2010年08月

2010年08月28日

沖縄の心

80606284.jpg沖縄に来ています。
きのうは、沖縄等米軍基地問題議員懇談会のメンバーの一人として宜野湾市役所を訪ね伊波市長と懇談、市民生活のど真ん中にあるような普天間基地を一日も早く返還してもらいたいという思いを共有しました。
写真は私達に状況を説明する伊波市長ですが、この席で11月の沖縄知事選挙に出る決意も語り、知事となって沖縄の心に寄り添う覚悟を語っていました。政府も、伊波市長と同じ思いでアメリカとの交渉に当たるべきです。日米合意は沖縄の方々の納得を前提にしなければなりません。



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2010年08月24日

樹木たちの悲劇 2

5d767310.jpg  山形県小国町から見た山です。写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが、山が緑一色ではなく薄紫のような灰色のような色が重なっているように見えるのは分かるかと思います。肉眼で見ると、もうこの時期に紅葉?と思うほどに色が変わっています。これらは紅葉ではありません。葉っぱが枯れてしまっている木です。枯れた木が1本や2本ではなく山の半分ほどを占めています。枯れた木はやがて倒れ山は裸になります。保水力は失われ,がけ崩れが多発するでしょう。なにより、山で生きている生物達がその棲家をい失います。猿や、熊、いのししが街の中に現れる理由が分かります。
 農水省は、これらの原因を虫のせいだと言っています。しかし、枯れた木を切ってみると虫が入っていない木も多いのだそうです。東邦大学の教授・大森禎子先生は大気汚染による被害ではないかと言っています。汚染され硫黄酸化物が混じった雨にさらされ、蓄積され、虫が入りやすい状態になり、あるものは虫に食われ、あるものは立ち枯れていっている。それがこの真夏の紅葉になっているのではないかと言うのです。大木であればあるほど、体積が大きく汚染された雨に当たる面積も広い、故に大木から枯れて行く、という説明には説得力があります。
 山が枯れていっているという実態は把握しつつも、原因は虫だとして毎年多額の防虫対策費を計上している農水省の政策は間違っているのではないだろうか。一見美しい山々の色の重なりを見て背筋が寒くなるような思いがしました。
 日本の山の健康状態を心配する議員で作る「日本の森を元気にする議員連盟」の会長としてこの問題にもしっかり取り組まなければならないと思った視察でした。


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樹木たちの悲劇 1

144d1214.jpg 森は私たちの命の源です。その日本の森の木々がいたるところで立ち枯れを起こし危機的状況だと聞きました。数ヶ月前その実態を知ろうと「日本の森を元気にする議員連盟」を立ち上げましたが、今回宮城県の七ヶ宿町から山形県小国町につながる森林を見て回ろうということになり議員連盟の仲間達と出かけました。視察は、NGO組織「森びとプロジェクト」と「水守り人の会」の協力を得て実現しました。まずは七ヶ宿の有名な親子松です。樹齢350年の見事な松が葉を赤茶に変えて枯れていました。根本近くを工事のため掘り起こし太い松の根を切ってしまったということもあるようですが、幹を見るといくつもの松くい虫予防のために薬剤を注入した跡があり、まるで泣いているようでした。
 汚染された大気から降って来る酸性雨が原因ではないかという見方もあります。松ノ木はその肌が大きなうろこのようにゴツゴツしており結果的に表面積が大きくなり、様々な種類の木々の中でも枯れやすいのだそうです。



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2010年08月23日

シベリア抑留犠牲者を悼む

6e43fa55.jpg皇居の近く千鳥ヶ淵の戦没者墓苑にはシベリアやモンゴルに抑留され亡くなった凡そ1万柱の遺骨が埋葬されています。
65年前、大戦で日本が敗戦したばかりの1945年8月23日、時のソ連の指導者スターリンは中国などにいた日本兵を強制抑留するよう秘密指令を出したのでした。零下40度を超えるシベリアでは満足に食料も与えられず、過酷な労働を強制され6万人以上が亡くなりました。
スターリンによって秘密指令が出された8月23日を期してかつて抑留されていた方々が、千鳥ヶ淵に納められている1万柱の御霊と、現地で亡くなり、今尚シベリアの凍土に眠っている3万5千とも言われる遺骨を鎮魂する「追悼の集い」を行っています。
ここ3、4年連続して参列していますが、政権与党になって、鳩山前総理、長妻厚生労働大臣も参列。政権党が歴史とどのように向かいあうか、その違いを感じたことでした。



