<20面からつづく>
その何分の1かでも分かるような肉声を伝えることが、国の政策や基地の在り方を考えるうえで何よりも大事だと思う。感情論を排する客観報道は、時に上から見おろす官僚的な見解に陥る恐れがあることに気づくいい機会だ。さらにいえば、沖縄の被害を考える時、我々の心にある差別や偏見の問題を頭に入れておく必要がある。大事なのは、誰を守るのかということ。それを単なる「温度差」などと安易に言ってはいけない。毎日新聞でも夕刊の「特集ワイド」の記事の中には「肉声」も聞かれたし、8月15日前後の連載「悲憤の島から」は実にタイムリーで、沖縄戦が今日につながっているとの視点で問題提起している。そういう視点を日常の記事でも忘れないでほしい。
玉木明委員 沖縄の記事の扱いについては意識の転換が必要なのではないか。例えば、那覇支局の記者が西部本社(北九州市)に原稿を出すと、そのまま掲載されずに削られる。東京版ではさらに抽象化され、空気の伝わらないものになってしまう。選挙では選挙結果の数字を読み解くことも大事だが、同時に沖縄の空気を伝えることも大事だ。移設反対派が過半数を制した名護市議選(9月12日投開票)の記事ではその空気が伝え切れていただろうか。市議選の背景を深く掘り下げて1面に出すなど、従来の発想にとらわれずに柔軟に対応する必要性があると思う。
柳田委員 そのとおりだ。どうして新聞の1面は硬派記事や堅苦しい解説と決まっているのか。たとえば薬害の裁判で無罪判決が出たら、判決の詳細より救済される被害者を主語にした生きる権利獲得の声こそが1面にふさわしいのではないか。
河野俊史局長 長い新聞の伝統の中で1面、社会面の役割はできあがってきました。ただ、いまのお話は貴重で、今春からの紙面改革で従来なら社会面に載る記事を1面に持っていくなど、変えていこうとしています。試行錯誤はありますが。
岸井主筆 以前はスポーツ、たとえば大相撲やプロ野球の優勝などの写真を1面にするのを嫌がる先輩記者がいました。大激論してきて、少しずつ変わってきたのですが、いまはまた一段、変わっていく段階にきていると思います。
吉永委員 昔、テレビも、政治や経済ネタから始まって事件事故にいく流れが決まっていた。それを、国民が一番関心あるものからわかりやすく伝えるとして「ニュースステーション」(テレビ朝日系)が優先順位を壊した。あの番組も最初は視聴率的に苦労した時期もあったと聞く。時には「これが重要だ」と定番を突き抜ける必要が新聞にもあるのではないか。
柳田委員 両紙が進めている記者の交換や、文化交流をして違う遺伝子を入れることが大事だ。いつかどこかで芽を出す。現場感覚を持った記者が政治の中枢の取材をし、永田町を取材してきた記者が現場に立ったりすると、感性のいい記者だとスクープや深掘りした記事が生まれると思う。その意味で琉球新報が与那嶺路代記者をワシントンに意図的に常駐させたりすると収穫があったし、毎日新聞も防衛庁を追及していた大治朋子記者がワシントンに派遣されると米国防総省相手に頑張っていた。
我部委員 メディアの役割を考えれば、新聞は自分のところの読者のみを意識しているだけではすまないはずだ。定期購読をしていない人に、もっといえば世界に、何をどう伝えようとしているか。琉球新報がオバマ米大統領の来日に向けて改めて英文の特集記事を作ったりしたことは評価できる。では、毎日新聞は世界に対して日本のことが伝わる記事になっているのか。メディアは購読者以外にも一歩手を広げてみるという思考があってもいいのではないか。
◆琉球新報の紙面
柳田委員 私は広島で(NHKの)記者を始め、原爆問題を3年担当した。そのとき感じたのは、地方と東京の感覚のズレだ。被爆者たちが世界に発信するメッセージは地元紙には大きく取り上げられるが、東京はマクロな目で見るからつけ足し的な扱いになる。沖縄問題についても同じことが言える。ただ今回、琉球新報は4月25日の特集面を中心にいい取り組みをした。そこでは、「基地依存」といわれる沖縄経済の先入観に切り込んでいた。メディアは現地で苦しんでいたり、日常生活の中でたいへんな思いをしている人たちの生の声を伝えるのと同時に、そこで生活する人たちの内実にかかわる構造的な部分も報じていかねばならないのだ。
玉木委員 連載「“呪縛”の行方」は、地方紙ならではの非常に力の入った連載だ。県民の利益、ここでは「米軍基地の県外・国外移設」に向けたスタンスが鮮明だった。中央紙では中立というジャーナリズムの建前があって、ここまで明確な姿勢を打ち出すのはなかなかできない。うらやましいというか、ここまで明確にできないという歯がゆさが中央紙にはあると思う。
