10年10月18日(月)「#1205 反日デモ」

  尖閣問題を受けて悪化していた日中関係にようやく改善の兆しが見えてきたと思っていた矢先に中国各地で反日デモが相次いで起きた。しかも、以前に起きた北京や上海といった沿岸部ではなく、成都、西安といった内陸部で起きている。現地からの映像を見ていると日の丸が燃やされたり、日本企業の店や日系スーパーが襲われたりと一部で暴徒化している。事態は深刻である。中国政府は一国も早く事態の収拾に動くべきである。
  今回の一連の反日行動については、ネット上で呼びかけられて動きが広がって行ったと見られている。デモに参加したのは若者が中心ということだが、参加した理由は反日だけではなく、中国国内で問題化している所得格差や大学卒業生の就職難など中国政府への不満が背景にあるのではないかという指摘がある。
ところで今日放送されたミヤネ屋で、東京で行われた中国に対する抗議デモに関する私のコメントについて、多くの視聴者、読者の皆様からご批判やご意見を頂戴した。自分の真意が十分に伝わらず誤解されかねない発言をしたことについて、視聴者、読者の皆様、実際にデモに参加された方々に対して申し訳ないと思っている。
解説委員としての力不足、勉強不足を感じている。皆様からのご指摘を真摯に受け止めたいと思う。

10年10月17日(日)「#1204 有終の美」

  午後から小学生の二男の少年野球の練習に参加した。試合で主審を務めたが、子供たちのプレーぶりを間近で見ることができるので、アンパイアは楽しい。「その球打て」とマスク越しにアドバイスしたくなるが、中立の立場なのでもちろん声はかけない。
  試合が終わってまだ練習は続くようだったが、途中で抜けて自宅に戻り着替えを済ませて電車で京都の西京極に向かった。昨日に続いて後輩たちの大学野球の応援だ。
  球場の外側からスコアボードがチラッと見えた。3対0で母校の関西大学がリードしている。やった、遠い道のりを来た甲斐があった。球場に着くとまずはスタンドで応援されている野球部の先輩の方々や大学関係者の方々にご挨拶にうかがった。社会人として挨拶が基本である。昨日に続いて、私の現役時代の監督で現在のOB会会長や先輩、後輩の人たちと一緒に試合を観戦した。
  バックネット裏には懐かしい顔も並んでいた。ライバル校できょうの対戦相手でもある関西学院大学野球部の私の同級生2人と何年ぶりかで再会した。お互い歳をとったが、久しぶりに会った気がしない。グランドで戦った頃のことが懐かしい。
  試合は緊迫した接戦となったが、今日も私の教え子でもある4番バッターがここぞというところでレフトオーバーの三塁打を打って見事に快勝した。これで関西大学が勝ち点をあげ、関西学院大学の優勝はなくなった。
  試合後には両校の学歌と校歌の斉唱とエールの交換が行われた。4回生にとっては、この試合が学生野球最後の試合である。プロ野球や社会人で野球を続けない限りは、この試合が野球人生の中で最後の公式戦になる。試合後には球場の外で応援団や学生、関係者らに囲まれて学生生活最後の試合での連勝を祝福されたが、泣いている選手たちの姿も見られた。おそらく4回生だろう。自分の時もそうだったが、大学野球をやり終えたという満足感と共に、これで公式試合に出ることももうないんだという寂しさもこみ上げてくる。
  私の現役時代も野球部には100人ほどの部員がいたが、現在のチームは140人を越えている。そのうちベンチ入りできるのは25人だけだ。中学や高校までと違って、上の学年が優先されるということもない。1年から4年まで試合に出続ける選手がいる一方で、4年間一度もベンチに入ることも出来ずに引退していく部員も多い。しかし、ベンチ入りしていない部員がどれだけ頑張りチームを支えているかで、そのチームの本当の力が決まるような気がする。学生野球とはそういうものなのだ。
  4年間、お疲れさん。関大野球部で4年間、一生懸命野球に取り組んだことが、きっと君たちの人生の大きな財産になる。その誇りを胸に、今後も頑張ってください。