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2010年08月21日

熱海のお土産

06c1b34a.jpg 真夏の熱海駅周辺は水着姿で歩いている人もいて、夏を楽しむ人たちでにぎわっていました。
 私たち民主党内のグループ、リベラルの会は夏の合宿を熱海で行いました。事務局を担ってるわたしの事務所は秘書さんと共に参加。代表戦に向けて軽井沢で盛大に人を集めているグループもありますが、少人数ながら活発な意見交換が出来てよかったと思いました。マスコミの皆さんに明らかに出来ない話しもありましたが、代表選に向けては、私たちが共有して持つ護憲の精神を生かし、政策を実現できる代表を応援していこうということになりましたり、わずかな時間で買った熱海のお土産はカワハギのみりん干し1枚350円。おまけに塩辛を貰って喜んでいたりしたら危うく新幹線に乗り遅れるところでした。



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2010年08月15日

歴史と向き合おう

 先月行ったドイツ・ポツダム市は、ベルリンから車でおよそ1時間、別荘や整備された農園が美しい落ち着きのある町でした。この町にあるツェツィーリェンホフ宮殿で大戦後の世界をどうするかという重大な会議が米、英、ソ連の首脳によって行われ、日本に対しては、軍国主義の排除、武装解除、民主主義の確立などを要求するポツダム宣言が発せられ日本はこれを受諾して敗戦しました。
 終戦から65年、日本は歴史と正面切って向き合ってきたのでしょうか。毎年全国戦没者追悼式は行われます。大戦で犠牲になった310万人とも言われる方々の冥福は祈りますが、それが形ばかりのものになってはいないでしょうか。
 子ども達の教科書から戦争の記述が削られ、アジアの国々に対する加害の事実を想起するものは、ほとんどなくなっています。私たちの国はもっと歴史と謙虚に向き合うべきです。
 ポツダム市には、広島広場が作られていました。そこは日本でいえば小さな児童公園ほどの広さです。その芝生の上に広島と長崎の被爆の石がすえられていました。65年前の状況からすれば原子爆弾は広島や長崎にではなくドイツのどこかに落とされていたかもしれないという考えから、日本の悲劇を折りに触れて知り思い起こそうとしているのです。
 他の国の悲惨を想う想像力を持とうという努力はしなければならないのではないかと思います。朝鮮半島や、中国に、我が国がどのような侵略をし、屈辱感を与えてきたのか知らなければならないのではないかと思います。決して楽しい作業ではありません。しかし、やらなければならないのではないでしょうか。
 アジア共同体構想があるとすれば、構想の前提に歴史と謙虚に向き合うということがなければならないのではないかと思います。


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2010年08月14日

未来を志向する談話

70ea6a5b.jpg 去年の7月の衆議院選挙で民主党政権が誕生して以来、子ども手当てや高校の無償化など実現したものはありましたが、それらはマニフェストに書いてあった国民の皆さんとの約束ゆえ実現は当たり前という感じもあって「この政権は未来に向かって歩いている」と実感することが出来ずにいました。しかし、日韓併合100年に当たっての首相談話は、政府が出した過去の談話にはない未来を志向する談話と評価したいと思います。
 なにより、韓国の人々の意に反して、他国である韓国を併合していたという歴史があるということを国民の皆さんにあらためて認識してもらうという意味でも大いに評価できるものでした。
 日本政府は、明治42年春小村寿太郎外務大臣、桂太郎首相のもと『韓国を併合する』と決定していたのでした。
 日露戦争が終わって疲弊した日本の経済を、韓国と中国・満州の鉄道を整備し、港湾を管理して利益を吸い上げる植民地政策で回復していこうとする政策の一環として韓国の併合はありました。勿論このことを韓国国民は喜ぶはずがありません。この日本政府の決定に先立って韓国皇帝を退位させ、韓国軍隊を解散させていた韓国統監・伊藤博文は、明治42年10月26日、漢民族の志士『安重根』によって射殺されています。『安重根』はその場で逮捕され死刑に処せられましたが、それほどの韓国国民の抵抗がありながら日本は、翌明治43年、1910年8月22日、韓国をして日韓併合条約に調印させたのでした。以来日本は35年間韓国を植民地として支配してきたのでした。韓国の国民に対してその名前を日本のものに変えさせる創氏改名や、母国語での教育を禁止するなど、そのプライドを決定的に傷つける政策を実現させていたのです。
 国全体の苦しみを韓国の皆さんが忘れるはずがありません。重い歴史と、どう向き合うか国際社会が見つめています。真摯に反省し、自国の歴史に批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間に信頼関係を築くことが出来るのだと思います。戦後日韓基本条約が結ばれて国と国の間では賠償請求はしないということになっていても民間の一人ひとりの方々の心にその傷は残っています。
 自国の歴史について自虐的に見る必要はないと批判する人たちもいますが、「植民地時代に日本は鉄道を敷き、港湾を整備し韓国経済が成り立つようにしてやった」という見方は正しくないと思います。確かにそうした多額の投資はしたのですがそれらは結局その利益を日本に流すための先行投資でした。
 「もう何回も謝っている」「いつまで謝ればいいんだ」という声もありますが、歴代の総理が謝り続けなければならない、それだけのことを日本はしたのです。その当時、日本に強制的に連行されて日本各地で空港や鉄道の整備など過酷な労働を強いられ日本でなくなった方々の遺骨が未だに日本の各地に残されています。遺骨返還の問題にも誠実に対応しなければなりません。その時代に韓国から持ってきた朝鮮王朝時代の文化財「朝鮮王朝儀軌」の返還も、様々な方面から要求されてきましたが、今回やっと実現しそうでほっとしています。
 どんな理由があろうと屈辱的な植民地支配をされた側に立てば、けじめをつけてほしいと要求するのは当然のことです。そうした要求に誠意を持って応えてはじめて未来を志向する関係が築いて行けるのだと思います。
 


