2008年10月20日
最後に
「山中潤氏の語る『ガロ』」
最後まで読んでいただいた方々に感謝します。
何度も言い訳をしてしまいますが、
私は文章の勉強は、学校の作文の授業うけた程度の素人なので、
読みづらい部分や、変な表現も多々みられると思います。
なにより、お話をしていただいた、山中さん本人にも、
細かい間違いが多い等、不安な思いをさせてしまった事に、
改めて自分の未熟さを痛感し、反省する事しきりです・・・
改めて申し訳ありませんでした。
今思うと、ブログに記事を載せるのも、
もったいつけずに、いっぺんにアップすればよかったのかもしれません。
とりあえず、記事はこれで終了ですが、
細かい間違いの箇所は後で訂正しますので、
まだこれが完成というワケではありません。
昔から憧れの雑誌だった『ガロ』
それが突然の休刊になり、
その裏には経営陣と編集部員との間のトラブルがあったと、
当時色々な新聞や雑誌の記事にかかれていました。
しかし、山中さんは、『入院してた』(実際はしていなかった)
と伝えられたせいか、取材要請も特になかったそうで、
そうなると、記事は福井氏と元編集部員の話を元にして書かれた事になります。
今回こうして、お話をうかがって、
あまりにも当時書かれた記事と違うのに驚いてしまいました。
もっとも福井氏や元編集部員に今もしお話を伺ったら、
立場の違いから、また違ったお話をするのかもしれません。
『ガロ』は多くの読者に愛された雑誌で、
日本の漫画界の隆盛は『ガロ』なくしてありえなかった
と、言っても過言ではないと思っています。
(もちろんガロだけの功績ではありませんが)
それ故に色々な思いを『ガロ』に持っている方が、
今でもたくさんいられると思います。
今回こうして記事を書く事は、
コメントを中止したり、更新を見合わせた日があったりと、
正直プレッシャーに押しつぶされそうでした。
本当に私には分不相応な作業だと感じました。
取材させて頂く前に、山中さんには、
「一日50件前後のアクセスしかない弱小ブログですが、
そんなのに記事を載っけていいんでしょうか?」
と、まず問いました。
それに対して山中さんは、
「一日50件といいますけど、その50件の裏には、
それこそ、その何倍もの読者がいると思いますよ。
現に、こうして僕だって原田さんのブログをみつけて、
それで、こうしてお会いできている訳ですし」
と答えてくれました。
全くその通りで、『その1』をアップした時、
普段の3倍の150件のアクセスがありました。
改めて、山中潤様には、
事務所まで押し掛けて、お邪魔した事をお詫びすると共に、
貴重なお話をしていただいた事に感謝したいと思います。
有難うございました。
原田 高夕己
最後まで読んでいただいた方々に感謝します。
何度も言い訳をしてしまいますが、
私は文章の勉強は、学校の作文の授業うけた程度の素人なので、
読みづらい部分や、変な表現も多々みられると思います。
なにより、お話をしていただいた、山中さん本人にも、
細かい間違いが多い等、不安な思いをさせてしまった事に、
改めて自分の未熟さを痛感し、反省する事しきりです・・・
改めて申し訳ありませんでした。
今思うと、ブログに記事を載せるのも、
もったいつけずに、いっぺんにアップすればよかったのかもしれません。
とりあえず、記事はこれで終了ですが、
細かい間違いの箇所は後で訂正しますので、
まだこれが完成というワケではありません。
昔から憧れの雑誌だった『ガロ』
それが突然の休刊になり、
その裏には経営陣と編集部員との間のトラブルがあったと、
当時色々な新聞や雑誌の記事にかかれていました。
しかし、山中さんは、『入院してた』(実際はしていなかった)
と伝えられたせいか、取材要請も特になかったそうで、
そうなると、記事は福井氏と元編集部員の話を元にして書かれた事になります。
今回こうして、お話をうかがって、
あまりにも当時書かれた記事と違うのに驚いてしまいました。
もっとも福井氏や元編集部員に今もしお話を伺ったら、
立場の違いから、また違ったお話をするのかもしれません。
『ガロ』は多くの読者に愛された雑誌で、
日本の漫画界の隆盛は『ガロ』なくしてありえなかった
と、言っても過言ではないと思っています。
(もちろんガロだけの功績ではありませんが)
それ故に色々な思いを『ガロ』に持っている方が、
今でもたくさんいられると思います。
今回こうして記事を書く事は、
コメントを中止したり、更新を見合わせた日があったりと、
正直プレッシャーに押しつぶされそうでした。
本当に私には分不相応な作業だと感じました。
