2010-10-17 10:55:56
苦しみを喜びに変えるために
テーマ:ブログ
ナマステ。
ようやく札幌の自宅でゆっくりできました。
帰国後は、締め切りを過ぎた原稿や
お世話になっている方々への挨拶回りなどしていました。
スポンサーさんも、日本で中継のベースキャンプを務めてくれた
Yahoo!・エイベックス合同チームも
「また来年やろう」と盛り上がっています。
本当に嬉しいです。
結果としては登頂はできませんでしたが、
来年に向けて、この「冒険の共有」を
沢山の人に伝えていける時間ができたということです。
アクセス数も昨年よりも数倍も上がりましたが、
僕も関係者もアクセス数ではなく、
コメントの内容で今回の挑戦を評価しています。
このプロジェクトの意義は、「成長」です。
僕個人が色々と学ばせて頂いているところもありますが、
中継隊員も日本のスタッフも、
何よりも動画やブログを見てくれている人たちが
格好良くなっているということです。
ヒマラヤ登山の本などでしかわからなかった世界を
動画や生中継で見た人が、「自分のチャレンジ」と照らし合わせて、
自分の夢に向けて一歩を踏み出すことや、
前向きに生きていく気持ちを持ってくれたことを
関係者一同コメントを読んで感じ取っているのです。
登頂はできませんでした。
本当に悔しいです。
それでもチーム全体が前向きなのは、
登頂の先にある目標に近づけた感触を得ているからです。
単純に山を登るだけなら、スポンサーはいりません。
山の先にあるもの、山を通じて到達したいゴールが
我々栗城隊にはあるのです。
とは言っても、今でもエベレストのことをいつも考えています。
登った山に未練はないですが、登っていない山には未練があります。
「執着しない」それは山で生き抜く重要な価値感ですが、
やはり執着してしまいます。
でも、そういう様々な思いがまた挑戦を面白くしていると思っています。
昨日、ベースキャンプにいたアメリカ隊が秋の登頂を果たしました。
北側のスペイン隊など全滅でしたが、
この異常気象で、また春に比べて桁違いに厳しい秋の登頂ということで
本当に素晴らしく思います。
彼らは酸素ボンベを使用して登っていますが、
冬型の気圧が近づく中で粘りました。
ベースキャンプを去る時に、エージェントから
アメリカ隊も撤退を考えていると聞きましたが、
彼らはベースキャンプで待ち続けたのです。
僕はベースキャンプに向けて下山中に、何度も再アタックを考えていました。
今までの8000m峰では、チョ・オユーの山頂近くで断念しても
また登り返し登頂したり、アンナプルナは2度再アタックをしても
登頂できませんでしが、他の山では何度も再アタックをしてきました。
(無酸素で2度アタックするのは本当に苦しいです。)
再アタックをしないで下山したのは、エベレストのみです。
なぜエベレストのみかというと、
エベレストを無酸素で登るために適した短い期間があるからです。
僕は夏から秋に変わる、短い期間の登頂をいつも目指しています。
降雪が多い時期ですが、一つのメリットは酸素が濃いということです。
あまり知られていませんが、
エベレストの体感標高は季節によって変わります。
エベレストの体感標高が一番低いのは夏です。
高気圧だと、体感標高が8500mぐらいまで下がることもあります。
しかし夏はモンスーンで雪が降り続け、晴れる可能性も低いです。
その夏から秋にかけての酸素が濃い、一瞬の晴れを狙ってやってきました。
しかし、その的は当たりませんでした。
僕がカトマンズに入りしたのは、8月の中旬。
アメリカ隊は9月上旬でした。
8月上旬から入り、うまく晴れればチャンスはありましたが、
悪天候で10日間も飛行機は飛ばず、
そしてテンバさんが飛行機事故に遭いました。
悲しみと同時に、全ての予備日も使ってしまったのです。
アメリカ隊は酸素ボンベ使用なので、
気圧で酸素が濃いか薄いかは関係ありません。
酸素ボンベは体感で標高が半分にもなるアイテムです。
あと10日。日本を遅れて出発していたら、、、と考えても
1ヶ月前からの天候など誰も読めません。
下山後、再アタックを考える僕に、ヒマラヤ専門の気象予報士から
「今年は異常気象で冬のジェットストリームがくるのが早い。
下旬の好天気を逃したらもう時間切れです」と言われました。
悪天候で高所順応もできていないのに、
下旬の好天気にまっすぐ無酸素で登れというは無謀です。
それでも僕はその少ないチャンスにかけてみました。
不安も大きかったですが、その分、体験したことのない
未知の領域(高所順応なし真っすぐアタック)に
ワクワクしてる自分もいました。
その栗城の勢いを見て、撮影や中継サポートのためにいた
ABCのシェルパは栗城は死ぬ気だと思って心配していたそうです。
実はただ登っていたのではなく、
本当に未知の領域に行こうとしていました。
しかし、本当に向こうの世界に行っては帰れないことも知っています。
最後は、生きる方(下山)を選びました。
あの厳しいエベレストを知り、少ないチャンスに
前向きに挑み、登り続けることができたことに喜びを感じています。
あのアメリカ隊はもうエベレストに来ることはないでしょう。
酸素を使えば一回で終わってしまいます。
でも無酸素の僕はまた次があります。
3回もエベレストを楽しめます。
苦しいです。
本当に苦しいチャンレジですが、その分喜びも大きい。
その苦しみを喜びに変えるためには、
チャレンジし続けるしかないのです。
ナマステ。
--------------------------------------------------
●10月24日(日) 夜7時54分~9時48分
テレビ東京にて、今回のエベレスト遠征のドキュメンタリー番組
「地球の頂へ 栗城史多エベレスト挑戦」が放送されます。
是非ご覧ください!
