しばてん
●総論の展開
PART2



○ここで「ヴェーダ」について確認しておく。

端的に言えばヴェーダとは「歌」である。
ヴェーダ文献の基礎をなすのは祭式呪法に用いる賛歌、祭詞、呪詞の集録であるサンヒター(本集)であり、『リグ・ヴェーダ』は四ヴェーダと呼ばれる4種のサンヒターの一角を成す。その内容は諸神を祭壇に勧請するために誦唱する賛歌集である。

四ヴェーダのうち『リグ・ヴェーダ』と『サーマ・ヴェーダ』は実際に歌われたことが確認されている。具体的な歌唱法については不明だが、『サーマ・ヴェーダ』の古式と称するものが南北インドに伝わっている。そこには2種あり、一つは短3度音域のみを用いる原始的な旋律のもので、リズムも言葉の韻律に従って自由に伸縮する。もうひとつは7音音階を持つ進歩したものである。原始的なものは南インドに見られ、北インドよりも正しい伝承を残しているという。北インドでは楽譜として手の指を使うのに対し、南インドでは文字を使う。ヴェーダの旋律は普通の音階(1オクターブを分割する音階)ではなく、狭い音程をもった二つの基礎音を中心に動く特殊な形のもので、日本の謡曲はこうした音組織の進んだものとする説があるという(参考『世界大百科事典』平凡社刊)。

ヴェーダと『ホツマツタヱ』を比較すると、その性格の近しいことが判る。
『ホツマツタヱ』は長歌である。ヲシテと呼ばれる文字で記されており、これは五七調の韻律に基づく長歌の楽譜に相当する(後述する謡曲の「ことば」を参照のこと)。タミメと呼ばれる印相の記述もあり、これは手指の型のことである。

内容を見ても、四ヴェーダがそれぞれ賛歌、祭詞、呪詞の集録である一方、『ホツマツタヱ』はこの全てを包含する叙事詩である。四ヴェーダを補足する文献にブラーフマナ(梵書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)の三編があるが、『ホツマツタヱ』にも『ミカサフミ(三笠紀)』『フトマニ(太占)』といった相補的な文献がある。前者のうちブラーフマナの最終章を成すものがアーラニヤカであることを鑑みれば、シュルティ(天啓文学)と総括されるサンヒター(四ヴェーダ)、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドはその実三つ組みであり、これは後者の構成と一致する。なかでも師弟口伝の奥義を説くと言われるウパニシャッドは、『フトマニ』の性格と著しく近しい。

なおシュルティに対しスムルティ(聖伝文学)と呼ばれる六文献(6ヴェーダーンガ=ヴェーダ支分)のなかには、世界的に有名な叙事詩の『マハーバーラタ』と『ラーマヤナ』がある。これらの文献はヴェーダ祭式の理解、保存、実行に必要な各種の学術すなわち(1)音韻(2)祭式(3)文法(4)語源(5)韻律(6)天文を含む。スムルティは記憶に便なることを期し、スートラ体という極めて簡略な短句を用いている。長歌体で記された『ホツマツタヱ』の性格は、少なくとも2、4、5、6の点で、シュルティよりもスムルティのこうした性格に程近いと言える。なかでも天文の記述が長歌体の韻律と抜き難く結びついており、同じ天文現象を起源とするらしい大祓との間連からも注目される。

また双方の世界観だが、四ヴェーダのうちウパニシャッドの語る世界展開は、絶対者ブラフマンを起点とし、虚空・地・水・火・風という順を追って進行する。これはアメミヲヤ(天御祖)を起点とし、ウツホ・カゼ・ホ・ミヅ・ハニ(空・風・火・水・埴)の五元を世界の構成要素とする『ホツマツタヱ』と相似を成している。(詳しくはこちらへ)。

なお前者は地水火の三元により自然界を構成するが、この三元に相当する音義としてア・ウ・ワ(天・父=初=地・母)の三音が『ホツマツタヱ』に記されており、これもまた相似を成す。始源に関わる三音としては、ヴェーダ聖典を唱える時や祈りの言葉を唱える際、必ず最初に唱える聖音がある。ヒンドゥ教のa u mや密教のア(ウ)ンはこれを受け継いだものであり、前者は三音にそれぞれヴィシュヌ・シヴァ・ブラフマーの三大神を当て、後者は法身・報身・応身を当てている。これらに比してア・ウ・ワの三音がより単純かつ普遍的な概念を表すことが注目される(詳しくは『言霊ホツマ』P49を参照のこと)。

