報道 日清講和条約 1895年4月中国・台湾が日本の尖閣領有の無効を訴える一つの理由に、1895年4月17日に成立した 日清講和条約(下関条約)がある。この講和条約の第二条を口実に、尖閣は中国から切り離されたと言うのである。 本当であろうか?日清講和条約第二条をここで見ていただきたい。第二条の第一項では遼東半島、第二項では台 湾、そして第三項には澎湖列島の各領域が日本に割譲される旨が書かれている。しかし、尖閣諸島については一 切言及されていないのである。 田中邦貴「尖閣諸島問題」より 台湾当局が1955年に発行した公文書 台湾当局が1955年に発行した公文書の中で、尖閣諸島を沖縄群島の一部と明記している。台湾当局は戦後、中国 政府と同様、領有権主張の有力根拠として同諸島が沖縄群島ではなく台湾周辺の島嶼の一部と主張しており、公 文書の存在はこの矛盾を浮き彫りにする貴重な資料として注目される。 日本名 中国名 面積(平方Km) 魚釣島 釣魚台 3.82 久場島 黄尾嶼 0.90 大正島 赤尾嶼 0.06 北小島 日本名と同じ 0.31 南小島 ” 0.40 沖の北岩 ” 0.05 沖の南岩 ” 0.02 飛瀬 ” 0.01 ※5つの岩礁には中国名は無く、 中国側は日本と同じ名称を使っている。 田中邦貴「尖閣諸島問題」より 魚釣島の謄本(?) 出典:検証!尖閣諸島の歴史琉球朝日放送2004年 03月30日(夕)より 古賀氏の魚釣島払い下げののための推薦書 国立公文書館 出典:検証!尖閣諸島の歴史琉球朝日放送2004年 03月30日(夕)より 中華民国駐長崎領事が沖縄県石垣村村民に贈った「感謝状」。 富田孫周の所持する中華民国長崎領事の感謝状 出典:検証!尖閣諸島の歴史琉球朝日放送2004年 03月30日(夕)より 出典:産經Web96.9.23 感謝状の中で魚釣島のことを「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と 中華民国八年(大正八年)の冬、中国の福建省恵安県(現、泉州付近)の漁民、郭合順氏ら三十一人が遭難。 尖閣列島(和洋島=魚釣島)に漂着した。石垣村の玉代勢孫伴氏(後の助役)が熱心に看病し、 全員を生還させたことへの感謝状で、玉代氏の子孫がこれを保存していた。 感謝状は玉代勢氏のほか、石垣村長(当時)の豊川善佐氏、古賀善次氏、与那国島出身の 通訳で女性の松葉ロブナストさんら計四人に贈られた。現存するのは、玉代勢氏あてのものだけで、 同氏の長男、冨田孫秀氏が今年一月、自宅に飾っていたものを石垣市に寄贈した。 秘別 第133号 西村眞吾議員のホームページ 「尖閣諸島上陸」 「平成9年5月 日本国領土である尖閣諸島魚釣島に上陸」 国会議員として初めて同島を視察。 尖閣諸島全景 5月5日深夜に石垣島を出港、よく6日朝に魚釣島へ。4.5トンの小型漁船では命懸けだ。 西村議員の上陸を制止する海上保安庁 上陸目前 上 陸 上陸報告 国旗掲揚
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