旧東独の独裁関係者18万人、処罰をめぐる論争(上)

ドイツ政府「統合が優先」、被害者団体「反人権犯罪者の断罪を」

旧東ドイツ住民が依然として抱く違和感

「わたしたちは二等国民」と自嘲

 今月3日の統一ドイツ20周年を前にして、先月29日、1年ぶりにベルリンを訪れた。ベルリンは厳しい冷え込みに加え、小雨まで降り、わびしい雰囲気が漂っていた。

 昨年の今ごろは、各通りにベルリンの壁崩壊20周年(2009年11月9日)を祝うプラカードが掲げられ、世界各国から押し寄せた取材陣に「熱気」すら感じさせたが、今回は当時の浮かれたムードは全く感じられなかった。テーゲル空港で乗ったタクシーの運転手は、10月3日が何の日かも知らないと言い、記者はあきれ返った。タクシーの運転手は、「何かの音楽祭(統一ドイツ20周年記念音楽祭)のためにブランデンブルク周辺の道路が交通規制され、交通全体がひどいことになっている」と不平をこぼした。

 統一ドイツの象徴・ブランデンブルク広場前。昨年11月のイベントでは、ベルリンの壁崩壊を象徴する超大型ドミノが登場し、世界の人々の注目を集めたこの広場は、音楽祭が行われる野外臨時ステージの設置工事で大忙しだった。だが、広場にいた市民たちは、統一20周年公式イベントがベルリンではなく、ブレーメンのある教会で開かれるという事実をほとんど知らなかった。政府レベルではともかく、ドイツ国民の目線では、統一20周年記念イベントは、昨年行われたベルリンの壁崩壊記念イベントで終わってしまったようだ。

 冷め切った雰囲気に失望を感じ、かつての「壁」の跡をたどってブランデンブルクの南にあるポツダム広場まで、およそ1キロの道のりを歩いた。壁が鉄の城のようにそびえ立っていた時代に廃虚同然だったこの場所は、壁の撤去からわずか20年で、最先端のオフィス街へと進化した。かつての「分断」の跡は、地面の敷石(壁があった場所を敷石で示している)くらいだ。広場の真ん中に、記念として残されたコンクリートの壁の前で、旧東ドイツ軍の軍服を着て、旧東ドイツのビザスタンプを売っている商人がいた。その人に近づき、「どっちが昔の東ドイツですか」と尋ねてみた。商人は、「わたしも時々分からなくなる」とジョークを言いながら、指差した。観光客を笑わせようとした一言だろうが、外観だけを見ると、旧東ベルリン側の市街地の方が華麗ですっきりしている、という点を鋭く突いたジョークだった。

2010年のベルリン:統一ドイツの象徴・ブランデンブルク広場。昨年11月、世界中の注目を集めた「ベルリンの壁崩壊記念イベント」の熱気は、跡形もない。時折、観光客が記念撮影をする姿が目に留まるくらいだ。/ベルリン=金洪秀特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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