『ホツマツタヱ』におけるア・ウ・ワの三音は、奥義書『フトマニ』の根幹を成すフトマニ図という円環状の図形の中心に配されており、こうした構造はインドにおけるマンダラを想像させる。マンダラと言えば密教における装飾的なものが本邦ではお馴染みだが、元来マンダラとはサンスクリット及びパーリ語の「本質 manda を所有せるもの la」の意であり、宇宙の真実の姿を自己の哲学に従い立体または平面上に表現したもののことである。古くインドでは花などを「まるく連ねたもの」のことをマンダラといった様だが、紀元前後よりまるく築いた土の「祭壇」のことをさすようになり、4〜5世紀以後仏教がヒンドゥー教の神々をとりいれるようになってからは、これを配列した「図」また「塔」のことをそう呼ぶようになったという(参考『世界大百科事典』平凡社刊)。原意に従えばフトマニ図もマンダラであり、東北に出土した縄文時代の環状列石遺構(秋田県 大湯環状列石)もマンダラと言える。

『フトマニ』の語る卜占の方法は、フトマニ図に配された日本語48音の組み合わせにより、形成される128種の和歌を選び詠むことで、吉凶を占うといったものである。これにヴェーダ祭式風の解釈を施すと、音素を配したマンダラから、神々に捧げるマントラ(賛歌、祭詞、呪詞)を選び詠むということになる。一方密教には、諸仏を表す梵字を配した法曼荼羅(種子曼荼羅)と呼ばれるマンダラがあり、フトマニ図と相似を成している。両者の違いは前者が単なるマンダラではなく、卜占に用いる実用的な装置であることである。いずれにせよ東北に関する記述を排した記紀にマンダラを想わせる記述はなく、環状列石遺構の構造を説明する古代文献は、その中心に立てられた石柱との間連も含め、『ホツマツタヱ』間連の三書のみである(詳しくは言霊ホツマ』P447を参照のこと)。

さて、上に述べてきたのは五元素また三元の音素(言葉)により世界が創生されるという世界観である。こうした世界観の生まれる背景として、注目すべきは言語である。『ホツマツタヱ』の世界観はフトマニ図に基づくが、これが日本語48音を配したマンダラであることは、既に述べた通りである。日本語の最大の特徴は、五十音図の様な表記が出来ることであり、これはアイウエオの5母音を基盤として成り立っている。5母音をもつ言語はスペイン語、ラテン語、ロシア語、ポーランド語、チェック語、現代ギリシャ語など様々だが、五十音図的表記が出来る国は日本のみである(詳しくは言霊ホツマ』P442を参照のこと)。こうした体系の起源として想定されるのが、やはりインドである。『ホツマツタヱ』ではマンダラに配された48音と、アワの歌と呼ばれる五七調48音の長歌が抜き難く結びついており、後者に祭式に基いた操作を加えることで、五十音図的表記が成り立つという構成がある。マンダラの起源はインドにあり、五七調の起源もこの地にある。そして日本語の起源とされるタミル語は、5母音を基盤として成り立っている。こうした要素を鑑みれば、五十音図的表記の起源はインドをおいて他にはありえない。事実梵字による五十音図的表記の存在も報告されており、両者の間連が注目される。

なお『ホツマツタヱ』には「アイウエオ 空風火(ウツホ・カゼ・ホ)と 水埴(ミヅ・ハニ)の 交わり成れる 御中主(ミナカヌシ)」といった記述があり、アイウエオの5母音と世界の始源に関わる五元素が同一視されている。こうした世界観は、5母音の言語を用い、且つ言語そのものに神聖な力を見る民族の中で、初めて生まれ得るものだと言えよう。彼らの社会で、言語を表す図像としての文字が、神聖視されていただろうことは想像に難くない。そしてこの想像は、南インドと日本の土器に共通するグラフィティと記号文が、漢字とはまるで異なる幾何学的構成をしている反面、『ホツマツタヱ』で用いられるヲシテと共通する構成を見せるとき、それが古代に存在した可能性を示唆する(詳しくは『日本語の起源 新版』P140を参照のこと)。

