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【グローバルインタビュー】「非情のブリザード」(上)50年前に南極で犠牲になった友を思う 国立極地研究所 吉田栄夫名誉教授 (1/3ページ)
このニュースのトピックス:グローバルインタビュー
今からちょうど50年前の1960年10月10日、南極大陸の昭和基地で1人の日本人隊員が強烈なブリザードに巻き込まれ、行方不明になった。手の先さえ見えない視界ゼロの世界。第4次越冬隊員、福島紳さんは南極観測犬のタロたちに餌をやりに行き、そのまま帰らぬ人となった。享年30。福島さんは50年以上にもなる日本の南極観測史上、唯一の犠牲者となる。
遺体が発見されたのは7年後の1968年2月だった。基地から5キロ以上も離れた海岸べりで当時の服装のまま、見つかった。仲間は、その場所に石の塚(ケルン)を作り、福島さんの霊を弔った。
ブリザードの中、福島さんと一緒に外に出たのが吉田栄夫さん(80)だった。南極大陸の地形研究の第一人者。南極観測に長年携わり、国立極地研究所名誉教授や立正大学長などを歴任し、日本極地研究振興会理事長として、今も極地研究に携わっている。吉田さんは半世紀前の出来事を鮮明に覚えている。(佐々木正明)
――あの日から半世紀が過ぎました。
「昨年は50回忌で、彼の故郷である京都に行き、お墓参りをしてきました。福島君は僕と同い年で、存命であれば80歳になる。京都大学で、宇宙線やオーロラを研究していました。僕の仕事を手伝ってくれようとして基地から一緒に出て、私だけが生きて帰ってきた。本当に残念なことをした。当時の仲間は『お前が悪いわけではない』と慰めてくれましたが、私は、今でも負い目を感じています。私が助かったのは偶然だった。運命としかいいようがない」