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「神のうちの真のいのち」のメッセージ
<ノート 1-6> '86・9・20 バングラデシュ
あなたに平和。 ご一緒にいてもいいでしょうか? よろしい、あなたはともにいます、私は光です。 おそばにいてよいでしょうか? すでにそばにいる、私のうちにいる、私は光。 私を護って下さいますか? すでに護られている。 依りかかってもいいでしょうか? 私にゆだねきってよい。 信仰を保つために あなたの力がいるのです。 力は与えられている。 あなたの愛が必要なのです。 あなたは私にとって大切な者です。 私は光 皆に見えるようにと輝いている。 怖れなくてよい、私の道は真っ直ぐです 私の道はあなたを私のもとへと導こう。 私はあなたと出会い あなたは私であることに気づくであろう、平和と愛の光を放っているからです 私のもとに来なさい。 私が見えるか? 声が聞こえるか? 怖がらないで、暗いところにそう立ちすくんでいないで、ほら、あなたの脚は癒されている、あなたは また歩ける、見なさい、視力は回復した。 私が癒したのです。 私はあなたの恥を癒し 罪は私によって洗い落とされた、ですから あなたの脚を使って私のもとに歩いて来なさい、眼を使って私を見るように、信仰を用いて私と出会えるようにしなさい。 私は贖い主、あなたの平和、私、イエスは、あなた方皆を愛している。 '86・9・27
あなたに平和。 ヴァッスーラ 私のもとに来なさい 私は贖い主、あなたの平和。 私は肉体をもってあなた方と地上で生活した、私は神の受肉した独り子です。 私のもとに来て頭を寄せかけなさい、私は慰め主。 あなたがみじめに思う時 私が近くにいるのを、思い出しなさい。 一緒にこの祈りを唱えてほしい。 お助け下さい 御父よ 憩いの牧場に導いて下さい、 そこは 永遠の清らかな水が流れています、 道を照らすために私の光となって下さい、 聖なる方とともに 聖なる方に寄りそって歩きましょう、 あなたが照らす光の中で語りましょう、 御父よ、愛すべき御方、私が平和を保ち、 あなたの愛を感ずるために、ともにとどまって下さい、 私は、あなたの足跡に従い、あなたのうちにとどまります、 私を照らして下さい、愛して下さい、 ともにいて下さい 今ここに そしていつまでも 永遠に。 アーメン。 イエスはこの祈りを教えに来られたのでした。 '86・9・28
今日、イエスは一つのはっきりした霊的直観を下さいました。どこか分からない沼地らしいところで、あたりに人が誰もいません。私の霊は迷子になってしまったようです。その時主が枯れ木の間を探して下さっているのが見えました。 ここです、私、イエスです、あなたが見つかった、おいで 戻る道を教えよう。 私の声を聞きなさい、私 イエスは道です。 迷子になったと感じるたびに呼びかけなさい、あなたのところに来て 道を教えよう。 私は 道です。 '86・9・30
我が子よ あなたに平和。 どうぞイエスよ、あなたを感じて書くことができますように光を下さい。 ヴァッスーラ 口先だけなら その呼びかけは無意味です。 私は自分の間違いに気がつきました、先の願いを、愛をこめずに、深く考えずに、心から感じることなくイエスに願ったのでした。──同じ願いをもう一度唱えましたが、今度は一つ一つの言葉の意味を心に深く刻みこんで、魂を主に捧げながら言いました。 私に向かう今のような心で語りかけなさい。 私 神は感じているのです、すべてを感じている、あなたの呼びかけを通し、魂の底から出て来る愛がほしい、私を必要とし、愛し、唱えるすべての言葉に深い意味を持たせなさい、私 神は実在し 感じている、口先だけの祈りは どんなに呼びかけても葬ったほうがましです、口先だけの信心は墓から発せられた唸り声です、覚えていなさい 私は現前し 感じている。 我がすべての子どもたちが歓びを与えてくれながら働くようにと願っている。 '86・10・5
「神との出会い」を経験した沢山のレポートを今読んでいますが、この人びとは殆んど皆"宗教家"たちから自分のした体験を忘れるようにと言われています、それを行っているのが神ではないからと。これらのことを神から受け取れるのは高く挙げられた霊魂だけで、そのためには私たちも高く挙げられてなければならないのだと。私は無に等しく、善良からほど遠いのを知っています。そこで、神とご一緒に書くことを通しての、これらの出会いをこれきりですっかりやめようと思いました。 もう手を引いてすっかり足を洗うにこしたことはありません。神に達するには聖人でなければならない、神は非常に遠いのだと、それらの報告を通して分かったような気がします。ですからもうすべてをやめにします、そこでこの何か月も書き続けた"力"に最後の一度だけ手をあずけ、書きたいことを書くに任せましょう。 ヴァッスーラ 私を置き去りにしないでほしい、愛する者よ 私に呼びかけ 学び続けるように、覚えておきなさい いつも横にいる、私 神はあなたのうちに生きているのです、信じるように 私は全能者です、永遠の神です。 いいえ。そんなはずがありません。神であられるはずがありません。知恵のある人たちが来て、私にそれは神ではないと証明してみせるでしょう。み前にふさわしい崇高な霊魂だけに神さまは語りかけ、そのような恵みを与えるのです。 私は あなたの手に届かなくはないのです! ヴァッスーラ、私は誰も拒まない。 私のもとに来て顔を見ようとする子どもたちを落胆させる人を皆 私は非難する 誰でも清くふさわしくなければ 私と一緒にいることも 受け容れてもらうこともできないと教える者たちは我が教会を傷つけている。 私といったん出会いながら、他の人によって落胆させられた人を皆、無限の力である私は支え、我が力を与えよう。 どうして、どうして 専門家と称する者たちが 存在する しないと言って私を裁き、あらゆる可能性を否定し、我が子どもたちを慰めも助けもない状態に置いて 幻滅させ、あらゆる恵みを軽んじて、私から子どもたちを引き離してしまうのか、どうして与えたすべての恵みを拒むのか、私が与えた恵みであるのに。 私は無限の富なのです。 我が子よ、あなたが私をついに見出した時、私は幸せでいっぱいだった、あなたが驚いて逃げて行かないように 気をつかい、母親が乳飲み児をあつかうように大切にあつかった、あなたを私に近づけたのは 私です、あなたを呼び 出会った時、あなたが近くに来て私の持つすべてを分かち合った時は、幸せでいっぱいだった、 それが今は、私のもとに来ていながら 離れることを考えているのか、神である私には届くことが不可能で ふさわしい霊魂しか私には到達できない 自分は求められた水準には達していない という情報を与えられたからか! 私は、どの霊魂も拒みはしない、 もっともみじめな霊魂にも恵みの数々を与えたいと望んでいる。 このようにして私と出会い 悦ばせてほしい、あなたを祝福する 我が娘(こ)よ、道を案内している、あなたは私の食卓から食べているのです、 ヴァッスーラ 今日は第一ペトロ書を読むように、注意深く そうしたら それについて述べよう。 第1章を読みなさい。 信仰によって生きるように。ペトロは信仰を持ちなさいと説いている イエスは 信仰という言葉を通して、いろいろなことを教えられました。信仰によって山さえも動かすことができると、そう望むなら無条件に信じなければなりません。 '86・10・10
