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『中国食人史』4, 敵兵を糧食とする

2007/02/07 07:32

 

戦場において敵兵を捉えて食すか、敵兵の屍肉を割いて食すことは、二種類の積極的意義がある」と、黄先生は続けます。

 

一つには軍糧を節約し、欠糧の危機を解決できること、もう一つには「肉を食してその皮に寝る」という敵愾心をあおることができる、という事らしいです。敵愾心をあおるための食人とは文明人らしからぬ仕業ですが、それもシナの特性をそなえた文明の形でしょうか。

 

晋書李矩伝に、都の洛陽が侯郁に攻め落とされ、政府軍の藩と薈という将が壊走した際、「大飢餓、賊・侯郁らは人を略奪する毎に之を食した。藩と薈の部隊は多くがその喰らわれるところとなった」と。

 

唐書令狐楚伝に、咸通九年(868年)、辺境守備隊の龐勛が叛乱したさい、令狐楚は李湘に命じて討伐させます。反乱軍は投降すると見せかけ、李軍の警戒を解かせます。「湘軍は甲を解き警徹を去り安眠した。昼は賊軍と歓笑し言葉を交わす。ある日、賊軍は時を選んで歩兵騎兵ともに湘軍陣営に入り、準卒五千人をすべて生け捕りにし、徐州に送り、賊のため蒸されて喰われた」と。

 

 

民衆を糧食とするにもどって。

 

また食人しながら転戦した例としてとくに有名なのが「黄巣の乱」(875~884年)の黄巣軍です。「黄巣の乱」は唐を滅亡に到らせた大きな叛乱でした。それは流民や飢民を吸収し五十万の規模に膨れ上がり、各地を転戦しながら、880年ついには都・長安を占領します。以下は『呪われた中国人』カッパ.ブックス)からの引用です。

 

この黄巣軍は、その大軍に食糧を供給するために、大規模な「人肉生産工場」を設置した。

 

「中和三年(883年)五月、黄巣は兵をひきいて陳州を攻めて百日が経った。(中略)賊(黄巣軍)は人々を捕らえて食用に供した。一日ごとに数千人をも食べてしまった。賊は『舂磨砦』という巨大な臼数百基を備えている。人々を臼に入れて、骨も一緒に細かく砕いて食用に供した。」(『唐書』黄巣伝)

 

黄巣らの反乱軍は、西は関門、東は青州、斉州、南は江、淮、北は衛州、滑州にいたるまで荒らしまわった。

 

中原一帯全部ということでしょう。

 

「人影は絶え、イバラが野をおおいつくした。反乱軍は食糧が欠乏していたので、食用人間を貯蔵していた。兵士が四方に出て人々を捕獲し、『塩屍』をつくり、関東の郡県はことごとく攻略された。」(『唐書』秦宗権伝)

 

塩屍』とは人間の塩漬のことだそうです。

 

前回の明末の張献忠の仕業に勝る、シナ史上最大の食人匪賊集団であった黄巣軍は、まるで蝗の大軍のようにその至る所、殺し喰いまくったもののようです。

 

ここからは余談です。(ちょっと余談に逃避させてください)

 

南宋の有名な「愛国」将軍・岳飛(1103~1142)の人口に膾炙した詞に『満江紅・写懐』があります。

 

その一節に、「壮志飢餐胡虜肉、笑談渇飲匈奴血」とあります。

 

若くてシナの真面目を知らない頃、それは文学的修辞の一種とばかり考えていましたが、後にシナの食人文化を知ってからは、それは文学的誇張ではなく、実際の戦闘行為中に発生した事をそのまま描写したものであろうと考えを改めるようになりました。(実は『狂人日記』についても同様な見方の変化があったのですが。)

 

ちなみにこの岳飛は、シナ人に最も「愛されている愛国者」の一人で、現中共王朝でも賞揚されています。

当時、満洲族の金は北宋を滅ぼし南宋を圧迫し続けます。岳飛は実は後先も大局も見られぬただの戦争屋だったらしく、ひたすら徹底抗戦を主張し、時の宰相・秦檜を悩ませました。秦檜は、南宋は金の武力に敵せずと見て平和共存を謀り、策を弄して岳飛を死に至らしめます。

