2008.8.27

■ 旧満州国財政とアヘン問題 ■


 ◎ 若ノ鵬大麻所持で逮捕 ◎

 【大東亜戦争と国家組織によるアヘン密売 】

 ■-1 若ノ鵬の大麻所持事件

 
『毎日新聞』8月18日18時54分配信のニュースは,「乾燥大麻を含んだロシア製のたばこを隠しもっていたとして,警視庁組織犯罪対策5課と本所署は8月18日,ロシア国籍で大相撲間垣部屋所属の幕内力士,若ノ鵬寿則としのり。本名ガグロエフ・ソスラン)容疑者(20歳)=東京都墨田区錦糸1=を大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕した。組対5課などは同日,間垣部屋とガグロエフ容疑者の自宅マンションを家宅捜索し,吸引道具の水パイプなどを押収した」と報じていた。

 筆者は最近,第2次大戦期というよりも大東亜戦争から日中戦争,満洲事変までさかのぼって,旧日本帝国が戦争用に調達・販売して莫大な収益を上げ,これを属国だった「満州国」や中国支配占領地の統治・経営のために〈利用〉してきた歴史に関心を抱いており,関連する文献をひもといている最中である。

 それらの文献によれば,旧満洲国はむろんのこと,日中戦争開始後半年が経過して華北に成立させた「中華民国臨時政府」(1937年12月14日,行政委員長:王 克敏),その3カ月後にさらに成立させた「中華民国維新政府」(1938年3月28日,行政院長梁 鴻志)など,日本帝国のために置かれた傀儡政権の国家財政基盤の相当部分を,アヘンの調達・製造あるいはその密売によって支えていたという歴史的事実が解明されている。

 ■-2 里見 甫-アヘン王といわれた人物-

 2008年8月16日の asahi.com「アヘン王,巨利の足跡 新資料,旧日本軍の販売原案も」と見出しで報じたのは,日中戦争中,中国占領地でアヘン流通にかかわり「アヘン王」と呼ばれた里見 甫(1896~1965年)が,アヘンの取扱高などをみずから記した資料や,旧日本軍がアヘン販売の原案を作っていたことを示す資料が,日本と中国であいついでみつかったことである。
 
☆-1 日本側の資料は,日中戦争後,日本が南京に成立させた「中華民国維新政府」内に部局が置かれ,民間の営業機関として宏済善堂が上海に設立された。昭和16〔1941年〕度の取扱高は3億元(当時の日本で約1億5500万円,現在の物価で約560億円に相当)だったという。里見 甫がこの宏済善堂の理事長になっている。

☆-2 中国側の資料は,倉橋正直(愛知県立大学,中国近現代史)が,南京の中国第2歴史档案館で発見した,極秘印がある「中支阿片麻薬制度ニ関スル参考資料」と題する文書などである。この文書は,1938年10月1日付で軍特務部が作成していた。

 
☆-2の文書によると,蒋 介石政権はアヘンの取扱を厳禁していたが,旧日本軍の特務部は中毒患者の救済を名目に許可制とする布告文案を作り,中華民国維新政府に示していた。台湾や旧満州国の実績から,維新政府の税収を3173万元(当時の日本で2322万円,現在の物価で約111億円に相当)とみこんでいた。当時,駆逐艦の建造予算が1隻676万円であった。

 
里見 甫は戦後,極東国際軍事裁判法廷に提出した宣誓口述書で,自分は宏済善堂の副董事長(副理事長)で,董事長(理事長)は「空席」と供述。幹部の顔ぶれや経理の詳細には触れず,アヘン以外のヘロインやモルヒネは扱わなかったと主張していた。右の写真は,1946年9月4日,極東国際軍事裁判の法廷にアヘン問題の証人として出廷した里見 甫である。

 ■-3 真相は闇のなかへ

 問題は
里見 甫の戦後における処遇であった。A級戦犯に相当する戦争犯罪を民間人として犯したはずのこの里見が,東京裁判で証人に呼ばれただけで無罪放免になったのには,それだけ〈深い訳〉=国際政治的な背景事情があったのである。

