々と光る目が街道を見渡す。
 充血した赤黒い瞳がシンたちを見つけるなり。
 犬歯をむき出しにした口がにやりと歪み。
「WOOOOOOOOOW!」
 血に飢えた巨人の咆吼が、早朝の大気を振るわせた。
 食人鬼の名に恥じない、凶悪きわまる登場だった。
「で、ででで出た出たぞどうする一彦!」
「ちょうど良かったじゃないか。探す手間が省けた。さっさと倒して帰ろう」
「ホントにいいのかあいつまだ吼えてるだけだぞこのままだと正当防衛成立しないんじゃ?!」
 自分でも何を口走っているのか理解できないが、とにかくシンはしゃべり続けた。
 実際、そうでもしないと恐怖で錯乱してしまいそうだった。
 身の丈3メートル近い巨人が、自分たちを襲う気満々で吼え猛っているのである。
 明確な殺意を向けられたことのない、善良な一般市民としては、回れ右をして逃げ出さないだけでいっぱいいっぱい。
 レベルがどうとか、魔法なら大丈夫とか、そういう問題ではなかった。
 もっと根元的な、自分を殺せる相手に対する、圧倒的な恐怖。
 こいつと同じ場所にいてはいけない。
 逃げるべきだ。少しでも早く、少しでも遠くへ。
 生物としての本能がそう絶叫している。
 それでもこの場に踏みとどまっている理由は、たった一つ。
 逃げ出す余裕がないだけ。
 精神的に腰が抜けてしまい、何か行動を起こすなど思いもよらなかった。
「そもそもあいつを倒しに来たんだろ……とは言うものの、いきなりは無理だよな」
 ライオットは仲間たちの様子を一瞥して、緊張にこわばる頬を無理やり笑みの形に歪めた。
 何とか行動できるだけの余裕があるのは、職業柄、荒事の経験を数多く踏んでいるライオットだけのようだ。
 怖いことは怖い。内心はドキドキ、背中は汗でびっしょり。できれば逃げたい。
 だが一般市民の目の前で、無様な姿は見せられない。
 そういう状況の中で、実際に犯罪者と戦ってきた警察官としての経験が、土壇場でものを言った。
 オーガーの正面ではギムが防衛線を張り、後衛をかばう態勢になりつつある。
 だがシンとルージュはダメだ。いちおう得物を構えてはいるものの、足に根が生えている。あのままでは戦闘の役には立たない。
 レイリアは―蒼白になって立ち尽くしている。完全に無防備状態。
 それを見てちょっと安心した。原作キャラクターといえども、蝶よ花よと大切に育てられた箱入り娘。これが普通なのだ。
「使えそうなのは俺とギムだけか」
 魔法の輝きを宿す大盾を構えながら、ライオットはギムに並ぶようにオーガーの正面に進んでいく。
 ジュラルミンの盾1枚で、鉄パイプを持った極左過激派集団と乱闘した警備現場を思い出しながら、ライオットは緊張で乾いた唇をぺろりと舐めた。
「どうじゃ、後ろは?」
 腰を落とし、両手で戦斧を構えながら、ギムがちらりとライオットを見る。
「まだダメだ。混乱してて使えそうにない」
「魔術師の嬢ちゃんはともかく、あれほどの戦士がどうしたんじゃ? 昨日とまるで違うではないか」
「それを今言っても仕方ない。あいつの攻撃は俺が引き受けるから、ギムは回り込んでくれ」
「よし、分かった」
 小さくうなずいたギムが、じりじりと後退していく。
 魔法の盾を前面に構えたまま、ライオットは防御専念の体勢でオーガーをにらみ続けた。
 シンには及ばないものの、ライオットとて9レベルファイターである。正面から戦えば、オーガー程度なら相手にならないはずだ。
 それでもライオットは、オーガーに対して先制攻撃を仕掛けることはできなかった。
 日本人の甘いところ。
 相手が敵だと分かりきっていても、先に手を出すことをためらってしまう。どんなに罵詈雑言を浴びせられても、先に手を出した方が悪い。そういう慣習が染みついてしまっている。
「Gufuuuuuu」
 相手のおびえを敏感に察知して、オーガーがにやりと笑う。
 自分の方が強い。こいつらは餌にできる。そう感じたのだろう。
 オーガーは隙だらけの悠然とした動きで、鹿の死体をつかんで持ち上げると。
 豪腕一閃。50キロ近くありそうな死体を、まるで小石のように投げつけた。
 死体は血と内蔵を飛沫させながら一直線に飛び、真正面からルージュに命中。
 華奢な体はひとたまりもなく吹き飛び、死体と絡み合うようにして5メートルほども宙を舞った後、その下敷きになって動かなくなった。
 不自然な方向に曲がった右手から、魔法樹の杖が転がる。
 苦痛のうめき声が聞こえるから意識はあるのだろうが、とても大丈夫といえる状況ではない。
 ほんの一瞬の沈黙の後。
「ルージュさん!」
 硬直が解けたレイリアが、はじかれたように駆け寄る。
 レイリアはプリースト7レベル。ルージュの治療は任せておけば間違いないだろう。
 しかし。
 ルージュを攻撃されたという事実は、ライオットを沸騰させた。
「こいつ……!」
 オーガーへと視線を移すと、汗で塗れた剣を握り直す。
 先制攻撃がどうとか、相手を傷つけたくないとか、そういう躊躇は一瞬で霧散。
 妻を傷つけられた。
 言葉もろくに話せないような半獣人に。
 その怒りは理性を真っ赤に塗りつぶし、文明人としての禁忌をいともたやすく破り捨てた。
 許さない。相応の報いをくれてやる。
 精神のスイッチが一斉に切り替わり、ライオットはオーガーを睨みつけた。
 ルージュを沈黙させたオーガーに、今度はギムが殴りかかっている。
 ドワーフ戦士の大斧は銀色の暴風となって荒れ狂っていたが、分厚い毛皮に阻まれて、致命傷を与えるには至らない。
「ギム! もういい、どけ!」
 もし精霊使いがいれば、ヒューリーの怒号に聞こえただろう。
 ライオットの放つ殺気に反応したのか、オーガーはギムを捨ておいて向き直った。
 即座に“勇気ある者の盾”の魔力が発動。オーガーの攻撃対象をライオットに固定する。
「おい。土下座して謝れば、俺にも慈悲はある。楽に逝かせてやるぞ」
 右手の長剣をまっすぐ眉間に突きつけ、ライオットが宣言する。
「GYAAAAAAAAOOOOOOOOW!」
 その不遜な態度に怒りを覚えたのか。
 オーガーは天に向かって吼えると、思い切り振りかぶった右腕をライオットに叩きつけた。
 あまりの威力に大地が鳴動し、空気が震える。
 盾で正面から受けたライオットの鉄靴が、10センチ余りも地面を削る。
 だが。
 それだけだった。
「ダメージは、0だ」
 ライオットが酷薄に口許をゆがめる。
「この程度か。緊張して損した」
 そして反撃。
 ファイター9レベルという圧倒的な技量で打ち込んだ剣は、2桁に到達する追加ダメージの恩恵をいかんなく発揮し、オーガーの腕をあっさりと切断した。
 ソーセージでも切るような、軽い手応え。
 それだけで、剛毛に包まれた右腕が、血の尾を引いて地面に転がった。
「GYUAAAAAAAAAAAAAAAA!」
 今度の絶叫は苦痛か。
 まごう事なき恐怖に顔を歪めながら、オーガーが今度は左腕を振りおろす。
「何度やっても同じ」
 正面から盾で受ける。
 衝撃。
 踏張る鉄靴が大地を削り。
「ダメージは、0だ」
 冷酷に告げる声とともに、ライオットの剣が一閃。
 あっさりとオーガーの首を斬り飛ばした。
 生き物を殺したという特別な感慨はなかった。
 感じたのは、腕に止まった蚊を潰したときと同レベルの、ちいさな爽快感だけ。
 勝った。その余韻にひたる間もなく。
 ライオットの首筋にチリチリした悪寒が走る。
 反射的に振り向いた先、シンとレイリアの後方には。
「シン、後ろだ! もう1匹いるぞ!」
「GUAAAAAAAAA!」
 今度は、根本から引き抜いた樺の木を軽々と振り回しながら、新手のオーガーが迫っていた。
 ルージュを治療中のレイリアを後ろにかばい、剣を構えなおすシン。
 背後からは、緊迫した様子でマーファに祈りを捧げるレイリアの声が聞こえる。
 やるしかない。今、ルージュとレイリアを守れるのは自分しかいないのだから。
 とはいえ。
 怖い。今度は武器付き。さっきよりも迫力は上。
 ここにいるのが怖い。
 戦うのが怖い。 
 傷つけるのも、傷つけられるのも怖い。
 剣を握る手には力が入りすぎ、すでに感覚が麻痺していた。
 全身の筋肉がこわばり、息が苦しい。 
 自分はライオットとは違う。戦う訓練などしたことないし、殴り合いの喧嘩だって小学生の頃が最後だ。
 逃げようか。
 戦うのはライオットに任せて、自分は逃げよう。1人くらいいなくても大丈夫。あいつがいれば何とでもなる。あいつプロだし。
 よし決定。逃げよう。
 シンがそんな結論に達するまで約1秒。スーパーコンピュータ並の演算速度でそこまで考えたとき。 
その歌は聞こえてきた。

     汝の運命は神の御手に
     神は汝を支えたまわん
     我、神の御名をば呼ぶ
     神は我が声を聞きとどけ
     汝を向かいくる敵から守り給う

 それは、二千年の時を経て伝えられてきた祈りの言葉。
 国を滅ぼされ、故郷を追われた民が、絶望の淵を旅しながら連綿と伝え続けてきた、神の降臨を願う祈りの言葉だ。
 そして千年が過ぎたころ、彼らの祈りには、いつしか旋律がつけられていた。
 祈りは歌になり、雨が大地にしみわたるように、世界に広がっていった。

     来たれ、聖霊よ
     天より御光の輝きを放ち給え
     貧しきものの御父
     天寵を授くる御方
     心の光に坐す御者よ
 
 歌っているのはライオットだ。
 主として男性聖職者が六音階で歌う単旋律・無伴奏の祈りは、後にグレゴリオ聖歌と呼ばれるようになる。
 文字を知らない人々にとって、歌とはすなわち祈りだった。
 古ヘブライ語で歌われた聖歌である。意味など分からなかっただろうことは想像に難くない。
 しかし、荘厳に響く歌に心を震わせ、目の前の試練に自らを奮い立たせるのに、言葉の意味などさしたる問題ではなかろう。   
 それより問題は。
 シンは突進してくるオーガーに視線を転じて、こわばった指をほぐすように、剣を握りなおす。
 シンの理性を縛り上げていた恐怖と緊張が、嘘のように消え去っていた。