 

(「岳飛廟」入り口の岳飛像。かなりキッチュ。頭上の扁額には「還我河山」(我に山河を還せ)の文字が見える。)


このことから秦檜は売国者、投降派の汚名を着せられ、死して尚、その妻と共に杭州にある岳飛の墓『岳飛廟』の墓前に、縛られ跪く鉄の像となり檻にいれら、参拝の人々からツバや痰を吐きかけられ続けています。

いかにもシナらしい有様ですので、杭州に旅行なされる方は、西湖畔にある『岳飛廟』を参観されることをお勧めします。しかしそこに集う「愛国者」たちから敵国人として危害を加えられる恐れもあるかもしれませんから、心の準備のほどを、うふふ。


カテゴリ: 世界から  > 中国・台湾    フォルダ: シナの食人文化

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コメント(14)

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2007/02/07 09:09

Commented by nihonhanihon さん

ただ、中和三年の、「一日ごとに数千人をも」とか「数百基の石臼」とかの「数字」については誇張かな、とも思いますね。次期政権の担い手にとって「悪役」を引き受けて貰わなくちゃという事情もあるでしょうから。
といっても、いたるところでおぞましいほど食人をしまくったのは間違いないのでしょうね。

>このことから秦檜は売国者、投降派の汚名を着せられ、死して尚、その妻と共に杭州にある岳飛の墓『岳飛廟』の墓前に、縛られ跪く鉄の像となり檻にいれら、参拝の人々からツバや痰を吐きかけられ続けています。

こういう粘着質な精神が、今日の特定アジア地域による、日本への「賠償請求」を生み出しているんですね。トホホ。

 
 

2007/02/07 16:39

Commented by 丸山光三 さん

To nihonhanihonさん
いつもほぼ完結したコメントをいただくので返事に困ります。これからは返事を差し上げないこともあるかもしれませんが、ちゃんと拝見しているので、どうぞあしからず。

 
 

2007/02/07 17:02

Commented by 小龍景光 さん

Hallo lieber Herr Marco!

岳飛廟については私も以前のエントリーで触れましたが、死者をも永遠に鞭打ち続けるという価値観は食人と同じくらい、日本人とは相容れない価値観ですね。

イザを知るまでにも感じてはいたのですが、おいちゃんのおかげで彼我の文明観、価値観の違いが明確に分かりつつあります。

 
 

2007/02/07 18:11

Commented by nihonhanihon さん

To マルコおいちゃんさん
>To nihonhanihonさん
>いつもほぼ完結したコメントをいただくので返事に困ります。これからは返事を差し上げないこともあるかもしれませんが、ちゃんと拝見しているので、どうぞあしからず。

・・・すみません。クセです。(爆)

それはさておき申し訳ございません。

 
 

2007/02/07 18:28

Commented by 丸山光三 さん

Hallo lieber Herr Koryu,
>岳飛廟については私も以前のエントリーで触れましたが、死者をも永遠に鞭打ち続けるという価値観は食人と同じくらい、日本人とは相容れない価値観ですね。

価値観の違いはもっとありますね。例えば、厠。これについてはだむさんに少し書きましたが、事が事ゆえエントリーには立て難いので悩みます。厠にてよく再考してみます。


>イザを知るまでにも感じてはいたのですが、おいちゃんのおかげで彼我の文明観、価値観の違いが明確に分かりつつあります。


ありがとうございます、励みになります。もっともっとハッキリさせたいと思っています。

 
 

2007/02/07 20:37

Commented by damedakorea さん

何だかどんどん重い内容になってきますね・・・・

塩漬け人肉・・・・全身鳥肌状態になりました。
完全にシナとは人種が違うのですね・・・・

知人が結婚したシナ人(上海より日本へ300万円の紹介料で買われてお嫁に来た)に会ったら・・・・まじまじと顔を見てしまいそうで怖い・・・・

 
 

