フランシーヌ様が笑っている
私は夢を見ているのだろうか
今まで眠った事など無いというのに
見ろ
ドットーレ
コロンビーヌ
パンタローネ
「なんだ・・・見ているじゃないか・・・」
嗚呼
なんと神々しいのだろう
なんと美しいのだろう
我々はとうとう・・・
キリキリという、駆動音がする。
聞き慣れた音、己の駆動音だ。
閉じていた目を開けると、暗い部屋に寝かされているようだった。
ご丁寧にベッドの上で、寝かされているらしい。
「む・・・?」
布団の中の人形は体を起こす。
ボンヤリとした暗闇の中とは言え、自動人形には暗視機能も付いている。
見渡すと、どうやら人間の民家のようだった、作りが妙に古くさい事に違和感を感じた。
「どこだ・・・ここは?」
人形は最後の記憶を辿る。
自分はブリゲッラに敗北した。
ミサイルによる攻撃で致命傷となるに充分な傷を負ったはずだ。
フランシーヌ様をお守りするために。
加藤鳴海は、ブリゲッラを撃ち倒した、もう一体の敵、ハーレクインも。
這うようにして辿り着いたあの教会で信じられないものを見た、フランシーヌ様の笑顔。
あんなに美しいものは、初めて見た。
「私は、何故・・・」
己の全身を確認すると、吹き飛んだはずの半身がある、どうやら自分は誰かに修理をされたらしい。
「一体・・・」
誰が、何の目的で?
考えながら再度部屋を見渡してみる。
見慣れた物が沢山並んでいる、人形だった。
少女の恰好をした物が多い。
「自動人形ではないようだが・・・」
「オートマータ?何の事かしら、貴方の事?」
ガチャリと戸が開き、少女が部屋に入ってきた
「本当に、目が覚めたのね・・・」
「お前は・・・何だ?それにここは・・・」
「あら、命の恩人にお前は誰ってずいぶん失礼な話ね」
そう言うと少女は人形の肩にそっと手を置き、じろじろと観察するように各部を眺める。
「本当に、自分の意志で動いているのね・・・驚きだわ・・・」
人形は、黙って少女の成されるが侭にされている。
人間を傷つけるな、と命令され、それはまだアルレッキーノの中では生きていた。
「目を覚ましたのは良かったわ、名前もわからなかったから、私はアリス、アリス・マーガトロイド、貴方は?」
問われて、人形は答えた
「私は・・・アルレッキーノという」
「アルレッキーノ・・・」
そう言いながら少女、アリスはアルレッキーノを見つめる
「素敵な名前」
そう言って少女はアルレッキーノに向けて微笑んだ。
「ところで此処はどこなのだ」
聞かれたアリスは、やっぱりというように、一つ頷いてをから、答える。
「ココは幻想郷、それがわからないってことは貴方やっぱり外から来たなのね」
そう言って指で中空に幻想郷と書いてみせる。
「幻想郷・・・?それは・・・地名か?私はロシアに居たのだが・・・?」
「外の世界とは切り離された場所なのよココは・・・どうも外の世界っていくつもあるみたいだけど、貴方もそのうちの一つから迷い込んだんでしょ」
アルレッキーノは、理解の及ばない現実にしばし黙考する、世界中を旅してきた自分の記憶の中に、そんな名前は見あたらなかった。
その中で、フランシーヌの事を思い出す。自分が使えるべき主。
「フランシーヌ様は・・・いやエレオノール様はどこだ!?」
「エレオノール?ひょっとして貴方が元居た世界の人物かしら?」
「こうしてはおれん・・・」
キリキリと全身を駆動させ、アルレッキーノは立ち上がる。
「ち、ちょっと。待ちなさいよ」
立ち上がり、外に出ようと戸に手を掛けたところではたと立ち止まる。
エレオノール様は笑顔を手に入れるが出来た。
我々は疎まれていた。
何よりも、エレオノール様の傍らにはあの男がいた。
「そうか・・・私は役目を終えたのか・・・」
与えられた目的、フランシーヌを笑わせるという命題は達成された。
自分ではなく、加藤鳴海の手によって。
ならば自分の存在意義はもう無いのだ。
そう考えた時、全身が震えだした。
「あ・・・あ・・・ああ・・・・」
がくがくと膝が揺れ、体が動かなくなる。
これが、気分が悪いという事か、と考えた。
ドットーレの事を思い出す、存在意義を自分で否定した愚かな男。
「ちょっと!どうしたのよ!?」
アリスが駆け寄って、両手でアルレッキーノの肩を掴む。
「人形は・・・何かに操られなければ・・・存在・・・する理由がない・・・のだ・・・私は役目を終えた・・・だから・・・」
「冗談じゃないわ!せっかく苦労して直したって言うのに!」
「わ・・・たしの・・・仕えるべき・・・方は・・・もう・・・」
「なに!?誰かに使われればいいの!?だったら貴方私に仕えなさい!!せっかく・・・私の夢が・・・!」
この少女に仕える?