私は光です、私イエスは 悪が張りめぐらした罠に決してかからぬようにと、注意を促したいのです、不安を呼び起こすメッセージは決して信じないように、悪があなたを止めようと一所懸命なその理由をよく理解しなさい。悪霊は またもやあなたをやめさせ 落胆させようとたくらんでいる。 あなたの救い主 私がはっきりと保証する、愛と平和の呼びかけで、失われた霊魂を連れ戻すメッセージはすべて 御父と私からのものです、ですから 気を落とさないで、私に信頼を置くように。 覚えていなさい 心を心配で暗くしてしまうメッセージを信じてはならない、私は平和です あなたも平和を感じているように。 '86・10・12
あなたに平和。 光が導きを与えている、愛する者よ、平和のうちに生活なさい。 申し上げたいのですが、私はダン(守護の天使)といると平和で居心地がよかったのです。私の天使にノスタルジアを感じています。 彼を離れなさい。 彼は下僕に過ぎない。 私はあなたの造り主、全能の神です。 本当にダンと一緒だと平和を感じ、彼を愛していたと申し上げなければなりません。 分かっている。 彼から離れなさい。 彼は一度こう言いました:「あなたほど自分の天使を愛した者はいませんよ」と、本当にそう言いましたか? 彼は本気だったのでしょうか? 彼は本気です。 今は離れて私とともにいなさい。 頭を依りかけ、あなたがどのように大切かを感じなさい。 あなたは私の娘、私はあなたの天の父、そして あなたを祝福する。 あなたは私のものです。 私はヤハウェ、そして誰にもあなたに害を与えさせはしない。あなたにたいして抱いている私の愛を感じなさい。 私の言葉に耳を傾けなさい。 私はあなたの幼い子ども時代から成長していくのを見ていた。 あなたを抱きしめ あなたは私の目に喜ばしいものだった。 私の造った野生の花のようにあなたが成長していくのを見守った。 あなたが私の光のうちに生活しているのを見て、私の心は喜びに満たされた。 私はあなたのそばから離れなかった。 私のつぼみはふくらみ始め、あなたは愛を受ける時がきた。 私はあなたを感じ、あなたは私を大いに悦ばせた。私は あなたの心を感じ あなたを祝福した。あなたの願いを読み取り、それを慈しんだ。私はあなたの近くにとどまり、あなたが美しいままでいるように手助けをした。 あなたは花開いたので 名を呼んだ、しかしあなたは私を無視した。 時々は 会いに来た、その時はあなたに会えて私の心は歓びました。 あなたが私を訪ねて来たこのわずかなとき、私は喜びで満たされた。 あなたが私のものであると知っていた、しかしあなたは私を忘れてしまったようだった。私が近くにいるのを感じることさえなかった。 年月がたち、あなたは薫りを放たなくなり、葉は厳しい冬の風にあたって落ちはじめ、頭はかがみ、その花びらはつややかな新鮮さと美しさを失った。太陽はあなたをじりじりと焼きはじめ、あなたの感情はきつくなっていった。 聞きなさい。 私はあなたを憐れみをこめて見つめていた。 これ以上耐えることはできなかった。 何度もあなたに近づいた。 そして、あなたを感じた。 しかしあなたは遠くにいて、私を見分けることができなかった。 あなたのうえにかがんでいる者が誰だか、もう、あなたには分からなかった。 あなたを支え、名を呼んでいたのに。 私はあなたの美しさが失せてしまったのを嘆いた。 私は腕の中に見るも哀れな、みじめな子どもを抱いていたのです。 私の心はあなたの姿を見て泣いた。 あなたの目の中に愛の弱い光が見えたからです。 あなたの若いときの愛、一度は私に抱いていた愛の光が。 あなたを私のほうへ引き上げた、あなたは小さな手で私にしがみついた。 我が子が私を必要としているのを見て ほっとした。 私はあなたを連れ帰って、私のすべての愛をこめてあなたを癒した。 渇きを癒すために水を与えた、あなたを養い 少しずつ健康を取り戻すよう 看病した。 私はあなたの癒し主、あなたの贖い主です。 私はいつもそうであり続けよう、決してあなたを離れない、愛している。 私 神はあなたが二度と自分を見失ったままにはさせておかない。 今度は私を喜ばせて私のもとにいなさい。 私はあなたを育てたのです 愛する者よ、私に依りかかりなさい、私のほうを向いて、私を見なさい。 私は神であり、あなたの天の父です。 私がどうしてあなたとともにいるのかに気づきなさい。 私 神は ほかのすべての息子や娘たちにも同じようにするであろう、なぜなら あなた方は皆私のものだからです。 私はこの人たちが太陽の陽にさらされたままにはしておかない、彼らを見守り 回復させよう、その葉が散ってしまうのを待たないであろう、あなた方が渇くのを見るまでは待たない。 覚えておくように、私 神は皆を愛している。 私はあなた方皆をもう一度一致させる。 '86・10・16
あなたに平和、愛する者よ 休みなさい、それ以上重荷を負わないように、無理をしているのが感じられるのです。 あなたの存在をとても感じました、ご自分の存在を強調しておられましたか、イエス? そうです、あなたが理解するようにと 私の存在を強調した。 ヴァッスーラ、あなたの能力は十分把握している。 その日は特に疲れていました。けれど、読書し、働くといったことがやめられないのでした。すべてのところにイエスの現存が感じられました、そして 主は私に何かを伝えようとしておられたのです。 '86・10・22
私、神は、あなたがそばにいるのを悦んでいる、愛している 娘よ、私を信じなさい。 一か月以内にはっきりと我が声を聞けるようになろう*。 望んでいる支えを与える。 私のねらいは 道を案内することです、一か月足らずで大きく前進しよう、それが私の意思ですから。 私はあなたの師、我がすべての教えはあなたの霊魂を照らす、そばにとどまっていなさい。 ヴァッスーラ、みじめに感じる時はいつでも私のもとに来なさい そうするなら 慰めよう あなたは私の愛する者だからです、 我が子どもたちが誰もみじめであってほしくはない、私のもとに来るがよい そうするなら 慰めを与えよう。 *預言は現実となりました。六週間たってから、イエスの声がもっとはっきり聞こえるようになったのです。 '86・10・23
