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名言集

最近読んだ、お茶の本

2008/12/21

アグレッシブに・・・

■健常者が何か意見を言うと、「障害者の気持ちが判るか?」という禁句を馬鹿な障害者の言うおかげでキチンと向き合って話す機会は永遠に失われる。果たしてその個人が健常者だった頃にどれ程「障害者の気持ち」を理解していたのだろうか?

私個人で言えば、全く理解していなかったし、理解する機会も無かった。ところが一度バイクでネズミ捕りで捕まった時に「何で障害者を捕まえるだ」的な気持ちが心に持ち上がった事があった。それは金銭の出費が腹立たしかったのではあるが、心の何処かで「障害者捕まえんでもええやろ」的な、つまり障害者やから大目に見てよ的気持ちが湧いたのですね。その時一瞬は正直そう思ったのですね。自分でも障害者は弱者だという思い込みでしょうか?キモイですね。

それで何か得体の知れない居心地悪さ・・・立場を変えて自分が捕まえる立場なら「スピード違反はスピード違反」は理解はしているんです。自分が体験した「障害者の心理」ですね。これを拡大解釈してゆくとトンデモ世界になって行きます。凄く幼稚な心理。

■障害者が健常者と同じレベルなことをして自慢する障害者もいます。その根底には自分が何かスゴイ事を成し遂げたという勘違いですね。健常者なら誰でも出来る事です。その根底に自分以外は出来ないだろう的な思い込みがあるのでしょうか?これもトンデモ心理ですね。

■義足でエベレスト登る登山家はいるが、障害者はいない。意味判りますか?障害者ではないのです。そういうレベルで生きていないと表すべきでしょうか?スポーツは勝負の世界ですからパラリンピックより一般の競技に出る人の方が現実のレベルは高いし、障害者のレベルに合わせていない。合わせる必要もない。

あるパラリンピックの選手、前回は金メダルで、今回は「なし」で憤慨している。理由は障害の区分わけが変更されたから多くの強敵が現れたからだという。しかし、競技は1つだ。そこを小さな障害別カテゴリーに区分けして意味があるのだろうか?聞けば世界で数人しかいないから、以前は出ればメダルだとそうだ。

健常者の競技なら当然1つの競技だ。私は障害者だからといって多数のカテゴリーに分ける意味は無いと思う。それを「生きがいにいている」と障害者選手が言えばそれは「障害者の気持ちかわるか」と叫ぶのと同じである。

■私個人はパラリンピックには出たくない。同じ競技を違うルールで勝負をしたくないのだ。我々の多くは同じ社会に同じルールで生きている。株式売買に障害者ルールがあるわけでもない。判断は非情にも狂うのだ。手数料が半額でもない。

■これはどんな世界で同じで特別な世界などはない。健常者がやっていることをわざわざ「障害者がこんな事しました」などというのは、自分を大きく見せたいか?他の障害者では中々出来ないという心理があるからだろう。トンデモである。

もしバイクの世界で第一人者が出現するのならプロのライダーが出た時だ。いつか8耐のグリットやGPに出てほしい。アメリカには随分前からプロレーサーはいた。プロだから障害は加味されない。もし私が凄く技量が有って、レースに出るときに他の選手より100m前からスタートしろと言われれば出場辞退する。誰もがそうだろう。

■何度も書くがバイクなど昔から普通なのだ。私は25年以上乗っている。もし私のこのトボケタ文章に反対で「排気量や障害区分」を云々するなら、前記のパラリンピック選手と同じでカテゴリーを作って自分を優位に大きく見せているに過ぎないのではないだろうか?バイクは1つだ。これが真実だ。

2008/12/12

この手の馬鹿は偏在する。

<兵庫県>採用試験で介助犬拒否「犬嫌いに配慮」

12月12日15時1分配信 毎日新聞


 兵庫県が先月、身体障害者向けに職員採用試験を実施した際、女性受験者の「介助犬同伴で受験したい」との申し出を拒否していたことが分かった。女性はやむを得ず犬を家族に預けたが、「介助犬と使用者は一体。不安でしかたがなかった」と訴えている。公共施設への介助犬同伴受け入れは「身体障害者補助犬法」(02年施行)で義務づけられており、同法を所管する厚生労働省も「法的に不適切な措置で、残念な行為」と指摘している。

 介助犬は身体障害者の代わりに物を拾うなどの介助動作をし、用がなければ静かに待つよう訓練されている犬。受験したのは、車いすで介助犬と暮らす同県宝塚市の女性(26)。採用試験は11月19日、神戸市中央区の県施設「県立のじぎく会館」などで実施された。

 この女性が受験書類に「介助犬同伴」と記して応募したところ、採用担当の職員課から「犬を連れてくるなら試験中は別室で預かる」との連絡があり、介助犬の役割を説明しても受け入れられなかったという。

 試験は学科や面接など午前、午後に分かれて実施された。女性は「介助犬は常に一緒にいる存在。離れるのはとても不安だった。長い時間他人に預けて世話が行き届くかも分からず、自宅に置いて受験するしかなかった」と話す。結果は不合格だった。

 同課は毎日新聞の取材に「犬嫌いやアレルギーの人がいる可能性もある」などと釈明。しかし同じ県の障害者支援課は「(職員課の)補助犬法への認識不足があった。配慮が欠けていた」と過失を認めたうえで、「犬アレルギーの人がいれば、使用者に介助犬同伴で別室で受験してもらうなどの措置を取れたはずだ」と指摘した。

 一連の対応に「日本介助犬使用者の会」(宝塚市)の木村佳友会長(48)は「障害者の手足となってくれる介助犬は、目の不自由な人の白いツエと同じ。県は法律の普及をリードする立場でもあり、考えられない対応」と批判している。【生野由佳】
**************************以上NEWS*******************************************
配慮がないということですが、犬嫌いな人がいるかもしれないというなら、誰も犬を散歩にいけませんや、県職員でもこの程度の馬鹿がいる。ちょっと程度が低すぎるのではないか?
総理大臣が漢字読めない国だから仕方ないか?

2008/12/09

障害者の心性⑧

■どうして自分達で社会でのハードルを下げているのが分からないのだろうか?障害者をアピールする必要なのないし、自ら社会と区切りをつける必要もない。

■今、社会にある障害者を批判することをタブー視することも可笑しいし、障害者も社会の一員なら容赦なく批判されるべきだ。主張だけして、批判されると「障害者の気持ちが判るか?」などとエゴをほざく障害者はどんどん批判出来る社会が健全だと思う。

ハッキリ言うが、誰も「障害者の気持ち」など判りたくはない。

けれど、多少の相互理解の上に、合理的な配慮や思いやりの気持ちが有れば、きっと上手くやっていける土壌は性善説的には出来ると思うのだ。

障害者団体は被害者団体ではないし、個人でもそうだ。

■「障害者差別」などという気軽に叫ぶ阿呆は、状況が自分に不利益な時だけだ。障害者を批判出来る社会も、社会を批判出来る場所も同時に存在しうるなら、その場面に立つ両者は対等なはずだ。

2008/08/14

安易に「帰属意識」を持つな、

前日の続き、帰属意識という問題、障害者は「障害者」という一つの層を形成したらダメ」だと思うと書いた。集団に帰属意識を持つと他の集団を排他的に思うようになるからだ。そこに必ず【 障害者 対 健常者】という、これまた至極簡単な構造故に安易に思い込む人が出てくる。 

そしてそれは、いつも書く、「自分が悪いのではなく、理解出来ない相手を憎む」という構図を作る。それが正義だと勘違いして、自分の帰属する集団には積極的に活動するのは、オウムさんでもお馴染みの危険なこと。暴走族さんも同じ。

人が帰属するのは「自然社会」なのだ。「障害者だ」と特定な集団を作らないことが肝要。要するに排他的倶楽部は心地いい。たぶんエリート政府高官の集まりも心地良いはずだ。企業はそれを応用して自社に帰属意識を持たせる為にセミナーや特訓合宿をする

しかし人の世だ。3人集まれば既に集団である。そこで必要なのは一つは【アマチュア】であること(趣味の集団なら)である。誰もが同じという事、いわゆる英国でいう倶楽部の排他性とは、会員の質を均一に保つ意味である。入会出来ない人にとっては排他的に感じる。ゴルフ倶楽部も同じ、お金が有ってもヤクザが入れば無理が通る。「俺が」っていう・・

だから障害者の団体ってのは、障害者という枠が自然とあるから余計にアマチュア的でなければならない。

さて、さて。さて、世界中の集団の中で唯一、日教組だけは自国に帰属することを給料を貰いながらも拒否し、北朝鮮に帰属したい集団なのだ。学校がおかしいって、自分達が一番おかしいことに気が付かないのも、オウムと同じ。三重県のように組織率が高いと、そこから離脱して仲間外れは怖い、イジメに合う。イジメの見本を先生がしてくれる。

もし、お手持ちの生徒さんが「暴走族」なんかに入会された場合は、自ら「日教組」を抜けてみることを身をもって教えてあげてください。笑えます。ハイ

2008/06/26

「五体不満足」で満足な思想

あなたに「五体不満足」て言葉はどう響きますか?

私には今も、軽さがありますね。からっと晴れた。

未だに乙武氏の「五体不満足」という本は凄いと思うのは、そこに「笑っている」作者が見えるからだ。この言葉がない時代に、もし貴方が「貴方は五体不満足ですね」といわれたら笑いましたか?  多くの障害者がこの著作の影響で外にためらいなく出ることが出来るようになり、世間も自然に受け入れる素地が出来たのではないでしょうか? この著作が嚆矢です。

誰かが障害児を持つ親に「あなたのお子さんも五体不満足ですね?」発言したらどうなっていたでしょう?裁判沙汰?

しかし今、時代が逆行している。やっと「五体不満足」と自分を笑える時代に

障害者を「障がい者」という表記などは、江戸時代に逆戻りな、チンボのカス以下の低脳思想なのだ。どんな立派な屁理屈も、所詮は「屁」なのだ。こんな甘くトロイ思想を舐めて喜んでいれば、世間から笑われるだけ。それ以上に社会からは「鬱陶しい」とレッテルを貼られてしまう。

障害者自身が「違和感」を感じないのはおかしいと思う。

精査して簡単に飛び乗らないように、各位が考えればいいことだ。

私個人の見解として、断固反対します。

気持ち悪すぎる。嫌悪します。

「障害者」って阿呆ちゃう?と思われますよ。ホンマに

2008/06/16

世間では・・・

■障害者を批判すれば「差別だ」という身勝手で感情的な反論しか出来ない障害者が鬱陶しいから世間はそれを躊躇するだけである。

世間が常に正しいわけでもないが、

同じ障害者が見ても「何だコイツ」って野郎はいます。意見の無い、有るのは都合の良い「怨念」だけって結構笑える人もいる。

社会はどんどん変わっているのに、障害者も変るべきだと思うのだ。この一連の書き込みは自身へのアンチテーゼでもある。

バイクを乗るときは誰も「障害者」ではないのです。そこを超越したところに、同じ目線の高さということに矜持を持った方がカッコイイじゃないですか?

たとえ、バイクを降りたら「車椅子」が待っていたとしてもね・・・・・・・。

どうだい、バイクで障害者っては感じはしないよな・・・・・・

■三遊亭圓歌師匠の「道しるべ」は絶品です。年寄りをいじってるんですが、そこに色んな機微があるのだが、世の中には馬鹿がいて、きっと苦情いうやつが出てくるかもしれません。「年寄りイジメだ!」みたいなね、すごく単純なヤツ。こんな暖かい年寄りの話題はないわけだけど・・

Ignore】こそ、最も深い差別ですね。そのトリガーを引いているのは多くの場合は障害者だということが多いわけ。その例が「障がい者」でもある。

「障害者の気持ちが判るか?」とは、初めから対話そのものを拒否しているわけでしょ?