10年10月16日(土)「#1203 関関戦」

  球場に行ってよかった。心の底から本当にそう思った。京都の西京極にある「わかさスタジアム京都」で行われた関西学生野球リーグの関西大学対関西学院大学、いわゆる伝統の関関戦を観に行ってきた。
  きょうは昼から長男を連れてある高校の入試説明会に参加してきた。全体の説明が終わった後で、いくつかのクラブの個別の説明会が開かれた。当然、長男と硬式野球部の説明会に参加したのだが、そこで飛び上がるほど驚くことがあった。なんと、説明に出てきた野球部の監督さんは私の大学野球部の後輩だった。恥ずかしながら、その後輩がその高校の監督だとは知らなかったのだ。その上、なんと野球部の顧問の先生も私が大学時代からよく知っている方だった。驚きの連続だった。この高校に入学できて野球部に入ることになれば長男を安心して預けることができるが、どこの学校に行くことになるかはこれからの本人の努力次第である。
夕方に説明会が終わった後は、塾に行く長男と別れて一人で京都へと向かった。私が大学のリーグ戦で試合をしていた頃の西京極球場とはだいぶ様子が違っている。スタンドも大きくなったし、球場全体がきれいになった。
今秋のリーグ戦では、残念ながら母校である関西大学の優勝の可能性はなくなっているが、対戦相手であるライバル校の関学は勝ち点(3試合のうち2勝すれば勝ち点1)をあげれば35シーズンぶりの優勝となるのだ。
関大、関学両校の選手にとって、関関戦は絶対に負けたくない特別な試合である。特に秋のリーグ戦は4回生にとって大学生活最後なので思い入れたっぷりである。私が4回生の時は、1勝1敗で迎えた3戦目でサヨナラ勝ちし、それが大学生活最後の試合となった。そのサヨナラ勝ちの際に、私は同点のホームを踏んだ3塁ランナーだっただけに、その感動は今でも決して忘れることがない。
きょうの試合では1点を先制され嫌なムードだったが、なんとか同点に追いついた後、総力戦で勝ち越しに成功し3対1で勝利した。その勝ち越しタイムリーを打ったのは、私が大学で担当している講義の教え子でもあるので嬉しさ倍増だった。勝利をおさめた後で久しぶりに球場で関西大学の学歌(校歌)を聞いて涙が出そうになった。
試合後にグラウンドレベルに降りてキャプテンにおめでとうと声をかけると、「優勝は出来ませんでしたが背番号に誇りを持ってやってます」という言葉が返ってきた。不祥事があって昨年秋のリーグ戦辞退というどん底から這い上がってきた学年だっただけに、優勝させてやりたかったが、伝統の一戦の初戦を勝つことが出来て本当に良かった。
キャプテンの感動的な言葉を聴いて、つい「明日も来るからな」と言ってしまった。大学野球もいいものである。

10年10月15日(金)「#1202 引退表明」

  生放送で引退記者会見を観た後ですぐにコメントした際は、さすがにそこまでは言わなかったが、小沢元代表とのツーショット記者会見はとても違和感があった。ヤワラちゃんこと柔道の谷亮子選手の引退表明記者会見である。
  彼女のアスリートとしての実績は並ぶ者がいないほど傑出している。00年シドニー、04年アテネ大会で柔道女子48キロ級の連続金メダルを獲得したのをはじめオリンピック5大会連続メダル、世界選手権7度優勝という偉業を達成した。国民に勇気と希望を与え続けてくれた国民的英雄である。
  35歳という年齢である上に国会議員との二束の草鞋は無理なのではないかと思われていただけに引退するのも仕方が無い。オリンピックに出るためには多くの国際大会で勝利を積み重ねポイントを重ねなければならないというようにルールが変更になってしまったことに加え、48キロ級で若い世代が台頭してきただけに、本人が目指すと宣言した2012年のロンドン五輪への出場も難しいと思われていた。今回の引退表明に驚きはなく、ああやっぱりという感じである。
  はっきり言うと、アスリートとしての記者会見ではなく、政治家としての記者会見だったことがたいへん残念である。そう思わせたのは、なんといっても小沢さんが記者会見で隣に座っていたからだろう。小沢さんの全面支援を受けて先の参議院選挙に立候補し見事当選を果たしたということで小沢さんが政治の後見人であり、今後も小沢さんと共に政治家の道を歩むという意思表示だったのだろうが、政治家である谷亮子が柔道を辞めるのではなく、柔道家である谷亮子が柔道という競技から引退するという記者会見であって欲しかった。
  とはいうものの、アスリートである谷亮子の栄光や実績がかすむものではない。いつまでも国民の心に残り続ける特別な競技者であった。お疲れ様、ありがとう、という言葉が最も相応しいと思う。
  今後はこの国のあまりにお粗末なスポーツ行政の確立に力を振り絞ってくれることを望む。"政治でも金"を実現してほしい。