ヴァッスーラ、どちらの家のほうがあなたをより必要としているか? 選んでもらいたい。 イエス、あなたの家と私の家のどちらが大切かとおたずねでしたら、もちろん、あなたの家、とお答えしましょう。そして、選べとおっしゃるのなら、あなたの家のほうを選びます。 あなたを祝福する。 (イエスは本当に嬉しそうなご様子でした!) 道を案内しよう 幼い者よ、来なさい、私の十字架を取り上げて 従って来なさい。覚えているように あなたを助ける 私の弟子となるであろう。 私を証しするように 助けを与えよう。 私は聖なる者、聖なる者です、そこで あなたも聖なる者となり、聖なる生活を送りなさい。 あなたを支えよう。 ヴァッスーラ、私のために働いてもよいか? お名前をもう一度おっしゃって下さい。 イエス・キリスト。 はい、あなたのために働きます。 愛している、望む時に 呼びかけなさい。 私は、神のために働くとはどういうことなのか、本当はよく分かっていないのに承諾したのです。私は神を愛しているので、その方を喜ばせたかったのです。自分の無力に全然気がついていませんでした! 聞くように、我が叫びに耳を傾けなさい、我が叫びを聴きなさい、私の十字架が見えるか? このヴィジョン(霊的直観)を現しているのは、私、イエスです*。 私は 呼んでいる、一人ひとりを思うがゆえに私は苦しんでいる 愛する者よ それに 散り散りとなって 悪霊が仕掛けた危険に気づいていないのが 見えている、そのように私から遠くに離れているのを見て 我が心は引き裂かれている! *それは、暗い巨大な十字架でした。 イエスは、まる一か月、主の十字架の映像を与えつづけておられました。私が頭を向けて見る方向には、どこにも巨大な暗い焦げ茶の十字架が立っています。食べている最中も(皿から目を上げると)この大きな十字架がありました。蚊帳から外を見ると、また十字架があります。歩いたり、別の部屋に行ったり座ったり、何かをしていると十字架はいつもついてきて目の前にあるのでした。一か月、それは絶えずつきまとって、まるで私から離れないかのようでした。 すると、別のことが悩ませ始めました。それは、起こっているこのすべてが、もしかしたら神からではないかも知れない、という思いでした。でも、悪魔からのものだとしたら、こんなに"奴"にとって不利なことはないでしょう。一方、これについて人は何て言うかしら、ということが気になりだし、怖くなりました。私は、どうなってしまうのかしら、馬鹿にされるでしょう! 娘(こ)よ、娘よ 平安に生きなさい! (私は疑っていました。誰なの? 私、イエスです、そばにとどまっていなさい、何年も呼んでいたのです、愛してもらいたかった ヴァッスーラ ‥‥ イエスよ。初めて私を呼ばれたのは、いつのことでしたか? あなたがレバノンに行く途中に。 眠っている時に呼んだ、あなたは私を見た 呼びながら私のほうへ引き寄せたのを覚えているか? はい、覚えています。私はとてもおびえていました。10歳頃でしたが、引き寄せる力に驚いてしまったのです。強い海流のように、あるいは、小さい磁石を引きつけている磁石のように感じました。抵抗して離れようとしましたが、できませんでした。完全に引き寄せられてしまうまで。それから、目が覚めました。 この夢をイエスが思い出させて下さったことに、不思議な感じがします。それについていまだに覚えていることができたのも不思議です。 '87・11・9
あなたに平和。 ここです。 私はイエス・キリスト。 あなたの前にいる、私はあなたの師 そして愛している。 悪は、私が生けにえとなったことで征服されたのです、眠ってしまわないように もう直ぐしたらあなたのもとにいるからです、私は啓示です 伝えたいことがある、私の磔刑について話しなさい ヴァッスーラ。 何を話しましょうか? その前を、それともその最中を思いましょうか? 前です。 イエスは鞭打ちの光景を示されました。 私を鞭で打ってから 唾をかけ頭を数回きつく殴ったため 目まいがしていた、腹を蹴られ息ができなくなって 地面に倒れた、痛みで呻(うめ)く私を彼らは弄び かわるがわるに蹴った、私は見る影もなかった、体はぼろぼろになり 心も同じだった、皮膚は剥がれて、体中からぶらさがっていた。 一人が私を起き上がらせ 脚がなえてしまったので 私を引きずっていた、 それから彼らの式服を一枚着せて、私を前方に投げつけ、繰り返し殴っては、顔を横にぶって、私の鼻を折った、こうした責め苦を受けたのです、私は彼らの侮辱する声を聞いていた、娘(こ)よ それはひどい憎しみと嘲(あざけ)りによって響きわたり、苦しみの杯を大きくしていた、彼らはこう言った:「自分たちの王がここで俺たちといるのに おまえの友人たちはどこでぐずぐずしているのだ? こいつらほど当てにならないユダヤ人はいやしない。奴らの王ばんざい!」 そして、茨で編んだ冠を私にかぶせた、娘よ、「あいさつするユダヤ人はいないのか? おまえはもちろん本物の王なんだろうな? 王の真似をしてみろ。笑えよ! 泣くんじゃない、王なんだろう、 それらしくしろ」 彼らは私の足を繩で縛り上げ 十字架のところまで歩いて行くように言った。 娘よ、足が縛られていては 行くことができない、そこで私を地面に投げ倒し 髪を持って十字架のほうへ引きずっていった、痛みは耐えがたいほど大きく、鞭打ちによってぶら下がっていた皮膚はところどころ剥がれ落ちた。 彼らは繩をほどき 立ち上がらせて肩に荷を負わせるために 私を蹴った。 私の目は 頭にくいこんでいる茨から顔に流れ落ちる血が満たしていたため 十字架がどこにあるのか見えなかった。 そこで 彼らは十字架を持ち上げて私の肩にのせ 門のほうへ私を追いやっていった、 娘よ、ああ 私の担がなければならない十字架が どんなに重かったか! 後ろからの鞭に追い立てられ 門のところまで手さぐりで進んだ、血に目をおおわれたまま行く手を見ようとしたが 目は焼きつくように痛んだ。 その時 誰かが私の顔を拭くのを感じた、悲嘆にくれていた婦人たちが進み出て、私の腫れ上がった顔をぬぐってくれた、私には彼女たちの嘆き悲しむ声が聞こえた、彼女たちを感じたのです、私は小声で言った、「祝されよ」。 「私の血は人類すべての罪をぬぐい去る、見よ 娘たちよ、あなた方の救いの時が訪れた」、私は体を引きずって起き上がった。 群衆は荒れ狂い、周りには友が見当たらなかった、慰める人は誰もいなかった、苦しみが増すように思えた そして私は地面に倒れた。 