田代まさしさん再び薬物逮捕の驚愕■篠田博之(2/2)
創 10月20日(水)12時23分配信
<1より続き>
◆逮捕の夜、妹たちは涙を流した◆
逮捕当日の午後、連絡がついて、私は、下の妹さんと田代さんが生活していたマンションに向かった。妹さんが借りたマンションに田代さんが同居していたのだが、そこに報道陣が押し掛け、入れない状態だと聞いたからだ。マンション入り口に群がった報道陣は、出入りする人物を誰何していたようで、妹さんの娘さんも声をかけられたという。
そのマンションで撮影された映像は夕方のニュースで放送されたが、ぼかしが少しかかっているとはいえ、建物も映されていたし、住民にコメント取材を行っている局もあった。せっかく田代さんが同居していることを近隣に伏せて生活していたのに、この無神経な報道は、妹さんの家族のプライバシーを容赦なく暴くものだった。
夕方、妹さんとそのマンションに入ろうとした時、神奈川県警の捜査員と顔を合わせ、話をした。家宅捜索と事情聴取を行うために、6人の捜査員がマンション近くで待機していたのだ。ワゴン車に乗った捜査員は全員私服で、ラフな格好だった。マンションには裏口から入る予定で、報道陣に見つからないようにそういう格好をしていたのだった。
田代さんが妹家族と居住していた部屋は到底薬物を隠しておけるような状態ではなかったため、捜査員は何も押収せずに引き揚げた。実際、そう広くないマンションの一室に田代さんが居候している形で、何かを隠せるスペースもないような部屋だ。妹2人の事情聴取も含めて1時間強で捜査員は去っていった。
捜査員が帰った後、私はその部屋に入り、妹さん2人とテレビのニュースを見ながら話をした。妹さんの携帯には心配した知人からひっきりなしに電話がかかってくる。自殺しようなどと変な考えを起こしたらいけないと心配して電話してきたという知人との通話の後、下の妹さんは号泣していた。実際、「お世話になった人たちに合わせる顔がない。死んでしまいたい気持ちだ」と話していた。
田代さんは2年前の6月に出所したその日から、上の妹さんの家に身を寄せ、居候していたが、その後は下の妹さんと一緒に暮らすことになった。この1年ほどはその妹さんと生活し、彼女は田代さんを応援する様々な人とも顔を合わせるようになっていた。
その日、2〜3時間、マンションで妹さんたちといろいろな話をした。この2年3カ月の間、本当にたくさんの人が田代さんの社会復帰のために尽力した。その結果、仕事も順調に増えていっていた。それが今回、全て無駄になってしまったのだ。怒るとか嘆くといった感情でなく、支配したのは脱力感だった。話しながら、2人の妹さんはしばしば涙ぐんだ。
いったいどうして……。それが共通の疑問だった。仕事も順調だし、周囲の応援も拡大しつつあったのに、なぜ再び薬物に手を出したのか。
◆一緒に逮捕された女性ファンの関わり◆
田代さんの供述によると、3カ月半前に知り合ったDJから薬物を入手したという。接見した弁護士には、仕事が入るようになって、元の田代まさしの姿をみんなに見せなければならないと思ってプレッシャーがかかるようになった、そのプレッシャーに耐えきれず薬物に手を出した、と説明したという。うつ病の人に周囲が応援のつもりで「がんばれ」と言うと、余計精神的負担がかかるというのと似た話だ。
しかし、もうひとつ見逃せないのは、薬物に手を出せる環境ができてしまったという事情だ。この数カ月ほど、田代さんの行動範囲は妹さんとの共同生活の枠を少しずつ超えるようになっていたのだった。
それは、一緒に逮捕された女性Aさんの出現によるものだった。今回の逮捕で実名・顔写真公開されたこの女性、もちろん私も知っている人だが、本稿では匿名にしよう。というのも、通常なら一般人のこういうケースで実名報道がなされることはない。神奈川県で美容室を経営しているというこの女性、初犯で執行猶予がついたとしても実名報道によるダメージは測り知れないからだ。今回、報道機関がどういう判断で実名と写真公開に踏み切ったのかがよくわからない。
彼女とは実は、2004年の田代さん逮捕の時に何度も警察署や東京拘置所で顔を合わせた。面会は通常、1日1組しか許可されず、確実に面会するためには朝一番で行かなければいけないのだが、彼女も頻繁に面会に訪れていた。彼女が先に面会したため、私が入れないこともあったが、恐らく彼女の方は私以上にそういう目にあっていたと思う。そのうちに彼女から手紙をもらい、ラッツ&スター時代からの熱心なファンだという彼女のことを知るようになった。