10年10月14日(木)「#1201 奇跡の生還」

  昨日から今日にかけて、チリの鉱山で起きた落盤事故の生存者救出のニュース一色となった。世界39カ国からおよそ1000人のメディアが取材にかけつけ、日本を含め各国のテレビ局が現地から救出の模様を生放送した。
  一人目が救出された瞬間にテレビのチャンネルを替えてチェックしたが、全ての局が生放送で伝えていた。日本時間の正午過ぎという時間帯で各局が生番組を放送しているというタイミングだったので、結果的には全局生放送ということになったのだろう。史上例がない大規模な救出劇で世界中の注目を集めた大ニュースとなった。
  もう少し時間帯がずれてミヤネ屋の放送時間帯に一人目が救出されるタイミングになっていれば、番組的にはとても良かったのにと、テレビ業界人としては思ってしまった。
  当初は33人全員の救出はクリスマス頃になるのではないかと思われていたが、予想より作業が順調に進んで、事故から70日ぶりに全員無事で救出された。予定より救出が遅れると批判されるので当初から救出スケジュールを長めに想定していたことに加えて、3つの異なる企業にそれぞれ違う方法で3本のトンネルを掘らせて競争させるというやり方も期間短縮に役立ったと思われる。
  大きなチリ国旗が掲げられた現場にはピニェラ大統領もかけつけ、政治的にも大きなアピールの場となった。事前の報道では救出された後も、2日間入院して健康チェックが終わるまでは記者会見も行われないと言われていたが、中南米の陽気な人たちだから、中には救出直後にテレビカメラの前で話し出す人がいるのではと予想していた。しかし、一人だけ本人の希望で簡単なメディカルチェックを受けた後でメディアのインタビューを受けた人はいたが、全体的には厳しい報道規制が敷かれていたようだ。
  私も取材でチリに行ったことはあるが、他の中南米諸国と比べて国民は落ち着いて大人しい感じがした。それに加えて、大統領が元テレビ局のオーナーということもあって、メディアの使い方が上手かったことも、落ち着いた報道対応につながっているのではないだろうか。
  チリと日本の時差12時間で、ちょうど昼と夜が正反対である。現地で取材する特派員は現地時間の昼間に取材し、夜中にはずっと日本向けのテレビ中継をすることになるので、24時間働きっぱなしなるのだ。来る日も来る日も現場からの中継を行ったペルーの日本大使公邸人質事件の取材を思い出した。

10年10月13日(水)「#1200 記憶」

  前々からうすうす感じていたが、なぜこんなに物覚えが悪いのだろうか。仕事柄、あってはならないことなのだが、一度お会いした人の名前どころか、お顔も忘れていることが時々あるのだ。
  お会いした相手の方から「春川さん、お久しぶり」と言われて、にこやかにご挨拶しながら、心の中で「まずい、誰やったっけ」と思っていることがある。初対面だと勘違いして名刺をお渡しし、相手の方が戸惑ったということもあった。
  優秀な記者になると、取材相手の検察や警察の捜査官のフルネームはもちろん、その人の入庁年次やこれまでの経歴まですべて記憶して接している。私はといえば、さすがに取材対象者の顔は覚えているものの、名前が覚束無いこともある。
  政治家を相手にする時も、選挙区や当選回数、プロフィールまで全てが頭に入っていることが求められるがなかなかそうはいかない。
  脳の容量が小さいのだろうかと思ってしまう。解説委員になって覚えなければならない知識や情報がもの凄い量なので、昔の記憶が押し出されて消えて行くのかとさえ思ってしまう。
  仕事上の取材相手でもこうだから、プライベートとなるとますますあやしい。学生時代の知り合いはもちろん、社会人になってからお会いした人のこともすっかり忘れていることがある。
  小学生や中学生のころの記憶になると本当にあやふやな事が多い。幼馴染に会って昔話で盛り上がっても、私一人が覚えていなくてついて行けないことがよくある。
  昔に会った人のことを覚えていないことが多いと妻に話したところ、「私との昔のことも覚えていないこと多いもんね」とニッコリと微笑まれた。