http://www.tv-tokyo.co.jp/kuriki_everest/index.html
●10月27日(水)、サンクチュアリ出版から
栗城の第二弾の書籍『NO LIMIT』が発売されます。
写真も多く使用された、初のメッセージ集です。
http://p.tl/FhEr
●栗城の初の書籍『一歩を越える勇気』(サンマーク出版)が
9月10日に電子書籍として発売されました。
購入はこちらのサイトから:http://itunes.apple.com/jp/app/id390389806?mt=8
本の購入はこちらから。
http://aqurl.info/u/4b4059128
●Team Kuriki Tシャツ(税込・送料込み5,000円)は、
公式サイトから購入可能です。
隊長とおそろいのTシャツを着て応援しよう!
http://kurikiyama.yl.shopserve.jp/
●チームクリキの隊員募集中!一緒に栗城の夢を共有しましょう!
http://kurikiyama.jp/teamkuriki.html
ようやく札幌の自宅でゆっくりできました。
帰国後は、締め切りを過ぎた原稿や
お世話になっている方々への挨拶回りなどしていました。
スポンサーさんも、日本で中継のベースキャンプを務めてくれた
Yahoo!・エイベックス合同チームも
「また来年やろう」と盛り上がっています。
本当に嬉しいです。
結果としては登頂はできませんでしたが、
来年に向けて、この「冒険の共有」を
沢山の人に伝えていける時間ができたということです。
アクセス数も昨年よりも数倍も上がりましたが、
僕も関係者もアクセス数ではなく、
コメントの内容で今回の挑戦を評価しています。
このプロジェクトの意義は、「成長」です。
僕個人が色々と学ばせて頂いているところもありますが、
中継隊員も日本のスタッフも、
何よりも動画やブログを見てくれている人たちが
格好良くなっているということです。
ヒマラヤ登山の本などでしかわからなかった世界を
動画や生中継で見た人が、「自分のチャレンジ」と照らし合わせて、
自分の夢に向けて一歩を踏み出すことや、
前向きに生きていく気持ちを持ってくれたことを
関係者一同コメントを読んで感じ取っているのです。
登頂はできませんでした。
本当に悔しいです。
それでもチーム全体が前向きなのは、
登頂の先にある目標に近づけた感触を得ているからです。
単純に山を登るだけなら、スポンサーはいりません。
山の先にあるもの、山を通じて到達したいゴールが
我々栗城隊にはあるのです。
とは言っても、今でもエベレストのことをいつも考えています。
登った山に未練はないですが、登っていない山には未練があります。
「執着しない」それは山で生き抜く重要な価値感ですが、
やはり執着してしまいます。
でも、そういう様々な思いがまた挑戦を面白くしていると思っています。
昨日、ベースキャンプにいたアメリカ隊が秋の登頂を果たしました。
北側のスペイン隊など全滅でしたが、
この異常気象で、また春に比べて桁違いに厳しい秋の登頂ということで
本当に素晴らしく思います。
彼らは酸素ボンベを使用して登っていますが、
冬型の気圧が近づく中で粘りました。
ベースキャンプを去る時に、エージェントから
アメリカ隊も撤退を考えていると聞きましたが、
彼らはベースキャンプで待ち続けたのです。
僕はベースキャンプに向けて下山中に、何度も再アタックを考えていました。
今までの8000m峰では、チョ・オユーの山頂近くで断念しても
また登り返し登頂したり、アンナプルナは2度再アタックをしても
登頂できませんでしが、他の山では何度も再アタックをしてきました。
(無酸素で2度アタックするのは本当に苦しいです。)
再アタックをしないで下山したのは、エベレストのみです。
なぜエベレストのみかというと、
エベレストを無酸素で登るために適した短い期間があるからです。
僕は夏から秋に変わる、短い期間の登頂をいつも目指しています。
降雪が多い時期ですが、一つのメリットは酸素が濃いということです。