この可能性に基づきヲシテの起源を探ると、インダス文字に行き当たる。インダス文字はインダス文明で用いられた象形文字であり、未だ解読を見ない。インダス文明は、前2300年〜前1800年に北西インドのインダス川流域に栄えた古代文明だが、穀物生産に依存していたため、インダス川の流れの変化に伴ない急速に衰亡した。この文明の担い手は明らかでないが、彼らの用いた言語は南インドのドラヴィダ系諸語と関係が深いという。日本語の起源をここに置くとき、彼らの用いたインダス文字とヲシテとの間連に興味を覚える。両者の幾何学的な構成は、同じ象形文字でもエジプトのそれより近しい。またヲシテとは「押し手」すなわち印章(ハンコ)のことである。インダス文字が印章に多く刻まれていることは周知の事実だが、『ホツマツタヱ』が文字一般を印章として捉えていることも、注目すべき事実である。

※インダス文明滅亡の年代と、大湯環状列石の出現時期は重なる。
両者はひとくちにリンガ(男性器)崇拝として結べるが、長大な距離をジャンプしていいものかどうか。

農耕を基盤とするインダス文明の担い手たちは、故郷を捨てて南方に新たな耕地を求めたのかも知れない。事実南インドのカーヴェリー川とヴァイハイ川流域には、肥沃な平野部を背景にした農業生産を基盤とする王国の存在が窺がわれ、インダス文明の性格と相似を成している。農耕に依存したというこの民族の性質は、本邦を「瑞穂の国」と自称した我々の性格とも重なる。

インダス文明にドラヴィダ系諸語の源流を見るなら、ここにひとつの長大な通路が開ける。それは北西インドから南インドへ至り、海路日本へ到達するルートである。この通路を俯瞰したとき、想起されるのは記紀また『ホツマツタヱ』にある説話と、北西インドの彼方で生まれた説話の相似箇所である。例えば「大蛇を英雄が退治する」という説話には、本邦のヤマタのオロチ退治の説話の他に、メソポタミアの竜神イルルヤンカシュ退治の説話、ギリシャの大蛇ピュトン退治の説話等がある。メソポタミアの説話は「酒を飲ませて退治する」という点でオロチ退治の説話に近しく、ギリシャのそれは『ホツマツタヱ』独特の内容とより近しい(詳しくは『知られざる古代日本』鳥居礼著 フォレスト出版P50を参照のこと)。オロチ退治の説話における『ホツマツタヱ』の独自性は、オロチが女性の嫉妬心の権化であり、それが子孫の誕生を阻むとされることである。一方ギリシャの大蛇ピュトンは、最高神ゼウスの正室ヘラが、側室レトの子アポロンを亡き者にすべく放った怪物であり、この点共通している。この他にもピュトン退治とオロチ退治の説話には類似点が多く、例えば大蛇を退治した英雄(アポロン・ソサノヲ)が、共に詩歌(和歌)の祖先とされること。退治したのち新しい住居(神託所・宮)を建て、そこに女性(巫女・妻)を置くこと等がある。興味深いのは、ギリシャの英雄アポロンが竪琴をもらい、その名手となることである。『ホツマツタヱ』におけるソサノヲの妻イナダ姫も、義姉ヒルコから琴をもらいその名手となるのだが、こうした共通点は記紀に表われない。

大蛇退治の説話の他にも、世界には本邦の説話と類似するものがある。なかでも『日本語以前』(大野晋著 岩波書店刊)で大野氏の指摘された、タミル語社会の葬式とイサナミの死に関する説話の相似は驚異的ですらある(詳しくは同書P40を参照のこと)。ここで注目されるのは、数字の8に対する両者のこだわりである。本邦は8を神聖視するが、こうした思想の根拠がインドであることが明らかになっている。

以上二つの例から、本邦の説話と類似するものの連絡通路として、先のルートが一つの指標になる事が分かる。この線上に分布する説話とそうでないものを分類し、記紀また『ホツマツタヱ』の説話と対照すれば、それぞれの文献的性格が明らかになる。『ホツマツタヱ』が記紀よりも古い内容を遺しているなら、その内容はより南方的色彩の濃いものとなるだろう。これについては稿を改めて追求することとしたい。

