蓮舫大臣が国会内で、あのヴォーグに撮影されたらしい。SATC風に言えば、「国会内で」撮影したことよりも「ヴォーグで」撮影したことのほうが大ニュースとなるところであるが、そこは永田町。神聖な国会の場で150万のスーツを着てポーズを取ったということに非難轟々だ。
このニュース、皆さんはどのように感じておられるだろうか、正直いって私は、すごくいやーな気持ちになった。議事堂の撮影許可を得る手続きに瑕疵があったとはいえ、大のおとなが寄ってたかって糾弾するような問題なのだろうか。政治そのもののレベルが落ちているから、多くの議員がこんな問題に飛びつかなきゃいけないのだ。もっと議論すべきことがあるでしょーに。円がこんなに亢進していて国会は何をしているのか。
大体、「150万のスーツを着て」撮影して、何が悪いのだろうか?(もっとも私は150万ものスーツが世の中に存在することすら初めて知ったけど。でもみんなもそうでしょ?)これってあの、(勿論実際には見たことがないが、SATCでキャリー・ブラッドショーが忍び込んだ)ヴォーグのクローゼットの中の、撮影用の衣装でしょ?勿論私物じゃないでしょ?よしんば私物だったとして、蓮舫大臣が150万の衣装を着ていることで、何か私たち国民に迷惑がかかるというの??「けしからん」じゃなくて、素直に「うらやましい」というべきではないの???
私も女性政治家のはしくれだ。だからこそ感じるものもあるのだけれど、水着の写真集を出した
私は政治に携わると同時に政治家の妻でもあるが、「政治家の妻」業界では、その傾向はなおさらだ。27歳で私が結婚したとき、夫は落選中だった。私たちの結婚式は、結婚式というより政治家のパーティそのものだった。新婦の私も早々にウエディングドレスを脱いでスーツに着替え、各テーブルを彼と挨拶して回ったものだ。そのとき、主人の同僚が私に与えてくれた結婚のはなむけの言葉は、「奥さんは背が高いから、支持者にはひざを曲げてお辞儀をするといいよ」だった。そして結婚を境に、私の着用する洋服はことごとく黒かねずみ色、ヒールは履かずにぺたんこの靴、とにかくファッショナブルから対極にあろうと努める日々が始まったのである。20代の、おしゃれゴコロに満ち満ちた時期にそういう生活は正直言ってかなり辛いものがある。だけど当時の私は、政治家の妻というのは夫から3歩下がってうつむいていなければならないと思い込んでいたのだ。別に演じていたわけではないけれど、主人の代理で人前で話をするときには自然と声も小さくなるし、大体、何を話したらよいのかも分からない。断言するのであるが、自分が政治家をやるよりも、政治家の妻をやるほうが、何十倍も大変だ。話すことが何もないんである。とにかく、そのようにして黒とねずみ色に身を固めていたある日、80歳のおばあちゃん達が隅のほうに私を呼んで、こう言った。「お化粧はちゃんとしておきなさい。そんなダボっとした洋服を着るのはやめなさい。それからひざを曲げて挨拶しないこと、年寄りくさく見えるから!」
…つまり、政治に携わっている人間たちよりも、有権者のほうが、はるかに先を行っているのだ!
だから、私は言いたいのだ。あのヒラリー・クリントンでさえ、パンツスーツばかり着用する、未だに女性にとってはガラスの天井が存在する政治の世界であるが、「女」を出すと人心が離れるんじゃないか、反発があるんじゃないかという危惧はもしかしたら、私たち女性政治家や、政治に携わる人間たちの、単なる思い込みなのかもしれない。更に言えば、夫の影を踏まないように三歩下がって後ろに控えていなければならないという政治家の妻像も、あきらかに幻想ではないだろうか。私たちのその思い込みから、現実の反発が作り出されているだけなのかもしれない、と。八戸のカワイイ市議とか、蓮舫大臣などは、そういう「業界内」の慣習やタブーをものともしないんである。ある意味、あっぱれではないか。
実は私、まだ実物のヴォーグを見ておらず、報道の映像で見た限りであるが、第一印象は、「国会議事堂って、こんなに美しいんだ〜」ってことだった。まるでイタリアの宮殿みたいに、こんなに絵になる場所が日本にあったとは(しかもヴォーグのカメラマンだもんね)。こんなに美しい場所を、しかも国民の皆様のものであるはずべき場所を、国民に開放もせず、おじさんたちの権謀術数の場所にとどめておくのは勿体ないんではないかと思ったりもする。
ま、いずれにしろこの問題は、政治家が、まじめな顔して批判するような話ではないんですな。本来の仕事してください、仕事を!