分かり合えないかもしれないが、どこかに接点を見つけて歩み寄ろうというスタンスではない。被害妄想しかないわけです。

微妙な問題でもありますが、その別れ道は、少しの違いでしかないけれど、行く先は大きく違うということだ。この時代に、この微妙な時代に、勘違いして「障がい者だ」は一番簡単なんだよ。一番簡単で単純故に皆が真似る。

■これからの若い障害者は、こういった古い殻に入ってはいけないのだ。外の世界は日々変わっている。意識は30年前と同じじゃーね?自ら【枠】に入ることはない。健常者に出来ることは障害者にも出来る、その反対も言えるわけです

どうだろ?

世間では・・・

■障害者を批判すれば「差別だ」という身勝手で感情的な反論しか出来ない障害者が鬱陶しいから世間はそれを躊躇するだけである。

世間が常に正しいわけでもないが、

同じ障害者が見ても「何だコイツ」って野郎はいます。意見の無い、有るのは都合の良い「怨念」だけって結構笑える人もいる。

社会はどんどん変わっているのに、障害者も変るべきだと思うのだ。この一連の書き込みは自身へのアンチテーゼでもある。

バイクを乗るときは誰も「障害者」ではないのです。そこを超越したところに、同じ目線の高さということに矜持を持った方がカッコイイじゃないですか?

たとえ、バイクを降りたら「車椅子」が待っていたとしてもね・・・・・・・。

どうだい、バイクで障害者っては感じはしないよな・・・・・・

■三遊亭圓歌師匠の「道しるべ」は絶品です。年寄りをいじってるんですが、そこに色んな機微があるのだが、世の中には馬鹿がいて、きっと苦情いうやつが出てくるかもしれません。「年寄りイジメだ!」みたいなね、すごく単純なヤツ。こんな暖かい年寄りの話題はないわけだけど・・

Ignore】こそ、最も深い差別ですね。そのトリガーを引いているのは多くの場合は障害者だということが多いわけ。その例が「障がい者」でもある。

「障害者の気持ちが判るか?」とは、初めから対話そのものを拒否しているわけでしょ?

分かり合えないかもしれないが、どこかに接点を見つけて歩み寄ろうというスタンスではない。被害妄想しかないわけです。

微妙な問題でもありますが、その別れ道は、少しの違いでしかないけれど、行く先は大きく違うということだ。この時代に、この微妙な時代に、勘違いして「障がい者だ」は一番簡単なんだよ。一番簡単で単純故に皆が真似る。

■これからの若い障害者は、こういった古い殻に入ってはいけないのだ。外の世界は日々変わっている。意識は30年前と同じじゃーね?自ら【枠】に入ることはない。健常者に出来ることは障害者にも出来る、その反対も言えるわけです

どうだろ?

2008/06/14

誰もが暗中模索

■ある方から連絡頂いた、16歳で腕神経痩引抜損傷、今四十台半ば、会社を経営し家族を構成されている。丁度私の季節ともダブります。インターネットなど無い時代です。情報なんてなにもない。

障害者の横の繋がりなんてありませんでした。今とは違い、特定のスポーツなどを通してしか中々障害者同士が知り合うことは難しい時代でした。

それが良いのか、悪いのか誰も判りませんが、兎に角、周囲に負けないように必死で生きて来られたのは、ソレだったかもしれませんね。

■現代は、障害者同士は繋がり易いでしょう。どうなんでしょう。障害者が障害者とだけしか繋がらない方が、悪いような気がします。類は友を呼ぶで自然なのでしょうか?ある場面では傷を舐め合っている事もあるでしょう。

昔、必死で試行錯誤で改造したことが、ネットでは簡単に探せる情報となってます。しかし、現実社会は違うという事、何回も色んな場所で何回も話し合う事が必要となります。これが当り前です。

それは30年前も今も何も変わってない。

ライダーも何も変わってないです。

■バイクって他の趣味とは違うのです。誰でも同じ目線で遊べるのです。障害者も健常者も関係ありません。だからJDRAは、障害の有無は関係なく安全講習をしました。公道に出れば「障害者」は関係ないのです。障害者のバイクだけ馬力が半分でもありません。責任は同じ。

心理的負担は倍以上です。

バイク乗って「障害者だ!」だけは有り得ないわけです。

「関係ないよ!」って胸張って言えるプライドがあります。

2008/06/10

都合の良い転換方式 

批判されることと、差別は違う

ところがこれを混同し、自分の都合が悪いこと、不利になるような批判されると、とたんに「差別だ」に切り替える。

これでは面倒臭くてアホ臭くて誰も「批判」も出来ない、ないから増長する。まさに馬鹿の再生産。

批判がない、出来ないのは、最悪な状況なのだ。

障害者団体はそういう団体、個人であってはならないと思う。

(勿論、一般常識の範囲内での話)

だから、障害者個人でも、団体でも、批判されればいいと思う。公正な批判という意味でね。堂々と意見の応酬出来る条件は、禁じ手は使わないこと

その幾つかの禁じ手さえも判らない人がいる。判らないから「叫ぶ」

障害者は「鬱陶しい」ということになる。

2008/06/08

馬鹿な障害者が増えている

onehttp://www.cao.go.jp/

内閣府のHPです。ハッキリと書いておきますが、もう障害者政策ってのは無いのです共生社会政策なのです。御確認を・・・

twoある就職斡旋企業が「障害者就職」を強く推進して行こうとフェアーを開催する。と会場に「障害者」という表記はダメだと、来場障害者からクレームがつく。

誰がそんな人を雇うものか。

それ以上にこの企業は「もうウンザリ」で1回ポッキリで終わってしまう。多くの見知らぬ就職者が消えたわけだ。

障害者の理解を妨げているのは障害者自身である。という事が多々ある。

three障害者?見れば判るよ。そういう方が来るのに、わざわざバリアフリートイレの無い会場を借りないでしょ?常識ってありますね。しかし、「障がい者」と書く必要も意味も、そんな常識もありません。

「障がい者」て書けば、病院は「びょう院」でしょ。だから言葉狩りっていうですよ。障害物競走も変えるの?「エテコ」も猿に・・・障害者はイメージが悪いって自分で思って自作自演ですよ。コレ!こういった異常な障害者が世間をギスギスしたものに結局はして障害者を排除しているんだ。

単純な風潮に乗せられない事が大切です。  実社会でもネットでもウィルス(ばい菌)は広まるのが早いですね、良い事は広がり難い、そのメタファーとしてグレシャムを使ったわけですが・・。

こんな事で社会一般が強く認識するのは「障害者は鬱陶しい」ということだけではないでしょうか?

four書き忘れましたが、私も障害者です。3級ね、でもさ、「俺は1級だ、お前に・・」なんて1級が偉いなんて風な、それこそ差別的な考えは止めてね。それが阿呆っていうんだよ障害者全体の利益を考えろって!  1級の言う事が3級より尊重されるべきだって事は絶対にないのだ。申し訳ないが・・・

five全国の障害者関係団体様、勇気を持って【障害者】という文字を使って下さい。そんな事に苦情が来ても、それは学校給食費を払わない親の理屈と同じでコテンパンにやっつければいいだけです。

そんなものは補助金欲しさの目先の運動ってやつで、私の知っている限りなまともな団体はやってませんよ。 そんな事する前にHPあるなら決算書と人件費明細を載せてみなって!障害者運動に名を借りた生活手段を、何を偉そうに「障がい者」だ。いいかい、大義名分は誰でも言えるよ。心を叩いてみな。

それで、障害者が救われるのでしょうか?

日雇い労働者が呼び名を「フリーター」に変えても、労働条件や賃金が変わるわけでもありません。

「障がい者」なんて書き方を止めろって障害者自身が言うのが本筋でしょ?あんたら意識が低すぎ・・・

  

2008/06/07

胸を叩いて心を訪ねる旅・・・

■共生社会のなかで、障害者が普通に暮らす社会ということは、今までの様に何が何でも【障害者だ】という主張が出来ないということです。

■障害者団体は、被差別団体ではありません。

その「団体」って文字は、団体交渉する為の【用語】ではないですね。

ところが被差別団体と同じ理論というか、手法で【差別】を表看板に利益を得ようとする考え方もあるわけです。大した根拠や合理的な基準という視点もあるわけでもない。自分の利益の為の話、もっと単純に言えば「気に食わない」なんて始点かもしれません。

結局はそれは「障害者に対する」偏見を助長するだけの結果となります。

一部の結果が、障害者の理解を妨げているのは障害者自身だ。というお馴染みの法則になります。

例えば、「駐車禁止除外の許可」が厳しくなりました。今後、交付されない人も大幅に増えるわけです。有れば何かと便利ですから、こういう時に【差別だ】と叫ぶのです。

私自身も除外されました。けれど納得してます。欲しいと思えば・・・・絶対にその許可証が必要な理由など私でも幾つも挙げれます。無理は道理を押しのける。現実に障害者なら何処に停めてもいいような悪質者を良く見る。

本当に必要な人は

①現実に通常に乗り込めことを見てもらう

②脚が曲がらないなら医師の診断書を出す

③自宅、車庫でも、どういう風になっているか資料を添付する。

④法的な除外規定が無いか調べる

⑤公的な機関、関係機関に正式に問い合わせる

⑥司法機関に判断を求める

などなど、幾らでも思いつきます。何処にも【差別】はありませんね。「障害者」だからって、こういう手続きをせずに、ただ個人の利益の為に、【障害者差別だ!】と叫ぶのは、障害者全体にとって大きな迷惑です。上記の手続きの結果、大きく実情と離れた裁定が出て、多くの障害者に不利益が出ているなら、初めて【差別】も使えるかもしれません。(個人的には配慮が足らないだけと思いますが

しかし、こういう輩に限って厚顔で「他の人に勇気を」などと平気で言う。

だったら、自分のは当然返納しろよ。

繰り返します。障害者団体は被差別団体ではない。

で、そうしたい人々も勿論いる。

【障害者だ!】って・・・爆

■世間では、仕事上では【障害者】なんて関係ない。設計士で障害が有れば倒れる家でも許されるわけでも、事務員でもミスが許されるわけでもない。社会を見渡せば、人知れず頑張っている人々は多くいるのだ。殆どの人がそうだろう。障害者人口600万人なのだ。

【障害は個性】なんて甘いとろーい幻想に酔ってる暇はない。

設計の仕事で自身が「車椅子」ならバリアフリーに関しての実体験が仕事に生きて、初めて武器となる。それは個性ではない。個性ってそんな甘いものではない。障害が個性なら、デブやブスもハゲ立派な個性、オタクも個性、スカトロ変態も個性で・・(笑)

障害が個性って障害者は600万人いるんですよ。笑わしちゃいけない。それが日雇い労働者とフリーターって呼ぶのと同じ類、或いは自分を慰める阿呆そのもの・・・。

■日本の人口の精神・身体障害者は600万人、何もしなくてもいつか何処かから美味しい話や幸せが来ると思うのは勝手です。それでも、まあ奇跡が起きると仮定します。確立は1/6000000です。

【宝くじ】買った方がよっぽど確率良いですよ。

■障害者は障害者問題の専門家ではない。一当事者に過ぎない。

障害者を【障がい者】としか書けない様な歪んだ社会にしてはいけない。

そんなのは異常なのだ。

そんな異質な(気持ち悪い)思想を障害者だけが持ってどうするのでしょうか?

