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世界・我が心の旅・宮崎駿
サンテグジュペリ紀行〜南仏からサハラ


やっと念願のこのビデオを見ることができました。
ので、ここに感想を書いておきます。

Introduction

  「世界わが心の旅」は、NHK衛星第1で毎週日曜日に放送されているドキュメントリー番組です。
いろんな作家や俳優たちが、自分が影響を受けた人、物、土地などに近づき、またときには直接触れることによって、その関係がさらに深く、また広くなっていくというのを見せていく番組のようです。(あくまで勝手な推測;)

  「世界わが心の旅・宮崎駿」、別タイトルを「サンテグジュペリ紀行 〜南仏からサハラ」は同番組1998年5月9日に放送されたもので、何度か再放送もあったようです。


Story

地図 おおまかな話のあらすじは、宮崎駿監督(当時57歳)が、自分の敬愛する作家兼飛行家サンテグジュペリが通った郵便航路、トゥールーズ〜ブエノスアイレス間のうち、モロッコのキャップジュビー飛行場までの道のりを(番組中カップジュビーと表記されています)、当時の状況をできる限り再現しながら辿るというものです。

このドキュメンタリーはサンテグジュペリ作「人間の土地」に即したもののようです。サンテグジュペリ関連ではよく「星の王子さま」の話が出てきますが、今回は作家サンテグジュペリというより「飛行士サンテックス」に即すという傾向があります。できれば読んでみてください。より内容がわかります。

ちなみに、この取材旅行に宮崎駿監督はひどく感動したらしく、この取材から帰ってきてからスケッチをかき、新潮文庫「人間の土地」「夜間飛行」(両作品サンテグジュペリ著)がそのときのスケッチをカバーにして改版されました。うち、「人間の土地」にはこの取材での考察を書いたと思われる、「空のいけにえ/宮崎駿」があとがきとして載っています。


当時の宮崎駿監督

  取材当時の宮崎駿監督は、97年の「もののけ姫」の大ヒットとはうらはらに、自分の作品の方向性に疑問を感じ、スタジオジブリの引退宣言をしたところだった。
このドキュメンタリーは、宮崎駿監督が、自分が影響を受けたサンテグジュペリについて直接アプローチすることによって、本来の自分の作品の構想を取り戻すという意味合いもあったようである。

  サンテグジュペリが見た風景をものを本当にぼくらが見られるかっていうことは、単に建物が変わっただとか、車がふえたとかいうことだけじゃなくて、同じ緊張感を持って空を飛ぶということはもう不可能ですよね。
   だからそれは断念せざるを得ないわけですが、ここにとどまってはいけない、という気持ちがかきたてられるというか、例えば僕らの社会では、ごく普通に、平凡に人生をまっとうせよということが一般に言われていますが、やはりそれだけじゃだめなんですよ。無理をして、自分の実力を120%活用して生きてかないと、たいしたことはできないんです。

と宮崎駿氏は冒頭で語っている。この「人間の土地」という作品は、サンテグジュペリが自分の飛行機に関する実体験を、いろいろな教訓の源として雑記しているエッセイで、他の作品と比べると比較的難しい本で、人によっていろいろな捉え方があると思うが、宮崎駿氏は、自分の一番好きな物語だと語っている「人間の土地」の中の、飛行士たちの命がけのフライトの部分から自分の行き方を考えたというのである。ここにとどまってはいけない。宮崎氏は当時学生時代にこの作品をくり返し読んでいたと語る。


パリからトゥールーズ

宮崎氏は、まずパリから旅の出発点になるトゥールーズまで、複葉機アントノフAN2機で飛行しました。
で、このアントノフなんですけれども、真っ赤な複葉機なんです。もしかして取材陣、宮崎駿監督が「紅の豚」のポルコになる、という画を撮りたかったのか?(笑)
機長は柳田一秋さんという方でアメリカに住んでいる方ですが、監督の大ファンらしく、わざわざパリまで来たそうです。それになかなか親近感がわくキャラでもあります(笑)
トゥールーズで宮崎氏は、サンテグジュペリが使っていたホテル・グランバルコンの32号室を訪れます。
32号室の窓からの風景を見るときに、なにやら片手で視界を隠していたのがひっかかりました。アニメーション監督らしいしぐさですね。


ニセブレゲ

ラテコエール社屋で宮崎氏が乗った黄色い飛行機は、ステアマンという1930年に作られた飛行機をブレゲ14機に似せて作られたものです。
ここでわかるのですが、どうやら宮崎監督は2人乗りの軽飛行機に乗ったのは このときが初めてのようです。よく乗ったことないのに「紅の豚」なんかの作品がかけたな、なんて思っちゃいました。ああ、僕も一度ああいう飛行機に乗ってみたい…。

ラテコエール社屋の前の殉職者碑が映る画面で、「Melmoz」の文字を見つけました。「geom」の文字は見つかりませんでした。ギヨメが亡くなったのはたしかアエロポスタル社に変わってからのことだったでしょうか…。

ちなみにラテコエール社の当時の支配人はドーラ。セックスピストルズにおけるマルコム・マクラレンといったところでしょうか。しかしこのドーラと言う名前は、「天空の城のラピュタ」の空賊ドーラ一家の命名の原因でしょうか?