     こよなき慰め手
     魂の甘美なる友
     心のなごやかなる楽しみ
     疲れたるときの憩い
     灼熱のうちの安らぎ
     憂うるときの慰めよ

 戦神マイリーの奇跡のひとつ《戦いの歌》。
 聞く者の勇気を呼び起こし、恐怖を駆逐し、戦いの加護を与えるという効果を持つ神聖魔法だ。
 バード技能込みで朗々と響くライオットの歌声は、その場にいる全員の心から、脅えや怯みをきれいに消し去っていく。
 後に残るのは爽快に晴れわたる理性と、勇気に満ちた高揚感だけ。

     おお、幸いなる清き光よ
     御身が信徒らの心の最奥をば満たしたまえ
     御身の助けなくして
     罪なきもの、誰も在らじ

 この中で唯一理系のルージュならば、魔法の影響でβエンドルフィンが過剰供給されていると分析しただろう。 マイリーの加護によって大量生成された副腎皮質ホルモンが、中脳腹側被蓋野のμ受容体に作用し、GABAニューロンを抑制することにより、A10神経のドーパミン遊離を促進させ、精神的なストレスを完全に排除したのだ。

     願わくは
     穢れたるを禊ぎ
     乾けるを潤し
     傷つきたるを癒し
     固きを柔らげ
     凍えたるを暖め
     迷えるものを導きたまえ 

 なぜ、逃げようなどと思ったのか。
 そんな必要はなかったのに。
 シンは小さく笑いながら、ゆっくりと剣先をオーガーに向けた。
 なるほど中の人は一般人だが、大学卒業を棒に振ってまでTRPGに人生を捧げたゲーマーだ。
 父に怒鳴られ、母に泣かれ、それでもやめなかったTRPGプレイヤーとして。
 10レベルのファイターを演じる以上、背を向けて逃げ出すようなみっともないロールプレイなど、誇りに賭けてできようはずがない。 

     御身の忠実なる信徒らに与えたまえ
     御身が七つの貴きものをば
     彼らに徳の誉れをば
     彼らに救いの扉をば
     彼らに永遠の喜びをば
     アーメン

 新手のオーガーの標的は、間違いなく自分だ。根本から引き抜いた樺の木を丸々1本振り回しながら、一直線に襲いかかってくる。
 背中には、すがるようなレイリアの視線を感じた。
 脅える美少女をかばって、凶悪な敵と対峙する戦士。そんな自分を客観的に認識できる。
 シナリオのクライマックスで、最高の見せ場だ。
 この期に及んで、戦わないという選択肢はなかった。
「来たな、プレッシャー」
 つぶやきながら、シンは冷静にオーガーの動きを分析する。
 勢いだけで大ざっぱな突進。
 一言で言えば隙だらけ。負ける要素など全くない。 
 確かにオーガーの怪力は脅威だ。
 だが、シンの尊敬するサングラスの大尉は言っている。当たらなければどうという事はない、と。
 だったら、話はシンプル。
 殴られる前に殴る。それだけだ。
 オーガーが大枝を振りかぶったところを、シンは狙いすまして反撃に出た。
 シンの右足が、力強く大地を蹴り。
 数メートルの間合いが一瞬で詰まる。
 刹那。
 オーガーの全身が、雷の網に絡め取られた。青白い稲妻が毛皮を焼き、肉の焦げる臭いが漂う。
 それを知覚しながら、シンは委細構わず全力で魔剣を振り抜いた。
「墜ちろ、蚊トンボ!」
 電撃で体を硬直させたオーガーは、白い燐光を放つ魔剣に腰断され。
 下半身に別れを告げた上半身が、血をまき散らしながら回転し、鈍い地響きをたてて地面に落ちた。
 剣を振り抜いた姿勢のまま、肩で荒い息をつきながら、シンは上下に分断されたオーガーを油断なく見下ろす。
 うつ伏せに倒れた上半身は、何度か砂をかくような動作を見せた後、完全に動かなくなった。
 その死を見届けたか、全身を焼いていた雷の網も消滅する。
 敵は死んだ。間違いなく。
 それを確認して、ようやく肩から力を抜く。
「さすがじゃな。まさか一撃で倒すとは」
 ギムが、ぽんとシンの背中を叩く。
「魔術師の穣ちゃんも無事のようだし、何よりじゃ」
 その言葉に、ルージュの方を振り向く。
 言われてみれば、さっきオーガーの動きを止めたのは《ライトニング・バインド》の呪文。レイリアの回復魔法が間に合ったらしい。
「もう、一張羅が血まみれ。最低」
 レイリアの手を借りて自分の上から鹿をどかすと、ルージュはぶつぶつ文句を言いながら立ち上がっていた。
「悪い。油断してた。大丈夫か?」
 ライオットが妻に駆け寄って、腕の具合を確かめる。
「骨折なんて高校以来の激痛だよ? 本気で泣こうかと思った。なんかまだ痛い気がする」
 ルージュは、右腕をさすりながら肩をすくめた。
 落ちていた魔法樹の杖を拾いながら、レイリアもうなずく。
「昼までに痛みは引くと思いますが、しばらく違和感は残ります」
 怪我を癒すことはできても、何もかも元どおりとはいかないらしい。
 重傷ならば、すぐに歩いたりはできないそうだ。これは覚えておいた方がいいだろう。 
「さっきのライトニング・バインドは、杖なしでやったのか?」
「うん。達成値はちょっと下がるけど、ムカついたのでやった。反省はしていない」
 ルージュは答えると、あらためてオーガーの死体を見下ろし、細く吐息をもらした。
 ライオットが、妻を気遣うように肩に手を置く。
 そんな夫婦を横目で見ながら、シンは言った。
「それにしてもさ。死体を見たら取り乱すと思ったけど、想像以上に無感動だな」
 小説なんかでは、見ただけで吐き戻す描写があったのだが。
 動き出したら怖いな、とは思うものの、ただそこに転がっているだけで気分が悪い、という感じはしない。
「まだ腐敗してない新鮮モノだし、蛆虫もわいてないからな」
 端切れの布で血糊をぬぐって剣を納め、ライオットが答える。
「俺も交番で初めて死体の通報をされたときは、肉なんか食えなくなるんじゃないかって心配したけどさ。ふつうに晩飯は牛丼食えたよ」
 以来ダース単位で仏さんを扱ってきたが、気分が悪くなったことは一度もないという。
「そこにあるだけなら、人形と変わらないしね」
 ルージュの中の人は臨床検査技師だ。
 大学の実習では人体解剖もやったし、肉片を細切れにして遺伝子検査をする仕事柄、人の筋肉組織や臓器など見慣れたもの。
「ま、実際そんなもんだよな。安心したら喉が渇いたし、腹も減ってきた」
 シンがうなずいた。
 さすがに今朝は緊張して、朝食は軽く済ませていたのだ。
「オーガーの首はわしらが預かって構わんか? マーファ神殿で報奨金の交渉をするのに役立つのでな」
「それは構わないが、死体はどうする?」
 シンの問いに、ギムは髭をしごきながら考え込んだ。
 新婚夫婦が歩く祝福の街道に、巨人の死体が転がっているのはあまり宜しくない。
「脇の木立に寄せておくしかないのでは? 私たちだけでは移動させられないでしょう?」
 レイリアの提案に、ライオットは首を振った。
「野犬や狼が集まってきたら危険じゃないか? 俺たちはいいが、そこいらの新婚さんには十分な脅威だろう」
「それもそうですね」
 燃やす、埋めるなどの意見も検討されたが、今さら血まみれの死体なんか触りたくないので、できれば他人に押しつけたかった。
「では、神殿に戻って荷車と人手を呼んできましょうか?」
「なんか面倒だね。要は死体を処分すればいいんでしょ? オーガーは首だけ残ってればいいんですよね?」
「そうじゃな」
 ルージュの問いに、ギムがうなずく。
 それを聞くと、ルージュは古代語の呪文を唱えながら魔法樹の杖を大きく振ってオーガーに向けた。
 オーガーの死体に白い燐光が宿り、それは次第に明るくなっていく。
 呪文の詠唱に力が入ると、光は目も眩むような輝きとなり、そして弾けた。
「すごい……」
 レイリアが信じられないという表情でつぶやく。
 光が弾けた後、そこにあったオーガーの死体は、跡形もなく分解されていた。ただ地面に広がる血の染みだけが、戦闘の名残をとどめるのみ。
「死体相手に使うのも、魔力の無駄遣いだけどね」
「いや、助かったよ。お疲れさん」
 ライオットが肩をたたいて労う。
「本当にありがとうございました。おかげで助かりました。私たちも、巡礼の皆さんも」
 レイリアは改まった口調で言うと、深々と頭を下げる。
 艶やかな黒髪が、白い神官衣の背中をさらりと流れた。
「皆さんがいてくれたのも、マーファのお導きかもしれません」
「出会ったのはお導きかもしれないけど、冒険者を探そうって決めたのは、君の決断だろ」
 シンの言葉に、レイリアが顔を上げる。
「困ったことがあったら、またあの店に来てくれ。いつでも力になるよ」
「ありがとうございます、ぜひ」
 黒髪の美少女が輝くような笑顔を浮かべる。
 その頬がうっすらと染まっているのに気づいて、ライオットとルージュが、思わず顔を見合わせた。
「・・・吊り橋理論って言うんだっけか、こういうの」
「オーガーから身を挺して守った上に、今のリーダーはかなりイケメンだからね。きっと第一印象は相当いいよ」
 小声で論評しながら、黒髪の美少女と見つめ合っている親友を眺める。
 中身はヘタレでメタボ寸前のSEだが、外見は実直そうな砂漠の部族の戦士である。
 この2人が並ぶと非常に絵になるというのは、否めない事実だった。
「問題は、誰とフラグ立ててるのかあいつが理解してるかってことなんだけど」
「いいじゃない。お似合いだよ。リーダーもやっと春が来たんだから、頑張ってもらわないと」
「頑張れるかな。あいつ、彼女いない歴33年だぞ」
「お互い気になってるみたいだし、大丈夫じゃない?」
「“灰色の魔女”を蹴散らしてか?」
「あぅぅ」
 そんな外野の心配など気にも留めずに、シンが晴れやかに宣言した。
「それじゃ、帰ろうか。とりあえず一杯飲んで、一休みして、それから服と装備の洗濯だ」
 ロードス島へ来て二日目の早朝、彼らの最初の冒険は、何とか成功に終わった。
 祝福の街道を覆っていた朝靄はゆっくりと晴れ、東の空から朝日が差し込んでくる。
 だが、世界はもう少し、まどろむべき時間の中にあった。


