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「シェールガス革命」がもたらす「ゲームチェンジ」は産ガス国には一大事だ。
世界最大のガス埋蔵量を誇るロシア。パイプラインを使い、欧州連合(EU)のガス需要の4分の1を供給する。70年代の2度の石油ショック以後、東欧諸国だけでなく、西欧向けのガス輸出を本格化させてきた。00年に就任したプーチン大統領(現首相)は、石油、天然ガスを「戦略物資」として使う方針を鮮明に打ち出した。
06、09年には、ウクライナなどとのガス価格値上げ交渉が決裂したことを理由に「冷戦時代にも経験がなかった」(EU)ガス供給の一時停止に踏み切るなど欧州に強烈な影響力を行使してきた。ルーマニアのバセスク大統領はガス輸出を一手に担うロシア国営のガス会社・ガスプロムを「赤軍(旧ソ連軍)より怖い」と表現した。
だが、米国でシェールガスの生産が本格化したことで、計算が狂い始めた。主に米国向けを想定していた世界最大規模のシュトックマン・ガス田は、開発遅延が決まった。長期契約を結ぶ欧州諸国の圧力で実質的な値下げをのまされた。
地質学的にはポーランドなど東欧諸国以外でも、ドイツ、フランスなど欧州各国にシェールガスが存在する可能性が高い。採掘が成功すれば、ロシアの影響力低下は免れない。
さらに需要急増を見込んでいた中国が、米国の技術支援を受けてシェールガス開発に乗り出せば、ロシアが東西で市場を失う恐れもある。財政収入の8%を占めるガス輸出の収入が減れば、国家経済運営に影響を及ぼす。
「フランス人が、ワインと水を飲む生活を変えたいと思うわけがない」。今年2月、ロンドンでのセミナーで、ガスプロムのメドベージェフ副社長は、シェールガス開発の地下水汚染の危険性を警告した。ガスプロムは、「環境問題」を突破口に、開発に歯止めをかけることを狙う。
埋蔵量世界2位のイランも影響を免れなかった。
イラン政府高官は8月、ペルシャ湾岸のガス田、サウスパルスで進めていた液化天然ガス(LNG)計画を中断する考えを示した。核開発活動を背景に、国連安全保障理事会が6月に4度目の制裁決議を採択、これを機に、米欧諸国が独自の制裁を科し、欧州企業が撤退したため、技術面でメドがたたなくなったのが直接の引き金だ。だが、イラン当局者は「政治的理由ではない。米国でシェールガスが発見され、国際ガス市場が値崩れした。採算が合わなくなった。経済的理由だ」と強調した。
米国は、シェールガス革命により100年分の国内需要を賄うガス資源を獲得、「イランのガスに頼る必要が無くなった」(米べーカー研究所)。イランは、ガス輸出で得られるはずの収入だけでなく、欧米との核交渉を有利に運ぶ有力なカードも、同時に失った。
形勢不利な産ガス国も策を練り始めた。ロシア、イランなど産ガス国15カ国は今年4月、アルジェリアでの会合で、協調減産の可能性を探り始めた。
アルジェリアのヘリル・エネルギー・鉱工業相は今年3月、メキシコのカンクンで開かれた国際エネルギーフォーラムで、持続可能な供給を続けるには一定程度の投資が必要で、そのためには、ガス価格が現在の4ドル前後から「8~9ドル台になるのが望ましい」と発言した。石油輸出国機構(OPEC)のように、産ガス国が「ガスOPEC」を設立し、一致して生産調整に踏み切れば、価格反転の機会があるとの読みだ。
今年9月、発足50周年を迎えたOPEC。チャラビ元OPEC事務局長は「世界最大の産出国サウジアラビアが、不足時は大増産、過剰時は収入減を顧みずに大幅減産を引き受けた。だからこそ、今もなお、影響力を維持できる」と説明する。
「ガスOPEC」で、サウジの役割を果たす国はあるのか。国際エネルギー機関(IEA)の田中伸男事務局長は「緊急時に備えた余剰生産力を保持するには相当の費用がかかる。各国とも経済成長を維持するために収入が必要。そう簡単ではない」と指摘する。
北米、欧州、中国、インド以外でも、豪州、インドネシア、南アフリカなどでも新たなガスの開発を見据えた取り組みが始まる中、ロシア、カタールなど産ガス国は、価格低下を量で補おうと、いま、増産を続けている。
一方、地質学的に、日本にシェールガスが存在する可能性は極めて少ない。電力会社、ガス会社の天然ガス購入契約は、いずれも20年以上に及ぶ長期契約だ。石油の価格に連動してガス価格が決まるため08年の価格に比べて約3割下がっているが、現在は、シェールガス革命の恩恵を受けていない。
しかし、ガスの安定供給にメドがたち、LNGのスポット価格も急落、「最大の勝者は消費者」との声も聞かれる。ガス資源の増大に伴い、契約更改時に価格交渉力が増し、将来、日本の消費者も価格低下のメリットを享受できる可能性がある。
日本の企業も、シェールガスなど新たなガスの開発に乗り出した。住友商事、三菱商事は米国に進出。豊田通商は豪州で投資を始めている。【ロンドン会川晴之】
毎日新聞 2010年10月18日 東京朝刊