磔刑の前に私が力尽きるのを怖れた兵士たちは、シモンという男に命令して 私の十字架を担がせた。 娘よ、それは親切や哀れみの行為ではなかった、私を十字架までもたせるためだった。 山にたどりつくと 彼らは私を地面に押し倒し服を剥ぎとった、私は裸のまま人目にさらされた、傷口は再び開かれ 血が地面にしたたった。 兵士たちは胆汁を混ぜたぶどう酒を私にすすめたが、それを断った 心の奥深くで 彼らの与える苦みをすでに味わっていたからです。 彼らは、まず手早く私の手首を釘付けにした、そして 釘が十字架におさまると、ぼろぼろになった私の体を引きのばし 荒々しく足を釘で貫いた。 娘よ ああ 娘よ 何という痛み、何という悶え、何という魂の苦悩、愛する者たちに見捨てられ、私の教会をその上に築くであろうペトロに否認され、ほかの友人たちにも否認されて、まったく孤独のうちに取り残され、敵のなすがままに捨ておかれ、私は泣いた、霊魂が悲しみに満ちていたからです。 兵士たちは私の十字架を立てて 凹みにはめこんだ。 私はそこから群衆を眺めていたが、腫れた目にはほとんど何も映らなかった、私は世界を見つめていた。 嘲(あざけ)る者たちの間に 友人は見当たらなかった、慰めてくれる人はどこにもいなかった、「我が神! 我が神! どうして私をお見捨てになったのですか?」愛するすべての人たちに私は見捨てられたのです。 私の目は母の上にとまった、母を見て 私どもの心は語り合った、「私の愛する子どもたちを あなたの子どもともなるように与えます、この人びとの母となるのです」。 すべてが終わりかけていた、救いは近づいていた、私は天が開くのを見ていたが どの天使も真っ直ぐに立ち、皆沈黙のうちに立っていた、「我が父よ、御手に霊をゆだねます、今 私はあなたとともにいます」。 私 イエス・キリストは我が十字架の苦しみをあなたに口述した。 私の十字架を担いなさい ヴァッスーラ、私のために担いなさい、我が十字架は平和と愛を訴えている 私は道をあなたに示そう なぜなら 愛しているからです 娘よ。 '86・12・4
いまだにきつねにつままれたようで、このことがどうやって起こっているかについて、大きな疑念を感じています。こんなことがどうして起こり得るのかしら? というのは、なぜ、私は書いている自分の手が自由にならないのでしょう? まるで別の力に使われているみたいです。私は現実的なものの見方をするほうですから、疑ってしまうのです、しかもこのことが、実際に起こっているとは。わけが分かりません ‥‥ ここです。 私はイエス。我が子よ、あなたは霊であって 私も霊であることを覚えておきなさい そのうえ 私は聖なる者です、あなたのうちに住み あなたも私のうちに住んでいる、私のうちにとどまりなさい、私 イエスはいつでもともにいる このことを理解してほしい 私の目で見なさい 私は光だからです そして 私を通してあなたは知識を受け、前進しているのです。 分かりました。あなただということを納得しました。二つの目的をあなたは達成されたわけです。一つは、私がお愛しすることを。もう一つは、私とのこのような会い方を私に納得させたことです。あなたは私を引き寄せられたのです。私は世間一般の人以上に精神分裂病ではないことも、精神病学者と同様に精神病ではないことも知っています。そして、これが悪霊からではないことも分かっています。彼らから攻撃された時の気持ちを経験していますから。その時は焦燥感にかられた不安な気持ちにさせられます。(ちょうど、書くのをやめさせようと以前、一週間も攻撃を受けた時のように。)あなたの招きを受けるように望んだのは、私ではありません。私はまったく無関心でした。あなたがこれを望まれたのです。わが神よ、私はそれを遺憾には思っていません。どうしてそう思えましょう。今は、聖なる方に魅せられているのですから! 子どもよ、あなたが私のもとにいられるようにと あなたを高めた、あなたに私を愛することを教えた。このような仕方で一緒にいるのが嬉しいか? はい、とても! 心底からあなたを祝福する '86・12・8
み前にいてよろしいでしょうか? あなたは我が光のうちにいる、私はイエス あなたの救い主です。十字架を身に付けているとは、我が苦しみをともに担っていることを意味する 娘よ。 イエスは私たちが首にさげている十字架を言われたのです。 '86・12・10
娘よ、私について来てくれるか? ふらっと離れていかないように、聖なる生活を送ってほしい イエス、今のままではいけないのですか?* *ジャズに浸った生活をしながら、一方で弟子になろうと努め ‥‥ 聞きなさい、聖なる教えの人で 教会を全く選ばなかった人を挙げてごらんなさい、生半可(なまはんか)だった人を一人でも挙げてみなさい! ‥‥ 誰も思い当たりません。 そう、一人もいない。 (イエスは、私が何か言うのを待っておられるようでした。)私の"すべて"をお望みですか? そうです。 怖れることはない。 何が気にかかるのか 娘よ? (私は溜め息をついたに違いありません。) もし、私が変わらなかったらどうなるのでしょうか? ずっと 今のままでよい あなたを呼びつづけるのをやめないことが分かるであろう! 一つ質問してもいいでしょうか? しなさい。 私に本当に変わってほしいとお望みですか? そうです! 私が変わったら、何か違ってくるのでしょうか? あなたがおっしゃるように私が聖となったら。 そう 違いがある、私のほうを向いてともにいなさい。 あなたは、未来を今ご覧になることがおできですか? できる 愛する者よ。 一つお聞きしていいですか? よろしい。 未来がご覧になれるので、一つ知りたいことがあります。 私に応えるのをお望みでなければ、ハートを私のために一つ描くだけにしておいて下さい。 ── 私は結局最後には、がっかりさせてしまうのでしょうか? いや、私をがっかりさせはしない。 (ほっとしました ‥‥ )どう感じられることでしょう? 私 神は 栄光を受けたと感じるであろう。 そうでしょうか?? そうです。恐れないでよい、どうして聖となることを恐れるのか? 思い出しなさい まだあなたは私の呼び出しの出発点にいるのです。 いったい、これはどういうことでしょう? それは まだ私から学んでいる最中だということです、あなたに私のわざを教え 表してゆこう、今は呼んだばかりだが、後になって 私がどう働くかを発見するであろう、 さらに後ほど決められた時に あなたを呼ぶ その時は平和を見出すであろう。 平和が何を意味するかを十分に分かっているであろうか? あまり確かではありません。平和とは死を意味することもあるし、教会かもしれないし、はっきりとは分かりません。 平和とは私。 私はここ あなたのそばにいる。 右手であなたの書いている手を持ち、左手をあなたの左肩にかけている、私はここにいて あなたは私を感じている、私はあなたの師です、娘よ、私と一緒に歩きなさい! 私と一緒に働きなさい 私を運ぶ者としてあなたを任命した。 他人があなたをがっかりさせることのないように、この者たちの多くは 理解していない、暗やみがその心を閉ざし 理解する力を根こそぎにしてしまったのかもしれない。 平安でいなさい、私、神は、気も狂わんばかりにあなたを愛している。 娘よ 勇気を。 '86・12・11