 シナリオ1『異郷への旅立ち』

 MISSION COMPLITE
 獲得経験点
  オーガー5レベル×500=2500点 



[22445] インターミッション ライオットの場合
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:26
インターミッション ライオットの場合

 冒険者の店〈栄光の始まり〉亭。
 その裏庭の片隅に、店の女将とライオットがいた。
「こんな感じでいいのかい?」
 女将が、ライオットが描いた図面を不思議そうに眺めながら言った。
 そこは、新しい木の香りの漂う、居心地の良さそうな小さな小屋だった。
 透き間をあけて白木を敷きつめた室内には、直径1メートルほどの大きな樽が2つと、ちょっとした荷物が置けそうな棚が作られている。
 壁には出入り口のほかに窓はないが、屋根がかかっているのは小屋の広さの半分程度なので、採光に不自由はない。
 屋根を支える柱にはランプを吊してあるので、夜になればまた違った風情になるだろう。
「完璧な仕事だ。さすがドワーフの建築家だな」
 水の張られた樽を見ながら、ライオットがうれしそうに言う。
 ギムに紹介してもらったドワーフの建築家と相談を繰り返し、発注から1週間。
 わざと半分しかない屋根や、床全体を隙間だらけにして水を抜き、床下から樋で排水する構造など、ロードスの概念にはないものを、ドワーフは想像以上の完成度で実現してのけた。
 そう。
 風呂のない生活は耐えられないと、マーファ神殿からもらった報酬を投資して、裏庭に個室露天風呂を作ってもらったのだ。
 脱衣スペースに敷いてある簀の子や脱衣かごは、村中を探し回って似たような品を買ってきた。
 ほかにも椿の花油と塩を釜で炊いて精製した石鹸、麻の古布を裂いた垢すりタオルなど、必要最低限の備品も苦労して調達した。
「よく分からないねぇ。身を清めるなら、川で水浴びでもしたらどうだい?」
 女将が風呂場を見渡しながら、首をひねった。
「それじゃ駄目なんだよ。風呂は身を清める場所であると同時に、心を癒す場所なんだ。肩までお湯につかって夜空を見上げて、その日の出来事を反省したりしてさ」
 ライオットの言葉は心からの本音だったが、女将にはまるで理解できないようだった。
「ま、あんたの金で作ったんだから、好きにすればいいさ。どうせ他の客は使わないし、専用でいいよ」
 庭先に意味不明な施設を作ったことに関しては、文句を言う気はないらしい。
 この程度で腕利き冒険者を確保できるなら安いもの、と計算しているのだろう。
「それはありがたい」
 ライオットが律儀に頭を下げる。
「けど、お湯はどうやって沸かすんだい? ここにはまだ釜がないみたいだけど」
「こうする」
 女将の疑問に答えて、ライオットが携えていた剣を抜いた。
 必要筋力17のバスタードソード。よく手入れされてはいるが、もちろん湯を沸かす役には立たない。
 このままでは。
 ライオットは、魔法の指輪をはめた手を剣にかざすと、下位古代語のコマンドワードを口の中でつぶやいた。
『万能なるマナよ、炎の刃となって宿れ』
 詠唱の終了とともに、刀身を魔法の炎が取り巻いた。
 周囲の気温が一気に上がる。
 古代語魔法《ファイア・ウェポン》である。
 ルール的には打撃力+10で、両手持ちにすれば打撃力は32に到達。シンが持つ精霊殺しの魔剣”ズー・アル・フィカール”を軽く凌駕することになる。
「こりゃ、とんでもない魔法だね・・・その指輪ひとつで、村が丸ごと買えるんじゃないかい?」
 女将が目を丸くしている前で。
「んじゃいくぞ」
 ライオットは言うなり、その剣を樽の中に突き入れた。
 急激に沸騰した水が泡立つ音とともに、室内に白い湯気が広がっていく。
 そのまま剣で水をぐるぐるかき混ぜ、時々手を入れては温度を確かめる。
 そんな作業を3回ほど繰り返すと、そこには適温に沸いた風呂が完成していた。
「こっちの樽は湯船に使う。もうひとつはかけ湯。いずれは川から水を引いて、直接貯められるようにしたいな」
 得意そうに計画を語るライオット。
 女将はあきれ果ててため息をついた。
「あんたが金も魔力も無駄遣いをしてるってことは、よく分かったよ」
 そして女将が首を振りながら帰っていった後。
 一番風呂を心ゆくまで楽しんだライオットは、汚れの浮いた湯船を見て。
「こりゃ、どう考えても精霊使いが必要だな……」
 1レベル精霊魔法《ピュリフィケーション》のありがたみを、生まれて初めて実感していた。


シナリオ1『異郷への旅立ち』

 獲得経験点 2500点 
 
 今回の成長
  技能、能力値の成長はなし。
  冒険者の店〈栄光の始まり〉亭に、専用露天風呂を建設した。
  経験点残り 12500点。



[22445] インターミッション ルージュの場合
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:25
インターミッション ルージュ・エッペンドルフの場合

「……この呪文はソーサラーが自分の使い魔となるべき動物を召還し、支配する効果があります。使い魔となるべき動物は、ある程度限られています。たとえば蛙や鳥などです。また猫やフクロウなども有名な使い魔で、これらの動物が術者の召還に応じて姿を現し、術者に仕えます」
 オーガー騒ぎの翌日。
 魔術師ルージュ・エッペンドルフは、〈栄光のはじまり〉亭の自室で、難しい顔をして呪文書に読みふけっていた。
 革で装丁され、豪華な金文字で飾られた呪文書。そこには古代語で、ルージュ・エッペンドルフの呪文の書、と記載されているらしい。
 もっとも、あまりにも達筆でルージュにも読めないため、真偽のほどは定かではないが。
「魔術師は使い魔を1匹しか持つことができません。すでに使い魔を持っている魔術師が2匹目を召還しようとしても、いかなる効果も発揮しません・・・そりゃそうだよね」
 ライオットは朝から、ギムに相談があると言って出かけている。
 シンも退屈を持て余したらしく、観光と称して散歩に行った。
 ひとりだけの静かな部屋。
 ルージュはぱたりと呪文書を閉じると、天井を見上げてため息をついた。
 使い魔。
 器用度敏捷度の低い魔術師に代わって、偵察からNPCの護衛まで何でもこなす万能選手。
 ソーサラーが3レベルになったら、まずは使い魔と契約というのがこの世界の真理だろう。
 実際、ルージュも3レベルで契約した使い魔がいる。
 それもただの動物ではない。
 アザーン諸島にしか生息しないという猫族の王、ツインテールキャットのオスで、名前はルーィエという。
 人間並の知能を持ち、複数の言語をペラペラ話す。古代語魔法と精霊魔法を5レベルで修得済み。精神的な魔法は無効。毒・病気に冒されない。おまけに暗視、闇視の特殊能力つき。
 はっきり言って、契約当時は主人よりもはるかに強かった。
 もっとも、ルージュの命令を無視して単独行動を繰り返すわ、口が悪くて問題ばかり起こすわ、従順な使い魔とはとても呼べない奴だったのだが。
 長くつきあっているうちにキャラも立っており、ルージュの相棒としてパーティーの一員に数えられていた。
 シャーマン・シーフのキースがいないのは仕方ないが、ルーィエまでいないのは少し寂しい。
 何とか呼び出せないものかと思い、ルージュは朝から試行錯誤を繰り返していた。
 ルール上、魔術師と使い魔との距離が1キロ以内であれば、テレパシーのようなもので思考を共有できるはずだ。
「それができないってことは、1キロ以上離れてるか、そもそも契約自体が無効になってるのか・・・」
 椅子から立ち上がり、窓の外の景色を見下ろす。
 ここターバの村は、マーファ大神殿の門前町だ。今月はニース最高司祭が祝福をくれるということで、訪れる巡礼者も数多い。
 村の大通りには土産物や食事の屋台が軒を連ね、かなりの賑わいを見せていた。
 その中から銀色の双尾猫を見つけようとしている自分に気づいて、ルージュは苦笑した。
「少し気分転換でもするか」
 流れような銀髪をかきあげると、新品のローブの裾をさばいて、階下の食堂に降りる。
 ちなみに昨日着ていたローブは捨てた。
 鹿の死体で血まみれ生肉まみれになった服では、衛生上の問題がありすぎる。
臨床検査技師をしていたルージュは、血液の持っている危険性を十分すぎるほど認識していた。
 ルージュが階下に降りると、店の女将が手を挙げて呼びかけてきた。
「魔術師のお嬢さん。あんたに客が来てるよ」
「客?」
 朝食には遅く、昼食には早すぎるという時間帯。
 店内を見渡すが、自分の他に人の姿はない。
「誰もいないみたいですけど?」
 けげんそうに問い返すルージュに、女将がカウンターを示す。
「客は人間じゃない。さすが魔術師は交友関係が広いね」
 女将の視線の先。
 カウンターの隅には、テーブルに上ってスープ皿のミルクを舐める銀色の猫の姿があった。
 ご満悦らしく、2本の尻尾がパタパタと揺れている。
「よう、やっと起きたのか寝ぼすけ。人よりちょっと頭が回るだけが取り柄なんだから、さっさと回転させないとただの穀潰しだぜ」
 スープ皿から顔を上げて、双尾猫が言う。
「ルーィエ! どうしてここに」
 呆然として見つめるルージュに、双尾猫は器用に肩をすくめて見せた。
「一昨日の昼過ぎにいきなり精神感応が切れたから、何事かと思って来てやったんだ。まさか、ただ寝ぼけてたってオチじゃないだろうな?」
「切れた・・・やっぱり繋がってなかったんだ」
「今さら何を言ってるんだ。俺様の美声が聞こえない時点で少しはあわてろ。お前の人生でもっとも価値のある宝物を失うところだったんだぞ」
 ルーィエはぴんと尻尾を伸ばして、流れるような足運びでカウンターを歩き、ルージュのそばに寄ってきた。
 その動きは優美そのもの。およそこの世界の生き物の中で、猫ほど美しい動きをする動物はいない、とルージュは思う。
「いいか、使い魔契約が切れるなんてあり得ない。どっちかが死なない限りはな。それが切れた。何か普通じゃない要因がなきゃ、あり得ないんだ」
「それなら心当たりがあるわ」
 難しい顔をしたルーィエが、視線だけで続きを促す。
 それを制すると、ルージュは興味津々で眺めている女将に向き直った。
「すいません、この子のミルク代は私にツケといて下さい」
「金はいらないよ。あたしからこの猫へのサービスだからさ。しかし世の中ってのは広いね。まさか、しゃべる猫がいるとはねぇ」
 女将はそう言って笑いながら、ごゆっくり、とカウンターの奥へと戻っていった。
「ええと、話は少し長くなるの。上の部屋に行こうか。どこまで理解してもらえるかは分からないけどね」
「舐めてんのか。この世界の事象で、俺様に理解できないことなんてないに決まってるだろ。誰に口利いてんだ」
「はいはい。とりあえず部屋に行ってからね」
「うっわ、その子供扱いムカつくんだけど! 猫族の王に対して礼を失してると思わないのか?!」
 初めて会う相棒と、いつも通りの会話。
 軽やかに階段を上るルーィエを見ながら、ルージュは頬が緩んでいくのを押さえられなかった。


