裁判員をよむ

連載企画

制度異議あり

「素人はできない」  作家の嵐山光三郎さん

 裁判員に指名されると原則として断れず、議論の中身を妻や親友ら心許す人にも話せないというのは、民主裁判の名を借りた秘密の軍事裁判と一緒で「天下の悪法」としか考えられない。「おまえも裁判員をやってみろ」というのは国による脅迫だ。もし選ばれたら国外逃亡するしかない。

作家の嵐山光三郎さん

作家の嵐山光三郎さん

 ▽悩んで自殺も

 プロの裁判官は過去の判例などを参考にして有罪・無罪や有罪の場合の刑を判断する。裁判はプロの仕事。全く分からない素人は悩んでしまう。議論が分かれて、死刑判決のキャスチングボートを握るようなことになったら、苦しんで自殺する人も出るのではないか。国民を自殺に追い込みかねない恐怖の法律だ。

 裁かれる側から考えれば、素人に死刑と言われても死にきれない。外科手術も、研修医と専門医のどちらにやってもらうか、選ぶことができる。もし死んでも、プロに手術してもらったのなら、あきらめがつく。

 医者も料理人も、仕事をしながら訓練して経験を積んでいく。裁判は国の根幹をなす重要な仕事だからこそ、プロの裁判官がいるはずだ。

 ▽裁判官に常識なし?

 最高裁は制度導入の目的として「健全な社会常識を裁判に反映させるため」と説明するが、訳が分からない。今までの裁判は、社会常識を反映していなかったということなのか。裁判官をばかにしている。裁判官の意識調査をすれば、みんな怒っているはず。「素人に裁判はできない」と声を上げてほしい。

 三権分立が確立している日本では、司法への漠然とした信頼がある。「元総理でも偉い政治家でも、悪いことをすればきちんと裁かれる」という期待だ。素人が裁くとなると、その信頼を裏切ることになる。

 進歩的な考えの人も保守的な思想の人も反対している。多くの人が反対しているのに、通ってしまった治安維持法が頭に浮かぶ。大した審議もせずに制定され、小泉政権が残した負の遺産だ。

 実際に始まったら参加しない人が続出したり、プロの裁判官の主導で言われるままに裁判が進んだりするのではないか。国のメンツがあるから廃止できないだろうが、なし崩し的に裁判員裁判をやらないようにするしかない。

嵐山さん略歴 

 あらしやま・こうざぶろう 66歳。東京生まれ。平凡社の雑誌「太陽」編集長などを経て独立し、執筆活動に。1988年「素人包丁記」で講談社エッセイ賞、2000年に「芭蕉の誘惑」でJTB紀行文学大賞を受賞した。食や旅が好きで、国内外を旅して暮らす。


(共同通信社 2009年03月13日)


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裁判員制度とは

 有権者から無作為に選ばれた裁判員6人と裁判官3人が原則審理し、殺人など重大事件の被告が有罪かどうかを判断した上、有罪の場合は刑も決める。