ここで遺物に目を向けてみる。上のルートではインダス文明の紅玉髄と、本邦に出土する装飾品の類似が目を引く。なかでも先の五元観と間連して、注目されるのは甕棺である。甕棺は日本と南インドで平行に存在する遺物だが、両者に共通する特徴として、低い部分に穴が設けられているものがある(詳しくは『日本語の起源 新版』P131を参照のこと)。この穴についての考察は今までされていないそうだが、『ホツマツタヱ』はこれに答えを与えてやれる。おそらくこの穴は「初(ウイ)の一息)」であろう。「初の一息」とは『ホツマツタヱ』における神の一撃である。混沌の中にこれが生ずると、五元のひとつ空(ウツホ)が生じ、ここから天地が創造されるという世界観が同書にはある。この空が甕棺における空間であり、穴が「初の一息」であると考えられる。

※紅玉髄はインドと東北を繋ぐ物証として機能するだろうか。
機能すれば先のリンガ崇拝もここに拠れるのだが。

また日本には埋甕と呼ばれる習俗が縄文時代から存在するが、これは住居の戸口に甕を埋める風習であり、後代胞衣を同様に埋める例から胞衣壷を埋めたものと考えられている。一方『ホツマツタヱ』の宇宙観では、宇宙全体が大きな壷(子宮)であり、その中に存在する胞衣が天であるとされている(詳しくは『知られざる日本古代史』P110を参照のこと)。また人が死ぬことは天上に生まれる(神上がり)こととされており、この意味で甕棺は死後天上に生まれ出るための子宮であると言える。興味深いのは、甕棺も胞衣を壷に納める風習も、インドに存在するということである。

ところで『古事記』の序文には「誦習」という言葉がある。
「誦」は声を出して読むと言った意味であり「習」とは何回も繰り返して慣れることを意味する。
『古事記』は天武帝が近侍である稗田阿礼に命じ、帝皇の日継(帝紀=歴代天皇の事蹟)と先代の旧辞(本辞=前の世の伝承)を誦習させたのを、太安麻呂が筆記した書物であるが、ここで問題なのは稗田阿礼が行なった誦習という仕事の内容である。一説にこれは『古事記』の原資料が難解な漢字で記されていたのを、わかり易く解読したことを指すといい、別には「繰り返し声に出して読み覚えさせた」ことを指すという。前述した「誦」の意味からすると、後者の方がより素直な解釈であると言える。つまり『古事記』は諸家に伝わる口誦伝を原資料とし、漢文を基本に書かれたものである可能性が高い。ではその「口誦」とは果してどんなものであったのだろうか。

ここで冒頭に述べたヴェーダの旋律を思い返してみよう。

ヴェーダの旋律は普通の音階(1オクターブを分割する音階)ではなく、狭い音程をもった二つの基礎音を中心に動く特殊な形のもので、日本の謡曲はこうした音組織の進んだものとする説があるという(参考『世界大百科事典』平凡社刊)。
上記にはヴェーダの旋律と日本の謡曲との間連を示す説のあることが紹介されている。 謡曲とは能の声学的要素である。能にはうたわれる部分と節をつけない「ことば」と称する部分があるが、「ことば」にも決まった形の抑揚がある上、両者はしばしば細かく入り組んでいるので、謡曲といえば常にこの両者を合わせたもののことを指すという(参考『世界大百科事典』平凡社刊)。つまり「ことば」とは元来能の謡曲であったのだ。それでは「能」とは何だろうか。

能は日本芸能の一種で南北朝時代から室町時代にかけて作られた劇の名であるが、もとは滑稽な物まねを本芸とした猿楽の人々によりはじめられたという。「猿楽」は唐渡来の芸能である散楽(さんがく)を日本風になまって「さるがく」と発音したものと考えられているそうだが、これには異説がある。
そもそも唐の散楽とは宮廷の雅楽に対する俗楽であり、卑俗な余興的芸能を指す。中国では雑伎とも言われ、現代に残る雑伎が、軽業主体の曲芸中心であることは周知の通りである。ここには日本の能とかけ離れた散楽の今があると言えよう。