「・・・各々然々、そういう事情なの」
「分かった。要するに、ただでさえダメダメな魔術師の精神が、さらにダメダメな異世界の同一人格と入れ替わったと理解すればいいわけだ」
 長い長いルージュの話を、ルーィエがわずか5秒に要約してみせた。
 入れ替わった。
 考えもしなかった仮説を提示されて、ルージュは思わず唸る。
「なるほど、そういう考え方もあるんだ」
「仮にも魔術師なら、真っ先にそう考えろよな。トーキョーの街にあるお前の肉体に、何の精神も宿ってないと考える方がおかしいだろ」
「いや、死んだのかと思って」
「ありえないね」
 窓枠に乗り、優雅に尻尾を順番に振りながら、ルーィエが偉そうに講義を続ける。
「お前が今使ってるその体には、この世界のルージュの魂が入っていたんだ。その魂がどの世界に行ったにせよ、入るべき器は必ずある。そうじゃないとこの術式は成立しない」
「それで入れ替わったって結論になるのか」
 ロードス島の9レベルソーサラーが、現代日本に転生して、スーパーサミットで大根を品定めしている姿。
 そんなものを一瞬想像して、ルージュは気の毒そうに首を振った。
「なんでそんな事が起こったのかは聞くなよ。俺様が知るわけないんだから。それより問題は、俺とお前の関係だ」
 尻尾で窓枠をぴしりと叩いて、ルーィエが言った。
「お前がルージュと全くの別人なら、もう知らんって言うところだけどな。異世界で育ったヘタレにせよ、お前もルージュ・エッペンドルフであることは認めてやる。このまま見捨てるのは忍びないが、お前はどうなんだ?」
「どうするもこうするも、私がルーィエなしでやっていけるわけないじゃない。これからも助けてくれると嬉しいな」
 一も二もなく、ルーィエに飛びつく。
 このロードスという世界で生きていくに当たり、これほど心強い相棒は考えられなかった。
「実は、こっちに来てからずっとルーィエを探してたんだよ。なかなか見つからないし、精神感応は通じないし、本当に困ってたんだから」
「まぁ、そうだろうな。だが身の程を弁えているというのは、お前の数少ない美徳の一つだぞ。これからも俺様を見習って精進しろ」
 手放しで頼られて、ヒゲがぴくぴくと動いている。
 彼が自尊心をくすぐられているときの癖だった。口は悪いし唯我独尊なところはあるが、ルーィエは単純だし性格は素直である。
 付き合い方さえ間違えなければ、非常に頼りになる相棒なのだ。
「分かった。これからも頼むね。じゃあさっそくだけど、使い魔契約の儀式を進めていいかな?」
「気は進まないけど、仕方ないな。半人前の面倒を見るのも猫族の王としての責務だ。これからも指導してやる。ありがたく思え」
 ヒゲを盛大に震わせながら、ルーィエがもったいつけて応じる。
 こうして。
 ルージュ・エッペンドルフは、再び使い魔を手に入れることとなった。
 時に新王国歴503年、初夏。
 灰色の魔女の来襲を前に、ターバは未だ、つかの間の平穏の中にあった。


シナリオ1『異郷への旅立ち』

 獲得経験点 2500点 
 
 今回の成長
  技能、能力値の成長はなし。
  使い魔との契約を行った。
  経験点残り 5000点。



[22445] インターミッション シンの場合
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/15 19:23
インターミッション シン・イスマイールの場合

 ロードス島に来て嵐のような1日が過ぎた後、生活は打って変わって穏やかなものになっていた。
 レイリアとギムがマーファ神殿から引き出した報酬は、半年程度なら遊んで暮らせる額であり、ライオットとルージュは分け前を握りしめて何やら動き回っている。
 彼らが忙しそうにしているため新しい依頼を受けるわけにもいかず、かといってシン自身には、特にやりたいこともない。
 というわけで、ただぶらぶらとターバの村を散歩するのが、ここ数日のシンの日課になっていた。
 街道に出没したオーガーを退治した冒険者たちの噂は村中に広まっており、村人たちはけっこう気さくに話しかけてくれる。
 見るものすべてが新鮮なファンタジー世界である。
 屋台で買い食いをしたり、巡礼者相手の土産物屋を見物したりして、シンはけっこう楽しく過ごしていた。 
 そんなある日の昼下がりのこと。
 腹ごなしの散歩でもと、市場のあたりを歩いていたシンは、雑踏の中に見覚えのある背中を発見した。
 背中に流れる艶やかな黒髪。
 ほっそりした身体のラインを強調するような、マーファの白い神官衣。
 野菜がいっぱいに詰まった籠を重そうに抱え、よろめきながら歩いている少女は。
「レイリア!」
 シンが声をかけると、黒髪の少女は左右を見回し、声の主を見つけると嬉しそうに微笑んだ。
「こんにちは、シン。お散歩ですか?」
「まぁね。レイリアは?」
「神殿で使う食材の買い出しです。こんなにたくさんあるのに、1日で無くなっちゃうんですよ?」
 苦笑しながら籠を抱え直す。
 中にはジャガイモやニンジン、タマネギなどの野菜がぎっしりと詰まっていた。軽く10キロはあるだろう。
「どれ、ちょっと貸して」
 ひょい、と籠を取り上げる。
「重いでしょう? 買い出し当番は本当は2人なんですけど、もうひとりの子が熱を出してしまって」
 今日は私ひとりなんです、とレイリアが肩をすくめた。
 シンにとっては大した重さではないが、女性が一人で抱えるには重労働だろう。
「神殿まで2時間はかかるよね。歩いて帰るの?」
「そうです。買い出し当番はいつも半日がかりですね」
 返してください、と両手を差し出しながら、レイリアがうなずく。
 シンは少し考え込んだ後、にこりと笑った。
「じゃあこのまま、神殿まで付き合うよ。どうせ暇だったし、散歩のついでだ」
 片道2時間なら、夕食までには宿に帰れるだろう。美少女と歩くなら楽しいし、重い荷物を持たせたまま見送るのは、ちょっと心苦しい。
「そんな。悪いです」
 荷物係なんてとんでもない、と黒髪の少女は首を振る。
「いいから。祝福の街道はオーガーが出たばかりだし、美人が独りじゃ危ないよ。護衛代わりだと思って」
「ですけど……」
「じゃあ、俺の散歩に付き合ってもらうって事でどうかな? どうしてもイヤなら、無理にとは言わないが」
 今度はレイリアが困ってうつむいた。
 シンの申し出は正直嬉しかったし、彼とはもっと話をしてみたい。
 しかし、荷物持ちを頼むには、マーファ神殿はいささか遠すぎた。
 だからと言って、同行を断ってしまえば、一緒にいるのがイヤだと誤解されてしまいそう。
 さんざん迷ったあげく、レイリアが出した結論は、
「じゃあ、荷物持ちは交代でお願いします。30分ずつくらいで」
 というものだった。
「オーケー。じゃあ行こうか。俺、ターバの大神殿って見たことないんだよ。当分結婚もしそうにないし、男が独りで見に行くには悲しい場所だろ?」
 シンの言葉に、レイリアはくすりと笑った。
「そうですね。新婚さんばっかりですから、私も時々うらやましくなります」
「やっぱり神官は女性ばっかりなのかな?」
「ええと、全員が女性じゃないですよ。最高司祭はお母さまですが、ほかの司祭には男性もいますし、神官戦士団はほとんどが男性ですから」
 でも高位のプリーストはほとんどが女性ですね、とレイリアはうなずいた。
 うららかな日差しのもと、祝福の街道を涼やかな風が吹き抜けていく。
 なびく髪をレイリアの白い指が押さえ、その仕草を純粋に綺麗だな、と思いながらシンが見つめ。
 ふと、ふたりの間に沈黙が降りた。
 不思議と気まずくはない。
 さくり、さくりとリズミカルに土を踏む音は、どこか心が落ち着くような響きで。
 アスファルトもビルもない自然そのままの風景は、どこか懐かしい匂いがして。
「こないだも同じ道を通ったのに、まるで違う感じがするな」
 思わず、シンはぽつりと呟いていた。
「前は緊張してましたからね」
 レイリアが、自分の失態を思い出して、ちょっと頬を赤くする。
 オーガーを見たとたんに恐怖で立ちすくみ、ルージュが倒れるまで何もできなかった。
 ルージュを治療した後もシンの背中に守られるばかりで、戦士として訓練した自分は何だったのかと、あれから数日は自己嫌悪に悩まされたものだ。
「あの時は、みっともないところを見せちゃったな」
 シンが天を仰ぎながら言う。
「とんでもない! 全然そんなことないです! 私たちを守ってくれた上に、一撃でオーガーを倒したじゃないですか」
「あれはライオットの《戦いの歌》があったからだよ。あの歌を聞かなければ―」
「そんなの関係ないです」
 自嘲気味のシンの言葉を遮ると、レイリアは足を止めてシンの目を見上げた。
「魔法っていうのは、無いものを付け足すことはできないんです。寿命が尽きる寸前の人に治癒の魔法をかけても効果がないみたいに。だからマイリーの加護で勇気が出たなら、それは最初からシンの胸に眠っていた勇気なんです。あの時のシンの背中がどれくらい頼もしかったか、あなたには分かってないから―」
 驚いて見返してくるシンの顔を見て、レイリアはふと我に返り、自分が口走った言葉を反芻すると耳まで赤くなった。
「ご、ごめんなさい。私、興奮すると止まらなくなっちゃって。生意気言ってすみません」
「そんなことないよ」
 歩こうか、と促して、シンは言った。
「ライオットっていただろう。金髪の」
「はい。マイリーの神官戦士の方ですよね」
 半歩おくれて続きながら、レイリアがうなずく。
「あいつとはもう20年くらいの付き合いなんだけどさ。何て言うのかな、いつも俺の1歩先を歩いてるような奴でね。恋人を見つけるのも、結婚するのも、俺より早かったからさ」
 ルージュと知り合ったのは俺が先だったんだけどな、とシンは笑う。
「ルージュさんは、ライオットさんの奥さんだったんですね」
「そうだよ。そう見えなかった?」
「仲良さそうだなとは思ってました」
 レイリアが納得したようにうなずく。
 ライオットに微笑みかけるたび、ルージュの視線が棘をはらんでいたのは、どうやら気のせいではなかったらしい。
「それでまぁ、あの時もね。あいつが動くまで俺は動けなかったし、あいつの魔法がなければ俺は役に立たなかったと思う。だからかな、自分では、自分の行為にそれほど価値を見出せなかったんだ」
 青い空をゆっくりと流れていく雲を見上げながら、シンは言葉を続けた。
「けどさ、あの後ライオットが言ったんだよ。あいつはルージュを守りきれなかったけど、俺は君を無傷のまま守りきったって。だからあの戦いに関して、あいつより俺の方が得点が高いってさ。得点って言い方はどうかと思うけど、今になってやっと意味が分かった」
 自分の言葉をかみしめるように語るシンの横顔を、レイリアは黙って見上げていた。
 収まりの悪い黒髪。浅黒く焼けた肌。
 レイリアでは持ち上げるのがやっとの籠を軽々と抱え、その歩みはゆっくりだが着実なもの。
「何者の力を借りようと、どんな無様な戦いだろうと、君が怪我をしないで済んだなら、それで十分な成果だったんだよな」
 満足そうにそう結ぶシン。
「シンは、強い人ですね」
 レイリアは目を伏せると、穏やかな声で言った。
「強い? 俺が?」
 予想外の言葉に、シンが苦笑する。
「弱いよ俺は。あいつと一緒にいるとよく分かる」
「本当に弱い人は、自分が弱いなんて言えませんよ。しかも会ったばかりの、私みたいな小娘を相手に」
 レイリアはそれ以上言わず、ただ黙って、嬉しそうに微笑んだ。
 なにがしかの答えを見つけたような、そんな様子に、シンもそれ以上の言葉を紡ごうとはしなかった。


