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69年2ヶ月と9日の生涯

里見 甫
Hajime Satomi    
【満州のドン/「阿片王」】

(1896.01.12~1965.03.21=明治29~昭和40) 
心不全で死去---山羊座

秋田県の能代で生まれる。父親は元陸軍軍医。福岡の名門・修鄭館中学、当時超エリート高であった上海の東和同文書院を経て、中国で新聞記者になる。

やがて日本軍に見込まれ、上海・宏済善堂で阿片売買を任される。満州や中国での日本軍の機密資金を捻出する。戦後は隠遁生活に入り、1965年3月に死去。

中国に進出した日本陸軍の軍資金の一端は阿片の売買で賄われた。その中心的人物が阿片王と呼ばれた里見甫。米進駐軍の取調べを軸に、日本陸軍の中国大陸で犯した罪が明らかになった。

「満州には、「戦後」の核心が眠っている―。策謀渦巻く満州帝国で、最も危険な阿片密売を平然と仕切って巨額の資金を生み出した里見甫。その謎に満ちた生涯を克明に掘り起こし、麻薬と金に群がった軍人、政治家、女たちの欲望劇を活写する。今まで誰も解明できなかった王道楽士の最深部を抉り出した、最高傑作!」(1)。

「里見甫という名前を聞いても、「阿片王」とも称せられ、満州のドンとして君臨していたと知る人はいまや希有であろう。

これは里見の身の処し方にも関連している。

戦後、里見は満州時代に培った人脈で政財界などで権勢を振える立場にいたが、一介の市民として生涯を全うした。

里見は満州国営通信社を設立。

その後、日中戦争勃発を契機に阿片の取り引きに従事し、日本軍の資金調達の一翼を担った。

「阿片王」という異名をもつほどの実権をにぎったが、戦後は、みずから野に下った。

本書はその生涯を描いたノンフィクション・ノベルである。

巻末に掲載された参考資料も昭和史に関心がある向きには役に立つ。里見の人生をイメージするには、里見の墓石に記された墓碑銘を繰り返し読むとよい。

<凡俗に墜ちて 凡俗を超え 名利を追って 名利を絶つ 流れに従って 波を掲げ 其の逝く処を知らず>

この墓碑銘から、里見の生き方が察せられよう。

虚名を欲するのは、ある種の人間にとっては本能に近い。自己責任といえばそれまでだが、分をわきまえず不相応な挙に出て身を持ち崩す人間がいかに多いことか。

成功ノウハウのたぐいがセミナーや書籍で過剰供給される時世だが、いかなるノウハウも、およそ当人の器量に結実のすべてがかかっているといってもよい。

里見の生涯は器量の何たるかを見つめ直す、ひとつのテキストであろう」(2)。

「満州の邦字新聞の記者として軍人や中国の要人との人脈を築き、満州事変後は関東軍第四課の嘱託として対外宣伝と宣撫工作を担いながら、現在の電通と共同通信の母体となる満州国通信社を設立。中国の裏社会に通じた里見は軍の密命を受けて上海で阿片販売のボスとして君臨した。関東軍の財源は阿片に依存しており、阿片の産地を求めるように日中戦争の戦線は拡大されていった。数十万人の中国人を阿片で廃人に貶めた「20世紀の阿片戦争」でもあったわけだ。天皇も懸念していたというし国際的な非難を避けるためにも、関東軍はこうした汚れ仕事を里見甫などに任せ、憲兵や特務機関員を介在させて資金を吸い上げていった。関東軍の意を体したもう一人の汚れ役としては、大杉栄を暗殺した甘粕正彦が隠然たる権勢をふるっていたという。里見は阿片によって得た莫大な利益の半分を蒋介石側に、残りの半分を日本側の傀儡であった汪兆銘と関東軍に上納していたという。なんともスケールの大きな話だが、阿片マネーのもとには児玉誉士夫、笹川良一といった有象無象も群がっていた。そもそも阿片の利用価値を認識したうえで侵攻の指揮をとったのは東条英樹だし、「満州は私の作品」と豪語する岸信介は経済相としてグランドデザインを描いていたという。さらに里見の秘書役を務めた旅館の女将がラストエンペラー溥儀をかくまったというから、キャストは豪華絢爛だ」(3)。

¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:

別冊宝島『日本「黒幕」列伝』

(1)「2005年8月店員のお薦め本 長い道 こうの史代 著 双葉社 ¥857 ...」

(2)「週刊ウェブマガジン[Next One]・週末ブックレビュー」

(3)「column.htm」

(2005.09.26更新)

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