尖閣諸島の写真と地図集
地籍標柱・警告文・灯台・日の丸・神社
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地籍標柱
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地積標柱(01)
石垣市が県立した行政標識
外務省文化局「尖閣諸島について」16頁・昭和47年
地積標柱(02)
石垣市が県立した行政標識−部分
外務省文化局「尖閣諸島について」16頁・昭和47年
地積標柱(03)
石垣市が県立した行政標識−部分
外務省文化局「尖閣諸島について」16頁・昭和47年
現代文に直したもの
八重山尖閣群島
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魚 釣 島
久 場 島
大 正 島
南 小 島
北 小 島
沖の北岩
沖の南岩
飛 瀬
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石垣市之を建つ
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http://www.y-mainichi.co.jp/news/14231/
尖閣諸島「警告板の設置作業者を」
与那国の関係者探す
Pic1
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1970年7月、不法入域を防止する目的で尖閣諸島に警告板を設置した琉球政府(当時)の出入管理庁警備課長だっ
た比嘉健次さん(84)=那覇市泉崎=が、設置作業に参加した与那国の関係者らを探している。
警告板は、台湾人の操業や上陸が多発していたことを受け、琉球政府が「尖閣諸島の各島に不法入域を防止する
ための警告板の監督及び不法入域者の調査」を比嘉さんに命じて設置させた。
比嘉さんら設置班の一行は23人。厳しい自然環境下での作業を遂行するには尖閣諸島海域を熟知する屈強な船
員が必要だとして、カジキ突き漁を専門にしていた与那国の第三白洋丸(乗員14人、150トン)をチャーターした。
一行は7月8日から6日間で魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島で計7カ所に建てた。米国高等弁務官の命
によるとして「琉球列島住民以外の者が無害通行の場合を除き、入域すると告訴される」と警告した。
警告板は支柱を含めると重さ230キロ。陸揚げ作業に神経と労力を使ったほか、上陸用ボートが座礁して浸水する
トラブルも発生するなど、作業は困難を極めたという。
比嘉さんは「苦労して設置した警告板も今では支柱を残すのみと聞くが、願わくば作業班の面々と再会したい」と
話している
地積標柱(02)
石垣市が建立した行政標識
昭和47年外務省文化局「尖閣諸島について」12頁.
地積標柱(03)
石垣市が建立した地籍表示のための標柱です(左)。
背面には石垣市字登野城2,392番地と記されています。
各島の地籍・地名
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5つの島には全て地籍があり、住所は沖縄県石垣市登野城2,390〜2,394番地です。
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今は全て無人島ですが、魚釣島にはかつて鰹節工場があり、多い時は99戸、248人が
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住む古賀村と呼ばれた村落がありました。この村名は俗称で、魚釣島を明治時代に開拓し
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(最初の地籍は沖縄懸八重山郡大浜間切登野城村2、390番地〜2、394番地です)
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島名 |
地籍 |
所有者 |
魚釣島 |
石垣市登野城2,392番地 |
栗原國起 |
飛瀬 |
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官有 |
沖の北岩 |
土地台帳に記載なし |
官有 |
沖の南岩 |
土地台帳に記載なし |
官有 |
北小島 |
石垣市登野城2,391番地 |
栗原國起 |
南小島 |
石垣市登野城2,390番地 |
栗原國起 |
久場島 |
石垣市登野城2,393番地 |
栗原國起 |
大正島 |
石垣市登野城2,394番地 |
栗原國起 |
大正島を除く他の島々は近年まで古賀辰四郎氏の子息善次氏の所有でありましたが、
現在は埼玉県の実業家・栗原國起氏の所有です。
島々に番地が付けられたのは一九〇二(明治三十五)年で、八重山大浜間切登野城村に
編入された。一九一四(大正三)年には石垣市登野城に改められました。
地積標柱(02)
写真:九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
石垣市が昭和45年5月9日に建立した南小島の行政管轄標識
