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【グローバルインタビュー】「非情のブリザード」(下)50年前に南極で犠牲になった友を思う 国立極地研究所 吉田栄夫名誉教授 (4/4ページ)

2010.10.11 12:00
このニュースのトピックスグローバルインタビュー
日本極地研究振興会の吉田栄夫理事長が所蔵するエニカ製と、昭和基地で撮影した生前の福島紳さん(手前の男性)の写真 =7日午前、東京都千代田区平河町(荻窪佳撮影)日本極地研究振興会の吉田栄夫理事長が所蔵するエニカ製と、昭和基地で撮影した生前の福島紳さん(手前の男性)の写真 =7日午前、東京都千代田区平河町(荻窪佳撮影)

 ――エニカの時計は大事にされたのですね

 「私はこの時計に愛着があって、その後も大事に大事に使ってきました。南極にも何度も行ったし、仕事で世界中を一緒に旅した。3年ぐらい前に動かなくなりましたが、40年以上は使ったことになります。時計屋さんに持っていったら、かなり修理費用がかかると言われましたが、私はなんとか直して、また使いたいと思っています。あれから50年が過ぎました。私にとって10月10日というのは特別な日です」

このニュースの写真

日本極地研究振興会の吉田栄夫理事長が所蔵するエニカ製と、昭和基地で撮影した生前の福島紳さん(手前の男性)の写真 =7日午前、東京都千代田区平河町(荻窪佳撮影)
1968年2月、荼毘に付した福島紳隊員の遺骨を背負って、昭和基地に向かう吉田栄夫さん(後方)=提供写真
1968年2月10日、昭和基地に安置された福島紳隊員の遺骨の前に座る吉田栄夫(国立極地研究所名誉教授)さん(提供写真)
昭和基地居住観測棟の福島紳さん。1960年、吉田栄夫さんが撮影した=提供写真
1960年9月、昭和基地近くのプレシャーリッジに立つ福島紳さん。吉田栄夫さんが居場所がわからなくなった時に、吹雪の中、この氷にぶつかって位置がわかり、基地に戻れた(提供写真)
第4次越冬隊によるケルンの建設。後に福島岳と命名された。やまと山脈の岩石も入れ、遺品のパイプも納めた(提供写真)
日本極地研究振興会の吉田栄夫理事長。福島紳さんとの思い出のエニカ製の腕時計について語った=7日午前、東京都千代田区平河町(荻窪佳撮影)

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