吉永委員 久しぶりに「主張する活字」というのを見た思いだ。「言論・報道機関」と言われた新聞から、いつのまにか「言論」が消えてただの報道機関になっていて、それが当たり前と思ってきた。そんな中で、「キャンペーンというのは張れるのだ」という感覚をよみがえらせてくれた。私もテレビなどにかかわっていると、「民意の多様性」に配慮することばかり気にする。やがて、大賛成から大反対まで時間や分量を同じにして「公平」に扱うことに慣れてしまっていた。伝えなければならないことを力強く訴える迫力がなくなるのではないか。沖縄の人が何に耐えているのか、どんな困難に立ち向かっているのか、原点を根気づよく報じる。生活から基地を考える。連載を読みながら、新聞がすべきこと、できることというのを、改めて考えさせられた。
我部委員 相当の量の記事、連載をまとめて読んだが、トップ記事よりも連載のほうが物事の背景にあることが描かれてよかった。だとすれば、05~06年のことをなぜいま取り上げるのかということ、この連載の何が新しかったのか、もっと明示的に書いてほしかった。そして、今後はそろそろ移設の賛否というより、普天間問題の根源である、危険な飛行場を放置してきた責任という問題に軸足を移すべきだと思う。
山内委員 多くの分量を割いて普天間飛行場移設問題を報道し、琉球新報は9割以上民意の形成に大きな役割を果たした。特に軍事基地のグローバルな視点を持ちながらローカルに生きるという姿勢が、報道を通じて形成されていったと思う。今後は地域からの発信として日本の政治・外交に提言していく地方紙の論評も必要になるのではないか。
新垣委員 「胎動~検証~模索~交渉」の4部構成80回連載の「“呪縛”の行方」は読み応えがあった。特に「検証」では自民党政権の時代から掘り起こしてあり参考になる。県民は戦争で苦しんだうえ、さらに65年間も基地を置かれて不平等な扱いを受けているという思いがある。この思いを国民に知らしめるのがジャーナリストの使命だと思う。
仲吉委員 平和を希求し、基地の整理縮小を進めたい県民の思いが紙面にあふれている。今後は三沢、横須賀、佐世保など国内の沖縄以外の基地を抱える都市と比較してほしい。
田島委員 記者の息づかいが紙面にあふれ、共感を覚える。「県外移設」や基地撤去と明確になってきている沖縄の普天間をめぐる民意状況に、ジャーナリズムはどうかかわるかが問われ始めている。メディアには世論を形成する役割や出来上がった世論を受け止めて伝える機能もあるが、支配的な世論が形成されている時、そこでどういう議論をするのかも重要だ。例えば、少数意見や異論をどういう形で尊重し、世論を鍛えていくのかというスタンスで問題意識を持っているのだろうか。事実報道と論評や社説の位置付けでは、別なものとして明確に区別していると思うが実際はなかなか難しい。登場する識者もやや限られていると感じる。新しい、若い専門家、識者をメディア自身が求めていくべきではないか。
普久原均編集局次長 少数意見や異論はかなり意識的に掲載しているつもりですが、「県外移設」を求める声は圧倒的で、紙面に出る頻度は限られざるを得ません。また、事実報道自体に既に主観的要素が入っているので、論評と分けていないように感じられるかもしれませんが、「かくあるべし」の文体は社説の中でしか使っていません。
玻名城泰山局長 世論とどう向き合うかは大変難しい問題です。共に考えるというスタンスでやっていますが、どう対応するかが課題です。
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鳩山政権が発足し、普天間飛行場の「県外移設」に県民の期待は高まった。実は08年秋から、米軍再編に関する日米合意の舞台裏を含めた検証をするため守屋武昌・元防衛事務次官の日記を入手するなどして取材を進めていた。それが09年10月5日から始めた長期連載「“呪縛”の行方」だ。県内移設しか選択肢がないと決めつける報道は多いが、過去の日米交渉ではそれ以外のオプションがたびたび上がっていたことをまず報告した。
また、昨年11月、オバマ米大統領の来日に合わせて英文の特集を作成、ネット上でも公開した。「沖縄は基地を望んでいる」という誤解がある。県民が基地集中に強く反発していることを国外にも正確に伝えるためだった。
一方、県民大会(4月25日)は重要な節目だと判断し社説を1面に掲載。8ページの特集を組んだ。この際も「沖縄の経済は基地がないと成り立たない」という誤解に対し、具体的なデータを示して反論。返還された跡地と返還される前の経済効果を比較した。4月からはワシントンに駐在記者を置いた。中央のメディアでは限られた米高官の発言ばかりが報道されているが、米国内ではもっと多様な意見があった。有力議員らが「沖縄に海兵隊がいる必要はない」などとする論文を発表したことなどを報告している。
毎日新聞 2010年10月15日 東京朝刊