季刊「沖縄」63号−特集尖閣列島第2集02頁
石垣市が建立した南小島の行政管轄標識
季刊「沖縄」63号−特集尖閣列島第2集03頁
石垣市が建立した大正島の行政管轄標識
季刊「沖縄」63号−特集尖閣列島第2集03頁
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警告文
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琉球政府が昭和45年7月設置した領域表示板
昭和47年外務省文化局「尖閣諸島について」11頁
琉球政府が昭和45年7月設置した領域表示板・部分
英語・中国語・日本語で書かれている。
琉球政府立と書かれているが最初に英語で書かれているように、
アメリカ民政府に許可を申請し、その予算で立てられたものである。
昭和47年外務省文化局「尖閣諸島について」11頁
http://akebonokikaku.hp.infoseek.co.jp/page065.html
警 告
此の島を含む琉球列島のいかなる島
又はその領海に琉球列島住民以外の
者が無害通航の場合を除き、入域す
ると告訴される。但し琉球列島米国
高等弁務官により許可された場合は
その限りでない。
琉球列島米国高等弁務官の命による
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尖閣列島に対する警告板の設置に関する米琉往復書簡
詳しくはhttp://akebonokikaku.hp.infoseek.co.jp/page065.html
その1
陸軍省琉球列島米国民政府民政官室
1968年9月3日
親愛なる松岡主席殿
最近、琉球政府警察の巡視艇「チトセ」が尖閣列島を巡視したため、同列島内
の南小島に不法入域した台湾の解 体作業員は、同島から出て行った。聞くとこ
ろによると、彼等は道具をたたんで琉球の領域を離れたとこのとである。
今後この地域における不法入域をなくするために不定期に現場点検を行なう
制度を確立すべきであると信ずる。そのために、本官は、軍の航空機が時々尖
閣列島上空を飛ぶように手配中であります。貴政府警察当局が時々同列 島を
巡視するように手配すれば、なお有効だと信ずる。混乱を防ぐため、お互いの巡
視活動について絶えず連絡をとるべきことは勿論である。
なお、正確な航行ができないため、または同列島の領土上の地位を知らない
ために偶然同列島に立ち入る漁夫もあると思われる。つまり、尖閣列島に立ち
入る場合に入域許可が必要であることをほんとに知らないで、事実領域侵犯を
することがあるということである。このような誤解を少くするために、尖閣列島の
各島、すなわち琉球列島の領土に上陸する者に対し、事前に琉球出入管理当
局から入域許可を得ること、事前に手続をとらない場合には、琉球の法令に基
ずき起訴され、罰せられることを警告する恒久的な掲示を上陸しそうな地域の
各見やすい場所に立てるよう提案したい。(勿論、琉球の領土に緊急入域を要
する不可抗力な事情は考慮される。)この掲示は、英語、日本語および中国語
の3ヶ国語で書いた方が有効だと思う。
琉球の領土に対する今後の不法侵犯を最少限に喰い止めるためのこれらの
提案に対する貴殿の意見をきかせていただければ幸甚と存じます。敬具
民政官 スタンレー・S・カーペンター
琉球政府行政主席
松岡政保殿
その2
出総第1994号
1968年10月21日
琉球政府行政主席 松岡政保
琉球列島米国民政府
民政官スタンレー・S・カーペンター殿
尖閣列島に関する米国民政府民政官書簡について(回答)
拝啓
1968年9月3日づけ貴書簡を拝読する光栄に浴します。
貴書簡にもられた諸提案は諸般の情勢から考慮したとき、もっとも有意義であ
り、かつ適切なご提案であり本職として原則的に同意することを表明します。
貴提案を具体的に実効あらしめるために、本職は可能な限り適当な対策を講
じ貴官の意に添うよう努める所存であります。
一筆付記させていただければ、貴書簡に示された軍の航空機による随時警
戒飛行計画が当政府警察局による警備艇の配置と合せて実施されれば幸い
に存じます。
貴提案のその他の事項および当政府計画の実施については巡視艇の配置、
警告板の設置保全など多額の経費を必要としますので貴官の絶大なるご配慮
を御願いします。
敬具
その3
1969年3月28日
尖閣列島における警告板の設置について
琉球列島米国民政府
公安局長 ハリマン・N・シーモンズ殿
琉球政府出入管理庁長
標題については1968年9月3日づけ民政官書簡に対して、当府から1968
年10月17日づけ出総第1994号(別 添写)をもって、これの予算援助方を要
したとおりであります。就きましては、当該工事の予算並びに施工についてご
参考に資していただきたく、別添のとおり工事概算見積書を送付いたしますの
で、これの実現方に何分のご配慮をおねがいいたします。
添付書類
1 工事仕様書 1部
2 警告板設計図 1部
3 尖閣列島見取図 1部
4 民政官あての文書の写 1部
1.所要経費 7,459弗
警告板設置工事概算見積(図面は別;紙のとおり)
工事名 提格 単位 数量 単価 金額
コンクリート打固め
脚(コンクリート)