イベントやサイン会を主催する機会が多かったから、いろいろなファンの女性たちと知り合うことになったのだが、田代さんは特定の女性に深入りすることなく、大勢とある種の距離を保ちつつ接していた。ファンの女性に聞いてみると、それで十分満足、以前なら田代さんのツアーなどに参加しても個人的に話す機会などなかったから、今は夢のようだという。大体、青春時代にラッツ&スターの追っかけだった女性たちだから、今は50歳前後。田代さんは彼女たちの「青春」なのであった。
そうした女性ファンの中で、Aさんは少し独特の存在だったように思う。だ田代さんの方は、他のファンと同じように距離を置こうとしていたように見えた。前の事件の後、私は、実は今初めて明かすちょっとしたプランを考えたことがあった。
田代さんの懲役刑が確定し、刑務所に行くという時点で、前の妻との離婚も確実で、差し入れなどに通う人がいないために、このAさんと田代さんが結婚してはどうかと考えたのだ。そこで彼女に話すと、本人もその気になって、下獄直前、妹さんに自分の気持ちを書いた手紙を私経由で送ったのだった。ところが、あまりに突拍子もない話だったために妹さんたちは冗談かと思ったそうで、田代さん本人も乗り気にならなかった。田代さんは、離婚を覚悟していたとはいえ、当時はまだ前の妻に心が向いていたから、思い返せば当然の成り行きだった。
計画がうまくいかなかったことを電話で告げると、Aさんは「私はもう準備して連絡を待っていました」と言った。その口調の真剣さに、私はいささか驚いた。
◆ミイラとりがミイラに… 妹たちは大ショック◆
そのAさんは、田代さんの服役中も手紙を出したりしていたらしい。そして出所後、しばらくして再び田代さんに近づくようになった。私は田代さんの仕事が順調に増えていってからは、マネジメントは田代さんの公式サイトを管理する北村ヂンさんに任せるようになったので、次第に田代さんの仕事に関わる機会は減っていった。Aさんはちょうど入れ替わるようにして田代さんに急接近していったらしい。
北村さんに聞くと、最近は地方の泊りがけの仕事はほとんどAさんが同行するようになっていたという。何よりも重要なのは彼女が車の運転をしていたことで、それまで電車で仕事に通っていた田代さんにとっては、車で自由に移動できるようになったことは大きなことだったと思う。
Aさんはいつも「仕事の時は自分が田代さんを薬物の誘惑から守るから」と話し、仕事の行き帰りには妹さんを安心させるために必ず電話をしていたという。そのAさんが、薬物を入手し、自宅に保管するなど、田代さんが薬物に手を染めるサポートをしていたと知って、今回、妹さんたちは大きなショックを受けた。
Aさんは最初に弁護士の接見を受けた時、開口一番、妹さんに申し訳ないと憔悴した様子で詫びたという。
ちなみに田代さんの弁護人は、このAさんにも弁護人になってほしいと頼まれたのだが、それは受けられないと断ったという。前述したように、この女性の自宅から押収された大量の薬物をめぐる経緯によっては、田代さんも彼女も量刑が違ってくる。薬物所持について2人がそれぞれどういう役割を担ったかという部分では利害が対立する可能性もあるのだ。 既に田代さんは、コカインだけでなく大麻や覚せい剤も使用したことを認めているようで、女性の自宅からはそうした複数の薬物が押収されている。田代さんがどのようにして再び薬物に手を染めるようになったかは間もなく明らかになるはずだ。次号で本人に語ってもらうことにしよう。
◆薬物依存の怖さを改めて知らされた◆
それにしても今回、改めて薬物依存の怖さを思い知らされた。田代さんは著書『審判』の帯にも「刑務所は地獄だった」と書いているのだが、その地獄へどうして舞い戻ってしまうことになったのか。
この2年余、支援してくれた人たちがどんなに落胆することになるかも考えればわかるはずだ。それにもかかわらず薬物に手を出したというのは、依存症の恐ろしさというしかない。
ネットはもちろん、ワイドショーなども前にも増して田代さんを激しく断罪し罵っているが、本人を断罪したり処罰するだけで薬物依存が解決できると思うのは大きな誤解だ。ある種の病気だという認識をもって、治療プログラムをどう社会化していくか考えない限り、薬物依存の軽減ははかれないだろう。タレントの場合のみ大きく報道されるが、これはあくまでも氷山の一角だ。
麻薬大国アメリカでは、約20年前に、