10年10月12日(火)「#1199 父の背中」

  きょうのミヤネ屋で大相撲の横綱・白鵬にインタビューしたVTRが放送された。その中で白鵬の言葉がとても印象に残った。「お父さんに恥をかかせたくなかった」という言葉を聞いて胸がジーンと熱くなった。
  5人兄弟の末っ子として裕福な家庭に育った白鵬だったが、相撲の世界に入るため15歳でモンゴルから来日した。言葉も分からないし生活習慣も全く違う。ましてや、大相撲という、日本人でも着いて行くのが辛い伝統の世界である。
  稽古が辛くて来る日も来る日も日に三度泣いていたという。それほど辛かったのに、なぜ続けることが出来たのかという質問に対する答えが、上記の「お父さんに・・・」である。白鵬の父親はモンゴル相撲の大横綱で国民的英雄である。その息子である自分が、日本の相撲の世界で名を上げることが出来ずに日本からモンゴルへ帰れば偉大な父親に恥をかかせることになると10代の若者が考えたのである。
  この話を聞いて感動すると共に、すぐに思ったのは、我が息子たちは父親(つまり私)のことをどう見ているのだろうか、ということである。もちろん、私は白鵬の父親のように偉大な存在ではないので、息子たちは私のことを特別な人という目では見ていないだろう。しかしながら、子供は子供として自分たちの父親のことを母親に対するものとはまた違った思いで見ているのだろうかとも思う。
  息子は父親の背中を見て育つといわれる。彼らはどんな背中を見ているのだろうか。河島英五の唄ではないが、二十歳になったら一緒に酒場で杯でも傾けながら、息子たちが幼い時に見ていた父の背中はどんなだったか、聞いてみたいものだ。
  永遠に破られないだろうと言われた双葉山の69連勝の大記録の更新が目前になってきた。ここからは想像を絶するようなプレッシャーの連続だろうが、彼ならやってくれるだろう。心技体の"こころ"の人だからだ。白鵬が大好きになった。

10年10月11日(月・祝)「#1198 反応」

  いったいどれくらいの方々がこのブログを読んで下さっているのだろうか。会社の担当者に聞けば、ページビューが出るのでおおよその人数は分かるのだろうが、何となく今日に至るまで問い合わせたことがない。
  社内の同僚だけでなく、友人、知人や近所の人などプライベートでの知り合いからブログに関して声をかけられることが多くなってきたような気がする。「ブログ読んでますよ」と直接的な表現で言われることは少なくなったが、ブログに書いている私のプライベートの話題について話かけられることが多くなった。
  せっかく毎日毎日書いているのだから、一人でも多くの人に読んでいただきたいと思うのは当然である。だからと言って、ブログやっていますと積極的に自ら宣伝する気にはあまりなれない。自らの宣伝に熱心な人は、名刺や仕事のメールの署名欄などにブログの宣伝を書き込んでいたりする。そこまでしたら、もっと読者の方が増えるだろうか。
  先日、ある仕事関係の方に、「あれだけ毎日書いているのだから本にしたらいいのに」と言っていただいた。有難いお言葉だが、本にして出版するほど面白い内容なら、とっくにオファーは来ているだろう。残念ながら、大阪のジャーナリストのおやじが徒然なるままに書き続けている日記に過ぎないのだ。
  このところ、ブログに寄せてくださる読者の方々のコメントに厳しいご意見が増えてきた。特に、私のジャーナリストとしてのものの見方に対するご意見、ご批評が多い。中には、ブログに関するものではなく、その日の私の番組でのコメントに対する厳しいご意見をブログのコメント欄にいただくこともある。
  温かい励ましのお言葉も、痛烈な批判のコメントも、私にとってはたいへん有難い反応である。それだけ番組を見てくださったりブログを読んでくださったりしているということなのだ。基本的には褒められて育つタイプではあるが、怒られて貶されてなにくそと頑張ってきたという自負もある。
  いずれにしても、ジャーナリストとしての自分のものの見方や考え方を世間に広く発信している訳だから、それを受け止めてくださる方々の反応を大切にしたい。私の不徳の致すところかもしれないが、とにかく番組関係者は私の番組でのコメントに対してほとんど反応してくれないのだ。やっていて、これほど寂しいことはない。
  これからも、視聴者や読者の方々、友人、知人の反応を成長の糧にして頑張っていきたいと思っている。発信者にとって反応ほど嬉しいものはないのだ。