 結局、マーファ大神殿までの道のりを、文句を言われながらもシンは野菜の籠を渡すことなく持ち続け。
 神殿ではレイリアからの夕食の誘いを謝絶して別れを告げ、その足で〈栄光のはじまり〉亭へとって返した。
「……お前アホか。なんでそこで帰ってきたんだ?」
 遅めの夕食のテーブルを囲みながら、処置なしと言った風情でライオットが首を振る。
「いや、早く帰らないとこっちの晩飯に間に合わないかと思ってさ」
「そんなのどうでもいいだろ。別にこっちで食わなきゃいけないわけじゃないんだし」
「それはそうだけど、人を待たせるのはよくない。実際、今日だって俺のこと待ってたじゃないか」
「そりゃまぁ、そうだけど」
 やりこめられてライオットが黙る。
 すると、男同士のやりとりを黙って眺めていたルージュが、フォークを持つ手を休めて言った。
「リーダー、次はご馳走になっておいでよ。私たちは気にしないから」
「まぁ、次があったらな」
 気のないふうを装って、食事に戻るシン。
「それでレイリアさん、次の買い出しはいつだって?」
「4日後だそうだ。当番は4日サイクルで回ってくるって言ってた」
 反射的に答えてから、イイ笑顔を浮かべる夫婦に気づき、シンは自分があっさりハメられたことを悟った。
「もう約束したんだろ?」
「じゃ、次は先にご飯食べてるからね」
 満足そうに視線を交わし、食事に戻るライオットとルージュを見て。
 ――やっぱりかなわないな。
 シンは深々とため息をもらした。


シナリオ1『異郷への旅立ち』

 獲得経験点 2500点 
 
 今回の成長
  技能、能力値の成長はなし。
  レイリアとちょっぴりいい雰囲気になった。
  経験点残り 9000点。



[22445] シナリオ2 『魂の檻』 シーン1
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/16 07:36
シーン0 ターバ郊外 マーファ大神殿

「怪我がなくて何よりだったわ。ありがとう、ギム。世話をかけました」
 私室に迎えた客から一部始終を聞き終えると、マーファの最高司祭ニースは深々と頭を下げた。
 ニースは齢47歳。
 かつてロードスを魔神から救った英雄も、今では目尻にしわが刻まれ、髪にも白いものが目立つようになっている。
「いや、わしはほとんど役に立っておらんよ。礼なら彼らに言うがよかろう」
 かぶりを振って、ギムはニースが手ずから煎れた紅茶に口をつけた。
 力を入れれば折れてしまいそうな陶器のカップに、香り高い琥珀色の液体が揺れている。
 ギムとしては木製のジョッキにエール酒のほうが好みだったが、郷に入っては郷に従えという。この部屋に来た以上、部屋の主の趣味に文句をつける気はなかった。
「しかし、奇妙な連中ではあったな」
 髭を湿らせる湯気に顔をしかめながら、ギムは思い出したようにつぶやいた。
「奇妙?」
 ニースが首を傾げる。
 そんな仕草には、年齢とは関係ない、まるで少女のような愛嬌を漂わせていた。
「うむ。剣の腕はわしとは比較にならんのに、戦うのを異常なほど怖がる。相手を傷つけることを恐れ、死体にさわるのを嫌う。まるで心と体のバランスがとれておらん」
「そう」
 ギムの言葉に、ニースは記憶を探るように遠い目をした。
 今から30年前、ロードスを魔神が跳梁し、人々が恐怖に震えていた時代のこと。
 ニース自身も、そのような人々と冒険を共にしたことがあったのだ。
 彼らはギムの言う冒険者たちと同じように、異常なほど臆病でありながら、異常なほど強かった。
 彼らの顔をひとつずつ思いだし……一瞬だけ生ぬるい表情を浮かべた後、ニースは懐かしそうに微笑んだ。
「その人たちは、時々意味の分からない言葉を使っていなかった?」
 ニースの問いに、ギムは髭をしごいて記憶を反芻する。
 彼らの言動には奇矯なところが多く、枚挙にいとまがないが、強いて挙げるなら初めて会ったときだろうか。
「そうじゃの、おぬしはナナレベルという言葉を知っておるか?」
「ナナレベル? いいえ」
 ニースが首を振る。
「あやつらがレイリアを評した言葉じゃ。レイリアはナナレベルの司祭だそうな。まるで意味が分からん」
 ギムが鼻を鳴らして紅茶をすする。
 ニースはしばらく目を閉じて考え込んでいたが、やがて静かに立ち上がると、窓辺に歩み寄った。
 窓からは遠くターバの村が見える。
 初夏。一年でもっとも美しい季節。
 ロードス最北端の村は、短い夏の輝きをいっぱいに受けて、平穏な毎日を享受している。
 だが、その平穏が破られる日が近づいているのかもしれない。
 旧友からの手紙にあった、動乱の気配。
 その足音は、確実にこのターバに近づいているようだ。
「これも、マーファのお導きかもしれないわね。私も会ってみようかしら、その冒険者たちに」
 複雑な心境と重大な覚悟をその言葉に乗せると、ニースは彼方の空を見上げた。


 ロードスという名の島がある。
 アレクラスト大陸の南に浮かぶ、辺境の島だ。
 大陸の住人の中には、ここを呪われた島と呼ぶ者もいる。
 かつて神話の時代、邪神カーディスがこの地に倒れ、その骸が今も残されていると伝えられるが故に。
 つい30年前には、最も深き迷宮から異界の魔神が解放され、ロードス全土を大混乱に陥れたが故に。
 そして今、呪われた島の名にふさわしい災厄が、再びロードスを覆わんとしていた。



