しばてん
●サンガムと少女のうた
PART2



○まず「サンガム」の歌の形式と比較するために、『ホツマツタヱ』のそれを整理します。

@57 57 57 57……7 (ナガウタ・ミジカウタ)
A57 5(6)7 7 (ワカのウタ・マワリウタ・オリカゾエウタ)
B577 (ツズウタ)

以上三つが、『ホツマツタヱ』で用いられる主な歌の形式です。
以下に一つずつ見ていきましょう。


@のナガウタ・ミジカウタは長歌に相当します。
ナガウタは『ホツマツタヱ』全編で用いられる叙述形式でもあります。
注意すべきはミジカウタが短歌と異なり、長歌の形式に準じているということです。
木元三郎氏の著作より解説を引用します。

それでは短歌(たんか)とは、「ほつま」によると、どのような歌の形式だったのでしょうか。
「ほつま」では短歌(たんか)とは言わず、短歌(みじかうた)といいます。ご存知のように、今日では和歌というべきなのに「短歌(たんか)」という言葉に変えられて使用されていますが、はたしてそうなのか「ほつま」で述べるところの短歌(みじかうた)との違いを四十紋(アヤ)から引用してみることにしましょう。

ヤマトタケ 短歌(みじかうた)して

『久方の 天のカグヤマ
とがもより さ渡り来る日
細手弱 腕お巻かん
とはすれど さ寝んとあれば
思へども 汝が聞ける裾の
月立ちにけり』

姫返し歌

『高光る 天の日の御子
休みせし わが大君の
新玉の 年が来歴れば
諾な諾な 君待ちがたに
わが着ける オスヒの裾に
月立たなんよ』

右記(注・ここでは上)の歌を読んで分るように、「ほつま」での短歌(みじかうた)は五七五七七ではありません。ほつまでは、長歌(ながうた)に対する短歌(みじかうた)なのです。
上記で注意すべきは「姫返し歌」の韻律に六音節の行が含まれていることです。
この理由については次に説明します。


Aのワカのウタ(若の歌)・マワリウタ(回り歌)・オリカゾエウタ(折数え歌)は短歌に相当します。
後の二つはいわゆる回文形式の歌です。これらも興味深いのですが、ここではマワリウタの登場するこちらのエピソードを紹介するに留めます。
注意すべきは五七五七七の韻律と、五七六七七の韻律に明確な区別がされており、後者が祓いの歌として用いられることです。その理由は『ホツマツタヱ』の第1アヤ(=第一章)の末尾に記されています。該当箇所を引用してみましょう。


ホツマツタヱ

東西の名と穂虫去る紋
(第一紋)

和仁估容聰本
原文
(漢字カナ交じり表記)
訳文
(高畠精二抄訳)
ハナキネハ ヰナニツヅルヲ
(ハナキネは 五七に綴るを)
アネニトフ アネノコタエハ
(姉に問ふ 姉の答えは)
アワノフシ マタトフハラヒ
(天地の節 また問ふ祓い)
ミソフナリ イマミソヒトハ
(三十二なり 今三十二とは)
コノヲシヱ アメノメクリノ
(この教え 天の巡りの)
ミムソヰヱ ヨツミツワケテ
(三百六十五枝 四つ三つ分けて)
ミソヒナリ ツキハオクレテ
(三十一なり 月は遅れて)
ミソタラズ マコトミソヒゾ
(三十足らず まことは三十一ぞ)
シカレトモ アトサキカゝリ
(然れども 後先かかり)
ミソフカモ アルマウカガフ
(三十二かも ある間窺う)
ヲヱモノオ ハラフハウタノ
(汚穢物を 祓ふは歌の)
コヱアマル シキシマノヱニ
(声余る 敷島の上に)
ヒトウマレ ミソヒカニカス
(人生まれ 三十一日にす)
メハミソフ ウタノカズモテ
(陰(女)は三十二 歌の数もて)
ワニコタツ コレシキシマノ
(地に応ふ これ敷島の)
ワカノミチカナ
(和歌の道かな)

