2008年10月19日
山中潤氏の語る「ガロ」・7
福井氏体勢下の青林堂とガロには山中さんは関わっておらず、
ではこの頃何をしていたかというと、写真の個展を開いていたそうです。
「青林堂の社長だったという身分を隠して、
写真の売り込みとかしてたんですよね。
アートギャラリーの渋谷美蕾樹で個展を開きました」
そして、蟹江氏が青林堂社長に就任し、2000年1月号より再々度復刊したガロは、
また以前のサブカルチャー情報誌に近い形に戻っていった。
その新生ガロに山中さんは、再び関わる事になった。
「復刊した最初の号の台割は僕がやりました。
だけど、その後に長井勝一資料室のある宮城県の塩釜まで取材にいって、
東京に戻ってきたら、もう席がなくなっていました」
そこで山中さんはガロから完全に離れて行ったらしい。
「蟹江さんはカゴメ創業者一族の人なんですが、
色々苦労したそうで、高校は中退だったか、行かなかったかみたいなので、
大検をとって早稲田大学に入ったそうです。
プラモデルが好きで、『大和堂』って名前も戦艦大和からとったらしいです。
ねこぢるのCDロムを作りたいって言ってきたから、
僕がもっていた版権を大和堂にうつしました。
この頃は経済的にも苦しくって、その上に迫られた感じになって、
青林堂を大和堂に売るハンコも押してしまいました」
福井氏はどうしてるのかというと、
この頃はガロ復刊の為に色々な所からお金を借り、
某出版社の人たちとチームを組んで、編集会議をひらいていたそうだ。
その後、蟹江体勢下のガロは2001年半ばより隔月刊誌に、
2002年半ばから季刊誌へと移行していった。
「その頃のガロで良かったと思えたのは、
鳥肌実(注1)を起用した事ぐらいですね」
そして2002年。ガロはオンデマンド出版の雑誌になる。
内容は過去の名作(主にガロ作家以外)の再録で、
ガロの最大の特徴である「新人起用」の伝統はここで潰えた。
そして、休刊の正式決定もでないまま、
現在まで最新号の刊行はされてない、事実上の休刊状態となっている。
(「妖怪ガロ」等のガロの名のついた、増刊的な本は発行された事がある)
その後の青林堂は主に漫画のネット配信や、
オンデマンドの単行本の販売をしている。
子会社の青林堂ビジュアルは2003年にタカラの子会社になったが、
タカラの会社統合により、同列関係は清算されている。
さて、元ガロ編集部員の興した青林工藝舎と、新生青林堂の関係はどうだったのか?
お話をうかがったあとに、山中さんから資料として当時の記事を送っていただいた。
それによると、蟹江氏は休刊騒動の際に元編集部員が行った、
原稿もちだしや、福井氏を非難する声明文をだした事に対し、
名誉毀損で損害賠償請求を2000年におこしたそうだ。
この裁判は和解で終わってるが、和解内容は不明。
そして、昨年2007年に蟹江氏はインターネットオークションにて、
模造拳銃を売り、銃刀法違反で逮捕された。
さて、ガロとも青林堂も離れた山中さんはというと、
これからはのんびりと暮らそうと2000年より沖縄に移住した。
「そこでたまたま『編集長募集』なんてトンデもない求人があったんで、
面接に行ったら、採用されました。
それで、沖縄の印刷会社の子会社の広告代理店が出していた雑誌
『住宅情報』の編集長になりました」
だが、後でその誌名がネックになる。
「東京の『住宅情報』から誌名を変更してほしいとクレームがついたので、
ならばもう全く違う新しい雑誌をやったほうがいいと上からいわれて、
女性誌『KeyRey』(キレイ)を創刊しました。
表紙モデルは高校生だった、比嘉愛未さん(注2)です」
だが、それから山中さんは沖縄を離れる。
「この頃mixiをやりはじめました。
山野一さんや、いしかわじゅん(注3)ともマイミクになりました。
そうして、このまま50になったら、もう沖縄から出れなくなるな・・・
と、思い、それから九州に行き、広島に行き、どんどん北上していって、
東京にもどりました。ミクシィの旅です(笑)」
そして、趣味で作ったパソコンをネットオークションで販売。
「それが評判になり、カスタムパソコンの会社をつくって、
現在に至る・・・というカンジですね」
・・・その8に続く。
追記は注釈解説。
文責・構成
原田 高夕己
ではこの頃何をしていたかというと、写真の個展を開いていたそうです。
「青林堂の社長だったという身分を隠して、
写真の売り込みとかしてたんですよね。
アートギャラリーの渋谷美蕾樹で個展を開きました」
そして、蟹江氏が青林堂社長に就任し、2000年1月号より再々度復刊したガロは、
また以前のサブカルチャー情報誌に近い形に戻っていった。
その新生ガロに山中さんは、再び関わる事になった。
「復刊した最初の号の台割は僕がやりました。
だけど、その後に長井勝一資料室のある宮城県の塩釜まで取材にいって、
東京に戻ってきたら、もう席がなくなっていました」
そこで山中さんはガロから完全に離れて行ったらしい。
「蟹江さんはカゴメ創業者一族の人なんですが、
色々苦労したそうで、高校は中退だったか、行かなかったかみたいなので、
大検をとって早稲田大学に入ったそうです。
プラモデルが好きで、『大和堂』って名前も戦艦大和からとったらしいです。
ねこぢるのCDロムを作りたいって言ってきたから、
僕がもっていた版権を大和堂にうつしました。
この頃は経済的にも苦しくって、その上に迫られた感じになって、
青林堂を大和堂に売るハンコも押してしまいました」
福井氏はどうしてるのかというと、
この頃はガロ復刊の為に色々な所からお金を借り、
某出版社の人たちとチームを組んで、編集会議をひらいていたそうだ。
その後、蟹江体勢下のガロは2001年半ばより隔月刊誌に、
2002年半ばから季刊誌へと移行していった。
「その頃のガロで良かったと思えたのは、
鳥肌実(注1)を起用した事ぐらいですね」
そして2002年。ガロはオンデマンド出版の雑誌になる。
内容は過去の名作(主にガロ作家以外)の再録で、
ガロの最大の特徴である「新人起用」の伝統はここで潰えた。
そして、休刊の正式決定もでないまま、
現在まで最新号の刊行はされてない、事実上の休刊状態となっている。
(「妖怪ガロ」等のガロの名のついた、増刊的な本は発行された事がある)
その後の青林堂は主に漫画のネット配信や、
オンデマンドの単行本の販売をしている。
子会社の青林堂ビジュアルは2003年にタカラの子会社になったが、
タカラの会社統合により、同列関係は清算されている。
さて、元ガロ編集部員の興した青林工藝舎と、新生青林堂の関係はどうだったのか?