次に、宮崎氏がアントノフに乗って飛んでいるブレゲ機を見るシーンがあります。このシーン、必聴。とてもおもしろいです。
飛んでいるブレゲに対して宮崎さんがいろいろ注文つけるんですよ。もうちょっと下、とか、少しずつ遅れる感じで、とか、上がるなぁ!とか(笑)でもパイロットの人はアクロバットを見せたいから、いろいろ動き回るんですね。思い通りにいかなくて必死になってる宮崎さんがかわいかったです(笑)

ちなみにパイロットはジャン・ピエール・ラフィールさん。なんと64歳でした。

ブレゲ機が雲の上スレスレを飛ぶシーンはすごくきれいでしたね。視界の半分が青になって、もう半分が白になって、そのうえに飛行機がぽつんと。ああ、こういうの実際に見てみたい…。


トゥールーズからタンジールまで

メインの旅が始まりました。1日目はフランスからスペインのアリカンテまで。
宮崎さんは「人間の土地」の中でサンテグジュペリがギヨメに教えてもらった 3本のオレンジの木や1軒の農家をみつけようと床の窓にはりつきになります。見つかるはずないでしょうが…。でももし旅をしたのが僕でも、同じことをしたでしょうね。

「学校の地理で習うようなことはフライトには思ったより役に立たない。ただ1軒の農家の存在が、飛行士の目印となるのだ」サンテグジュペリは「人間の土地」の中で要約するとこういうことになるようなことを述べています。宮崎さんも初めてブレゲのレプリカに乗ったとき、「飛行機から見ると、地上のものが具体的に見えるんですよね」と言っていました。そういうことなんですよね。飛行機に乗ればあたかも地上を高速で歩いているような感じで飛ぶということでしょうか。

2日目にしてアントノフはジブラルタル海峡を越えてモロッコのタンジールに付きます。ジェット機に比べると何十倍も時間がかかるのですが、やはりこれは速いですね。80Km/hくらいしか出てないらしいんですが。やはりこれは最短距離を直線的に飛ぶ飛行機の特徴なんでしょうか。

休憩のたびに、自分のいる側の窓の一角を担任に磨いていた宮崎さんが印象的です。この人、ほんとにのめりこんでるな(笑)


キャップジュビー飛行場

旅の目的地はモロッコのキャップジュビー飛行場です。サンテグジュペリが1年半飛行場長を勤めたところで、宮崎さんの憧れの飛行場です。 キャップジュビーまでの航路はアトラス山脈と砂漠を越える一番の難所。 ぼくも飛行士たちはどんな大変なフライトをしていたかがよくわかりました。 着陸はほとんど不可能なのが見て分かります。この上を悪天候の中、しかも夜でさえ飛んだのですから、やっぱりすごいですね。

ここまでのフライトの中でアントノフが雲の中を飛ぶシーンがありました。 視界がまっしろ。前後左右上下、全て白色です。アントノフには小さな搭乗室がありますが、もし窓も何もない飛行機で飛んだらどんな感じなんでしょう?

キャップジュビー飛行場が見えてきました。砂と同系色の淡色っぽい建物がいくつか。滑走路も砂に半分埋もれながらもちゃんと確認できます。

念願のキャップジュビー飛行場が見えてきて、宮崎さんは感極まって目にハンカチを当てます。

ああ、ぼくはサンテグジュペリに一番影響を受けたんだ。

ぼくも非常に感動しました。いままで本の中の世界だったことが、現実として目の前に現れる。異国の伝説や英雄は、こういう旅をしてはじめて、自分から見て「現実」となる。作品の中の憧れのものを、実際に自分の目で見たときの感動。そんな感動に僕も出会ってみたいです。

キャップジュビーの飛行場に降りて、宮崎さんは実際にその中を歩き、建物に触れます。

目で見たものというのはただそれだけなんですよね。しかし、(柱をなでながら)こうやって実際に触れたものは感触として後に残るんです。実際に触れると、帰ってからも、ああ、今この柱は砂にさらされているんだな、と想像できるのです。これはただこれだけのものなんですがね。

この言葉をきいて、よりいっそう「本物に触れる」ということがいかに大切かということが伝わってきました。自分とものとの関係、それをぐんと深めるには、やはり自分の力でそこまで歩いていって、実際に触れてみることが大切なんじゃないでしょうか?
そういう意味で、このドキュメンタリー番組の「世界・我が心の旅」というネーミングはすごく的を得ているネーミングだとおもいました。自分の内面への旅。しかしそれはひととこにひきこもっていては成されない。そう、ここにとどまってはいけないのです。
宮崎駿監督はサハラで、鈴木プロデューサーに「やっと『もののけ姫』に決着がつきました」と言ったそうです。そして現在、宮崎駿監督はジブリの活動を再開しています。


この作品を見て、ぼくも飛行機に乗ってみたくなりました。そしてフランスやモロッコにも行きたくなりました。僕の中のサンテグジュペリを、実在する人物にするために、いつかかならず。

このビデオを送っていただいた方にはとても感謝しています。ありがとうございました。satosi


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