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1947年4月28日 イエズスは言われる。
「小さな(ピッコロ)ヨハネを照らし、わたしのエピソードと言葉を書取らせようと、わたしの気持ちを動かした理由は、わたしに関する正確な認識を、この霊魂=生贄(いけにえ)、愛する人に与える喜びの他にもたくさんあります。しかし、その中の中核となっているのは、教え、戦う教会へのわたしの愛と、完徳への上昇を目指す霊魂たちを助けるという熱い望みです。わたしを知ることは、この上昇を助けます。わたしの言葉は生命です。」
「…あなたたちは滅びようとしているのだし、わたしはあなたたちを救いたいのだから、これは最大の理由です。」(1947年1月18日)
本文からの抜粋
・第131章 アックヮ・スペツィオーザでの説教。
『他人のものは何であれ盗んではならない』。ヘロデの罪。
・第136章 ラザロ家での奉殿記念祭。
自らの意志とイエズスの誕生を巡る述懐によって生起する霊魂たち
・第169章 第一の山上の説教=使徒たちと弟子たちの使命。
・第170章 第二の山上の説教。恩寵の賜物と真福八端。NEW
・第652章 「本作品の暇乞(いとまご)い」
北イタリアの霊的風土とマリア・ヴァルトルタ
北イタリアと聞けば、人はまずアルプスや湖水地方、ポー川や川に沿って続く葡萄畑を連想するかもしれない。また、あの名高い詩聖ダンテを、さらには『いいなずけ」の作者アレッサンドロ・マンゾー二を連想するかもしれない。この神の祝福に満ちた地に、摂理はまた一人の女性神秘家を誕生させました。その名はマリア・ヴァルトルタ(1897年-1961年)。
この女性はベッドに寝たきりの状態で、1943-51年にわたるわずか8年の間に、122冊のノートを書きつづけ、それは1万5千頁にのぼりました。時は第二次大戦の末期、爆撃の恐怖や避難生活を余儀なくされる中で、一日も書くことを止めることはありませんでした。しかも一度書かれたものは、見直すことも書き直されることもなく。今日、それは17巻の著作となり、翻訳版も多く刊行されています。『自叙伝」『福音』『ノート』など。その中身たるや、ベッドから立ち上がって図書館へ、まして聖地へ足を運ぶこともなかったのに、神学者や聖書地理学者が舌を巻くほどの聖地をめぐる精緻な記述、専門的なガイドブックにも描かれていない詳細な描写が認められるという。聖書にはほんの一行か、あるいは全く出てこないイエズスと弟子たちとの深遠な対話の連続。アラマイ語で交わされているはずの彼らのことばを、彼女はイタリア語で聞き、イタリア語で書き取るという不思議。<私は主のペン>と証言するかのように、彼女の右手だけは死後もなお白く残っていたという。1961年10月12日、わずかの人に見守られたその人は息を引き取りました。病床について28年、65歳の聖なる生涯でした。
なお、彼女の作品は自分の見たまま聞いたままの情景描写の部分と、イエズスや聖母マリアのことばを書き取った口述筆記の部分の文体の違いは、一目瞭然です。
●「私に啓示された福音」は無害証明(Nihil Obstat)と印刷許可(Imprimatur)を得ています。>>詳細
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