薬物依存の克服は処罰だけでは不可能だとしてドラッグ・コートというシステムを導入した。処罰の代わりに治療プログラムを受けさせるという考え方だ。依存症を治療して治さない限り、刑務所に送るだけでは再犯を繰り返すことになるという反省から取り入れられたものだ。
詳しくは本誌2009年11月号の石塚伸一弁護士(龍谷大学教授)の論考を読んでいただきたいのだが、日本でも、少しずつ法の運用において、処罰よりケアを、という考え方を導入しつつある。
田代さんが2年前に出所した時、驚いたのは、満期出所の場合、当局によるその後のフォローが何もないことだ。社会的病弊だという認識が行政にあるならば、むしろその後のケアシステムを作り、再犯防止に努めるべきではないか。
田代さんは、出所して1年くらい経つと、少しずつ芸能の仕事が増え、薬物について語ることが少なくなっていった。薬物の話から遠ざかろうとしていたようにも見える。そのまま依存症を克服できるならそれでよかったのだろうが、今回のように再び手を染めるようになるのなら、本当は身近にカウンセリングできる人がいるという環境の方がよかったのかもしれない。
私は前述したように三田佳子さんの二男ともつきあっているが、彼の場合は、ガイアという薬物克服の集団に一時身を置いていたため、今でもその人たちと交流がある。薬物依存の克服においては、万が一再び手を染めることがあっても、相談できる人がいて、深入りしないうちに対処できる環境が望ましいという。
アルコール依存やうつ病と同じように、薬物依存もある種の病気だという認識がもっと広がれば社会的対処のシステムもできてくると思う。厳しく断罪して刑務所にぶちこめ!という識者ばかりがワイドショーで声高に叫んでいるうちは、現状は変わらないような気がする。
昨年の ・のりピー騒動・ 以来、芸能人の薬物汚染が大きな問題になっているが、相変わらず芸能マスコミがタレントの不祥事として報道するだけで、薬物依存についての踏み込んだ報道が一般紙でなされないのはどうしてなのだろうと思う。
日本も薬物対策にもっと本腰を入れなければ、取り返しのつかない事態に陥ってしまう。本誌は田代さんの事件を通して、薬物依存の問題をフォローしていきたいと思う。
(了)
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マーシーの近況について
◆逮捕の夜、妹たちは涙を流した◆
逮捕当日の午後、連絡がついて、私は、下の妹さんと田代さんが生活していたマンションに向かった。妹さんが借りたマンションに田代さんが同居していたのだが、そこに報道陣が押し掛け、入れない状態だと聞いたからだ。マンション入り口に群がった報道陣は、出入りする人物を誰何していたようで、妹さんの娘さんも声をかけられたという。
そのマンションで撮影された映像は夕方のニュースで放送されたが、ぼかしが少しかかっているとはいえ、建物も映されていたし、住民にコメント取材を行っている局もあった。せっかく田代さんが同居していることを近隣に伏せて生活していたのに、この無神経な報道は、妹さんの家族のプライバシーを容赦なく暴くものだった。
夕方、妹さんとそのマンションに入ろうとした時、神奈川県警の捜査員と顔を合わせ、話をした。家宅捜索と事情聴取を行うために、6人の捜査員がマンション近くで待機していたのだ。ワゴン車に乗った捜査員は全員私服で、ラフな格好だった。マンションには裏口から入る予定で、報道陣に見つからないようにそういう格好をしていたのだった。
田代さんが妹家族と居住していた部屋は到底薬物を隠しておけるような状態ではなかったため、捜査員は何も押収せずに引き揚げた。実際、そう広くないマンションの一室に田代さんが居候している形で、何かを隠せるスペースもないような部屋だ。妹2人の事情聴取も含めて1時間強で捜査員は去っていった。
捜査員が帰った後、私はその部屋に入り、妹さん2人とテレビのニュースを見ながら話をした。妹さんの携帯には心配した知人からひっきりなしに電話がかかってくる。自殺しようなどと変な考えを起こしたらいけないと心配して電話してきたという知人との通話の後、下の妹さんは号泣していた。実際、「お世話になった人たちに合わせる顔がない。死んでしまいたい気持ちだ」と話していた。
田代さんは2年前の6月に出所したその日から、上の妹さんの家に身を寄せ、居候していたが、その後は下の妹さんと一緒に暮らすことになった。この1年ほどはその妹さんと生活し、彼女は田代さんを応援する様々な人とも顔を合わせるようになっていた。