10年10月10日(日)「#1197 コンピュータ中毒」

  10という数字が3つ並んだ縁起の良い日だ。次に数字が並ぶ日は来年の11月。11年11月11日だ。ブログももうすぐ1200回。長く書き続けていると、色々な節目の日がやってくる。
  今日は久しぶりに小学生の二男の少年野球にフル参加した。午前中はリーグ戦の試合のため遠征。二男は2番レフトで先発出場した。1打席目にショートへの内野安打を打った。内野安打とはいえ、練習試合も含めて久しぶりの試合でのヒットである。このところ朝のティーバッティングをやっているからだろう。野球の神様は努力の様子をしっかり見ている。そのことを二男に教えたが、どこまで分かっているやら。
  中学生の二男は今日も朝から市立図書館にこもって一日中勉強していた。ようやく受験勉強のエンジンがかかってきたようだ。
  高校生の長女は今日も終日、自宅で過ごした。朝から晩まで、時間があれば自宅のコンピュータの前に座っている。お気に入りのK-POP(韓国ポップ)の曲や大好きな韓国人歌手の動画や写真をネットで探しているようである。
  あまりに長時間コンピュータに向かっているので、いい加減にする様に注意するのだが、お年頃だからか、なかなか言うことを聞かない。
  おかげでコンピュータにはたいそう詳しくなっているようだ。最近では、ネットでのややこしい手続きなどはすべて長女に任せることにしている。
  それにしても、あまりに長時間すぎないか。まるでコンピュータ中毒である。自分用のノートパソコンを欲しがっているが、手に入れたら一日中自分の部屋に閉じこもってノートパソコンに向かうだろうから買わないことにしている。せめてリビングに置いてある家族共有のパソコンを使うようにすれば、家族との時間を共有できる。
  パソコンはとても便利で、今やパソコンなしの生活は想像できないが、そればかりにはまるのもどうかと思う。ものには限度というものがあるだろう。

10年10月9日(土)「#1196 ノーベル平和賞と中国」

  やはりノーベル平和賞は政治的な賞である。昨年、核廃絶を目指すアメリカのオバマ大統領が受賞した際にも同じようなことを書いたような気がする。
  ノルウェーのノーベル賞委員会は中国の民主活動家である劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏に今年のノーベル平和賞を授与することを発表した。やってくれるな、さすがノーベル賞というのが正直な感想である。
  というのも、民主運動のリーダーである劉氏は反政府活動を行ったとして裁判で有罪判決を受けて現在服役中なのである。事前に受賞の可能性が高まっていることを知った中国政府の外務次官がノーベル委員会に対して授賞しないように政治的圧力をかけていただけに、劉氏が受賞するかどうか世界中が注目していた。
  劉氏は天安門事件の際にも民主化運動のリーダーとして活動し投獄された。さらに2008年の北京オリンピックの年には、中国の民主化を求めた「08憲章」を起草した中心人物となったが、中国政府に逮捕され懲役11年の判決を受け現在も刑務所にいれられているのである。
  ノーベル賞委員会は、「授賞は悪影響を及ぼす」という中国の脅しに屈することなく、「中国における人権のため、長年にわたり非暴力的闘争を行っている功績」があったことを評価して全会一致で平和賞を決めたのである。
  中国政府は早速猛反発を示した。中国外務省の報道局長は「劉暁波は中国の法律を犯して懲役刑を言い渡された罪人だ。こういう人物に平和賞を授与したのは平和賞に対する冒涜だ」との談話を発表した。
  中国に対しては、世界第二位になりつつある経済の力を背景に、国際社会に対して威圧的、傲慢ともいえる態度で接することが多くなってきたとの批判の声が広まっている。南シナ海では領土問題をめぐってベトナムやフィリピンなど各国に強引とも言える強気な姿勢で臨んでいる。尖閣諸島をめぐる問題でも、日本との交流を一方的に中止した上、経済的にも圧力をかけ、日本人の民間人を拘束するなど、その強圧的な態度が国際社会からの批判を浴びた。
  言論の自由がない共産党一党支配の中国が毎年軍備を増強し、その経済力を背景に世界中に進出し傲慢ともいえる振る舞いを続けていることに対して、欧米諸国も面と向かって批判できないような現状に各国国民の不満が溜まっていることは確かである。
  ノーベル委員会の委員長は記者会見で「中国は新しい地位に見合った責任を果たさねばならない」とはっきりと言い切った。さらに「経済などの権益のため、人権という普遍的価値の基準を下げることがあってはならない。だからこそ、我々が声を上げた」とまで踏み込んだ。さすがヨーロッパだと思う。国際社会に対して、言うべきことはきちんと言うべきだとのメッセージとなった今回のノーベル平和賞だ。
中国国内では、ノーベル平和賞を伝える海外のテレビ局の放送が突然中断され画面が真っ黒になったということだ。

春川正明

はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西大学社会学部非常勤講師
大阪市出身