取材させて頂く前に、山中さんには、
「一日50件前後のアクセスしかない弱小ブログですが、
そんなのに記事を載っけていいんでしょうか?」
と、まず問いました。
それに対して山中さんは、
「一日50件といいますけど、その50件の裏には、
それこそ、その何倍もの読者がいると思いますよ。
現に、こうして僕だって原田さんのブログをみつけて、
それで、こうしてお会いできている訳ですし」
と答えてくれました。
全くその通りで、『その1』をアップした時、
普段の3倍の150件のアクセスがありました。
改めて、山中潤様には、
事務所まで押し掛けて、お邪魔した事をお詫びすると共に、
貴重なお話をしていただいた事に感謝したいと思います。
有難うございました。
原田 高夕己
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コメント一覧
1. Posted by きんぴら 2008年11月06日 01:16
いやぁ、山中さんは元気に東京で暮らしてるんですね。
私は沖縄で広告代理店で一緒に仕事してたものです。
安心しました。頑張って下さいとお伝えください。
私は沖縄で広告代理店で一緒に仕事してたものです。
安心しました。頑張って下さいとお伝えください。
2. Posted by 原田 高夕己 2008年11月08日 03:07
>きんぴらさん。
山中氏の沖縄時代の同僚の方なのですね。
はじめまして。
記事を読んでいただきありがとうございます。
私はインタビューをする前まで、
山中氏とはいっさい面識もありませんでしたが、
普通に元気そうな印象を感じました。
山中氏の沖縄時代の同僚の方なのですね。
はじめまして。
記事を読んでいただきありがとうございます。
私はインタビューをする前まで、
山中氏とはいっさい面識もありませんでしたが、
普通に元気そうな印象を感じました。
3. Posted by 白取千夏雄@元「ガロ」 2008年11月16日 11:55
こんにちは。
記事興味深く拝見しました。
山中さんの近況はちょこちょこ知り合いから伺っており、お元気になられたと嬉しく思いました。
「ガロ」の顛末ですが、原田さんも書かれている通り、「山中さんからの視点」というのは初めてで、なるほどと思うところ、それは全然違うというところ、さまざまでした。
実際俺は青林堂から騒動直前にツァイトに移動したわけですが、クーデターが背後でどう進行していたか(有名なK弁護士の証言を当時聞きました)とか、その後の彼らの行為や、さらには青林堂の後始末まで、俯瞰して全部を見ていたのは恐らく自分だけでしょう。
いわば生き証人です。
ただ、たった一カ所だけ、自分がいなかった場面が、例の
「山中さんが福井さんにハンコを渡した場面」
です。
なのでこれは自分のサイトの記録にも、福井さんの証言として掲載したのが、「一斉に罵詈雑言を浴びせた」「それに福井が激怒した」「そうして両者は決定的に決裂した」
という顛末です。
まあこれも水掛け論になるんでしょうが、あの当時山中さんはご本人も述懐しているように完全に普通じゃなかったですし、そもそも騒動のあった97年前後はほとんど会社にも来ず、騒動後も一度も俺と逢うことすらありませんでしたから。。。
自分は病的なほどの記録魔なので、記憶は十年経てば薄れるものの、その記録は残っています。
客観的事実・真実と、聞き書きの「事実」とはやはり違うものなんですよね。
そろそろ10年も経ったのだし、自分でもう一度冷静に検証しようと、手塚氏の韓国の漫画誌に掲載されたインタビューの邦訳を手に入れました。いやー、自己正当化の嵐で(笑)。やはり検証は必要だと痛感したので、近々開始しようと思っています。
山中さんにくれぐれもお伝えください、お元気でと。
常々公開しているように、90年代に「ガロ」を救ったのは紛れもなく山中さんの功績ですから。
記事興味深く拝見しました。
山中さんの近況はちょこちょこ知り合いから伺っており、お元気になられたと嬉しく思いました。
「ガロ」の顛末ですが、原田さんも書かれている通り、「山中さんからの視点」というのは初めてで、なるほどと思うところ、それは全然違うというところ、さまざまでした。
実際俺は青林堂から騒動直前にツァイトに移動したわけですが、クーデターが背後でどう進行していたか(有名なK弁護士の証言を当時聞きました)とか、その後の彼らの行為や、さらには青林堂の後始末まで、俯瞰して全部を見ていたのは恐らく自分だけでしょう。
いわば生き証人です。
ただ、たった一カ所だけ、自分がいなかった場面が、例の