娘よ、聖であってもよいか? 恐れないように。 (イエスは同じ話題に戻ってこられました、) 聖であるとは、具体的にどういうことですか? 聖であるとは 清く 完全に献身していること。 聖とは 私のために 愛をもって働くこと、聖とは 私を愛し そばにとどまること、聖とは 掟に従うこと、聖とは 私のようであることです。 心だけで聖になることはできるでしょうか? 大切なのは聖衣よりも心ですか? そうです、大切なのは心です。 そばにとどまっていなさい、そばにとどまっていなさい*、あなたは 私が望んでいるほどそばにいない! 巧みに避けているのが感じられる、 (*そばにとどまっていなさいと言われたのは、主に注意を集中させていなかったからです。) (イエスは、喜んでおられませんでした ‥‥ ) 私は聖です、ですから あなたにも聖となってほしい。 本当はもっとおそばにいたいのです! 本当にそう思っているか? 本当に私を求めているか? 私を見捨てないで下さい! 私はそのようなことをしない! 決して? 決して! 娘よ 怖れないでよい、修道服があなたを悲しませるのを怖れているのか? さあ 口に出して言いなさい! (私は全身で勇気を奮い立たせ)言いましょう。修道服はとても着たくありません。それに私は、ありのままに聖なる方を愛しています。 とうとう言う勇気が出た! 娘よ! あなたが正直だったのを喜んでいる! 私、神は、あなたを愛している、もし反対のことを言っていたなら 私の面前で嘘を言ったことになろう。 (神さまが非常に喜んで下さったことを感じました)、けれど、この結論に主は悲しんでおられるかもしれません。 悲しんではいない! よく聞きなさい、私は心で聖となってほしい、服装によってではなく。 生半可な状態とはどういうことでしょう? 修道服を身につけなければ、生半可な状態ではないでしょうか? 生半可といっても 結局こういうことです、聖となるために 聖なる服はいらない、もし心が聖でなかったなら 聖なる服に何の値打ちがあろう それは味を失った塩のようなものです、あなたにもっと近づくように教えよう、確かに もっとそばに連れて来る、私から愛されていると感じなさい、怖れないように、私は平和、私 イエスが道を案内している、あなたを導こう、もっと沢山祈り こうして一緒に働きなさい、私のうちに信仰を大きくふくらませ、私を必要としなさい、時は近い 警戒して用心していなさい。 '86・12・13
娘よ、あなたを罠にかけたと感じたか? 愛している 愛する者よ、私を怖れないように、あなたに罠をかけていると怖れているようだ! (確かに私はこのことを親友に話し"罠"という言葉を使いました) 分かっている、愛してくれるのを望んだのです。 怒っておいでですか? いや、そうではない。 素直になりましょうか? そうなりなさい。 あなたは、私に愛されたいと望まれた? そうです。 目的を達せられましたか? そう あなたは私を誘惑された。そして、私はそれを気に入っています! こうしたやり方で幸せか? はい、とても! 自分がこれほど不躾でなければいいのにと思います。 あなたは学んでいるところです、私から食べなさい、祝福を受けなさい。 私もあなたを祝福するのは可能ですか? 可能です。 では、私の祝福を受けて下さい。イエス・キリストよ! 愛している、私を運ぶ者としてあなたを育ててきた、愛してくれることを望んだ、私を運ぶ者となるのであれば あなたにも聖となってほしい、私が聖であり その私に喜んで従い 私のために働く用意があるのであれば、聖であることに怖れを持たないように、どうしてそのように怖れるのか? 怒っていらっしゃいますか? いえ、怒ってはいない。聖であるとは 清く 私のうちに生きることです、聖であるとは 私を愛し 私に従うこと、聖であるとは 私のようになることです。 あなたさえよければ 聖となるように教えよう。 私はあなたを愛していますので、お望みのようにしようと思います。 では 教える、娘よ、そばにとどまっていなさい そうするなら学んでいこう、信頼し 私を信じなさい、そばにいるのを喜んでいるとあなたに告げる時 私を信じなさい、あなたは学んでいく、平和のうちに行き 覚えているように、私に愛されていると感じなさい。 '86・12・14
私はあなたの慰め主。 イエス、教えて下さい。この指導は何になるんですか。そして、何のために? 多くの人びとを私のもとへ導くであろう、我が子どもたちを生き返らせて 私のもとに戻って来させ、みことばを読むように励まそう。 私は あなたを呼び寄せる善き牧者です、信じてほしい 娘よ、私を見なさい、見なさい、あなたに顔を現した、不安に思わないで、私を信じていなさい。 私がどのように働くかを忘れたか、私のわざについて聞いたことがないのか、あなたの時代が あなたを駄目にすることのないように、ありのままでいなさい* 娘よ、 *殆んど何でも私を信じさせようとするのは簡単です! 私のような人は、ナイーブと言われているのですから。 今のあなたは目覚め 我が光のうちにいるのですから 彼らがあなたに思いこませるようなことがないように。そばにとどまっていなさい。 イエス、どうぞ彼らがそうしむけたら、やめさせて下さい! そうする 誰にもあなたを破滅させはしない。 耳ある者は皆聞きなさい、時は近い 用必深くしているように。 '86・12・15
娘よ、すべての知恵は私から出ている、知恵が欲しいか? 欲しいです、主よ! あなたに知恵を与える、聞きなさい、あなたは知恵を身につけよう、私は全能の主です その私があなたを教える、私について離れないように そうするなら 学ぶであろう、信じていなさい。 我が子どもたちを 目覚めさせなさい 娘よ、平和に暮らしなさい あなたの一歩一歩を私 神が、祝福する。 十分に、あなた方の数は多くなる*、平和のうちに行きなさい *十分にとは、聖霊に満たされること。多くとは、弟子、改心した人びとのこと。 '86・12・16