■右へ倣えの如く、一種の流れのように広まってゆく、これはグレシャムの法則か?(笑) 障害者関係団体だけでなく地方自治体までも何の精査もなく、理由は「鬱陶しい」からだ。障害者以外にとってはどうでもいいことだ。

音読すれば同じ「ショウガイシャ」ではないか?そこはどうなんだ?これは言葉狩りである。しかし、何故誰も正面切って「言葉狩り」と言わないのか?

「障害者の気持ちが判るか?」という鬱陶しい返事が来るからだ(どうして障害者1人1人の気持ちを理解しなければいけないのか不明・・・)当人は障害者への意識を変えたような錯覚で各所に回る。鬱陶しいので誰も逆らわない。何か言えば「こういう小さな事から変えてゆかないと」・・・・となる。これは詭弁。こんな事で社会は変わらない。

結果、こういう連中が、障害者への理解を妨げているのだ。けれど一生、気づく事はないだろう。

書き方変えて、健常者になれるのか?という私の主張も笑える。

悪貨は良貨を駆逐する。私も良貨ではない。ただ本当に障害者の為に頑張ってる人はいる。そういう人々は、こんなアホは言わないってことだ。

本日の「鬱陶しい」のでコメントいらんよ。

2008/06/06

よくある勘違いです・・・・・・か

■障害者は自分の障害だけについては当事者であるが、皆が障害者問題の専門家では決してない。決してないのだが、世間はそういう風に誤解している、ソコに付け込んで、「障害者の気持ちが分かるのか?」と叫ぶのだ。

■何の反論も出てこないのは・・・・「言わしたろ、可哀相なヤツや・・」と心底思われているからで相手にされてないのだ。決して言い負かしたなどと思い上がらないことだ。同じテーブルにつかないなら話し合いなど出来るわけがない。平行線のまま・・同じテーブルにつけないから「叫ぶ」のだ。

我々は「障害者ライダーだ」と決してアピールなどしない、すれば、それだけ社会の意識からは遠く隔離されるのだ。アピールするものなど何もないし、有ってはいけない

当事者として場に臨むなら、当事者同士のルールに従うべきだ。それが出来ないから社会では

障害者の理解を妨げているのは、実は障害者だ。

という笑えない現実が多く有る。

■世間は笑えない現実ばかりなのだ。下記のニュースも・・・

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財務省は5日、国税庁を含む本省の全職員2681人を対象とした深夜タクシー利用に関する実態調査の中間報告を発表した。公費で乗車した際、運転手から現金や金券、ビールなどの金品を受け取っていた職員は383人に上ることが判明。5年間で200万円相当の金品提供を受けていた主計局の係長級職員もいた。

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政治家はよく「国民は馬鹿じゃない」と言う。それはズバリ「国民は馬鹿だ」と心の底では思っているということだ。官僚もね。(日本語は難しいのだ。)・・・・・・。

つまり、国民の為、未来の子供達の為っていう政治家は「今の自己利益しか考えてない」のも結構うなづけるでしょ?

As you know・・(あなたが知っての通り)は、本当は「アンタは知らないから教えてやるが)が正解の場合が多い。

しかし、あのメガネ、何とかならんか?

2008/05/20

「障がい者」なんて表記は馬鹿の戯言

私は未だに乙武氏の「五体不満足」という本は凄いと思うのは、そこに「笑っている」作者が見えるからだ。この言葉がない時代に、もし貴方が「貴方は五体不満足ですね」といわれたら笑いましたか? 日本の多くの重度の障害者がこの著作後は、ためらいなく外に出ることが出来るようになり、世間も自然に彼等を受け入れる素地が出来たのではないでしょうか? この著作が嚆矢です。

誰かが障害児を持つ親に「あなたのお子さんも五体不満足ですね?」発言したらどうなっていたでしょう?裁判沙汰?

この本が無ければ今頃は「五体不満足」という言葉は障害者を馬鹿にした言葉にきっとなっていたでしょう。今は軽さがありますね。

しかし今時代が逆行している。やっと「五体不満足」と自分自身を笑える時代に

障害者を「障がい者」という表記にせよなどは、江戸時代に逆戻りな、チンボのカス以下の低脳思想でしかない。どんな立派な屁理屈も、所詮は「屁」なのだ。こんな甘くトロイ思想を舐めて喜んでいれば、世間から相手にされない。それ以上に社会からは「鬱陶しい」とレッテルを貼られてしまう。

障害者自身がそういう事に「違和感」を感じないのはおかしいと思う。「発音」は同じですよ。

こんなチンケな思想には精査して簡単に飛び乗らないように、各位が考えればいいことだ。

私個人の見解として、気持ち悪すぎる。嫌悪します。窃盗を万引き、売春を援助交際って変えても同じです。障害者が変わるのは、障害者自身からです。もし漢字を「ひらがな」に変えて障害者が変わるのなら、もっと昔、つまり

不具者(法律用語) 片輪者が「障害者」になった時に変わっていたでしょうね。

■障害者の世間の理解を妨げているのは、実は障害者という事が凄く多い。自分の都合の良い形の枠を作りそこに閉じこもり、都合が良くなれば出て来て「アピール」するのだ。

2007/11/05

「全席が優先座席」という考え方

「全席が優先座席」という考え方で電車内から優先座席を撤廃していた阪急電鉄(本社・大阪)は17日、8年半ぶりに全車両で復活させると発表した。どの席でも譲り合う思いやりの精神が定着しなかったためという。“性善説”に期待した同社の理想は、車内モラルの低下という現実を前に挫折した形となった。
  阪急は11年4月、全席を優先座席と考えるべきだという理想を掲げ、優先席撤廃に踏み切った。だが、現実には席を譲らない雰囲気が広まり、同社には高齢者を中心に復活を求める意見が毎年10件余り寄せられた。(以上ニュース)

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全席優先という理想は正しいけれど、この高齢社会だ、乗車客殆ど高齢者という時間帯もある、私自身はこの人生の中で一度も優先座席を要求したことはない。自慢でも、やせ我慢でもなく、必要性がないからだけど。本当に必要な人が座る為には、そこそこ我慢出来る爺さんは立っていてもいいだろう。

譲り合うということは、結局は各人それぞれが少し我慢をするという事だろう、部活を終えた高校生も本音は座りたいに決まってる。我慢をする。誰もが我慢だ。高齢社会は高齢が当たり前の難しい社会ではある。車内を見渡せば半分以上が年寄りなら困惑するのは若い世代、しかし

妊婦さん、松葉杖、凄く高齢な人には絶対に譲ろう。

お金が有れば指定席に座ればよい、それが平等でもある。パリの地下鉄には1等、2等があった。British Rail も1等、2等だ。この国はどうも言葉遊びが多過ぎる、グリーン車というアホな名称に変った。実体は何も変ってない。当然。

高い料金を払い、より上等なサービスを受けるのが平等である。航空機は未だ1等、2等である、理由は簡単、それが常識だからである。グリーン席と呼べば、国際社会から笑われる。

言葉遊びに過ぎない。 【障がい者】もそうだ。私は当初、漢字が読めない小学生用の表記かと思った。何も実体は変らない。変るとすれば逆に、「障害者は鬱陶しいな」という意識を世間に広めるくらいか?反対意見は出ない、 「言わしたろ」の世界である。可哀相やから・・、鬱陶しいから?どうでもいいが、そういう事で社会を変えようとは、いささか傲慢ではないか?

障害者ライダー?見れば判るよ。

たかがバイクくらい淡々と乗ろうぜ!「男気」である。

日本の全道路が優先道路じゃないからさ。

2007/11/03

フランツ システム

両上肢が不自由な方のための、両足で運転ができる補助装置

Franzindex_image

■フランツシステムは両上肢が不自由な方のための、両足で運転ができる補助装置であり、1965年ドイツで開発されて以来、ヨーロッパで高い評価を得てきました。Hondaは、1981年に開発者フランツ氏から直接技術指導を受け、さらに独自の技術を加え、より使いやすく発展させました。
足の前後回転運動でステアリング操作をスムーズにできるこのシステムを提供できるのは、国内ではHondaだけです。1981年からの実績のなかでさらに進歩させて、皆様にお届けいたします。

http://www.honda.co.jp/welfare/lineup/machines-tools/franz/index.html

■ホンダのHPにも書いてありますが、このフランツ・システムもやはり健常者でも運転できるユニザーサル性を持ってます。そうでなきゃ、誰も整備出来ませんね。このフランツシステムはHCRのホンダのブースの映像でよく拝見していつも、見入ってしまいます誰でも好きな時に何処へでも行けることって素敵ですね。自動車が人に乗り物として機能してます。

バイクの場合はそれプラス、気楽に!が追加されるだけです。それだけで充分だと思います。

■既に50台以上が製作されているということだ。おそらく採算は度外視であろうと思うが、企業が障害者個人個人に答えてくれる、或いはそれは、技術者の喜びかも知れないが、すごく社会性がある事ではないだろうか?「Dream」   大きな会社なのに、企画の段階でつぶれないのが素敵ですね。三河じゃ無理でしょう。  

既に多くの両上肢が不自由な人も自動車に乗って、素敵な生活をしているのだ。もうそういう時代なのだ。いいですね。

バイクの改造は多くの場合、汎用の部品で間に合う、だったら日本全国のバイク屋さんで出来るのに断られるのは何故か?各自で考えればいいね。俺が掲示板に書くと、「そう言ってるのは貴方だけじゃないか?」と書かれるからね。しかし、多くの店で断られるというのが答えそのものだよ。

だから障害者が乗ることを普通にしなきゃ

ところがどうだ、10月4日に掲示板の管理人が書き込んだ直後にある人物より、「プロが認めた技術、カッコイイです」と全く正反対の書き込みをされた。彼が、同じ障害者ライダーとすれば本当に恥ずかしい限りだ。(削除済)日本の障害者はその程度のレベルなのか?日本全国の全員、障害者ライダーは教習のプロの検定や、白バイ隊員の教習にも評価されて免許を頂いている。それがスタートだ。ゴールじゃない。

■おりしも昨日、あのプロ中のプロライダー、  「ノリック」 (敬称略)が500ccスクーターで交通事故死された。これは答えではないだろう。しかし「ノリック」をして危険な公道に出ているということを、我々障害者ライダーは認識を新たにしなければいけないことはライダーとして常識だろう。

同じ障害者ライダーしてレベルが低すぎはしないか?自分は特別な凄いことをしたライダーだと思ってるのでしょうか?まさか?そういうのを障害者根性っていうらしいです

もうウンザリ。選民思想は、

JDRAは今流行の【共生社会】ってヤツですから・・当たり前にしたいのです。

2007/11/01

社会とのギャップ アンタどう思うね?

