Astandなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
良い人材を、他社にとられる前に確保したい。そんな企業心理はわかるが、採用の早期化が若者を就職活動で疲弊させ、人材育成の土壌をゆがめてはいないだろうか。大手商社を中心とす[記事全文]
日本の薬物事件は覚せい剤が中心を占める。毎日30人以上が検挙されるが、芸能人でもなければ新聞の片隅にも載らない。半数以上は前にも覚せい剤で捕まった人だ。再犯の割合は年々増える傾向にある。[記事全文]
良い人材を、他社にとられる前に確保したい。そんな企業心理はわかるが、採用の早期化が若者を就職活動で疲弊させ、人材育成の土壌をゆがめてはいないだろうか。
大手商社を中心とする日本貿易会は、採用試験の開始を4年生の夏以降に遅らせる方針を決めた。2013年春卒業の大学生から適用する。ほかの業界にも是正を呼びかけるという。こうした動きが企業側から出てきたことを歓迎したい。
企業側と大学側で会社訪問の解禁日などを決めていた「就職協定」が廃止されたのは1997年。以降、採用活動のスタートは年々早まった。今では、大学3年の秋から会社説明会などが始まる状況が常態化している。
少子化が進み、大学進学率も高まる中で、企業からは「相対的に学生の質が落ちた。選別を強めざるをえない」「海外で働きたくない、という内向きな新入社員が増えた」といった声が聞かれる。だが、原因の一端は異常な「就活」にもありそうだ。
留学するにも、企業の採用活動が終わってしまう前に帰国しなければいけない、と考えて学生自身が二の足を踏む傾向が出ているという。
大学生活は、社会人になる一歩手前で、失敗を恐れずに冒険を試みることができる貴重な時期だ。この間に、学業はもちろん、仲間との交流やボランティア、アルバイトなどを通じて思考・判断力や行動力を磨く。
かつて企業が望んだのは「明るく、素直で協調性がある」人材だった。採用したあと、終身雇用体制の中で自社教育を施していけばいい。そんな風潮が長く続いた。
だが、グローバル化が進み、10年先はおろか5年先も見通しにくい時代だ。変化の先を読んだり、対応したりできる力を備えた社員の存在が、会社の浮沈に直結する。
インターネットなどで公開情報を得ることは容易になったが、そんな時代だからこそ、どれだけ人的ネットワークを生かして深い情報を得られるかが問われる。多くの企業にとって、そうした人材をゆっくりと育てる余裕はもはやなくなっている。
商社は就職の人気業種だ。新興国の隆盛で業績もいい。ほかの業界からは「採用活動の是正は、余裕ある勝ち組だから言えること」とのぼやきも聞こえる。だが、就職協定が結ばれては抜け駆けが生じて有名無実化してきた過去があり、人気業種から率先して自制することが大切だ。
今のような状況が続けば、日本の大学の人材育成機能はどんどん弱体化してゆく。そのツケが企業にも社会にも回ってくる以上、放置できない。せっかく生まれた改革の機運を広げる胆力を、経済界全体に求めたい。
日本の薬物事件は覚せい剤が中心を占める。毎日30人以上が検挙されるが、芸能人でもなければ新聞の片隅にも載らない。半数以上は前にも覚せい剤で捕まった人だ。再犯の割合は年々増える傾向にある。
「ダメ。ゼッタイ」と恐ろしさを伝え、取り締まり、処罰する。これまでのそんな対策が、再犯を減らすのに効果を上げてきたとは言いがたい。
覚せい剤をやめられないのは薬物依存症という病気だととらえ、治療や福祉の面からの対策も打つ。そうした取り組みにもっと力を入れたい。
近年は矯正や更生の場でも、様々な努力が試みられてはいる。刑務所では薬物を断つ指導を受けさせる。だが、施設によって中身や実施率はまちまちだ。「仮釈放欲しさに形だけ受ける」との元受刑者の証言もある。
保護観察つきの執行猶予判決を受けた人や、刑の満期前に仮釈放された人は、社会に出ながら保護観察所で指導を受ける。2週間に1度程度出頭し、簡易尿検査も行うという。
最大の問題は、刑を猶予され保護観察もつかない大半の初犯者だ。薬物への依存が進んでいないほど効果的な手を打てるのに、指導や支援を受けずに社会に戻ってしまう。多くは依存症の自覚すらないままだ。
しかし「二度とやるまい」と誓ってみせても、いったん覚えた覚せい剤への渇望は、意思だけで抑えるのは難しい。「少しだけなら」「捕まらなければ」と、やがて自分を偽るようになる。まして今は、クスリの情報はネットで簡単に手に入る時代だ。
薬物依存症の根本的な治療法は、いまだ確立していない。ただ、当事者同士が体験を語り合い、互いに励まし合う自助活動が、依存症からの回復には有効とされている。日本では、民間組織の「ダルク」が各地で自助グループをつくり、通いや共同生活でのリハビリを行っている。
警察や検察と、ダルクのような団体や医療機関が緊密に連携をとり、依存症の軽い初犯者のうちに、治療やリハビリにつなぐような仕組みを築けないか。都道府県の精神保健福祉センターの役割も重要だ。
覚せい剤中毒は自分と他人を傷つける。過ちと隔離を繰り返させるより、治療と復帰とに力を注ぐ方が、社会の損失は小さいはずだ。
政府も、再犯防止に軸足をおき始めた。7月に決まった「薬物乱用防止戦略加速化プラン」では、関係省庁を横断する形での対策を促した。裁判所が一定期間の刑を猶予し、代わりに治療や回復プログラムを受けるよう義務づけることも検討されている。
覚せい剤経験者を「失敗者」として孤立させず、社会が立ち直りを応援する。そうした啓発活動も求められる。