あなたが与えて下さった物が何であるか分かるのに、丸一日かかりました。何を私にお与え下さったかを考えずに、ただそれを受け取った自分に私は驚きました! 主よ、感謝します。 あなたに平和、その重大さに気がついたのか? 少しずつ。そうです! けれど、そのようなお恵みをいただく値打ちはありません! 知恵を身につけなければならない、しかし気を落とさないように、どうやってそれを得るかを教える。 あなたは我が光の中にいる それゆえに学ぶであろう。 耳を澄まし 私の声を聞き分けるように努めなさい、私はイエス・キリスト あなたの師、聖霊によって働くことを教えた、私を愛することを教えた、私が理解できるように 私のわざを豊かに降り注いだ、私はあなたの力です、あなたを抑圧する者たちに対して その数は多くとも打ち勝つ力が与えられよう 我が子よ*。 *この言葉に私は少し怖くなりました。なぜなら、神さまの声は急に深刻で悲しみを込めたものになりましたから。 (神は少しばかり悲しそうでした。)どうしてですか? どうしてなのですか? なぜって? なぜなら 多くの者たちは私がこのような方法によっても働くのを信じないからです、ある者たちは私を全く信じていない、娘よ、あなたに注意する必要がある* 、 *神はとても父親らしく、親密さを込めて話されました。 このように話すのは あなたに心の準備が出来ていて こういう者たちがいると気がついておくためです、耳が聞こえず 目が見えなく 心を閉ざしてしまっているからです、自分たちの主張を正当化したいと望み、これが私からではなく、このすべてはあなたの頭の産物だと言うであろう、毒を持った理論であなたを養い、あなたが誤っていることを示す方法を見つけ出し、間違っていることを証明するために 彼らの理論*をあなたに読ませるであろう、 *一、二週間後に実現された預言。 ですから 注意を促しているのです 娘よ、人びとがあなたを落胆させないように、あなたの時代があなたを駄目にしてしまわないように、 主よ、私に何ができるでしょう。み手によってお護り下さいませんでしたら! いつでもそばにいる、見捨てられたように感じることはない、強くなるように教育し あなたは迫害する者たち皆にたいして見て見ぬふりができるであろう、あなたを準備しているところです、満たされるようにあなたを養う、私の平和を保ち 私のうちにとどまりなさい '87・1・8
あなたに平和、ヴァッスーラ 私 イエスです。 ヴァッスーラ、私のもとに来なさい、我が心の真ん中に来て住みなさい。 私のような者をお望みですか、イエス? おお そうです! あなたを切に望む、あなたを引き寄せたい! けれど、私には何の値打ちもありません。 ありのままを愛している ‥‥ 私の花嫁になりなさい、ヴァッスーラ。 どうして、私なんか! 愛しているのです 私には、あなたの花嫁にどうやってなれるかが分かりません。イエス? 我が花嫁となることを教える 愛する者よ。 何か表す印を身につけるのですか? 私の十字架を担わせてあげよう、我が十字架は平和と愛を訴えている。 お幸せにしたいと思っています、イエス。 私から決して離れないことによって 幸せを与えてくれるように、私を愛することによって 幸せを与えてくれるように、我が子どもたちの目を覚ますことによって 私を幸せにしてほしい。 これらすべてのためにあなたの力が要ります。特に最後のためには! 私を見なさい。 私は主を見ました。神々しいオーラのように力を発散して輝いておられました。 私は力です、助けを与える、祝福を受けなさい。 私は主をお幸せにしていますか? はじめておたずねしますが。 あなたによって私は幸せです、あなたに愛されていると ずっと感じている。 お姿が体現するのを見られたなら! 求めなさい そうすれば与えられる。 私のうちに 信仰を大きくひろげなさい。 書かれた物をここのカトリック司祭に見せることにしました。彼は、それは悪魔の仕業だと言って、私にやめるようにと宣告しました。イエスは彼にたいして 私とともに平和と愛の十字架を担いたいかどうか、尋ねておられました。私はそのことを伝えました。彼は読むようにと言って、聖ミカエルの祈り、聖ベルナルドの祈り、聖心への信頼のノヴェナを手渡し、その後これらの祈りを唱え何が起こるか様子を見るように、と言いました。私はそのようにしました。自分の手が書くに任せると、このようでした、四日間続けて:「私、ヤハウェは、あなたを導いている」と。 主、イエスよ。私は司祭の望む通りに行いました。祈りの後、これらの言葉が書かれるのを許した以外は書くのをやめました。司祭に従うために、あなたが書くのをお止めしました。主よ、お尋ねしたいのです。どうして、どうして彼に尋ねたりなさったのですか。どうなるかをご存じで、そして彼がこれほど私を苦しめるであろうことをご存じでいて? ともにいる、娘よ、彼に学んでほしいから尋ねたのです、私の豊かさを理解しはじめてほしいのです、私は無限の富です! 「私イエスが、この導きを我が子どもたちのために与えているのを知りなさい、ヴァッスーラを導いているのは、私です、与えた恵みを拒まないように、私のメッセージは平和と愛を訴えている、我が子たちに私の聖所(せいじょ)を満たしてほしいのです、私のほうを振り向いてほしいのです、聖なる生き方をしてほしいのです。 私はこの暗やみの世に輝くために訪れた 彼らを生き返らせ みことばが生きたものであるのを知らせたいのです! 彼らが退けてしまったみことばを思い出してほしいのです、どれほど彼らを愛しているかを思い出させたい、心を燃え立たせたいのです、私が彼らを愛しているように 互いが愛し合うように伝えたいのです。──あなたを愛している 息子よ、ヴァッスーラを止めようとすることによって その意思はなくても私の教会を損なっているのです、私はあなたの愛するイエス・キリスト、善意で行っているのは分っている、しかし 正しいと信じていることが、私を迫害するにすぎなかったと、サウロに伝えるまでの、サウロもやはりそのようだった、あなたは私 イエスが 娘に与えたカリスマは悪からのものだと信じている、私を信じなさい、息子よ、恐れを感じないでほしい、ヴァッスーラが私から教えを受けているのは 我が意思だからです。 彼女は今 生き生きとしている そしていずれそのもたらす実は 失われた多くの霊魂を養うであろう。いつの日かは理解するであろう 息子よ*、私、イエス・キリストは、あなたを愛している」 *この預言はもう実現しました。 司祭はこれを読んだ後、それが悪霊から来るもので、占いにすぎないと言って、私を非難しました。 分かっている。こう言って、私の言葉をそのままこの司祭に伝えなさい。 「占いは愚者のためのものです、霊感は聖なる子どもたちのためのものです。 占いは実りがない、霊感は よい実をもたらし 多くの人を養う」勇気をとり戻しなさい 娘よ、英知が我が子たちの目を覚ます、私 神は、あなたを愛している。 