Jiware

■自己評価と社会の評価に開きがある。この社会とのギャップが障害者となると過大に広がります。バイクの話ではなく、就職の話ですが、誰もが真剣に社会に生きたいと願いながら、そのジレンマに陥ります。障害者であることの現実と向き合う瞬間。

■この問題に有効な解決策はあるのか?一朝一夕には無理だろうし、一人の障害者が、例えば宇宙飛行士に成って注目されたところで、とても解決にはなりはしない。例によって、障害者には希望だけ与えられる。それは、旅行のパンフレットだけ与えられて、現実に切符を配られないのと同じだ。TVはこれの繰り返しで視聴者はシビアな現実とは向き合う義務も無い。

やはり法律で権利や差別禁止を取り組みが最優先だと思う

障害者法定雇用率が決まっているが、多くの企業は故意に違反し罰金を払う方を選択しているのは、現実に向き合うよりは、罰金の方がひどく効率的だと判断した結果だろう。そういう現実がある。障害者の「害」を「がい」に替えて、【障がい者】にせよなどという、一部の変わった障害者達を横目で見れば多分にそういう結論も導かれるでだろう。多くの事例において、、障害者を障害者の枠に閉じ込めているのは実は障害者自身であるということがある。企業の本音もその裏にある。

国際的企業経営と日本経団連代表でもある人物が、小手先ではキレイ事を並べ、現実の製造現場ではやはり、経営効率優先で請負か派遣で揉めているのもやはりホンネとタテマエの日本的情景と同じと言える。とはいえ広告主だからマスコミは叩かない。

ジョブ・コーディネーターやジョブコーチ、或いはジョブ・トライアル制度などが一般化し緩衝帯になれば大きな改善になるだろう。

■日本では、障害者に対して本音で対峙すれば、揚げ足とりの議論に終始するだけだろう。多くの場合、それは感情論だけである。「健常者に障害者の気持ちが判るか?」というのが顕著な例だ。窓口に障害者の担当官を座らせて「よーく理解出来ますよ」と言えば終わりだ。

感情論とはその程度のものだ。障害者の運転免許の問題で理論武装はどうすればいいか?一番の例が「障害者欠格条項を失くす会」がそのニュースレターが示す通り、世界中の法律を調べ、先進国の状況と比べて、日本が遅れている現状を示している。思いや感情ではなく現実を提示する・・感情が入る余地がない。

■本音同士の衝突しかない海外とでは根本的な違いがある。理論と理論が衝突し、裁判になり、数々のデモンンストレーションが放映される。よくアメリカからの映像が放映され目にする光景だ。日本でも聴覚障害で最高裁まで戦った樋下さんという方がいる。裁判では敗訴したが、その時に法律が改正された。結果として現実が変わったわけだ。戦うということはそういう事で、沢尻エリカ嬢くらいの根性はいるのかもしれません。

■勿論、障害のあるライダーがバイクに復帰したこころでこれら諸問題が解決するわけではない。けれど各自の社会参加にワンステップにはなる。ライダーは「差別」を言わない。それを言ったら社会参加ではないわけだ。頑張ろうぜ!

多くの障害者問題に関する読み物でまず確かめることは、感情が入っているか、いないかである。勿論学者の論じるモノには入っていないドライである。障害者が書いたものは問題点でさえウェットに流れる、「このスロープが私と社会との接点なのに」と書かれても他人には理解出来ないし、「障害も個性やねん」となんて言われても心の底から「そうですよね」と言ってくれる人はいない。【言わしたろ】である。見えないギャップである。

■適性検査でどう対処する?上手く乗れるのを見せるのではない、それはその次の試験の段階である。合理的な改造集を提示し、確実で無理の無い操作を見せて、あとは個人差の技量しかないでしょう。だからその情報を集めればよい。合理的な判断材料を集める。

自動車は、凄く大変で、町工場では無理な強度計算書などがあり専門業者の独断場でしたが、バイクはブレーキなどは市販製品が多数ある。ステップ・ハンドル・ブレーキマスター、各スイッチ類、シート、電動シフターなどだ。

胸が晴れるスガスガしさって大事だね。その為には冷静で、熱くならないこと、そう、

be    COOL

障害者に勇気や希望を与えることは簡単だけれど、「バイクを乗るために安定した暮らしの為にやりがいのある仕事をどう見つければよいでしょうか?」という問いに対して、私は無力である。たかがバイクという意味である。

2007/10/30

日本の障害者は程度が低いか?アンタどう思う?

Lorez20girl

俺は、掌では踊らないよ!

【NEWS】より

障害者権利条約に署名=日本政府 :国連総会出席のためニューヨーク入りした高村正彦外相は28日、障害者に健常者と同等の権利を保障する国際条約「障害者の権利条約」に署名した。同条約は、障害者の権利保全に向け立法措置を取るよう義務付けており、113カ国と欧州連合(EU)が署名している

同条約の早期批准に向け、障害者差別を禁じるさまざまな国内法整備を求められる。

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アメリカが京都議定書を蹴ったやら、ブッシュ政権のイラク侵攻がどうのこうのより、もし日本が先進国というなら、人権や障害者など、自国民の「良心」に関る国際的な条約をやっと署名したのが今というのはどうだろうね?

これを正式に批准するには、日本の国内法を整備しなければいけない。つまり現行は・・・まだまだということだ。けれど急ピッチで各方面で改善はなされているのは評価しなければならない。 例えば「駅」、ホームにエレベーターが設置されたり、今までは駅舎内は良かったが一歩外に出ると、異次元の世界で車椅子ではアクセス出来ないなどの不備もあったが解消されている。

5年前、10年前と比べると障害者にとってアクセスは格段に良くなっている。高速のSA・PAは100%だし、大型SCも(障)駐車場は義務がある。

日本の障害者は程度が低いか?

低い人も高い人も人間社会だからいるだろうね。当り前である。私は低い方の代表であるが、【アンタは程度が低いね】と言える環境も大事だ。と同時に【程度が高い】を正当に評価しなければならない。何の程度もいい。例えば【学問】の程度が高いにしよう、そういう障害者の子に、差別無く受験出来、学習の補助があり奨学金があり、就職や研究が出来る環境も大切だということだ。

日本の国内法に障害者に関して制限・差別がどれ位あるか詳しくは知らないが、

それを変えるのが障害者が社会進出できる運動の第一歩であり、終点でもある。全ての根源であるということだ。

障害者欠格条項を失くすという意味はそういう意味だ

と比べて、障害者の「害」を「がい」に変えようという運動には個人的にはどうかな?と障害者個人として思うわけ、小異を捨て大同につけばいいと思うのだが・・・・・

我々、障害者は法律という掌の上で、踊っているのか?と問われれば、 「YES」だろう。

運転免許に関しては掌が大きくなりました(平成14年6月1日の道交法改正により欠格条項が見直されました) だから当たり前になったのです。いつも書いている普通ということ。誰でも努力すれば取得出来る。但し障害に応じた必死の努力は必要であるだけで、何の自慢にもならない。

障害者ライダー? 見れば判るよ!

義足のライダーも腕神経引抜損傷のライダーも全国に大昔からいる。もう時代は掌を離れてもっと、高く、広く活動をしている人が沢山いる。それは仕事でも、学問でもあらゆる分野に、ライダーならレースなどがそうだ。免許なんて小さな枠ではない。そういう時代なのだ。免許の種類やバイクの形式なんてどうでもいい。ライダーとしての大きさだ。それが本当の「プライド」ですね。GL1800とスーパーカブは等価なのだ。(購入価格は違うぞ)それを否定するならバイクなんぞ乗る価値は無い。本当に申し訳ない。

JDRAが今回、鈴鹿サーキットで安全講習会を開く意味ってのは、確かにあると思う。

これは法律で決まってもいないし、義務でも、イベントでもない、楽しくもない(STECの講習は10人が限度なのだ。)金も掛かる

BE COOL !       

2007/10/17

障害者道なんてないぞ!アンタどう思うね?

障害者は「こうあるべき」などという型は無いし、絶対に有ってはならないはずだ。昔は有った。暗い時代だ。「障害者は家の中、施設の中で誰にも迷惑かけず、ヒッソリと静に死ね」という考えだ。特定の病人は隔離され、監禁され・・・・・社会から忘れ去られる存在。

歴史をヒモ解けば、ナチス・ドイツでは断種手術も・・

当然、今はそんな時代ではないけれど、反動か?障害者ではなく「障がい者」にしろ、中には「障害」は個性だという馬鹿まで出現する始末。ナンじゃそれ?言葉狩り&言葉遊びである。自己満足の世界である。これを健常者が書けば、攻撃されるが、生憎、当方も障害者だ。何か書かれたら面倒なので「言論の自由」という伝家の宝刀で逃げるけどね・・・あんたら暇か?と聞きたくなる。

有ってはならないのは障害者ライダーの世界も同じだよ。

でも今回は、私に珍しく、百歩譲ろう!大盤振る舞いだ 聞くけどさ、その「道」は何処にあるね?これが「障害ライダーだ」ってのは?何なの?社会にあるの?社会の95%の健常者に理解できるモノだ。何処にあるね?

障害者の世界だけしか伝わらないモノってインチキでしょう?

勘違いした障害者が健常者と同じことして「障害が有ってもやりました!」ってのは俺は恥ずかしいわな、希望を与える?TVでも充分です。、問題は生きる力そのものは無理ってことなのさ。現実にやりがいのある仕事と普通の暮らしは与えられない。だから夢と希望だけ・・・

何を遠くに求めようと自由だが、いつまでたっても探せないよ、そして世間を恨むか?結局自己満足じゃありませんか?

それは心の中にあるんだよ。だから皆、黙ってるのさ。「無いのを知ってるから」

「障害者ライダー」って無いのが当たり前で正常な社会ですよライダーはライダー。

こんなつまらないことで必死に有名になりたい人は申し訳ないけどね。障害者ライダー大昔からいたよ、どんなに調べても出てこないよ、統計とってないからデータベースにない。けれどみんなの身近にも雑誌にも古くから載ってます。

2007/10/15

障害者は鬱陶しいか? アンタどう思う?

Lafave_debra_bike

世の中に、障害者の「」の字が気に障る人がいるようで、「がい」にせよと主張する。社会から見れば正直、鬱陶しいと思われてるのだが、本人は正義感や義務感あるから、こらまた大変です。

漢字表記やめれば健常者になれるとでも?

俺はそんなものはどうでも良いと思ってる。前にも書いたけどね、「片輪モノ」でもOK!けれど、現実社会でこれを真面目に主張されたら健常者はかなりの確率で引いてしまうのではならろうか?障害者を障がい者?次は「障」もいけないくなるね、きっと(笑)

世間によくいる慎重に表面だけ言葉を選んで心の底から差別しているヤツより、そんな表記など関係なく心に壁が無い人のヤツを俺は選ぶね。アンタどう思うね?

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・これこそ差別だろ・なんで障「害」者って認識なんだ・しょうがない者

・それ言ったら「障」もダメだろう・漢字表記やめれば健常者になれるとでも思ってるの?・これを考えてるのは健常者、支持してるのは障害者の家族 、障害者本人はどうでも良いと思ってるんじゃないか、俺みたいに・・そのうち、病人をびょう人になるな・・電波障がい・障がい物競争も危ないな

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俺は上記の通りだと思うよ、もし、これを健常者が書けば「障害者の気持ちがわかるか?」「障害者差別」と障害者から書き込みが来る、・・・判るわけがないだろ、判りたくもないよね
 
何で毎回毎回、そんなセリフを吐くのか俺には全く理解出来ない。全て気持ちで解決するなら、俺も六本木ヒルズの事務所に行って「住めない者の気持ちになってこのビルを建てたのか?」とゴネてみたいね。で一部屋貰えれば。。。
「障害者の気持ちがわかるか?」は恐らく100%、「私の気持ちがわかるか?」だろう、きっと自分に不利な状況に違いない。まさか宝くじ当選した時は言わないだろう。だからなんなんだ?決して障害者全体をさしているわけではない。一個人の問題を、社会問題にすり替えるのはよせ。

障害者を批判すれば「差別」という自体が既に異常ではないか?何故それが禁じ手なのか?それこそ障害者を障害者の枠に閉じ込めて「弱者」に固定しているのは障害者自身だということの根本原理ではないか?