 ここソサ(熊野)で成長したハナキネは、母譲りの美貌と歌の才に恵まれた姉に、歌について質問をしました。

 「和歌はなぜ五・七調に綴るのですか」

姉は、「それは天地(アワ)の節(ふし)です」と答え、又ハナキネが問うて、「それでは何故、祓(はら)いの歌は三十二文字で、一般には三十一文字なのですか」

すると姉は、「和歌の三十一文字は大変理にかなっていて、天を巡るこの地球(クニタマ)の公転(メグリ)は一年を三百六十五日で回ります。この一年を四季に分け、又、上旬、中旬、下旬に分けると、約三十一となりますが、月の方は少し遅くて三十足らずです。しかし真(まこと)は三十一日です。五月から八月の間は約三十一日強となり、後が先に掛かるので三十二日にもなります。この変則の間(ま)を窺(うかが)う汚(けが)れや、災いを祓う歌の数が三十二です。  美しく四季られた敷島(しきしま)の上に人として生を受けた私達は、男子は三十一日目に産土神(うぶすな)にお礼参りをし、女子は三十二日目にお礼参りをするのも、この地の恵みに感謝するためです。これにより敷島を和歌の道と言います」


つまりワカのウタを含め、五七調の歌は天文と対応しています。
五七五七七を全て足すと三十一となり、これがひと月の日数と重なります。 従ってワカのウタは、五七五七七の韻律を取るというわけです。

一方祓いの歌が五七六七七なのは、節間日数を考慮したもので、六月ごろにひと月の日数が三十二日近くになるという天文の知識が前提にあります。この変則に穢れの差し込む隙を見たため、五七六七七、すなわち三十二音節の歌をして穢れを祓おうというのです。
なお先に見た「姫返し歌」に六音節の行が含まれているのは、この点に関した記述に「陰(女)は三十二 歌の数もて 地に応ふ」とあるのがその理由かと思います。

『ホツマツタヱ』に見られるこうした概念は、延喜式(901〜927年成立)の六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらえ)の根拠であるとの指摘が既に為されています。六月晦大祓は六月の晦に国中の穢れを祓う古来よりの神事ですが、この時期に行なう根拠を明確に示す文献は『ホツマツタヱ』以外にありません。また六月晦大祓を含む大祓は六月と十二月に行なわれますが、十二月は節間日数が最も少ない月であり、間連が窺われるそうです。

この他にも延喜式と『ホツマツタヱ』の間連は指摘が為されています。
『校本三書比較 ホツマツタヱ(上編)』(松本善之助監修 池田満編著 新人物往来社)より間連の箇所を引用します(一部カナで表記しました)。

P10
延喜式の神祇八にある祝詞の六月晦大祓には「白人。胡久美。云々」の記述があり、これは『ホツマツタヱ』7アヤ等を底流としている。また同じ延喜式の祝詞の御門祭の「クシイハマトトヨイハマトのミコト」は『ホツマツタヱ』21アヤ等を原型としている。
このうち「白人。胡久美。云々」については、こちらの「白人・胡久美」とは?をご参照下さい。
なお「チクラ」とは?でも延喜式との間連を述べてあります。

以上の様に『ホツマツタヱ』では、歌の韻律に関する明確な解説が第1アヤから為されます。
しかもその解説は延喜式との間連が窺え、『ホツマツタヱ』の真実性を高めています。
なおワカのウタについては、その起源をこちらに述べてあります。ご参照下さい。


Bのツズウタ(つづき歌・十九歌)は片歌に相当します。
これは謎かけ歌として用いられます。代表的な歌を引用してみましょう。

ノリクタセホツマヂ
(のり下せ秀真路)
ヒロムアマモイワフネ
(弘む天も岩舟)
このツズウタが歌われた背景についてはこちらをご参照下さい。
「ノリクタセ」に「乗り下せ」と「詔下せ」が掛けられていたり、「ホツマヂ」に「秀真国への路」と「秀真(秀でた真)の政道」が掛けられていたりと、掛詞の技法を駆使した謎かけがしてあることが分ります。

韻律としては原本を見ると10 9の表記に分けられていて、十九歌と書かれる理由も分ります。
しかしこれが577を意識して書かれていることは、下記の試みにより明らかです。

