2008年10月18日

山中潤氏の語る「ガロ」・6

ガロ休刊号私がブログに「ガロ休刊騒動」という記事を書いたのは、
漫画のウンチク話のひとつとして、
好きだったガロについて触れたかったからで、
休刊当時の記事数点とネット情報を資料にしました。

その参考にした資料のひとつ、「コミックボックス」誌に載った記事。
「ガロ休刊の真相・ここには真実のみが語られています」
と、題されたその記事によると、1997年7月4日がXデーだったそうだ。
その7月4日に何がおきたのかをまとめてみると・・・


まず福井氏が手塚副編集長に尋ねる。
「青林堂をある所に売却するらしいと山中君に聞いているが、事実なのか?」
それに対し手塚副編集長は「それは山中さんに頼まれた」と返答されたので、
福井氏は、その場(青林堂)に山中さんを召還し、事実関係を確かめた所、
「そんなことはいってない」と、山中さんは否定。
その上で青林堂の親会社であるツァイトの社長の福井氏に内緒で、
会社の売却は出来ないと語った事で、
編集部員はよってたかって山中さんを責め立てる。

福井氏は「体調不良の山中に対し、集団でこんなことするのは暴力だ」
と、擁護し、
「山中がそんな状態の時に勝手に会社の売買は承認できない」
と、青林堂の代表者印をあずかる。

そして、7月7日に、編集部員全員が辞表を出す・・・



しかし、山中さんから伺った7月4日のお話は、
この記事にかかれた出来事とはかなり違っていました。

「福井さんは代表者印が欲しくて、ずっと探していたらしいです。
 そういう動きを知ってたので、僕は福井さんを避けていました。
 日にちはよく覚えていないんですが、たぶん7月4日の事でしょう。
 昔の友人に呼ばれて、ツァイトと青林堂のある初台のビルに行った所、
 そこに福井さんが現れたのです」

そして、山中さんは8階の青林堂に連れられた。

「福井さんには編集部員のいる前で、
 会社のハンコを渡してほしいといわれました。
 それで、その場で福井さんに代表者印をわたしてしまいました。
 高市さん(注1)は泣いていました。
 浅川さん(注2)からは『とうとうガロをつぶしたね・・・』
 とポツリと言われました。
 本当に、今となって思えばなんでそういう事をしたかわからない。
 この時は体調がよくない事もあって、マトモじゃなかったのかもしれません」

そこで山中さんは少しの間、絶句した。思い出すのも辛い記憶だったのだろう。
初めて取材というのを経験する私にも、こういう話を詳しく伺うのは辛かった。

「ガロの事をよく知らない、つげ義春先生や林静一先生の作品も
 多分読んだ事がないだろう福井さんに青林堂をわたしてしまって、
 大丈夫なのだろうか?と、そういう事を思うとやりきれない気持ちになって、
 僕はガックリと、その場でへたりこんで泣いてしまいました」

記事とは全く違う話だ。
実際には青林堂の売却話は山中さんが手塚副編集長に依頼しているし、
記事にかかれた様な編集部員たちの『罵声』も無かった。
そして、福井氏も特に山中さんをかばう行為はしてないという。

「福井さん自体はそんな悪い人ではない。素朴な人だと思ってます。
 ただ、こうして直接でなく、別の人を使って僕を呼び出して、
 そこでハンコをわたしてくれだなんて行為はひどいんじゃないか・・・
 と、思いましたが、結局その福井さんに負けた自分も悪いんですよね」

そして7月7日の編集部員全員の辞表提出に関しては、
山中さんはいっさい関わっていない。
その後、辞職した元ガロ編集部員たちが興した『青林工藝舎』や、
ガロの後継誌といえる「アックス」にも山中さんは関わっていない。

ともかく、編集部員が一斉に退職してしまったこの時点で、
9月号の刊行は不可能になり、ガロは突然休刊する事になったのである。

「この前10年ぶりかに元編集部員の一人からメールが届いたので、
 久しぶりに会って『あの時はお互いオカシかったね』と話しました。
 他の元編集部員にもメールしましたが、
 何人かは返事をかえしてはくれませんでしたね。
 ガロはあの時つぶれる状態じゃなかったですから、
 たぶん僕の事を恨んでるんでしょうね」

現在アックスの編集長である手塚氏は、
本当にガロを心から愛してる人だったそうです。

となると、騒動当時に囁かれた、"元編集部員達のクーデター"
というのは事実とは違うという事になる。

ところで休刊騒動の時に当事者である山中さん本人に取材要請は無かったのか?

「フジテレビのプロデューサーが電話してきた位です。
 やっぱりガロは長井勝一のモノで、その長井さんが亡くなって、
 ガロもつぶれた・・・と、そんな認識だったんでしょうね」

取材がなかったのは山中さんが入院していたと伝えられてたせいもあるだろう。

「入院はしてません。その頃はスペインで静養してました。
 多分福井さんが入院したってみんなに言ったんではないかと思います」

「結局福井さんはOさんの言いなりになっていたんじゃないんでしょうか?
 Oさんが出すと言ってた6000万円はいっこうに出る気配無く、
 結局ツァイトは潰れた。潰れる前に僕はやめてるのですが、
 倒産の案内は山中名義でだされていました」

その後97年12月に新生青林堂は、新たに編集部員を集め、
元ガロ作家の長戸雅之(注3)編集長の下、復刊する。

「こう言ったら悪いけど、新しいガロは
 趣味に走りすぎてる様に感じた。まるで同人誌みたいな・・・
 もちろん同人誌が悪いという意味ではありませんが」

結局復刊したガロだったが98年9月、再度休刊する。
しかし、ガロはそこで終わらない。
ねこぢるの版権を所有するCDロム制作会社『大和堂』の系列となり、
再々度復刊を果たす。

その『大和堂』の社長、蟹江幹彦氏(注4)は、
その後、福井氏に代わって青林堂の社長になる。

・・・その7につづく。
追記は注釈解説。

文責・構成
原田 高夕己

注1・・・高市真紀(たかいち・まき)
  元青林堂経理。現在青林工藝舎社員。漫画家・山田花子の妹。
  自身も丸山玉子名義で漫画やイラストを描く。

注2・・・浅川満寛(あさかわ・みつひろ)
  93年青林堂入社。元青林堂営業部員。
  現在青林工藝舎役員。

注3・・・長戸雅之(ながと・まさゆき)
  1960年神奈川生まれ。81年ガロにて「風呂上がりの一仕事」でデビュー。
  ガロに作品を発表する傍ら、編集者として三和出版の雑誌に携わる。
  その後編集プロダクションに勤務。竹書房の4コマ誌の編集を経て、
  復刊したガロの編集長に就任。再休刊の際、編集長を辞職。

注4・・・蟹江幹彦(かにえ・みきひこ)
  1958年愛知出身。カゴメ創業者一族の家庭に産まれる。
  CDロム制作会社大和堂社長。青林堂社長。
  97年に銃刀法違反で逮捕される。

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