障害者が障害者を批評することは、「障害者差別」という阿呆の一つ覚えの封じ手になるんだぜ、案の定この前掲示板で批判されたけね。おれは100%障害者ではない、たった脚が1本ないだけ、1/5不満足な人。

障害者だって年に1.2回は海外旅行にゆき、スポーツカーに乗り、NHと遊んで、バイクも乗ります。無駄使いもします。エロDVDも見ます。障害者でも、能書きの多い不味いソバ屋は嫌いですし、餃子の王将には行きません。

障害が有っても山登りを趣味とする人はいる、彼等は勿論、登山ルートに障害用スロープがないことも、バリアフリーでもないことも知っているし、点字ブロックもエスカレーターないのも知っていて登ってる。叫ばない。まさか富士山に障害者用スロープの必要性をアピールする為に登ってるアホはいないだろ。どの山でも頂に立てば、ただの登山家である。それがいい。

毎回頂上で「障害者」をアピールする人もいない。結局はその人の障害に値すればいいだけ、ある人は5時間かかり、別の人は10時間かかった。それだけ・・・・その価値はその人の中にある。

障害者?  見れば分かるさ・・

俺は、障害者の「害」はイケないていう障害者の思想は、富士山の頂上でバリアフリーの必要性を叫ぶよりも滑稽なことと思っている。そんな事で社会が動くなら楽しいけれどね。その内、「芸者」は女性御座敷伝統技能伝承者に、「エテコ」は「猿」と言わなければならないよ。一事が万事こんな風なら、確か確かにに障害者様は鬱陶しいぜ!

障害者ライダー? 見れば判るよ

バイクで走る道も結局は「山」と同じだと思うよ。「障害者でバイク凄いだろ!」ってネジが緩んだ野郎はもういない時代。   誰でも誰かに生きる希望は与えられるさ、それは宗教でも、本でも芝居や映画でも簡単に出来る、問題は「生きる力」そのものは無理ってことだ。 だから同じこと(お涙頂戴もの)の繰り返しなわけ・・

時代が変わったんだよ、良いか悪いかは、もっと重度の障害者に聞いてくれ、

当分は皆(俺も)がポーズで障害者新法反対を野党よろしく叫ぶけれど、どこかにメリットもある。共生社会の意識ってのは俺は「IN」。 何がナンでも「out」ではない。政治の世界ではこれは裏切り者になるな、【共生社会】いいじゃないですか?そういう時代に「がい」がどうのこうのてのは「OUT」ね。

障害も軽度から重度まで症状もさまざま、けれど、バイクに乗ろうとする人が「てめえ」の態度・対話能力の無さを棚に上げて、適正検査で、こんなセリフを吐いちゃ絶対ダメだぜ。「障害者全体の為」と能書き言うなら、免許取ったらさっさと返納しましょう。「個人」の為じゃないことを世間に証明してくれよ、で2度と取るな、百害あって、アンタの一利の為?

反論もあろう、一つ提案だ、適性検査室や役所に同じ障害者の係官・職員を配置すればいい、そうすれば、この常套句「障害者の気持ち云々」は出せないはずだね、それ以後何を発言するかだ、正論と思った主張が相手が変わったら行使出来ないのはオカシイですね?オヤオヤ?結局その程度の脳味噌で考えてるってことだ。

障害者が常に正しいわけがない。同様に常に負け組でもない。障害者を「障がい者」などと主張することは、傲慢ではないか?自ら弱者と決め付け全て被害者意識でのみ物事を計り動かそうとする「障害者王国」の王様の専制政治だ。今は、ゴネりゃ何でも通る時代ではある。 こんな主張がまかり通るなら、日本はすべて「ひらがな」表記のアホ文化になちゃうぜ!!!「子供」は「こども」らしい、なぜなら「供」はお供だからだって!、付属の意味だからって本気て言う馬鹿もいるんだ、失礼、「バカ」もいる。(馬さんと鹿さんを差別しました)本気って言ってるだから始末が悪いぜ!

真面目に書いてるんですよ!本当にいるんす。

アンタどう思うね?「売春」を「エンコー」、「定職がないアルバイト」を「フリーター」と呼んでも実態は変わらない。けれど「こういう小さな不正から社会を正していかないと」なんて反論が来るんだよ、暇だから・・。社会はそんなに暇じゃないって。カンベンして

秋になり「秋桜」は桜に迷惑がかかるから「コスモス」って書こうね。馬鹿は遍在する。

Bike930001

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適性検査で必要なモノは

①車両も用意してダメでも自分の責任で収めれる覚悟は必須(これもないのに、事故が有れば自己責任なーんて言っても、誰に信じてもらるの?)。いいかいバイクは道楽だぜ、300万かかろうが400万だろうが誰も関係ない。大人ってのは、片道10時間掛かれれば「それがどうしたの?イヤなら止めれば」しかないんだよ。モノ(この場合バイク)も決めてないのに、相手を納得させれるわけがない。その覚悟だけで障害者問題はあまり関係ない。

よーく、考えてごらん、300万かけて用意されたモノを断る先方の方が勇気がいるんだよ。

障害者ライダーは大昔から沢山いるよ、皆さん、多少の苦労を当たり前に頑張って取得したり維持したりして来たんだ、法律で規制されていても当局の配慮により上手くやって来ました。平成14年に法律が改正になってから、逆に傲慢な障害者が増えたとは当局のお言葉だべ、何を意味する?一度、真面目に考えたら?

勿論、俺は障害者側の味方さ、でも障がい者様には躊躇する。(引いてしまう)

②挨拶

③笑顔

プライドを持つことは「障害者」とは関係ない。「障害者のプライド」なんて世間では通用しないよ。もう障害者だけの社会ってのはよそうぜ、

障害者は鬱陶しいか、そうでないかは、アンタが判断すればいい。

JDRAは障害者団体じゃねからね。

2007/09/29

車いすの指揮者

宮野谷義傑さん(MFL管弦楽団常任指揮者、ざま弦楽アンサンブル常任指揮者)

 
宮野谷義傑(みやのや・よしひで)氏プロフィール:
1975年3月11日、ニューヨーク生まれ。帰国後すぐ、2歳の時、交通事故に遭い脊髄損傷となる。高校時代に指揮者を志すことを決意し、独学で指揮を勉強する。 現在、MFL管弦楽団常任指揮者。ざま弦楽アンサンブル常任指揮者。ウィーンに在住。

 ⇒ 宮野谷義傑さんのHP 
   http://www11.plala.or.jp/miyanoya/

2007/09/28

「年金不支給は合憲」と上告棄却 最高裁

良く分からない判決です。裁判官ってのは、書類しか見てませんし、社会経験は殆どゼロな人ばかりですから困ったものです。家族に障害者がいるとかだと違う判断でしょうね。今の制度はどなんでしょうか?20歳以上でフリーターで障害を負う方は今はどうなっていますか?私の場合は、以前は特別障害金を500円頂いてました。今は無いです。まあシャレだったのでしょうね(笑)

*******************NEWS*********************

<無年金障害者>「年金不支給は合憲」と上告棄却 最高裁

9月28日20時25分配信 毎日新聞

 20歳以上の学生の国民年金加入が任意だった91年4月以前に、未加入のまま重い障害を負った東京、千葉、新潟の元学生らが、障害基礎年金の支給などを国に求めた2件の訴訟の上告審で、最高裁第2小法廷(津野修裁判長)は28日、いずれも上告を棄却した。「法の下の平等に反し違憲」との原告側主張に対し、判決は「国会の広い裁量の範囲内で合憲」と退けた。原告逆転敗訴の2審・東京高裁判決が確定した。
 全国9地裁に起こされた学生無年金障害者訴訟で初の最高裁判決。社会保障制度に関して国の幅広い裁量を認めた従来の判例に沿った判断で、残る7訴訟でも元学生側の違憲主張は退けられる見通しになった。
 原告側は、当時の国民年金法を巡り(1)同じ未加入でも、20歳未満で障害を負ったら支給され、20歳過ぎだと不支給(2)同じ20歳以上でも、学生以外は強制加入なので原則支給され、学生は任意加入が必要――などの規定が「平等に反する」と主張した。
 判決は(1)について、所得保障の必要性が高い20歳未満の障害者に限り、保険料負担なしに支給する例外的な制度と判断。(2)でも、保険料負担や加入の必要性・実益などを考えて学生に判断を委ねた仕組みだと指摘。いずれも「著しく合理性を欠くとは言えず、原告側が主張する差異は、不当な差別的取り扱いとは言えない」と結論付けた。
 原告は東京、新潟両地裁に訴えた男性5人(47~40歳)。1審は04年、「不平等の救済措置を怠った立法不作為は違憲」と述べ、1人700万~500万円の賠償を国に命じたが、2審は05年、請求を棄却し、原告側が上告していた。
 一方、広島地裁に起こされた訴訟について、最高裁第3小法廷(堀籠(ほりごめ)幸男裁判長)は28日、判決期日を10月9日と指定した。請求棄却の広島高裁判決が確定する見通しで、これで違憲判決が出た東京・新潟・広島の3地裁の原告は全員敗訴することになる。【高倉友彰】
 
【無年金障害者】 国民年金未加入時に重い障害を負い、障害基礎年金(1級で月額8万2508円)を支給されていない人。(1)制度改正で強制加入になる前に障害を負った学生(推計4000人)や専業主婦(同2万人)(2)国籍要件撤廃前に障害者となった在日外国人(同5000人)(3)加入義務がありながら未加入・未納だった人(同9万1000人)など。(1)は、05年に創設された特定障害者給付金(1級で月額5万円)による救済対象で、今年7月現在、学生3737人、主婦3656人が受給している。

2007/09/25

若き障害者諸君に・・悲しみの生姜丼を

Bikesharpened

【1】ドアを蹴れ!  蹴りまくれ!

社会は誰かが、あなたの為にわざわざドアを開けてくれる場所ではありません。今の部屋から次の部屋に行くには、沢山のドアを蹴って、開いてくれるドア、鍵が掛かったドアを自ら確かめ、何百のドアの中から、やっと一つ開いてくれるドアを見つけるのです。ドアを蹴るパワーもないときは、ノック

自ら行動しない限り何も変わりません。現実の世界とインターネットは違います。ネットの前に100年いても何も体験できません。コンピューターの電源切ることも必要かもしれません。

各市に障害者スポーツ大会があるらしいが、これでさえ御案内がくるわけではない、参加しようとするなら自らの意思で行動しなければならない。私はNo Thanksです。わざわざ障害者の法則に嵌る必要もない。わざわざ障害者にならなくてもいい。ドアを必死で蹴りまくれ!

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【2】少年老い易く、学成り難し。

TVを捨てれますか?勉強してください。本を読んで下さい。海外に行くのもお勧めです。海外で何か有った大変ですね、それが体験です。何も無かったらつまらないですよ。どっかで野タレ死ねば、それも良し。バイク買う金が有ればチャンスはいくらでもある。

案ずるより生むが安し、西川きよし

何をするにも覚悟はいります。TVやインターネットは覚悟はいらない。そこが違う。ゲーム類は全て棄てたまえ!時間の浪費。  幻想だよ。棄てよ!

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【3】ノタウチ回れ

夜も眠れず、不安や悩みで苦しくて普通です。それは特別じゃない。それが普通の人。そして朝になると、また怠惰な普通の日が始まるわけです。何かしたいですか?じゃあ取り敢えず北の宗谷岬まで行けますか? 宿予約なんか要らない。宗谷岬の位置もルートもお金も情報も有りますね?行けますか?知ってると出来るとでは違います

行かない理由は沢山見つかるでしょう? 興味がない、楽しくない。意味がない。いかない理由は、いけない理由でしょう?

