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【グローバルインタビュー】「非情のブリザード」(上)50年前に南極で犠牲になった友を思う 国立極地研究所 吉田栄夫名誉教授 (2/3ページ)
「遭難する3日前、晴天に恵まれ、僕と福島君は雪上車に乗ってアザラシ狩りに出かけました。帰ってくるときに嵐が始まり、次第に強くなってきました。ちょうどそのとき、来客があって、昭和基地にベルギー隊がやってきていました。10日には、建物が揺れるほどの猛烈なブリザードとなりました。私は昼食をとりながら、ここ2日間、基地の外につないでいる樺太犬に餌をやれなかったことを思いだし、昼食後、残飯をやりにいこうと考えました。そのときに、『一緒にいってやる』と申し出てくれたのが福島君だったのです。居住棟から出る直前に、他の仲間から『ついでなら、そりの状態も見てきてくれ』と頼まれ、軽い気持ちでそれを引き受けました。私たちは風雪よけの特製服を着て外に出ました」
――吹雪はどんなものだったのですか
「外は、少し油断すると吹き飛ばされてしまいそうな風と雪でした。風上にはとうてい顔を向けられない。なにせ、伸ばした手の先が見えないくらいですから。自分の足さえも見えなかった。なんとかして、犬がいるところまでたどり着きました。餌を持ってくればいつもは犬たちも喜ぶのですが、この日はあまりにもブリザードがひどく、タロもずっとうずくまったままでした」
「その後、そりがある場所まで向かいました。しかし、このブリザードで、どこまで行ってもそりが見つからない。目の悪い私は、メガネを居住棟に置いてきたことを後悔しました。そうこうしているうちに私たちは居場所さえもわからなくなった。ロストポジションです。激しい風の中で福島君と『ここはどこだろう』『さあ、わからない』と会話を交わしました。3日前のアザラシ猟でひいてきたアザラシの血痕が雪面上にわずかについているのを認め、『少し戻ってみよう』ということになり、私たちは風上に向かってはい始めました。ところが、一緒についてきてくれると思っていた福島君の姿がない。彼はもとの岩の所で風下に向き、背をかがめるようにして立っていました。驚いた私は立ち上がって叫びました。しかし、声は届かなかった。すぐに彼の所まで戻ろうとしましたが、彼の姿は急に岩の上から消えました」