10年10月17日(日)「#1204 有終の美」

  午後から小学生の二男の少年野球の練習に参加した。試合で主審を務めたが、子供たちのプレーぶりを間近で見ることができるので、アンパイアは楽しい。「その球打て」とマスク越しにアドバイスしたくなるが、中立の立場なのでもちろん声はかけない。
  試合が終わってまだ練習は続くようだったが、途中で抜けて自宅に戻り着替えを済ませて電車で京都の西京極に向かった。昨日に続いて後輩たちの大学野球の応援だ。
  球場の外側からスコアボードがチラッと見えた。3対0で母校の関西大学がリードしている。やった、遠い道のりを来た甲斐があった。球場に着くとまずはスタンドで応援されている野球部の先輩の方々や大学関係者の方々にご挨拶にうかがった。社会人として挨拶が基本である。昨日に続いて、私の現役時代の監督で現在のOB会会長や先輩、後輩の人たちと一緒に試合を観戦した。
  バックネット裏には懐かしい顔も並んでいた。ライバル校できょうの対戦相手でもある関西学院大学野球部の私の同級生2人と何年ぶりかで再会した。お互い歳をとったが、久しぶりに会った気がしない。グランドで戦った頃のことが懐かしい。
  試合は緊迫した接戦となったが、今日も私の教え子でもある4番バッターがここぞというところでレフトオーバーの三塁打を打って見事に快勝した。これで関西大学が勝ち点をあげ、関西学院大学の優勝はなくなった。
  試合後には両校の学歌と校歌の斉唱とエールの交換が行われた。4回生にとっては、この試合が学生野球最後の試合である。プロ野球や社会人で野球を続けない限りは、この試合が野球人生の中で最後の公式戦になる。試合後には球場の外で応援団や学生、関係者らに囲まれて学生生活最後の試合での連勝を祝福されたが、泣いている選手たちの姿も見られた。おそらく4回生だろう。自分の時もそうだったが、大学野球をやり終えたという満足感と共に、これで公式試合に出ることももうないんだという寂しさもこみ上げてくる。
  私の現役時代も野球部には100人ほどの部員がいたが、現在のチームは140人を越えている。そのうちベンチ入りできるのは25人だけだ。中学や高校までと違って、上の学年が優先されるということもない。1年から4年まで試合に出続ける選手がいる一方で、4年間一度もベンチに入ることも出来ずに引退していく部員も多い。しかし、ベンチ入りしていない部員がどれだけ頑張りチームを支えているかで、そのチームの本当の力が決まるような気がする。学生野球とはそういうものなのだ。
  4年間、お疲れさん。関大野球部で4年間、一生懸命野球に取り組んだことが、きっと君たちの人生の大きな財産になる。その誇りを胸に、今後も頑張ってください。

コメント

中国大使館包囲デモに参加した者です
右翼でごめんなさい、自分では普通の日本人だと思ってましたが、
まさかいつの間にかテレビによって左へ左へ基準を移され、自分が一般人じゃなくなっていただなんて、
迫害をされたようなので、これからは被差別者として生きていくことになります
本当に生きててごめんなさい

日本人をやめれば許してもらえますか?
これからは日本人をやめて、和服を着た上品な奥様や、神社の神主さんや、寺の住職さんや過去の偉人や、天皇陛下などを敵として見て、
破壊活動に勤めたいと思いますので許してください
ついでに朝鮮人の味方になって、日本人迫害やテロ行為にも参加すると思います

投稿者:山  2010年10月18日 at 17:04
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春川正明

はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西大学社会学部非常勤講師
大阪市出身