ノリクタセ ホツマヂヒロム
アマモイワフネ
上の通り、ツズウタは577で読んでも意味が通る様に構成されています。
『ホツマツタヱ』の第1アヤで述べられた、「五七に綴る」という基本に則しているわけです。


以上を整理したうえで、まず確認しておくべきことは、これらの歌の形式が、大野氏の定義した日本の歌の基本形に、ほぼ全て当てはまるということです。『ホツマツタヱ』に旋頭歌や仏足石歌は表われません。つまり『ホツマツタヱ』で用いられる歌の形式は、日本最古の歌の形式のみです。

続いてサンガムとの比較をします。
端的に言って、日本最古の歌の形式は、サンガム最古の形式であるアーシリヤ調と符号します。

短歌の祖形として大野氏はヴェン調を上げていますが、ご自身のご指摘通り、短歌は頭韻を踏むというヴェン調の一般原則に従っていません。
またヴェン調の韻律は、必ずしも五七五七七に納まっていません。例えば大野氏の挙げた一〇〇首の内、ほぼ半数に当たる四十八首が、八ないし九音節で終わっています。
これら2点は、短歌と異なるヴェン調の独自性かと思います。

これに比べて、短歌(=ワカのウタ)は五七五七七と定型です。
『万葉集』所載の概数4,500首の歌の内、およそ4,200首が短歌であり、日本においてこの定型が上下を問わず普遍していたことがわかります。普遍した理由は『ホツマツタヱ』また延喜式に見られる韻律と天文の間連づけから説明されます。ここに五七五七七でなければいけない、日本独自の哲学的な理由があります。

※ただしサンガムの韻律に天文との間連づけがあるなら、こうした理由も日本独自のものでなく、タミル由来のものと考えるべきでしょう。ここは識者の見解を乞いたいところです。

最後にヴェン調は四行の歌、三行の歌、二行の歌に使われています。これは何百行と連なる長歌、すなわち『万葉集』のなかでも、最古期に属する日本の歌体にそぐわない特徴です。ヴェン調の成立した後、サンガムの歌体が日本に伝播したとするなら、それ以前にアーシリヤ調があるのに、長歌までもがヴェン調から生まれたとするのは不自然です。

以上の点から、短歌はヴェン調とは別に、この国で独自の発達を遂げた歌であると思われます。そしてその原形は、サンガム最古の詩型であるアーシリヤ調以外にありえません。アーシリヤ調は、最短二行から何百行にも及ぶ歌を含む汎用的な詩形であり、この性格は長歌と等しいものです。年代的に先行するアーシリヤ調から長歌体が派生し、ここから短歌や片歌、『ホツマツタヱ』におけるワカのウタやツズウタが生まれたとするのが、妥当な見解かと思われます。


さて、本当に重要なのはここからです。

『ホツマツタヱ』は叙事詩であり、サンガムにおけるアーシリヤ調の詩歌もそうです。
内容は戦記であり、恋物語であり、教訓であったりします。
この全てが『ホツマツタヱ』にあります。

両者は同じ叙述形式を採用しています。
これも下記します。

















韻律もよく似ています。
『ホツマツタヱ』は長歌体を採用しており、アーシリヤ調はこの歌体と相似しています。

両者のこうした関係は、「語順が一致している上に韻律が同一であるときに、はじめてその詩型の間に系統的関係を想定する可能性が生じる」といった大野氏の見解に、適うものだと言えるでしょう。

ここに、

『ホツマツタヱ』はアーシリヤ調の詩型を受継いだ叙事詩
であるという想定が成り立ちます。

この想定が正しければ、8世紀に成立し、外国の文字(漢字)で書かれた記紀よりも、『ホツマツタヱ』は正しい伝承を遺しているはずです。 それが確認されれば、記紀が『ホツマツタヱ』の漢訳に類するものであるという、松本善之助氏の主張を裏づけることになります。


それでは実際に、『ホツマツタヱ』と記紀伝承を比較してみることにしましょう。

2000/12/18初出
●PART3


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