「山中さんが福井さんにハンコを渡した場面」
です。
なのでこれは自分のサイトの記録にも、福井さんの証言として掲載したのが、「一斉に罵詈雑言を浴びせた」「それに福井が激怒した」「そうして両者は決定的に決裂した」
という顛末です。
まあこれも水掛け論になるんでしょうが、あの当時山中さんはご本人も述懐しているように完全に普通じゃなかったですし、そもそも騒動のあった97年前後はほとんど会社にも来ず、騒動後も一度も俺と逢うことすらありませんでしたから。。。
自分は病的なほどの記録魔なので、記憶は十年経てば薄れるものの、その記録は残っています。
客観的事実・真実と、聞き書きの「事実」とはやはり違うものなんですよね。
そろそろ10年も経ったのだし、自分でもう一度冷静に検証しようと、手塚氏の韓国の漫画誌に掲載されたインタビューの邦訳を手に入れました。いやー、自己正当化の嵐で(笑)。やはり検証は必要だと痛感したので、近々開始しようと思っています。
山中さんにくれぐれもお伝えください、お元気でと。
常々公開しているように、90年代に「ガロ」を救ったのは紛れもなく山中さんの功績ですから。
4. Posted by 原田 高夕己 2008年11月17日 09:19
>白取千夏雄様。
ブログに発表した以上、この記事を元ガロの関係者の方が読む事はあるとは思っていましたが、
白取さんから直々にコメントいただき、恐縮してしまいます。
山中さんに取材する時、白取さんのブログも資料として参考にさせていただきました。
あの休刊騒動に関わった方々には、それぞれ色々な意見があり、立場の違いから捉え方も異なる所があるとは思います。
そして、手塚氏に関しては、山中さんも連絡をとっていないとの事です。
白取さんの書こうとする「検証」は興味深い話ですが、どうぞお体にお気をつけて、余り無理はなさらない事を願います。
ブログに発表した以上、この記事を元ガロの関係者の方が読む事はあるとは思っていましたが、
白取さんから直々にコメントいただき、恐縮してしまいます。
山中さんに取材する時、白取さんのブログも資料として参考にさせていただきました。
あの休刊騒動に関わった方々には、それぞれ色々な意見があり、立場の違いから捉え方も異なる所があるとは思います。
そして、手塚氏に関しては、山中さんも連絡をとっていないとの事です。
白取さんの書こうとする「検証」は興味深い話ですが、どうぞお体にお気をつけて、余り無理はなさらない事を願います。
5. Posted by 白取特急 2008年11月17日 15:35
原田様
こんにちは。返信ありがとうございます。
山中さんからは久しぶりにメールが来ました。このブログがきっかけでした、ありがとうございました。
「ガロ」についてのキチッとした検証は、まあ自分しか出来ないだろうなあという自負があるし、そもそも全てを見てきたのも自分だけです。なので、「ガロ」が惨殺されたことの経緯は誰かが記録しておかねばならず、その役目はやはり自分かな、と。
それよりも山中さんと久しぶりに「ガロ」の思い出(いい思い出)を語り合いたいものだとしみじみ思いましたよ。
ではでは、原田さんもご自愛ください。
こんにちは。返信ありがとうございます。
山中さんからは久しぶりにメールが来ました。このブログがきっかけでした、ありがとうございました。
「ガロ」についてのキチッとした検証は、まあ自分しか出来ないだろうなあという自負があるし、そもそも全てを見てきたのも自分だけです。なので、「ガロ」が惨殺されたことの経緯は誰かが記録しておかねばならず、その役目はやはり自分かな、と。
それよりも山中さんと久しぶりに「ガロ」の思い出(いい思い出)を語り合いたいものだとしみじみ思いましたよ。
ではでは、原田さんもご自愛ください。
6. Posted by 原田 高夕己 2008年11月17日 23:13
>白取特急さん。
山中さんと白取さんが、このブログをきっかけにして連絡がとれた事を嬉しく思うとともに、
ブログやネットというモノの力や、文章をかくにあたっての自己責任等色々な事を痛感します。
ガロの突然の休刊から10年近くたった今だからこそ、再検証が必要だと思いますし、
その行動をしているのは、ネットで探した限りでは、白取さん以外には居ない様です。
白取さんだけに限らず、今回山中さんにも当時の事を語っていただいた事ですし、
現青林工藝舎のメンバーの方にも、韓国ではなく、国内であの騒動の事を語っていただくか、冷静に検証していただきたいとは個人的に思っております。
やはり色々と感情や立場の行き違いや事情があって難しいとは思いますが・・・