取付金具
文字彫刻
堀方
手当
船借料
ハシケ料
工事現場の調査、測量および工事施工のための旅費
400字×7部=2,800字
4人×7部=28人
その4 29JAN.1970
SUBJECT:Transmittalof Funds
Chief Executive
Government of the Ryukyu Islands
ATTN:Director,Legal Affairs Department
1.References:
a.Letter from the U.S. civil Administrator
to the Chief Executive,Government of the
RyukyuIslands,dated 3 September 1968,
suggesting emplacement of warning signs on
Senkaku Retto.
b.Letter from the Chief Executive,Govern-
ment of the Ryukyu Islands to the U.S.
Civil Administrator,dated 21 October 1968
acknowledging receipt of the CA's letter of
3 September 1968 and requesting financial
assistance from USCAR.
2.Enclosed is a check for$6,815 as you requested
for the installation of warning signs on Senka-
ku Retto. These funds will be applied for
contractual services,procurement of materials,
overhead costs,transportation and sundries
necessary for executing this project. Funds
left over from this project may be expended for
other similar projects by your government.
3.The wordingfor warning signs to be erected
on Senkaku Retto should be revised to read:
“Warning.Entry into any of the Ryuku Islands
including this island,or their territorial
waters other than in innocent passage,by
persons other than the residents of the Ryukyu
Islands,is subject to criminal prosecution
except as authorized by the U.S.High Com-
missioner.By Order of the High Commissioner
of the Ryukyu Islands:’
FOR THE CIVIL ADMINISTRATOR:
H.L.CONNER
MAJ,AGC
Chief of Administration
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季刊「沖縄」63号−特集尖閣列島第2集03頁
季刊「沖縄」63号−特集尖閣列島第2集02頁
警告文(01)
写真:九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
警告文(02)
魚釣島(千畳岩)に設置されていた琉球政府の警告文
出典:秘境を探る
http://www8.plala.or.jp/Geo/Senkaku.html
警告文(03)
魚釣島千畳岩,上の写真の近景
出典:秘境を探る
http://www8.plala.or.jp/Geo/Senkaku.html
警告文(04)
魚釣島東崎付近,中央に琉球政府の警告文
出典:秘境を探る
http://www8.plala.or.jp/Geo/Senkaku.html
警告文(05)
魚釣島東崎付近,上の写真の近景
出典:秘境を探る
http://www8.plala.or.jp/Geo/Senkaku.html
警告文(06)
写真:九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
https://db.yomiuri.co.jp/shashinkan/
タイトル
尖閣諸島魚釣島に琉球政府によって当時建てられた領有宣言の看板
撮影日
1977年 08月 02日
写真番号
020
枝番
1
画像サイズ
(横×縦)
1961 × 1314
本文
尖閣諸島魚釣島に琉球政府によって当時建てられた領有宣言の看板。(沖縄県で1977年8月2日)
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