2007/02/07 22:52

Commented by nihonhanihon さん

To damedakoreaさん

>塩漬け人肉・・・・全身鳥肌状態になりました。

それもそうでしょうけど、マルコさんの提示される史料の中に、「蒸して食す」という表現が目につきます。
日本の異常な人なら、煮るか焼くか、でしょうけれど、あちらでは蒸すのがおいしい食べ方として伝わっているのでしょうかね?
前にも書きましたけど、あちらの料理の調理の仕方は、世界的にもかなり細かく分かれているはずですから。

 
 

2007/02/07 22:56

Commented by よもぎねこ さん

 人間ではなくて、純然たる食肉加工の話ですね。 昔、北海道には蝦夷鹿の、缶詰を作る工場があったそうですが、鹿を大量捕獲して、缶詰にしたのです。 まるで同じ感覚で、人間の塩漬けを作るみたいに感じます。

 シナ人は本来、食人種なのか、それとも余りに厳しい生存条件が、続いたので、異常な状態が常態になってしまったのか、どちらでしょう?

 
 

2007/02/07 23:02

Commented by 丸山光三 さん

To nihonhanihonさん
>それもそうでしょうけど、マルコさんの提示される史料の中に、「蒸して食す」という表現が目につきます。
>日本の異常な人なら、煮るか焼くか、でしょうけれど、あちらでは蒸すのがおいしい食べ方として伝わっているのでしょうかね?

蒸すと骨まで柔らかくなって食べやすい、ということではないでしょうか?

 
 

2007/02/07 23:16

Commented by nihonhanihon さん

To マルコおいちゃんさん
>蒸すと骨まで柔らかくなって食べやすい、ということではないでしょうか?

なるほど(笑)。単純なことに気づきませんでした。ありがとうございます。

 
 

2007/02/07 23:17

Commented by 丸山光三 さん

To yomoginekoさん
> シナ人は本来、食人種なのか、それとも余りに厳しい生存条件が、続いたので、異常な状態が常態になってしまったのか、どちらでしょう?

さあ、よくわかりません。下等生物に共食いはありますが、普通の高等生物はないはずなので、食人種というのがあるのかどうか?
ただ文化としての食人はいわゆる「人食い人種」といわれる人々が保持しているようですね。しかしシナのような高度の古代文明を有する文化社会でそのようなことが発生するのが理解しがたいところです。

社会条件、戦乱、飢餓が常態の状況が長く続き習慣化したことは、勿論考えられます。また大規模に食人を続けたためDNAに何か異常が発生したこともあるかも知れません。あるいは社会的禁忌の枠組みが異なる、といってしまえば簡単かもしれません。

後にじっくり考察しますが、今の途中経過報告では、
1)シナ人の物質主義、即物主義
2)シナ人の霊性の欠如
が、人肉に対する他文化の人間がもつタブーを回避しているのではないか、というのがあたしのヒポテーゼです。

 
 

2007/02/07 23:41

Commented by 丸山光三 さん

To だむエリちゃん、

おっと、危うくスルーしてしまうところでした、アブねー。

>知人が結婚したシナ人(上海より日本へ300万円の紹介料で買われてお嫁に来た)に会ったら・・・・まじまじと顔を見てしまいそうで怖い・・・・

その紹介者は双方から手数料をガメているはずですから、彼女も元手を取り返そうと必死で働く(こともある)かも知れませんね。あたしならまじまじと口元を見るでしょう。まあ顔立ちと体つき次第で他に注意がそれる可能性もなきにしもあらずでしょうが、ぐふふ。(男っていやあね、という声が、何処からか・・・・)

 
 

2007/02/10 20:06

Commented by ishbs さん

日本も戦前は「逆賊・足利尊氏」ってことで、お墓まで荒らされたりしていたようで、何百年も前の話も持ち出して騒ぐのは、特定の教育を受けた、特定の人々ならばよくやることなのでは?
そこを「民族性」なる定義不可能に近い言葉でまとめてしまうのは、ちょっと思考が単純なのではないか、と思ってみたり。

 
 

2007/02/12 16:49

Commented by 丸山光三 さん

To ishbsさん
はじめまして。危うくスルーしてしまうところでした。
ご趣旨はよく理解できませんが、コメントありがとうございました。

 
 
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