馬鹿な、そんな風に私は造られてはいない、あの御方以外に、私の仕える相手など・・・
そう考えた時、声が聞こえた
「人間を傷つけるな」
この少女は、今私が活動を停止したら悲しむのだろうか。
先ほどまでの冷静な印象とは打って変わった様に動揺している。
涙目になりながら自分の体をあちこちいじっているこの少女は、傷ついてしまうのだろうか。
そう思った時、急に体が楽になった。
また声が響く。
「必ず戻ってきなさい」
戻りました。私は、あなた様の元に、そこで見たのです。あなた様の素晴らしい笑顔を。
いや、拝謁をしていない、私はエレオノール様に帰還の報告をしていない。
そう考えると力が漲ってきた。
私はまだ命令を達成していない。
「そうだ・・・私はまだ・・・」
体の震えが止まり、気分が楽になる。人間の言う病気という感覚はああいう者なのだろうか。
「どうしたの!?ねえ、大丈夫なの!!?」
アリスがアルレッキーノの体をがくがくと揺さぶる。
「ああ、大丈夫だ、私にはまだやらねばならぬ事がある」
「やらなくてはいけない事?」
「そうだ・・・エレオノール様に帰還の報告をしなくては・・・パンタローネと一緒に・・・」
「パンタローネ?」
「そうだ・・・たった一人になってしまった・・・私の友人と帰らなければならない」
そう言われてアリスは黙考する。
人形とは言え、他者に無理矢理言う事を聞かせるのは趣味ではない。
そもそも人形という存在を大事に思っているからこそ自分は夢を持ったのだ。
「わかったわ・・・貴方が外に出たいのならば協力してあげる、ただ、取引しない?」
「取引だと?」
「ええ、貴方はこの世界の事を何も知らないでしょう、色々と教えてあげるわ、その代わり、貴方の事を私に教えて欲しいのよ」
「どういうことだ」
「私にはね、夢があるの」
そう言うとアリスは右手をくいっと上に上げる、すると周りに居る人形のうちの一体がぴょんと飛び上がり、アルレッキーノの肩にちょこんと座り、ぺこりと挨拶をした。
「ほう、懸糸傀儡か・・・」
「貴方の世界ではそんな呼び方をするのね、私はこの子達に命を吹き込んであげたい」
「それで、私の体か」
「そう、お願い、貴方と同じように自律出来る人形が出来るまで協力して」
「ふむ・・・」
アルレッキーノは考える、目前の少女は切実な目をしている。
きっと大願なのだろう。
自分は彼女にとっては夢なのか、ならばここで断る事は出来ない、傷つける事を禁じられているのだから。
「わかった」
「本当!?いいのね!?」
「ああ、約束しよう、私はお前に協力する」
言われたアリスはアルレッキーノに抱きついた。
「ありがとう・・・ありがとう・・・これであの子達もきっと・・・」
そう言って涙を流す少女の顔は、そよ風に波立つ湖面に映る、星くずのように煌めいていた。
「お前は・・・鳥は好きか?」
「鳥?嫌いではないけれど・・・」
「そうか・・・」
アルレッキーノは抱きついたまま涙を流すアリスの頭に手を置き、不快ではない気持ちに包まれた。
「じ・・・じゃあとにかく今日の所はもう遅いからお互いの情報を交換しましょう」
良くわからない質問をされて我に返ったのか、アリスが恥ずかしそうにアルレッキーノから離れる。
「うむ、わかった」
一人と一体は、テーブルに座って会話を始めた。
アリスは幻想郷のことを説明する。
外の世界で忘れ去られた者が集まる地、それ故妖怪や怪物なども存在し、人間は弱者であると言う事、結界によって世界が守られている事などを話した。
「ふむ、ではその結界とやらを抜ける事が出来なければこの世界の外には出られぬのだな」
「その通りよ、そしてそんな事が出来るのはこの幻想郷にも何人もいないわ」
「その、スキマ妖怪とやらか」
「ええ、でも所在を掴むのは中々大変なの、特に寝ている時には探し出すのは先ず不可能ね」
「まあ良い、時間はある」
エレオノール様はしろがねだ、長い時を生きる、そして危険からはナルミが守ってくれるだろう。いつか帰る事が出来ればそれで良いと思った。