SWORD WORLD RPG CAMPAIGN
『異境への帰還』
 第2回 魂の檻


シーン1 〈栄光のはじまり〉亭

「ったく、高貴な俺様には全く信じられないね。おいルージュ、おまえ、つがいの相手を完全に間違えてるぞ。今からでも遅くはない、子供を作る相手はちゃんと選んだ方がいい」
 いつものように悪口雑言を連射しながら、ルーィエは足取りも荒く食堂に入ってきた。
 ルーィエは猫である。
 が、ただの猫ではない。
 アレクラスト大陸の南に浮かぶアザーン諸島から渡ってきた、誇り高き猫族の王、双尾猫だ。
 その名の通り2本の尻尾と、銀色の美しい体毛がチャームポイント。
 特技は古代語魔法と精霊魔法。
 表向きは魔術師ルージュ・エッペンドルフの使い魔ということになっているが、実際には頼りないルージュを指導してやっている立場である。
 猫族の王という身分に付随する、いわゆる“高貴な義務”(ノブレス・オブリージュ)というやつだ。
 食堂では、初日から指定席にしている一番奥のテーブルで、すでにシンとルージュが飲み物を片手にくつろいでいた。
 ルーィエは当然とばかりにルージュの膝に跳び乗り、不機嫌そうに毛づくろいを始める。
「今度は何を怒ってるの、ルーィエ?」
 なでごこち満点の柔らかい背中に手を乗せると、その毛皮は水で濡れていた。
 ルージュが思わず苦笑する。おおかたの予想はついていたのだが。
 夕食には少し早い時刻。
 食堂には他の客もちらほらといたが、しゃべる猫に関心を寄せる者はもういなかった。
 彼らがオーガーを退治した熟練冒険者であり、ルージュが高位の魔術師だということは、すでに村中に知れ渡っている。
 魔術師ならば、しゃべる猫の1匹くらい飼っていても不思議ではないだろう。
 純朴なロードスの人々は、その程度の認識で現実を受け入れてしまったらしい。
「知りたいか? ならば教えてやる。おまえのつがいのライオットが、俺様にいかなる不敬を働いたかをな」
「そう言うなよ陛下。せっかくの銀毛がホコリで薄汚れてたから、綺麗にして差し上げただけじゃないか」
 ルーィエに続いて食堂に入ってきたライオットが、心外だと肩をすくめる。
 白い麻のズポンにタンクトップのシャツという姿で、彼の金髪も濡れたまま。肩にはタオルをかけている。
 いかにも風呂上がりという風情だが、金髪碧眼の貴公子然とした容貌のおかげで、不思議とだらしない印象は受けなかった。
「だけだと? 貴様、よくぞそんな台詞が言えたもんだな! ちょっとばかり俺様よりすばしっこいからって、あんまりいい気になるなよ?!」
 2本の尻尾を逆立ててルーィエがライオットを威嚇する。
 ライオットが空いていた椅子に座ると、ルージュが横から麦茶のジョッキを滑らせた。
「それで、ルーィエに何をしたの?」
「いや、ただ風呂に入れただけだよ。こうやって……」
 ライオットは、ルージュの膝にいたルーィエの首根っこをひょい、とつまんだ。
 ルーィエはあわてて逃げようとしたが、彼の回避点では9レベルファイターの攻撃を避けることはできない。
 抵抗むなしく、ルーィエはライオットに持ち上げられてしまった。
 遙かな昔、母猫にくわえられて移動した子猫時代を思い出して、だらりと手足を下げる。
 そのまま、ライオットは腕を上下に動かしながら、ルーィエの腹や背中をこすって見せた。
「こんな感じで。もちろん石鹸はつけて洗った」
「湯船でそれをやったのか。なんかこう、猫しゃぶって感じだな」
 我関せずとエール酒をなめていたシンが、風呂場の光景を想像して、思わずつぶやく。
 その言葉で我に返ったルーィエが暴れ出し、再びルージュの膝に戻されると、今度はふてくされて丸くなってしまう。
「それはひどいよ、ライくん」
 ルーィエの背中を撫でながら、ルージュが頬を膨らませた。
「いや、結構熱い風呂だったからさ。長くつかってると陛下がのぼせちゃうんじゃないかと思って、これでも気を遣ったんだけど」
「猫はふつう、お風呂に入れないものだよ。洗面器でぬるま湯をかけて、優しく洗ってあげなきゃ」
 そして、ルージュの紫色の瞳が、すっと細くなってライオットを射抜く。
 深い知性を感じさせる不思議な輝きに、ライオットは思わず視線をさまよわせて頭をかいた。
 隠し事をしているとき特有の、夫の反応。顔や体が変わっても、仕草だけは変わらない。
 ルージュはそのまま視線の圧力をあげて、無言の追求を続ける。
 ルーィエと同じ銀色の髪に、象牙を彫り上げたような肌。なまじ整った美貌だけに、その迫力たるや尋常ではない。
 ライオットは速やかに白旗を揚げ、妻に服従した。
「風呂に入ると湯が汚れるので、陛下に《ピュリフィケーション》の魔法をかけてもらいました」
「それだけ?」
 さらなる追求に、今度はルーィエの背中がぴくりと震える。
 ルージュの口許が迫力満点の微笑を刻み、いったん双尾猫に視線を落とした後、再び夫に向けられる。
 もちろん、ライオットはすべて白状した。
「最初はイヤだと断られたので、お礼に砂糖菓子を献上すると約束しました。陛下は喜んで協力してくれました」
「ライオット、貴様それは黙ってる約束だろう!」
「悪いな陛下。今のルージュに逆らえるわけないだろう。恨むなら自分か神様にしてくれ」
 小声で言い合いをする夫と使い魔に、ルージュは深々とため息をついた。
「ルーィエ。甘いものは虫歯になるからダメだって、いつも言ってるよね?」
「いやほら、たまには王たる者も、庶民の楽しみというものを味わった方が……いや、何でもない。砂糖菓子は諦める」
 抗弁を試みたルーィエも、紫水晶の瞳に射すくめられて瞬時に断念。
 自分では勝てない相手を見極めるのは、冒険者として必須の能力だ。
「じゃあ罰として、ライくんにはお風呂の水くみ1週間。ルーィエは、全員のお風呂の後に《ピュリフィケーション》をかけること。いい?」
 けっこう重労働なんだけど、とふたりは目で愚痴をこぼしあったが、声に出す勇気はなかったため、判決は確定した。
「じゃあ早速、私もお風呂行ってくるね。ルーィエ、行こうか」
「ちょ、なんで俺様まで。風呂は入ったばっかりなんだけど」
「あれ、ライくんには協力できて、私にはできないって言うの?」
 他に精霊魔法を使える人がいないんだから、仕方ないじゃない。
 こともなげに言い放ったルージュに。
「分かった。ちょうど、もう一回入りたい気分だったんだ。仕方ないから付き合ってやる」
 力なく2本の尻尾を床に落として、ルーィエは再び食堂を後にした。


 全員が風呂をすませて指定席に集合したのは、それから1時間後のことだった。
 70リットルの湯を3回にわたって浄化させられたルーィエは、さすがに精神点を使い果たし、テーブルの上でぐったりと寝そべっている。
 共犯者として心を痛めたライオットが《トランスファー》で精神点を融通したものの、起き上がる様子はなかった。
「そういえばリーダー、今日はレイリアさんと買い物の日じゃなかったっけ? ずいぶん早く帰ってきたね」
 すでにテーブルには、全員分の夕食が並んでいる。
 ロードス島に来て1週間。
 嵐のような初日以外は特に事件もなく、ファンタジーな世界の生活にもようやくリズムを掴めてきた。
 ライオットの言葉ではないが、想像以上にふつうに生活できている。
 まるで変わってしまった仲間の顔も、普段どおりの会話をしているうちに心が受け入れてしまった。
 古来日本では、美人は3日で飽きる、不美人は3日で慣れるという。魂の形さえ変わらなければ、外見が変わったくらいで友情は揺るがない。
 ターバの村には城も衛兵もいないし、町中で剣を振り回す輩も、ルージュ以外の魔術師も、もちろんいない。
 テレビやPCといった文明の利器を諦めてしまえば、ヨーロッパの片田舎に旅行に来たと言っても納得できそうな雰囲気。
 ファンタジーな世界といえども、日常的に魔法が飛び交っているわけではないのである。
「ああ、今日は相方の娘と一緒だったから、送っていかなかった。それよりさ……」
 いつものようにエール酒のジョッキを空けながら、シンは少し言い淀んだ。
 黒髪に浅黒く焼けた肌。まるで黒豹のような印象の戦士は、どこから話したものかと悩んでいるようだ。
 C言語やJAVAならどんと来いなのだが、あいにくとプログラミング言語は物語をつむぐにはいささか不向きだ。
 いろいろと考えた末、きっと誤解されるんだろうな、と思いながらも、結局は結論から口にしてしまう。
「レイリアに言われた。ニース様が会いたいと言ってるそうだ」
 果たして。
「わぉ。早くもご挨拶?」
「やるな。いちおう手土産は持っていった方がいいぞ。手ぶらだと気まずいからな」
 予想どおり、目を輝かせて食いついてくる。
 夫婦で息もぴったり。
 本気でそう思っているわけではあるまいが、とりあえずからかうチャンスは逃さない。このふたりはそういう人間だ。
 シンはやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「俺だけじゃない。みんなで神殿に来いってさ。どうする?」
 ここから先は、マジメな話。
 真剣な議論になるだろうと思っていたのだが。
「そうか。いつにする?」
「明日とかでもいいのかな? レイリアさんは何か言ってた?」
 会話はあっさりと結論をすっ飛ばしていた。
 ふたりの中では、面会を断るという選択肢はないらしい。
「それでいいのか? 原作キャラクターには関わらない方針だっただろう」
 だが、いちおう述べたシンの反対意見は、一笑に付されてしまった。
「レイリアと会ってる時点で、その方針は瓦解してるだろ。今日だって楽しそうにしてたじゃないか」
 あわててルージュが夫の口をふさごうとするが、もう遅い。
「見てたのか?」
「わざとじゃないよ、リーダー。私たちもおやつの買い出しに行ったら、偶然ね」
「そこから後は偶然じゃないけどな」
 デートの様子を盗み見ていたことを、ライオットが堂々と認める。
 とはいえ、レイリアの相方の娘も一緒だったのだ。ただ会話をしながら買い物をして、シンおすすめの屋台で買い食いをして、村の入り口で別れただけ。
 手をつないで歩くのは当分先だな、というのがライオットの評価。
 どう贔屓目に見ても、気の合うお友だちという段階だ。
「まあ冗談はさておき、ニース様の面会を断っても、百害あって一利なしだろ」
 むすっと黙り込んだシンに、ライオットが言う。
「相手は魔神戦争の英雄で、マーファ教団の最高司祭だ。彼女ににらまれたらターバにはいられなくなるよ。それに、もう決めただろ?」
 レイリア対カーラというキャンペーンシナリオに乗ることを。
 灰色の魔女が襲ってきたら、レイリアに付いて戦うということを。
「覚悟を決めるっていうほど大それた意識はないけどさ。俺の経験で言わせてもらえば、自分で決めたことなら、突然その場に放り出されても諦めがつくもんだよ」
 それに。
 彼女いない歴33年の親友が、レイリアのような最上級美少女と幸せになれるなら、原作ストーリーなど知ったことか、とライオットは思う。
 カーラだろうとスレインだろうと、レイリアを渡すわけにはいかない。
 相手が誰であれ、こいつのためなら全力で戦ってやる。
 ライオットにとって親友とはそういうもので、シンは一番の親友なのだ。
「……レイリアはいつでもいいって言ってたよ」
「じゃ、明日にでも行ってみる? どうせ宿にいてもすることないし」
 ルージュの提案に、ふたりはうなずいた。
 やると決めたからには、プレイヤーの方から動かないと、シナリオは進まない。
 TRPGとはそういうものだ。
「ま、あれだ。俺とルージュはニース様に結婚の祝福をしてもらうとして、シンは――」
 にやりと笑って、ライオットが言った。
「とりあえず手土産を買ってきた方がいいぞ。手ぶらだと気まずいからな」



[22445] シナリオ2 『魂の檻』 シーン2
Name: すいか◆1bcafb2e ID:8dfda06e
Date: 2010/10/23 19:14
シーン2 ターバ郊外 マーファ大神殿