行く人は、現実に行き、思わず親切に出会い、思わぬ凄い美人やNHと知り合い、思ってもみなかった美味いモノに出会い、思わずパンクして思わぬ場所で寝て、思わぬ景色を見て、五感で感じて旅をする。サイフを落とす。ヤクザにおごってもらうなど計り知れぬことの連続だ。差は大きいですよ。do it now! 人生は予測がつかない事の連続です。何があるか判ったら、行動する意味がありません。

私が東京ネズミーランドに行かないのは、与えられた享楽はいらないからだ、あれはアホ文化。お金で買えるものだ。ユーロネズミーは赤字ですね、かの地には文化がある

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【4】自分を信じろ、「弱者の法則」に取り込まれるな

残念ながら、障害者でも宝くじは当たらないし、株でも損をだしますし、食中毒にも当たります。彼女にフラれることもあります。障害がネックかもしれませんね、一体それが何?弱者の法則に嵌るな、弱者の視点でモノを見るな!若者の視点で考えて行動すること。

出来ない理由を考えるな(それは行動しない口実だ)

そして自分のことで「障害者差別」などと軽々しく口に出すな。障害者差別を勉強しているか?一体貴方の何分の1が障害なんですか?脚1本ですか?1/5以下ですね。腕1本?1/5以下ですよ。車椅子の方は、大変ですね3/5?あたり?けれど思考の全てを障害者の視点でもな?

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【5】バイクは何時でも乗れる

誰でも能力さえ有ればバイクは乗れます。今までは法律で規制されていただけです。方法もわからなかった。情報を集めれば、誰でも乗れるのです。多くの方は乗りたくないか、興味が無いだけです。もっと他に、成すべき事はあると思います。バイク乗って問題が解決することはありません。けれど少しだけ先延ばしには出来ます。バイクの上では障害者ではないですから・・・・。先延ばしです。

今、Y字路に差し掛かり、方向を選らぶ時、安心して厳しく苦難の道を選んで下さい。答えはわかりません。そんな気がするだけです。「大変ですね、頑張って下さい」とは言われるが、「私が貴方を負ぶって頂上に連れて行ってあげます」とは言ってくれません。

甘えるな!けれど感謝しろ!  誰も助けてくれないことに・・・

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【1】~【5】を実行しても

【6】現実はキビシイ

けれど私が六本木ヒルズにも住まず、薄紫のマセラティー乗っていないのは、障害のためではないように思う。貴方は元気なら一流プロライダーでしょうか?障害でレースしている方もいますよ。「もし・・・if」は空想の世界の言語。

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何かを変えようと思ってますね?部屋の中にいては何も変わらないが、出たところで、そんなに直ぐに、明日、変わるわけがありません。ノタウチ回って下さい。何年掛かるでしょうか?判りません。パソコンは要りません。海外でも不要です。無いと不安ですか?10年前も、20年前も、100年前も不要でした。有れば便利=無ければ不安の裏返し。

現在の八方塞がり(東西南北と、その中間、合わせて8方向ね)の状況でも天空は突き抜けて青い。下は地獄。毎日空を見ることもいい。それはNY・LDNに・・空は何処にでも繋がっている。今が不満で展開を図りたいなら、今の状況を棄てることです。出来ますか?出来ますか?

生きることにも、上手い・下手があるから、その人なりの生き方を探すのは大変だけれど

それ以上に【生きる力】をどう得るかはもっと難しい。

もっと判りやすく書こう。障害は有ってもバイクに乗ることや改造は多くの人に可能で簡単に言えるけれど、若い貴方から

「障害者ですが、バイクを乗る為に、まず安定した職につき安定した暮らしをするにはどうすればいいのでしょうか?」という問に対して私は全く無力である。ゴメンネ。

自分で考えるしかない、超難問だ、皆がそうだ。

宗教は「清く正しく生きよ」と教えてくれますが最近は「清く正しく餓死する人」が増えて来ました。

「清く正しく生き抜く」を障害児童の親はその子に与えたい。どうすればいいですか?

一体誰が答えてくれるのでしょうか?エルビスは歌う

Tell me, tell me that your sweet love hasn't died 

そうこう言ってる間に、ああ北極の氷が解け始めました今年は100万平方キロです。例年の10倍! グリーンランド経由の航路も可能らしい、さあ残り少ないよ、何とか笑っていようぜ、だけど吉野家で生姜を一杯取るのだけはよそうぜ、あれは乞食以下!下品の極み、悲しみの生姜丼だぜ

結論は、【生姜は程々に】

 

2007/09/16

自立 と 共生

【自立】 と 【共生】とは本来、相反する言葉ですね。よく考えると・・

自立した障害者

共生社会の中の障害者、ではどうでしょう。言葉遊びではなく、当事者ですね。

今の社会は初めの一歩が出し難いですね。再出発も難しい。

2007/09/15

バイオリン弾けた! 夢かなえた「筋電義手」

http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000557846.shtml

電動義手というのは、現物を見たことがないですが、駆動モーターの電力問題があるのでしょうね。この新聞記事は松本義肢の待合室で見ました。ネット版には写真がないようです。

ちょっと、嬉しくなるニュースです。

2007/09/08

新しい技術は、未来を開く

未来は新しい意識と共にある。

■  http://web.mitsubishi-motors.co.jp/evo/special/pdf/05_TC-SST.pdf

ツインクラッチの変速機です。これが発売されたら、多くの車椅子の若者が・・・・

危険とお思いですか?

単純に考えてください。家庭用ビデオゲームの車はで簡単に相当な操縦出来ます。でピアノ弾きますか? あなたは足でブレーキ・アクセルに慣れているだけなのです。飛行機は左右の方向舵はです。自動車はです。電車の制御はでします。

慣れは思い込みを生みます。仕方ありません。出来ないというのは勘違いなのです。

一度ジムカーナで障害者にブチ抜かれてください。きっと、次からは障害者もクソもない、

同じ土俵で勝負していると思われるでしょう。それが望むところです

「障害者です。頑張ってます」なんてのはもう今は必要ないんです。それは当然の努力です。「障害者です。バイク乗って凄いでしょ。」なんて人はいないのです。いいかげん当り前の時代にしませんか?その方法を情報として集めるだけで皆が助かります。

危険ですか? 「とても危険です。」

モーターサイクルは万人に危険です。じっとしているだけで倒れてしまいます。

障害があって尚危険じゃないですか?「はい、尚危険です。」 

その対処法? もっと安全にすることです。」障害が重く、支えられない人はサイドカーやトライクや軽い車重のモノに変えたり、障害に応じて質の良いパーツで、より安全で安定した操作性を求めます。これは50ccのバイクにブレンボを付けるという意味ではありません。今日のバイクより、明日のバイクが安全です。普通のブレーキより前後同時が安全です。否定する人は素人。いまや重量高速車には前後同時ブレーキは当然の装備でしょう。操縦性?よく技術の無い人が前後ブレーキ云々といいますね。自動車は前後別ですか?

BMWは早々に標準装備しました。今までの普通のブレーキを乗っていた人の突撃インプレでは違和感があるでしょう。雑誌のぶら下がり記事とはそんなものです。開発者やテストライダーの話を聞き分けでもなし。

ユーザー側の走行距離の違いもあります。片道500kmのツーリングの帰路、どれだけ集中力が残っているでしょうか?疲労感の蓄積です。メルセデスは疲れると運転出来ません、機械に拒否されます。それ程、対話が出来ます。日本のBMWユーザーってのは確かジジイが多いですね、けれど沢山国産を乗り継いで辿りついた結果でもあります。

ミツビシの話に戻ります。説明はココ  こういう車が増えることは楽しいですね。

そういう時代です。障害者も健常者も区別のない時代になればいい。モータースポーツの可能性ってそこですね。 障害者ライダーと決して叫ばないように、社会と乖離してゆきます。そんなドライバーいません。自分を囲う城壁をどんなに高く積み上げも中の人は変わらない。城壁のない時代が共生社会。

これからの若い障害者のあり方だと思う、そういう意識の転換点は、私はやはり乙武氏だと思うのだがどうだろう。社会の霧が晴れたように思えるのだが・・・。今一度読み返すと、暗い障害者の世界ではない、いつの時代にも必要な明るさがあります。

この雰囲気が好きなのです。

理想の障害者像なんかいらない。そんなチンケな城壁で守ってどうする。時代が変わってゆく、城の中にいてはダメなのさ。健常者と障害者を分けるラインを動かすのは、そんな事を意識しないで行動している人さ。

やがて技術は時代に置き去りにされるが、意識や芸術は時代を突き抜けることが出来る。

2007/09/03

成  仏 す る な よ !

「お前はまだ、障害者として成仏してないなあ」と、言われた話です。

知人で病気で両目を失明された方(私より随分年配)が、「なあ房舟さん、出た方がいいかんなあ?」と言われたので私は「そんな阿呆くさいモンは出んでよろしい」と答えました。

視覚障害者のドッジボールです。

人それぞれの考えでいいのです。小さく固まって障害者ですっていうものありますが、無理につまらないと思ったら参加しなくても良いのです。自分を小さな障害者ワクに閉じ込めなくても・・

私は「今でも、成仏してたまるかと思ってます。」

通常、手足を切断して、意識として立ち上がるまで誰でも数年から10年程必要とされます。その間に、精神的に落ち込む、社会生活上で数々の壁にぶち当たる。殆どんどの方が立ち直ったフリをしながら生きているのです。フリです。立ち直ったという・・。本当はここからですね、数年かかります。老練な医者なら知ってます。私は数年くらい・・。その数年の間で何でもしました。バイクなんか入院中に包帯グルグルで乗りました。病院の中庭を・・.。バイク買いにイギリスまで行きました。

そんモノです。だから「イキがって」る人を見ると結構笑えます。小さいなあと、どうでもいいことですが・・・、しかしJDRAまで連絡があり、途中で精神的に少しダウンし連絡が不能になった人達の方が多いのではないでしょうか?矛先を当方に向ける方も多い。時間が解決してくれるにしても膨大な時間です。だから、常にたかがバイクだと書いてます。

バイクに乗れることが復帰ではありませんもっと奥にあるもの。たかがバイクです。他の方法も勿論ありです。

今、日本の外科病棟には心のケアまでのサービスはありません。おかしくなったら精神科へです。凡そ5年から10年です。誰もが溝に嵌らないように・・。

けれど「無理に成仏することはない」

いつか霧がスキッと晴れるように意識が変わるときがきます。

2007/08/29

何か有ったら大変だ

「何か有ったら大変だ」

これは障害者を排除する時に使うとても便利な言葉です。皆さん覚えておいて下さいね。つまり障害者に何か有れば鬱陶しいことになる、或いは過去にそういう経験がある。けれど多くは障害者に対するイメージですね。

どっかの障害者が作った社会全体が持つイメージです。

現実の問題です。鬱陶しい事に書き込まれたくないから、止めてもらおうという行動は自然です。

個人の利益誘導の為に「障害者差別」をいう印籠をだした結果ですが、そういう時代は変わりました。いや変わらなければなりません。私達が変えてゆくのです。障害は権利や特権ではありません。このバイクという分野やモータースポーツにおいて健常者より安全というハンデキャップはない。

