朝鮮学校への高校無償化の適用を民主党が認めた。人種や民族を問わず日本で暮らす子どもの教育機会を尊重しようとの意思の表れだ。無償化実現を契機に在日朝鮮人との対話と理解を深めたい。
朝鮮高級学校では日本の高校課程に類する教育が行われているかがはっきりしないなど、四月に始まった高校無償化制度の枠外に置き去りにされてきた。北朝鮮と国交がなく確かめようもなかった。
そこで文部科学省の専門家会議が八月、朝鮮学校に授業料無償化を認めるかどうかを判断するときの基準案を作った。
授業時間や教員資格といった客観的要件について専修学校高等課程相当の水準を求めている。就学支援金が子どもの授業料に確実に充てられるよう経理の透明化と文科省のチェックも挙げている。
その半面、具体的な教育内容は、ほかの外国人学校と同じように判断の基準には定めなかった。政治や外交の圧力を排除し、子どもの学ぶ機会を等しく担保する。そんな考え方に立った公平で中立的な仕組みといえるだろう。
異論に配慮した菅直人首相の指示を受けて民主党は党内論議を重ね、この基準案を了承した。文科省は基準の正式決定を急ぎ、除外されたままの朝鮮学校の無償化を実現してほしい。
朝鮮学校は北朝鮮の影響下にあるとして無償化慎重論が根強くある。核やミサイルを開発して制裁を受けている北朝鮮に公金が流出しないか。膠着(こうちゃく)状態の日本人拉致事件について「日本が軟化した」と北朝鮮に受け取られないか。そう憂慮する向きがある。
確かに、独裁体制を礼賛する思想教育や反日教育も気になる。大韓航空機爆破事件を「韓国の捏造(ねつぞう)」としたり、拉致事件を「日本が極大化」しているとしたりと国際認識とは異なる記述が歴史教科書にある。
朝鮮学校の無償化論議が引き金となり、東京都や大阪府のようにこれまで問題視していなかった補助金制度の見直しを表明する自治体まで出てきた。朝鮮学校であれ、子どもの学び場を包囲し、排斥するような偏狭な風潮が強まっているのは極めて残念だ。
無償化の狙いは子どもの支援だ。しかも、その子どもたちは日本で生きていく。在日朝鮮人の子どもも自ら選んだ高校で学ぶ権利が守られるべきだ。朝鮮学校には学校運営と教育内容の踏み込んだ情報公開を望みたい。日本社会の誤解や不信を拭(ぬぐ)う努力が大切だ。
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