そして2008年9月、リーマンショック発生。トヨタ景気に沸き、アメ車などの大型自動車や大型オートバイの売り上げが高かった中京地域では、オートバイ販売業者の経営が急速に悪化していった。
欧米系、日系を問わず、全国での大型オートバイの売り上げに陰りが見えた。高級化、高額化、コアマーケット化に邁進した日本オートバイ市場は、不景気の影響に対して、あまりにも脆かった。
売れない日本で二輪車を
作る必然性がなくなってきた
次に、製造急減の原因について考える。
今回の東京モーターサイクルショーで、排気量125ccのホンダ「PCX」が展示された。製造元はタイだ。ホンダはこれまで、50ccなど二輪車の一部を中国から輸入していたが、今回の「PCX」は日本市場における現状のボリュームゾーンを狙う世界戦略車である。
ホンダは60年後半、二輪車を足がかりとしてASEAN(東南アジア諸国連合)市場に打って出た。そして二輪車での知名度を生かして、四輪事業を拡大させた。その手法はインドでも同様だ。
同社は2010年3月9日、2011年後半稼動予定で、インド生産拠点の第2工場(年産60万台生産能力)を発表。既存工場の生産能力も現在の125万台から来年には160万台規模へ拡大予定だ。こうして西はインド、東はオセアニアにまで広がるアジア太平洋州内でFTA(Free Trade Agreemen=自由貿易協定)を活用した事業戦略が拡大している。
そのなかにあって、輸出拠点として注目されているのがタイだ。筆者は2008年にホンダと三菱自工のタイ四輪車組み立て工場を視察し、ASEAN内で最も良質なインフラ整備、港など海運輸送の充実を目の当たりにした。タイの自動車製造はリーマンショック後に大きく落ち込んだが、タイ国内需要と輸出増加により、2010年初頭から各社製造拠点の稼働率が上がっている。
二輪車においても状況は同じで、先に紹介したホンダ「PCX」の仕向け地は、日米欧各国に及ぶ。ホンダは二輪車製造を日本では熊本製作所に集約、部品調達でも国内メーカーから海外メーカーへの大幅シフトを打ち出している。「PCX」の事例が大成功すれば、日本国内生産撤退を含めた世界戦略が推し進められても不思議ではない。
このように世界全体の商流を考えると、今後日本国内での二輪車製造業はさらなる縮小傾向が続くことになるだろう。「売れるところで作る」のが製造業の鉄則。日系二輪車メーカーは、海外で売れたから海外現地生産を増やした。そしていま、「売れない日本で、作る必然性がなくなってきた」のだ。
この傾向は本連載でたびたび指摘しているように、四輪自動車を含む全ての製造業にあてはまる。戦後、日本の輸出産業の稼ぎ頭だったオートバイ産業がいま、大きな曲がり角に立っている。これはすなわち、日本全体の曲がり角でもある。