貴方も私も希望もしないだろう。だけど大義ではなく自分の不都合な時に言ちゃえば傲慢です。傲慢は弱者の慰めである

健常者の皆さん、ならびに役所の方鬱陶しい方が来たら

「あなたに何か有ったら大変ですから」で上手く対処出来ますよ。

私はその上いきますから、ゴメンネ。

2007/08/28

共生社会&バイクの関係

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政府が掲げる共生社会実現の「道しるべ」

・目指すべき社会の姿-5つの視点-
  1. 各人が、しっかりした自分を持ちながら、帰属意識を持ちうる社会
  2. 各人が、異質で多様な他者を、互いに理解し、認め合い、受け入れる社会
  3. 年齢、障害の有無、性別などの属性だけで排除や別扱いされない社会
  4. 支え、支えられながら、すべての人が様々な形で参加・貢献する社会
  5. 多様なつながりと、様々な接触機会が豊富にみられる社会

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勿論、障害者が多寡がバイクの免許取れること位で【共生社会】ではありませんね。そんな単純なら、いい世の中ですが・・・・.。同じ条件で暮らすということでもありません。身体的な条件が違うという前提がまずあります。そして、健常者が【障害者】に配慮するという一方的な譲歩スタイルでもありません。

社会構造が弱肉強食の時代に、障害者だけ【オリ】に入れて安全を確保すれば、その安全は確保されますが、21世紀の今、障害者も外に出たい人が大半だろう(比率は不明)しかし、報道ではオリ派からの政策にたいする厳しい不満ばかりが取り上げられますね。それだけ障害も重く社会参加出来ない状況もあるのですから、それは弱者の代表として意見は聞くべきですね。障害が重く社会生活が困難な方々は【帰属】する場所がない、あらゆる面で益々厳しい状況なのです。

バイク乗ってヨタってる我々が障害者の代表では絶対にありません。

JDRA趣味系・外派ですから障害の主流派からは、かなり遠いです。多分一番遠いかもしれません。それ故「障害者差別だ」と叫ぶ理論が存在し得ません。っま一番説得力はありません。

JDRAは「障害者じゃない」と言える場所でありたいと思ってるのです。(道路上では)。

今そういう障害者団体が増えてますね。HDXもそうですね。もう障害者がXXした、凄いでしょうってのは20年前に終わってると言われてます。バイクレース参加する人もいる時代です。障害?関係ないっすって時代・・共生時代の片隅で混じってやっている。

第一、バイク乗って「障害者」はないでしょう?そういう方は「障害者マーク」ペッタン貼って端っこを走りなさい。まさか事故の言い訳に「障害者」を使いますか?

じゃあ、何で障害者ライダーズという名称なのか?幼稚な質問ですね。何度も書いてました。日本語では形容詞が名詞の前に来ます。【WITH】を使うBikers   with   DisabilityとNABDが本来ですが、上手く出来ない。直訳で「ライダー障害付」ではおかしいでしょう。

確かに、障害者ライダーなどという名称がないずっと以前から、障害者欠格条項を失くす為に最高裁まで争った「樋下」さんの時代(70年代)は「差別の時代」でした。障害者を保護という為政者に都合の良い【オリ】に入れておかれた時代です。今(これから)は違う

進学や資格試験も取れる時代です。(趣味版でなくて・・) 本当の共生社会が始まってます。

ライダーなら決して「障害者差別だ」と叫ばない。それをすれば社会から乖離いたします。だから意識の基準を上げればいい。

2007/08/24

アナタは局地線をどう戦う?・・・     

■一部の障害者は自分の都合が悪い(利益に反する)と無闇に「障害者差別」だと叫びます(爆)、それを言っちゃお終いよ、中身が無し。一つの見分け方として一体誰の為に叫んでいるのか?を見極めればある程度見えて来ますね。自憤をこの言葉で表すのはいかがなものか?

幾らか屁理屈つけてこれが将来に多くの方に繋がるとか言っても所詮は目先の自己利益の場合が多いのでは?よく思うのです。差別があるならソレを具体的に言わないと相手にわからない。障害者は**団体ではないので、「差別」だと言って相手に利益を要求したり無理を言って、縦を横にしては絶対にいけないと思うのですが・・・。人間ですから自己の利益の戦いもあるでしょうが、それをまるで障害者全体を代表しているような発言は慎みましょうぞ。

社会・障害者全体の為なら正攻法が一応の基本でしょう「障害者差別」とは、とても大きな戦線ですね。組織力・戦術などが要求され社会に大きな影響を及ぼします。抽象論ではダメです。日々の勉強が重要です。

しかし、局地的な他人の為の戦いもあります。 

【局地線で戦う準備】

①「障害者差別」などと絶対に言わないこと。

②相手の話を聞くこと、相手の質問に答えること

③余裕があること。たかが局地線です。

【状況】「車椅子の生活」の方が通勤する。都会の駅前の職場、就業時間も以前と同じ、住んでいるのは田舎だとしよう。通勤電車は7時30分発。貴方なら通常通勤出来ますか? 私はここに意外と、「障害者問題」とか「共生社会」のあり方なとは仮想局地戦ですが見れると思うのです。

私なら、遠慮してしまうのです。多くの人に迷惑かな?ラシュアワーは避けた方がいいかな?とハッキリ言って、それは間違いなのですが、社会ですから多少の摩擦や遠慮が生じますね。

■それでは演習問題をしてみましょう。

常盤貴子似の車椅子の満員電車に乗って来たら、中にいたサラリーマン氏が舌打ちをして「わざわざ乗るなよ、こんな時間に迷惑だ」と聞こえるように言い放った。さあ通勤時間を楽しむ為にあなたはどういう戦いを挑みますか?満員近い電車内です。あなた1人の戦いです。

■回答 大きな声で電車の乗客全員に聞こえるように、理路整然と抗議せよ!

■教訓 他人の為には戦ってみる価値はある!   

■参考 この演習問題で常盤貴子似としたのは、個人的な趣向で、光浦靖子でもよいが、この場合、私が戦線に参加するかは微妙。

■【オペレーション】

「あなた今、この人に対して言ったセリフが正論だとでも思ってますか?これだけ多くの人がいる中でアンタ1人だよ(ここで全員を味方につける) 皆さん朝から満員でシンドイ、それは車椅子でも同じさ、遠慮もあるさ、けれど今の時代に、これを出来ないと結局、一生遠慮して暮らすことになる。あんたはソレを排除しようとするのか?「人」としてアナタは最低だと思う。たった1人分余計なスペースが気に食わないのなら、あなたは運転手雇うか 自家用ジェットで通えよ。手を貸してくれとか配慮してくれっと言ってるんじゃない、普通に乗ってることが当たり前だと思えませんか?タダで乗ってるんじゃないよ。何故これが我慢出来ないのか大人として説明しなさい。」

絶対に「謝れ」とは言ってはいけませんよ。こっちが正しいとは限らない

障害者とて遠慮して暮らす必要はない。しかし傲慢はいけない。傲慢こそ弱者の慰めなのだ。

「障害者差別?」  バイク乗って言う? 言う?

2007/08/23

法律の検索


国立国会図書館ウェブサイトより、調べものに使えるURLです。
現行法令だけでなく、法案や、廃止・失効した法律、政令等の検索、
串刺し検索などの機能があります。

日本法令索引 URL
http://hourei.ndl.go.jp/SearchSys/index.jsp

法令資料 目次のURL
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/Countries/Japan/Japan_horei.htm

       

2007/08/21

障害者ゴルフ

つい最近ゴルフに行きました。飛ぶは、飛ぶは、真っ直ぐに・・・

片足で全体に力が抜けて非常に素直なスウィングです。25年ぶりのドライバーでも空振りなしです。

さて、障害者ゴルフもあります。

バンカーなどで別ルールがあるのでしょうか?(私には関係ないですけど・・・)

これもいいですね。詳しくは下記のサイトで

http://www.dga-japan.net/

http://www.dga-japan.net/kiji-furuta.jpg

標語がいいんだ。

We are not down with handicap!

2007/08/19

HDXについて

このHDXはいいね。

障害者だけのスポーツもあるけれど、出来るなら一緒にやればいい。

【共生社会】の有り方。実は単純です。今は当たり前になりつつある。21世紀はそういう時代です。障害の有るバイクのライダーがいて当たり前、特別にすることが一番社会から乖離することなのだが、わからない人がいる。独りよがりっていうやつだ。自分の今しか見えてない。5年後、10年後を考えて行動することが大切だ。

このHDXも【共生】の思想だ。だから健常者も障害者もイコールコンディション。障害者のレースだけなら参加は少ないだろうと想像する。そうではなく同じということ。

障害者の方がテクニックが有れば、当然速い。誰にも何処にも言い訳がない。

もう「障害者」のワクを障害者自らから外す人が増えている。いいことだと思いませんか?

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【HDX理念】
楽しむモータースポーツ。障害者、健常者、そして青少年が、手動操作の車輌を使用して競い合う。誰もが同じ道具を使い、同じ条件で競争する。私たちは、活動をする中、あらゆる社会で「共生」が可能であることを実践・啓蒙しています。
積極的に青少年の競技への参加を促し、次の世代が共生の概念を自然に受け入れられるよう配慮し、また、共生を社会に浸透させることの一翼をHDX(ハンドクロス・ドライブ)の活動が担えればと考えています

全参加者は、ハンドドライブ装置付き車両を使用することが義務付けられています。HDX協会は参加者へのサポートとイコールコンディションを保つため、セルスターター付き100ccの規定エンジンを無償貸与しています。

競技には青木・生方選手も参加されています。両選手とも今は車椅子ユーザーですが、現役時代プロで300km/hで走っていた人の意識というのは、われわれ100km+αとは違いますから、バイクなんか当然どんなものでも簡単に乗れると思いますが,復帰の自己レベルが違うんですね・・。このHDXはスーパーGTの体制下&メーカーの援助がありますから、比較的お金もかからないです。(遠征費用は全国ですのであちこち大変みたいです。)

2007/08/16

これが当たり前になればいい。

英シェフィールドで15日に行われた陸上の英国グランプリ   (パラリンピックではない) 両脚が義足のオスカー・ピストリウス選手(20)が男子400メートルに出場。生後11カ月に両ひざ下を切断したピストリウス選手。両脚に障害があるクラスの世界記録を持ち、国際大会で世界のトップ級選手と走ったのは初めて。装着するカーボン繊維製の義足が不正な利益をもたらしているかどうか、調査することにしている。 「もし不正な利益を得ているという事実を発見されたら、走ることはやめる」と話していたピストリウス選手。レース後は「大会に出場することで多くを学ぶことができた」と振り返った。 

20070707_2

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■社会は変わってゆく、当然、障害者も変わってゆきますが意識として、

射程の長いブレないものをライダーとして持とうよ。
(ご存知ように去年と今年では取り巻く環境も随分違う)

街で「障害者」を見かけないのはあたりまえではない 

障害のあるライダーがいて普通の時代だけど、残るものは安全しかないんだ

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パラリンピックもその精神はとても大事ですが、もう一つ別の角度から見ると「障害者」という区別無く競合出来る分野も有ります。幾らでも有ります。アーチェリーもすぐ思いつきますね。聴覚障害なら何でも出来る気がします。記事ように、新素材の両足義足の方が健常者より速いということも既成の事実です。一般社会や就職の場面でも同じことが当たり前になればよいですね。 バイクでも同じ。一般論で言えば、障害者と健常者との身体能力は明らかに差があります。それを器具などで補助し少なくとも同等以上の能力を実現出来るなら、選択の場において区別がない社会の方が健全であると思いたいです。  つまり、そういう意識のもとで雇用の機会をもっと増大すればいい、そういう社会は勿論競争原理も働いてもいいと思うのですが・・。 そこで発生する不利な場面(社会では頻発する)でも障害者というだけで常に守られなければならない特殊な資格や権利でもないけれども・・・・・ね。どうも勘違いする人もいる。