アルレッキーノは自分のいた世界の事を説明した。
自動人形としろがねとの争いの歴史、ゾナハ病、そして自分自身の体の事。
「つまり、貴方も人を沢山殺したりした訳ね」
「そうだ、お前は私が恐ろしくはないのか」
「こんな世界で生きていればね、珍しい話じゃないわ、それに、今はもうそんな事は出来なくなったのでしょう?」
「ああ、ご命令を賜ったのでな」
「それよりも、その、貴方の疑似体液って言うのに興味があるわ」
「ふむ・・・しかしだな・・・この疑似体液には問題もあってな」
アルレッキーノは説明をする。
柔らかい石というものから造られる生命の水、それを模して作られたものが自分の疑似体液だ、しかしいわば劣化品であるため、人間の血液を補充しなければならない。
「つまり、今のままでは人形を作っても長くは保たんという事だ、血を吸わせない限りはな、だからこそ我々は柔らかい石を探していた」
「柔らかい石ね・・・あら?じゃあ貴方はどうするの?」
「言っただろう、協力してくれると」
「え!?私があげるの!?」
「そうだ、なに、私一体分程度ならばそう問題にならん、一月に500CCもくれれば問題はない」
「これは・・・永遠亭に渡りをつけておかなきゃならないわね・・・」
そう言って思案顔になるアリスにアルレッキーノが声を掛ける。
「ところで・・・私の体の事だが・・・これはお前が?」
半壊したはずの自分の体が修復されていた。
機能を停止する程のダメージがあったはずだ。
服も直されていた、帽子まで。
「外装と服はね、中身は知り合いのからくりに詳しい河童と協力して直したの、大変だったのよ?」
「そうか・・・礼を言うアリスよ」
疑似体液は取り敢えず足りていたらしい。
帽子を取ってアルレッキーノは頭を下げる。
「良いのよ、私だって目的があったのだし」
「それでもだ、礼を言う、と言う事は相手を心地よくさせると学習した・・・ただ・・・」
「ただ・・・?」
キリキリと音をさせて腕を動かす。
何か楽器を弾くような恰好をしてアルレッキーノは言う。
「リュートは手に入れられないだろうか?」
「リュートってあの楽器の?」
「そうだ、私はこれでも楽士なのでな、リュートが無くては自分が何者なのか、そう言う根本的な部分が揺らいでしまう」
「なんだか、大変なのね、自動人形って」
「もともと命を持たぬ存在だ、理由というものは大事なのだよ、何のために自分が在り、誰に使われるのかというな」
「良いわ、明日そういう物を扱いそうなお店に心当たりがあるから行ってみましょう・・・ああでも明日は人形劇があるから、お店に行ったらその後少しだけ手伝って頂戴」
「了解した、感謝する」
話をしている内に夜も更けてきた。
アリスは別に寝なくても平気らしいが、寝た方が調子が良いらしい。
ともかく夜が明けるのを待つこととなった。
翌朝、二人は早朝からある店の前に立っていた。
香霖堂である。
一人と一体が中にはいると店主の森近霖之助が声を掛けてきた。
「おや、アリスじゃないか、また人形の部品探しかい?それと、そっちの彼は見慣れないね、どうやら人じゃないようだけど」
「いいえ、今日はね楽器を探しに来たのよ、それと、彼はアルレッキーノ、私の夢が目の前に現れたのよ」
言われて霖之助はまじまじとアルレッキーノを見つめる。
「本当に人形かい?」
「そうよ、意志もあれば、アイデンティティーもあるそうよ」
「驚いた、本当だ」
「あら、随分とあっさり信じてくれるのね」
「いやあ、何せ僕の能力が通じないみたいなんだ」
黙っていたアルレッキーノが霖之助に対して口を開く。
「能力とは?」
「僕の能力はね、道具の用途と名前がわかる程度の能力でね、少なくともそれがわからなかった時点で君は単なる道具じゃあないってことさ」
「そうか、なるほどな」
道具ではない、との言葉に何となくアルレッキーノは温かいものを感じた。不快ではない、心が安らぐような。
「ええと、それで楽器だっけ?どんなものをお探しなんだい?」