お話をうかがったあとに、山中さんから資料として当時の記事を送っていただいた。
それによると、蟹江氏は休刊騒動の際に元編集部員が行った、
原稿もちだしや、福井氏を非難する声明文をだした事に対し、
名誉毀損で損害賠償請求を2000年におこしたそうだ。
この裁判は和解で終わってるが、和解内容は不明。
そして、昨年2007年に蟹江氏はインターネットオークションにて、
模造拳銃を売り、銃刀法違反で逮捕された。
さて、ガロとも青林堂も離れた山中さんはというと、
これからはのんびりと暮らそうと2000年より沖縄に移住した。
「そこでたまたま『編集長募集』なんてトンデもない求人があったんで、
面接に行ったら、採用されました。
それで、沖縄の印刷会社の子会社の広告代理店が出していた雑誌
『住宅情報』の編集長になりました」
だが、後でその誌名がネックになる。
「東京の『住宅情報』から誌名を変更してほしいとクレームがついたので、
ならばもう全く違う新しい雑誌をやったほうがいいと上からいわれて、
女性誌『KeyRey』(キレイ)を創刊しました。
表紙モデルは高校生だった、比嘉愛未さん(注2)です」
だが、それから山中さんは沖縄を離れる。
「この頃mixiをやりはじめました。
山野一さんや、いしかわじゅん(注3)ともマイミクになりました。
そうして、このまま50になったら、もう沖縄から出れなくなるな・・・
と、思い、それから九州に行き、広島に行き、どんどん北上していって、
東京にもどりました。ミクシィの旅です(笑)」
そして、趣味で作ったパソコンをネットオークションで販売。
「それが評判になり、カスタムパソコンの会社をつくって、
現在に至る・・・というカンジですね」
・・・その8に続く。
追記は注釈解説。
文責・構成
原田 高夕己
注1・・・鳥肌実(とりはだ・みのる)
元吉本興業の芸人。俳優としても活躍。右翼パフォーマンス調の芸風で知られ、
皇室・独裁国家・宗教団体等のタブー視される事象をネタとして扱い、
それ故にテレビ露出は少ないが、熱狂的なファンを持つ。
キャラ設定上のプロフィールでは樺太生まれ。42歳の厄年。
注2・・・比嘉愛未(ひが・まなみ)
1986年沖縄生まれ。学業の傍ら03年にモデルデビュー。
05年「ニライカナイからの手紙」にて女優デビュー。
06年にNHKの朝ドラ「どんど晴れ」の主役に抜擢。
09年からの大河ドラマ出演も決まっている。
注3・・・いしかわじゅん
1951年。明治大学漫研出身の漫画家。
「BSマンガ夜話」のレギュラーで、漫画評論家としても知られる。
漫画家としてはエッセイ漫画の先駆者的存在。
評論家としては、辛口の論評や発言で賛否両論ある。
元吉本興業の芸人。俳優としても活躍。右翼パフォーマンス調の芸風で知られ、
皇室・独裁国家・宗教団体等のタブー視される事象をネタとして扱い、
それ故にテレビ露出は少ないが、熱狂的なファンを持つ。
キャラ設定上のプロフィールでは樺太生まれ。42歳の厄年。
注2・・・比嘉愛未(ひが・まなみ)
1986年沖縄生まれ。学業の傍ら03年にモデルデビュー。
05年「ニライカナイからの手紙」にて女優デビュー。
06年にNHKの朝ドラ「どんど晴れ」の主役に抜擢。
09年からの大河ドラマ出演も決まっている。
注3・・・いしかわじゅん
1951年。明治大学漫研出身の漫画家。
「BSマンガ夜話」のレギュラーで、漫画評論家としても知られる。
漫画家としてはエッセイ漫画の先駆者的存在。
評論家としては、辛口の論評や発言で賛否両論ある。