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尖閣問題に見る中国の焦り

週刊朝日 10月20日(水)17時56分配信

尖閣諸島沖の衝突事件やノーベル平和賞授賞などをめぐり、中国の強硬ぶりが目立つ。「オレ様外交」に怒りを覚えた人も多かっただろう。だが、ジャーナリストの富坂聰氏は、中国こそが国際的に追いつめられ、焦っているのだと指摘する。強気の裏にある実情を聞いた。

 尖閣沖の事件では、「戦後最大の外交敗北だ」と強い調子の批判が、国内では目立っています。中国に屈服し、逮捕した中国漁船の船長を釈放させられたことに、情けなさと怒りを感じている人も多いでしょう。

 でも、冷静に考えてみてください。今回の騒動で、日本は本当に何かを失ったのでしょうか。
「存在しないはずの領土問題に世界の目を向けさせてしまった」

 そんな指摘もありますが、日本が実効支配する状況は変わっていません。

 むしろ中国のほうが日本の対応に焦り、国際的に傷つき、経済的な損失を招きながら、何とか「日本に勝った」という形を取り繕ったのが実態なのです。

 なぜ焦ったのか。それは、菅直人首相や民主党の外交音痴ぶりが、中国の想像を超えていたためです。

 中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突したのは9月7日。翌8日の未明に船長が日本側に逮捕されたとき、中国は2、3日で釈放されるとみていました。

 04年3月、中国人の活動家7人が尖閣諸島に上陸して逮捕されたときに、「日中関係に悪影響を与えない大局的な判断」(当時の小泉純一郎首相)により、起訴されずに強制送還された先例があったからです。

 ところが、菅内閣から聞こえてきたのは、
「尖閣諸島には領土問題は存在しない」(仙谷由人官房長官)
「法に基づき粛々と対応していく」(岡田克也外相=当時)

 という原則論ばかり。中国政府は、外務次官から外相へと格を上げながら抗議を繰り返したが、返ってくる反応は変わらない。

 9月12日にはついに、副首相級の戴秉国・国務委員が、未明に丹羽宇一郎・駐中国大使を呼び出し、「賢明な政治判断」を促しました。これは、中国にすれば「SOS」を伝えたつもりだったのです。

 ところが、菅内閣はこのメッセージも読み取ろうとしませんでした。
「こういう時間帯に呼び出したのは遺憾だ」

 翌日の会見で仙谷氏がそう述べたときには、びっくりしたことでしょう。

 この時点で、中国には日本向けの穏当なカードがなくなりました。

 菅内閣は素晴らしい外交力ではなく、思考停止に陥ることで中国に音を上げさせたのです。

 中国が解決を急いだ背景には、国内事情の変化があります。

 今回の事件で、中国の人たちがインターネットに書き込んだ内容は、小泉元首相の靖国神社参拝をきっかけに盛り上がった反日運動とは大きく違っています。

 当時は、ほぼすべてが「日本を許さない」という内容でした。中国政府にすれば、怒りが日本だけに向く分には怖くありません。

 しかし、今回はざっと3分の1は冷めていました。
「あんな小さな島が返ってきても、おれの土地は少しも大きくならないよ」
「尖閣に使う知恵と時間があれば、物価と不動産価格の高騰をなんとかしろ」

 これは中国政府にとっては恐ろしいことです。

 中国は有力な国有企業の幹部が5千万〜6千万円の年収を得る一方で、月2万〜3万円で暮らす人も多い。この不公平社会の受益者たちは、格差を知りながら放置している自分たちの「ずるさ」を認識している。だから尖閣の問題をきっかけに、そこに火がつくことを恐れていたのです。

 これはハンドルを誤れば政権を揺るがしかねない危険な問題です。火種は一刻も早く消さなければ──。中国の恫喝外交は、そんな中国の本気の危機感に裏打ちされたものだけに迫力が違う。それほど深刻でない日本はその剣幕におののいたに過ぎないのです。

