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http://imgsvr.e-today.co.kr/10/10/20101020111858_sorahosi_1.jpg▲日本の124代天王ヒロヒト。(写真提供アジアパシフィックジャーナル)
しかし、一部ではヒロヒト日王のこのようなラジオ談話の真正性に疑問を持つ者もいた。
当時、ヒロヒト日王が日本軍の統帥権を持った元帥であり、
海軍の最高指揮官の地位にあっただけに、戦争責任を負っていることにもかかわらず、
戦犯裁判にかけられることもなく、1945年8月15日発表した、
いわゆる玉音放送と呼ばれる800字の終戦の詔書(大東亜戦争終結に関わる詔書)にも、
「敗戦」への言及を見つけることができないというのがその根拠だ。
もちろん、彼が戦犯裁判にかけられることがなかったのは、
日王の戦争責任と処罰に対する論議の末、
マッカーサー将軍が、日本に王を存在させることは有利だという判断をしたためと知られている。
しかし、一部の日本専門家たちは、
日本の王室が戦犯の責任を、すべて軍部に転嫁しようとした意図のためだと主張した。
実際に、ヒロヒト日王は終戦の詔書で、
『朕は、深く世界の大勢と帝国の現状を鑑み、
非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。
朕は、帝国政府をして、米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨を通告せしめたり』とし、
『曩に米英二国に宣戦せる所以も亦、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て、
他国の主権を排し、領土を侵す如きは、固より朕が志にあらず』と言及している。