【コラム】誰のための犠牲だったのか(上)

 北朝鮮から逃れて大韓民国にたどり着き、1993年1月に国家情報院による調査を終えて社会に出たその日、記者は政府から「国家報勲対象になった」という連絡を受け、国家報勲証書を受け取った。「大韓民国のために何かをしたわけでもないのに、なぜ自分にこのようなものが与えられるのか」と国情院の職員に尋ねると、職員は「これまでわれわれが知らなかった北朝鮮の政治犯収容所の実態を初めて公開し、それを世界に知らせることで、大韓民国だけでなく、国際社会に大きく貢献したからだ」と説明した。

 その後、報勲証を紛失したため再発行を申請したが、拒否された。その理由は、「脱北者の管理は報勲処から統一部に移ったから」というものだった。それ以上、深く説明を求める気にもならなかった。しかし、脱北者が大韓民国に貢献したとすれば、それはどういうことで、またどのような評価を受けるべきかについて、改めて考えるようになった。とりわけファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記が勲章を授与され、国立大田顕忠院に埋葬されたことについては、一部でこれを疑問視する声があることを知り、なおさらそのような考えが強くなった。

 記者が北朝鮮から脱出した当時、脱北者はまだごく少数で、大きく三つのグループに分かれていた。一つは11人の元東欧留学生で、もう一つは元外交官・元スポーツ選手・元工作員のグループ、さらにもう一つは元政治犯のグループだった。11人の留学生が韓国に亡命した当時、北朝鮮の大学ではどこもその話で持ちきりだった。あれだけ出身成分がよく優秀な若者たちが、命懸けで大韓民国に向かったこと自体が衝撃で、そのことが原因となってエリート層も非常に大きく動揺した。元外交官として最初に韓国に亡命した高英煥(コ ヨンファン).氏は、金正日(キム・ジョンイル)総書記のための「喜び組」の存在とその実態を初めて暴露し、金正日体制に打撃を加えた。また、有名な柔道選手だったキム・チャンス氏も、北朝鮮では政治的な目的のためにスポーツが利用されていることを初めて詳しく公開した。

 元政治犯の記者と共に亡命したアン・ヒョク氏も、それまでベールに包まれていた政治犯収容所の存在とその実態について、初めて世界に知らせた。これも北朝鮮内部だけでなく、世界に大きな衝撃を与えた。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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