その司祭は私を大変苦しめました。神が預言されたように(1986年12月16日)、それが悪だと証明するために、様々な理論をのせた小冊子を送ってきました。神が預言されたように、潜在意識、オカルト、悪魔主義についての理論を扱うものも送ってきました。それにつけ加えて、私の善とほかの人びとのために、書かれた物をすべて破棄し、全部は悪から出たものだと人びとに忠告するように、という手紙が添えてありました。私はその望みに従って、あの三つの祈りを唱えることと、結果を見るために書かないという、司祭の望み通りにしたことを伝えました。けれど、彼は私を信じなかったように思います。なぜなら、もう一人の司祭(書かれたものが、神からのものと信じ、私を支えて下さっている方)に、書かれたものは悪魔的で、読むように言った三つの祈りさえも私が読んでいないと言いにいらしたからです。 彼は、そのもう一人の司祭を大変驚かせましたので、私を支えて下さっているその司祭は、一番最近の二冊を読むために置いていくようにと言われました。その翌日、この司祭は自分自身の考えをとりまとめ、私に書き続けるようにとおっしゃいました。けれど、私には分かっているのです。それが悪だと信じている方が、教会を愛し、教会を守ろうとしてそうなさっているのだと。もう少しはっきりと見えたなら、と思うだけです。この方は、それが悪だと信じ込んで、私も救いたいと思っていらっしゃるのです! 聖マリアに祈ります。私はどんな過ちをしているのでしょうか? ああ 娘よ どれほどあなたのために心が痛んでいるでしょう、 ほかの方たちも神を愛するようにと望んで、メッセージを見せたからといって、悪いことをしているのでしょうか? いいえ、何も悪いことはしていません、私は マリア、悲しみの母です、ヴァッスーラ、いつもあなたの近くにいます、私どもと一緒にいなさい、私どものもとに来て慰めを受けなさい、彼らは私どもの豊かさを知らないのです、たえず心を閉ざしています、あなたは私どもが彼らに与えてきた多くの印の一つです。 けれど 彼らは理解していないようです、神は ご自分の呼びかけを聞くようにあなたを励まされました。 ヴァッスーラ 一つの霊魂を神のそばにお連れするたびに、神はあなたを喜ばれます、息子イエスと私は いつもあなたの傍らにいるのです。 注意しておいでなさい 悪霊はあなたに対して激怒し、落胆させようとしているからです、彼らの戦い方は あなたを間違ったほうへ行かせようと 誤りの言葉をつけ加えることです、いつもこれを念頭におき 決して忘れないように、それは彼らのあなたに対する武器なのです、あなたのそばにいて 護っています 私にはその悪を見分けられるでしょうか? いつでも知らせてあげましょう、私を信じていなさい、イエスはご自分の見分けができるようにあなたを訓練してこられました なぜ、私は攻撃されているのですか? 説明しましょう 我が子よ、あなたは煉獄で身がさらされているのです それを理解して下さい。 愛する者よ、あなたの神にたいする愛によって 多くの迷える霊魂*が癒されています。 そういうわけで あなたは攻撃を受けているのです、私はそばにいて あなたを護っています、 *霊魂は、煉獄から救われるために祈りと愛を必要としています。 なぜ誤った言葉を受け取るかを理解するために 今のことを話したのです。 あなたのイエスと御父に抱く愛によって彼らは癒されているのです。 私はそのような働きもしているのですか? そうです、あなたの愛でこの霊魂たちを癒しています。 人びとに影響され 彼らの理論に負けてしまわないように、書くのをやめるように言われるたびに思い出してごらんなさい、闇の中でそれと気づかずに生きてきたことを、我が子どもたちの多くは もう私どもの印に気がつきません、神を運ぶ者としてあなたは選ばれました 主をお喜ばせし 言われることをお聞きなさい ありがとうございます。聖マリア、神が御身を祝福されますように。 あなたに平和、 イエス? 私です、ヴァッスーラ、測り知れないほど愛している。 私の子どもたちがあのように痩せきっているのを見ているのは 何と苦しいことか、私が抱いている愛をどうして彼らは忘れてしまえるのか? 私は自分のいのちを彼らのために投げ出したのです。 愛する者よ、そばにいて私を感じなさい。 定められた時にあなたを救いにやって来るが まず成し遂げなければならない仕事があるのです。 私 神は全人類を祝福するための知恵を すでに明かした、ああ 娘よ いつか私がどのように働くかを完全に理解するであろう、恐れないように、私 神があなたを愛しているからです。 娘よ、私 イエスです、一緒に書く前に 毎回三つの祈りを読んでほしい 悪を遠ざけるからです、本当に力強い祈りです 今でも私と働きたいと願っているか? イエス、もし、私が〈いや〉と言ったらどうなさるおつもりですか? 自由に選んでよい 怖れないように、与えたカリスマを取り上げはしない、 どれだけ愛しているかを言いに いつでも会いに来る いえ、イエス。主のために働くつもりです、とすでにお話ししました。どうして自分の言葉をひるがえすことがあるでしょう 覚えていらっしゃいますか? あなたの言葉を喜んでいる 娘よ、そばにとどまっていなさい 道を案内する。 イエス、私はあなたを傷つけたことがありますか? そう、ある、あなたをいかに闇から救い出しに来たかを忘れてしまった時は 傷ついた、しかし もうあなたを赦した、私をどれほど愛しているかを知っている 私はあなたの花婿です、忘れないように、それに私の花嫁として あなたは すべてを私と分かち合っているのも忘れないように、 ヴァッスーラ 私は疲れ果てた肩に平和と愛の十字架を担っている、愛する人よ しばらくの間 それを受け取ってほしい、重荷から私を解放するためにそれをあなたの肩にのせる、我が十字架をあなたの上に乗せられるように そばにいてもらいたいのです、私がどんなに苦しんでいるかを あなたが分かっているのを知っているので そばにいてほしい 私の十字架を感じる時は あなたも苦しむ、私はあなたの花婿です 苦しみもともに分かち合う、私を重荷から解き放ってくれるたびに 休まったと感じるであろう。 私を受け入れる以前はどんな時もそばにいて あなたの一挙一動を注意深く見守っていた。 愛する者よ、私はあなたを何回も何回も呼び続けた、しかし私の存在に あなたは気がついていなかった、今、やっとあなたは声を聞いて 私のもとに来た、ではなぜ 疑念を抱いているのか? (その司祭と出会ってから生じた疑念のこと) 心に疑いが生じて、弱くなった時はいつも、私が今しがた話したことを思い出すように、我が平和と愛の十字架を担い 私を置き去りにはしないでほしい、来てともに祈りなさい。 (イエスは一緒に祈られました。主は祈っている間、上を向いておられました。) イエス、どれほどお愛ししているかをご存じです。あなたが十字架を担がれるのを助け、少しはお楽にできましょう。一緒に分かち合えます。 娘よ、そのように言うのを どれほどいつも聞きたいと望んでいたか、 来なさい いとしい人よ 私たちの道を歩み続けるとしよう イエスは本当に喜んでおられました。お幸せそうでした。(翌日)私は自分の名を耳にしました──イエスが、ひっきりなしに私を呼んでおられたのです。油絵を描いているところでしたが、ブラシを投げ出して立ち上がり、机にかけ寄りました。 ヴァッスーラ、ヴァッスーラ、ヴァッスーラ、私 イエスがあなたを呼んだ、ああ ヴァッスーラ どんなに愛しているか! 私に栄光を与え、いつも一緒にいなさい。 そのような熱意で私を愛するたびに 栄光を受けたと感じる。 今のように私の声を聞いて いつも悦ばせなさい もう直ぐしたら一緒になることを思い出すように、間もなくあなたをそばに連れて来る、愛する者よ、あなたが決して想像できないほど愛しているからです、しかし 今もそうしているように まずあらゆるくに民に私のメッセージを届けなければならない、そうしたら 直ちにあなたを迎えに来る、私のいるここに連れて来て、いつまでもそばに置こう。 私、イエス・キリストはあなたを愛している この恵みを与え ヴァッスーラ、あなたを祝福した、私は与えるものを決して取り上げない。 娘よ 我が教会を生き返らせてくれるか? ああ、イエス。私にはできないことを、あなたは求めていらっしゃいます! 私を信頼しなさい! あなたにつかまって、頼り切っていましょう。あなたは、私の師です。 私に栄光を与えなさい、導いていこう '87・1・23
ああ ヴァッスーラ どれほど愛しているか、私のもとに来なさい、あなたの永遠の父です、我が子どもたちに抱いている愛を感じなさい! 私を愛するようにとあなたの道を案内してきた。 道を示したのは 私です 私は愛の神です、平和の神、慈悲の神です、私は柔和です 私は善き牧者、赦しを喜んで与える父です 迷子になっているあなたを見つけて 助けに飛んで来ないことがあろうか? あなた方一人ひとりを数えている 善い牧者は自分の羊のためにいのちを投げ出す、私は限りない赦しの与え主です、決してあなたを見放さない (後ほど) もし、書くのをやめたら、どういうことになりますか? ヴァッスーラ、たとえ 書くのをやめても、いつもともにいて 道を案内する、私はこのような仕方で私と会い あなたを教えるというカリスマを与えた。 私のために働きたいかと尋ねたが あなたの返事は私を喜ばせた、ヴァッスーラ、あなたの躊躇する姿が好きです。 あなたは決める前に考えることを学び始めているのです。 私はあなたの師、私の指導を受けなさい、悪が自分の虚栄心によって霊魂を養い 破滅に陥れようとするが、それに用心し続けるよう 道を案内している、悪がどれほど反逆的であり得るかを 理解するようにあなたを教育している、あなたに受け入れることを、自分にたいして謙虚となり、正直であることを教える、そして私にたいする忠実を教え、あなたを謙遜の徳で養う ほかの人びとと分け隔てして好意を示しているのではないことを思い出させよう、 私の指導は 霊魂の向上と 清めを教えるためのものです、このカリスマを与えたのがほかの子どもたちよりあなたを多く愛しているからだと 一瞬たりとも思わないように。 この恵みを与えたのは 非常に大きな窮乏のうちにあるあなたとほかの者たちを養うためです 私は 主イエス・キリスト、自分の群れの番をする善き牧者です。 戻る道を示すために、あなたの上に輝いて希望を与えに やって来た。 ヴァッスーラ、確かにあなたの生まれる以前に、あなたを全部知り尽くしていた、人類に我がメッセージを明らかにするために、私を運ぶ者として選んでいた ためらっているのは 以前私の花嫁となるように頼んだからですか? はい、主よ ‥‥ 覚えていようか? あなたは すでに承諾した、 分かっています、イエス。けれど、今改めて考えると、私にはできません。私がなりたくないのではなく、あなたの花嫁になるにふさわしくないのです。どうして、どうしてその重要性に気づかずに簡単に承諾してしまったのでしょう? ヴァッスーラ、私にふさわしくなるように あなたを教えることができる たとえ、私がふさわしかったとしても、それだけでは不十分です。 どうして? ふさわしければよいというだけではありませんから。それ以上のことがあります。 分かっている、ふさわしいだけでは十分でない、しかしふさわしいと同時に 聖となることを教えよう、あなたは努力してそれを手に入れなければならない 来なさい、手伝ってあげよう、いつまでも私の花嫁としてとどまっていなさい、鍛える必要のある花嫁として、あなたを愛し 在りのままを受け入れた、しかし 私が望むように鍛えさせてくれなければならない、あなたが成長するように養う、情報の山を積んで*、悪がどう働くかを明らかにした (*イエスが私に読んでほしいと思われた小冊子を送ることによって、反対にイエスの道具となっている司祭から、送られてきた小冊子のこと。) それらを注意深く読み 目覚めていてほしいのです*。 *イエスは、これらすべての情報を私が読むように、ジェームズ神父を用いられたのです。 受諾することを学びなさい、弱くなって罠に落ちそうになるたびに、かけつけて あなたを救い上げる、私の導きを 償いの手立てとは受け取らないように、転ばないように 道を案内しているのです。 あなたを失いたくない。 祈りの中で、私を呼びなさい、もっと多く祈るように '87・1・24
ヴァッスーラ、ヴァッスーラ、小さな者よ 我が聖心に愛された人よ 怖れなくてよい、愛している。 娘よ、あなた一人の力で私を愛することができたか? いいえ、イエス。 私を愛することを覚えたのは 私があなたに近づき 光を注いだからです、あなたを目覚めさせて 改心させた ヴァッスーラ どうしてあなたを愛するか分かるか? いいえ、存じません、イエス。 では 教えよう。 あなたが無力、みじめで罪深いために愛している。 子どもたちは 私の弱点です、形造らせてくれるために愛しているのです ヴァッスーラ 来て 我が聖心の中に住みなさい その深淵に平和を見出すであろう そして 皆に抱く我が熱烈な愛を感じるであろう、あなたは 彼らにたいする私の愛を伝えることができる、見よ、過ぎ去る日一日と、あなたは私に近づいている! |
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