 実は、中国は裏で米国にも働きかけていました。

 訪米した温家宝首相は、9月23日の国連総会で、領土問題では「屈服も妥協もしない」と宣言しました。一方、米国が台湾に武器の売却を決めたことで中断していた米中の軍事交流では、再開に向けゲーツ米国防長官の訪中を招請。オバマ米大統領との会談では、米国が望む人民元の対ドル相場切り上げで、改革を進める意欲を表明しました。

 思い返せば、尖閣諸島の問題が起こるまでは、東アジアでは米中の対立が最大の懸案でした。その米国に頭を下げ、人民元や軍事交流の問題で譲歩することは、中国にとっては外交的な敗北ですし、国際競争力が低下して、経済的な損失も招きかねません。

 そうであっても、米国から日本に働きかけてもらって早く船長を釈放させ、国内の火種を消すほうが望ましいというのが、中国政府の判断だったのです。

 今回、レアアース(希土類)の輸出が停滞したことにも、「経済を人質に取るのか」と批判が集まりました。日本が得意な自動車や家電の生産に欠かせない資源で、中国が生産量の97%を占めているためです。

 ただ、停滞が中国政府の判断だったのか、私は疑念を抱いています。中国政府はレアアースが必要な外国企業を国内に呼び込み、投資と雇用の創出、技術の移転を狙っていたからです。
「レアアースが安定的に供給されるなら、中国へ工場を移そうか」

 今回の措置は、そんな気になりかかっていた各国の企業に「チャイナリスク」を思い出させ、レアアースを使わない技術の開発や、中国以外での資源獲得へ目を向けさせました。

 中国は個人消費が育っていないので、外国からの投資が欠かせません。成長のエンジンを失うリスクを負ってまで、日本との交渉カードにするでしょうか。

 中国はこれまで、「韜晦外交」を貫いてきました。大国だと威張るのではなく、身を低くして実力を隠していきましょうという姿勢のことです。
「世界の工場」として外国の企業や投資資金を呼び込み、さらなる成長につなげる。そのために、無用な警戒心を抱かせないよう注意を払ってきたのに、尖閣の事件で一気に崩れ去ってしまいました。

 中国にとって、さらに誤算だったのは、天安門事件にかかわり、刑務所に収監している人権活動家、劉暁波氏へのノーベル平和賞の授与が決まったことです。
「天安門」は「日本」以上にセンシティブな問題です。決定を伝えるテレビ番組の国内での放映を止め、ノルウェー政府に抗議すれば、国際的な威信がさらに傷つくことはわかっていたはずですが、恥をさらしても、国内の世論を抑え込まざるを得ませんでした。

 人民元をめぐっても、国際的に対中包囲網が作られつつあります。中国はすでに尖閣をめぐる交渉で、米国に対ドル相場での切り上げを約束させられました。表向きは反発の姿勢を示しつつ、すでに元は上昇していて、今後も切り上げが進んでいくでしょう。中国が、経済面でも難しいかじ取りを迫られることは避けられない状況です。

 尖閣事件後の1カ月半で、中国は国際的な信頼や経済的利益など多くのものを失いました。それに比べれば、最初に述べたように、日本が失ったものはほとんどありません。

 ただ、菅首相と民主党は今回の事件への対応を猛省すべきです。密使として訪中した細野豪志氏も、本来であれば第三国で会うべきでした。あれでは、一方的に頭を下げに行ったようにしか映りません。

 菅政権は、「中国」という国が一枚岩でないことを理解する必要があります。

 いま自分が交渉しているのは党中央なのか、地方政府なのか、人民解放軍なのか、商務部なのか。中国の名のもとに、利益の異なる複数の「主語」が存在し、競いあっています。その間をうまく渡り歩いて交渉できれば、いまより有利な立場に立てるはずです。 

 構成 本誌・林 恒樹

とみさか・さとし 1964年、愛知県生まれ。北京大学中退。雑誌記者などを経てフリージャーナリストに。『龍の伝人たち』で第1回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『中国の地下経済』(文春新書)、『平成海防論』(新潮社)、『中国報道の「裏」を読め!』(講談社)などがある

最終更新:10月20日(水)17時56分

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