山中さんと白取さんが、このブログをきっかけにして連絡がとれた事を嬉しく思うとともに、
ブログやネットというモノの力や、文章をかくにあたっての自己責任等色々な事を痛感します。
ガロの突然の休刊から10年近くたった今だからこそ、再検証が必要だと思いますし、
その行動をしているのは、ネットで探した限りでは、白取さん以外には居ない様です。
白取さんだけに限らず、今回山中さんにも当時の事を語っていただいた事ですし、
現青林工藝舎のメンバーの方にも、韓国ではなく、国内であの騒動の事を語っていただくか、冷静に検証していただきたいとは個人的に思っております。
やはり色々と感情や立場の行き違いや事情があって難しいとは思いますが・・・
7. Posted by わだっち 2009年01月10日 14:39
原田様
はじめまして。ツァイトの関係者です。
原田様白鳥様のおかげで山中氏と連絡が取れました。心より感謝いたしております。
和田
はじめまして。ツァイトの関係者です。
原田様白鳥様のおかげで山中氏と連絡が取れました。心より感謝いたしております。
和田
8. Posted by 原田 高夕己 2009年01月12日 12:03
>わだっち様。
こちらこそコメント有り難うございます。
私なんかの拙い記事に感謝していただけるなんて、
恐縮してしまいます。
今回こういった記事をかかせていただいて、ブログというものの影響力の大きさを再認識しました。
改めて、取材をうけていただいた山中氏に感謝します。
こちらこそコメント有り難うございます。
私なんかの拙い記事に感謝していただけるなんて、
恐縮してしまいます。
今回こういった記事をかかせていただいて、ブログというものの影響力の大きさを再認識しました。
改めて、取材をうけていただいた山中氏に感謝します。
9. Posted by Konak 2010年03月04日 03:43
実は私は自分の仕事を持ちながら、経済苦に悩み、GoogleADで見つけたカスタムPC JUNSに面接に行った者です。で、残念ながら不採用。
それはさておき、山中さんのブログを見たりしていると、色々と面白い経歴の方だなと思いつつ、ネットを徘徊していました。
そうして、このブログに辿りつきました。「ガロ」に関係していたのは他のページで知っていたのですが、ここまで詳しく書かれていたのを読んだのは初めてでしたので、とても新鮮でした。
お金に直接結び付かないような事であっても、こうしてだれかが恩恵を得ているという、ネット特有の暖かさを感じてしまいます。
とても興味深い記事、ありがとうございました。
10. Posted by 原田 高夕己 2010年03月04日 05:24
>konakさん。
こちらこそはじめまして。
ガロの単なる一読者でなかった私が、
社長・編集長だった山中さんにインタビューができた
というのもネットが普及したからで、
休刊当時だったら考えられない、得難い経験をさせていただいたと改めて思います。
本当に勉強になりました。
こちらこそはじめまして。
ガロの単なる一読者でなかった私が、
社長・編集長だった山中さんにインタビューができた
というのもネットが普及したからで、
休刊当時だったら考えられない、得難い経験をさせていただいたと改めて思います。
本当に勉強になりました。
11. Posted by 名無し 2010年09月25日 00:11
親父も自分も大好きだったガロにはこんな真実があったんですね('A`)
自分はただの元読者ですが何故か読んでいて涙が流れました不思議ですね
いい記事ありがとうございます!
12. Posted by 原田 高夕己 2010年09月25日 08:29
>名無しさん。
こちらこそ、拙文を読んでいただき、
有難うございました。
私もガロの一読者にしかすぎませんが、
こうしてご縁があり、貴重なお話を
山中さんご本人から聴かせていただいたのは、
思いがけない出来事でした。
ガロはまたいずれ再検証や再評価をなされるべき
雑誌ですので、
私みたいな素人ではない、もっとしっかりした方が、
ガロを調べていただけたら・・・と、思っています。
こちらこそ、拙文を読んでいただき、
有難うございました。
私もガロの一読者にしかすぎませんが、
こうしてご縁があり、貴重なお話を
山中さんご本人から聴かせていただいたのは、
思いがけない出来事でした。
ガロはまたいずれ再検証や再評価をなされるべき
雑誌ですので、
私みたいな素人ではない、もっとしっかりした方が、
ガロを調べていただけたら・・・と、思っています。