2008年10月14日

山中潤氏の語る「ガロ」・5

1996年にガロ編集部員や、昔からの作家達の心のよりどころといえた、
青林堂創業者・長井勝一氏が亡くなる。
後になって『この時にガロは休刊すべきだった』
といった厳しい意見も聞かれるのだが、
まだこの時は青林堂もガロも経営状態は安定していた。

ではなぜ翌年の1997年に休刊騒動がおきたのか?
その原因として、まず『デジタルガロ』があげられる。

「95年にウィンドウズが発売されて、外国からソフトが大量に入ってきて、
 それでソフト制作会社であるツァイトが苦しくなって行きました。
 それに加えてアスキーでお家騒動がおき、
 朝日新聞は一面でアスキーの不良債権の事をかき立てた。
 アスキーを潰そうって思ってたんでしょうかね?新聞の怖さを知りました。
 それでアスキーの資金ぐりも悪化したんですが、
 どういう訳か、そのアスキーがツァイトに5000万振り込んでくれたのです」

そこで、山中さんは勝負にでたのである。

「当時はネットを繋げるにはなんだかんだで2万円位かかっていました。
 じゃあ、そんな中CDをのっけて、入会費無料で、ネットに繋ぐ事も出来る。
 そんな画期的な商品を980円で、コンビニにも流通して、
 大々的に売り出そうと考えたんです。
 しかし、取次は紙のページの無い、CDロムだけの商品は取り扱ってくれません。
 そこで、紙のページをつけて、雑誌の形態にしたので、
 結果的に『デジタルガロ』っていう名前になっちゃったんです。
 最初からそういう名前にするつもりはなかったんですよ。
 それで紙のページが埋めらんなくて、何でもつっこんじゃった(笑)
 沼田元気さんと羽良多平吉(注1)さんはケンカしちゃうし、
 メチャクチャな雑誌になっちゃいました」

この時、ガロ編集部からは、編集職を辞めて、
白取千夏雄氏(注2)がツァイトに移籍し、デジタルガロ編集長として、
制作にかかわっている。
白鳥氏は休刊騒動の事を詳しくウェブ上に発表して、
今回、私が山中さんの取材をする際の資料として参考になりました。

「けど、『デジタルガロ』は企画自体は良かったんですよ。
 980円でネットに繋げ、入会費無料だし、コンビニの人もノってくれたので、
 初回に8万部投入しました。表紙はエビスさん(蛭子能収)です。
 だけど結局パッとみたかんじ何の本なんだかわからない。
 それにインターネットをやろうと思う層とガロ読者との接点が無かった。
 電車の吊り広告もやったんですが、ガロにからめてしまったのが悪かった。
 それが失敗。だけど、『デジタルガロ』はガロの名前を名乗っていても、
 ツァイトが制作したモノで、青林堂のお金は一切使っていません」

休刊騒動時の記事によると、
『デジタルガロ』の失敗で青林堂も傾いたと読み取れる箇所がある。

「当時青林堂は4億の資金があったし、休刊する状態ではありませんでした」

しかし、その頃、山中さんは、急激に痩せる。
短期間で60キロ台だった体重が一気に40キロ台に・・・

「20キロも痩せて、もうツァイトは閉めようと思ってたんです。
 そうしたら、先輩筋にあたる福井さん(注3)が現れて、
 『ならオレが社長になろうか』って言ってきたんです」

その福井氏は大阪のOという人物に心酔していたらしい。
そのO氏に頼んで6000万ほどの資金を用意してもらう手筈だったそうだ。

「もうその頃は体重が20キロ減った事もあって、とにかくガロから離れたいと思っていた。
 だからまず最初にツァイトは福井さんに預けて、青林堂は他の人に買ってもらおうと、
 副編集長の手塚(能理子)さん(注4)に頼んで、誰か買ってくれる人がいないか、
 探してもらいました。
 そこで手塚さんは白夜書房の末井(昭)さん(注5)に相談して、
 ガロをひきとってくれる様に話が進んでたんですが、
 白夜書房の社長は絶対的な人で、その社長が反対したので、その話は流れました」

ツァイトは福井氏が社長になったが、青林堂の社長はまだ山中さんだった。
だが、ガロの編集部員は日々、福井氏にガロが乗っ取られるのではないかと、
不安に感じていた事だろう。

さて、いよいよこれから、ガロ休刊騒動の話を山中さんに聞く事になる。
色々と思い出したく無い事も多いとは思いましたが、
やはり、それが一番気になる事。

当時の記事には、元編集部員のクーデターだった・・・
と、いった様なかかれ方をしていますが、
実際はどうだったのでしょうか?


・・・その6につづく。

追記は注釈解説。

文責・構成 
原田 高夕己

注1・・・羽良多平吉(はらた・へいきち)
   1947年生まれ。エディトリアルデザイナー・ブックデザイナーとして活躍。
   『ガロ』『クイックジャパン』等のサブカル誌のデザインを手がける。

注2・・・白取千夏雄(しらとり・ちかお)
   1965年北海道生まれ。元ガロ副編集長。休刊騒動前に青林堂から、
   親会社ツァイトに移籍。デジタルガロ編集長を勤める。
   その後、日本ジャーナリスト専門学校講師に就任。
   現在病気療養中。妻は漫画家のやまだ紫。

注3・・・福井源(ふくい・げん)
   1956年東京生まれ。父は博報堂の元社長。
   高校中退後渡米し、アメリカのハイスクールで学ぶ。
   その後日米各社を渡り歩き、97年ツァイト社長。
   後に青林堂の社長にも就任。(現在も社長かは不明)
   07年株式会社ライフタイム設立。会員制ウェブサイト・イーライフタイムを開始。
   (現在ソフトバンクモバイルより警告がでている)

注4・・・手塚能理子(てつか・のりこ)
   1955年栃木生まれ。現在青林工藝舎社長・アックス編集長。
   79年青林堂入社。退社後フリーライターをへて、青林堂に再入社。
   ガロ副編集長に就任。休刊騒動の際に退社後、
   現在の青林工藝舎を設立し、ガロの後継的雑誌アックスを刊行する。

注5・・・末井昭(すえい・あきら)
   1948年生まれ。現在白夜書房取締役編集局長。
   赤瀬川原平に憧れ美学校に入学するも、エロ雑誌編集をたのまれ、
   多忙の為に中退後、創立メンバーとしてセルフ出版(現・白夜書房)社員になる。
   『写真時代』を創刊し、アラーキー・赤瀬川原平をむかえる。
   その後『パチンコ必勝ガイド』の編集長に就任。
   "ゴンゾーロ末井"の名で、女装姿でCMに出演した名物編集者。
   ガロ系の人物との交流も多い。
   
   

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