記事入力 : 2010/10/23 12:13:20
【コラム】誰のための犠牲だったのか(上)
その後、報勲証を紛失したため再発行を申請したが、拒否された。その理由は、「脱北者の管理は報勲処から統一部に移ったから」というものだった。それ以上、深く説明を求める気にもならなかった。しかし、脱北者が大韓民国に貢献したとすれば、それはどういうことで、またどのような評価を受けるべきかについて、改めて考えるようになった。とりわけファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記が勲章を授与され、国立大田顕忠院に埋葬されたことについては、一部でこれを疑問視する声があることを知り、なおさらそのような考えが強くなった。
記者が北朝鮮から脱出した当時、脱北者はまだごく少数で、大きく三つのグループに分かれていた。一つは11人の元東欧留学生で、もう一つは元外交官・元スポーツ選手・元工作員のグループ、さらにもう一つは元政治犯のグループだった。11人の留学生が韓国に亡命した当時、北朝鮮の大学ではどこもその話で持ちきりだった。あれだけ出身成分がよく優秀な若者たちが、命懸けで大韓民国に向かったこと自体が衝撃で、そのことが原因となってエリート層も非常に大きく動揺した。元外交官として最初に韓国に亡命した高英煥(コ ヨンファン).氏は、金正日(キム・ジョンイル)総書記のための「喜び組」の存在とその実態を初めて暴露し、金正日体制に打撃を加えた。また、有名な柔道選手だったキム・チャンス氏も、北朝鮮では政治的な目的のためにスポーツが利用されていることを初めて詳しく公開した。
元政治犯の記者と共に亡命したアン・ヒョク氏も、それまでベールに包まれていた政治犯収容所の存在とその実態について、初めて世界に知らせた。これも北朝鮮内部だけでなく、世界に大きな衝撃を与えた。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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