 視線を上げれば、初夏だというのに白く色づいた白竜山脈の霊峰が見える。
 ここに棲むという氷竜プラムドの魔力の故か。それとも、この山の主とされている氷の精霊王フェンリルの影響か。
 村人たちの話では、真夏でも山から雪が消えることはないそうだ。
 針葉樹の林を抜けると、そこには白大理石で作られた巨大な神殿が見えてきた。
 数百年の風雪に耐え、全ロードスのマーファ教団の中心として活動してきた大神殿。
 ここが今日の目的地である。
「なんかこう、想像以上に豪勢だよな」
 白亜の宮殿と見まごうばかりの壮麗な建築物に、ライオットが少々嫌みっぽく評する。
 彼は金持ちの宗教法人が大嫌いなのだ。
 日本人としては珍しくもないが、神が間違いなく実在するロードスでは、異端と言っていい考え方だろう。
「まるで、ダライ・ラマの宮殿みたいだよね」
 ルージュが言う。
 確かにチベット仏教の総本山は、規模といい外見といい、住民の信仰を集めすぎて中央政府に睨まれている点まで、ターバのマーファ大神殿にそっくりだ。
「ダライ・ラマの宮殿って、こんな感じなのか?」
 名前くらいしか聞いたことのないシンが、首を傾げて親友に尋ねた。
「あれだ、逆襲のシャアのオープニングで、ルナ2が落ちて吹っとばされた建物のモデル」
「ああ、なるほど。確かに似てる」
 ライオットの説明に、シンが大きくうなずく。
「……どんな説明ですか。リーダーもそれで分かるの?」
 呆れたルージュがジト目で見やると、シンは大きく胸を張った。
「ガノタ舐めんな。今ので十分」
「ガノタっても、宇宙世紀限定だろ。それじゃ半分だぞ」
「コズミック・イラなんて飾りです。女・子供にはそれが分からんのですよ」
「はっきりと言う。気に入らんな」
 他人の台詞を盗用して喜んでいる2人に、先頭を歩いていた双尾猫がうんざりと声をかける。
「おいお前ら。人前でそういう会話をしてると、魔神認定されて誅殺されるぞ。ちょっとはその乏しい頭を働かせて、ここがどこだか思い出してみろ」
 魔神戦争は終わったとはいえ、ロードス中に張り巡らされた地下隧道には、生き残った魔神がちらほらと出没している。
 しかもこの大神殿は、魔神戦争の英雄ニースのお膝元。
 ルーィエの言うとおり、魔神認定されてはろくなことにならない。
 魔神も自分たちも、異界から来たという点では同一の存在なのだ。人目のあるところでネタは慎むべきだった。
「そうだな。陛下の言うとおりだ。気をつけるよ」
 素直にライオットが謝る。
「ふん、分かればいい」
 満足そうに髭をふるわせると、ルーィエは尻尾をぴんと伸ばした。