「リュートだ、弦が張ってある、指で弾く類の楽器だ」
「ああそれならあるよ、もってこよう」
そう言って奥からがらがらと大きな箱を引きずってきた。
一人と一体で箱の中を覗き込む
「む・・・これはギターか、三味線に・・・これはマンドリンか・・・」
「いやあ御免、たしかこの中にあったと思うんだけど」
「あったわ」
そう言ってアリスは洋なしを半分に切ったような物に弦がくくりつけてある楽器を取り出す。
「あったな、これを貰いたい」
「良いよ」
「お代は?」
「そうだね・・・今日じゃなくても良いから、いつかそれで一曲お願いしたいね」
「なんだ?別に私は今でも良いが」
「今日はアリスの人形劇がある日だろう、その楽器の初弾きは、大勢のお客さんの前の方が良いだろうさ」
そう言われてアルレッキーノは少し考えるような仕草をする。
アリスの方に目を向けて、尋ねた。
「もし、そうしたらアリスは嬉しいだろうか」
「え?ええそうね、音楽があった方が盛り上がるし・・・」
「そうか、ではそうしよう」
そう言うとアルレッキーノはつかつかと外へ出て行った。
「いいの?あれで」
「いいさ、珍しいものを見られたからね」
「そう、ありがとう、助かったわ」
そう言うとアリスはアルレッキーノを追って店から出て行った。
「人形・・・か」
霖之助はお茶を入れようと店の奥へと向かっていった。
広場には既に子ども達が集まっていた。
アリスは鞄を広げて人形を取り出す。
いくつもの人形から伸びている糸を指に付け、両手で操ると、人形達は一斉に立ち上がり、観客である子ども達にぺこりとお辞儀をした。
「アリスおねーちゃーん」
「上海ちゃんかわいー」
「かわいいのかー」
「でもあたいの方がサイキョーね!」
と、子ども達は大喜びだ。
保護者の大人達も楽しみにしている様子だ
アリスの前口上が終わり、人形達が動き始めると、アルレッキーノは劇を始まる前に打ち合わせたように、リュートを弾き始める。
打ち合わせたとは言っても、ここは楽しい雰囲気でとか、ここは少し哀しげに、などというだけで具体的には決めていなかったのだが。
アルレッキーノは人間の感情に疎いとは言え、どういう曲が人間にどう聞こえるかという事は学習して知っていた。知識に従い、演奏をした。
普段とは違う、演奏付きの人形劇は大好評であった。
子どもたちは滑稽なシーンでは大声で笑い、哀しいシーンでは涙を流した。
付き添いできている大人も同様であった。
「・・・・・・と、いうことでした、めでたしめでたし」
劇が終わると歓声と共に拍手が降り注いだ。
アリスはまんざらでもなさそうにほほえみを浮かべている。
それを見てアルレッキーノが終わったかと、リュートを片手に持ち替えた。
すると
「ありがとうございました、それでは楽士であるアルレッキーノにもどうぞ拍手を」
アリスの言葉で、観客達は、アルレッキーノに向けて拍手を送る。
こんな事は初めてだった。
多くの人間から恐れられるだけの存在だった自分が、多くの人間から拍手を受けるなど。
取り巻きの人形達の拍手ではない、全く知らない者達からの拍手に、アルレッキーノは戸惑う。
そこにアリスがやってきて肘で突く。
「ほら、何ぼうっとしてるの、手でも挙げて応えなさい」
「あ、ああ・・・・」
片手を上げると拍手は一層大きくなった。
不思議な感覚だった。心というものが自分にあるのならば、心が高揚するとは、こういう事なのか、と思った。
悪くない気分だった。
降り注ぐ拍手の中、アルレッキーノはアリスに声を掛ける。
「悪くないものだな」
「なにが?」
「楽士であると言う事がだ、初めてそんな風に思った」
「そう」
アリスはアルレッキーノに微笑み、客に向けてお辞儀をする。
アルレッキーノもアリスに習ったように頭を下げる。
そう言えば人間に頭を下げるなど、初めての事だ。
フランシーヌ様以外のために演奏をするのも。
降り注ぐ拍手の中で、一人と一体は、お辞儀をしたまま微笑んでいた。