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【グローバルインタビュー】「非情のブリザード」(上)50年前に南極で犠牲になった友を思う 国立極地研究所 吉田栄夫名誉教授 (3/3ページ)
このニュースのトピックス:グローバルインタビュー
「私は一刻も早く応援を求めなければならないと決心し、一人で基地に向かうことにしました。このとき、一人で周辺を捜していたらあるいは、福島君を見つけたかもしれないと思い、後々まで私を苦しめました。私はフィールド屋ですから、基地周辺の地形をよく覚えていました。さまよっているうちに、氷が露出している場所にぶつかった。それで、私は居場所がわかりました。それを頼りにして居住棟まで帰ることができました。この氷はアザラシ猟のときに福島君がたまたま見つけて、私に教えてくれたものでした。この氷がなければ、私も帰れなかったかもしれない」
「私はあせっていました。隊長に福島君の遭難を知らせると『すぐに捜してください』と命令を受けました。食堂で、反射的に時計を見上げると午後3時前で、天気がよければ15分ぐらいで済む用事を1時間30分もかかっていたことがわかりました。遭難が起こるときは悪いことが重なるものです。このとき、ベルギー隊の一人が行方不明となり、2人一組で6人が捜索に出た直後でした。私は残っていた村石隊員と捜索パーティーを組み、また外に出ました。私は声をからして『紳さん』と叫び、鐘を鳴らしながら辺りを捜索しました。しかし、それは強風にかき消されました。そうこうしているうちに3時間ほどが過ぎ、これ以上、あてもなくさまよい続けるのは危険だと判断した私たちは雪洞を堀り、嵐がおさまるまで待機しようということになりました。雪洞の中で過ごす時間は、さすがに長く感じられ、すぐに良い持ちになってうとうと眠りかけてしまう。私たちは互いに怒鳴りあって、肩をたたきながら、目を覚まそうとしました」