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2010年08月09日

孫の手

7ba85d0f.jpg きのうのことですが、今月3日に生まれた孫とようやく対面することが出来ました。予想以上に小さくて壊れそうです。手はわたしの手の10分の1ぐらいしかありません。この小さな手でどういう未来を築いていくのか想像もつきませんが、私たちがやらなければならない事は、この子達に明るい未来を手渡して行くという事です。
 きょうは、長崎原爆の日でした。長崎の田上富久市長は長崎平和宣言の中で「世界の皆さん、不信と脅威に満ちた『核兵器のある世界』か、信頼と協力にもとづく『核兵器のない世界』か、それを選ぶのは私たちです。私たちには子どもたちのために、核兵器に脅かされることのない未来をつくりだしていく責任があります」と訴えています。同感です。政治家の一人として核のない世界を実現するために力を尽くしたいと思います。
 菅首相はインタビューで、非核三原則の法制化について「わたしなりに考えてみたい」と答えていましたね。菅首相について「おっ、いい事言う」と思ったのは久しぶりです。



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2010年08月08日

英連邦戦没捕虜追悼礼拝

aa75840f.jpg今年も、横浜市保土ヶ谷にある英連邦戦死者墓地におよそ150名ほどの人が集まり追悼礼拝の時を持ちました。美しく整備された墓地に1、873名の方々が埋葬されています。
和解と平和を築く礎にしたいと始められた追悼式は今年で16回目になります。 ジリジリと焼けつくような暑さでしたが、今年はイギリス、オランダ、オーストラリアの各大使館から参加がありました。
しかし、些か気になったのは、イギリス大使館付海軍大佐のスピーチでした。「戦争において、他人に対して残酷なことをする人は依然としておりますが、これは許されるべきことではありません」と言いながら「しかし、イギリス軍の代表として、私は戦争が必要悪であると時に主張しなければなりません。アフガニスタンにおける行動は例の一つです。想像し難いかもしれませんが、アフガニスタンから撤退すれば、私たちの暮らしに襲いかかる人たちの、危険なイデオロギーの繁殖地になる可能性があり、9月11日のようなテロにつながる危険性があると考えています」とスピーチしたことでした。後半「戦闘中に、または戦争捕虜として命をささげた連合軍の方々に、心から敬意を表しています。彼らの死は決して無駄ではなく、その苦闘には意味があったのです」と語っていますが、そうでしょうか、異郷で命を失い埋葬されている御霊が60数年後に「、、その苦闘には意味があったのです」と言われて慰められるでしょうか。「敬意などはらってもらわなくていい、私は市民として妻や子ども達と暮らしたかった」「苦闘に意味があったなどと言ってもらわなくていい、私は故郷に帰って恋人と結婚したかった」と言っているのではないだろうかと思いながら帰ってきました。
私たちが過去の誤った歴史に向き合う時、必要なのは「この誤ちは二度と繰り返さない」と決意することではないかと思います。



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2010年08月03日

小さな命誕生!

e78d94cf.jpg 私も爺ちゃんになりました。出産のため我が家に帰ってきていた娘が、今朝無事、女の子を出産。すぐに飛んで行って初孫と対面したいところですが、今日は、わたしが座長をつとめる法務部門会議の第一回の会合があったりして家に帰ること叶わず、妻が送ってきた動画で我慢しています。


azumakonno at 11:24|Permalinkこの記事をクリップ!エッセイ