■障害者を差別に追い込んでいるのは、実は「障害者自身」だという現実も一部にはある。(鬱陶しいから、大きな声では誰も言わないけれどね)。 或いは障害者が他の障害者を差別するって事もよくある。

バイクの世界をどうするか?私は当たり前にしたい。だけど障害のあるライダーの事故は絶対に無くしたい、それは健常者以上にダメージが大きいからだと何度もくどく書いています。健常者は事故していいが、障害者ダメというのは極論に聞こえるであろうが、JDRAはそういう上の意識で行きたいわけ・・・・だから自己満足サイトにしない。障害者が何に乗ろうと大したことではない(既にバイクレースに出ている方も多い)、凄いことは、何年後かに皆様が安全に乗っているという事実そのものだと思いませんか? つまり分母の大きさが本当の実績なのです。分子には意味はない。そういう長い射程の意識(安全)が全てなのです。

■社会の中で、 出来ないことの理由を「障害」にすれば、きっと楽だろうし、その人の個性って都合の良い言葉遊びすればそれまでだろう。       ところが 重い糖尿病にも拘わらず、行く先々の透析を手配しながら海外旅行する人もいる、一つの手違いは重大な結果を招くにせよ、家族や社会と共にある一つの姿勢として尊敬します。(例:ハワイ滞在の殆ど透析に行く人)

アメリカと単純比較ではないが、障害のある飛行機パイロットは約600人(古い統計)という、自動車の福祉車両なんか、TVドラマの鬼警部アイアンサイドの時代からあった。意識も、情報も、装置も、法もインフラも日本に既にあります。

あとは、障害者自身の【初めの一歩】が増えることです。特に若い人々が、色々な困難もありますが、大学などに積極的に出てゆくことが大事ですね。既に全盲の医師や全盲・失聞の東大教授もおられます。21世紀の日本ってそういうモノです。
もう障害者のバイク乗りなんぞ当たり前の時代です。
一般の意識として、街で「障害者」を見かけないのはあたりまえではない という事をしっかり根付かせたい。

バイクでの【初めの一歩】の方もおられるでしょう。どうか頑張ってください。 本人の情熱だけが全てだと思いますよ。
あなたの障害の苦悩に値する免許です。
大金でバイクを買って改造して、残念ながら適性検査に通らなかった。それは障害者差別ではなく、それは

全て立派に御本人の責任です。それが大人(=大丈夫)です。

大丈夫とは立派な男子の意味。(自分の責任はとる人) 

コミュニケーション能力がなく、電話の問い合わせで上手く行くはずがないのに愚行を繰り返す、また自分の意に反する結論をことさら怨念化(負エネルギー化)し、その時だけ「障害者差別」と叫べばもう立派なお馬鹿さん・・ガキです。

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障害者が「障害者じゃない」と言えるサイトはここだけだよ!(道路では)

★一昨年より、お知らせの通り、意識レベルを1段上げて、書いてます。ハードルを一段ね、それは皆に厳しいことでもあるわけです。私自身も勿論、初めてJDRAを訪れた方は特にそう思われる方もおられるでしょう。けれど障害者は権利や資格ではない、バイクもだ、共生するってことは、そういうことでもある。

2007/08/15

【下品】を通り越すと【滑稽】

■障害者施設へ勤務する車や、障害者を搬送しない時でも障害者マークを誇らしげにして障害者駐車場に止める方々がいる。便利だからだ。否定も肯定もしない人間なんて所詮は・・

■地元の大きな商業地域の駐車場で観察していたら、障害者マークの車が、空いている入り口近くの障害者用スペースに止まった。しかし、中から降りてきたのは障害者ではなかった。 皆さんも最近よく見かけるであろう風景だと思います。

障害者マークがあちこちで購入出来るようになり、ニセ障害者が当然ながら増えた。世も末である。 人間として【下品】と通り越し【滑稽】ですらある。仮にこういう若者に注意しても「迷惑かけてないじゃん」「あんたに関係あるの?」「ウザイ」というお決まりのパターンしかないから非常につまらない。つまりこれ以上進まないのだ。一発でも私を小突いてくれたら、素敵な結末を用意したげられるのに・・・

■しかも、この商業施設の店内放送の殆どは、障害者スペースへの配慮を呼びかけているにも拘わらずこの有様だ。話は飛ぶが学校給食費も払わない親の言い草と同じ感じだ。「頼んだ覚えはない」「まずいそうじゃないか」「食ってやっているんだ」等々。

■今日、終戦記念日に、総理大臣が靖国参拝を決断出来ない国家はいかがなものか?情けないのは今日まで態度を表明せず、結局は行かないことだ。これはもう【滑稽】と通り越している。小学生が先生に「尿意」を伝えられず、「おもらし」するくらいの幼稚さだお思うが・・・

■【障害者】がバイク乗ってどうだってのも、気を付けないと時代の方が先に進んで、もうすぐ【滑稽】に到達する。気がつかないのが最も滑稽。去年と今年では障害者を取り巻く環境も意識も違う。

2007/08/13

障害者のバイクレース参加について

■基本的には【共生社会】を目指す視点から

社会の各分野で垣根が取り払われ、障害者が参加出来るようになることは同時に今までの慣習との摩擦を生ずることにもなります。現在も少なからず障害を持ちながらバイクレースに参加されている諸氏には頑張って長くやってゆかれることを望みます。
そして今後も増加するであろうバイクレースにおける障害者参加について問題が有るなら提議してゆきたいと思います。この主旨は同じくカートレースや自動車レースでも同じく障害者のモータースポーツが急増です。私はここで最下段の「1a○」という立場で書いてゆきます。JDRA(日本障害者ライダーズ協会)の書き込み(07-06-17)にも有るように、

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■障害があるライダーがバイクレースに参加する場合に今後トラブルが増えることが危惧されます。今まで、規則(レギュレーション)障害者に参加は想定して無い。それが今までの常識であり、仮にもし今後、障害者レーサーを起因とする事故が発生すれば、安全対策のレギュレーションとして障害者には厳しい制限が加えられる可能性もあり、ただ、一度禁止事項に加えられたものを改善するのは大変苦労することではあります。

■レース運営者レギュレーション(規則)が有るなら参加者それに従うのは当然であり、もし、当該運営者が障害者をレース参加を認めないなら仕方ない、彼等にそれだけの理解がないのはライダーとして非常に残念であり相互理解が出来なかったことであります。
付随して発生する電動シフターや各種改造についても、未だ明確な範囲が決まっていませんので今後の発展的な判断に期待します。F1などの歴史的経過をみると、空力にせよ、電子デバイス登場にしろ、その飛躍的向上に、競争力が劣るチームからは意義が申し立てられることになる。これは当然でもあります(プロは文字通り商業ビジネスですから)、詳細も報道でよく伝えられるが、大事なことは、誰(チーム)がどういう理由で意義を申し立てているか明確にすべきである。それがスポーツマン精神であり公正な判断が試される場所でもあります。匿名にすれば問題点がぼかされ、対処や話し合いの機会も失ってしまう。果たして20チーム参加の19チームなのか、1チームだけが意義を申し立てているのかでは大きく判断が違う。他チームへも問題提示がぼかされる。

■解決方法は相互理解を努力促進すること。そして明確な立場でハッキリ意見を言うことです。レース運営者は、ミーティング時も含め、機会は沢山あり公正な判断や告知をすれば大方の問題は解決出来ると思います。
互いに健常者・障害者は敵ではない、共にモータースポーツを楽しむ同士。同じライダー同士である。安易な排除こそ慎むべきではないでしょうか?

■一方、健常者(便宜上区別します)ライダーからの観点で
単純に素直に「大丈夫?あれで」という驚きはあると思います。例えば、片腕が機能しないライダーがポケットに手入れてレースしていて不安を与えるというクレームが有った。という書き込みがありました。これは、ある意味、私は理解出来ます。接近戦を躊躇するなり、余計な事も考えてしまうかもしれません。この片腕が機能しないレーサーの技量や自己責任は外には見えません。全くの部外者から見れば、「なんや、あいつ片手で運転しおって」という感情論になる可能性も否定しません。
ただ、予防法は幾つかあると思います。ミーティング段階でレース運営者に紹介してもらう、自ら、または監督が各チームに面通ししておく。

■障害者ライダーの立場から見れば、
ライダーという意識も、モータースポーツの厳しさも判っている、障害を持って種々苦労してきた。安全の大切さも充分理解しているのに・・という思いはあります。もし禁止条項を加えるなら合理的な理由は提示してもらいたい。各チームの投票結果でも良い。
モータースポーツである以上、公正な戦いはしたい。
社会の各分野で障害者という壁がなくなりつつ時代に、逆行するのは如何なものでしょうか?

【総論】
当事者で相互理解に努力することは必要で、感情論になれば解決が難しくなります。
確かに障害者側は多少なりとも現状では、多少の不満があるしょうが、その問題はサーキット関係者やレース主催者側と粘り強く交渉し話し合うべきです。

レース大小を問わず、多くのレース運営者側も当然戸惑っているものと思います。
他のチームから安全にレースできないと言われれば直ぐそちら側に反応するのは運営者として当然の処置です。一度禁止事項に加えられたものを改善するのは大変苦労することではありますから、関係各位お願いいたします。

運営者側から一番聞かれるセリフは、「何か有ったら大変だ」だと思います。
先手打って「責任問題について一筆入れておく」事も出来ると思います。

何れにせよ、障害者側から「障害者を差別する」という抽象的で時に感情的な言葉を発すれば、自らを障害者としう枠に押し込めることにも繋がります。それは運営者側の「安全の為」という具体論がない感情論との応酬にに終始します。

つまり、話し合いの場において、障害者側が「障害者差別」だという言葉を発すれば、

レース運営者側は「レースの安全な運行の為」だと言い返せばいいわけです。これ以上話は平行線になりますね。これで問題の解決になるとは私を含め誰もは思わないわけです

どちら側でも「問題が提議された」のなら真摯に話合いましょう。具体性のない感情論では将来がありません。

レースは危険なスポーツであることは誰が参加しようとも変わりはありません。

バイク乗って障害者差別云々という中身のない怨念より、当事者が問題にむけ真剣に話し合うことが共生社会である将来にむけて、後に続く人達にキチンとした道筋をつける必要性はあると思います。

全ての障害者がレースに出れるわけでもありません。そしてレースの障害者部門を作るべきはありません。コンマ1秒を公平に争う為に汗をかきたい精神を保ちましょう。障害者ライダーが「障害者ライダー」だとアピールすることは、社会に逆行することが当初から唱えております。

*****************************************************************************************

稚拙な文章ですが、レース運営者様のお目に止まれば幸甚です。私自身はレースをしない為、勘違いをしていることもあります。レースに参加しようとする方は頑張ってください。

話し合いが出来ない、コミュニケーション出来ない方はレース参加の条件が設定できないので問題外だと思います。

【参照】JDRA掲示板
2007年6月17日付け 
DABさん、熊本在住者様の記事より

【立場】
  1  ・障害者レーサー&ドライバー側
  2  ・レース運営者側
  3  ・その他(他レーサーでも第3者でも)
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  a  ・障害者
  b  ・健常者
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  ○  ・基本的に賛成の立場
  ●  ・基本的に反対の立場
***************************************

ご意見有れば宜しくです。

参考http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/mon/50711.html