旧横浜商銀の初代理事長で平楽グループ創業者の李鍾大氏が12日午前1時5分、脳梗塞のため入院先の病院で急逝した。享年91歳。通夜は17日、告別式は18日、横浜市菊名の妙蓮寺で営まれた。 神奈川在日韓国人社会の経済基盤を築いた指導者の死に松沢しげふみ神奈川県知事はじめ生前交流のあった韓日、在日各界人士が弔問に訪れた。通夜には1300人が参列。鄭進民団中央団長、金演権駐横浜韓国総領事、関根貞雄神奈川県遊技場協同組合理事長、殷鍾七民団神奈川県本部常任顧問が弔辞を述べた。葬儀委員長の金時鐘金田総合グループ会長は「在日韓国人社会を今日の繁栄に導いた最大の功労者」とその功績を偲んだ。 遺族は1男4女。喪主は長男で平楽グループ代表の正寿氏。遺族を代表し父親の思い出を語った李正寿氏は生前の厚誼に対して参列者に感謝の言葉を述べた。 1919年慶尚北道義城郡に出生。38年には京都に渡日。足柄上郡から横浜へ居を移す。戦後の混乱期に横須賀へ進出、事業の礎を築く。在日商工人の遊技業認可の道を開き49年、遊技場平楽会館を開業。56年神奈川県横浜遊技場協同組合を設立。62年神奈川県下同胞の期待を担い横浜商銀信用組合を創立。初代理事長として金融機関経営に力を注ぐとともに神奈川・横浜の在日商工人育成に勇断を振るった。また駐横浜韓国総領事館開設に建設委員長として用地確保と資金協力に奔走し66年現在地に建設。神奈川韓国総合教育院設立にも寄与した。 58年、鶴屋町本部不動産の所有権取得に尽力し、県下団員の苦難の歴史と団結の象徴として96年竣工した神奈川韓国会館の建設に第二次建設委員会名誉会長として指導力を発揮した。 在日同胞社会発展に寄与した功績で71年国民勲章冬栢章、76年牡丹章、86年無窮花章を受章。87年ソウルオリンピック後援の功績から体育勲章青龍章授与。 |