 話は多少ずれるが,1992年に日本共産党を除名処分にされた野坂参三は,過去におけるそうした国際政治の深い闇のなかで活躍した1人である。野坂に関してはソ連と米国との二重スパイ説」があるが,真相はそれどころではなく「ソ連・米国・中国の三重スパイ説」が唱えられてもよいのである。しかし基本的には,日本人としての主体性・民族性をもちながらも「アメリカの手先だった」と判断するのが妥当である。

 歴史をさかのぼれば英中のアヘン戦争から始まっていた「各国による舞台裏での麻薬の製造・販売行為」であるから,アヘンの問題はなにも日本帝国だけが手を染めていたものではない。それだけではなく,第2次大戦中の米・英・ソ・中など,連合国における政治・外交的な「内部の駆け引き」をめぐっての暗闘にもかかわる問題であった。

 里見自身はけっしてアヘン問題
核心語らなかった。したがって,は消されもせず生きのびることができたが,もしもこの里見が戦争中におけるアヘンに関する事実をすべて語ってしまえば,第2次大戦後における東西対立の世界政治構造にも一定の影響を与えうるほどの重大な問題を露呈させたにちがいないのである。

 しかも里見
は,戦後の経過のなかで「もし自分が消されるようなことが起きれば,アヘンにかかわる未知の多くの事実をばらす」文書を某所に預けており,こうした対抗手段を講じておくことで自身を護ることを忘れていなかった。

 --以上の記述についてさらにくわしくは,つぎの諸文献を参照してほしい。きっと興味深く読めるものばかりだと思う。とくに最近刊行されたもの,あるいは入手しやすい4冊に限定した。

  江口圭一『日中アヘン戦争』
                               岩波書店(新書),1988年。

    西木正明『其の逝く処を知らず-阿片王・里見甫の生涯-』
                               集英社(文庫),2004年。

  佐野眞一『阿片王―満州の夜と霧-』
                               新潮社
(文庫),2005年。
  千賀基史『阿片王一代-中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯-』
                               光人社,2007年。


 ■-4 若ノ鵬里見 甫を比較するとどうなる

 よくいわれることだが,「人をひとり殺したら大きな犯罪だけれども,戦争や悪政などで政治家が多数の人びとを殺しても,たいした犯罪にならない」。中国では1958~1962年に,毛 沢東の政治指導がたいそう不調で,一説によれば3千万人もの人民が餓死したという。文化革命時には2千万人も殺したという説もある。いずれも真相は闇・・・。

 ソ連のスターリン
も,ものすごい数の人民を,反革命行為の疑いをかけて殺したり,
食糧不足で飢え死にさせたりしてきた。その被害者,2千万人を下らないという計算もある。ナチス:国家社会主義国」のヒトラーによるユダヤ人などの虐殺6百万人という数字もすごいが,「社会主義国」のほうがもっとすごく,一桁上まわっている。

 偉大な政治家といわれた人間が為政に失敗してもろくに責任をとらない事例は,歴史上いくらでもある。
若ノ鵬里見 甫の,いったいどちらが,どのくらい悪いのか,比較のしようがないかのようで,けれども一考の価値があるかもしれない。

 里見
に比べてみれば,若ノ鵬など〈芥子の1粒〉ほどの存在にもならないか? 

 芥子(ケシ)の種は食材として,あんパンの上に振りかけられて〔トッピングされて〕いる,あのきわめて小さい粒状の種=穀物である。ただし,あんパンに使われるケシつぶには放射線が浴びせられ「種なし」状態になっているので,これを蒔いて栽培することは不可能である。この点は,その「あんパン
ケシつぶ」をみて,変な気持を起こしそうになるかもしれない人たちへの説明=お断りである。

 なお,芥子(罌粟)の栽培は法律で禁止されている。


Posted by 日本経営学界を解脱した社会科学の研究家 at 07:10:11 | コメント (0) | トラックバック (0) | リンク (0)

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