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【プロ野球】

星野氏阪神退団を表明 楽天監督“就任宣言”も

2010年10月20日 紙面から

退団を表明し、手を振って会見場を引き揚げる星野仙一氏=大阪市内のホテルで(布藤哲矢撮影)

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 阪神のオーナー付シニアディレクター(SD)の星野仙一氏(63)が19日、大阪市内のホテルで記者会見し、阪神退団を表明した。今後は監督として招聘(しょうへい)に動いている楽天と本格交渉に入るが、監督就任要請の受諾は確実。会見では「無性に野球がしたくなった」「また甲子園に戻ってきます。日本シリーズで」と事実上の監督就任表明もした。近日中に楽天・星野新監督が誕生する。

 温和な表情が突如、闘将の表情に変わった。「甲子園で(勇姿を)また見られますか?」と尋ねられたときだ。星野氏は「また甲子園に戻ってきます。日本シリーズで」とはっきりと言い切った。事実上の楽天監督“就任宣言”だ。

 まずは阪神側に筋を通す。9年間支え続けてくれたファンに感謝の意を示す。それが星野氏の考えだった。「寂しいのは寂しいけど、私のまた新しい人生を突っ走ろうと思います」。節目の会見を終えたことで、今後は一気に楽天監督就任へと向け動きだす。

 球団18年ぶりのリーグ優勝となった03年を最後に監督職から退いた。08年の北京五輪で監督を務めたとはいえ、ここ数年はSDとしてチームを支えてきた。だが、血が騒ぐのをこれ以上抑えるのは限界だった。「ここ1、2年、なんか無性に野球がしたくなった。やはり私は野球人だなと思った。野球がしたいんです」と抑えられない思いを口にした。

 実際、阪神側はSD職の継続を望んでいた。だが、星野氏は監督職にこだわった。球団関係者が「来年や2年後に監督と保証はできない」と当然の道理を話していたように、未来には何の確約もない。60を超えた年齢のこともある。流れも新天地での大勝負へと向いていた。

 「険しいけど、そこに道があるなら歩いていかないといけない。戦っていかないといけない」。最下位に沈んだ楽天を指揮することは火中のクリを拾うようなもの。ただ、だからこそ剛腕の力が必要である。来季、杜(もり)の都に場所を移し、闘将が鮮やかによみがえる。 (島田明)

 

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