日本における散楽は奈良時代に伝来し、宮廷では相撲の節会(すまいのせちえ)、競馬会、神楽のときなどの余興芸能として行なわれた。技術者は雅楽寮の散楽戸に所属していたが、782年(延暦1)に廃止され特殊階級の保護をはなれてからは、民間に根を下ろしてのち様々な芸能の基盤となったという。このなかに猿楽の能が含まれるわけだが、散楽の源流とされる中国にその祖形はない。つまり散楽戸に属する多種多様な技術者のなかには、唐由来の技術者だけでなく、日本土着の芸能民がいたと考えられる。

ここで注目されるのは、『古事記』筆録者太安麻呂の前で、帝紀・旧辞を「誦習」してみせた稗田阿礼の別名である。その名を「猿女之公(さるめのきみ)」という。

猿女とは巫女の一種であり、古代の宮廷で神楽などをつとめた人々のことである。神祇官、縫殿寮に属し、鎮魂祭には御巫(みかんなぎ)とともに舞楽を行ない、大嘗会(だいじょうえ)の儀式にも参加した。公(きみ)という姓(かばね)を持ち、氏族の娘一人を猿女としてさしだすなどの制があったが、猿女氏という家系が固定すると、女系相続によったという。興味深いのはその祖先であり、彼らはサルタヒコの妻アメノウズメの子孫と称している。

アメノウズメは、いわゆる「天の岩戸隠れ」のさい扇情的に舞い踊るなど、芸能民的性格が伝承のなかに色濃く表われている。こうした特性は言うまでもなく猿楽の人々と重なる。従って猿楽の名の別の由来を、猿女公、またその遠祖とされるサルタヒコに求めることが出来る。

稗田阿礼が猿楽の祖先上にあるひとなら、彼ないし彼女が誦習したのは、謡曲すなわち「ことば」を含む「歌」であったろう。そして諸家に伝わる記紀の原資料が歌であったなら、それは万葉の最古期に属し、この時代既に衰えを見せる長歌体以外にはない。万葉の研究者賀茂真淵は、『古事記』に肉薄せんがため万葉を追求した。その努力を継いだ本居宣長が、『古事記伝』を著したことはよく知られている。こうした逸話も記紀の原資料が長歌であったことを示唆すると言えよう。逆に長歌体を除いてこの必然を見出せる歌体を、古代において想定し得るかどうか考えてみるとよい。そして『ホツマツタヱ』系の文献は、記紀を含めた古伝のなかで、この必然に適う唯一の文献である。

一方南インドのサンガム文学に、これと同じ叙述形式を取る文献がある(詳しくはこちらを参照のこと)。 ここにサンガムと長歌、ヴェーダ歌謡と謡曲、伝承の内容、文字の構造といった、インドと日本の平行事象に間連を見出せる。

総じて言えるのは、バラモン教、ヒンドゥ教、仏教、ラマ教(チベット仏教)、そして『ホツマツタヱ』の世界観が、古代インド神話のそれを土台としていることである。これは事実であり、問題は各項の時系列にある。これを正確に比定することが、『ホツマツタヱ』の「史書」としての価値を比定することに繋がる。同書には史書として把握するには不可解な箇所も散見されるが、それ以上に注目すべき記述も多い。これらを見極めるための指標となるのが、古代インド思想史である。

北インドと南インドの思想史的関係がどのように進んでいったのかは、前掲の通り将来解明されるべき問題だが、南インドのタミル人が日本に渡来し、日本語の成立に多大な影響を与えたという仮説を事実として受け容れるとき、『ホツマツタヱ』とヴェーダ聖典の比較研究は、この問題を解くうえで有意かと思われる。ここに後代に渡来した仏典との対照を加えれば、それぞれの性格が明らかになるのではないだろうか。

『ホツマツタヱ』本文に用いられる独自の古語と、タミル語との比較言語学に基づく対照とともに、今後の研究の進展が期待される分野である。着想を否定されながら、タミル語と日本語の比較研究に信念を持って取り組み、大きな成果を挙げられた大野氏の様に、こうした研究に専門家の取り組まれることを願っている。

2001/02/17初出

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