その日、2〜3時間、マンションで妹さんたちといろいろな話をした。この2年3カ月の間、本当にたくさんの人が田代さんの社会復帰のために尽力した。その結果、仕事も順調に増えていっていた。それが今回、全て無駄になってしまったのだ。怒るとか嘆くといった感情でなく、支配したのは脱力感だった。話しながら、2人の妹さんはしばしば涙ぐんだ。
いったいどうして……。それが共通の疑問だった。仕事も順調だし、周囲の応援も拡大しつつあったのに、なぜ再び薬物に手を出したのか。
◆一緒に逮捕された女性ファンの関わり◆
田代さんの供述によると、3カ月半前に知り合ったDJから薬物を入手したという。接見した弁護士には、仕事が入るようになって、元の田代まさしの姿をみんなに見せなければならないと思ってプレッシャーがかかるようになった、そのプレッシャーに耐えきれず薬物に手を出した、と説明したという。うつ病の人に周囲が応援のつもりで「がんばれ」と言うと、余計精神的負担がかかるというのと似た話だ。
しかし、もうひとつ見逃せないのは、薬物に手を出せる環境ができてしまったという事情だ。この数カ月ほど、田代さんの行動範囲は妹さんとの共同生活の枠を少しずつ超えるようになっていたのだった。
それは、一緒に逮捕された女性Aさんの出現によるものだった。今回の逮捕で実名・顔写真公開されたこの女性、もちろん私も知っている人だが、本稿では匿名にしよう。というのも、通常なら一般人のこういうケースで実名報道がなされることはない。神奈川県で美容室を経営しているというこの女性、初犯で執行猶予がついたとしても実名報道によるダメージは測り知れないからだ。今回、報道機関がどういう判断で実名と写真公開に踏み切ったのかがよくわからない。
彼女とは実は、2004年の田代さん逮捕の時に何度も警察署や東京拘置所で顔を合わせた。面会は通常、1日1組しか許可されず、確実に面会するためには朝一番で行かなければいけないのだが、彼女も頻繁に面会に訪れていた。彼女が先に面会したため、私が入れないこともあったが、恐らく彼女の方は私以上にそういう目にあっていたと思う。そのうちに彼女から手紙をもらい、ラッツ&スター時代からの熱心なファンだという彼女のことを知るようになった。
イベントやサイン会を主催する機会が多かったから、いろいろなファンの女性たちと知り合うことになったのだが、田代さんは特定の女性に深入りすることなく、大勢とある種の距離を保ちつつ接していた。ファンの女性に聞いてみると、それで十分満足、以前なら田代さんのツアーなどに参加しても個人的に話す機会などなかったから、今は夢のようだという。大体、青春時代にラッツ&スターの追っかけだった女性たちだから、今は50歳前後。田代さんは彼女たちの「青春」なのであった。
そうした女性ファンの中で、Aさんは少し独特の存在だったように思う。だ田代さんの方は、他のファンと同じように距離を置こうとしていたように見えた。前の事件の後、私は、実は今初めて明かすちょっとしたプランを考えたことがあった。
田代さんの懲役刑が確定し、刑務所に行くという時点で、前の妻との離婚も確実で、差し入れなどに通う人がいないために、このAさんと田代さんが結婚してはどうかと考えたのだ。そこで彼女に話すと、本人もその気になって、下獄直前、妹さんに自分の気持ちを書いた手紙を私経由で送ったのだった。ところが、あまりに突拍子もない話だったために妹さんたちは冗談かと思ったそうで、田代さん本人も乗り気にならなかった。田代さんは、離婚を覚悟していたとはいえ、当時はまだ前の妻に心が向いていたから、思い返せば当然の成り行きだった。
計画がうまくいかなかったことを電話で告げると、Aさんは「私はもう準備して連絡を待っていました」と言った。その口調の真剣さに、私はいささか驚いた。
◆ミイラとりがミイラに… 妹たちは大ショック◆
そのAさんは、田代さんの服役中も手紙を出したりしていたらしい。そして出所後、しばらくして再び田代さんに近づくようになった。私は田代さんの仕事が順調に増えていってからは、マネジメントは田代さんの公式サイトを管理する北村ヂンさんに任せるようになったので、次第に田代さんの仕事に関わる機会は減っていった。Aさんはちょうど入れ替わるようにして田代さんに急接近していったらしい。
北村さんに聞くと、最近は地方の泊りがけの仕事はほとんどAさんが同行するようになっていたという。何よりも重要なのは彼女が車の運転をしていたことで、それまで電車で仕事に通っていた田代さんにとっては、車で自由に移動できるようになったことは大きなことだったと思う。