 白亜の大門をくぐると、そこはちょっとした広場になっていた。
 縁結びの神様にふさわしく、参詣者の大部分は若いカップル。あとは豊饒の神に豊作祈願にきた農民がちらほらいるくらいか。
「神官たちの宿坊はあっちだ」
 唯一ここに来たことのあるシンが、人混みとは逆の方を指さして先導する。
 祈祷の受付所や護符の販売所を横目に見ながら歩いていると、ルージュがふと言った。
「ねぇ、戦乙女ってさ、精霊魔法のバルキリーのことだよね?」
「なにを今さら」
 ライオットが不思議そうに妻を見る。
 自他ともに認めるヘビーゲーマーの妻が、北欧神話をモチーフにした勇気の精霊を知らないはずはない。
「じゃあ、なんでマーファ神殿で戦乙女の護符なんて売ってるんだろ?」
 ほら、とルージュが販売所を指さす。
「本当だ。戦乙女の護符って書いてあるな」
 シンが首をひねった。
 戦う男の勇気を守護する精霊なのだから、どちらかというとマイリー神殿で売っていそうなものだが。
「……あれだ、豊饒の女神だけに、夜の戦いでも男を守護しちゃうよ系の護符かね? 装備すると弾数+1とか」
「昼間からシモネタ禁止」
 ライオットの冗句に、ルージュが冷たく応じる。
「っていうかさ、ライくんってどんな時でもすぐそっちに繋げるよね。ある意味才能だよ」
「いや、それほどでも」
「恐縮しないで。私は皮肉を言っているの」
 マーファの聖域でわいのわいのと騒ぎながら歩いていくと、やがて3人と1匹は通りすがりの神官に見とがめられた。
 完全武装の冒険者が、誰の案内もなく関係者以外立ち入り禁止ゾーンに近づけば、職務質問されて当然だ。
「マーファ神殿にどのようなご用でしょう?」
 声をかけたのは30代半ばの男性神官だった。
 遠巻きにして数名の女性神官が様子をうかがっているから、おそらく代表して誰何に来たのだろう。
「ああ、俺たちは怪しいものじゃない。ニース最高司祭に会いに来たんだ」
 いつものように、シンが代表して答える。
「失礼ですが、お約束はおありですか?」
「約束はしてない」
「ニース様はご多忙です。代わりに別の者がご用件をうかがう形でよろしいですか?」
「それじゃ来た意味がない。ニース様に取り次いでくれないか?」
 私たちは不審者ですと言わんばかりの回答である。
 男性神官の視線が胡乱げなものになっていく。
 見かねてルージュが口を出そうとしたとき、聞き覚えのある声がした。
「シン、それに皆さん!」
 白い神官衣を着た黒髪の美少女が、嬉しそうに小走りで駆け寄ってくる。
 まるで主人を見つけた子犬みたいだな、とライオットは思った。尻尾がついていれば勢いよく振られていただろう。
「俺様がその他大勢扱いかよ。何なんだ、この無礼な小娘は」
 ルーィエのつぶやきが、男性神官の耳に入らなかったのは幸運だった。もし聞き咎められていたら、いつものような大騒ぎになっていただろう。
「レイリア司祭。お知り合いですか?」
「彼らはニース様の客人です。先日のオーガー退治の功労者ですよ」
「なるほど、それで。これは失礼致しました」
 男性神官は納得した様子でシンたちに一礼すると、後はお願いします、とレイリアに応対を丸投げして歩み去っていった。
「皆さん、先日はお世話になりました。今日はわざわざご足労いただいて、ありがとうございます」
 黒髪の女性司祭は、礼儀正しく挨拶すると、深々と頭を下げた。
 このあたり、ニースの躾の良さが如実に現れている。英雄の娘として恥ずかしくないお嬢さまぶりだ。
「あら、こちらは?」
 視線が下がったことで、ルージュの足下にいた銀色の双尾猫に気付いたのだろう。レイリアは目を輝かせると、しゃがみ込んでルーィエの顔をのぞき込んだ。
「私の使い魔で、ルーィエといいます。双尾猫という幻獣で、猫族の王様なんですよ」
 ルーィエが変なことを口走るより早く、ルージュが口を挟む。
 レイリアはにっこりと笑って会釈した。
「そうですか。私はレイリアといいます。よろしくお願いしますね、ルーィエさん」
「ん、今後は見知りおいてやる。ゆめゆめ俺様に対する敬意は忘れずにな」
 努めて尊大そうに胸を張り、ルーィエが応じた。
 猫がしゃべったことにレイリアは驚いたようだが、シンが苦笑して肩をすくめるのを見て、だいたいの事情は察したらしい。
 気をつけます、と律儀に答えると、再び立ち上がってシンに向き直った。
「本来ならば母が直接うかがうべきなのですが、あいにくと多忙な身ですので、どうかご容赦ください」
「分かってる。それにニース様が冒険者の店なんかに来たら、村は大騒ぎになるよ」
「そう言ってもらえると助かります。ではどうぞ、こちらへ」
 レイリアに先導されて、3人と1匹は宿坊の中へと入っていった。
 長方形の細長い建物は、中央に長い廊下があり、その左右に部屋が並ぶという単純な構造だ。
 基本的には1階に厨房や食堂といった施設が集まり、2階に神官たちの私室がある。
 レイリアに案内されるままに進むと、2階の突き当たりに最高司祭ニースの部屋はあった。
「こちらです。お母さま、冒険者の皆さんがお見えになりました」
 重厚な樫の扉をノックしながら、レイリアが声をかける。返事はすぐにあった。
「どうぞ、お入りいただいて」
「はい」
 重々しく軋みながら、分厚いドアが開く。
 その向こうには、清潔感と暖かさを感じさせる、上品な居室が広がっていた。
 床にはベージュの絨毯が敷かれ、置いてある家具はすべて木目調。
 採光の良さそうな大きな窓を背にして、壮年の女性が立ち上がって来客を迎えている。
 最高司祭ニース。
 マーファの愛娘、竜を手懐けし者など、およそ最高級の雅称をいくつも背負っている伝説の英雄が、そこにいた。
 年齢は47歳。身長もさほど高くない。
 だが気品と神々しさに溢れた存在感は、まるでマーファそのものと対面しているかと錯覚しそうなほど。
「これが本当のカリスマってやつか」
 思わずライオットがつぶやく。
 好意とか愛とか、そういう暖かいもので世界を包もうとする人間は、それができると信じられるような何かを、周囲に発散するものらしい。
「私がニースです。話はこの子から聞いています。その節は面倒をおかけしましたね」
 ニースが微笑み、応接用のソファーに座るよう促す。
「あ、いえ。それほどでも」
 完全に気圧されているシンは、言われるままにソファーに腰掛けた。
 ニースの視線はどこまでも柔らかく暖かいが、心の奥底まで見通されているような深さがある。
「シン・イスマイールです。初めまして」
 ようやく我に返ったシンが、何とか自己紹介らしきものを口にする。
 その様子をレイリアが心配そうに見つめているのに気付いて、ライオットは小さく笑みを浮かべた。
 つまり、これは面接試験というわけだ。
「あなたがシンね。レイリアから話は聞いています。たいそうな腕前だとか」
「あ、いえ。それほどでも」
 設定年齢21歳。まだまだ少年の面影を残すシンの浅黒い頬に、緊張のためか、うっすらと朱がさしているようだ。
 実直そうな青年が、緊張してこわばっている様子というのは、見ていて決して不愉快ではない。
 余裕がなくなって本性が露呈している状態だから、その人物を見極めるのも簡単だろう。
 こいつに悪いことはできそうもないな、とライオットですら思うほどだ。ニースにはもっと明瞭に把握されたに違いない。
「そう緊張せずに。これからも、レイリアと仲良くしてやって下さいね」
「あ、はい。それはぜひ」
 まるっきり脊椎反射の回答。
 たぶん自分でも、何を言ったか理解していないだろう。
 その様子にニースは小さく吹き出して、ちらりとレイリアに視線を向ける。
 いい人ね、合格よ、という無言の承認に、レイリアがちょっと誇らしげに微笑んだ。
「あなたは、マイリーの司祭の方ですね?」
「ライオットと申します。お会いできて光栄です」
 ニースの問いに、ライオットは小さく会釈した。
 そして、どうぞ心の底までご覧下さいと言わんばかりに、正面からニースの瞳を見つめ返す。
 しばらく無言の時間が過ぎたが、やがてニースが感心したように言った。
「あなたは、他の方とは少し違うようですね」
 ニースの存在感を前にして、ずいぶん余裕があるということか。
 ライオットは少し考えた後、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「人は、他人を騙すことはできても、己の良心を騙すことはできません。この良心に従って行動し、何ら恥じる所がないのであれば。人は何者の面前にあろうとも、己の誇りを失うことはないと、私は信じます」
 要するに。
 魔神戦争の英雄、最高司祭ニースを前にして。
 あんたがどれほど偉かろうが、俺はビビらないもんね、と言い放ったのである。
 よく言えば剛胆だが、偉そうな人を見ると逆らいたくなるという、ライオットの悪い病気だった。
 しかしニースは、やんちゃな子供を見るような、微笑ましげな顔でうなずいた。
「人はそれぞれが小さな神である、と教える司祭もいます。どうかあなたの生が、あなたの誇りとともにあらんことを」
 背伸びをしよう、対等であろうとする思惑や、言葉に含まれる棘まで全部まとめて肯定し、祝福してしまうニース。
 その巨大な包容力の前では、ライオットなど井戸の中で粋がっているだけの蛙にすぎなかった。
 人としての器が違いすぎるのだ。
 ほんの一言でそれを思い知らされ、ライオットは大人しく頭を下げた。
「ありがとうございます。肝に銘じて」
 逆らいたがる反面、相手が自分より優れていれば素直に認め、その相手に反感を抱かないのは、ライオットの長所だ。
 ――これが、超英雄ポイント持ちの器量ってやつか。
 正直、一生かかっても追いつける気がしなかった。ニースを見る目には、尊敬の成分を追加投入せざるを得ない。
 それはニースにも分かっているだろう。
 だがライオットは、それを恥だとは思わなかった。
「すると、あなたがルージュさんね?」
 最後に銀髪の美女に顔を向けて、ニースは言った。
「はい。こっちは使い魔のルーィエです」
「お初にお目にかかる。天と地と精霊たちに祝福されし猫族の王のひとり、“銀月の王”ルーィエだ。あなたの武勲はこの島の猫たちから聞いている」
 その場の全員が驚いてルーィエを見た。
 ニースは猫がしゃべったことに。ほかの面々は、ルーィエが殊勝な態度をとれたことに。
「これはご丁寧に。私はニース。大地母神マーファに仕える司祭のひとりです」
 さすがと言うべきか。ニースは一瞬で驚愕を収めると、居住まいを正した。
「あなたの行いは、ロードス全土の猫族の知るところだ。故に、すべての猫族を代表して申し上げよう。あなたに心からの感謝を」
 ルーィエがぺこりと頭を下げる。
「そのお気持ちは嬉しく思いますが、私だけの功績ではありませんよ?」
「知っている。だが、功を為した者が多かったからと言って、評価まで等分されることはない。全員が相応に評価されるべきだ。違うか?」
「……違いませんね」
「であれば、我らの感謝を容れてもらいたい。我ら猫族には、人語を話せる者がほとんどいない。このような機会、二度はないだろうから」
 どうやら、猫だと思って甘く見ていたらしい。
 この双尾猫の気高い魂を見て、ニースは素直に謝罪した。
「失礼しました。猫族の気持ちは嬉しく承りました。これからも期待に添えるよう努力すると、皆さんにお伝え下さい」
「確かに伝えよう。口を挟んで済まなかった。この魔術師は半人前だが、見込みがないわけではない。納得いくまで見極めてくれ」
 それだけ言うと、ルーィエはソファの下に跳び降り、ルージュの足の下で丸くなった。
 もう口を出す気はない、という意思表示だろう。
「素晴らしい王様ね」
 感心したニースの言葉に、ルージュは呆然としたままうなずいた。
「私も知らなかったんですが。どうやら最高の相棒みたいです」
 今この瞬間まで、ただの生意気な猫だと思っていたのに。どうやら、自分たちの中で一番大人なのは、この双尾猫らしい。
「ところでルージュさん、あなたはとても綺麗な髪をしているけれど」
 ニースは話題を一変させると、どこか身構えるように目を細めた。
 その口調も、どこか探るよう。その様子に、ルージュも緊張して言葉の続きを待った。
「やっぱりお手入れには時間をかけているの?」
 この場面で、どうしてそんなことを聞くのだろう。
 ルージュには全く理解不能だったが、聞かれたからには答えないわけにもいかない。
「ええと、椿の花油のシャンプーで毎日洗うくらいですね。これは主人が作ってくれたんですけど、髪に潤いが出る感じで、とてもいいです」
「髪の手入れをしないのに、誰よりも美しい髪を持っている女性がいたら、どう思う?」
「ずるい、というか、許せないですね」
「そうよね、やっぱり」
 我が意を得たりとニースがうなずく。
「では、相手によってころころと偽名を使い分けるのは、どう思う?」
「ええと、その人は詐欺師ですか?」
「そういう一面がなくもないわ。けど、どちらかと言うと英雄なの」
 ニースが残念そうに答える。
 なかなかに具象化しずらい質問だが、他ならぬニースの質問とあって、ルージュは懸命に考えた。
「例えば、英雄ですごく有名な人であれば、身分を隠して町で過ごすために偽名を使う、というのは理解できますね」
「そうね。では、英雄と称えられる人物が、正々堂々と強敵を討ち果たして、最後に名前を聞かれたときに偽名を使ったら、どう思う?」
「さすがにそれはちょっと。いろいろと台無しにしちゃいますから」
 仮定の話とはいえ、相手が気の毒ですよね、とルージュは答えた。
 気をよくしたニースは、さらに言いつのる。
「これも仮定の話だけれど。その英雄が、もっとも深き迷宮の最奥部で、魔神王と対面したとき、また違う偽名を名乗ったとしたら、どうかしら?」
「その人はきっと、残念な子なんだと思います。むしろ名無しさんとでも名乗ればいいんじゃないかと」
 ルージュの答えに、ニースは満足そうにうなずいた。
 探るような警戒感が嘘のように消え去り、先ほどまでと同じような、暖かい雰囲気がルージュを包む。
「あなたとは気が合いそうだわ。ごめんなさいね、変な質問ばかりで。私ちょっと、綺麗な女の人にトラウマがあるらしくて」
 こほんと咳払いして、ソファーに座り直すニース。
「ニース様、それはもしかして、“名も無き魔法戦士”のことですか?」
 偽名ばかり、名乗らない、最も深き迷宮とキーワードが揃えば、どうしてもその存在が思い出される。
 そう尋ねたルージュに、ニースは首を振った。
「いいえ。その人には、きちんと別の名前があります。相手を見て真名を名乗る分別もあったわ」
 ニースは、とても微妙な笑みを浮かべたが、何も言わずに首を振った。
「その話はまたの機会に。今は、もう少し大切な用事があります」
 そして、迎えた客人たちの顔を順番に見つめる。
 全員が自分に注目しているのを確認して、ニースは言った。
「あなたたちに護衛を頼みたいの。報酬はそちらの言い値で構わない。私が個人的にお支払いするわ。期間は明日から3日間。受けていただけるかしら?」
 予想外の言葉に、3人は目を見合わせた。
 その表情には困惑を隠せない。ニースほどの人物なら、神官戦士団をはじめとして、護衛には事欠かないはずだ。
 なぜわざわざ、得体の知れない冒険者を使う必要があるのだろうか。
「ニース様、いくつか質問してもよろしいですか?」
 先ほどの生意気な態度はどこへやら。まるで恩師を前にしたように、ライオットが丁寧に尋ねる。
「どうぞ」
「護衛対象はニース様でよろしいのですか?」 
「そうです」
「護衛する場所はどちらでしょう?」
 その質問に、初めてニースの表情が揺らいだ。
 言って良いものか、悪いものか。どこまで話すべきか。その迷いが見て取れる。
 短い沈黙の後、ニースは苦笑を浮かべて答えた。
「今はまだ、とある人物の墓所に、としか言えません。受けていただければ場所まで案内しますが、仕事が終わっても他言無用に願います。そういう仕事です」
 ライオットはさらに追及しようとしたが、ニースは片手をあげて遮ると、申し訳なさそうに言った。
「不安でしょうが、これ以上は話せません。ごめんなさいね」
「分かりました。最後にひとつだけ。襲ってくるのは――」
 カーラですか?
 ライオットはそう聞きたかったのだが、その名前を今の段階で口に出すわけにはいかない。
 迷った末に、選んだ言葉は。
「襲ってくるのは、人間ですか?」
 だが、ニースは明確に否定した。
「いいえ。今までの例だと、墓所に吸い寄せられるアンデッド・モンスターがほとんどでしたね」
 時には、盗掘にきた墓荒らしもいましたけど。
 ニースのその答えに、ライオットは思い浮かべていた仮説のひとつを選択し、脳裏でいくつかの検証を行った。
 矛盾点はない。
 ないが、ニースの動機が分からない。なぜニース自ら赴く必要があるのか――いや。
「あるな、理由が」
 横目でちらりとシンを見て、ライオットは口の中でつぶやいた。
 断片的な情報からの不確実な推論だが、もしこれが正しければ、自分たちは行かねばならない。
 ニースの信頼を得ることが、今後のためには絶対に必要なのだから。
「俺は断る理由はないと思うけど、どうかな?」
 シンの提案に、ライオットとルージュは異議なし、と応じた。
 シンが決断して、それに従う。いつものこのパーティーの流儀だ。
「というわけでニース様。依頼はお受けします。報酬は……そうですね、ひとり1000ガメルでお願いします」
 シンの提示した金額は、このレベルの冒険者にとって相場の10分の1以下だ。
 だが、前回の件でその数十倍の報酬をもらったばかり。
 おまけに当初の所持金も膨大な額にのぼるため、正直金には困っていなかった。
「墓所の宝物は、持ち帰るわけにはいきませんよ?」
 あまりに低い金額を提示されて、ニースが困惑気味に念を押す。
「安心してください。今、俺たちは金に困ってないんです。これ以上もらっても、ターバでは使い道がありませんし」
 事も無げにシンが笑う。
 これをライオットがやっても、言葉通りには信じてもらえないだろう。
 だが、シンにはできる。
 それは彼の誠実な人柄の賜物であり、外見や技能レベルとは関係のない、魂の持つ性能だ。
「分かりました。では3000ガメル、明日の朝までに揃えておきます。差し支えなければ、今夜はこちらに泊まっていただけるかしら。食事と部屋は用意しますから」
 突然の提案だったが、宿に置いてきた荷物は野営道具や保存食くらい。
 戦闘に必要な装備はすべて身につけているし、とりたてて不都合はない。
「はい、構いません」
 シンがうなずくと、ニースはにこりと笑って立ち上がった。
「レイリア、皆さんを部屋にご案内して」
「はい、お母さま」
 部屋の隅で控えていたレイリアが、再び樫の扉を開く。
 今日の面接は終わり、というわけだ。
 ――二次試験に進んだという事は、とりあえずは合格点をもらったのかな。
 ライオットは内心で考えながら、ニースに軽く一礼し、立ち上がる。
 ふと目が合った。
 次も楽しみにしていますよ、と言わんばかりのいたずらっぽい瞳が、ライオットを見た。
 ――完全に見透かされてるな。
 ライオットは苦笑すると、もう一度深々と一礼して、最高司祭の部屋を辞した。


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