きょうのコラム「時鐘」 2010年10月18日

 大阪地検特捜部の起した事件は、東京、大阪、名古屋の3地検「特捜部」廃止論にまで及んでいる

戦後の1947(昭和22)年、隠匿物資摘発などのため東京地検に特捜部が誕生した。大阪地検特捜部は10年後の1957年。さらに40年近くたった1996年に、名古屋地検にも特捜部ができた

大阪には東京へのライバル心が強くあったという。ライバル心とは手柄をたてないと存在意義が問われる焦りと表裏一体である。それを強く思わせたのが、発足直後の1997年に名古屋地検特捜部が手がけた石川県信用保証協会の背任事件だった

逮捕された銀行頭取が、8年後の差し戻し審で無罪となったのは記憶に新しい。特捜部が組み立てた無理な「背任の共謀」の構図が最高裁と差し戻し審で覆されたのである。その教訓をいかす謙虚さがあれば、今回のような特捜部の犯罪は起きなかっただろう

大阪と名古屋の特捜部はいらない、あるいは3つともなくすのか、最高検の中に置けばいいのか。「検事対検察」の法廷闘争が、組織論に波及するのは必至であり、またそれでなくてはこの事件の意味はなかろう。