Aさんはいつも「仕事の時は自分が田代さんを薬物の誘惑から守るから」と話し、仕事の行き帰りには妹さんを安心させるために必ず電話をしていたという。そのAさんが、薬物を入手し、自宅に保管するなど、田代さんが薬物に手を染めるサポートをしていたと知って、今回、妹さんたちは大きなショックを受けた。
Aさんは最初に弁護士の接見を受けた時、開口一番、妹さんに申し訳ないと憔悴した様子で詫びたという。
ちなみに田代さんの弁護人は、このAさんにも弁護人になってほしいと頼まれたのだが、それは受けられないと断ったという。前述したように、この女性の自宅から押収された大量の薬物をめぐる経緯によっては、田代さんも彼女も量刑が違ってくる。薬物所持について2人がそれぞれどういう役割を担ったかという部分では利害が対立する可能性もあるのだ。 既に田代さんは、コカインだけでなく大麻や覚せい剤も使用したことを認めているようで、女性の自宅からはそうした複数の薬物が押収されている。田代さんがどのようにして再び薬物に手を染めるようになったかは間もなく明らかになるはずだ。次号で本人に語ってもらうことにしよう。
◆薬物依存の怖さを改めて知らされた◆
それにしても今回、改めて薬物依存の怖さを思い知らされた。田代さんは著書『審判』の帯にも「刑務所は地獄だった」と書いているのだが、その地獄へどうして舞い戻ってしまうことになったのか。
この2年余、支援してくれた人たちがどんなに落胆することになるかも考えればわかるはずだ。それにもかかわらず薬物に手を出したというのは、依存症の恐ろしさというしかない。
ネットはもちろん、ワイドショーなども前にも増して田代さんを激しく断罪し罵っているが、本人を断罪したり処罰するだけで薬物依存が解決できると思うのは大きな誤解だ。ある種の病気だという認識をもって、治療プログラムをどう社会化していくか考えない限り、薬物依存の軽減ははかれないだろう。タレントの場合のみ大きく報道されるが、これはあくまでも氷山の一角だ。
麻薬大国アメリカでは、約20年前に、
薬物依存の克服は処罰だけでは不可能だとしてドラッグ・コートというシステムを導入した。処罰の代わりに治療プログラムを受けさせるという考え方だ。依存症を治療して治さない限り、刑務所に送るだけでは再犯を繰り返すことになるという反省から取り入れられたものだ。
詳しくは本誌2009年11月号の石塚伸一弁護士(龍谷大学教授)の論考を読んでいただきたいのだが、日本でも、少しずつ法の運用において、処罰よりケアを、という考え方を導入しつつある。
田代さんが2年前に出所した時、驚いたのは、満期出所の場合、当局によるその後のフォローが何もないことだ。社会的病弊だという認識が行政にあるならば、むしろその後のケアシステムを作り、再犯防止に努めるべきではないか。
田代さんは、出所して1年くらい経つと、少しずつ芸能の仕事が増え、薬物について語ることが少なくなっていった。薬物の話から遠ざかろうとしていたようにも見える。そのまま依存症を克服できるならそれでよかったのだろうが、今回のように再び手を染めるようになるのなら、本当は身近にカウンセリングできる人がいるという環境の方がよかったのかもしれない。
私は前述したように三田佳子さんの二男ともつきあっているが、彼の場合は、ガイアという薬物克服の集団に一時身を置いていたため、今でもその人たちと交流がある。薬物依存の克服においては、万が一再び手を染めることがあっても、相談できる人がいて、深入りしないうちに対処できる環境が望ましいという。
アルコール依存やうつ病と同じように、薬物依存もある種の病気だという認識がもっと広がれば社会的対処のシステムもできてくると思う。厳しく断罪して刑務所にぶちこめ!という識者ばかりがワイドショーで声高に叫んでいるうちは、現状は変わらないような気がする。
昨年の ・のりピー騒動・ 以来、芸能人の薬物汚染が大きな問題になっているが、相変わらず芸能マスコミがタレントの不祥事として報道するだけで、薬物依存についての踏み込んだ報道が一般紙でなされないのはどうしてなのだろうと思う。
日本も薬物対策にもっと本腰を入れなければ、取り返しのつかない事態に陥ってしまう。本誌は田代さんの事件を通して、薬物依存の問題をフォローしていきたいと思う。
(了)
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最終更新:10月20日(水)12時23分