あまり知られていませんが、
エベレストの体感標高は季節によって変わります。
エベレストの体感標高が一番低いのは夏です。
高気圧だと、体感標高が8500mぐらいまで下がることもあります。
しかし夏はモンスーンで雪が降り続け、晴れる可能性も低いです。
その夏から秋にかけての酸素が濃い、一瞬の晴れを狙ってやってきました。
しかし、その的は当たりませんでした。
僕がカトマンズに入りしたのは、8月の中旬。
アメリカ隊は9月上旬でした。
8月上旬から入り、うまく晴れればチャンスはありましたが、
悪天候で10日間も飛行機は飛ばず、
そしてテンバさんが飛行機事故に遭いました。
悲しみと同時に、全ての予備日も使ってしまったのです。
アメリカ隊は酸素ボンベ使用なので、
気圧で酸素が濃いか薄いかは関係ありません。
酸素ボンベは体感で標高が半分にもなるアイテムです。
あと10日。日本を遅れて出発していたら、、、と考えても
1ヶ月前からの天候など誰も読めません。
下山後、再アタックを考える僕に、ヒマラヤ専門の気象予報士から
「今年は異常気象で冬のジェットストリームがくるのが早い。
下旬の好天気を逃したらもう時間切れです」と言われました。
悪天候で高所順応もできていないのに、
下旬の好天気にまっすぐ無酸素で登れというは無謀です。
それでも僕はその少ないチャンスにかけてみました。
不安も大きかったですが、その分、体験したことのない
未知の領域(高所順応なし真っすぐアタック)に
ワクワクしてる自分もいました。
その栗城の勢いを見て、撮影や中継サポートのためにいた
ABCのシェルパは栗城は死ぬ気だと思って心配していたそうです。
実はただ登っていたのではなく、
本当に未知の領域に行こうとしていました。
しかし、本当に向こうの世界に行っては帰れないことも知っています。
最後は、生きる方(下山)を選びました。
あの厳しいエベレストを知り、少ないチャンスに
前向きに挑み、登り続けることができたことに喜びを感じています。
あのアメリカ隊はもうエベレストに来ることはないでしょう。
酸素を使えば一回で終わってしまいます。
でも無酸素の僕はまた次があります。
3回もエベレストを楽しめます。
苦しいです。
本当に苦しいチャンレジですが、その分喜びも大きい。
その苦しみを喜びに変えるためには、
チャレンジし続けるしかないのです。
ナマステ。
--------------------------------------------------
●10月24日(日) 夜7時54分~9時48分
テレビ東京にて、今回のエベレスト遠征のドキュメンタリー番組
「地球の頂へ 栗城史多エベレスト挑戦」が放送されます。
是非ご覧ください!
http://www.tv-tokyo.co.jp/kuriki_everest/index.html
●10月27日(水)、サンクチュアリ出版から
栗城の第二弾の書籍『NO LIMIT』が発売されます。
写真も多く使用された、初のメッセージ集です。
http://p.tl/FhEr
●栗城の初の書籍『一歩を越える勇気』(サンマーク出版)が
9月10日に電子書籍として発売されました。
購入はこちらのサイトから:http://itunes.apple.com/jp/app/id390389806?mt=8
本の購入はこちらから。
http://aqurl.info/u/4b4059128
●Team Kuriki Tシャツ(税込・送料込み5,000円)は、
公式サイトから購入可能です。
隊長とおそろいのTシャツを着て応援しよう!
http://kurikiyama.yl.shopserve.jp/
●チームクリキの隊員募集中!一緒に栗城の夢を共有しましょう!
http://kurikiyama.jp/teamkuriki.html
同じテーマの最新記事
- メンタルトレーニング(168) 10月18日
- エベレストになりたい(192) 10月10日
- 今、僕は顔が熱いです(294) 10月07日